「キャラバン」を観る
('01.1.4)

 ネパール、チョモランマの麓に暮らす民族の姿をとらえた映画「キャラバン」を観た。ぴあの2000年満足度調査単館系第一位という映画、新世紀の最初にふさわしいかなと。
 観てて真っ先に思ったのは、ド田舎のなにもない所でも名誉欲はあるもんだと。いや、初めの20分位のことね。
 彼らにとってはなんのこったない日常とちょっとした転機が描かれた映画なんだけど、どうしてこんなに心を打つのだろうか。その光景は遥か昔にぼくらの生活でも普通のことだったからか。
 うまく言えないんだけど、映画を含めたメディアって先ばかり見ようとしている。映画の題材は近未来や物凄く先の話が多く、予知することに頭を使っているような。現代の話もハイテクてんこもりで、ぼくらの生活に則したものって少ないと思う。昔の話も歴史のウラ話や遥か昔の恐竜の生き死にや。本当にぼくらが、いや人類が営んできた生活があたかもタブー視されているかのように。そんな生活が「キャラバン」に詰まっていた。
 空も海も山も星も、CGにより創造された産物に驚愕し、感嘆の声をあげるこの頃のぼくにとっては、「キャラバン」のスクリーンに広がった自然に言葉も無く見詰めるだけなのだ。
 電気とそれが生み出す文明の力に依存している今、電気がなくなったら生きていけるか?と考えることがある。自然と付き合う術を失い、自然をも文明の色に染めるべく作り替えてしまった今、ぼくらは何日生きていられるだろうか。金や流通の概念を失ったら、暴動すら起きかねないだろう。
 でも、「キャラバン」に出てくる人々は生きる術を知っている。間違いを繰り返しながらも生きることを諦めず、正面から受け止めている。きっとぼくらが忘れてしまった、いや忘れようとしていることを。
 なにかと先走りしがちな21世紀の初めにとても大切なことを思い出させてくれる映画だった。

エスニック
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