artな戯れ言'01-下半期


このページではartな戯れ言を集めて掲載しています。


ナイロン100℃「ノーアート・ノーライフ」を観る(01.12.18)

 初めてのナイロン100℃。10月に演劇講座に出席し、一昨日赤坂ACTシアターで見かけたこともあり、作・演出のケラリーノ・サンドロヴィッチにはなんだか勝手に親近感が沸いてたりして。彼の創り出す笑いとは・・・。
 で、なんというか自然体で観られる笑いである。ケラ氏曰く、「新感線との違い」は緩急の使い方か。たたみ込むような新感線とは対象に、ためて間を空け創り出す笑い。ハイテンションで飛ばすのではなく、緩急をつけかわす・はぐらかすをも笑いのレパートリーに加えているのだ。
 笑いの多くはズレる会話。会話の脱線や途中乗車によるちぐはぐや勘違いが、延々と笑いの深みに誘ってくれる。なんとも面白いのだ。
 芽の出ない日本人自称芸術家達がパリのバーで繰り広げる会話主体の物語。前半はとにかく笑いのオンパレード。なしてそこまで勘違いできるの?自己中心の?と笑いながら問いかけたくなってしまった。後半は会話のほかに気持ちにもズレをつけ、テーマなど内容に見せかけてちゃっかり主張したりする。上手い脚本だ。
 笑いへのアプローチはたくさんあるということ、当然のことなんだけど両手を広げて教えてくれたような舞台だった。ナイロン100℃。また観たい劇団です。


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「ハリー・ポッターと賢者の石」を観る(01.12.17)

 今年最後にして最大の話題作「ハリー・ポッターと賢者の石」を観た。妄想癖の塊のような子供だったぼくには、とても懐かしいようなわくわくがそこには詰まっていた。自分は「今は隠れているが本当はすごい能力を持っている」と信じ、耳鳴りを超能力を持つものだけが聞き分けることのできる信号だと思っていたあの頃の・・・。
 とにかく不思議な楽しさがいっぱい詰まっているのだ。すっかりすれて忘れてしまった多くの妄想が、この映画にはたくさん。くやしいなぁ。なにが口惜しいって、原作を読んでいないんだけど、この世界を文章にした作者の才能。子供の頃の妄想をいつまでも保てる感性と、あの映像を文章にしていたという表現力・文章力。もの書きを志すぼくにはほんとくやしいの一言。
 映画の中身は面白いんでみんなぜひ観て確認してちょ。ハリー・ポッターと宿敵ヴォ・・・、ヴォ・・・、ヴォ・・・例のあの男との戦いに、知恵と勇気と友情が大いなる力を与えてくれています。
 そうそう、子供社会の人間関係の描き方って、日本もイギリスも変わらないんだなぁ。不遇だけど秘めた力を持つ主人公、ちょっと間抜けな相棒、できのいいおしゃまな女の子、嫌味ないいとこのボン。金色に輝くオールバックがいいとこのボンを象徴してるよなぁ。
 楽しい映画です。


エスニック
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「直撃!ドラゴンロック3 轟天対エイリアン」を観る(01.12.16)

 今年3回目の劇団☆新感線にして初めてのドラゴンロックシリーズ。ビデオで前2作を観て予習してはいたものの、聞きしに優る馬鹿げた面白さだった。主演・橋本じゅん曰く「内容のない大人のコント」はまさにそのとおり。新感線のよそ行きの顔(橋本曰く)いのうえ歌舞伎とは180度方向の違う、ひたすらお馬鹿を追及しているような舞台に、大声を出して笑ってしまう。いかん、いかん。いや、それでいいのだ。それがいいのだ。
 ストーリーは単純明解。風魔忍拳の達人ながら単なるすけべの流浪人・剣轟天が本人の知らぬうちに事件に巻き込まれ、自分の欲求に従って行動をしていたらいつのまにかヒーローになってしまう。そこにドタバタがあり、お色気があり。轟天のゆるゆるな下半身と、とろけきった脳みそが醸し出すまぬけ加減は痛快なのだ。
 つっこみの効いているヒロイン役・高田聖子の存在もシリーズを通した味だし、敵キャラ・粟根まことの冷たい目も健在。前作から登場・池田成志の裏切りも重要なアイテムとなっている。
 いのうえ歌舞伎の幾重にも重なるストーリー展開を排除し、面白いの断片をつなぎあわせた大河コントというべきだろうか。大人が楽しめる作品なのだ。脳みそ空っぽにして。40〜50代のおとうさんおかあさんもたくさんきていて、大いに笑っていたしね。
 ドラゴンロックシリーズはこれがファイナルらしいけど、今後もいのうえ歌舞伎と並行して内容のない大人のコントも作り続けて欲しいのだ。大人が脳天気に笑い続けるためにも。
 会場にケラリーノ・サンドロヴィッチが来ていた。彼が演劇講座で語ってくれた笑いのタイプを思い出した。作り出された大笑いと、日常的なくすり笑い。新感線は確かに作り込んで大笑いが巻き起こり、それがもはやエンターテイメントとなっている。ケラ主宰のナイロン100℃の舞台は明後日観るので、ちょっと比較してみよう。
  轟天〜!カムバ〜ックっ!!破けそ〜だぜ〜っ!


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「四谷怪談」を観る(01.12.15)

 主演・竹中直人、音楽・東京スカパラダイスオーケストラ。それだけでぼくのストライクゾーン真ん中だというのに、共演が広末凉子ときたもんだ。好球必打を身上とするぼくへのまさにプレゼントボール。当然ながら観てきました。
 四谷怪談といえばお岩さん。お岩さんの顔や薬を盛られたことは知っていたけど、事の始まりや結末、物語の背景などはまるで知らなかった。ましてやこの怪談が歌舞伎で上演されていたことなども。お岩さんを含め登場人物が赤穂藩の家中だったとか、吉良家との確執が物語にかかわっているとか。お岩さんに妹がいたなんて、皆さん知ってました?
 歌舞伎を踏襲し、現代の要素を巧みに組み込んだ蜷川演出ゆえ、台詞は昔言葉が多く、歌舞伎特有のいきなり的展開ゆえ、全然わからないとの声も場内から聞こえたけれど、観る者の発想や想像力・読解力が試される舞台かな。観劇前に購入したプログラムに各幕のあらすじが書かれていたので、ぼくはすんなり受け入れられたけど。そんなところも歌舞伎の流れか。
 一番の関心事はスカパラの音楽が時代劇にどう組み入れられるか。これは想像していたよりあっさりしていた。幕間の転換に用いるのが主で、かっこはいいんだけどちょっと積極性に欠いたかな。その他にも流れたけれど、期待と比べるといまひとつ。音楽・東京スカパラダイスオーケストラとわざわざクレジットしなくても・・・という感じ。残念。
 役者たちのオーラはすごかった。普段テレビや映画での活躍が多い面々だけど、舞台でもきっちり光っている。竹中直人の立ち姿はもちろんのこと、広末の清々しさ、藤真利子の女の情、ムラジュンの躍動感、田口浩正のおとぼけぶり、高嶋弟のねえさん事件です(ないない)。二階席だったけど双眼鏡を持参したので、各人の顔もしかと確認できたのだ。いい顔してたよ。特に・・・。
 演出では音楽の他に殺陣の甘さも気になったなぁ。いまやお笑い系でもきっちりとした殺陣を観せてくれるので、本家が怠ってどうする。竹中直人のブルース・リー的動きに助けられていたのだ。スローモーションシーンもなぁ。
 とはいえ、さすがと唸らされる部分も多かった。特にオケピを解放し、回り舞台やせり上がりの裏側を披露するところ。そして、舞台下で力仕事をこなすのが乞食等非人と呼ばれる下等階級を演じる役者だということ。当時の階級制度を舞台上でも堅持し、時代背景を描くなんて、やはり世界の蜷川か。
 この作品を楽しむポイントは、四谷怪談を読んでおく、もしくは開演前にプログラムを購入しあらすじに目を通すこと。あと、できれば昼の公演を観たほうが臨場感が味わえる演出がなされています。


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「ナンバー吾ファイブ@巻/松本大洋」
 を読む(01.12.10)

 松本大洋の久々の連載「ナンバー吾ファイブ」が単行本化された。前作描き下ろしの「GOGOモンスター」を読んだときには、松本大洋が目指したどり着くであろう場所がぼくにはわからなくなりそうだった。その場所は未だにわからないではあるものの、「ナンバー吾ファイブ」@巻を読んだ今ははっきりといえる。それがそこだろうと、その場所へ大きな期待とともにぼくも連れて行って欲しいと。
 第一話は断片である。まるで展開が読めない。何のために彼らがコマを動き回っているのかすら。でも、その一コマ一コマが力強く、読み手を引きずり込んでいくのだ。明かに確信犯の太い線。それぞれのコマが絵本の1ページのように連続していく。圧倒されつつも、惹かれていく。
 主人公・No.吾(ファイブ)は平和隊「虹組」を裏切り、女・マトリョーシカを連れて逃亡する。虹組とはなに?No.吾はなぜ組織を裏切った?マトリョーシカは何者?二人の関係は?わからないことだらけなのだ。なのに虹組は追っ手を次々と送り込み、吾は追っ手と戦いを続ける。国家までもを敵に回しての逃走劇。その行く先に待つものは・・・。
 もう虜である。早く続きが読みたい。随所に見られる遊び心もぼくの心をわし掴んでいる。特にNo.仁(ツー)のヘルメットはぼくの心に響いているぞ。
 21世紀も松本大洋はぼくを感動させつづけてくれそうなのだ。


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「カッコ-の巣の上を」を観る(01.12.8)

 「カッコ-の巣の上を」は映画化されているらしい。ぼくは観たことがないが。ゆえにこの作品は今日が初見。精神病院に収容され患者仲間のリーダーとなる男と、病院の規律を重んじ患者達を統率しようとする婦長の対立はいかに・・・。
 今井雅之演じる主人公マクマーフィが患者達の信頼を勝ち得ていくところは清々しさも感じられる。今井雅之っていい俳優だなぁ。しかし、こんな物語だったとは。人が死なないと転機の訪れない物語。人が死なないと収束しない物語。一連の出来事の末、患者が自己を取り戻すんだけど、「そこまでしないと前へ進めないのか」と叫びたくなってしまう。あくまで元ネタの問題なんだけど。
 この作品を今の日本で、今の時代に上演する意味とはなんなのだろうか?作品の中にはアメリカの持つ階級差別が随所に見られ、全編を通して誰ひとり晴れやかな気持ちになることのない物語。そんな内容だからかえって役者達の熱演だけがむなしく伝わってくる。精神病=山海塾的発想の演出もありきたりでどうしたものかと思うけど、この作品を今選んだことが一番の疑問である。
 今井雅之を観ることができたのが最大の収穫か。


エスニック
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「パパイヤ鈴木とおやじダンサーズ」
 新潟公演を観る(01.12.1)

 今年2度目のおやじダンサーズである。前回長岡公演はツーファーで腫れた足を引きずって行ったため、ノリノリで踊ることができなかったから、今回は雪辱なのだ。それにしても民音主催のコンサートは何故にこうも年齢幅が広いのだろうか。前回は最前列が60代以上だったけど、今回も高齢者がたくさん。謎だ。
 さて、今回のコンサートはおやじダンサーズ年末へ向けてのホールツアー第一弾ということで、趣きがちょいと違います。場内暗天のあと、ヒップ・ホップナンバーとともに颯爽と現れる4人組?ちょっと痩せすぎ、身体キレすぎ。場内の歓声が戸惑いに変わる中、オープニングアクトを務めたのは電撃チョモランマ隊というダンスチームだったのだ。おやじたちとは動きが違いすぎる。後の説明によると、全国大会で優勝したチームだとか。なるほど。前回従えていたバンドは今回はおらず、おやじたちと電撃チョモランマ隊だけのステージとなる。しかし、電撃チョモランマ隊が参加するのは新潟が最初で最後だとか。
 肝心のおやじたちはというと、一人足りない。橋本マニアがいないのだ。ところがパパイヤ鈴木はそのことに一言も触れなかった。どうしたのかなぁ。
 今回演奏された曲はほとんど前回とおなじ。並べ替え、大幅カットした内容だった。知ってる曲ばかりなのでダンスも覚えていてあわせるのは容易だった。しかし、時間も前回より短かったので、なんだか物足りない。おやじダンサーズがパパイヤ鈴木に反旗を翻してそれぞれソロをとる曲も前回とまるで同じだったので、ちょっとなぁ。
 橋本マニアがいない分、本職をリストラされた大津年金手帳と電撃チョモランマ隊が気を吐いていたけど、全体的に今ひとつの感は否めず、「どうしちまったんだよぉ〜っ!」と叫びたい心境でした。
 会場には前回ツアーのDVDが売られており、コンサート中も宣伝されていたが、今日のコンサートを観たあとでDVDを購入した人はどう思うのかなぁ。
 とても好きなグループだけに、ちょっと辛口のコメントでした。


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「ELECTRIC DRAGON 80000V」を観る(01.11.29)

 「逆噴射家族」という映画がある。ぼくの大好きな邦画のひとつだ。白蟻に恐れおののき、狂気にとりつかれてしまう家族のブラックコメディ。当時高校生のぼくは圧倒されつつ大爆笑したのを鮮烈に覚えている。監督は石井聰亙
 「逆噴射家族」を遡ること2年。架空都市BURST CITYでパンクロックバンドの対決を描いた映画「爆裂都市」。その時代を先取った感覚に度肝を抜かれた。対峙するバンドはメンタイ・ロックの両雄ロッカーズとルースターズ。監督は石井聰亙
 とにかく石井聰亙はすごいの一言である。「爆裂都市」からおおよそ20年経っているというのに、ポテンシャルを落とすことなく丸くなることなく、狂気をテーマにロックをかき鳴らしているのだ。「ELECTRIC DRAGON 80000V」という作品を撮ってしまうのだ。磨きがますますかかっているのだ。
 浅野忠信vs永瀬正敏の2大映画スターの対決は「爆裂都市」を彷彿させ、抑制された静かな狂気が開放されて大きな衝撃をもたらすところは「逆噴射家族」を感じさせる。狂気を笑いにしたり興奮にしたりと操るさまは、狂気使いとでも言うべきか。
 STORYは気にしないで、二つの狂気が静から動へたかまっていき、ぶつかるさまを堪能して欲しい。
 永瀬演じる雷電仏蔵は一見キカイダーのようなのだが、良心回路は造り物の方に入っているのがちょっと気になった。まっ、造り物といっても仏像もどきだからか。本作を前にすると、まったくくだらないコメントでした。


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「都立水商!/宝積光」を読む(01.11.28)

 久々に読書のお薦め。なんたって読書の秋だから・・・って、もう冬か。今回読んだのは宝積光の「都立水商!」。東京都が歌舞伎町に水商売の専門高校を設立、そこで起こる様々なエピソードを紹介するというお話。商業高校や工業高校、農業高校に水産高校。専門産業の知識を教える高校がいろいろとあるのに、どうして日本古来からある水商売を教える高校はないのだろうか?そんな発想を端に書き綴られたこの本は、高校時代や青春を懐かしむオマージュというか、夢物語のようなお話しである。
 夢物語なら手に届きそうな幸せを描きそうなものだけど、この物語は買春禁止条例の制定された東京都では到底ありえない水商売専門高校・都立水商を舞台としている。15歳にして水商売を目指す少年少女たちの心はどれほどまでに閉ざされているのだろうかと思うと、都立水商で繰り広げられるのはこの上もない青春物語なのだ。「われら青春」や「飛び出せ青春」を見てるかのような清々しさがそこにはあるのだ。それはあたかも15歳にして水商売を目指す少年少女たちの心を知ったかぶりしているぼくをあざけ笑うように。心の何処かで水商売をさげすんでみている人たちを見透かしているかのように。
 とにかく都立水商の設定が面白い。「ホスト科」「ホステス科」「マネージャー科」「バーテン科」「ゲイバー科」「ヘルス科」「ソープ科」と専門クラスが充実し、高校教諭免許を持つ教師とそれぞれの道のプロがタッグを組んで指導に当たる。指導方法はバラエティに富み、課外実習なども盛り込まれていたり。そしてそれぞれにドラマがあり。一般科目の授業もマニュアルどおりに教えるのではなく、専門クラスの特徴に着眼した授業を行うことにより、生徒達の学習意欲を高めるなんて、今の教育にかけている最たるところではないか。ガッコの先生たちよ、見習ってください。
 実際に都立水商が存在したら、風当たりは凄いものがあるに違いない。当然風当たりや偏見についてのエピソードも書かれていて、まさにミラクル連発で難局に立ち向かう。そこが明らかにフィクションなのだが、なんだかにこやかに読みとおすことができる。この爽やかさは一体なんだろうか。
 主人公・圭介は28歳で都立水商創立に関わり、40歳まで歴史教師として都立水商で教鞭をふるった。この物語は実家を継ぐために退職する彼が都立水商のあゆみを振り返る形で展開する。現在40歳ということは、小中学校の頃に青春ドラマを見て高校生活にあこがれたにも関わらず、入学してみたら学生運動の名残で活気を失った高校を目の当たりにした世代ではないだろうか。そんな彼が失われた理想の青春を教師として都立水商という特異な環境で体現することができた夢物語。きっと既存の高校ではしらけムードが蔓延していて体現できなかったに違いない。都立水商には発想の面白さに加え、そんな想いもこめられていたと思う。
 圧倒的な迫力で圧されるようなことはないものの、ほのぼのとした面白さがあふれる素敵なお話でした。
 山田洋次監督、「学校」シリーズの最新作にいかがですか?


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「ソードフィッシュ」を観る(01.11.26)

 「マトリックス」のプロデューサーが仕掛けた新作「ソードフィッシュ」を観た。言ってしまうと面白いのである。ハラハラ・ドキドキ、幾重にも重なる伏線が期待を積もらせ、爽快感へと変えてくれる。
 すご腕のハッカーが謎の男に導かれ(脅され)て国家組織のウラ金強奪に加担しいていく。単なるマネーハッキングゲームかと思ったところに、とてつもないウラが。ウラがウラを呼び、ドンデン返る。それがアップテンポで展開していくもんだから、時の経つのはあっという間。こいつは面白い。大体、右のポスター画像自体がカッコいいもんなぁ。
 この世の誰もが胸の奥に正義を持っていると思う。その正義の形や方向性・表し方が異なるから、この世から争いは絶えないのだろう。それでもその争いを止めるべく正義がまた執行される。NYテロ以来アメリカが抱える、いや、タリバンも北部同盟もこの世の全ての人が抱える矛盾と憂鬱が面白い展開の中に隠されてもいる奥深い作品でもあります。もちろんアメリカ公開はNYテロ前です。
 それにしてもジョン・トラボルタの笑い顔ってなんかお下劣なんだよなぁ。それと主演のヒュー・ジャックマン。ラストなんかは「X-MEN」への伏線か?とありもしないこと考えちゃったりして。でも、モミアゲも必要以上に長く見えるんだなぁ。
 とにかくアクションやドンパチ、映像に頼ることのない脚本の面白い作品は大好きなんだよなぁ。


エスニック
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「LIES/嘘」を観る(01.11.23)

 またもや韓国映画を観た。新潟市民映画館シネ・ウィンドの16周年企画で「がっとコリア」という韓国映画をたくさん上映する特集を組んでいて、前回の「反則王」に続き「LIES/嘘」を観たというわけ。原作本は発刊禁止となり、映画もローマ法王から上映中止要請がでたとか。当然新潟での上映はR-18指定。だというに、若い女性が何人も一人で観に来ていた。それだけ韓国への注目、韓国の若者恋愛事情への注目が高いということか。
 韓国女性の平均処女喪失年齢は24歳だとか(映画広告によると)。2人の姉がどちらともレイプにより処女を失ったことから、「初体験の相手は自分で決める」と決めた女子高生Yが38歳の彫刻家Jと恋に落ち、SEXを重ねていく。その愛の形が時とともに形を変えて。
 STORYには残念ながら共感できなかったし、これが韓国の普通でないことも理解している。個人的には恋愛は心の傷を伴うことは時として仕方のないことではあるが、仕方がないと思っているが、身体に傷をつけるのはいかんでしょ。恋愛のベクトルの変化を描きたかったんだろうけどなぁ。ただ、初体験を前にした主人公Yの緊張感と、それを演じる主演女優の裸になること、延々と濡れ場を演じることを前にした緊張感を重ね合わせた演出はうまい。
 韓国文学も韓国映画も、試行錯誤を繰り返しているんだなぁ。


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「まちがいの狂言」を観る2(01.11.21)

 野村萬斎の演出するシェークスピア原作「まちがいの喜劇」狂言版新潟公演を観た。なぜタイトルが2なのかというと、4月の東京公演を観たから(こちら)。
 東京公演は千秋楽だったため、作者・高橋氏と演出・萬斎氏の解説つき対談のおまけがついていたんだけど、そこでの話に目から鱗。鑑賞直後には気が付かなかった演出のあれこれが満載だという。当然難しすぎてわかるわけない演出もあったんだけど、それをも含めてぜひもう一度観たいと強く思ったのだった。
 そして迎えた新潟公演。東京公演後、ロンドン・各地の公演を経て熟成された「まちがいの狂言」が目の前に。
 会場に入ってビックリ。面をつけた出演者達が開演前だというのに会場のそこここに立っている。全身黒の衣装に面だけが不気味にはっきり見える。彼らがあちこちで「ややこしや」とつぶやき叫び、来場する客を面白おかしくおどかしているのだ。地方公演では客の年齢層が高いための演出だろうか。とても良かったのだ。
 さて、内容はというと前回も書いているので割愛します。通常の狂言は昔の話し言葉で演じられるのに対し、この公演はよりわかりやすい言葉で演じられているため、話の中身が狂言初心者でもより伝わりやすかったと思う。特に今回は「陰陽師」効果も強かったようで、「萬斎さん、映画と違って・・・」の声も多く聞こえていた。そんな人たちにとっては格好の入門編となったに違いない。また萬斎さんの動きが一段とキレていたし。東京公演では封印していた「陰陽師」ネタも使って、カッコよさと面白さが倍増。
 そして今回もぼくのイチ押しは妻の妹・お菊を演じた高野和憲さん。この人の間(ま)と仕草は面白い。
 で、冒頭に言った演出のあれこれも意識して観ると納得の連続。一番難解と思った「子宮と精子」に関する演出も庵主お恵美の「30年の陣痛を経て」の台詞でそれ以降納得。奥が深いや。でも新潟公演でこの奥の深さを理解しているのはきっとぼくだけかもしれないと思うと、思わずニヤリとしてしまうのでした。


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「反則王」を観る(01.11.16)

 韓国映画「反則王」を観た。ぼくにとって3作目の韓国映画鑑賞。「シュリ」「JSA」と真正面から南北問題を扱った作品が続いたので、〜昼はダメダメ銀行マン、夜は覆面プロレスラー〜というキャッチフレーズに現代韓国一般市民事情が垣間見れるかもと期待。3作ともソン・ガンホが出演しているのはただの偶然です。
 スクリーンに映し出された一般的(?)な韓国は・・・日本と変わりないじゃないか。話す言葉や書かれている文字が違うだけで、その他はまるで日本と同じ。冴えない男が覆面レスラーで日常を打破しようともがく姿を映画にする発想もまるで日本と同じではないか。上司との付き合いや銀行の不正融資や、ドサ回りプロレスの情景までもが、「それは日本?」と疑いたくなるくらい。あまりにも日本と共通点が多いので、字幕を読んでいることにすごく違和感を感じたりして。笑いの部分も共感する部分も、限りなく近いんだなぁ。
 日本と共通点が多いということはある意味残念な部分を併せもっていて、このテの映画は邦画にもあるな・・・と。韓国と日本が地理的以上に近いところに位置していることを意識してしまう。特に過去のあれこれをまるで知らないぼくとしては。わだかまりさえなければ、意気投合することは容易いんだろうなぁ。
 それと、なにに興味があったかって韓国にもプロレスがあるってこと。日本同様アメリカとのつながりがあることを考慮するとあってもおかしくないけれど、これまで韓国人レスラーで活躍した人を見たことないし、メディアで紹介されてもいないし。あったんだ。韓国プロレス界が日本のプロレスには敬意を表しているのは面白かった。本題とは離れているけどね。


エスニック
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松 たか子 concert tour vol.1
"a piece of life"を観る(01.11.9)

 松たか子は二面性を持った女性だと思う。ドラマでみせるチャキチャキ小生意気な面と、しっとりとした面。そのバランスが素敵な女優兼歌手だなと。で、今日はしっとり面があふれんばかりの歌手・松たか子初のコンサートツアー新潟公演を観てきたのだ。
 彼女の曲はほとんどがミディアムからスローなテンポの聴かせる曲。そのためか、75%は座ってゆっくりと彼女を見つめながら耳を傾ける感じ。それがとてもヒーリング。なにせ松たか子がかわいい。ノースリーブから伸びる肩から二の腕のラインは思わずツンツンしてみたい。優しく、時に力強く歌うさまはけな気に見えてなりません。
 デビュー曲「明日、春が来たら」から最新の「花のように」、アルバムの収録曲など彼女のすべてを歌ってくれたような感じ。ぼくの好きな「桜の雨、いつか」はもう素敵すぎて抱きしめたくなってしまうくらい。
 後ろを固めるメンバーも強力で、佐橋佳幸と山本拓夫をここで観ることができるなんてっ!ここまできたら、小倉博和もいないかしら・・・いやいや、それは贅沢と言うものか。
 松たか子はこのところいいことがなかったぼくに、安らぎを与えてくれたのでした。今度は舞台(芝居)でも新潟に来てね。


エスニック
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BackBeat
「グランプリコンサート2001」を観る(01.11.7)

 ロンドンから来た衝撃のパーカッションカルテット。大阪国際室内楽フェスタで優勝したBackBeatの日本ツアーのキャッチフレーズ。ロンドンのエリート集団がどんな「打」を観せてくれるのか、楽しみに観てきた。
 鼓童・炎太鼓・NANTAと叩くことを基本としていた東洋系のパーカッションライブとの大きな違いはマリンバの存在。打楽器ながらも鍵盤を兼ね備え、メロディを奏でることができるマリンバが、ライブを締めている。それが4人で2台のマリンバを、片手に2本づつバチ(スティック)を持って演奏するもんだから、1台につき8本のバチが交差し入り乱れて、よくぞ見事なハーモニーを作れるもんだと感心しきり。マリンバの音ってとても澄んでいて、なんだか染み入るんだよね。
 とはいえ、マリンバの旋律に頼るのではなく、「打」を聴かせたあと、実験的演奏のあと、笑いをとったあとに要所を締めるようにマリンバなのである。西洋と東洋の打楽器の差はそこにあるのだろう。
 とにかく思考を凝らした楽曲の数々。ジェンベというアフリカの太鼓(写真のやつ)を使ったり、ウィンド・ワンズ(風の杖)という木の棒を使って風を切る音での演奏をしたり、ムビラ(カリンバ)を奏でたり、バスケットボールを使ったり。これが面白くも聴きごたえあり。眼から鱗で楽しくて。
 特にウィンド・ワンズ(風の杖)の演奏はNINJA映画のサントラを聴いているかのようで、とてもかっこよかったのだ。
 アンコールでは行ったり来たりで4曲も。日本を意識したと思われる「花」はマリンバの透き通った音色とマッチして、思わず涙モノ。
 心洗われるひとときでした。


エスニック
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演劇集団キャラメルボックス2001クリスマスツアー
「ブリザード・ミュージック」を観る(01.11.3)

 キャラメルボックス3年ぶりの新潟公演。前回は残念ながら観ていないので、新潟で生キャラメルボックスを観るのはこれが初めて。
 90歳のおじいちゃん・清吉が70年前に伝えられなかった言葉、伝えられなかった想いを伝えるために芝居の公演をうとうとするお話。オーデションに参加した役者達は素人の作る芝居、古くさい脚本に不満を伝えるが、脚本が宮本賢治の幻の童話を原作とすることを知り、上演に意欲をみせる。そして、どのようにして幻の童話を手に入れたかに主題を変えて舞台稽古が始まって・・・。
 役者のプライドのぶつかりと家族の絆、清吉の想いの3本柱で物語は進んでいく。キャラメルボックスらしさがそこにあふれている。大切なものは想いを信じること。そんな前向きなメッセージがあふれる作品だった。
 アルビレックス新潟も今日の口惜しい想いを前向きに晴らす日が来ることを信じて頑張って欲しいものだ。あぁ、今日はどうもここから離れることができないようだ。
 カーテンコールで役者達が舞台を降り、観客ひとりひとりにキャラメルを配ってくれた。ぼくのところにはヒロイン・ミハルを演じた小川江利子さんが。
「また観に来てくださいね」
 来ますとも。
 キャラメルボックスらしさ満載の舞台でした。


エスニック
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「ムーラン・ルージュ」を観る(01.11.2)

 久々に試写会が当たった。愛の映画、「ムーラン・ルージュ」。予告で数度観たことがあったんだけど、バリバリのラブストーリー・・・というのが印象だった。苦手かも・・・。しかし、しかし。
 確かにバリバリのラブストーリーだった。時は19世紀と20世紀の狭間。パリに集まる芸術家達の1人、作家のクリスチャンと、高級娼婦館ムーランルージュのTOP・サティーンの許されぬ恋の物語。あくまで悲恋の物語なのだが、とても楽しいのだ。
 20世紀FOXのタイトルロールからビックリさせられる。そして、歌われる曲の数々。そうそう、この映画はミュージカル仕立てなんだけど、20世紀を代表する「Your Song」を始めとするPOPSの名曲たち。それがいかにも物語にフィットするアレンジで流れるのである。それに加えて豪華絢爛のダンスやスピード感あふれるカメラアングル。たのしぃ〜!
 「真実を語り、美と自由とそして何よりも愛を讃える」ボヘミアン革命に身を投じたクリスチャンの心を映し出すような楽曲のメリハリ。とにかくサントラが欲しい。
 人生の裏側も垣間見てかなりすれた三十路男としては、クリスチャンの若さあふれる想いの垂れ流しにはとても抵抗感と言うか違和感と言うか、嫌悪感すら覚えかねなかったけど、ラストはしっかり感動してたりして。泣いてた女性いっぱいいたし。
 まぁ、ラブストーリーには照れがある人もたくさんいらっしゃるでしょうが、とにもかくにも劇中歌とダンスに酔いしれて欲しいのだ。


エスニック
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「GO」を観る(01.10.26)

 これからぼくが書こうとしていることは読むに耐えない言葉かもしれない。だから最初に書いておく。この映画はとてもいい映画だ。すごくいい映画だ。
 ぼくはおおらかな北海道の、昭和40年から造成の始まった札幌の新興団地に生まれ育った。4〜5階建ての団地が数百棟以上立ち並ぶゴチャっとしたところ。そこで暮らす人たちは当然何処かから移り住んできた人たちばかり。そんな環境で育ったためか、在日なんて言葉は知らなかった。同和問題などもまるで知らず、大学の頃「朝まで生テレビ」で激論が交わされるのを見て不思議に思っていた。アイヌ差別ですら実感したことがなかった。だから「GO」の主人公がおかれている立場や気持ちを軽々しく語れはしない。理解しているといえば「うそ」と言われるだろう。
 でも、すごく心に響いたのは本当。共感という言葉は正しくないだろうけど、心を打たれたのは本当。さしたる差別を受けたこともなく、誰かを差別したこともないけれど・・・。
 一昨日「GO」の脚本を担当している宮藤官九郎が作・演出を勤める芝居ウーマンリブVOL.6「キラークイーン666」を観た。その中の自虐的コメディで芝居の酷評ってくだりがあって。「これがあのGOの脚本を書いた人が創った芝居?詐欺みたい」て台詞にクドカンがへこむっていうの。確かにクドカンを「IWGP」や「ロケットボーイ」、「GO」でしか知らない人にはショッキングかも。
 とにかくいい映画です。窪塚くんはとてもカッコいいです。でもカッコいいだけではありません。難しい問題を扱っているけど、愛の映画です。いろんな立場の人がいるだろうけど、根っこはひとつだと信じたい・・・。そんな映画です。


エスニック
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「バッド・ニュース☆グッド・タイミング」
 を観る(01.10.25)

 物語に感動を求めず、ただ楽しかったという後味と満足感を残す芝居。作・演出の三谷幸喜が今回の芝居に課した課題である。純粋に楽しい喜劇を作る。いかにも彼らしいアプローチである。そして、アプローチどおりの芝居なのだ。
 仲間割れした漫才コンビの子供同士が結婚することになり、結婚式当日に親に打ち明けるというお話なんだけど、どうにもこうにも話を切り出すことができず、なかなか前に進まない。そのうち大きな誤解が生まれ・・・。
 なにがどうしてこんなに笑えるのだろうか。全編絶え間なく笑いどおしてしまった。限られた空間、限られた人数による三谷特有のシチュエーションコメディ。それが登場口を多くすることで、ものすごく広い空間を連想させる。ぼくらはメインのラウンジしか観ることができないのだけれど、エレベータの中やフロント、トイレ、地下駐車場、パーティ会場、控室と登場口の先の場所でのドラマまで思い巡らしてしまう。目の前に起きていることだけでも面白いというのに、見えない所を想像してはまた笑う。なんと巧妙な手練れの技。
 すれ違っては笑い、はち合っては笑う。言葉に笑い、仕草に笑い。ベタなコントにまた笑う。一番前の真ん中ちょっと左側だったので、セットのエレベータにはバカづらで笑うぼくの顔がはっきり映り、みっともないけど笑いは続く。「悶絶笑い地獄」とでも言うべきか。心地の良い地獄だぞ。
 役者達もまた絶品で、それぞれの持ち場できっちりと笑いを生み出していく。誰がどうというのではなく、みんなが面白いから書くのに困る。こんな人達をこんな間近で観られるなんて・・・。沢口靖子はキンチョーのCMに出ていよいよ終わりかと思ってたけど、すごくキレイだった。そして三谷幸喜。ほんのちょこっと出演するんだけど、そのインパクトたるや絶大で、自分の観せ方というか場のさらいかたというかを良く知っておられる。そのくせ後を引かないので話の邪魔をするわけでもなく。やっぱりすごい。
 で、観終わった今、ぼくの胸に去来する思いは・・・最高に楽しかったということばかり。またしても三谷幸喜にしてやられたのだ。


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ウーマンリブVOL.6
「キラークイーン666」を観る(01.10.24)

 17・18歳の頃、毎週水曜日は寝不足でトリップしていた。火曜日深夜のオールナイトニッポン。1部・桑田佳祐、2部・白井貴子。この二人の声が聴きたくて、朝5時まで眠い目をこすりながら起きていたものである。
「今夜は今夜しかないのさっ」
 この言葉に励まされて起きていた。
 その白井貴子が大人計画の、しかも、今を時めく脚本家・宮藤官九郎のユニットの舞台に出演するなんて・・・。ファンにとっては事件です。しかも、単なる役者としてではなく、あくまで歌手・白井貴子として・・・?
 どういうことかというと、今回のお話は白井貴子の曲に支えられた家族が彼女のライブへでかけるというお話なのだ。ところが、その道のりはあまりにも険しく、立ちはだかる壁の多いこと。笑いあり、ホラーあり、とにかくいっぱい。
 盛りだくさんのぶん、笑えるところとそうでないところが大きく別れてしまったけれど、初めて観たクドカンは上々。虚実入り乱れた(?)倒錯の世界。映画やドラマがビジターならば舞台はホームグラウンド。ある意味肩の力が抜けていて、ある意味ちょっとだらけすぎだけど、そのラフ加減がクドカンらしさか。個人的にはたくちゃんとルーシーが一番笑えた。
 全編'80年代のJ-POPをフューチャーして、当時を偲ぶ小ねたも満載。その懐かしさに三十路としてはとても面白かったけど、若いファンにはちと難解だったかも。新感線の舞台でも同じ傾向があったなぁ。作り手がぼくらと同年代だから。
 で、白井貴子。あくまで歌手として・・・と思いきや、すっかりクドカンの手の平で回されていて、それを楽しんでいる。小ボケはもちろん、着ぐるみからハゲづらまで。歌手生命は大丈夫か?と心配してしまう。いい味でてました。そしてナマうた。ぼく自身彼女のライブへは行ったことがないので、とてもうれしい。Chance!だぁ。うるうる。
 ラス前にクドカン、阿部サダヲらが客席で演じるところがあるんだけど、それがぼくのすぐ脇。去り際にイジった客に素でごめんと言っていたクドカンが良かった。 ぼくの席は通路に面していたんだけど、白井晃が2度も目の前を通った。色が白く、かなり病的に見えた。草なぎ剛(変換できなかった)も来ていたそうだ。


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「トゥームレイダー」を観る(01.10.15)

 なんなんだっ、あの胸は・・・。映画館で予告編を観るたびに度肝を抜かれるアンジェリーナ・ジョリー。いや、ララ・クロフト。期待にぼくの胸も膨らんでしまうぞい。U2・ボノの歌声もかっこいいんだよなぁ・・・。
 で、観てきましたよ、「トゥームレイダー」。ゲームを知らないぼくだけど、そんなのまるで関係ありません。アンジェリーナ・ジョリー=ララ・クロフトはとにかくきびきびしていて気持ちいい。あんなに肌を露出して格闘したらすり傷が絶えないよ、密林を走り回ったらかぶれちゃうよ。そんなぼくの心配をよそに、縦横無尽の大活躍。痛快感を味わえます。
 アドベンチャーものといえば男が主役のインディー・ジョーンズシリーズが段違いで面白く、カップルで冒険する「ロマンシングストーン」や「ハムナ・プトラ」はぼくの中ではランクが落ちる。だから女が主役の「トゥームレイダー」はいかがなものかと思っていたけど、かなりの健闘です。
 ぼくが気になったのは敵役・パウエルの台詞。「彼はぼくの師だった」と訳された台詞は英語で確かに「ヨーダ(YODA)」って言ってた。直訳するときっと「彼はぼくにとってのヨーダだった」ってところか。ホントにそうなら「スター・ウォーズ」をたとえに用いた最高の台詞なのに、なんで平凡に訳したのかなぁ・・・。日本人には理解できないと思ったのか?誰か英語のわかる人、ホントの言葉を教えてちょうだい。
 はてさて、ぼくが女性が主役の冒険活劇を作るとしたら、きっと胸の小ぶりな女の子を主人公にすることでしょう。だって、その方が動きやすそうだし、ぼくの好みだから・・・。でも、ララは良かった。


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「陰陽師」を観る(01.10.13)

 ぼくは夢枕獏のファンである。最初は同じUWFファンとして格闘技もの(「餓狼伝」「修羅の門」)から読み始め。あとがきに読み取れる獏さんの人柄から、彼の構築する世界観まで、ついついはまってしまうのである。「陰陽師」と出会ったのはまだ学生の頃(14年位前?)。空前の阿部晴明ブームが訪れるなんて微塵にも思わなかった。
 3月に劇団☆新感線の「野獣郎見参〜Beast Is Red〜」を観たんだけど、そのパンフレットに獏さんといのうえひでのり氏の対談があって、映画「陰陽師」の話題があった。そこに「今回の映画化ではぼくがぜひ野村萬斎さんを主役にとお願いしたんですよ」と獏さんのコメント。原作者が自ら語るように、萬斎・晴明はハマリ役。淡々と語る表情や身のこなしが、まさに陰陽師。動きに背筋が立ってます。
 映画の中身はというと、鬼をあくまで人の心の創り出すものとする原作を周到し、怪物大戦争映画になっていないのはGoo。陰陽道って派手に見えるけど、原作から一貫した人間の心理ドラマなのである。そのためか、短編だとしっくりくるけど長い尺だとちとつらいところも。
 このところの邦画の面白さを踏襲した作品。野村萬斎の動きを観るだけでも楽しい作品です。


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演劇基礎講座 第1回
「ナイロン100℃といまどきの小劇場事情」
を聴講する(01.10.2)

 ゲストにケラリーノ・サンドロヴィッチ、コーディネーターに松岡和子を迎えたりゅーとぴあ企画。物々しいタイトルだけど、中身は楽しい対談だった。12月にりゅーとぴあで公演を控える演劇ユニット・ナイロン100℃のPRを兼ねた企画なのだが、宣伝以上の面白さを持った講座だった。
 なにがって、ケラの語る自分と演劇と笑いと・・・、話のすべてが面白いのだ。ぼくにとっては有頂天やナゴムのイメージが強いのだが、彼の遍歴や考えをわかりやすく諭すかのように語ってくれる。音楽やマンガ、演劇界を巧みに引用しながら。これがホント面白く、わかりやすいのだ。そして、ナイロン100℃いや、ケラをとおしていまどきの小劇場事情を垣間見ることができるのだ。コーディネーターや企画者の誘導無しで・・・というか彼らの思惑以上に趣旨を理解していたその感覚はおそるべし。
 それが対談という演出のないストレートな言葉だけに、ここで書くのは非常に難しい・・・。でも、12月の演劇ユニット・ナイロン100℃「ノーアート・ノーライフ」が実に楽しみになってきたのだ。


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「ブリジット・ジョーンズの日記」を観る(01.9.28)

 平日の昼間、先日もらったタダ券でなにを観るべきか。いろいろ考え、女性客が殺到して男ひとりさびしい思いをしてしまいそうな「ブリジット・ジョーンズの日記」をガラガラの平日昼間に見るべきとの結論を下し観に行ったら、館内は女性ばかりでいっぱいだった。平日だぞ、昼間だぞ。イギリス・アメリカの女性の共感を得たブリジット・ジョーンズ。恐るべき女である。
 で、彼女に共感するのは女性だけなのだろうか。性別の違い、環境の差はあるものの、三十路独り身のぼくとしては彼女の気持ちもよくわかる。明け方にCDを聴きながらシャウトしたり、冷蔵庫の中のものすべて食べたりするもん。いや、彼女にだけではない。彼女に取り巻く二人の男、いい加減なダニエルと生真面目なマークにも共感してしまう。ブリジットの感性を持ち、マークの精神を貫き、ダニエルと行動をともにする男、それがぼくかも・・・。それって、最低の男か。
 でも、三十路独り身ってこの3人それぞれに対し、どこかで共感できてしまうのではないだろうか。きっとそうに違いない。
 そんな感情とは裏腹に、この作品面白いです。どうしてブリジットがそんなにモテるの?と思いがちだけど、やはり体重61kg以上の愛らしさが画面にはあふれていたし、人生で何回かはなぜかしらモテる時期ってあるじゃない。それが観客の願望でもあるしね。そういう意味では三十路独り身を大きく勇気付ける映画かな。
 三十路独り身の同朋の皆さん、カラオケでは盛大に「Without You」を歌いましょう。


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「ガンバの冒険」DVD-BOXを購入する(01.9.23)

 ぼくの半生を語る上で八ズしてはならないアニメが2作品ある。「未来少年コナン」と「ガンバの冒険」だ。テレビっ子だったぼくだからこの他にも好きなアニメはいっぱいある。でも、心に残り、その後の人間形成に大きな影響を与えたアニメといえばこの2作品なのだ。その2作品がDVDで店頭に並んでいる。「コナン」はばら売りで、「ガンバ」はBOXで。どっちとも欲しい。でも、そんなに金はない。散々悩んだ末、まずは「ガンバ」を買うことにしたのだ。
 資料を見ると、「ガンバの冒険」の放送は1975年(昭和50年)だから、ぼくが8歳の頃。「ガンバ」も「コナン」も冒険・勇気・友情・正義といった今のぼくの根幹となるものを教えてくれたような気がするのだ。学校でガンバごっこするときはいつもガクシャだった。眼鏡をかけていたから。頭のえらく悪いガクシャ。ほんとはガンバかイカサマになりたかったのになぁ・・・。
 毎週日曜日6:30PMから、1話づつ観ていこうか。半年かけて。それはないにしても、少年の日の心を少しでも取り戻せるかな。汚れちまったぼくだけど。
 冬のボーナスが出れば「コナン」も買うぞ。


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「人間の屑」を観る(01.9.23)

 村上淳主演の映画「人間の屑」を観た。原作は元パンクロッカーの町田康。日本の芸術の”いま”がそこにはあるのでは・・・。
 どんな人間が屑と呼ばれるのだろうか?考えられる屑のすべてを凝縮したような男・鈴木清十郎の屑ぶりが描かれている。誰が見ても確かに屑だ。どうしようもなく屑だ。そばにいたらきっと殴ってしまうかもしれない。いろいろ考えたんだけど、気持ちがないというのが屑の条件なのかなぁ。
「この街には文化がない」
 清十郎の口癖である。とはいえ屑ばかり見せられてもなぁ・・・。


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WAHAHA本舗presents
「梅ちゃんの真実の歌〜巡礼の旅〜」
を観る(01.9.18)

 今回の梅ちゃんはマジです。パフォーマンス重視の客いじり梅ちゃんではありません。歌を通して訴える梅ちゃんなのです。ピアノ1台を従えて歌い上げる梅ちゃんの姿は孤高のシャンソン歌手そのものです。今回はこのレポートを「play」ではなく「live」に掲載します。それは歌が根幹にあるからです。
 とはいえ梅ちゃんですから、朗々と歌え上げるばかりではなく、歌の歌い方、表現の仕方で笑いもとるし泣かせもします。ネタという部分もあるけれど、偏ったシンガーが多い中、なかなかいません。
 梅ちゃんの懺悔で客をひかせたりするシーンもありますが、うるうるなしでは語れない部分も。
 新潟スペシャルも2つほど。即興で歌を作る場面でどうにも作れずたじたじとなり、へこむ梅ちゃん。そして、ラストのアンコールで「明日ここ新潟フェイズで明日ライブを開く大江千里さんが一番後ろに来ています」と梅ちゃんが言った途端、聴衆は一斉に立ち上がり、後ろを振り向く。と、そこにはホントに大江千里が・・・。
「一斉に客の背中見るの初めてだよ!」
 梅ちゃんの御機嫌ななめをブラボーコールが癒して幕となるのでした。
 大人の笑い、大人の歌。堪能しましたぞ。


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「ウォーターボーイズ」を観る(01.9.16)

 とてもうれしい気分なのだ。とても楽しみにしていた映画「ウォーターボーイズ」がこれほどまでに面白い映画になっていたとは。たまらんです。とっても、とっても。
 廃部寸前だった水泳部が美人教師の登場によりシンクロナイズドスイミング主体の水泳部として生まれ変わり、学園祭でお披露目するという話。その中には「周囲の好奇な目」や「男としての葛藤」、「淡い恋心」なんかがいっぱい入っているんだけど、そんな悩みも軽快な音楽と5人のチームワークで乗り切っていきます。
 とにもかくにも面白い。とにかく観てみろと叫びたい。とかく重い画調しか残らない邦画が「楽しい」を取り戻してきている。金をかけることだけがエンターテイメントと思われがちだけど、楽しい映画はハリウッドでなくても撮ることができるのだ。よくぞやってくれた、矢口史靖。本広・三谷・中野各氏とともに、楽しい映画をもっと撮ってちょうだい。中途半端な芸術かぶれやホラー馬鹿を駆逐してくれ!キネ旬が認めなくてもぼくは支持するぞ!
 高校最後の夏、ぼくは仲間と楽しい映画を作るために8mmカメラを回していた。まるでウォーターボーイズがシンクロに青春を賭けるように。「ウォーターボーイズ」のように誰もが楽しめる映画を求めて。あれから17年。時間って流れるのが早過ぎるよなぁ・・・。


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鳥肌実「個人演説会」を観る(01.9.14)

 半年前、ぼくに大きな衝撃を与えた鳥肌実の演説会がまた新潟で開かれた。とにかく目からうろこだった前回の演説会をさらにパワーアップしたものが観られることを期待しつつ。
 いつものスーツ(右写真)姿で客席から現れた鳥肌実。前回と似て非なるところはその動き。奇妙な仕草が前回以上に組み込まれ、物言わずして笑いが起こる。このあと彼の口から発せられる言葉を固唾を飲んで待つ聴衆の心をまさにくすぐる効果覿面。
 「愛妻・夏江が樺太に旅立ってから9年〜」で始まる演説その1は、北海道民ならお馴染みのエキノコックスがふんだんに盛り込まれ、きっとこの会場の中の誰よりも親しみを感じていたかもしれない。
 映画「パールハーバー」の糾弾はまさに水を得た魚。ディズニーが彼の存在を知っていたら、あの映画は作らなかったであろう。きっと。
 鳥肌実主演・監督の「撃沈!真珠湾」は怖いもの観たさで観てみたいぞ。
 演説その2は全裸+般若の面の鳥肌実が妖しい動きとともに某宗教を糾弾する。自らの危険な立場の紹介には場内爆笑の嵐。ラストは「今夜はビート・イット」に乗ったダンス。「これぞ日本人!」と叫びたくなるようなブレイク・ダンスにいつしか般若の面も腹までずり上がり、ご開帳。
 面白かった。でも、残念ながら2度目を差し引いても前回の衝撃には到底至らなかった。内容・時間ともに薄かったのに加え、個人の捏造物語がちょっと長すぎて緊張感がないというか。前回は言葉がストレートに胸に響いたんだけど、今回は演出や創作が贅肉となってしまった感じ。マンネリ化予防もあるのだろうけど、もっと言葉を研ぎ澄ませて、もう一度あの衝撃をぼくに味あわせてちょうだい。


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「大江戸ロケット」を観る(01.9.9)

 いしだ壱成・・・。この舞台を語る上で避けられないのはやはり彼の存在だろう。いしだ壱成・奥菜恵と劇団☆新感線の痛快時代劇。嫌がおうにも高まる期待にいしだ壱成降板は大量に水をさしてしまったのは否めない事実。脚本の面白さは不変だろうけど、舞台の面白さは役者・演出家に大きく左右されるものだから。急遽代役が決まった山崎裕太がどこまで盛り返すことができるのか。はたまた上回るような活躍をするのだろうか。
 なにしろ痛快。「これが舞台か?」と目を疑いたくなるような空間で、奥菜恵が飛び回る。負けじと山崎裕太も跳び回る。新感線特有の動作ごとの効果音が動きに拍車をかけ、絶え間ない笑いを提供してくれる。話芸の巧みさももちろんのこと、あの大麻事件ですらネタのひとつなんだから。
 物語は宇宙からやって来た少女・そらを花火師・玉屋清吉とその仲間たちが月まで届く大花火で送り帰してあげるというもの。そこに謎の連続殺人や奉行所の陰謀、忍び集団が絡まって、そらは無事宇宙に帰ることができるのでしょうか。
 山崎裕太の頑張りはすごかった。新感線の舞台って演技だけではなくアクションや歌唱力を要求されるけど、そのすべてを短時間でマスターしてきている。チャキチャキでかなりトッポくツッパらかっている元気な玉屋清吉。きっといしだ壱成はもうちょっと肩の力の抜けた清吉だったろうけど、代役を受けてから全速力で走ってきた山崎裕太の勢いがそのまま反映された気風のいい清吉に仕上がっている。いい役者になったもんだ。
 脇がまた清吉の勢いを真っ正面から受け止めている。懐が深いのよ。古田新太はあいかわらずおいしいところ持っていくし、藤村俊二なんてそこにいるだけですべてを包み込んでいる。峰岸徹の背筋の立つような厳しさも物語を引き締めている。他の役者達もいい味だしていて、個人的には橋本じゅんがお気に入り。
 そして舞台効果。ほんと、SFX映画でも観ているかのようなスペクタクル。舞台でこんなことができるとは。圧倒されまくり。とにかくすご面白いいのうえ歌舞伎。全編に流れる歌も効果抜群だったけど、大音量過ぎて音割れしてしまい、歌詞が聴き取れないところが多かったのがちょっと残念。でも、そんなこと些細な話でこの舞台のすご面白さの前に完全に屈服するしかないぼくなのでした。
 劇団☆新感線ものにハズレなし。


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「THE CONVOY祭」を観る(01.9.4)

 今年もCONVOYを堪能する機会を得たのだ。例年とは異なり、今回はLive。THE CONVOY SHOWで主体の劇要素を排除し、歌と踊りで彼らの持ち味を存分に観せてくれるこの企画。ディナーショーとも趣が異なり、場内大盛り上がり。
 彼らの魅力をじっくりと観せる方法として、ステージ脇に信号を設置。点灯する色によりSTAND UPやSIT DOWNを促す工夫も。なるほど、ノリに走りがちな場内を上手くコントロールしていた。でも、もっとSTAND UPの時間を長くしても良かったような気もする。結構ブツ切れだったから肩透かしの感もあったよ。
 とはいえ彼らのステージはまさに本物。メンバーそれぞれが異なったバックボーンを持っているので、ひとつの楽曲でも様々な面を観ることができてとても面白いし、感動しきり。彼ら自身の持ち歌は少ないので、有名アーティストのコピーが多いんだけど、当然タダのコピーじゃありません。大御所の歌も若手アイドルの歌も、すべてがCONVOY色にアレンジされていて、彼らのものになっています。圧巻はSMAPの「$10」。三十路の色香が漂いまくりの大人の「$10」です。
 全編面白かったんだけど、個人的にはアンコールの「今夜はブギー・バック」からはじまるJ-RAPメドレーがお気に入り。後はどれということはないけど踊り全般。かっこいいって。
 新潟テルサ1500席満員、うち女性が95%と女性人気が先行しているみたいだけど、老若男女問わずステージを観て感動して欲しいと心から思える舞台だった。
 2年前にはぎこちなかった徳ちゃん、すっかり人気者だったなぁ。


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「千と千尋の神隠し」を観る(01.8.25)

 宮崎駿の最新作「千と千尋の神隠し」を観た。10歳の女の子が迷い込む八百万(やおよろず)の神々の世界。それはメルヘンなのか、怪談なのか。
 言ってしまうと千尋の成長物語。ほのぼのです。鑑賞後、ほんわかとした気分に包まれながらも、背筋が凛とするような映画だったのだ。
 今の世に失われてきたことを諭し、今の世に育まれたことを優しく見守る。宮崎駿から現代の子供たちへのあたたかいメッセージなのだ。
 相も変らぬ宮崎ワールド。絵の美しさはそのままに、今回もキャッチーなキャラクターをそろえている。そして細かい描写。身の毛がよだつところなんて、実写では決して撮りえないながらも、誰もが共感を覚えてしまう。空を飛ぶところや足の指の動きなんて、宮崎ワールドの伝統をきっちりと受け継いでいる。それが実に安心できて心地良い。
 ほのぼのものだけにあまり多くは語れません。宮崎駿が贈る癒し系、なごみを感じてみてください。


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「RED SHADOW 赤影」を観る(01.8.14)

 ぼくはちょっと恋をしている。中野裕之監督の3作目「RED SHADOW 赤影」を観て、胸がキュンとしている。影一族のくの一・飛鳥がなんともかわいらしい。麻生久美子。前作「Stereo Future」ではこんな気持ちにならなかったのに・・・。やはりコスプレ風の衣装のせいか。いや、これもまた中野裕之監督の手腕だというのか。
 とにもかくにも中野裕之。往年の名作をどのようにリバイバルするかと思いきや、エッセンスをそのままに全くちがうヒーローを創り出してしまった。影を背負っていきながらも殺戮や謀略に振り回されるではなく、共存を訴えつづける赤影。設定は戦国時代のままだけど、ラブ&ピースにあふれた21世紀のヒーロー・赤影。それこそが中野裕之のテーマだったに違いない。
 とにかく面白い。センスのいいスピード感のある映像や、小気味よい会話、キレのあるネタ。合間合間にインサートされる自然美。趣の異なった二つの”SF”(「サムライ・フィクション」と「Stereo Future」)が映像・テーマともに融合した作品。それが本作「RED SHADOW 赤影」なんだろう。
 ロボットと猿と恐竜と少女とピカチューばかりがもてはやされている今年の夏休み映画、忍者が隠れたキーワードになりそうです。面白いからぜひ観てください。そして飛鳥に惚れてください。
 ベタ誉めです。


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「猿の惑星 PLANET OF THE APES」を観る(01.7.30)

 ぼくは今、とても戸惑っている。エンドロールが流れる間、帰り道の運転中、観てきた事実を頭の中で整理し、ティム・バートンが構築した「猿の惑星 PLANET OF THE APES」を理解した…つもりである。でも、受け入れることのできない事実が残ってしまう。とんでもないものを創ってくれたもんだ。目からうろこはおろか、内臓までもが落ちてしまいそうだ。昨日「猿の惑星」第一作のDVDを観て予習したというのに、そんなもんなんの意味もないではないか。
 面白かった。ちょっとSTORYが流暢過ぎるかとも思ったり、先読みできたりもしたが、伏線はきっちりまとめられ、上手いもんだと感心したりもしたが、そのすべてこそが大いなる伏線だったというのか。
「やられた・・・」
 すべてにおいてそう思った。見事なまでに統一された格式美。表情はもちろんのこと、動きまでもが忠実な類人猿たち。ものすごいったらありゃしない。ティム・バートンに感服。
 そしてティム・ロス。彼が演じるセード将軍は完全に主人公レオを喰っていたぞ。あのメイクながら、生き生きとした表情を見せてくれる。Mr.Orangeの頃から大好きです。
 それにしても「驚愕」という言葉がピッタリな新生「猿の惑星 PLANET OF THE APES」。その善し悪しはみんなの目で確かめてください。すごすぎるから・・・。


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「A.I.」を観る(01.7.28)

 大いなる寓話か、人間への警鐘か?スピルバーグの話題作「A.I.」はきっと観る者により、流す涙により大きく異なって見える作品だったと思う。
 人間が人間の創りだすものに怯え、排除しようとする。映画の、SFの世界でなくとも現実にあること。人間が愛を求めながらも与えられた愛をいとましく思ってしまうこと。プライド・嫉妬。別に「A.I.」の世界でなくとも日常に溢れている人間の気持ち。
 無償の愛を捧げるためだけに作り出されたデヴィッド。愛すること、愛されることを全身で欲する彼の姿は、絶えず感情を揺さぶられてしまった。でも、そんな健気なのは決して彼だけではない。現在人の世で飼われているペットたちの姿をついダブらせてしまった。彼が実際に製造されるまでにはまだまだ多くの年月が必要となるだろう。彼を創ることの正当性や倫理観は語られるであろうけど、人間の根から持つ感情はいつの世も変わりなくありつづけるだろうから、「A.I.」の人とメカの関係って構築されてしまうんだろうなぁ。
 自分でなにを書いているのかわからなくなりつつあるんだけど、愛の責任、感情の責任を持つのは人間自身なのだから、ぼくたちは絶えずその重みを感じて生きていかなければならないのだろう。その矛先がどんなものに対しても。
 デヴィッドに愛と安らぎを与えられるのにあれほどの時間がかかり、あのような形であったことに、人間としての無力さに胸が締め付けられる映画だった。
 ジュード・ロウって、メカっぽい顔立ちしてるよね。SEXマシーン。


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「テイラー・オブ・パナマ」を観る(01.7.24)

 パナマ運河をめぐるスパイ映画なんだけど、007やMiシリーズと違い、ドンパチのない作り。なんたって、現役ジェームス・ボンド役のピアース・ブロスナンがセルフパロディともいえるダメ諜報部員を演じるなんて、やるよなぁ。ハリウッドならではのおおらかさかな。だって、現役なんだもん。
 スパイ映画と銘打ってはいるけれど、場を上手く使った詐欺師映画でもある。あまりにも落ち着いたトーンで話が展開されていくので、期待の仕方によっては肩透かしを食らうかもしれない。でも、騙し騙され、策士が策に溺れる様は大笑いはなくとも驚きとニヤリ笑いを生み出していく。ベストセラー小説(ぼくは読んでいないが)の映画化ということで、細部がきっちり書き込まれている。二転三転する流れも実にしっくり。スリル感には乏しいけれど、濃密な物語を楽しめます。
 それより何より、タイトルからして計算された一部なんだもんなぁ。


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「風花」を観る(01.7.15)

 待ちに待った。ついに「風花」を観た。去年竹中直人の会を観たとき、小泉今日子の直筆メッセージ入りポストカード欲しさに2月東京上映分の前売り券を購入したのよ。でも、観に行く機会がなくて結局お釈迦。そんな待望の映画をついに観ることができたのだ。
 帰る場所のない男と女が北海道をさまよいながら、生きていくことを、互いの存在を確かめるロードムービー的物語。
 さまよってる現実にソートされる二人の過去。もとからちょっと普通とは歯車が違ってたのね。とはいえ、それぞれがさらされる現実に折れそうになりながら、奇妙な旅は続いていく。
 この頃三谷幸喜に押され気味だけど、元祖長回しといえば相米慎二監督。特段長いというシーンはなかったけど、細切れになることなく落ち着いて観ることができたのだ。ロードムービーにはこの撮り方が適しているんだろうなぁ。
 ぼくは相米監督がにっかつ時代に撮影したロマンポルノ「ラブホテル」がとても好きだ。死にきれずに必死に生きるタクシードライバーと彼を取り巻く女性の心情がとてもせつない映画だった。だから、「風花」も結果はどうあれ死を選択する話にはして欲しくなかった。観ている途中で強くそう思った。もしかしたら盛り上がるのかもしれない。綺麗に映るかもしれない。でも、もっと必死な人を描いて欲しかった。
 北海道へ行くのにパスポートはいらないからね。


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「ミリオンダラー・ホテル」を観る(01.7.14)

 ぼくがリスペクトするミュージシャンの一人、U2のボノが原案・企画に参加した「ミリオンダラー・ホテル」を観た。彼がインスピレーションを得たという実在したホテル(今はつぶれてしまったけれど)でどんな物語が展開し、どんな音楽が彩りを添えるのだろうか。
 ミリオンダラー・ホテルで使用人の如く扱われながらも楽しい日々を送っていたトムトム。同じホテルの住人エロイーズにほのかな恋心を抱いている。ある日友人で住人のイジーが死に、FBIの捜査官が登場してから、ホテル内に妙な団結と活気が満ちてくる。イジーの死の真相は?住民達の企みの成否は?トムトムの恋の行方は?
 何しろホテルの住民達の奇妙奇天烈なこと。住民のみならずFBIの捜査官まで変なのだ。常軌を逸しているようで至って人間味あふれる俗物的彼らの行動は見もの。精神薄弱者のトムトムの素朴さを受け入れる者、利用する者。ホテルの住人同様、観る者にも差が生じ、それが映画としての評価に直結しそうな危うさがある。
 エロイーズと真っ直ぐ向き合い、素直に語ることができたことからトムトムの人生は始まる。自らの手で人生の扉を開いたトムトムの気持ちに、ぼくは素直に感動できたのだ。
 彩りを添えた音楽も素敵だった。U2ファンとしてはぜひサントラも買わなくては。ボノもほんのちょっと出てきます。
 トムトム役のジェレミー・デイヴィス、エロイーズ役のミラ・ジョヴォッヴィッチ、FBI捜査官役のメル・ギブソン。いずれ劣らぬ存在感だったんだけど、おいしいところは最後にちょろっとでたティム・ロスがさらっていったよなぁ。
 トムトムとエッジがダブって見えたのはぼくだけだろうか・・・。


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「梅ちゃんの青い惑星」を観る(01.7.7)

 今日は月が大きな七夕である。織姫様と彦星様が出会うこの夜に、素敵な恋人・梅垣義明に会ってきたのだ。
 過去に2度もレポートしているので(梅ちゃんの青い大聖堂梅ちゃんの青い世界遺産」)、そのステージのおぞましさ・・・いや、面白さはわかっていただいていると思うけど、ほんと面白おぞましい観客参加型シャンソンショーなのだ。
 今回は前から5列目も端の方なので、腕を取られてSTAND UPはないだろうから、飛散物に気をつけるだけ。そう思っていたら、さっそく梅ちゃんの口から放たれたピンポン球がこっちに向かってくる。とっさに右手でキャッチしたけど、手のひらがねっとり。梅ちゃんの唾液が糸を引いていた。
 観客を巻き込み終始大爆笑を誘う。巨大綿棒、水、キャベツが乱舞する。今回は2年ぶりにりゅーとぴあでの公演だったが、また出入禁止になってしまうのではと、ちょっとハラハラ。
 客いじりが実に上手い。若手が未熟な芸の逃げとして頼る客いじりと違って、芸がしっかりしての客いじりなので、嫌味がなく笑える。歌はほんと上手いのだ。次は9月に歌を主体とした公演を行うという。もちろんチケットはGetした。今からとても楽しみである。
 他人の不幸は密の味。アンコール以外オール新作の他人の不幸。時には我が身に降りかかるけど、やみつきです。


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「イッセー尾形のとまらない生活21世紀版」
を観る(01.7.5)

 今年もイッセー尾形が新潟にやってきました。くしくも同日に会場となる新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)の隣り、新潟県民会館では井上陽水のコンサートが催され、周辺は大賑わい。新潟で初めてダフ屋を見たのだった。
 会場に入って驚いたのは、舞台と最前列の間に砂被り席が設けられていたこと。ちょっと見上げなければならないけれど、物凄く近くでイッセー尾形が見られる。着替えスペースの真ん前にも座布団が敷かれているではないか。残念ながらぼくはその席ではなかったけれど、実に観やすい良い席だった。
 今回演じられたのは3月に観た原宿ラフォーレ公演と一緒。3月には初演初日だったネタが全国&世界各地で推敲され、またぼくの前で演じられる。旅立った我が子が成長して帰ってきたのを見守るような、そんな気分?
 全作品を通じてなんだけど、結構忘れてた。衣装を身に着け舞台に上がったときは「あぁ、あのネタ」と思うんだけど、細部までは思い出せなかった。でも、ネタが進んでいくうちに思い出してではなく自然と笑いが飛び出してしまった。改訂あり、熟練あり、イッセー尾形の楽しみ方ここに極めり?
1 本当の歴史を探ろう会(バスガイド代行改題)
 西田一歩。彼は歴史上には名を残さないけれど、ぼくらの記憶には深く深く名を残すことでしょう。
2 性感マッサージ客引き
 日大卒の若者の目つきと口元。いるはずのない存在なのに一段とリアルに進化を遂げているのは何故だろう?
3 ソムリエいじり
 だいぶ手を加えているみたい。TVディレクター(?)の焦燥感がシンプルになり、笑いを誘った。
4 カルピスの君
 チャールズがパワーアップしたような。笑いのツボを見極めて強力プッシュしているのだろう。小津風も磨きがかかっています。
5 ホステス・ひとみ
 年老いたホステスの妖艶(演?)さがますますリアルに。きっと30年前は・・・と期待してしまいそうなところが上手さだよなぁ。
6 AIBO行方不明
 何度観てもこの女は腹立たしい行動。よくぞ思いつくもんだ。前回よりも腹立たしさが倍増だけど、面白さも倍増
7 タカヤマタカオ ヘルスセンター前座ショウ
 ぼくはイッセー尾形の音楽ネタにメロメロなのだ。音楽ねたばかりを演じた公演も行われたとか。ぜひ観たいっ!


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「ギター弾きの恋」を観る(01.7.3)

 ウッディ・アレン監督、ショーン・ペン主演の「ギター弾きの恋」を観た。アメリカのジャズ界で活躍したギタリストのお話。
 自称「世界で2番目のギターの名手」エメットは腕は確かだが自堕落な暮らしが災いし、いつもオーナーともめている。女は好きだが身を固める気はないとうそぶき、周囲からエゴイストと呼ばれる。そんなある日、口のきけない娘八ッティと出会い、同棲を始めるが・・・。
 映画は監督やバンドマン、ジャズ評論家などエメットに関わりのある人たちの証言形式で綴られている。しかし、エメットのエピソードは本人から語られたものはなく、言い伝えのように伝わるものばかりなので、かなり尾ひれがついているという。まったく眉唾ながら面白いエピソードばかり。そのエピソードが面白すぎる分だけ、彼の日常が突飛過ぎる分だけ、終焉は哀しく見えてくる。
 決意することを嫌い、当たり前にそこにあることが一番大切ということを失ってから気が付く。失ったものの重さを強く感じることが、彼を表舞台から引き摺り下ろしていく。このところ物語を自分の身に置き換えるクセがあるためか、なんだか身につまされてしまいそう。
 全編に流れるジプシーギターの音色がとても素敵で、終幕まで身を委ねていたいと心地良く感じてしまいました。


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