artな戯れ言'01-上半期


このページではartな戯れ言を集めて掲載しています。


「ザ・コンテンダー」を観る(01.6.30)

 レイトショータダ券を使って映画を観に行く第4弾。そして社会派ドラマです。
 副大統領の突然の死去により後任候補となった女性上院議員レイン・ハンソン。初の女性副大統領の誕生を阻むいろんな勢力と思惑謀略。はたして彼女は無事初の女性副大統領に就任することができるのだろうか?
 アメリカの政治映画って面白いよなぁ。何がアメリカのモラルかはわからないんだけど、偉そうな人たちの人間としての感情があらわになって、とてもリアルに感じられる。たとえフィクションだとしても。偏見・教義・主張・私利・私欲。自分を貫くためにはなんでもする。豪快だよなぁ。
 ハンソン上院議員は彼女の副大統領就任を快く思わない勢力の代表・ラニヨン下院司法委員長に醜聞をさらされる。沈黙を守る彼女と対応に苦慮する大統領&ブレーン。スクープとして煽り立てるマスコミ。どれもがアメリカでありそでなさそな、なさそでありそなことなんだろうなぁ。混在する事象が巧みに絡んで、コン・ゲームの様相を呈するところなんて、ぼく好みの展開なのだ。きっと英語がわかり、アメリカの政治事情に詳しければ、もっと面白かったんだろうなぁ。
 日本では考えられないようなことだけど、森前首相が司法委員会の場に立たされたら、とてつもなく面白かっただろうに。
 個人的には政治家がどのようなSEXをしていようと、不倫だとか愛人だとか関係ないとぼくは思っている。個人同士の範疇で完結しているのならば。
 ゲイリー・オールドマンが変わったよなぁ。「レオン」や「フィフス・エレメント」の頃から生え際は怪しかったけど、あんなに禿げてなかったし、げっそりしてなかった。「カツラじゃないの?」と気にして頭ばかり観ていたら、字幕を結構見逃してしまった。


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「デンジャラス・ビューティー」を観る(01.6.29)

 レイトショータダ券を使って映画を観に行く第3弾。今度こそホントにコメディだっ!
 化粧っ気も色気もないFBI捜査官グレイシー・ハート。彼女がミス・アメリカコンテストを標的としたテロ事件の捜査のため、ミス・ニュージャージーとして潜入捜査をする。ほんとに色気のないグレイシー役サンドラ・ブロックが「マイ・フェアレディ」の如く美しくなっていく様には感動すら覚えます。まっ、撮影スタッフ的にはもともと美しい女性を野暮ったく見せることに苦心したんだろうけど。
 グレイシーの素と虚像の言動ギャップで笑いをとるタイプのコメディ。これが結構素直に笑えた。役者のテクニック(芸)に笑いを求めていないので、かえって役者がプレッシャーを負っていないといった感じ。観る側も気負わずに楽しめる作品だった。
 グレイシーという名はヒロインの「強い」イメージの象徴としてつけられたのだろうか。グレイシー柔術やヒクソン・グレイシーって、アメリカでも浸透していたんだなぁ。ってことは、ヒロインが高田や船木を名乗る可能性もあったのかもしれない・・・。
 アメリカ・一般市民・混雑の象徴としてスタバが出てくるのは日本でも笑えた。新潟も5月にOPENし、未だに長蛇の列なので、すっごく実感が湧いてきたきたのだ。
 笑うときに鼻を鳴らすのって、アメリカのコメディ映画やドラマで良く出てくるけど、きっと下品の象徴なんだろう。みなさんも気をつけましょう。


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「ウェディング・プランナー」を観る(01.6.27)

 レイトショータダ券を使って映画を観に行く第2弾。久々にラブコメディである。劇場に足を運ぶのも「メリーに首ったけ」以来か。ラブコメって一人で行くのは照れくさいし、かといって誰かと行くのは気恥ずかしいし。平日のレイトショーであること、タダ券だということが鑑賞意欲を湧かせたといっても過言ではありません。
 なっ、なんとっ!てっきりコメディだと思っていたのに、この映画はまるっきり恋愛映画ではないか。レイトショーだというのに館内は女性客でいっぱい。男一人なんて、ぼくだけではないか。というか、男がぼく以外誰もいないではないか。照れくさすぎるぞ!気恥ずかしすぎるぞ!
 内容は・・・恋愛映画です。個人的には自宅で他人目を気にせずに観たかったかなぁ。
 特筆すべきはジェニファー・ロペス。これまでのヒロインとひと味違う・・・と思ったら、あの肉感。単に胸が大きいというのではなく、全体的にむっちりとしたあのBodyと濡れた唇はいままでになかったヒロイン像ではないか。あの二の腕に触りたい・・・。
 ぼくのポジションはマッシモでした。


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「誘拐犯」を観る(01.6.25)

 レイトショータダ券を使って映画を観に行く第1弾。代理母を誘拐して身代金をせしめようと企てた二人だが、いざ誘拐してみたら脅迫相手は裏社会の黒幕だった。黒幕・その妻・ボディガード・産婦人科医・運び屋。誘拐犯とは別のところでそれぞれの思惑が入り乱れ、物語は二転三転していく。
 小気味良いテンポにあわせるが如く次々と見え隠れする伏線。そのたびに「えっ?」と身を乗り出してしまう。客をひきつけるテクニックは最高。銃撃戦も派手なんだけど、それに頼りきらない作りには共感を持てる。誘拐犯2人はさながら現代中南米版「明日に向かって撃て」の面持ち。面白いぞ。
 一気に観てしまったという感じに加え、終幕まで波乱を引きずって、「やるなぁ」と感心仕切りだった。でも、良く思い出してみると敷かれた風呂敷からはみ出したままの伏線がいくつかあり、勿体無いことこの上なし。ぼくは基本的に脚本がしっかりしている映画が好きなので、「惜しいっ!」の一言。でも、面白いことには変わりないんだけどね。
 ベニチオ・デル・トロはやっぱり男好きする役者なのかなぁ。「トラフィック」といい、「誘拐犯」といい。


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「みんなのいえ」を観る(01.6.23)

 三谷幸喜監督2作目の「みんなのいえ」を観た。出張で上京していたので、有楽町の日劇東宝で観たんだけど、とにかく人がいっぱい。とても広い劇場が満席。封切り開始から3週目でこの人気。アニメと健さん以外の邦画にしては珍しいのでは?それだけ三谷幸喜への期待と既に観た人達の評判が良かったということなんだろう。
 で、期待を裏切らないのが三谷幸喜のすごいところ。火薬もワイヤーも特殊効果もないけれど、じっくり練られた脚本と独特の間の演出で、終始笑いの絶えない作品となっている。
 三谷幸喜自信の体験がもととなっているそうだが、日常の中の面白い素材を見付ける目には感服。日常の面白いと空想の中の面白いを実に見事に融合している。いそうでいない人達。三谷ワールドの共通項目なんだけど、彼らが絡んで作り出される物語りはあるわけなさそでリアルなのだ。その微妙なズレが屈託のない笑いにつながるような気がする。三谷幸喜がこだわるコメディの基本かな。
 今回のテーマは友情である。世代が違い、価値感の違う二人の職人気質が時には反発し、時には調和を保って家を作る。仕事に妥協はつきものだけど、妥協の過程が大切というくだりなんかはあらゆる職業に言えることなのでは。平行線と思われた感情が交差するときの化学反応は予想だにしない方向へ流れ、笑いを誘う。
 本編STORYだけでも十分笑えるのに、細かい細工がいっぱいほどこしてある。画面には多くの有名人が顔を見せ、味をふりまいている。会場でも家族連れの「いまの誰?さんまちゃん出た?」何て声もちらほら。いろんな面から楽しめる構造。「ラヂオの時間」から引っ張っているネタなんかもあり、フリークにも優しい映画です。
 邦画の心意気を存分に見せてくれた、超良質のコメディです。ぜひ観て笑っていただきたい。
 ぼくが直介の立場だったら・・・やっぱり右往左往かな。でも、トイレは2つまでにとどめるよう努力するなぁ。


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「Stereo Future」を観る(01.6.22)

 中野裕之監督2作目のSFを観た。前作のチャンバラ活劇から一転、今回の舞台は2002年。ちょっとだけ未来のお話・・・いや、現代のお話。売れない役者と翻訳家(通訳?)の恋人がそれぞれに自分の、自分達の夢や未来を悩み思い描くSTORY。
 がむしゃらに走ることにより答えを探す桂介とやすらぎの中に答えを探すエリ。その対象的な姿がステレオなんだな。
 率直に思ったことは、中野裕之が映像作家として撮りたかった画、脚本家として書きたかったエピソード、監督として表現したかった主張の全てを思い付くまま綴った映画だなと。全てのシーンがきれいで感情にあふれてて、監督の主張がこもってて。それでいてただの耽美な映画に停まらず、エピソードに追い掛けられすぎず、説教臭くない。うまいバランスを保っている。笑いながら癒され、納得させられる映画だ。
 桂介が悪戦苦闘する映画撮影風景がチャンバラというところがいかにも笑える。前作「サムライ・フィクション」で主役だった吹越満が切られ役で哀愁と笑いを巻き起こし、怪優・竹中直人がとてつもない存在感を見せ付ける。きっと「サムライ・フィクション」撮影時に思いつきながらも映像化できなかったアイデアが一気に噴き出したのだろう。
 エリの姉かほるが上司に言われる言葉はとても共感できた。とかく自分の脳みその範囲内のことを押し付けようとする傾向のある問題全てに対する警告のような気がする。
 出演者も豪華な顔ぶれで、ワンシーンながら味を出している。特にBOBAさんの顔は良かった。
 ノンアルコール・ノンスモークのClub・H2Oの発想も笑えます。
 でもきっと桂介ってずるいという女性の声があがりそう。


エスニック
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「贋作・桜の森の満開の下」を観る(01.6.17)

 昨日観た「vamp show」と共通点が多いのに正反対の印象が残る「贋作・桜の森の満開の下」。10年振りの再演、演出は以前と同じ人がやる。でも、「vamp show」は限られた場所と時間のシチュエーションコメディ。対して「贋作・桜の森の満開の下」は無数の場所と時間を表現した大河ドラマ。役者陣も「vamp show」は今の小劇場にこだわった配役をしたのに対し、「贋作・桜の森の満開の下」は役の重みによりメジャーとなった役者とこれからの小劇場役者を使い分ける。当然舞台の広さ、使いかたや演出方法も好対象で、比較すると舞台の面白みが色々と理解できる。なるほど。
 野田秀樹作品で一番再演が待たれていたといわれる「贋作・桜の森の満開の下」。その舞台を一言で語ると・・・絢爛かな。舞台装置や出演者もさることながら、物語の内容までもが美しくはなやか。人の感情や死までもが桜の森の満開の下ではなやかに繰り広げられていく。誤解されないように書いておくが、宝塚的見た目のはなやかさではなく、気持ちの問題で。人の生き死にをはなやかという言葉でくくるのはどうかと思われるかもしれないが、野田秀樹ははなやかさの中に哀しみやせつなさを描き出したのだ。そのギャップが心への伝達を加速させるのだ。
 人・鬼・王・謀反者・・・。その立場が目まぐるしく変わるような時代だからこその絢爛なんだろうなぁ。
 主人公・耳男演じる堤真一が登場する。ちょっと長髪のすけべ分けにでかい耳。見た瞬間、「筧利夫?」と思ってしまった。それほど似ていた。きっと筧利夫が演じていたら、でかい耳があってもなくても印象が変わらないので、リアル感に欠けていたかも。
 あと、堤真一と古田新太の構造は「野獣郎見参!」と似てたりして。古田新太、カッコいいです。いい味出してます。
 その他出演陣みんな、野田演出にハマっててそれぞれに良かったです。パンフレットに野田秀樹から役者一人一人へのメッセージが載っていて、それを読み舞台を振り返るとさらに楽しめます。
 終演後トイレから出たら、雨上がり決死隊の宮迫がいた。昨日といい今日といい、終演後のトイレは有名人との出会いサイトか?
 それにしても、深津絵里はかわいいっ!


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「vamp show」を観る(01.6.16)

 暗天である。暗天の中響き渡る大音量。轟くというべきか。光とともに現れた5人。わずかな光。おどろおどろしさを醸し出しながら5人が繰り広げる恐怖話は他愛もないだけに面白くて。
 三谷幸喜脚本、池田成志演出の「vamp show」を象徴する始まりである。音と光。恐怖と笑い。その絶妙なバランスとアンバランスがこの物語の核となっている。この二人の融合なくしてはありえない舞台となっている。
 舞台はとある山の中の駅のホーム。三谷お得意のセット替えのないシチュエーションコメディ。黄色い服着た5人組と謎の女性。そして傍観者なのかかき混ぜ役なのかわからない駅員。三谷作品の臭いが濃い設定というのに、そこにとどまらない何かがある。友情・別れ・恐怖・殺戮。のほほんと笑ってばかりはいられない。
 その気分を一層かき立てるのが音・光・間。役者それぞれの個性を生かし、効果音すら流れの一部とし、光の行き来に目を奪われる。
 登場人物のキャラクター付けもしっかりしていて笑える。落研の先輩後輩という利害(?)関係なんて、役者それぞれに既に染み付いているかのよう。それぞれが魅力的で、それぞれにおいしい。謎の女かおり演じる松尾れい子もTVや映画と違う無気味さを好演している。そして駅員。いい味だしてる。必然性の有無は甚だ疑問なのに、きっちりその場をさらっていく。
 Rockテイストに満ちた作品。東京サンシャインボーイズや三谷演出では感じられないであろうノリを楽しめた。池田成志は役者としても好きなので、演出専念はちょっと寂しい気もするが。
 異なった個性の融合、凄く面白かった。そして今の小劇場を代表する役者達の熱演(堺雅人・佐々木蔵之介・橋本潤・河原雅彦・伊藤俊人・手塚とおる)、面白かった。カーテンコールはめちゃかっこいいです。
 5人組をゴスペラーズがやるっていうの、実生活さながらで面白かったりして。
 終演後トイレに入って小用を足していたら隣にかっこいいおにいさんが。それがなんと佐藤アツヒロ。出たあとでスタッフに導かれて楽屋へ入っていった。彼とぼくとは連れション仲間?


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「マレーナ」を観る(01.6.15)

 ジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品が心を打つのはどうしてなんだろう。「ニュー・シネマ・パラダイス」しかり、「海の上のピアニスト」しかり。そして今作「マレーナ」しかり。
 戦時中のシチリア島。その美貌に街中の男達が虜となるマレーナと出会った(遭遇した)少年・レナートは、ただ見つめるだけでマレーナへの愛を募らせていく。
 第二次世界大戦という時代にのまれるマレーナ。男達の好奇に、女達の嫉妬にさらされながらも、生きることをあきらめない彼女に募らせるレナートの愛は、純情な分だけ稚拙すぎるもの。それゆえの面白さが物語を引っ張っている。それゆえのせつなさが物語を彩っている。
 レナートの級友とのエピソード、家族とのエピソードは笑いを誘い、レナートとマレーナの遭遇は心を揺らす。レナートのオヤジは最高だ。きっとマレーナの人生を真っ正面から描こうとしたら、橋田須賀子脚本のドラマのようになっていたことだろう。さしずめレナートはえなりかずきか。
 ジュゼッペ・トルナトーレ監督はマレーナ役モニカ・ベルッチと会った瞬間に今作の構想を思いついたという。きっとかなわぬ恋に身をふるわせた幼き日々を思い出したに違いない。
 きっと分身であろうレナートはマレーナの勇気を見て成長する。その姿がなんだか自分にもあったように思える。トルナトーレ作品がぼくの心をとらえて離さないのは、どの作品にもぼくもたどってきたような同じ気持ちがあるからなんだろう。
 竹下景子のヌードが見たくて「GORO」を買いに行ったあの頃、紀伊国屋書店に毎日通って手塚里美のヌード写真集を目に焼き付け続けたあの中学時代が不意に甦ってくるのだ。
 ちょっとタイトなスカートの上から見てとれるガーターベルトのフックの痕。レナートの親指5コ分に乾杯っ!


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「JSA」を観る(01.6.10)

 韓国映画といえば昨年日本でもヒットした「シュリ」との比較がPRのキーワードとなっている。今回の「JSA」は「シュリ」の観客動員記録を塗り替えたとか。ただ、「シュリ」を観た率直な感想は“ありものを朝鮮半島に置き換えた映画。両国の現実があるだけに緊迫感があった。まさか韓国がこんな映画を作るとは。”ってな感じで、本当の韓国映画を評価するのは南北関係に頼ることのない作品を観てからと思っていた。
 JSAとは南北の国境にある共同警備区域のこと。「JSA」は南北関係最前線を主題にした映画だ。しかし必要以上の派手なドンパチはなく、北−南に別れて国境を警備する同一民族の心情を描いている。侵略戦争や軍事大国の介入戦争ではなく同一民族の対立というのが朝鮮半島のオリジナル。
 男の熱い友情の映画である。<帰らざる橋>で結ばれていながらも、その間には大きな隔たりのある。その国境ラインを気持ちは越えて友情を育む。なんか上手く言えないけれど、心も熱くなる映画なのだ。ミステリー謎解き仕立ての展開も面白く、異なった二つの主張の中に隠された真実が明らかになっていく過程はハラハラドキドキ。
 完全に男の映画である。男だけの緊迫する状況下での男の友情物語。それだけにソフィーの存在がちょっと浮いてしまうが、イ・ヨンエがあまりにもかわいいので許せてしまう。かわいい。
 主役のイ・ビョンホンが原田泰造に似ているという話しを良く聞いていたが、確かに似ていた。
 とても面白い映画だった。「シュリ」にはないオリジナリティが感じられて、韓国映画らしさを、韓国の人たちの気持ちを観ることができた。
 次は南北問題がテーマではない「アタック・ザ・ガスステーション」に期待しているんだけど、新潟の公開がまだ決まらないんだよなぁ。


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「三文役者」を観る(01.6.9)

 日本映画にこの男あり。脇役=バイプレイヤーに徹し、スクリーンに異彩を放った男・殿山泰司の半生を描いた映画「三文役者」を観た。
 主演・竹中直人の風貌が殿山泰司にだぶる。竹中直人の面白キャラが殿山泰司の私生活とだぶる。「こんな男がいたのか・・・」と誰もが不思議に思うだろう。そんな男が殿山泰司なのだ(そうだ)。物語は役者・殿山泰司の軌跡というよりも、本妻と妾の狭間であたふたし酒をあびるダメな男・殿山泰司を綴っている。それがまた痛快なのだ。うらやましいくらい。
 竹中直人の怪演もさることながら、赤坂の側近(妾)を演じた荻野目慶子もよかった。素肌の露出するシーンではさすがに実年齢を感じてしまうが、17歳から50歳過ぎまでを好演。日本映画もヘアーまではOKになったのかと驚きもしたが、そんなところに彼女の喜怒哀楽のストレートさが表現されているような気もした。
 対する鎌倉の本妻を演じた吉田日出子もいい味出してるの。
 現在の日本映画を支えるバイプレーヤーも数多く出演し、殿山泰司が映画人に愛されていたことが観てとれたのだ。
 惜しむらくは素肌。年老いても互いに支えあう二人なのに肌があまりにも若く、その部分だけはちょっとさめてしまう。そんなところに・・・と思われるかもしれないが、金をかけてもいいような気もするが・・・あればの話だが。
 この映画は殿山泰司の半生を描く一方で、進藤兼人監督の妻である乙羽信子の、そして近代映画社の歴史を振り返る映画となっている。乙羽信子の遺作となってしまっただけに、監督には感慨深い映画となったと思う。


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「トラフィック」を観る(01.6.6)

 アカデミー賞4部門受賞の映画「トラフィック」も今週で新潟の上映は終わりだとか。このところ公開終了に追われるように映画館に通っている。珍しくちょっと忙しいからなぁ。
 なんと厚い構成の作品なんだろう。アメリカ各地、メキシコで同時に進行する複数のドラマ。ある場面では近づき、ある場面では重なり、ある場面ではまるで違う世界に。根底に流れるのはDRUGの影。家庭に、学校に、街に、警察に、組織に、軍に、ホワイトハウスにDRUGの波紋が広がっている。これがアメリカの現状、メキシコの現状なのか。生活のあらゆる営みに入り込んでいるDRUGに対し、どのような対抗策があるというのか。あるドラマは途絶え、あるドラマは抹殺され、あるドラマは再生を模索し、あるドラマは生きながらえ。同一の答えなどどこにも見当たらない。DRUGにすがる者、DRUGで稼ぐ者、DRUGを憎む者。その数が多いだけに、答えなどたやすく見つけられることはないのだ。
 同時進行複数ドラマの映画はこのところ多くなったけど、すべての流れが1本に合流するパターンが多かっただけに、それぞれがまるで異なった結末を持ちえる「トラフィック」は異端的存在に見えてしまいがちだけど、現在のアメリカのDRUG事情を語るにはこの手法が一番適しているように思えてくる。
 ソダバーグなりの結論はDRUGにすがる者を生みださない、すがる者を再生したいという需要側からの市民レベルの働きかけなのであろう。
 平和ボケした日本に暮らす身として、とても面白くかつ勉強することのできる映画が観られたのだ。
 期待とやるせなさの渦巻く中、ラストシーンは心に安らぎを与えてくれたのだ。
 ソダバーグ監督、ベニチオ・デル・トロ、オスカー受賞おめでとう。特にベニチオ・デル・トロ、「スナッチ」とはうって変わって、またいい味出してるぞ。


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柳家花緑独演会「花緑ごのみ」を観る(01.6.3)

 連日サッカーに熱狂すると思いきや、日曜日の午後に落語で芸を楽しむ。なんか粋な大人になってきた・・・と勝手に思い込んでいる今日この頃。日常はいろいろとあったりするけれど、遊ぶときは思いっきり楽しまなくては。
 今日観た柳家花緑は人間国宝・柳家小さんの孫で、戦後最年少で真打昇進した期待の若手落語家。今年に入り数多くのTV番組にも出演し、注目を浴びている・・・らしい。出囃子とともに登場した花緑は若々しく、初々しささえ残っている。けれどつかみで話す彼の途切れることのない話術とその中身の面白さに、場内は緊張感がほつれ笑いが起こっていく。最年少真打の名前はだてじゃない。
 今回の独演会は3部構成。落語「ちりとてちん」、いろいろ「おぼっちゃんの部屋」、落語「紺屋高尾」。
 「おぼっちゃんの部屋」は彼の趣味を見せる嗜好となっているが、これはちょっと・・・。今回はピアノ演奏、弾き語り、ブレイクダンスの披露だったが、金とって見せるほどのものでもなく、おぼっちゃんの自己満足か。弾き語りではELTを歌い、替え歌まで披露したけど、容姿・声的には槙原敬之のほうが似合っていたかな。まぁ、いい骨休めか。
 本職の落語のほうは2題ともとても面白かった。落語って一人芝居じゃない。イッセー尾形とは違って、一人で何役もこなす。その役の使い分けがとても上手い。オーバーアクションの使いこなしもしつこくなく、思わず吹き出してしまう。「ちりとてちん」は終始笑いを誘う噺なのに対し、「紺屋高尾」はホロリとくるよな人情モノ。笑わせどころと泣かせどころの使い分けが上手く、とても楽しむことができた。落語2題だけで入場料3000円は十分ペイできたよ。
 サッカーも舞台もライブも落語も、やっぱりナマはいいなぁ。集中できる環境で思いっきり没頭して楽しむ。贅沢な楽しみだこと。次は大好きな三遊亭円丈師匠が観たいなぁ。


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「EUREKA(ユリイカ)」を観る(01.6.1)

 青山真治監督がカンヌ国際映画祭で喝采を浴びたという「EUREKA(ユリイカ)」を観た。3時間37分の大作。尺を聞いただけで観るかどうかためらってしまったりもしたけれど、意を決して映画館に足を運んだのだ。
 率直に言うと、尻の痛み以外はそんなに長さを感じることなく観ることができた。一言にすると「淡々と」。非現実的な日常を時間をかけて淡々と描くことにより、あたかもごく普通の日常の記録のように思えてしまう。それでいてその非現実さに引き寄せられて、セピア色のスクリーンから目を離すことができない。起伏がないだけ大きな疲れもなく、物語の進行についていくことができる。バスジャック無差別殺人と連続通り魔事件。どう考えてもハラハラドキドキ映画になりそうなネタなんだけどね。
 このためか、物語にどのようにしてケリをつけるのか非常に楽しみだったけど、非現実から現実への帰還というのは最後まで日常にこだわった結果なんだろうか。
 何故だか寺尾聡の「ルビーの指輪」を思い出してしまった。サビはないんだけど心に残る。不思議な映画に出会ってしまった。


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「スターリングラード」を観る(01.5.25)

 なんと!今日が封切り最終日だとか。これは急がねばと「スターリングラード」を観てきたのだ。
 とても組織的とは言えないお粗末なソ連軍隊の中で、一人の羊飼いをHEROに仕立てることにより軍が活気に満ち、ナチスを撃退するまでにいたる。羊飼いをHEROに仕立てた男と仕立てられた男の葛藤。戦場で芽生える友情と愛情。宿敵との一騎打ち。
 緊迫感に満ちた映画だった。戦争というシチュエーションだけではなく、息詰まる攻防戦。その駆け引きに見入ってしまった。レーザースコープのない時代の、まさに技術の狙撃合戦。相手のウラを取るための作戦。ちょっと卑劣なものもあるけど、軍隊とはかけ離れた個人の戦いが戦争映画の中に緊張感をもたらしていて、面白かった。恋については・・・前の晩のSEXが業務(?)に支障をきたすようではまだまだ。虚像の自分への葛藤など人間くさい部分もふんだんに盛り込まれていて、楽しめる映画だった。
 それにしてもすごい時代になったもんだ。なんたってソ連が正義の映画が作られるんだぜ。10年前では考えられない出来事だ。ナチスとソ連なんて、ハリウッド映画の天敵みたいなものじゃない。まぁ、しっかりと社会主義に対する皮肉は織り込まれていたけれど。このところの第二次世界大戦の映画化ブームにも乗っているけど、大戦から半世紀経って世界的に史実を見直す時期と雰囲気になってきているのだろうか。もうすぐ日本=悪者のディズニー映画も公開されることだし。


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「野村万作・萬斎狂言公演」を観る(01.5.24)

 またもや狂言を観てきました。野村万作・萬斎一派の公演はこれで5度目。その魅力にどっぷりと浸かってるといいながら、能舞台での狂言を観るのはこれが初めて。これでようやく通の仲間入りといったところか?
 いやはやなにがって、一番前だったのよ。すぐそこに万作・萬斎・万之介・幸雄。顔のしわの1本1本までも観て取れるかのよう。今回の鑑賞のカギがそこにあったのだ。
 今回の上演は「川上」と「止動方角」。それぞれについて、以下にコメント。
 「川上」
 盲目の男が川上に祀られている地蔵に参詣に行ったところ、夢枕で「妻と別れれば目が見えるようになる」とのお告げを受ける。その場で離縁を誓い目が見えるようになるのだが、帰宅して完治を喜ぶ妻と向き合うと離縁のことはいい出せなくて・・・。
 野村万作・万之介のベテラン二人が夫婦の葛藤を面白おかしく観せてくれる。とにかく注目は表情。盲目のときの万作の顔と目が見えるようになってからの万作の顔、同じ喜怒哀楽を表すのでもこうも違うのかと感心させられてしまう。
 物語は男が離縁しようと口八丁で迫り笑いをとるかと思いきや意外としっとり系の幕引きで、狂言の違った面白さを観ることができたのだ。
 「止動方角」
 お茶の品評会に出品することになった主人は、お茶・太刀・馬など必要なものすべてを伯父から借りて出席しようと、太郎冠者を遣いに出す。なんとか借りて戻る太郎冠者に対し、難癖つけて冷たく接する主人。怒った太郎冠者は・・・。
 抱腹絶倒。とにもかくにも笑える。主人・石田幸雄と太郎冠者・野村萬斎のやり取りは絶品。萬斎の真骨頂である間の笑いが随所に散りばめられていたり、主従の表情の変化が感情を端端に表していたり。額をつたう汗も演じててかいた汗なのか、感情を表す冷や汗なのか。とにかく面白かったのだ。

 化粧しない、デコレートしないという狂言の体系の効果が表情で演じるという醍醐味を備えたというところ。これまで劇場やホールといった距離のある場所で観てきたため気づかなかった新たな魅力だ。冒頭の石田幸雄の解説もなかなかGood。素で喋る石田幸雄を初めて観た。
 狂言の題目は2百数十編あるそうで、全部観たいという気持ちと同じものを違う役者で見比べたいという気持ちと・・・。贅沢な楽しみだなぁ。
 野村万作一派、和泉宗家(元彌)と観たので、次は茂山一派を観てみたいなぁ。


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パパイヤ鈴木とおやじダンサーズ
“絶倫ツアー2001!!イクときはいっしょ”
  を観る(01.5.19)

 「胸さわぎの腰つき」
 桑田佳祐を世に知らしめた「勝手にシンドバッド」の名フレーズである。一体どんな腰つきのことなのだろうか・・・。その腰つきを具現化した者ドモ、それがパパイヤ鈴木とおやじダンサーズだと、ぼくは勝手に思っている。サザンオールスターズ「海のYeah!!!!」のCFで「勝手にシンドバッド」にのって登場したのはただの偶然ではないと。
 そんなパパイヤ鈴木とおやじダンサーズが新潟県に初登場。しかしなぜかしら県庁所在地・新潟市ではなくて長岡と六日町。長岡はまだしも、どうして六日町?なにはともあれ車を飛ばして長岡公演に行ってきたのだ。
 会場へ行ってびっくり。超満員はもちろんのことながら、客層の幅の広いこと。小学生から老人まで、諸人こぞりてイクときはいっしょ!前から2列目の中央というナイスなポジションだったけど、最前列は60オーバーがずらりと陣取っているのだ。
 横一列に並んだサポートバンドメンバーを従えて、颯爽と登場する6人のおやじ。小刻みにうごめく胸さわぎの腰つき。容姿にとらわれてはいけない。Sexyぶりは大澄賢也を軽く凌ぐ。
 ここでちょっとメンバー紹介。
 パパイヤ鈴木。振付師。「まいう〜」をはじめ、TVでもお馴染み。間近で観たパパイヤは人間ではない。まるでイウォーク族の戦士のよう。特撮効果を駆使しているのではと疑ってしまうよな。
 橋本マニア。スパルタ家庭教師。細かいところできっちりと味を出している。どんな場面でも緊張感を保っていて、何か面白いことをやっている。スーパーモンキーズのくだりでの「おれミーナ」はツボだった。間近だったので顔の動きまで観れて面白さ倍増。
 長谷川16t。16tトラック運転手。一番恥じらいが残っていると感じたのはぼくだけだろうか。そこがまたおやじらしさを醸し出していて、このチームの普遍的部分を担っているような気がする。ツアーのセットや楽器は彼の16tトラックで運搬したのだろうか。
 松元ドカン。アナウンサー専門学校講師。「かわいい〜」の声援を受ける。おやじダンサーズいちに巨漢。目の細さと声・喋り方は助ぴょんに似ている・・・って、知ってる人が少ないか。
 大津年金手帳。乳酸飲料会社営業マン。自称「千の笑顔を持つ男」。確かにその表情は魅力。橋本マニアの顔芸とはひと味違う魅力をもっている。チーム一の細身が繰り出す絡みつくような猥褻な動きはたまりません。
 中嶌ジュテーム。Webデザイナー。チーム最年長を武器に青色吐息ネタを披露。あの青白い顔色なのにどうしてあれほどまでに踊れるのか?背筋の延び方はチーム一。
 こんな6人が歌って踊って圧倒してくる。感心と爆笑を場内が支配し、観衆は虜となっていく。ワイヤレスマイクの電波が途絶えるなどアクシデントもあったけれど、そんなハプニングすら演出かのように観せる。おやじパワーあなどるべからず。いや、彼らはおやじの姿をした救世主なのかもしれない。あらゆる年齢層の心を一つにするなんて・・・。
 ツーファーで腫れあがった足を引きずりながら観に行ったにもかかわらず、最後は立ち上がって踊ってしまったがために、ぼくの足は開演前の倍に膨れ上がってしまった。そんな痛み以上に彼らが与えてくれた勇気はぼくの心に深く残るのであった。
 痛みがひいたら「胸さわぎの腰つき」をマスターすべく、特訓だぁ!


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「ザ・カップ〜夢のアンテナ〜」を観る(01.5.15)

 ブータンの映画。高僧がメガホンを取り、寺院で僧が出演するという。一般人が近づけない謎に包まれた宗教の世界がそこには・・・と思いきや、タイトルは思いっきりサッカーしてる。なんと、謎のベールに包まれていると思われた僧たちが、4年に1度の世界の祭典・ワールドカップに夢中になるというお話なのだ。
 ブータンというお国柄、僧侶という職業柄からサッカーとの接点は想像がつかないけど、ブータンではサッカーは国技だとか。サッカーの一般市民への浸透度は日本より高いとか。
 ワールドカップ中継が観たくて深夜に脱走したり、教官(先生)に懇願したりする若い僧の姿はまさにいまどきの若者。煩悩に満ちていて、金集めではあるまじき行為を犯してしまうけど、後悔と懺悔の念にかられる辺りはさすがに僧侶。いまどきの若者には見習って欲しいところ。
 全体を通して微笑ましい映画だった。劇中で高僧が「時代は変わったのだ」的な台詞を残している。僧侶がサッカーに夢中になることを戒める時代ではないこともさることながら、普段の僧侶をフィルムに納めることができる時代になったことを語っているかのようだった。
 来年に迫った韓国・日本W杯は時差が少ないから、眠い目こすらなくても大丈夫だよ。


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「ART<アート>」を観る(01.5.11)

 「フランス発90分間ノンストップ・コメディ」。
 「ART」につけられているキャッチコピーである。3人の中年男による息もつかせぬドタバタコメディが展開されるかと思いきや、そこには予想だにしなかった濃い世界があったのだ。
 マーク(市村正親)・セルジュ(升毅)・イワン(平田満)は親友同士。ところがある日、セルジュが500万でモダンアートの絵画を購入したことから、彼らの友情にズレが生じ始め・・・。
 マーク・セルジュの2人のキレ者のアートに対する駆け引きと、ちょっと抜けたイワンのおどけぶり。それらがテンポ良く入り混じって、小気味良い笑いを誘ってくれる。でも、そこにとどまるだけではなく、もっと深いところまで入り込んでいくのだ。
 大人になり、家庭を持ち、徐々に生まれる価値観の差。それを埋めようともがく中年男たちの姿は決して他人事ではなく、今まさにぼく達が感じているすれ違いがそこに描かれている。理由もなくつるんでいられた時代からの変化に戸惑う男のもどかしさが、舞台上で展開されている。
 コメディの形態と面白さを保ちながらも、しっかりと射抜かれてしまった。脚本はなんと女性。なんか、男って見透かされてるのね。
 イワン役の平田満、絶品です。カーディガンやコートの後ろがかった着こなしなんか、イワンそのもの。ハマリ役かな。
 この舞台、シティボーイズでやってみたら面白いかも。舞台と現実が交錯したりして。


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「BOBA NIGHT in 新潟
 〜サブリミナル俳優と呼ばないで〜」
   を観る(01.5.5-6)

 田中要次、通称BOBA。超人気ドラマ「HERO」でどんな注文にも「あるよ」と応えるマスター役でお茶の間にも顔が浸透する。NTTコミュニケーションズのCFでは超最先端な魚屋さんをやってたり。映画での活躍も幅広く、文芸大作からピンク映画までに端役から主役までたくさん出ている。「あっ、見たことある!」と誰もが言いたくなる俳優、それがBOBA田中要次だ。
 そんな彼がGWの最後に新潟に来てトークショー&出演作オールナイト上映をやるという。これはもう、観に行かなくては。ぼくにとっては久々のオールナイト。ちゃんと起きていられるかなぁ。
 予定の11:30PMをちょっと遅れてのスタート。メニューは次の通り。
 @トーク BOBA田中要次&鈴木卓爾
 Aワンピース
 B「ボディドロップアスファルト」
 C「痴漢タクシー エクスタシードライバー」
 D「鮫肌男と桃尻女」
 BOBA田中要次とトークショーを繰り広げたのは'95年に「夏の思い出」で共演以来親交を深める鈴木卓爾。当日上映されたワンピースは鈴木卓爾と矢口史靖を中心に・・・詳しい話は'99年に観たときのレポートにあるのでそちらを(ここをクリック)。そういえばあの時も鈴木卓爾さん来てたなぁ。
 今回のトークにはお宝映像がいっぱい。新潟へ来る新幹線の車内で撮影されたワンピースの新作やお蔵入りCF、出演プロモビデオとか。BOBA田中要次&鈴木卓爾出会いの映画「夏の思い出」のワンシーンまで。どれもが面白い。とくに出演CF。面白いのを選んでいるんだろうけど、笑えるったらありゃしない。
 映画界へ入るきっかけやBOBAの由来、出演作のこと、映画全体について・・・。話はあれこれ多岐にわたり、その世界は今のぼくには体験できないことばかりなので、興味深々で面白かった。特にピンク映画のくだり。その時々の自分を表している(御幣があるかな?)とか。過去の人生や恋愛が甦ってくるとか。鈴木卓爾は「オールナイトでピンク映画特集を!」と言っていた。ぼくもこの時はかなり乗り気で聞いていたのだが・・・。
 トークショーが終わり、休憩を挟んで上映会。
 「ワンピース」
 今回は5作品が上映された。1本数分の短い作品だけど、どれもが楽しい要素をしかともっていて面白い。真似して作ってみようか・・・って前観たときも書いたよなぁ。
 「ボディドロップアスファルト」
 女性監督・和田淳子の作品で、ちょっとひきこもりの主人公エリが前向きな生き方をするようになるまでを描いた作品。唐突にプロモビデオ的映像が飛び込んできたりと視覚的には面白いのだが、話の内容は男としてはかなりきつかった。そういえばプロモ的映像の作りが友情出演していた手塚真のそれと通じるものがあったなぁ。
 「痴漢タクシー エクスタシードライバー」
 BOBAの最新作であり最終作となるかもしれないピンク映画。男としてはこっちのほうが良くわかる。そんなにいやらしいというわけではないのだが、7割方女性の客層の中で観るとかなり気恥ずかしいものがあったのだ。そう考えるとBOBAを迎えて「オールナイトピンク映画特集」をやっても女性客が大半だろうから、場内気恥ずかしいムードが蔓延するんだろうなぁ。
 「鮫肌男と桃尻女」
 この映画を観るのはこれが3度目。相変わらずDr.StrangeLoveの音楽はカッコいい。トークで裏話を聞いていたので、それも含めてBOBA中心に脇役の言動に注意して観直してみると、面白さの幅が広がってさらに面白かった。「やまくじら」とか「祇園」とか。
 上映が終わったのが7:30AM。ロビーに出るとなんとBOBAがっ!てっきりもう帰ったと思ってたのに。満面の笑みで観客を見送っている。思わず当日のプログラムを出してサイン&握手をしてもらったのだ。なんていい人なんだ。ありがとうございます。
      
 とてもいい気分で青空の下自転車に乗って帰宅すると、「中学生日記」にBOBAが出ていた。ほんとに引っ張りダコなんだから。


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演劇ユニット家出
「コンビニの夜」を観る(01.5.4)

 新潟県内の劇団の公演を積極的に観ようと思いながらも、昨年末のカタコンベがトラウマとなりなかなか足が向かなかった。でも、せっかくの連休に家でボーっとしているのもなんなので、りゅーとぴあスタジオBで行われる演劇ユニット家出の「コンビニの夜」を観ることにした。
 演劇ユニット家出は・・・予備知識なし。パンフレットによると、星野あつしと進藤善幸を中心としたユニットらしい。次回作「そのアトリエに月は射す」では全国公演に打って出るとか。
 りゅーとぴあスタジオBは100席程度の小劇場の雰囲気を漂わせる空間。なかなかよいではないか。新潟の小劇場の多くは交通不便なところが多いので、もっとここを活用すればいいのに・・・使用料が高いのかな?
 会場は満席に近い入りで、注目度が高いのかとも思ったが、ぼく以外はみんな顔見知りみたいで、まるで同窓の巣のようだった。
 「コンビニの夜」はその名のとおり深夜のコンビニが舞台。客入りの悪いコンビニのアルバイト店員シゲルと幼馴染の女性アキラの偶然の再会から物語は始まる。夜な夜な繰り広げられる不毛な(?)会話とそこに絡む不可解な二人組み大魔神とヒロシ。一見不条理にも見える会話や行動だけど、日常的で結構ありがちでクスクス笑いを誘ってくれる。しかし、物語が日常を離れたところからパワーダウン。もっと突飛に走ってしまえばよかったのに。
 会場前&幕間に流れるシブヤ系音楽もどうだか。POPさ、都会的を伝えたかったのかなぁ。何も意味を持たせずに流すだけと割り切れば使い勝手もあるだろうけど。いろんな劇団がシブヤ系音楽使いまわしたし、新曲書いてもらったりもしてるんだから、全国に視野を向けているならもうちょっと違う路線を選んでも。
 パロディをまじえずに全編オリジナルで通したところは共感が持てる。進藤善幸というキャラクターは面白そうだ。が、全体的にいうと全国に打って出るにはもうちょっと・・・まだまだ。この作品で行くわけでもないからまだのびしろはあるのだろうけど、きびしいかなぁ。東京公演の小屋は劇場MOMOでしょ。旗揚げは柄本明一人芝居だぜ。観に行ったけど。
 GWに散り散りになった演劇仲間が新潟帰省を兼ねて一同に会し、旧交を温めるには絶好の行事だったのかなぁ。完成度はイマイチだけど方向性は共感が持てる舞台だったので、成長を見守るのもまたよしかな。


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「名探偵コナン
  天国へのカウントダウン」を観る(01.5.2)

 名探偵コナンの映画版がシティボーイズ公演と並びすっかりGWの風物詩になりつつある。人気TVアニメの映画版第5弾。なにかとお子様対象と思われがちなアニメというジャンルだが、名探偵コナンは大人も楽しめる作品である。
 今回は西多摩にできた超高層ビルが舞台の連続殺人事件。そこに黒の組織が絡んできて・・・。謎の行動をとる灰原哀と迫り来るジンとウォッカの影。コナン・蘭・少年探偵団にも危機が迫る。
 正直言うとシリーズ第3弾「世紀末の魔術師」がぼくのお気に入りで、さすがにそれを超えるまでにはいたらなかったけど、平均点はゆうに越えた面白さだった。殺人事件の動機はすぐに読めたけど、トリックは読みきれなかった。それよりも、随所にひっかけのふせんを張ってる辺りはずる賢さも見え隠れ。個人的には灰原の謎の行動をもっと引っ張っても良かったのでは?そして黒の組織との絡みももっと核心に触れて欲しかったなぁ。頭脳派コナンにしては珍しく運に頼った行動が多いところがちょっと難。
 少年サンデーの連載は読んでいないけど、そろそろ黒の組織の実態を見せてくれても・・・。まぁ、それイコールエンディングになってしまいそうだから、なかなかそうもいかないんだろうけどね。
 次回作の製作も決まったそうで、また良質な作品をと期待してしまいます。


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シティボーイズ ミックス PRESENTS
「ラ ハッスルきのこショー」を観る(01.4.30)

 笑えた。とにかく笑えた。大爆笑だ。咳き込んでしまうほど笑えた。窒息したらどうしてくれるんだ。でも、気持ちよく窒息できるかも知れない・・・。
 シティボーイズの恒例GW公演。作家・演出家を若返らせる一方で、客演を旧知の仲の中村有志、いとうせいこうで固めての公演。この変革がこれまでにない爆笑の渦を巻き起こすとは。
 大竹まことは終演後のあいさつで「オーソドックスな笑い」と称した。この頃のシティボーイズはどちらかというとひねった笑い。その場ではクスクスだったのがその奥の深さにより後になって笑い出してしまうというもの。しかし今回の公演はなりふり構わず笑いを取りにきた。その手法は確かにオーソドックス。それが笑えるのだ。
 会場入り口にずらりと並んだ大御所(たけし、さんま等)から中堅(ダウンタウン、ウンナン、爆笑問題等)、若手(ナイナイ等)までの花の数々。多くの同業者から一目置かれ、笑いだけにとどまらず各方面でいい味出してる面々が繰り広げるオーソドックスな笑い。すごいオヤジたちがこれまでにないテンションとテンポで笑わせに来ているのだ。がむしゃらだけの若い笑いではない。ハイテンションながらも老練な味を加えて的確にツボをヒットしてくるのだ。それでいてそれぞれのキャラクターはきちんと生かして笑いを創る。それでいて、大竹まことにベタなボケを徹底させ、きたろうを突っ込みに配する軍隊ものもあり(ぼくのお気に入り)、笑わずにはいられない。斉木しげるの「ライオンキング」パロディもあったりする。あっ、喧嘩口調ネタも・・・。
 ひとつひとつのコントがこれまでなら大円団のようなまとまりを見せるこれまでに対し、今回はやりっ放し。その潔さがまた痛快感すら生み出してくる。
 パンフレットは舞台とは別に、NHKこどもショーのような世界が展開されている。でも、一見かけ離れているようで実はこれまでの世界観をひと休みしてみようという共通の概念がそこにはあるような気がする。
 とにかく笑い。楽しくてたまらない舞台だったのだ。
 パンフレットのきたろうの表情・仕草は秀逸です。


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演劇集団キャラメルボックス
「風を継ぐ者」を観る(01.4.29)

 キャラメルボックスで一番再演の要望が多かったといわれる「風を継ぐ者」を観た。ここ数回のキャラメルボックスは確実に平均点以上をマークしているにもかかわらず、予定調和のお家芸が板につきすぎるのと説教じみているので、ぼくの心の中ではちょっとトーン・ダウンしていた。しかし、今作は・・・面白かった!
 時代は幕末、場所は京都。勤皇の獅子と新撰組が火花を散らす歴史の変わり目。それぞれ異なった志を胸に抱き新撰組に入隊した迅助と兵庫は土方歳三・沖田総司と出会い時代の流れに飲まれながら、自分達の追い求める道を模索していく。
 新撰組ものとはいえ決して新撰組を美化しているわけではない。かといって沖田の命を狙う長州方を持ち上げているわけでもなく、むしろ卑怯極まりないところまで追いやってみたりして。確かに勧善懲悪の様相を呈しているのだけれど、大義・名文上の勧善懲悪ではなく人としての勧善懲悪で、なにが正しくてなにが間違っているか誰もわからない当時の背景をよくあらわしている。
 キャラメルボックスのお家芸は「なんだかんだ言ってみんないい人」。ゆえにむげな死なせ方とかは決してしない。だけど、歴史上の人物はどうあがいても行く末が知れている。創作の人物を殺すよりも過去に生きていた人の人生にちょっと話を加えて殺す方が殺しやすい・・・文字にすると殺伐としてしまうが、それが上手くできていると思った。
 迅助のひたむきさ、兵庫の価値観。あの頃を語る時に見失いがちな気持ちが溢れている。きっと誰もが抱いていたんだろうけど語られにくい気持ちが、舞台上でわんさか弾けている。これは決して史実ではないけれど、歴史の教科書で見落とされている気持ち。今の時代覚えなければいけないのは単なる史実だけではなく、動乱の中にも太く在り続けたこんな気持ちなのかも知れない。


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「まちがいの狂言」を観る(01.4.28)

 シェークスピアの脚本を狂言で演じてみたら・・・。
 狂言の可能性を追及する野村萬斎の新たな試み、「まちがいの喜劇」狂言版「まちがいの狂言」を観た。でも、シェークスピアの狂言化は今回が2度目とか。ぼく個人としては原作まちがいの喜劇を読んでいないので、シェークスピアを気にすることなく舞台観劇にのぞめたのだった。
 双子の息子と双子の従者が一組づつになって生き別れたことから始まる錯乱コメディ。冒頭の掛け声「ややこしや〜、ややこしや」が示すとおり、ややこし世界が展開されていく。率直に言ってこれがほんとにシェークスピア?と疑ってしまうほど狂言なのだ。動きと間で物語に厚みと笑いを加える狂言そのもの。なにせシェークスピアの喜劇だから、現代から考えるとものすごくベタなネタなんだけど、それも狂言にあっているというのか。
 ふた組の双子をそれぞれ一人二役で演じ、その入れ替えや見分けを面を用いて表現する。光りと影を効果的に用い、シンプルな舞台構成で笑わせてくれる。目まぐるしく変わる早い展開もテンポよく、リズムで笑いを作り出していく。狂言の手法を進化させ、今風のネタも散りばめて狂言を身近なものとして演じてくれる。
 笑える。そして動きの軽快・シャープさに魅せられる。伝統だけに縛られることのない意欲とそれを容認する寛容さに溢れる舞台だ。
 この日はたまたま千秋楽。終幕後に日本シェークスピア協会主催の野村萬斎&作・高橋康也によるポストトークが開かれた。製作のきっかけや演出の裏話が色々と紹介され、実に有益。へその緒、子宮、精子・・・。野村萬斎の思考の深さにおどろき。ちょっとひねりすぎとのきらいもあるけど、それらの半分も分からなくても十二分に楽しめる。きっと裏話を聞いた後でもう一度観ると、さらに奥まで理解できて面白いに違いない。
 7月にロンドン・グローブ座で公演されるとか。演出にもそれを見据えた箇所が多く見られ、ロンドンでどんな評価を受けるか、舞台がどのように成熟していくのか楽しみ。秋には凱旋公演として新潟りゅーとぴあ劇場で公演があるので、ぜひ確かめてさらなる楽しさを味わいたいのだ。


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「初恋のきた道」を観る(01.4.25)

 平日の昼間。半日ストにより空いた時間に以前から観たかった「初恋のきた道」を観た。本当は休日に観ようかとも思ったんだけど、女性客で賑わっているとの評判だったので、三十路男一人で行くのも・・・と躊躇していたのだ。しかし、それは正解。だって今日、人影まばらな映画館でつい目頭をおさえてしまったから・・・。
 物語の大半は語り手の両親のラブストーリーとなっている。中国の北の方の小さな村。町とのアクセスは1本の馬車道だけだった時代。当然電気やガス・水道すら届いていない頃のお話。村の教師として赴任してきた町の青年に恋をする村の娘。別れ、再会、別れ・・・。町と村とで離れ離れの二人の気持ちは1本の馬車道でつながっている。
 ラブストーリーとしてはとても純粋。主演のチャン・ツィイーがかわいいのはもちろんのことなんだけど、青年に対する気持ちが痛いほど伝わってくる。今の時代に手料理・手編み・待ちつづけるとなるととても重く感じがちで、ぼく自身「ちょっと堪忍して」と言ってしまいそうなんだけど、なにもない時代、電話とかもない時代の女性の気持ちとして観るとすごくかわいいの。一緒になれてよかったねと心から言いたくなってしまう。
 悠久の大地の中のほのかな恋心もかえって新鮮でよかったんだけど、ぼくの涙腺を緩ませたのは道。母親の初恋のきた道は、町と村をつなぐたった1本の馬車道は、両親の想い出の道としてとどまることなく、両親や友人、そして恩師と別れて村を離れ、町へ旅立った多くの若者達にとってもかけがえのない道だったというところ。それを感じさせてくれるあのシーンは思い出すだけで目頭が熱くなります。
 もしかしたら他の人と感じ方が違うかもしれないけれど、ぜひお薦めしたい作品でした。


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「プルーフ・オブ・ライフ」を観る(01.4.24)

 メグ・ライアンとラッセル・クロウが実生活でも恋仲になってしまったといういわくつきの映画、「プルーフ・オブ・ライフ」を観た。興味はやはりメグ・ライアンとラッセル・クロウ。メグ好きのぼくとしてはニコラス・ケイジ、トム・ハンクスに続く大物俳優との競演にドキドキ。
 観て一番先に思ったのは過去のメグ作品とは趣が違うこと。過去の作品はメグ・ライアンのキャラクターを前面に押し出したものが多く、メグ・ライアン在りきを前提としていた。それに対し今作は言ってしまうとメグ・ライアンでなくてもいいのではという設定。メグ本人が役者としてキャラクターに頼ることなく演技派に変わるための第一歩のような気がした。とはいえメグ・ライアンのもつCUTEさを封印したのではなく、そこはきちんと物語に反映されているのでよかった、よかった。ラッセル・クロウが会社の命令に背いてまでも力になりたいと思わせるには、メグの魅力なくしてはお話になりません。他の役者ではそこまでは無理。
 メグがかわいいのは当然だけど、ラッセル・クロウもかっこよかった。物語の持つ緊張感とクロウの緊張感がマッチしていて、男の匂いプンプン。交渉だけにとどまらず、実力行使までこなしてしまうとは。コン・ゲームの要素とアクションが見事にハマっており、すごく楽しめた。
 2大スターの陰で忘れられがちだけど、メグの亭主役のデヴィッド・モース。ここ数年、「交渉人」「グリーンマイル」「ダンサーインザダーク」などなど話題作でいぶし銀の脇役振りを観せてくれてるけど、今作でもいい味出してます。
 「許されぬ愛」的なプロモーションが多かったけど、そっちのほうの要素は差ほどでもなく、メグ&クロウの私生活に便乗しようとしたのかとも思えるけど、ほのかな恋心は確かにあり、物語に清涼感を与えています。
 「プルーフ・オブ・ライフ=生存証明」。この映画は女優としてのメグ・ライアンの「プルーフ・オブ・ライフ=生存証明」のような気がした。おもしろいぞ。


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「はなればなれに」を観る(01.4.22)

 新潟は天気が良かったので自転車で映画を観に行った。自転車でゴダールの旧作を観に行くなんて、すっごくおしゃれじゃない?旧作といっても日本では今年初公開された1964年の作品「はなればなれに」。タランティーノが自らの製作会社に名前を使用したほど敬愛しているというゴダール作品なのだ。そう考えるとなしてこれほどまでの作品が何故に日本で未公開だったのか・・・。
 男2人と女1人が女の家に強盗に入ることを企てるが・・・。男同士の友情ともつかぬような関係あり、当然2対1ですから恋の三角関係あり。当時(今も?)おしゃれの先端を行くフランスですから、男と女の成り行きと強盗というスリルがとてもおしゃれに描かれてます。特に上の写真のダンス。とってもおしゃれ。
 外国映画を観てよく思うんだけど、ぼくの今の生活の中では到底考えも付かないような家族関係がごく当たり前かのように描かれる。なんで?と思うこと仕切りなのだが、今作もそこがキーポイントなのだ。そこに言及してしまうとちょっと理解不能な作品なんだけど、ありきで考えるとPOPな作品だった。
 街中を走るワーゲンやシトロエンに時代と土地柄を感じるのも、旧作の心地良さなのだ。
 春風に乗って颯爽と自転車走らせるぼくはこの映画のワンシーンみたい・・・。


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「アタック・ナンバーハーフ」を観る(01.4.21)

 タイの映画を初めて観た。その名も「アタック・ナンバーハーフ」。名前で察しのつく通り、おかまちゃんのバレーボール物語。原題は「SATREE−LEX」なので、「アタック・ナンバーハーフ」は配給会社のつけた邦題なのだ。30代以上の日本人なら誰もがなるほどと頷いてしまうネーミング。世界では通用しないけど、日本ならではのお茶目さを感じてしまう。
 ひょんな事から県代表チームにゲイが集まってしまった。彼(?)らは周囲の偏見や冷やかしの目にもくじけず国体に出場、そして優勝してしまう物語である。原題にもなっている「SATREE−LEX(サトリーレック)=鋼鉄の淑女」は彼女(?)達のチーム名.。なんとこのお話は実話なのだ。おそるべし、タイ!
 ひとくちにゲイといってもタイプは様々。そしてそれぞれが悩みを抱えている。単なるバレボ・スポ根映画に終わらずに、「存在を認めてもらいたい」という彼女(?)たちの切なる願いがしみじみと伝わる。チーム唯一のノンケ・チャイの気持ちって、世間一般の代表なんだろうなぁ。
 ぼくの周囲には芸の知り合いはいない。ぼくは彼女達の存在を素直に認められるだろうか。認められるようになりたいと思う。
 かなりコミカルなんだけど、実話だけに単なるサクセスストーリーに終始していない。そこがせつなくもはかないところか。って、そんなに哀しくもないんだけどね。
 すっごく下衆な意見だけど、ピアちゃんとならヤレる・・・。


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「ショコラ」を観る(01.4.18)

 北風が吹いたある日、フランスの田舎村にチョコレートを売る母娘がやって来た。映画「ショコラ」の冒頭を観たとき、「メリー・ポピンズ」を思い出した。ヨーロッパは小学校でも習うとおり偏西風の強い土地柄。西風以外の風向きは滅多にないのである。メリー・ポピンズは東風に乗って現れ、ヴィアンヌ&アヌーク母娘は北風に乗って現れる。
 風習・しきたりをよりどころに安定を願う村人達にとって、母娘の存在はまさにカルチャーショック。異なった思考の持ち主はあたかも魔女狩りの如く虐げられていく。でも、ヴィアンヌ&アヌーク母娘はチョコレートと優しい心で村人達の閉ざされた心を開こうと努力するのですが・・・。
 チョコレートを食べた人だけではなく、この映画を観る人までもが心温まる映画だった。三十路の男がこう言うのもなんだけど、ほんわかと安らぎを覚えるような素敵な作品。ぼくは「メリー・ポピンズ」が大好きで、つらいことがあったときはLDを観てなごんでいるんだけど、「ショコラ」は冒頭だけでなく本編すべてが「メリー・ポピンズ」を継ぐ名作。きっとDVDが発売されたら買ってしまうんだろうなぁ。
 そうそう、神父の歌う「HOUND DOG」はぼくの中ではかなりの見所。見逃さないでね。
 ということで、心が疲れている人、必見です。


エスニック
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「スリ」を観る(01.4.7)

 アル中のスリ師が断酒をし、復活を志す映画「スリ」を観た。アル中ゆえに手が震えて仕事にならないほどまで落ちぶれたスリ師・海堂。彼に育てられ、彼を見放せずにいるレイ。海堂に弟子入りを志願するカズキ。断酒の会として彼を支える鈴子。海堂の立ち直りを密かに待ちつづける刑事。海堂を憎むレイの兄。その他、出演者は皆それぞれに陰を背負い、それぞれがそれぞれの気持ちを抱きながら物語は静かに回っていく。
 現在ある状態から脱却しようとする人は何にモチベーションを保ち、這い上がろうとするのだろうか。堕ちるのは簡単だが、上がるのはとても難しい。自分の技術のため、プライドのため、誰かのため。海堂は何を求めて這い上がろうとしたのだろうか。やはりプライドかな。
 役柄的にはスリ師に友情を感じている刑事がお気に入り。スリ師・原田芳雄に対し、私生活でも親友の刑事・石橋蓮司。脚本的にもいい味なんだけど、演技的にもいい味。
 這い上がろうとする海堂と対照的に這い上がりきれなかった男を演じた香川照之のキレた演技に「うぉぉ」。二世タレントの肩書きを今や誰も口にしなくなったもんなぁ。自らの演技でその声を封じ込めたって感じ。
 ストリート・ミュージシャンとして登場したhalに懐かしさを感じたりして。すっかりネオ・アコになったのね。
 映画(脚本)の作りとしてはかなり粗い。海堂とレイの兄の確執は最後まで釈然としないし、おそらく設定を描ききれていない部分がいっぱいあるのでは。観るものの想像力に期待しているのか、些細なことは切り捨てる主義なのか。ちょっと乱暴すぎるかなぁ。
 映画には英語の字幕がついていたので、どっか海外の映画祭に出品したんだろうか。海外の人は抵抗なく受け入れられたんだろうか。ついつい字幕を追ってしまうのは修正だよな。読めなかったけど。
 ATGの趣の残る懐かしささえ感じる映画だったけど、それなりに難しかったなぁ。


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「サトラレ」を観る(01.4.5)

 ぼくは空想癖のある妄想家である。妄想こそが創作の糧であり、文明の進化の源であると信じて疑わない。しかしながらいつも高尚なことを考えているわけではなく、不埒・猥雑の雨あられ。ぼくの思考のすべてが他人に知られてしまったら・・・きっと恥ずかしすぎて生きていけない。
 心の中で思ったことが周囲の人に知られてしまう能力を有したサトラレ。日本で7人目のサトラレ・健一は臨床外科医をしている。サトラレ保護の町でおばあちゃんと二人で暮らす健一のもとに、健一に外科医を辞めさせ薬開発研究所へ移動させるという密命を持った自衛隊の精神科医・洋子。
 当初サトラレ(健一)を研究の対象としか思っていなかった洋子は、サトラレのもつサトラレなるがゆえの哀しみに触れて・・・。
 本広克行監督の待望の最新作は「泣きのエンタテイメント」。監督自らがPR。あまりにその言葉が氾濫したために、ちょっと身構えて観てしまった。「ここか?ここか?」って。結果としては身構えすぎて、涙腺も絞まりがちだった。戦略ミスかな。
 それにしても、自分がサトラレの身だったらどうするだろうかと、真剣に考えさせられてしまった。なにも真剣に考えなくともと言われそうだけど、そう感じさせてしまう本広演出には脱帽。
 ただ、サトラレの話しながらも大きく3つのエピソードに区切られているため、「グリーンマイル」同様続けてよりもひとつづつじっくり観てみたかった。題材的にはドラマよりなのかな。
 「サトラレ」をこれから観る人は、ぜひ音響設備の整った映画館で観てください。感動が深まります。
 SP役のBOBA田中要次は台詞がなくても存在感で光っていた。5月に新潟で田中要次を迎えてのトーク&オールナイトシネマショウがある。行こうかなぁ・・・。
 で、サトラレ7号・健一の行く末はというと・・・X−メンしかないでしょう。


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「白石加代子 百物語 第十七夜」を観る(01.4.1)

 白石加代子は不思議な女優である。かなりの高齢であることには間違いない。しかし、舞台の上では年齢の幅がとても大きく、いったいいくつなのかわからないほど。昨年の「夏の世の夢」で初めて観たとき、そのきらびやかな衣装に騙されてしまったのだろうか。とても不思議な女優なのだ。
 そんな彼女が毎年恒例で行っているのが「百物語」。怖〜いお話の朗読劇。百読み終わると怖いことが起こるとか言われてたりする。彼女が読んで聴かせてくれる話は身の毛もよだつ怪談ではなく、怖いエッセンスを含んだ話。だから、ホラー苦手のぼくでもビビることなく聴くことができ、しまいにはホロリとさせられてたりもする。今回のお話は次の三作。
 柴田練三郎「赤い鼻緒の下駄」
 久生十蘭「昆虫図」
 浅田次郎「鉄道員(ぽっぽや)」
 舞台はいたってシンプルで、登場人物も彼女一人。彼女が静かに動きながら、朗読する。朗読といっても本を読んでいるような振りをしながら、さにあらず。文章はすべて台詞として頭の中に入っている。何気ない台詞が凛としていて、あるときは物語を引き締め、あるときは物語をなだめる。上手いものよ。シンプルなセットの中にもはっとさせる色使いなんかあったりして、ゆったりの中にも機敏さも満点。
 冒頭で述べたとおり、それぞれの話に怖さ以外に笑いとホロリも混じっており、心にジンときます。「鉄道員(ぽっぽや)」は映画を観ていないんだけど、きっと映画はまったく違ったイメージの「鉄道員(ぽっぽや)」なんだろうなぁ。
 演技力、話術、似て非なりのような技術が合わさって、単なる朗読劇に収まらない独特の世界が繰り広げられている。そう考えると一番怖いのは白石加代子自身のような気がする。


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「スナッチ」を観る(01.3.31)

 ブラピが出演を直訴し、格安の出演料で出演したという映画「スナッチ」を観た。ブラピはさすがに魅力的だったが、それ以上に群像劇をものの見事につなぎ合わせた監督ガイ・リッチーの手腕に拍手。おもしろいって、これ。単なるブラピファンにはとても不満足かもしれないけれど、目の肥えた映画ファンには「くぅ〜っ」っと唸らせることしきり。
 賭けボクシングと86カラットのダイアをめぐる話が交差し入り乱れ、多くの登場人物がそれぞれの理由を持って話に参戦して。一見グチャグチャに見える話ながら、きっちりと収めて観せる。「マグノリア」に見習わせたいよ。脚本と監督の勝利だわな。
 監督といえば、画の新鮮さも凄かった。のっけからアイデアもののスタートで、その後も話の進行に効果的な緩急自在のカメラワーク。ボクシングシーンの撮り方なんか、「ガイ・リッチーは格闘技好き?」と思わせるようなところがいっぱい。
 タランティーノ好きにはぜひお薦め。ついでにこの感性がわかる人には戸梶圭太の「溺れる魚」を読んで欲しい。映画はつまらなかったけど、小説は面白かったから。テイストは「スナッチ」に通じます。


エスニック
artな戯れ言MOVIE

「HONO−DAIKO
 CONCERT TOUR 2000-2001」を観る(01.3.30)

 女性3人の和太鼓グループ・炎太鼓のコンサートを観た。「炎」という字は本当は火が三つ(木でいうと森)なのだが、ぼくのCPの辞書にはないので、「炎」で書いておきます。
 昨年末鼓童を観て和太鼓の魅力にはまりつつある今日この頃、女性3人はどのような太鼓を聴かせてくれるのか楽しみに挑んだのだ。席は一番前。ドキドキ。
 静かに登場した彼女達を見て驚いたのがその身体。アスリートのたたずまいなのだ。筋肉質。バチを振るときも二の腕に揺れが見られない。肩甲骨や背中についた筋肉はボディヴィルダーを連想させるほど。重いバチを振り続けるためには必要不可欠なのだろう。
 和太鼓の繰り出す振動は強烈で、ぼくの太鼓腹は終始共振してばかり。彼女達のヴィルドアップした身体は、自分達が創り出す振動に負けないためにも必要なんだろうなぁ。
 3人ということで音の厚みには限界があるものの、音色の違う和太鼓をドラムセットの用に組合すことにより音域に幅をつけ、「色とりどり」という印象の演奏を聴かせてくれる。もちろん一打、一打の力強さは腹に心に響いてきます。
 一番前だったので、飛び散る汗までもがリアルに見られ、迫力が倍加。表情の移り変わりひとつひとつがとても素敵な女性達なのだ。
 この日は炎太鼓全国ツアーの最終日。彼女たちの声・挨拶も聴くことができ、かなり得した気分。
 彼女達にしかできない和太鼓へのアプローチを観ることができ、和太鼓の幅を見せつけられるとともに、その奥深さにドギマギしてしまう公演だった。


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artな戯れ言LIVE

「餓狼伝]U/夢枕獏」を読む(01.3.29)

 獏さん、いい加減ぼくを焦らすのはやめてくれよ。あなたの文章が面白いのは十二分にわかっている。幾度となく道筋から外れても、その都度面白い展開にかじりついてしまう位なのだから。でも、でもそろそろ文七の闘いを集結させてくれても良いのでは?
 ぼくが「餓狼伝」を読み始めたのは学生の頃だからかれこれ十数年前。新生UWFが旗揚げし、総合格闘技という概念が定着し始めた頃。そんな時期に読んだ文七と梶原の闘いはその展開を想像するだけでぞくぞくしてしまう、とてつもなく凄まじくも魅力的な闘いだった。その後の展開もまるで現在の総合格闘技界を予見していたかのように。
 その後の現実が急速に進みつづけたんだろうなぁ・・・。獏さんも急速に進む現実の面白さをリアルタイムに書きたいという想いと文七の闘いの場を再び現実を越えた次元に上げるために、グレート巽、松尾象山、力王山を使って物語を進めている。
 その物語が面白いからとても満足なんだけど、文七の闘いが読めないのはなんとも不満なのだ。贅沢な悩みかもしれないが、文七に対する感情移入がぼくの中で宙に浮いたままなのだ。
 きっと次ぎの文七の闘いはとてつもない闘いになるだろう。なんといっても「餓狼伝」の主役は文七だし、へこみながらも文七だけが今を生きているから。
 「餓狼伝」「陰陽師」「キマイラ」。獏さんはいまや押しも押されぬヒットメーカーなので、急くのはいけないのかもしれないけれど、文七のあのぞくぞくするような闘いを早く読ませておくれ。


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artな戯れ言BOOK

「バガー・ヴァンスの伝説」を観る(01.3.25)

 ぼくはゴルフをしない。でも、ゴルフの中の人間ドラマはとても好きで、「風の大地」を愛読している。この場合のゴルフはプロゴルフという意味で、素人さんの接待ゴルフの中の人間ドラマには興味はない。
 ロバート・レッドフォードの監督というので、プロ意識丸出しのド派手なゴルフ映画ではないと思ってはいたが、観て安心。落ち着いた流れで一人のゴルファーの再生を支えるキャディーが映し出されていた。
 大戦出征を境に自分のスウィング(生き方)を見失ったジュナ。輝かしい栄光を持ちながらもすっかり過去の人となってしまった彼に、恐慌により活力を失った街が再興の望みを託す。自身を持てないジュナの前にバガーと名乗る男が5ドルでキャディーをすると現れる。
 街を見捨てようとするジュナとジュナを光と思う街。ジュナを見限ろうとする街と街を照らそうとするジュナ。ジュナの人生の悩みと街の悩みが交錯する。バガーはジュナのキャディーとしてジュナに真っ直ぐと立ち、進むことを導き、街はジュナを通してバガーからあるべき姿を見せられる。単なるゴルフの勝敗よりも大きな流れが72ホールのエキシビジョンマッチに描かれているのだ。
 ジュナにあせることをとどめるバガーのようにレッドフォードは映画を落ち着かせてジュナと街の成長を描いている。レッドフォードの意思がバガーの一言一言となって、ジュナを通し街を通し、ぼくらに伝わってくるのだ。
 軽快に躍動するウィル・スミスに見慣れたぼくには、悠久の流れを促すウィル・スミスは新発見。そんな中、波打ち際のバガーのSTEPはウィル・スミスの役者としての幅を見せつける象徴のようなシーンで、すっかりお気に入りになってしまったのだ。
 それにしてもマット・デイモン、悩める青年を演じさせたらハリウッドNo.1だなぁ。
 日々の暮らしの中で急ぎすぎている人、とっ散らかっている人、いろんな人にお薦めします。


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「ギャラクシー・クエスト」を観る(01.3.24)

 情報誌に書いてあった見出しは「宇宙艦隊版『サボテン・ブラザーズ』!!」。まさにその通り。「スター・トレック」のパロディなんだけど、単なるパロディに終始することなく、オリジナルの世界観を持っている。いや、パロってるのではなく、リスペクトしているのだ。台詞やシーンを模写しているのではなく、その構造を尊重した上で構築しなおしているのだ。その詳細は以前執筆した「勝手にSHOW論文」で。
 かつて人気を誇ったが今は放送も終了し、コアなファンの集いだけが収入源となったSF番組「ギャラクシー・クエスト」の出演者達。そんな彼らのもとに、「ギャラクシー・クエスト」をドキュメンタリーと信じて疑わぬ宇宙人が母星の救世主となることを依頼してきた。わけのわからぬ面々は宇宙へ連れて行かれ、闘うはめに。
 「ギャラクシー・クエスト」出演者達のキャラクター付けが理にかなっていて納得。なぜか宇宙の彼方で「ギャラクシー・クエスト」を観ていた宇宙人がその世界観に疑問を抱かないこと、宇宙船を見事に復元しているところが妙に感動を誘う。
 それにしても、シガニー・ウェイバーが宇宙人を救うとは。そこからして既にリスペクトなのだ。
 パロディとはいえ、SFXもふんだんに用いられており、コメディの分野に属する作品にしては金もかかっている。金をかけてB級に観せる映画を作るとは。アメリカの奥深さがそこにはあるのだ。
 面白かったです。コメディ好き、スター・トレック好き、B級好きの人はぜひご覧あれ。


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「NANTA〜COOKING BEATS〜
 JAPAN TOUR 2001」を観る(01.3.23)

 世界で絶賛を浴びた韓国のパフォーマンス集団NANTAを観た。当日のぼくは体調絶不調。38℃の熱をおしての観劇。途中でDownしたらどうしようという不安を抱えながら、隣国のパフォーマンスに胸を踊らす。
 世界に通用するものの根底は・・・。日々の生活に必ずついてまわるもの、音と動き。言葉はやはり障害となってしまうけど、音と動きは普遍のものなのである。
 そんな普遍的なものを調理場というシチュエーションの中で存分に体感させてくれる。野菜を刻む包丁の音、シャッフルする音、炒める音、掃除する音・・・。それらにコミカルな動きが加わり、場内から笑いを誘う。
 ステージ上で実際に調理も行う。油を敷き、野菜を炒め。前から3列目だったので、匂いまでもが伝わってくる。
 調理の合間にジャグリングやマジック、カンフーアクションを取り入れるなど、普遍的な動きの面白さを貪欲に導入して、笑いの幅を広げているところはプロ意識の高さを感じさせます。
 脳みそグロッキー状態だったので、小難しい台詞を理解する能力が欠けていたので、この日がNANTAでホントに良かった。子供から老人まで大笑いしていたし。欲を言えばもっと体調の良いときに観たかった・・・。


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「リトル・ダンサー」を観る(01.3.20)

 
 だらだらと書き連ねてもしょうがないので単刀直入に書いてしまうと、めっちゃいい映画だった。間違いなく今年観た中ではNo.1。まだ観ていない人は至急映画館へGo!
 男子にとってバレエとはやはりオカマのイメージ。これは偏見とわかっていても、ぼくがガキの頃バレエをやっている友達がいたら、そんな目で見たことだろう。そんな友達はいなかったけど。そんな偏見を乗り越え、真剣にバレエに取り組むビリーの姿はかっこいい。家庭の事情による挫折もビリーの信念とカッコ良さを引き立てているかのよう。
 ビリーにバレエを教える先生も素敵。楽しいことから始めるその指導法は、杓子定規な日本の教育者達に取り入れていただきたいものだ。
 ダディのあたたかさには涙腺が刺激されてしまう。「未来」の大切さをしり、育む姿はたまらないくらい。
 兄貴もマイケルもおばあちゃんも・・・。みんな輝いている映画。ダンスも挿入歌もどれもが秀逸。心に響く映画なのだ。
 ほんと必見です。


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「イッセー尾形のとまらない生活 21世紀版」
を観る(01.3.19)

 今年もクエストホールのイッセー尾形を観た。会場に行き、アンケート用紙に書かれたイッセー尾形のコメントで初めて知ったんだけど、何と今日が初日。全て新作、今日が初演。完成は本日午後4時という。まさにできたて。古館伊知郎も会場に足を運び、作品の行方を見守っている。
 各作品については後述するとして、先に公演を観終えての全体的印象を。
 人格が先か、ねたが先か。作品を作るにあたって、演じる人間の人格付けを行ってからその人間にまつわるエピソード(ねた)を作っていくのか。それとも、いくつかのエピソード(ねた)を持ち寄って、それを語らせる人間を作っていくのか。これまでのイッセー尾形は前者の作りが多かったと思っていたが、今回は後者の作りが多いような気がした。
 どちらが面白いかは作品によってまちまちだけど、笑いの方向性が違ってくるところは興味深し。キャラクターの面白さは力強い押しの笑いで、ねたの笑いはキレで勝負。今回はキレ勝負が多かったような気がした。
 今日初めて演じられた作品は今後今回のクエスト公演や地方公演で何度も演じられ、7月の新潟公演ではどのように成長しているのか、そして年末に発売されるであろうDVD2001コレクションでどんな円熟期を迎えているのだろうか。ほんとにできたての初演を観たことによって、楽しみが数倍大きく膨らんでいく。乞うご期待でしょう。
 それでは各作品に勝手にタイトルをつけてコメントを。
1 バスガイド代行
 とある田舎の観光名所で急性花粉症のバスガイドの代理として登場したのは船蹴り人のおじさんだった。客は歴史を正確に考証することを目的に全国・世界各地のいかがわしい史跡・名所を訪ねている教師軍団。おじさんのガイドは教師軍団の餌食となってしまうのか。
 これって、教師軍団のねたが先にあったような気がする。こんな人たちいるかもって。それ自体が凄い発想だと思うのに、安直に教師を演じるではなく、餌食となるバスガイドでもなく、対峙させるキャラをぶつけるなんて。おじさんのとぼけたキャラが手練れの教師達をも圧倒する。埋もれた歴史に驚愕し、笑いのたうつ作品です。
2 性感マッサージ客引き
 性感マッサージうちにの客引きに捕まった貧乏若者と客引き嬢との会話。目的を持たない若者と目的を持ちたくない客引き嬢の掛け合いがなんとも笑える。
 これもきっとバルサンねたから進化したような、感じ。バルサンと一番無縁な人はどんな人か。そういう人のもつ特徴とはなにか。その反対に位置する人は・・・。糸口のつかみ方がうまいんだよなぁ。
3 ソムリエいじり
 女性ピアニストを伴ってフランス料理店へ来店した男。が、とても不機嫌でソムリエをからかっている。その理由は壁を挟んだ向こう側に会社の部下たちがいるというのだ。お互いに声で感づいている。このままじゃ女も口説けやしない。そのうちに壁の向こう側では男の別れた女房まで来店する。
 窮地に陥っていくあせりが笑いを誘う作品。ソムリエをからかう言葉のひとつひとつが彼のあせりの度合いを現しているかのよう。ただ、服装的にもTVマンか広告代理店勤めだと想像できるんだけど、最後まではっきりしなかったのがちょっとわかりづらかったか。
4 カルピスの君
 交通事故現場に毎日花とカルピスをお備えする若者がいる。恋人(?)の死を受け入れられないのではと想像し、勝手にカルピスの君と名付ける初老の会社役員と脚本家の女性。そんなある日、女性がカルピスの君を見たという。
 シチュエーションは演じかたによって小津映画になりそうな設定。鍵は作品中に出てくる弔辞ねたかな。死を受け入れられないという設定を共にするカルピスの君と弔辞の内容。この2つのねたを対比させるために選ばれたのがこのシチュエーションのような気がする。初老の男と女性脚本家の関係はここでは深く詮索する必要がないのだ。カルピスの君の素顔とチャールズ、弔辞のねたのキレ味で笑える作品です。
5 ホステス・ひとみ
 友人の法事に出席後場末のキャバレーに立ち寄った男についた老ホステス・ひとみさん。年輪を重ねたホステスならではの接客術で、男を盛り上げようと頑張るのです。
 これはキャラクター先行作品でしょう。ひとみさんアイテムとして登場する深層水や魚の骨。これらはいかにも場末の老ホステスがもっていそうじゃない。そこにキャバレーのお約束を取り入れるんだけど、ひとみさんとお約束のギャップがミソ。
6 AIBO行方不明
 探偵事務所に訪れた女性の依頼は行方不明になったAIBOの捜査。
 これはねた先行でしょ。AIBOが迷い犬になったらって、面白い発想。考えつかなかった。そこから先は観てのお楽しみ。
7 タカヤマタカオ ヘルスセンター前座ショウ
 LASTはお馴染み音楽ねた。今回は売れない演歌(?)歌手。この面白さは実際に観て聴いていただくしかありません。イッセー尾形劇中歌集CDを発売して欲しいなぁ・・・。


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「神様のかくれんぼ 与 勇輝展」を観る(01.3.19)

 ぽっぽやにも使用された人形を作っている人形作家。天うららの原日出子が作った人形も彼の作。テレビを見ていたら個展が開かれるというので、足を運んでみた。
 最終日、銀座、老舗デパートということもあり、入場待ちの長蛇の列。8階催事場でんの開催だというのに、列は階段でとぐろをまき、1階まで続いている。40分待ち。一旦外に出て昼食をすませ、再びデパートへ行くと、最後尾は3階まで進んでいたので、後ろにつくことに。
 30分後入った会場には彼の作品がいっぱい。ちょっとくすんだ布で作られた人形は日本の子供をそのまんま映し出している。布を張らせて弾力性のある子供の肌・肉を描いている。表情の変化により膨らみの位置を細かく変え、まるで生きているかのよう。
 顔に余計な線を入れないという手法は宮崎駿の画法のよう。子供の人形ばかり続くので、やはり皺の線を入れない限り高齢の人を作るのは無理かと思ったその先にあったのが、老夫婦の並んだ作品。人形の顔に皺を現す線は入っていないが、まさしくそれは老夫婦。その顔には肉のたるみが。たるんだ肉と露出した頬骨が年相応の顔を表現している。
 それと身体全体の骨格の作り方。これがしっかりしているので、人形の動きやふとした仕草が生きているかのように見える。
 ちょっと気付いて面白かったのは、人形の鼻の形がみな一緒で、作者の鼻とそっくりなこと。それゆえに作者も人形に愛着が涌くんだろうなぁ。
 それにしても入場者の大半を占めた50歳代以上のおばさんたち。そのマナーの悪さったらひどいなんてもんじゃない。ひとりふたりならまだ笑えるが、ほとんどのばばぁが常識やモラルを知らないときている。主催者側のデパート職員もお得意様たちの悪行には目をつぶっている。バーゲンセールじゃないんだから、文化水準が低下するような行いには毅然とした態度をとって欲しいものだ。帰りに立ち寄った男子トイレもおばさんの巣窟と化していた。
 でも、作品展はとても良かった。東京開催は今日までだけど、このあと横浜高島屋でも開かれるそうなので、都合のとれそうな人はぜひ足を運んで見てください。くれぐれもマナーには気をつけて。


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「野獣郎見参〜Beast Is Red〜」を観る(01.3.18)

 すごい&脱帽の一言。こんなすごいもん舞台上で観せるなんて。何億の金使って映画化したいって話しも出てきそうなくらい面白いSTORY。今流行りの安倍晴明ねただけど、初演は 年前と流行を先取っている。それに二転三転する展開には手に汗握りっぱなし。新感線得意のRockテイスト溢れる楽曲もいっぱい。きっと映画化したら映画技術を駆使しきれずに物足りなさを感じる出来栄えになりそうだなぁ。でも、この舞台にはすべてが詰まっている。ナマ&舞台という制約上ぼくらの想像力に頼らなければならない点もあるけれど、それを差し引いてもとてつもないくらい余りある作品。これがナマで観れるという喜び。感無量。
 堤真一、高橋由美子、前田美波里、松井誠など、メインキャストの多くを客演にしたにもかかわらず、一番おいしいとこは古田新太がしっかりと味を見せ付けてくれる。出演者一人一人が生きている。キャラが立っている。さすがの一言。こんなすごいもの作っておいて、メジャーの血を入れて打って出るなんて、策士よのぉ。
 3時間半をたっぷりと見せてくれる、飽きさせないすごさ。すごいとしか書けない自分にちょっと淋しさを覚えるが、それほどすごい作品なのだ。観るチャンスのある人はぜひ観るべき。尻の痛さもふっとんで、すごさに圧倒されることでしょう。


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演劇集団キャラメルボックス
2001スプリングツアー・ダブルヴィジョン
「エトランゼ」を観る(01.3.17)

 キャラメルボックスの新作エトランゼを観た。突然有名カメラマンのアシスタントを辞めたナナエ。そんな彼女の周りに起こる出来事は・・・。
 ナナエ自身の感情と、ナナエの親族の感情と、ナナエを取り巻く人々の感情と。その全てが本物だけに、どの感情を尊重すべきなのか。誰も優先順位はつけられないし、それぞれの価値観を否定することもできない。それらの全てを理解することは困難だけど、そのひとつひとつに耳を傾け視線を送ることが大切なんだなぁ。
 いきなり結論を書いてしまった。ゆえにこの後は他愛のない文章で。今回の公演は近江谷太朗に限るなぁ。毎回お笑い担当てきポジションなのに、今回はヒールだけれどかっこいい。彼の存在が物語のひとつの軸のカギ。お笑いもきっちりと入れるも、がきデカねたはぼくらは笑えたけど若い人にはどうだったのだろうか。でもぼくには良かったぞ。
 それと大内厚雄。ヴィジュアル的には上川隆也よりいい男。メジャーになるかも。終演のあいさつはぼくがみたなかで一番おもしろかった。まだ狙ったものではなく、不慣れの域での面白さなんだけど。
 がんばれ、西川!若い芽は早く摘め!
 平均点を堅守するキャラメルボックス。そろそろ大当たりを狙っては?


エスニック
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DAMZ NIIGATA MUSICISM
 cast:泉谷しげる/杏子/HOUND DOG
  を観る(01.3.11)

 なんと豪華な顔ぶれでしょうか。このメンツの揃い踏みがパチンコ屋の主催で実現するなんて・・・かなりビックリ。
 泉谷しげるは大学の頃以来。当時はLOOSERという超豪華BANDを率いてのSHOUT ROCKだったけど、今回は泉谷一人、ギター1本でギター・パーカッション・ヴォーカルをこなすというまさにナマのライブ。のっけからハイテンションで、1曲目から弦が切れる。がなるがなる、叫び吠える。選曲は70年代のフォーク時代のものを中心で、吉田拓郎のカヴァーもあり。曲の途中で弦が切れたときなどは途中でギターを交換して、「第二部」と叫んで続きを演奏したり。かっこよいぞ、泉谷しげる。ラストは名曲「春夏秋冬」。観客に熱唱を強制し、泉谷らしいライブの締めくくり。結果、ギター3本の弦を切りまくる熱演だったのだ。
 二番手杏子も学生時代にバービーボーイズとして観て以来。ソロの杏子って、等身大の女性って感じがして素敵。アコースティック構成での演奏も、杏子の圧倒的なヴォーカル力を上手く引き出していて、Good。前半はSlowなナンバーで、福耳のヒット曲「星のかけらを探しに行こうagain」を挟んでUp Beatなナンバーを。今夜の「ミュージックフェア」に出演するそうだけど、新潟では放映されていないと知り絶句。
「新潟にはシオノギがないから?」
 面白すぎる。そして、魅力的な女性だった。
 トリはHOUND DOG。会場の前方及び後方には「ハウンドドッグ」と染められたはっぴを着てタオルをてにした男性が陣取る。「未知との遭遇」のテーマソングにのってメンバー登場。ぼくはHOUND DOGをほとんど聴いたことがないのでどうなるかと思ったけど、今回演奏したナンバーはどれもが耳にしたことのある曲ばかり。どこで?と思ったら、オロナミンCのCF曲オンパレードだ。曲に乗ってスタンドマイクを回す大友康平。HOUND DOGファン以外もいるジョイントコンサートを意識して、馴染みのある曲を揃えるところはさすが熟練の技。あくまでRock'n Rollにこだわって歌いつづける彼らの姿はカッコいいオヤジたち。いい歳のとりかたしているぞ。はっぴ隊も声援を送り、お約束のフレーズでタオルを投げる。「涙のBirthDay」も聴けたし、アンコールは「ff」だし。なんかすごく得したライブだった。
 ほんとはラストで出演者がみんなでなにか歌ってくれたらうれしかったんだけど、それはなかった。残念。
 フォーク〜Girl-POP〜Rock'n Roll。それも第一人者ばかりのライブ。よかったぞ!
 家に帰ったら「おしゃれ関係」に泉谷しげるが出てた。そうなると「ミュージックフェア」も見たかったなぁ。


エスニック
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「キャストアウェイ」を観る(01.3.10)

 無人島へ1枚だけCDを持っていけるとしたら、あなたはどのタイトルのCDを持っていきますか?
 とあるTV番組でそんなことを言っていた。ぼくは何を持っていくのだろうか・・・。
 トム・ハンクスが3度目のオスカーを狙う意欲作、「キャストアウェイ」を観た。飛行機事故で無人島に流されてしまった男の物語。冒頭、ロシアから物語が始まるので、北の海の無人島に流されるのか・・・、そいつは寒いぞ・・・と心配してしまった。
 トム・ハンクス演じるチャックは無事(?)南海の孤島に流れ着くんだけど、最初にチャックの持つ背景がきちんと描かれていた。ただの漂流記では終わらせない意気込み。漂流記といえば「電波少年」でロッコツマニアを観ていたから、それだけで終わられたらハリウッド作品としては・・・と言ってしまいそうだしね。
 「時間の浪費は無駄」が信条のチャックが愛する人を残したまま無人島へ流されてしまう。物語の3/4は無人島のシーン。トム・ハンクスの一人芝居が延々と続く。時間に追われていた男が悠長に流れる時間を持て余す。あせり、苛立ち、空虚さ。そのすべてをトム・ハンクスが渾身の演技で表現する。特に腹回りは必見。役者魂が集約されている。
 やがて無人島脱出を図るチャックは・・・。
 「チャックにとっての時間とは?」漂流記のシチュエーションを借りたこの問いかけ。トム・ハンクス&ロバート・ゼメキス作品の筋がそこにあるような気がした。
 アカデミー賞最有力作品。ポスターの上部に大きく打たれたその言葉は単なる客寄せコピーではないということが良くわかった。その一方で、アカデミー賞主演男優賞は最有力なのに作品賞にはノミネートされていないこともなんだかわかったような気がした。
 で、無人島に何のCDを持っていくか。無人島ってやっぱりイメージとしては南海の孤島、常夏の島だから、日本特有の素晴らしい四季を感じる曲を持っていきたい。ということで、小沢健二の「天使たちのシーン」かな。チャックはきっとエルヴィスのCDだったんだろうなぁ。


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PHILIP BAILY
「THE EARTH WIND & FIRE
 JAPAN TOUR 2001」を観る(01.3.8)

 えっ?フィリップ・ベイリーが新潟に来るって?
 あのEARTH WIND & FIREのヴォーカリストが新潟に来るだなんて・・・。これは観に行かないと損ってやつじゃありませんか。あの歌声が聴けるだなんて・・・。
 会場はさぞかし往年のSOUL TRAIN状態かと思いきや、意外と普通。でも年齢層はちょっと高め。70〜80年代にDISCOでブイブイ言わせてた人たちなんだろうなぁ。
 BANDメンバーが軽く1曲こなしてから登場したフィリップ・ベイリーは貫禄こそ往年のままだけど、ちょっと優しくなったかなぁ。柔和な笑顔。総立ちの観衆に諭すかのごとくノせていく。煽るのではなく、ノせるのだ。大人だぞ、フィリップ・ベイリー。
 中盤はメローな曲を並べる。BANDメンバーに1曲託しては客いじりをしたり、観衆に笑いと落ち着きを与える時間を設けるところなんか、大人だぞ、フィリップ・ベイリー。
 Slowなピアノソロになごんでいると、天井から静かにミラーボールが降りてくる。「えっ?これは?」と身を乗り出すと、誰もが知ってるEW&Fの名曲「宇宙のファンタジー」だ。観衆こぞりて立ち上がり、その歌声に酔いしれる。たたみ込むように「セプテンバー」。踊れや歌え、みんなで手を振れ!そしてとどめは「イージー・ラヴァー」。場内ヴォルテージ最高潮で、全員がフィル・コリンズになったかのようにフィリップ・ベイリーに絡みつく。
 アンコールはBANDメンバー紹介も兼ねて15分ぶっ通して演奏。フィリップ・ベイリーのソロライブながら、フィリップ・ベイリーだけが突出して前へ出るのではなく、BANDとしての一体感を大切にしてのライブというのを象徴するかのようなアンコールだった。
 緩急の効いたフィリップ・ベイリーの熟練の技にしてやられたなぁ。
 会場はさすがにDISCO状態とはならなかったけど、個人的に「LEON」のゲイリー・オールドマン並みのノリを見せる人なんかいて、それぞれがそれぞれの青春を謳歌しているかのよう。ぼくもEW&F直撃世代ではないけれど、すんごく堪能できたライブだった。
 やっぱり大人だぞ、フィリップ・ベイリー。


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TeNY開局20周年記念
「笑点」公開録画を観る(01.3.3)

 ついにあの国民的人気番組「笑点」を観る機会を得たのだ。テレビ新潟開局20周年記念ということで、公開収録が催されたのだ。定員1000名に対し1万人の応募で倍率はなんと10倍だったとか。当選できて良かった。
 開場30分前に村上市民ふれあいセンターへ行くと、長蛇の列。このところこんな記載が多いけど、これが半端じゃないくらい並んでいるのだ。整列入場でホールに入ったら8割がた席は埋まっていたので、800人は並んでいたということ。恐るべし、笑点パワー。ほとんど50歳以上。ちなみに一番最初に並んだ人は5:45AMから並んだ22歳男性だそうで。その割にいい席が取れたのでニッコリ。
 まずは林家こん平門下のすい平が会場の口元を緩ませるべく登場。軽い小噺を連発するが、不発。情けの拍手が鳴り響く。続いて前説の萩原ディレクターが登場。すい平よりもなめらかな喋りで場内を沸かす。これでいいのか?頑張れすい平。
 そして三遊亭円楽が登場。ちょっとした挨拶なのだが、これが面白い。さすがは大御所、言葉の効果的な使い方を知っている。
 今回の収録は2週録り。最初に演芸コーナー2週分を収録し、休憩を挟んで大喜利を2週分を収録する。円楽師匠のオープニング挨拶の後紹介されたのは昭和のいる・こいるだ。
 平成でブレークした昭和の漫才師のいる・こいる。伝説の高速リピートボケが目の前で繰り広げられる。あの感情も誠意も何もないボケ。素晴らしすぎるほど面白い。ところが今回のネタはそれだけではなく、のいる師匠とこいる師匠が入れ替わってボケを展開する。抱腹絶倒の雨あられ。ただただ感動。ここで彼らを観ることができるなんて・・・。
 続いて紹介されたのは(円楽師匠、名前を二度も噛んだ末)テツ&トモ。なんでだろ〜♪の歌でブレークした若手筆頭株。「爆笑オンエアバトル」とかで観て気になっていた2人だ。トモのギターとテツの動き。それと合うのか合わないのかの「あるあるネタ」。なんでだろ〜♪炸裂で場内大爆笑。彼らを知らない高齢の方たちも思いっきり笑っている。当然あのメロディが頭から離れない。
 それにしても今回の演芸コーナーは大当たりだ。あの二組をタダで観られるなんて・・・。
 そして大喜利。小遊三、好楽、木久蔵、歌丸、楽太郎、こん平、山田隆夫が入場し、遅れて円楽。まずは自己紹介から。各人新潟を織り込んで。当然ながらご当地こん平師匠のテンションは高かった。2週目の自己紹介では当然ながら「私のカバンには・・・」のネタが。
 2週分6題のお題とその解答についてはあえて書きません。オンエアを観てください。ナマで観ていて特筆すべきは歌丸師匠の喋っていないときの動き。木久蔵師匠の解答に必ず細かいリアクションを入れ、楽太郎師匠の腹黒ネタにもきっちり呼応する。サッカーでいうところのボールを持っていないときの動きが実に素晴らしいのだ。もちろん喋りも絶品。ここぞというときは手の上げ方から違っており、きっちりと笑いをとるのだ。言うならば抜群の決定力。木久蔵師匠好きのぼくも歌丸師匠の素晴らしさには脱帽なのだ。
 笑点ではお馴染みの馬ネタ、木久蔵ラーメンネタ、馬鹿ネタ、はげネタ、腹黒ネタ、ふじこネタ、若竹ネタが全部聞けたので、めちゃくちゃ満足。大喜利の時間はオンエアよりもはるかに長く、かなりカットになる模様。まるで笑えないものもあったけど、概ね笑えた。一体どのネタがカットされることやら。
 この一週間言葉の持つ力に着目してきたが、言葉遊びの殿堂「笑点」は言葉の持つ力をそのままではなく応用して使っていると感じたのだった。すかしたり、身体で受けたり・・・。
 放送日は3月18&25日。両日とも5:30PMから。もしかしたら会場のどこかでぼくが映っているかも知れません。お楽しみに!
 


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鳥肌実「玉砕演説」を聴く(01.3.2)

 野田秀樹で「言葉」を意識し、椎名誠に「己の言葉」を聴き、第三弾が鳥肌実。「富国強兵」「欲しがりません勝つまでは」などの言葉を刺繍したスーツや軍服に身を包み、右翼の雰囲気を漂わせながら言葉を投げかける異彩かつ異才な男。
 新潟の情報誌で彼の演説会の記事を見つけたとき、「絶対行かなきゃ」と思ってしまった。彼の演説を聴いたこともなければ、彼をTVで見たこともない。右翼的思想は好きではないが、そのウラにある彼の言葉の面白さを、この耳で確かめたいと思った。
 きっと新潟市民は鳥肌実を知らないだろうから、ガラガラだったらどうしよう・・・との心配はまったくの杞憂。会場についたら、椎名誠よりも長い列が。鳥肌実の集客力にまずは脱帽。
 本題の「玉砕演説」はまさに玉砕覚悟の演説会だった。自称宮内庁公認の天皇中心国家を唱え、国粋主義・アジア侵略を訴える。まさに右翼の演説会と同じ要素を備えつつも、会場は割れんばかりの大爆笑。ドイツ以外の外国人を罵倒し、創○○会・日本ア○○ェイ・統○教○・共○党を邪悪な集団と位置付ける。まわりはみんな敵ばかり。
 演説と演説の間に上映された映像は、街頭演説や鳥肌流社会奉仕なのだが、いつ刺されるかと冷や冷やモノ。特に靖国神社での本物を横にした映像は「大丈夫?」と心配してしまう。
 演説は全部で4編。右翼モノ2編と鳥肌実の独白と結婚式のスピーチ。後ろ2編はバックボーンは明確でないものの、過激さは右翼モノに勝るとも劣らず。そして場内は爆笑の連続。過激の合間に語るほのぼのネタがまた笑える。
 当然ながら確信犯。その昔日本を突き動かした思想、今なおごく少数ながら語られる思想が現代ではとてもナンセンスで、笑ってしまうほど愚かなモノであることを身をもって教えてくれる。マインドコントロールをあざけ笑い、政治家を煙に巻く。鳥肌実自身の言葉は微塵もない。すべてが誰かの思想であり言葉である。それでいながら笑いを持って彼の言葉が伝わってくる。反面教師を自ら演じているのだ。
 これはパンドラの箱だ。いまだかつてなかった社会風刺ネタで確実に笑いを取ることができる。しかしながらメディアでの活躍は99%無理。それどころか敵も多く作ってしまう、両刃の剣のようなもの。生かすも殺すも鳥肌実次第。
 いいものを観させてもらった。こんなカルチャーショックはホント久し振り。これからの活躍を見守っていきたくなったのだ。
 不穏な輩が徘徊する今日この頃、凶弾に倒れぬようくれぐれもくれぐれも注意して活動に励んで欲しいのだ。
 言葉の旅の〆は伝統芸能に裏打ちされた国民的TV番組に潜入します。明日です。お楽しみに!


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「にいがた市民文学」文芸講演会
椎名誠「焚き火の前で考えた」を聴講する(01.2.28)

 くや探結成5周年を記念するかのように、本家(?)あやしい探検隊の隊長・椎名誠氏の講演会を聴講する機会を得た。タイトルが「焚き火の前で考えた」。ホント、くや探5周年を祝ってくれているようじゃありませんか・・・かなり身勝手なぼくです。
 会場へ行くと、開場30分前だというのに長蛇の列。あわてて並ぶと15分前に開場してくれるという粋な計らい。
 今回は密かな野望を胸に聴講に臨んだ。椎名誠にくやしい探検隊の存在を知ってもらうことはできないか・・・。方法は2つ。アンケート用紙があればくや探とHPの存在を書き記すことと、質問コーナーで探検隊に絡めた質問をすること。ところがアンケート用紙は配布されず、ちょっと悲しい想いをする。
 午後7時過ぎ、駅前の本屋でサイン会を済ませた椎名誠が登場。りゅーとぴあに駆けつけた満員900人が大拍手で迎える。
「こんな立派な会場で講演するとは知らなかったので・・・」
 ちょっとひるみがちで始まった講演は椎名誠の新刊「春画」の紹介から。私小説と位置付けられるこの作品は、母の死をきっかけに連載を始めたと言う。父が家長だった家族と自分が家長の家族を比較しながら、家族のあり方を考えてみた作品とか。
 話はアメリカに在住する子供達の話などに移行。あの「岳物語」の岳クンはもう28歳だとか。椎名家の子供たちが日本に帰国したと実感することは日本の夜景を見た時だと言う。飛行機の中から見る日本の夜景は白いのだと。蛍光灯が至る所に設置されているためなのだが、海外を知らないぼくとしては、かなりカルチャーショック。確かに夜中に煌煌と光るコンビニの店内や派手派手しいパチンコ屋の電飾には閉口してしまうが、街灯が白いのは当たり前と思っていた。
「宇宙から侵攻されてしまうのでは・・・。電気代がもったいない・・・。情緒にかける・・・。」
 椎名誠はそう評していたけど、世界各地を歩いてきた眼の印象なんだろう。ぼくの眼はまだまだだなぁ。日本の評価としては「コントロールされている人、されていることに気づかない人が多い」という言葉に思わず頷いてしまった。でもその言葉は意外と難しく、椎名誠の言葉に頷くぼくは椎名誠にコントロールされているかもしれない・・・と考えると、迷宮にハマって行くようだ。
 岳クンの「日本を代表する食とは?」というエピソードから、話は食についてとなる。すし・天ぷら・すきやき・饅頭・羊羹・ラーメン・カレーライス・・・。それぞれの食について椎名誠の体験とうんちく、うんちくに基づく想像が繰り広げられていく。何でそんなこと知ってるの?どうしてそんな想像ができるの?と感心したり、驚かされたり、笑わされたり。出だしでひるんだ椎名誠もこの頃にはとても饒舌。
 興味が探求としての行動を伴えば、モノ書きのモチベーションが上がるということを、その興奮振りで教えてくれる。一見脈絡のないような話の数々が、キーワードから探求という流れで結ばれる。うまいなぁ。
「そろそろ時間なので・・・。これから主催の方が旨いもの食べに連れて行ってくれるというから、そこで飲むビールが今一番の楽しみ。ビールの話をさせたら2時間は語るくらいビールが好きなんだ。」
 この言葉で司会進行役が下手に登場。これで終わりかと誰もが思ったとき、椎名誠がビールの話をしはじめた。さすがに2時間は喋らなかったものの、ホントに楽しそうに10分近くも。立ち尽くす司会進行役。椎名誠は真のビール好きなんだなぁ・・・。
 最後のビール話のせいかどうかは定かではないけれど、質問コーナーはなし。ということで、ぼくの野望は無念にも果たされることはなかった。
 それにしても椎名誠は自然体だった。ひるむ姿も調子に乗ってきた姿も楽しげな姿も、どれをとってもそのままの椎名誠。虚勢を張ることもなく、演じることもない。語られる言葉も飾ることなく、ありのまま椎名誠の言葉となっている。自分の言葉をもつ男の話を聞けたことがとても嬉しい講演会だった。
 なんだか流れ的に野田秀樹の「2001人一人芝居」からうまくつながっているなぁ。
 次は・・・これまた強い言葉を持った男の登場だぁ。お楽しみに。
 今頃椎名誠は古町で旨いビールを飲んでいるのだろうなぁ。


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NODA・MAPスペシャルステージ
「2001人芝居」を観る(01.2.25)

 21世紀初の観劇は野田秀樹。彼の久々の一人芝居が21世紀の観劇の幕開けなのだ。
 NODA・MAPは2回目の観劇なんだけど、今回もステージはシンプル。スクリーン用の緞帳(?)とビーンズのクッションだけ。ところが映像(登場人物はたくさんいるが、全員野田秀樹)と舞台上の野田秀樹がくんずほぐれつ絡み合い、舞台の奥行きを広げている。そしてクッション。時としてイスとなり、父となり、菊江さんとなり。野田秀樹の動きひとつでクッションが様々に形を変え、観るものに情景を想像させる。うまい。
 上演中はたった一人で休むことなく喋り、動く。その姿には圧倒されっぱなし。
 トンガのハーフの元相撲取り。カルタ名人。映画「鯨嫌い」。野田秀樹が演じる脈絡なさげの特異なキャラクターが大きなうねりで絡まっていく。それぞれがしっかりとキャラクター付けされていて、笑いのツボを刺激する。特にトンガのハーフの元相撲取りが転々とするスポーツの造詣は面白すぎ。自虐的ギャグも織り交ぜ、劇場からまんべんなく笑いを起こしている。終盤は哲学的発想と理論に基づくためちょっと難解だけど、キャラクターの一人一人を絡め取っていく様は圧巻。
 冒頭でトンガのハーフをいじめる人物の名前が「岡本」なのはかなり気恥ずかしかった。
 情報が垂れ流しの今、「誰かのコピーではなく、ぼくは自分の言葉を話しているだろうか・・・」と考えさせられてしまった。テーマの着目も見事な素敵な舞台でした。


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AJICO
「2001年AJICOの旅」を観る(01.2.22)

 UAねえさんがぼくの誕生日に新潟に来てくれた。AJICOという新ユニットで。ご存知の通り、AJICOとはUAねえさんと元BJCのベンジーこと浅井健一を中心としたユニット。先日発売されたアルバム「深緑」を聴いたところでは角のたった、エッジの効いたUAねえさんといったところか。
 ライブ会場はいつもと違ってた。なんといってもトッポい兄ちゃんが多い。これまでのUAねえさんの客・若い女の子に加え、BJCファンの兄ちゃんが殺到。いつも停めている駐車場が満車で入れないほど多くの人が集まったのだ。
 会場はオールスタンディングの新潟フェイズ。いつもならぼくは背が大きいほうで、ステージの隅々まで見渡せたというのに、今日は背の大きいのがいっぱいいて、ぼくはまだしも女の子は大変だったみたい。
 AJICOの曲調って、ゆったりした中にもエッジが効いている。ライブでもそのまま再現されており、UAねえさんの歌声にバンドが鋭く絡んでくる。タテノリはあまりないけれど、要所要所で頭がノッキング。UAねえさんは容姿もエッジが効いていて、一体感。ギターが響くたびに野郎どもの「ベンジー!」の声援。
 AJICOの曲は当然ながら、「Time5」のコピーやUAのセルフカバーも。でも、どれもがAJICOの色にアレンジされていて、流石と感嘆してしまう。MCが少なかったのはちょっと残念だったけど、あくまでAJICOのペースでノらせてくれたのだ。
 UAねえさんの包み込むようななごみが好きなぼくも、あたらしいUAねえさんの魅力に魅せられたライブだった。
 でも、次はいつものUAねえさんでお願いね。AJICOは3年に1度くらいで。


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にいがた国際映画祭
「アイスリンク」を観る(01.2.22)

 にいがた国際映画祭フランスコメディ特集、「アイスリンク」を観た。アイスホッケーの映画を撮るスタッフ・出演者の奮闘振りをコメディにした作品。フランス映画というと重厚で湿度が高そうと思いがちだけど、フレンチポップスがあるくらいだからフレンチコメディなる明るさが当然存在するはず。そんな想いでにいがた国際映画祭フランスコメディ特集へ足を運んでみた。
 劇中劇ならぬ映画中映画。アイスリンクという不慣れな舞台で悪戦苦闘するスタッフ。色男の主演男優と恋多き女優。言葉の通じないエキストラ。過去の栄光を大切にする協力者・・・。彼らが織り成すエピソードでコメディは進んでいる。
 アイスリンクでの撮影ではスタッフ全員がスケート靴を履くものなの?なんて疑問も湧いてくるものの、氷上で悪戦苦闘する様はまさにこの作品の見所である。物語が進むうちに彼らのスケーティングの上達振りもチェックどころ。
 おしゃれな感覚に溢れてはいるものの、笑いとしてはもうひと頑張りしてほしいところだったけど、ほのかな笑いに包まれた作品だった。


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にいがた国際映画祭
「リトル・チュン」を観る(01.2.21)

 にいがた国際映画祭リクエスト作品、「リトル・チュン」を観た。中国への返還を目前とした香港での物語。ジャッキー・チェンやトニー・レオン、金城武の出演する映画には描かれることのない路地裏と、そこに生きる人々がスクリーンに映し出される。
 頑固なオヤジ・家族の絆・チンピラという日本でも馴染みの構造に不法入国と外国人労働者問題が絡む混沌さ。日本でも韓国でも描けない現実が本当の香港にはある。でも、チュンとファンの幼い視線で綴られた本作では、混沌さもありふれた日常としてぼくらに語ってくれる。
 ファンがとてもかわいい。きっと日本の子役に混じるとただの冴えない女の子に映ってしまうかもしれないけれど、素朴さがとてもかわいい。不法入国者の子供のため、強制送還という危険といつも隣り合わせながら、香港の返還に強い希望を持っている姿は凛として映る。「ファンの行方は?」が後半のカギとなるが、彼女のナレーションがチュンを見守っているかのようで、ぼくたちの不安を和らいでくれるかのようで。
 香港返還から4年。歴史的な大ニュースも今の日本人にとっては「あっ、香港ってイギリス領だったもんね、そういえば・・・」と忘れられがち。日本人というか、少なくともぼくは。人は悲しいくらい忘れていく生き物なのだと実感してしまう。近くて遠い国のぼくには忘れがちな歴史の断片の中にも、そこに生きた人には忘れられない大切な想い出がたくさん詰まっている・・・。ごく当たり前のことだけど、改めて感じさせてくれる、そんな小さな恋の物語でした。


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にいがた国際映画祭
「パダヤッパ」を観る(01.2.18)

 にいがた国際映画祭の目玉企画アジアン・エンターテイメント映画王国の上映作品、「パダヤッパ」を観た。にいがた国際映画祭の知名度っていかがなものかと思っていたけど、各地からマサラムービー・マニアが集結し、一部ではコスプレ状態に。本場・インドの方もいて、主演・ラジニカーントのカルトな人気ぶりがうかがえる。
 話はというと、前作「ムトゥ 踊るマハラジャ」とテーマ的にかなりダブっていたが、ラジニカーント演じる主人公・パダヤッパがところ狭しと活躍する勧善懲悪のスーパームービー。ぱっと観は日本でいうなら小柳トム(現Bro.Tom)主演の渡り鳥シリーズもしくは若大将シリーズといったところか。この一見単純な筋書きがとてつもなく痛快で、ラジニカーントの一挙手一投足が派手な効果音を伴ってカッコいいの。ハリウッドスター的にカッコいいというのではなく、昔のヒーローもの「怪傑ズバット」的にカッコいいの。愛・結婚・道徳・政治・・・。インドに、いや今の世の中にある普遍的な問題にパダヤッパらしいアプローチで答えを求めている。
 30年前の日本の感じ。これは決して遅れているというのではなく、人々がすれてなく、希望を抱いているような、その希望を映画が後押しするような。そんな懐かしくも清々しい映画だった。
 個人的には、テーマてんこ盛のため尺が長すぎるきもするけど、これも30年前の日本映画に相通じるものがあったりして。テーマをもうちょっと絞り込めば観てるほうも集中力が切れない長さと展開で収まったと思う。
 とはいえ傑作。マサラムービー好きでない方にも、ぜひ一度ラジニカーントのカッコよさを味わってもらいたい。
 本編にはまるで関係ないけれど、冒頭で書いたコスプレ集団ってどうやらマサラムービーのネット仲間みたいだった。彼らの様子を見ていると、イッセー尾形の「インド・パーティ」を思い出してしまった。


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「アンブレイカブル」を観る(01.2.16)

 M.ナイト・シャマラン監督、ブルース・ウィルス主演と「シックス・センス」のコンビが贈る第二弾、「アンブレイカブル」を観た。
 死者130人を出した列車事故で唯一無傷で助かった男デヴィッド。そんなデヴィッドに近づく謎の男・イライジャ。不死身の男と傷だらけのミスター・ガラス。対極に位置する二人はどう関わっていくのだろうか。そこが見所。
 静かな中にもときおりハッとさせられるシーンが散りばめられており、緊張感を保ったまま物語は進んでいく。大惨事を生き抜いたデヴィッドがやらなければならないこととは・・・。イライジャが導く先にあるものは・・・。
 今回も「シックス・センス」同様、多くは書けません。印象が変わってしまうと申し訳ないから。ただ、各誌の紹介文で出てくる「恐怖と戦慄」って言葉はそぐわなかったと思う。監督のカメラワークと描写の上手さが際立っており、「恐怖と戦慄」の必要性も感じないのだけど。他の監督にとって、M.ナイト・シャマランの撮る画が「恐怖と戦慄」なのかな。
 入場券を購入すると、「解読マニュアル」なるチラシがもらえる。当然「鑑賞後に読んでください」との注釈がある。こんなチラシをもらってしまうと「ぼくには解き明かせない謎がいっぱいなの?」と身構えてしまいがちだけど(しまったけど)、あまり気にせず楽に観てください。
 ラストは意外と読めたけど、結構楽しめる作品でした。
 そしてデヴィッドのたどり着くところは・・・きっと「X-メン」だな。


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「アヴァロン」を観る(01.2.12)

 ぼくは「うる星やつら」も「攻殻機動隊」も観ていない。なのに押井守作品「アヴァロン」はとても興味をそそられた。ディズニーのアニメやCG作品に対し、ジャパアニメの盟主はどのような答えを観せてくれるのか、とても知りたかった。その答えが実写フィルムというのに驚きを隠せなかったりして。
 ヴァーチャルリアリティ・ゲームで活躍するアッシュがゲームに隠された謎のステージSAを目指して・・・という物語。セピア色の画像に込められた押井守の信念が・・・なんてね、よくわからなかったんだけどね。三次元の中に二次元の画像を挿入する手法は、ゲームという非現実世界にマッチングしていて、ジャパアニメの進化形というよりもジャパアニメからSFXへのアプローチといった趣だった。
 舞台をポーランドにしたのがセピアにマッチしていて、素敵だった。
 STORYはというと、地球ゴージャスの舞台「ドヘネケヘキシン〜地図にない街〜」をちょっと思い出してしまうような設定なんだけど、全編に観られる妖しげな感じがセピアの画面と相俟って、独特の流れを持っています・・・って。ぼくにはちょっと難しかったかな。言いたいことはわかるのだけど、その先の一歩が見えてこなかった。画像的にハリウッドに近づけ・追い越せは歓迎だけど、台本の粗さも近づけ・追い越せは困るから、もうちょっとわかりやすい構成にして欲しかった。



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「ペイ・フォワード 可能の王国」を観る(01.2.6)

 幸せのねずみ講、「ペイ・フォワード 可能の王国」を観た。こんな言い方をするのは作品に対しかなり失礼かとも思ったのだが、メディアで見かける右の写真の絵を見たらそう思ってしまうじゃない。
 「世界を変える方法は?」
 社会化の授業で出された課題に対し、「善行を先に行う」”Pay it forward”を思いつき、実践する中学生・トレーバー。クソったれの世界のため、やるせない自分の境遇のため、非力な自分のため。”Pay it forward”はいつしかトレーバーの気づかぬところで広がりを見せていくが、彼の周囲は・・・。
 いろいろ書きたいけれど、あとは観てちょうだい。”Pay it forward”は実践可能な方法かもしれない。が、この映画が訴えていることはもっと単純だけど、もっと深いこと。映画のHPでは「観終わった後あなたもペイ・フォワードしてみませんか?」という言葉があったけど、する・しないということよりももっと大切なことが伝われば、それだけでも十分素敵なことではないか。
 是非観てほしい映画。こうして他人に鑑賞を勧めることがとりあえず今のぼくの”Pay it forward”かもしれない。
 橙色の灯りのひとつひとつが、胸に心に染み入ります。


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第3回にいがたマンガ大賞フェスティバル(01.2.4)

 第3回にいがたマンガ大賞フェスティバルへ行ってきた。お目当ては「ショムニ」の原作者である漫画家・安田弘之の話を聞くために。「坪井千夏はいかにして生まれたか」ってテーマ、マンガ&ドラマの「ショムニ」ファンとしてはたまらないじゃないですか。
 ということで、まずはにいがたマンガ大賞について簡単に書きますと。新潟は多くの漫画家を輩出している全国でも有数のマンガが盛んなところだそうで。水島新司・魔夜峰央・小林まこと・高橋留美子・安田弘之・小畑健等々。そんなマンガ文化をもっと発展させようと、新潟市が主催しているコンテストで、地方自治体が主催しているのは新潟だけだそうで。特徴的なのは一般部門のほかに中・高生部門、小学生部門があり、営利目的ではなくマンガ振興を切に願っているところ。受賞作品の原画展示会では唸ってしまうものから微笑ましくなるものまでいろいろで、それだけで楽しい。
 トークライブの会場となった新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)能楽堂へ行くと、まだ時間が早く表彰式が行われていた。受付の人から「どうぞ中へ」と勧められ、関係者でもないのに表彰式出席。入ってビックリ、中央には水島新司先生がおられるではないか。審査委員長をなさったそうで、総評では新潟のマンガ熱に至るまで語っておられました(下写真左)。そうそう、水島先生のマンガ選考の基準はまず絵の上手さだそうで、この発言があとで思わぬことに。
 表彰式後、安田弘之と江口渉のトークライブ開始(下写真右、左・安田弘之、右・江口渉)。ちなみに江口渉は新潟で活動するお笑い集団NAMARAの代表。トークの中身はテーマに束縛されることなく、漫画家について全般に及んでいて、知られざる一面が聞けた。観衆の多くが10代だったためか、安田弘之が掲載する青年誌に関することはわかりづらいのではないかとも思ったけれど、ぼくにはとても面白かった。週刊連載のつらさとか、原稿が落ちる話とか、製本の仕組みとか。漫画家が他の漫画家の作品をあまり読まないというのは驚きつつも納得。
 会場からの質問は結構シビアで、「休みは取れるの?」「原稿料はどのくらい?」「アシスタント料はいかほど?」。そのどれもにきちんと答えてくれるところはなんていい人なことか。
 「坪井千夏はいかにして生まれたか」。決してモデルがいたわけではなく、千夏も塚原も安田弘之本人だという。もともと塚原的存在だった自分が目指す最終形が千夏だとか。人間の持つ表と裏が嫌で、表裏のない人間がいたらどうなるか・・・がテーマとか。予定調和で綺麗にまとまってしまうマンガが多いのに対し、違う切り口で話を展開したかったと。ドラマだけを観ている人には「結局予定調和じゃない」と思われてしまうかもしれないが、マンガはすっごくキレていて作者の言葉にうなずいてしまう。
 「好きな漫画家は?」の質問では、絵では松本大洋、ギャグでは吉田洗車・しりあがり寿の名前が。松本大洋を敬愛するぼくは思わず大きくうなずいてしまった。松本大洋はぼくらと(ぼくと安田弘之は同い年)同じ世代だけれど、与えた影響は物凄いのだ。
 安田弘之はコンテストに対し、「一般的に絵が綺麗と言われるのは70点程度。でもそこまでは鍛錬すれば誰でも行き着ける。コンテストでぼくが選ぶなら90点以上か50点以下の奇抜だが力のある作品」と発言。ここで会場から「水島先生は絵の綺麗さで選ぶと言ったが、来年にいがたマンガ大賞に出品するときはどうしたら大賞が取れるのか?」との質問が。
 要約すると「自分が書きたいと思うマンガを書き続ければよい」という答えだったんだけど、それを一生懸命説明する安田弘之の言葉は、マンガに本当に愛情と情熱を持っていることが感じられ、とても清々しく思えてしまったのだ。
 とても面白い企画だった。
 
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「ルチャリブレがゆく/黒田信一」を読む(01.2.3)

 この本の感想を書く前に、どうしてこの本を読もうと思ったかをちょっと長くなるけど書いておくのだ。
 ぼくは新潟の単館系映画館シネ・ウィンドの会員になっている。毎月送られてくる「月刊Wind」の好きな映画を紹介するエッセイで、「夢見るように眠りたい」が紹介されていた。作者は「夢見るように眠りたい」を当時住んでいた札幌で観たという。実はぼくもこの映画を札幌で鑑賞し、お気に入りの映画と思っている。同じ気持ちの人が新潟にいたのか。しかも、JABB70ホールで観た人が。
 JABB70ホールは北海道の映画好き3人が自分達の観たい映画だけを上映するために作った映画館である。すすきのと中島公園の中間くらいに位置するビルの地下にJABB70ホールがあった。他の映画館とは異なるオリジナルなプログラムに惹かれ、高校・浪人・大学と一番多感な時期に通っていた思い出の場所である。高校3年の時に出品した高校生8mm映画グランプリの主催もJABB70ホールである。そんなJABB70ホールもぼくが上京した後、惜しくも閉館してしまった。だから「月刊Wind」のエッセイを読んだとき、とても懐かしく思ったのだ。
 そこで、懐かしのJABB70ホールをインターネットで検索してみたら、代表を務めていらした黒田信一氏が小説を執筆したという記事があった。その小説が今回紹介する「ルチャリブレがゆく」なのだ。
 ’70年代に青春をともにした友人が、四十になった今プロレスラー・オソマキ仮面になったという。その真偽を確かめるために札幌の区役所で戸籍係を勤めている主人公・森川は青森へ向かった。オソマキ仮面を追いつづけ、青森・東京・浜松・大阪・・・。各地で出会った人々との交流を通して、それぞれが忘れていた夢を思い出すというSTORY。
 オソマキ仮面を軸として物語は進んでいるのに、オソマキ仮面については関係した人の伝聞のみ。「オソマキ仮面は本当に実在するのか?」と疑問さえ感じそうになあるが、オソマキ仮面と遭遇した人すべてがとても元気になる様をみると、オソマキ仮面の存在の大きさが伺える。その元気さや勇気が様々の突飛なエピソードを生むのがいかにも滑稽。
 「小説だから何があったっていいじゃない」と言わんばかりの各種設定も笑える。「夢を見ることができるのが小説の最大の武器だろう」と黒田信一も笑っていることだろう。
 初小説だけあって情況説明を丹念に説明しているが、ちょっと丁寧すぎ。もっと飛ばしたほうがスピード感が出たと思ったりもして。
 黒田信一本人は決して夢を忘れることなく突っ走ってきた人(きっと)だけに、中年期に差し掛かって意気消沈しがちな同世代に声高らかにエールを送ってくれているに違いない。
 オソマキ仮面に関わることで登場人物だけでなく読者までもが元気と勇気を分けてもらえたような小説だった。


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「クリムゾン・リバー」を観る(01.2.2)

 ハリウッドに進出し、「LEON」以降のジャン・レノの作品にはどうも食指がそそられなかったが、今回の「クリムゾン・リバー」は是非観たいと思ったのだ。久々のフランス映画主演だからというわけでもなく。猟奇殺人系の映画は苦手なのだが、それをも上回る魅力がなんかあったのだ。
 ところが、のっけから目を覆ってしまった。怖いとか恐ろしいというのではないけれど、ぼくの苦手なシーンで始まったのだ。「勘弁してぇ〜」。
 とはいえその後はジャン・レノ演じるニーマンス警視正とヴァンサン・カッセル演じるマックス警部補の事件が交差し連鎖し、はらはらしながら観ることができた。STORYについてはあまり突っ込んで書きません。ネタばらしになっちゃうから。
 それにしても刑事二人ともかっこよいです。ジャン・レノは言うに及ばないが、ヴァンサン・カッセルのいい人役なのにどこか胡散臭いキャラは「ジャンヌ・ダルク」のときと変わらず、味のある役者である。
 猟奇殺人モノって内外問わず血(血筋)に関わるお話が多いのね。
 これでちょっとは猟奇殺人モノも観られるようになったかなぁ・・・。スプラッターはまだまだ無理だけど。
 最後に。ジャン・レノの長髪、なかなかでした。生え際はかなり危ないけれど。街でよく見かける五分刈り・無精ひげ・丸眼鏡のジャン・レノもどきも髪を伸ばすのかなぁ。



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「溺れる魚」を観る(01.1.31)

 「溺れる魚」の映画を観た。戸梶圭太の原作を読み、あまりの痛快さにド肝を抜かれていただけに、「金田一少年・・・」「ケイゾク」の堤幸彦監督によりどんな物語に生まれ変わっているか、とっても楽しみ。
 で、堤幸彦はというと、タランティーノ・スパイスがいっぱいのSTORYを一度解体し、整理・統合・付加により堤幸彦ワールドを形成している。原作を踏み台にして、さらなる物語の構築を試みているのだ。
 仲間由紀恵演じる女刑事を加えることにより華を添え、かつ物語りの構造を複雑化することにより観覧者に感情移入する人物を限定させていく。原作では意図的に散らしていた部分に手を加えることにより、映画としての見所を作り上げている。
 映像効果の使い方は相変わらず抜群で、映像作家としてのセンスはやはり抜群なんだろう。
 しかしながら、笑いのセンスはいかがなものか。要所で笑いをとるべきシーンを挿入しているのだけれど、ベタ過ぎるというかなんというか。「そこまでやるか」とひいてしまう。それと若者文化を象徴させる場面で使った楽曲のセンスもちょっと・・・。
 せっかくキャラ作りを大切にしているというのに、大御所俳優を脈絡なく登場させた銃撃戦もかなりそらそらしかった。
 「引用とリスペクト」。ぼくらの世代の文化を表すキーワードだとぼくは思っており、詳細は近日公開予定の新企画「おかもと工房・小論文」で書こうと思っているのだが、堤幸彦は紙一重でパロディになってしまうひとつ前の世代のセンスなんだなぁ。
 とはいえ、上手い映画です。映画・原作どちらとも楽しんで欲しいと思っています。


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「インヴジュアル・プロジェクション/阿部和重」を読む(01.1.26)

 本屋で平積みになっていた文庫本の中で、一番おしゃれな装填だったのが「インヴジュアル・プロジェクション」だった。若い女性のTシャツ姿。かなりそそられる。上手い装填だなと思いながら、装填から察するにガール・ポップな物語を読んでみようかと購入した。著者紹介によると著者・阿部和重がぼくの1歳下というのも購入の決め手となった。同年代の作家の作品を読みたいという衝動に駆られていたので。
 読み始めてびっくりした。どこにガール・ポップな世界が描かれているというのだろうか。もっと言ってしまうと、女の子なんて滅多に登場しないじゃないか。ガール・ポップから一番遠い、野郎のストイックな世界が狭〜く描かれているのだ。装填からどのような物語を創造するかは個人差があるから著者や出版社を責める気はないが、見事に裏切られたぞ。
 とはいえ、「裏切り」=「つまらない」ではない。日記調の構成が派手さのない話の中でこの先どうなるかの期待感をあおり,「早く明日を読まなくては」という焦燥感に駆られてしまう。1日に十数ページ費やす日もあれば,数行で終わってしまう日もあり、それがかえって臨場感を増していたりする。
 この本の初出は1996年。映画「ファイトクラブ」を彷彿とさせるが、「ファイトクラブ」より先なのだ。主人公・オヌマの視点で書き綴られているので、彼の感じる現実と妄想の狭間が読み手にも直に伝わってくるような気がする。どれがホント?どこまでがホント?まさかツインピークス?
 東浩紀の解説も読むと面白い。「インヴジュアル・プロジェクション」の読み方がひと通りに限らず、読み手によっていろんな印象を与えているのがよくわかる。ただし、今回の解説は必ず本編読後に読むように。ネタばらしになってしまうから。
 そう考えると、表紙の装填からして「人により情報の受け方、理解の仕方は異なるものだ」と訴えていたというのか・・・。もしそうだとしたら、めちゃくちゃ周到な作品だぞ・・・。


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「狗神」を観る(01.1.25)

 「狗神」の試写会へ行ってきた。ぼくはホラー映画が苦手だ。でも、R15に指定されるほどすごい天海祐希のカラミにそそられたってわけ。なんと不純な動機だことか。
 舞台が四国っていうだけで妖しさがわいてくるのはぼくだけだろうか。島って感じがするのに山深いところがたくさんあって、お遍路さんなんかがいたりするととっても妖しげ。行ったことはないのだが。
 舞台はそんな四国の山奥。狗神の血を引く一族の女としてひっそりと和紙をすくのが天海祐希。設定41歳で白髪が多く見られる女性だが、赴任してきた中学教師と交流を重ねるごとに若返っていく。それとともに、村ではよくないことが頻発し・・・。というお話。
 ホラー映画という触れ込みの割には全然怖くなかったなぁ。綺麗な映像つくりに気を使ったのはありありとわかるのだけど、それがかえって怖さを消したのかなぁ。村人という集団と坊之宮一族という集団の狂気のぶつかり合いをもっと深耕すれば、うわべのホラー映画よりももっと怖い世界が描けたかも。
 それにしても、これのどこがR15だというのだろうか。確かに天海祐希と渡部篤郎の絡みは確かにあったけど、そんなに騒ぐほどのものじゃないじゃない。観てはいないけど、「バトル・ロワイアル」といいこれといい、世間を知らない大人が騒ぎすぎのような気がする。現実の中学生の世界のほうがよっぽどグロテスクだと思うよ。
 「官能と禁断の世界」というのも、もっとインモラルなイメージかと思ったけれど、天海祐希の凛とした美しさが製作者の思惑に勝ってしまってた。年齢的な問題もあるかもしれないけれど、例えば田中裕子が演じていればきっともっと「官能と禁断の世界」&インモラルなイメージに近づいたと思う。天海祐希ってすっごくいい女なんだよね。絡みなんかより和紙を好いているときの二の腕やふくらはぎ・ふと腿にそそられたぼくは、やっぱりオヤジなのかなぁ。


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「アンディ・ウォーホール展」を観る(01.1.21)

 「アンディ・ウォーホール展よかったよ。来年新潟でもやるというから観に行くといいよ」との報告をくや探でお馴染みのSAYUKIから受けたのは去年のこと。それは行かねばと身構えていたので、満を持してといった感じ。
 ぼくが持つポップ・アートの旗手アンディ・ウォーホールの印象はペインター(画家)ではなくてデザイナー。ちなみにリキテンスタインはイラストレーター。ポップ・アート自体がこれまでの絵描きという概念を打ち破っているから、その流れをくみする人たちにもどうしてかペインターとしての印象がないのだ。逆に、デザイナーやイラストレーターがアーティストとして認められたのがポップ・アートの流れのような気がする。あくまで私見なのだが。
 「アンディー・ウォーホール展」は'50年代・'60年代・'70年代・'80年代と彼の作品を大きく4時代に分けて展示されている。つまり、彼の作風の変化が一目瞭然で観て取れるのだ。
 '50年代は画家としての彼の作品が多い。広告業界に身を置いていたというので、広告の要素が入った作品もあったが、人物画などは作者を知らないで見せられたらさして目に止めないかもしれない・・・。動植物や昆虫の絵には味があって、後の「子供のための絵」シリーズに通じるものもあるけれど。
 「これぞウォーホール」って作品が出てくるのは'60年代から。まずはコカコーラのトレードマーク。そして、ケロッグのロゴ。デルモンテ・ハインツ・キャンベルと、トマト加工品メーカー制覇までしてしまう。でも、どれも主題は文字。そしてシルクスクリーンを用いた複写技術に写真の応用。彼が絵として描くものはあまりない。以降肖像画作家としての地位を固めるけれど、絵を書くというよりもポラロイドを利用するといった手法をとっている。
 こう書くと絵描きとしてのウォーホールを否定しているように聞こえるかもしれないが、決してそんなつもりはない。デッサンの才能よりもデザインの才能のほうがはるかに上回っているのだ。一見複写の羅列と思われしものにも、シンクロの中にゆがみや狂いを生じさせ、インパクトを与える。同じデッサン(写真)でも色彩を変えることにより違った味わいを醸し出す。デッサンにはない線を加えることにより、深みを与える。現在コンピュータのお絵描きソフトにある機能の多くはウォーホールの技法を簡単に模倣できる機能といっても過言ではない。ウォーホールが与えた影響はとてつもないと、展示品を眺めながら実感してしまった。
 なにげにお絵描きソフトを使用している方、ぜひ観てください。色の使い方、シンクロのさせ方、違和感の与え方、流線の加え方。あらゆる面で勉強になります。
 すんごいいい展覧会だった。
 ウォーホールが現在も生きていたら、どんなデジタル・アートを観せてくれたのだろうか。
 そうそう、展内でナンパしてる白人男性がいた。作品の中に書いてある英語を訳して読み上げることで女の子に近づいて・・・。こんなところでやるなよな。


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DREAMS COME TRUE
「DCTgarden.com Off-Site Meeting 2001」
 を観る(01.1.18
)

 ドリのライブを観てきたのだ。何年ぶりかなぁ。過去に一度観たことがあり、今回が2度目。
 一人一枚限定のインターネット限定による抽選販売。思い切った販売法をするもんだと、発売前から驚かされてばかり。チケットを見ると特別協賛はVISA。インターネットによる申し込みの際、決済方法をVISAカードにしたのがGETのカギだったかも。
 前座というわけではないけれど、ドリカムオーディションからスタート。審査員と称してメンバーがそれぞれのキャラ(オホーツクボーイ、ファンピー)で登場すると会場は大盛り上がりで、オーディションを受けた娘がちょっと可哀想だった。キャラが強すぎて面白かったぞ。ポンタさんだけ渋くてかっこよかった。
 そしていよいよアカペラで始まる本編。舞台にはドラムセットとキーボード、ベース、コンピュータープログラム用機材だけのシンプルな作りで、総勢6名のステージ。通常のツアーと違ったラフな感じを醸すべく、吉田美和曰く「ゆる〜いステージ、レアな選曲」が繰り広げられる。MCも通常よりもたっぷりで、美和ちゃんと同じ道産子のぼくとしては懐かしさ溢れる言葉使いにホロリ。
 ゆるゆると言いながらも遊び心満載のステージで、素顔のファンピーやモンキーガール同好会なんて遊びを見せたり、DCTワールドとポンタレーベルのJAZZを融合させて聴かせたり。遊びと称した実力振りを存分に発揮。みせつけてくれます。
 サポートメンバーも強力。ドラムは日本一のドラマー・村上ポンタ秀一。大学の頃ナマで観て感動した骨太ドラマーがドリの、しかもシンプルなステージで美和ちゃんのボーカルと共存している。ポンタの叩く音の張りが上手くヴォーカルに絡んでいる。やっぱり日本一のドラマーだ。
 コーラスはもちろん浦島りん。もうコーラスと呼んではいけないのかもしれない。それにしてもやせたよなぁ。初めて見たのが'92年の久保田利伸のライブで、その頃はダイナマイトボディが売りだったのに。
 さらにゆるゆると言いながらもきっちり飛ばしてあおって沸かせてくれるところは、さすがドリといったところ。どんなコンセプトでもしっかり観せて聴かせてノらせてくれる。
 今回はあまり予習をしないで参加したので、思わぬレアな選曲にタイトルの浮かばない曲が結構あった。きちんと復習しておかなくちゃ。
 大雪の新潟に流れる「Winter Song」はなんともメローな味わいでした。
 それにしても昨年末からサザン・久保田・ドリと豪華ラインアップだなぁ。


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「金髪の草原」を観る(01.1.16)

 大島弓子原作の映画「金髪の草原」を観た。少女漫画界の大御所・大島弓子先生。残念ながらぼくは先生の作品を読んだことがない。でも、先生の作品を原作とする映画は過去に観たことがある。「四月怪談」。当時大学生だったぼくが、ちょっぴりセンチな男の子になった記憶がある。
 今回の「金髪の草原」は自分を20歳だと思い込んでいる80歳の痴呆の老人と、若いホームヘルパーのお話。ホームヘルパー・なりすを若い頃あこがれたマドンナと信じ、純粋な気持ちをぶつける老人・日暮里。その純粋さがとてつもなくいじらしい。夢(痴呆)の世界を満喫する日暮里と、現実に空虚感を憶えるなりす。二人の距離感の変化が観ていて面白い。
 たった一週間の物語なんだけど、60年分の重みのある一週間。
 なりすと日暮里だけでなく、お隣のお嬢ちゃんの変化もみものです。
 さすがに三十路にもなると人生経験が邪魔をしてセンチな男の子には戻れなかったけど、ナイーブな青年くらいには戻れたかな。
 ぼくが将来痴呆症となったら、ぼくはいったいぼくがいくつのときの世界を夢見るのだろうか・・・。


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久保田利伸コンサートツアー
「NOTHING BUT AS ONE」を観る(01.1.13)

 21世紀初ライブは久保田利伸だぁ!いや、たいして理由はないんだけど、東京にいた頃はよく観に行ってたのよ、久保田利伸。新潟でも観れるなんて、うれしい!
 東京にいた頃に行っていたのは代々木オリンピックプール。今回の新潟県民会館は当然スケールが小さいため、ステージが凝縮されているように見える。演奏者がみんなぎっしり詰まっていて、なんだか濃密。この雰囲気、いい感じ。
 DJのPLAYから始まるライブ、メンバーが続々と定位置についたところで久保田利伸登場。クリスタルキングの両ボーカリストをたして2で割ったような風貌だったけど、かっこいい。NYで培い、作ってきた曲を歌い上げる。このまま新譜でおすのかと思った3曲目、あいさつをメロディに載せた後歌い上げられたのは「Indigo Waltz」。それもNYテイストをいっぱい漂わせての熱唱に、思わず身震いがする。過去の全てを忘れて新たにNYへ挑んだのではなく、NYで身につけたものをフィードバックしてぼくらに聴かせてくれる。ぼくらはグルーヴしながらも、ただただ聴きほれるばかり。
 名曲「Missing」はもちろんのこと、「流星のサドル」「You were mine」等々以前なら疾走感たっぷりで、聴衆をあおってきた曲たちも、単品やメドレーで新譜に織り交ぜられて、どれもが違和感なく耳に入ってくる。当然「LA・LA・LA LOVE SONG」も。心地良いグルーヴでぼくらを包んでくれる。「ポリリズム」の壮大な感じは島国日本で収まりきらなかった久保田利伸を如実にあらわしているかのよう。各大陸からメンバーを集っているところなんかも。
 アンコールでは「TAWAWAヒットパレード」に載せて「北風と太陽」「TIMEシャワーに射たれて」「Oh,What A Night!」をメドレーで。踊らされちゃいました。オーラスは「Cymbals」。最後に「また来るね」と言って去った彼は最高にかっこよかったのだ。
 個人的には「TIMEシャワーに射たれて」を全部聴きたかった。あと「永遠の翼」も。ぼくの中で久保田利伸はやっぱりこの2曲だから。でも、久保田利伸の「いま」を感じることができた楽しいライブだった。
 ぼくの斜め前に還暦を過ぎたおばさんがいたんだけど、すごいノリだった。追っかけをしているそうで、全身をツアーGoodsでかため、ダンサーやコーラスの振りを忠実になぞっている。完全に会場をリードしていた。でも、テンポがちょっとずれてるんだよね。
 そんな年代にまでブラックミュージックを浸透させた久保田利伸の功績は計り知れないものがあるよね。


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「頭文字D」を観る(01.1.11)

 しげの秀一ものって、バリ伝の秀吉が死んで以来、ほんとお久し振り。秀吉の死は泣けたなぁ・・・。で、何故にそんなにお久し振りなのに今回「頭文字D」を観に行くことになったかというと、試写会に当たったから。
 試写会会場には子供から大人まで、幅広い年齢層の当選者が来場していた。いかにも車好きという人もいればアニメ好きという人もいて、とらえどころがなかったりして。
 オープニングから峠を走る車内からの映像。CG映像なのでちょっとGAMEっぽいけれど、臨場感と迫力はすごくって、とても楽しめる。ちょっと車酔いしたような感覚まで感じられる。
 映画は主人公・拓海が車に恋に成長していく過程を描いている。その中で、いくつかのバトル(レース)が織り込まれている。正直言って、マンガを読んだことのない人にはつらい映画。原作は現在単行本20巻まで連載が進められており、映画はその中ほどを切り抜いたような作り。よって、前後関係がわからないと「因縁のバトル」とか「彼女の心変わり」って言われても全然わからない。予習が足りなかったのは認めるけど、予習が必要な映画というのもいかがなものか。
 とはいえ、アニメにいきなりプレステ2が挿入されたかのような錯覚は伴うものの、バトルシーンは楽しめる。因縁とか何とかはどうでもいいから、純粋にバトルシーンばかりを集めた映画のほうが楽しめたなぁ。いや、そういう映画を観てみたい。
 面白いパーツを持ちながらも身内受けで終わってしまっている残念な映画だった。


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「バーティカル・リミット」を観る(01.1.7)

 山岳アクション巨編、「バーティカル・リミット」を観た。雪山という閉塞感満点の中繰り広げられる救助劇。主人公・ピーターは妹・アニーを無事救助することができるのだろうか。
 確かにハラハラ・ドキドキの連続だ。手に汗握って観入ってしまった。「主人公は死なない」というセオリーすら忘れそうになったぞ。
 成功率の低い救助に名乗りをあげた6人の勇者(ザブキャラ)もそれぞれに味があって楽しかった。娯楽作品としてはとても面白いぞ。
 ただ、冷静に考えるとあの救出作戦はあまりにも危険で無謀。ほんとうの山男なら、勇気を持って救助断念(悪く言うと見殺し)を選ぶべきだよ。そのほうが、天国のパパも納得するって。


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戸梶圭太「ギャングスター・ドライブ」
    を読む(01.1.6)

 立て続けに戸梶圭太を読破してしまった。ストーリー展開にスピード感があるので、自然と読む速度も速くなる。「次はどうなるの?」という期待感も読む速度を速める要因だろう。
 今回は帯にタランティーノの名前が出てくる。戸梶圭太の小説がタランティーノの映画のような流れだと紹介しているのだ。う〜む。ぼくも「溺れる魚」を読んだときそう思った。やはり戸梶圭太もぼくと同様タランティーノにド胆を抜かれた一人なのか。
 今回の作品も犯罪が巻き起こすドタバタ物語。当然、幾重にも重なった構造が物語を複雑化するのだが、場面のスイッチによりるスピード感を出している。おもしろい。
 とはいえ「溺れる魚」よりは比較的すっきりしているので、タランティーノを知らない人には戸梶ワールドの入門編に位置する作品になるかも。
 今回は主人公も明確で、当然感情移入させやすい人物となってはいるけど、脇役も見逃すわけはいかず、キャラクター設定は絶品なのだ。その割に容赦なく・・・ってところは相変わらず。このドライ感が面白い。
 ぜひ、戸梶圭太を試してみて下さい。


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戸梶圭太「溺れる魚」を読む(00.12.31)

 小説を読んだのは数年ぶりのような気がする。
 新潟に転勤して以来、通勤時間がなくなったことと、コンピュータ画面をみつづける毎日のおかげで、活字離れが著しいのだ。新聞、マンが、エッセイは読めるんだけど、小説を読破する精神力に欠けたというか。
 この年末、東京で遊び北海道へ帰省する道すがら、移動時間の暇潰しに久し振りに小説でも読むかと本屋の新刊文庫本コーナーをうろつくこと数往復。
 今回はこれまで読んだことのない日本人作家で連作ものでないことを条件に物色。外国ものは登場人物の名前が覚えられないのよ。つづきものも先を見渡すと読む意志が萎えてしまうし。
 で、今回目にとまったのが「溺れる魚」。帯に2月東映系にて映画化公開の文字があったので、ちょっと躊躇したんだけど、やっぱり面白そうだったので購入する。
 読み始めると進みが早いの。なにより作者と同世代(作者はぼくより1歳下)ということで、流れに感覚として同調できる。スリルをスピード感で表現でき、洒落っ気をふんだんに盛り込んでいる。確固たるヒーローはそこには存在しないものの、誰もが登場人物一人一人に明確な感情(それが好か悪かは個人それぞれとして)を持つことができるであろう。読み手によって誰を主人公にしても構わないような作りは、物語の面白さを倍加していると思う。
 事件と事件が絡み合い点が線になるさま、口元にやつかせながら瞬く間に読めてしまうのよ。
 肩ひじ張らず楽しめる一冊です。
 解説代わりの宍戸錠のエッセイも一読の価値あり。
 そして映画。ケイゾクの堤幸彦を監督に、設定にも手を加え洒落っ気倍増で仕上げられているとのこと。今から楽しみなのだ。
 ということで、戯れ言では新たにBOOKコーナーを新設して、読書感想も書いていこうと考えてます。まぁ、日常の生活ではあまり読めないから、旅に出たときなんかがその主体となるだろうけど。


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