artな戯れ言2019


このページではartな戯れ言を集めて掲載しています。


RAKUフェス<夜の部>を観る(19.3.23)

「この中から未来の名人が・・・ガンバレわん丈!」
 正直、ぼくは三遊亭わん丈にめっちゃ肩入れしている。今回落語協会所属の二つ目を集めた落語会があると知った時も、真っ先にわん丈に目が行って。だからわん丈中心の記載になるかもなのは勘弁してね。
 今回出演のうち小辰を除く四人は聞いたことがある噺家さん。そこに小辰を加えても、なんと個性に富んだラインナップだこと。それぞれの特徴は下に記すけど、いろんなタイプの落語が聞けて、とても楽しい会なのだ。
 昼の部と違い、夜の部は艶っぽい噺が連発で、なんかみんな競ってかけてる感じで。となると、トップバッターはちょっとかわいそうだったかも。
 にしてもやっぱわん丈。このメンバーでは一番格下(入門から浅い)になるんだけど、機転の利かせ方が抜群なんだよなぁ。今後も追っかけたくなる噺家です。
『元犬』 柳亭市弥
 イケメン落語家なのに話しぶりは渋いの。師匠・市馬譲りというか。登壇時に座布団の向きを直すなど、落語の所作も教えてくれて。元犬は市弥の色の白さも手伝ってハマってたなぁ。
『短命』 春風亭一蔵
 こちらは元トラックドライバーで元気いっぱいの語り口。あまり優秀じゃない高校出身というマクラはとぼけた八っさんへのフリなのか。ハキハキとした語り口で勢いある落語です。
『夢の酒』 入船亭小辰
 こちらは師匠・扇辰譲りの落ち着き。なんというか、けれんみのある話し方なんだよね。生粋の江戸っ子って感じの。
『紙入れ』 三遊亭わん丈
 なんと、この噺は古今亭菊之丞から教えてもらったんだとか。確かに圓丈はやらないよね。ぼく、菊之丞のの『紙入れ』も聞いているので、なんか感慨深くって。そう考えると、噺家さんは必ずしも師匠にネタを教えてもらっているわけではないから、どの噺を誰に教えてもらったか、興味深いよね。で、菊之丞の「紙入れ」をさらに自分のものに消化してかけてるのが伝わってくる。特にわん丈考案・羽織を用いた掛け布団の所作はおおーって。マクラで市弥を褒め、ネタに一蔵や「夢の酒」を散りばめ、スポンサーである農協もPR。この機転の利き方もすごいけど、なにより噺が面白い。たまらないです。
『幾代餅』 柳家小太郎
 終演後、記念撮影に応じる小太郎は猫ひろしみたいなんだけど、高座ではその感じは抑えながらも味を出してます。さん喬の演じ分けとはひと味違う語り口で、安心感ある面白さでした。


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六本木歌舞伎 第三弾 「羅生門」を観る(19.3.21)

「歌舞伎の裾野を広げる試みがここにも」
「羅生門の脚本、宮藤官九郎だよ」
 当初観に行くつもりではなかったんだけど、そんな情報を飲んでる時に聞いて。そうだったっけ?もしそうなら…ってことでチケットを買ったんだけど、完全に出遅れてしまい3階席の右ブロックに。で、脚本は官九郎じゃないって後でわかって・・・まぁ楽しみましょう。
 でも、ここの席だと正直役者の顔がよくわからない。だからオープニングの立ち回りも誰が誰だかさっぱり。てっきり海老蔵と三宅健がやってるのかと思ってた。で、舞台が羅生門にかわって三宅健登場。なんたって声がね、特徴的だからすぐわかるやね。となると海老蔵はどこだ?おっ、不審者乱入?えっ?あれっ?
 歌舞伎を身近に知ってもらいたいという企画のもので製作されただけに、すごくフランクな三池崇演出。ブログ更新感覚の海老蔵といじられキャラの三宅健のダメ出しコーナーなど、とっつきやすさ満載で。もちろん歌舞伎の様式美も鹿と観ることができまして。
 そしてラストの美しさたるや。もう、言葉につまってしまって。正直、お話しとしてはどうかなってところがあるんだけど、日本に脈々と伝わる伝統文化の凄みを味うことができました。
 三宅健のキムタクと海老蔵の子どもはちょっとずるいけどね。いいもん観れました。


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白石一郎「海狼伝」を読む(19.3.17)

「海賊王に笛太郎はなれるのかな?」
 読む小説が偏る。そりゃ好みってもんがあって、ジャンルとか雰囲気的に偏るのは仕方ないと思うけど、作家が偏ったりシリーズものを追うばかりも困ったもんで。そんな時、ネットの記事だったかな、黒木華がおすすめの小説を紹介してたんだよね。それが本書『海狼伝』。華ちゃんが面白いって言ってるんだぜ。読んでみなくっちゃさ。
 30年以上前の直木賞受賞作。まだ『ワンピース』も『パイレーツオブカリビアン』も生まれる前の海洋活劇。対馬の若者・笛太郎が明国の血をひく雷三郎と朝鮮帰りの海賊団から瀬戸内海で名を馳せる村上海賊衆に加わり、海を駆ける物語青春記。殺伐とした場面あり、淡い恋心あり、夢がある冒険記となっている。かといって、すべてが架空の物語ではなく、戦国時代の史実も絡み、物語に深みが加わっていて。
 村上海賊といえば『村上海賊の娘』が記憶に新しいけど、まさにその時代。信長に対立し籠城を続ける本願寺勢に食料や武器を届けるくだりはまさに両作品ともにひとつのヤマ場。でも、同じ戦いでも視点が違う。『村上海賊の娘』が戦に向いているのにたいし、本書は海賊でありながらも商いに向いている。あの時代、あの状況の海賊でそこに目を光らせるとは。笛太郎と雷三郎が村上海賊衆で仕えることになる小金吾のキャラが立ってるんだよね。大海に出て自由に商いをしたいと願う小金吾が。この存在がなければ、この物語も進まないんだけど。
 風読み、舵取りに長けた笛太郎、武道に通じ無双の雷三郎、船頭で商いに秀でた小金吾。彼らの船出と切り開く世界が楽しくてたまらない。
 この物語には続きがあるそうで。冒頭に書いたけど、シリーズ物は…読むでしょう。


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「劇場版シティーハンター 新宿プライベート・アイズ」を観る(19.3.15)

「鑑賞後はもちろん『Get Wild』まつりなのです」
 新宿の街をかけるミニ。「Angel Night?天使のいる場所?」が流れると、すぐにあの世界観に陥ってしまう。学生の頃に夢中だった『シティーハンター』。ぼくの中ではルパン三世、ジャック・スパロウと同系列の格好いい男が冴羽?なのだ。もっこりしたっていいじゃないか。ハンマーで殴られたっていいじゃないか。やるときはやる、それが男なんだから。
 掲示板に書き込まれたXYZ。新宿ですすむ不穏な動き。あの頃のシティーハンターとは違う、電脳・ネットが脅かす脅威に、冴羽?はどう立ち向かうのか。
 テイストはあの頃のまま。エロさはちょっと増してはいないか?それでもやっぱ観てて楽しい。大学生の頃を思い出す。あの頃はミニに乗りたかったんだよなぁ。
 2019年の新宿が舞台。90年代じゃなく今が舞台という設定での劇場版というのがなんだかうれしい。だって、コミック上では2000年にはもう…。パラレルワールドとしてもなんでも、?と香が新宿を守る姿はずっとそのままであり続けて欲しいよね。
 エンディングはもう懐かしさと思い入れがいっぱい詰まっていて。やっぱりEpisode-05はホロリときちゃう。
 そして夜通しでもっこりまつり…ではなくて、「Get Wild」まつりなのでした。


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TBSラジオ『神田松之丞 問わず語りの松之丞』Presents「銀幕の松之丞2019」LVを観る(19.3.11)

「毒舌?それともぐだ噺?松之丞の面白さは難しい」
 松之丞の講談をライブビューイングで聴ける。ただそれだけの情報で札幌会場のチケットを入手し、参戦。彼が関東ローカルで持っているラジオ番組のイベントと知ったのは会が始まってからだった。もちろんラジオは聞いたことがない。
 ゆえに戸惑った。独演会などで辛口発言したりもするけど、誰かを攻撃するような発言はあまりないから。あぁ、こういうキャラなんだ…って。もちろんそれを批判する気はないんだけど、しっくりこないんだよなぁ。ナイツ・土屋とのバトルもラジオ聞いてないからわからないし、バナナマン・日村とのくだり(あとでWebで確認)も毒舌というよりはただのおっちょこちょいにしか見えず。そしてラジオの枠から出る話もなく(ラジオのイベントだからそれはよいのか)。ただ、内輪受けに終始してたのは、せっかくのライブビューイングなのに…って。
 きっと正直な人なんだろうね。そんで不器用で。だから不用意な発言になったり、上手く伝わらなかったりするのかな。講談はビシバシ伝わってくるけど。
 これまで知らなかった松之丞の一面を観ることができた。またやってほしいものだ…エンターテインメントとして。
『?』 ナイツ(漫才)
 テレビ以外でナイツの漫才を聞くのはこれが初めて。いやいや、毒がてんこ盛り。それはもう放送できないでしょ、このご時世では。特に盗聴器のくだりなんか。そんな一面を見れたのが大収穫なのだ。
『トークショー』 ナイツ、神田松之丞
 ナイツ・土屋と神田松之丞の抗争について…まぁ大した問題ではなく、お互いのラジオで面白おかしく掛け合いをしてるというとこなんだろうなぁ。二人をひいて見ている塙がすごく常識人でこれまた驚き。
『血煙高田の馬場』 坂本頼光(活弁)
 活動弁士というのもテレビでしか知らなかった。実際に観てみるとその伝える情報量が多くって。ただ話すだけでなく、映像に合わせて話さなければならないすごさ。このお話しは松之丞の講談『安兵衛駆け付け』として聞いてもいたので、それと比較するのも面白かった。
『赤穂義士銘々伝 神崎の詫び証文』 神田松之丞(講談)
 こちらは2度目の鑑賞。やっぱり松之丞演じる牛五郎の憎たらしさ、健気さがたまらない。最初はむかつくんだけどさ。もしかして、これが松之丞の素の顔なのか?


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「道新寄席 立川談春 独演会」を観る(19.3.9)

「そりゃもう喋りたくなるでしょう、こっちも聞きたくなるし」
 もはや個性派俳優の地位を確立したといってもよさそうな立川談春。映画にドラマに出てるよね。で、久しぶりの札幌での落語会。もう最初っから喋りたくってしょうがないって感じで。『下町ロケット』のこと、『Team NACS』のことを。そりゃもう食いつきはいいよね。視聴率よかったし、談春ファンが集まってるんだし、ご当地俳優出てたし。もうぼくだって耳がダンボさ。でもね、書けないんだよ。いろいろあってさ。オトナの対応として。
 もちろん落語の方は安定の上手さと面白さ。三本締め予告からの話の長さにはちょっと…だったけど、それだけ話したいことがいっぱいあったのね。そう思わせる地・北海道でよかったです。
『野ざらし』 談春
 釣りの話といえば…とのことで。釣りというよりは男のアホな生態の噺って感じがしちゃう。それが同感できちゃうから、ぼくも八五郎なんだろうね。
『下町ロケット撮影秘話』 談春
 下町ロケット、七つの会議、原田知世と共演した映画など、個性派役者としてした仕事のこぼれ話がどっさりと。ぼくは談春と同学年なので、やっぱり原田知世と言ったら上がるよね。。
『お若伊之助』 談春
 今ではほとんどだれもやらない、談春曰く「本当の意味での人情噺」なんだそうで。笑いどころは少ないと言いながらも、初五郎が駆け回る様はやっぱ面白い。その熱演が見所です。ちなみに6年前にも談春やってたよ


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星屑の会「星屑の町〜完結篇」を観る(19.3.6)

「歳をとると素直になれないんだよね、本当の気持ちに」
 小宮孝康、ラサール石井、太平サブローが中心となって結成された星屑の会。今作は地方回りの売れないムード歌謡コーラスグループ「山田修とハローナイツ」の悲哀を描く人気シリーズの第7弾にして完結篇。まぁこのシリーズ一度も観たことないんだけど、なにせ出演者が魅力的で。渡辺哲、でんでん、有薗芳記、菅原大吉。『アウトレイジ』には出ていないし、大杉漣とシェアハウスに住んでいなかったけど、なくてはならないバイプレイヤーたち。どちらかというとぼくよりの。さらにマドンナ戸田恵子。
 そして作・演出の水谷龍二。彼の書く人情劇は本当に心に染みるんだよなぁ。地道に生きてる人たちの何気ない感情がひしひしと伝わってきて。それがこの出演者たちにマッチしてさ。
 舞台は函館の閉館したキャバレー。取り壊し前の最期のショーに呼ばれ、十数年ぶりに集合する山田修とハローナイツ。でも、一人足りない・・・。
 アラ60になり、暮らしも考え方も変わったメンバーたちの悲喜こもごも。それぞれに見栄もあれば意地もある。だからかたくなにもなるし、情に脆くもなる。そんなこんなに近づいている自分に置き換えながら観てしまうんだよなぁ。
 横山やすしを知らない世代が増え、あまつさえサブロー・シローも知らない世代が増え、「めがね、めがね」が通用しなくなりつつあるものの、ラサール石井と太平サブローの漫才は絶品だったなぁ。


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竹原ピストル「one for the show 2019」を観る(19.3.4)

「ミジンコくらいにちいさくなれないけど、今のぼくにはないものばかりだけど」
 二日続けて心をえぐられた。すごいシンプルなのに、えらくがっつりと。今日の竹原ピストルはギター&ボーカル、ベース、ドラムの3ピース。広いわくわくホリデーホールのステージにぎゅっと固まって。その固まりから放たれる音の響き、声の唸りが直接耳に、心に突き刺さってくる。なにせ最前列だったし。
 うっとりするような美声じゃないけど、澄んだ音色のギターじゃないけど、確実に響いてきて、突き刺さって、えぐられる。その言葉は聴き取れないところがあったとしても、そんな些細なことなどおかまいなしに真正面からぶつかってくる。
 陽気なおっさんが願う思い。みんなの健康と幸せを祈る気持ち。やるせなさを励ますエール。そのすべてを全身で受け止め、負けないように飛ばされないように地に足をつけ踏みしめる。そして思う。「ホンモノぶっ倒す、極上のバッタモン」でありたいと。
 なんか同じようなことしか書いていない。でもそれがすべての最高の夜だった。
 竹原ピストル初体験が一番前でよかった。だって、ぼくの涙は竹原ピストルにしか見えないから。


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日食なつこ「Sing well Tour」を観る(19.3.3)

「日食なつこにとっての Sing well を身体で感じるLiveです」
 日食なつこのLiveには中毒性がある。ピアノとドラムだけで繰り広げられるとてもシンプルな響きと、心を刺す歌声。ピアノも歌声も打楽器なんだって感じさせてくれる。そして心をえぐられる。「Sing well」。まさに彼女の言葉のごとく。
 Newアルバム『永久凍土』を引っ提げての今回のツアー。ピアノ弾き語りで始まり、ドラム・komakiが加わっての2ピースへ。どちらも味わい深く、疾走感満点で。日食なつこだけでなく、ピアノもドラムも歌ってる。それがすごく心地よい。
 昨年に続き、彼女曰く「カラオケ」感覚のカバーは今年も健在で。それこそ「ヒットを記録したっていうサビさえ知らない歌謡曲」なんだろうけど。
 あんなふうに伝える術と力があったらどんなに楽しいか。伝えられる身ですら楽しいんだもん。この響きをもっとダイレクトに感じる方法はないかなぁ。kitaraの小ホールでやってくれたら、また違う味わいのLiveになるのかも。聴いてみたいなぁ。
 あっ、あの上から目線のMCもクセになる要素のひとつかも。


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artな戯れ言LIVE

「THE GUILTY ギルティ」を観る(19.3.1)

「息が詰まるほど釘付けになった…デンマーク発の落語的サスペンス」
 とにかくすごかった。見逃がせない…いや、聞き逃せないんだ。だって、舞台は警察の緊急通報指令室のみ。画面に映る登場人物はわけあって現場を外された刑事・アスカーとその同僚だけなのだ。あとはアスカーの電話の向こう側。声だけしかわからない。そこで繰り広げられる超絶サスペンスなのだ。
 疾走する車からかかる女性の緊急通報。誘拐?状況を把握すべく、携帯No.から身元を割り出し、ことの全容の推測〜解決を目指すアスカー。頼りは声だけ。関係者の声を紡いで事件の真相に迫る。
 声と音だけなのだ。あとはアスカーの焦燥と怒り。電話の向こうの出来事は、声と音からぼくらが想像しなくてはならない。これってまるで落語のようだよね。観る者(聞く者)の技量が試される部分が大きくて。だから必死に映画に食らいつく。息が詰まるほど見つめ、耳を立て、映像を思い浮かべる。その映像が鮮明になればなるほど・・・。
 まったくすごい映画だった。ぼくらみんなアスカーの気持ちとシンクロしていただけに、なおさら。お見事としか言いようのない面白さだった。
 これ、落語にできそうだよ…相当腕のある噺家が必要だけど。これを応用した新作も作られるんじゃないかな。そんなことも思わせる、いい作品でした。


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第2回札幌福北寄席を観る(19.2.27)

「正統と異端、清濁併せて楽しむ福北寄席」
 手作り感満載の札幌福北寄席も今回が2回目。今回も二つ目さんの競演・・・と言いながらも、小痴楽は真打昇進が決まったからなぁ。おめでとうございます。
 そんな乗りに乗ってる古典の使い手・小痴楽とガチンコ競演するのは、古典も新作も独自の斜め目線で喋り倒す昇々。成金メンバーで各二席です。
 福北寄席の会場である時計台ホールの特徴といえば、定時に鐘が鳴ること。ゆえに20時の鐘が鳴るときは仲入りでなければならず、21時の鐘が鳴る前に終わらねばならない。前回は惜しくも仲入り間に合わず鐘の音を聞いたけど、今回はなんとバッチリ。19:58に仲入りに。プロの対応だったのです。さすが。
 味わいが大きく違う二人なので、それだけで落語の懐の深さが感じられるというか。成金はメンバーの誰かが真打に昇進した時点で解散ってことなので、小痴楽と松之丞の昇進で解散となるんだろうけど、まだまだみんなで切磋琢磨して欲しいよなぁ。
『お面接』 春風亭昇々
 小学校入試の面接を控えた母子の練習から本番を面白おかしく描いた新作。よく見せたいと思うのはどこの親でも一緒なのかな。期待に応えるべく奮闘する子どもの健気さに心地よい笑い。
『磯の鮑』 柳亭小痴楽
 初めて吉原へ行く与太郎の教えリピート噺。これはぼくの受け取り方なのかもしれないけど、小痴楽の話しっぷりがすごく堂に入っていて。それまではそんなに思わなかったのに。これも真打昇進効果?小痴楽に作用したのか、ぼくの意識に作用したのかはわからないけど。
『粗忽長屋』 柳亭小痴楽
 落語といえば・・・ってほどの噺なんだけど、いまどきの感覚がふんだんに盛り込まれていた。それは言葉としてではなく、間や仕草として。二度見、聞きなおしがふんだんに使われていて、熊さん八さんの突拍子もなさをうまく引き出していて。「行き倒れ芸」にも笑わされた。
『湯屋番』 春風亭昇々
 とにかくマクラがずるい。昇々のお母さんネタなんだけど、爆笑連発。このまま落語やらずに終わるんじゃないかと思わせるくらい。で、噺に入った後の若旦那の中二病ぶりが昇々そのものなの。番台で妄想ってどんだけ男の子の夢だよ。でもこれ古典なんだよね。

ボケちゃった…


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TEAM NACS SOLO PROJECT 戸次重幸「MONSTER MATES」を観る(19.2.22)

「恐怖心を植え付けるすべはひとつじゃないので・・・」
 
 毎回ソロプロジェクトではやりたい放題ってイメージの戸次重幸。ゆえに正直ハズレも多い。だから今回もそんなに期待せず観に行った・・・と書くと失礼か。でも、ホントそうなんだもん。
 今回のテーマは不老不死。マンションの最上階に集まった五人の男たちが、不老不死という言葉に疑心暗鬼になり、争う様を描いてます。マンションの住人である精神科医と同居する同級生、元患者で同じマンションに住む魚屋が夕食の支度をしているところに、男が乱入するところから事態が動いていく。
 なんだろう。冷静に考えると脚本は面白かった。でも、終始あれれ?って感じなんだよね。とにかく威嚇の応酬がやかましくて、入ってこない。いろんな意味で恐怖を植え付けることが伏線なんだけど、それが全員単調すぎて、うるさいとしか思えない。まるで『アウトレイジ』みたい…観てないけど。もっと違う表現ってなかったのかな、本当の怖いを醸し出すための。だから最後まで観たらよくできた脚本だったと思うけど、観ているときは「なんだかな」ってなっちゃう。もったいない。あっ、戸次重幸も出演した『趣味の部屋』と被らないように意識したのかな・・・。
 しかし、こんな豪華な出演者が戸次重幸作・演出のカンパニーに集まるようになったんだね。北海道を引っ張って行ってくれ、北海道に帰ってきてくれるNACSメンバーたちには感謝です。
 違うアプローチ、違う演出でもう一度この芝居を観てみたいな。


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「女王陛下のお気に入り」を観る(19.2.16)

「どこまで上に辿り着いたらその欲望はおさまるのか?」
 没落した旧家の娘・アビゲイルはアン女王の信頼厚く今や政治をも牛耳る従姉・サラを頼って宮廷に入り、着々とアン女王の信頼を得ていく。そして、サラの地位を奪おうと・・・。
 幼馴染でもあるアン女王とサラに割って入るためのアビゲイルの行動たるや、なんともすごい。与党議員を駒にするサラに対し、野党議員を手玉にとり、アン女王とサラの禁断の関係にも身体を張る。今よりも幸せになりたい。その欲望はいったいどこまで続くのか。そこに果てがない限り、待っているのは・・・。
 アン女王、サラ、アビゲイルそれぞれに闇があり、それぞれが光を求めているんだけど、本来一番明るい場所にいるはずのアン女王が一番ディープのような気が。明暗の落差が大きいだけに。だって、女性の痛風ってかなりだぜ。同じツーファーとしては。
 正直面白いと声を大にして言える映画じゃなかったけど(ははは)、なんか残る映画でした。
 『ララランド』でも思ったけど、エマ・ストーンって映画の入りはぶさいくに見えるのに、話が進むにつれどんどんキレイに見えてくるんだよね。不思議な女優さんだこと。


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「メリー・ポピンズ リターンズ」を観る(19.2.15)

「毎日の隙間に楽しみがあるのよ 想像できる!」
 やっぱぼくはメリー・ポピンズの子どもです。彼女がいざなう素敵な世界の虜になってはや47年。いまでも心の支えになっていて。そんな彼女を、そんな彼女の新しい物語を、50過ぎて観ることができるだなんて。もううれしくってたまらない。だから今とても興奮しているので。だからネタバレも書いてしまう…。まだ観てない人はお気を付けください。
 ジェーンとマイケルの家庭教師として姉弟に夢を与え、バンクス一家に微笑みを取り戻してから20年。世界恐慌のあおりを食い、家を手放さざるをえなくなったマイケル一家を救うべく(?)メリー・ポピンズがふたたび地上に舞い降りた。
 登場からもう涙が出そうで。あのメリー・ポピンズが帰ってきたって。ぼくの前に戻ってきてくれたって。またあのめくるめく楽しさが目の前で繰り広げられるんだって。そんで繰り広げられるんだもん、なんと素敵な。ミュージカルシーンのワクワク感、圧巻さ、アニメとの融合感。もうたまりません。
 もうね、5歳児に戻ってるんだよね、ぼく。夢の世界への扉が開いてさ。そのくせ51歳のすねた目も併せ持っていて。だからマイケルの気持ちも、その子供ジョン、アナベル、ジョージの気持ちもわかるんだよね。だから楽しみながらもオトナの目で見ている部分もあって。で、一番思ったのが思わせぶりなオマージュの空振り。暖炉に紙を放り投げたら思うでしょ、『メリー・ポピンズ』観た人は。そして2ペンスの優しい嘘。スカされ、じらされ、楽しまされ。やっぱ童心に帰ってるんだよね。
 それだけに、20年前のメリー・ポピンズとの日々を思い出したジェーンとマイケルに言って欲しかったな、あの楽しい言葉、「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス !」を。
 ぼくのささくれたった心を上向きにしてくれる、最高の映画です。


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石田衣良「カンタ」を読む(19.2.13)

「信じあえること、それだけで強くいきたいと願う二人の物語」
 2度予想がハズレた。1度目は購入時。若き実業家と少年との心温まる起業物語かと思ったが、ともに母子家庭に育つ優秀な子・耀司と発達障害の子・カンタの成長物語だった・・・。その頃はまだ発達障害についてうまく理解ができてなかったので4年半寝かして読み始めたら、ただの成長物語ではなく、途中からかつて世間をにぎわせたニュースのまんまの展開が。いやいや、そんなの思ってもみなかった展開だったので、読んでて唖然としてしまった。やられた〜って。
 団地の中の公園にあるロケットのすべり台。そこが始まりで、それが目標の物語。障害があるから、母子家庭だから。二人にかかる過酷な試練に、束の間の幸せと大波に、心が苦しくなりながらも読むのが止まらない。
 あれ?これって一時期世間を賑わせたあの人の自伝じゃないよね…って、あの一連の行動にこんなウラがあったの?って思ってしまったけど、あくまでこれはフィクションです。なのに最後の最後、文庫本の解説をあの人が執筆するなんて。何度ぼくを驚かせ、裏切ればいいんだ、石田衣良。
 大切な人を傷つけられたことで優しさを失い、大切な人を傷つけられたことで優しさを取り戻す。大切な人を守るために大切なものを捨てる。すべての子どもたちがそんな風に思い詰めることのない世の中になればいいのに…と、漠然だけど考えてしまう。


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劇団千年王國「贋作者」を観る(19.2.6)

「混沌の時代に飲まれる二つの才能の物語」
 またもや札幌演劇シーズン2019-冬に参加です。今回は劇団千年王國の「贋作者」。2002年に初演。2009年の再演時にTGR2009 札幌劇場祭大賞を受賞したんだとか。満を持しての再演でしょうか。
 明治維新から間もない東京。狩野派宗家の血を引きながらもそれを嫌い、贋作者として気ままに生きる贋次郎と仲間たち。贋次郎を気に掛ける宗家を継いだ兄・清一郎と血のつながらない母を嫌い、やみくもに西洋文化に傾倒する日本をあざ笑うかのように贋作を描き続ける。でも、楽しい時には終わりが訪れ・・・その先に贋次郎が見たものは?
 武士の時代から散切り頭へ、文明開化真っ盛りの時代に翻弄される者たちの物語。ごった煮の時代の猥雑さがすごく表現されていて、もちろんその時代を体現したわけじゃないのでよくわからkないんだけどそうなんだと納得できて。その説得力に長けてるなって。で、そこをすごく上手く使った物語だなって。
 惜しむらくは贋作チームの掛け合いのところ。威勢のよさを早口で表現しようとしたのか、かつての野田秀樹へのオマージュなのか。如何せん、セリフがよく聞き取れない。もう少し言葉を大切に演じてくれたらよかったのになぁ。
 またこの作・演出家のお芝居、観てみたいよな。面白かったです。


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yhs 40th PLAY 「白浪っ!」を観る(19.2.3)

「地元の劇団も面白いです。和装モダンの義賊劇。」
 札幌はすっかり落語が定着し、演劇公演を観る機会が減ったなぁ・・・と思ってたが、地元劇団の公演は定期的に行われているんだよね、ぼくが注視していなかっただけで。ということで、札幌演劇シーズン2019-冬の作品のひとつ、yhs 40th PLAY 「白浪っ!」を観た。
 江戸幕府の統治が続く2019年に活躍する義賊の物語。歌舞伎「白浪五人男」に発想を得て作られた作品で、TGR2017 札幌劇場祭大賞を受賞したんだとか。
 まず和装モダンとでもいうべき衣装がいい感じ。なるほど現代まで続く江戸時代。そして盗賊団の一人・弁天の死から始まる展開が早くて面白い。舞台美術がシンプルなのもいいよね。あとは観る者の想像に委ねて。
 いつも思うんだけど、小劇団って小劇団らしさを貫くのと娯楽商業的演劇に昇華するの葛藤にあるのかと思う。本作もエンターテインメントに徹することもできただろうし、それにふさわしい物語だったと思う。でも、観てる側に「考えろ」と言わんがばかりのシーンを用意してくる。小劇団の存在意義を示すかのように。どちらが楽しいか、どちらが正解かはわからない。深みを与えるか、難解と思わせるか。それらを含め、挑戦なんだろうね。劇団☆新感線の後追いするわけにもいかないだろうし。
 満席の会場で、札幌の演劇シーンが盛り上がっているのを実感しました。


エスニック
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「バジュランギおじさんと、小さな迷子」を観る(19.2.2)

「国を隔てる柵をもってしても、人の心は隔てられない」
 最初に書いておきます。ボロ泣きです。大号泣。大いに笑った後に感動の大波が押し寄せてくる。このギャップにやられてしまう。いや、そんなギャップがなくたって泣いてしまう。
 言葉が不自由な女の子が母親とはぐれてしまい、インドで出会ったのがバジュランギ。不器用ながらも真っ直ぐな彼から離れない少女。少女の両親捜しを始めるバジュランギだが、少女が隣国パキスタン出身だと知り・・・。
 インドとパキスタン、元はひとつの国で言葉も文化も近いはずなのに、いまや両国は緊迫した関係。ビザの発行すらままならぬ彼の国に、バジュランギは少女を送り届けることができるのか?
 バジュランギの生い立ちから生活を綴る歌あり踊りありの楽しい前半、少女を連れてパキスタンに密入国するロードムービー風の後半。全編に流れる優しさが心に染みる。国として分かり合えなくとも、人として分かり合える。人の思いが民衆の心を動かす。たった一人の名もなき男の優しさと勇気が、言葉ではなく心で紡いだ少女との絆が、冷たい関係の両国の民意を動かす。
 インド映画を観るたびに、昭和40〜50年代の日本がよぎる。古臭いというのではなく、当時の日本人が持ち合わせていた心がそこに息づいているような気がして。山田洋二監督のハナ肇シリーズや寅さん、黄色いハンカチにあったような、他人を思いやる優しい心が。
 ぼくもこんな男になりたいと思う。要領のよさで切り抜けることばかり考えず、真正面からぶつかって、心を揺さぶるような男に。まぁ、今からじゃ無理なんだろうけどね。
 胸に染みる、心に染みる、素敵な素敵な映画でした。いつまでも大切にしたい映画がまたひとつ増えたよ。


エスニック
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「ヴィクトリア女王 最期の秘密」を観る(19.2.1)

「きっかけの心情が・・・そのキスの真意とは・・・」
 女王と従事が立ち向かった英国のタブー。差別にあらがい人種や階級を越えた友情。
 と書けば実に聞こえがよく、製作、配給、劇場などこの映画に関わる方々が納得するレビューなのかもしれない。でも、なんか釈然としないんだよね。ぼくの中でストンと腑に落ちないの。だって、明らかに不自然なんだもん。二人の距離の縮め方が。そこには何のためらいもなくグイグイと。
 なぜアブダルはあんなに女王に入れ込んだのか。一見女王がアブダルにと思えるけど、最初のアクションは彼。宴で女王がつまらなそうにしてたから?ハンサムを見込まれたから?それで家族を半ば捨てるような賭けに出ることができるの?
 イギリスとインドの歴史、英国国教会とイスラム教やヒンドゥー教の関係を理解していないので、彼らの根底に流れる感情は計り知れない。嘘をついてまで、ある意味命がけで取り入った理由はなんだったのだろうか。
 そこさえわかれば、それが純真であろうとも邪心であろうとも、あとは素敵な信頼関係を楽しめる映画だったんだけど。


エスニック
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住野よる「青くて痛くて脆い」を読む(19.1.31)

「特別が日常になると幸せが生まれ、その日常を失う時に絶望を感じる」
 また胸が張り裂けるような想いがした。住野よる作品を読むたびにいつも。それこそ昔のぼくの、いや今も続く青くて痛いところを射貫かれるようで。
 他人と関わることを極力避け大学生活を過ごそうとしていた楓の前に現れた秋好さん。理想を前面に出し、楓の心にずかずかと入ってくる秋好さんに戸惑いながらも、二人で秘密結社モアイを作って。でも、秋好さんはもういない・・・。そしてモアイは規模を増し、楓を弾いて別モノになっていた。
 4年生になり、就職も決まった楓は、モアイを取り戻すために立ち上がる。
 特別な出来事が積み重なり日常になったときに幸せって生まれる。でもその日常が失われたときに絶望を感じるんだ。当たり前と思うとありがたみが薄れ、失くした時にありがたさに気づく。そして心の奥でからまわりし続ける。美しいものはいつまでも美しくあり続け。
 わかるんだ、その気持ち。自分を見つめ直す余裕がなく、自分を肯定することでやり過ごそうとする気持ち。まるでぼくなんだ。だから痛いんだ。だからつらいんだ、住野よる作品を読むことは。気づかされるから。ダメな自分を。
 でも、読んだことで前に進める気がしてくる。自分を勇気づけてくれる。だから、胸が張り裂けそうになるのを覚悟で住野よるを読んでしまう。いつまでも青くて痛くて脆いオトナのぼくは。


エスニック
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特撮のDNA−『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』まで−怪獣王、蒲田来襲!を観る(19.1.27)

「怪獣王とともにかつての子どもたちも蒲田来襲!」
 ぼくはそんなにゴジラや特撮にどっぷりハマった方じゃなかったけど、そんなぼくでもゴジラへの尊敬の念と憧れでいっぱいで。ましてやかつての子ども怪獣博士たちにとっては…。最終日ということもあり、会場は大賑わい。ゴジラの第一作からシン・ゴジラまで、実際に使われた造形物や設定がなど、それはそれは貴重なものがたくさん展示されている。フラッシュと動画以外は撮影フリーということで、みんなひとつひとついろんな角度から撮影して。みんな明らかに童心に帰っていて。
 いまでこそCGにより現実をはるかに超える映像が撮影できる世の中だけど、かつての特撮の試行錯誤、それを受け継いだうえでの現在の映像を振り返ると、未知のもの、見えないものに挑んできた先人たちの思いと技につくづく感嘆なのです。
 会場のあちこちで聞こえる怪獣博士たちの博識披露をなんとなく聞きながらの鑑賞は、公式音声ガイドを聞いているみたい。お互いの画角に入らないように気を遣いながらみんなで撮影。生まれた年も場所も育ちも違うかつての子どもたち。ゴジラ、特撮が絆となって集う素敵な展覧会なのです。
 ぼくも写真めちゃくちゃ撮ったけど、一部を以下にご紹介。

やっぱシン・ゴジラはリアルだよなぁ

第5形態のグロさは格別

樋口真嗣監督のかわいいスケッチ。野帳に書いてあるのがうれしい

第2形態、第3形態のかわいさといったら

特に第2形態のエラが・・・ね

ゴジラの設定図、モスラってそんなにデカかったの?

ゴジラの顔の変遷です。まずは第1作から

左は馴染みのゴジラで右はただの恐竜みたい

そしてどんどんいかつくなっていくのです

モスラ〜や、モスラ〜

メカゴジラも時代に合わせメカが強くなっていく

ゾーンファイター、完全にやられてます

ゴジラとモスラをバックに・・・ぼく


エスニック
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恩田陸「蜜蜂と遠雷」を読む(19.1.27)

「情景か…凡人は記憶をたどるだけなんだけど…」
 日本のとある都市が開催する国際ピアノコンクール。世界から集まるコンテスタントと審査員たち。前日譚として語られるオーディションと二週間に渡るコンクールを、彼らの目線で描いていく物語。直木賞と本屋大賞をW受賞したという、著者渾身、文句なしの最高傑作!(本の帯より)
 4人のコンテスタントを軸に、彼らのバックボーンから演奏から感情までを、時には本人目線で、時には他人目線で。だから必ずしも他人目線が正解かどうかはわからない。でも、極め人たちには相通じる言語があり、同じ情景を見ることができるようだ。音、音楽という共通言語で。
 音楽モノを文章やマンガで描くのは難しいとはよく聞く。だって、音は正確に文章にはできないから。クラッシックの場合、ショパンの一番と書けばスタンダードゆえイメージは得られやすいのかもしれないけど、それでも各個人が奏でる音は千差万別だから。それを本作では感情と情景で描き切る。それも視点を複数にすることで、より幅を広げているというか。音を聴いて思い浮かぶのって、ぼくはせいぜいぼくの記憶を呼び起こす程度。奏者の描く絵なんて見えやしない。凡人だから仕方ないんだけどね。
 そんな高度な文章テクニックで描かれる音と、これは夢枕獏『餓狼伝』もしくは『獅子の門』じゃないの?って思っちゃうような格闘トーナメント的な展開がたまらなく面白い。
 これ以上書くとネタバレになりそうだし、今年映画化されるらしいから…でも、映画で実際に音と絵がついたら、この小説の魅力が半減しちゃいそうで怖いなぁ。
 W受賞が大納得の面白い小説だった。流石です、恩田陸。


エスニック
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「十二人の死にたい子どもたち」を観る(19.1.25)

「集まらないと死ねないのかよ、最近の若者は…いえいえそこには」
 廃墟と化した病院に集う12人の子どもたち。目的は集団自殺。全員が集まった時、そこには12人の子どもと死体が1体。誰が0番を殺した?自ら命を絶つことができない場なのか?集団自殺を実行すべきか、子どもたちのディスカッションが始まる。
 最初映画情報を観たときに萩尾望都の『11人いる!』みたいな感じかと思った。まぁ、冲方丁が既定路線に走るはずもなく、ひと癖もふた癖もあって。それぞれに問題を抱える12…13人の、死にたい思惑が交差するさま。食い違う証言。誰が本当のことを言っているのか?誰が本当に死にたがっているのか?若手俳優たちが火花を散らす。
 率直に面白かった。小説は読んでないからイメージが違うのかもしれないが、映像だとしっかり見てやろうという気が満々で、ぼくも名探偵のひとりになるべく奮闘しちゃう。それが楽しい映画です。
 この謎と12…13人の行く末に注目です。


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「家(うち)へ帰ろう」を観る(19.1.19)

「帰るべき家(うち)はどこなんだろうか。心が求める場所は、人は」
 偶然なんだけど、2作続けてユダヤ人にまつわる映画で。「彼が愛したケーキ職人」が現代に生きる人の感覚で、「家(うち)へ帰ろう」は当時を知る人の映画…なんてぼくなんかが軽々しく言っちゃいけないんだろうけど。
 第二次世界大戦当時のポーランドでナチスのユダヤ人迫害に合い、アルゼンチンに移住した仕立て屋のアブラハム。あれから70年、子供たちに半ば強制的に老人ホームに入れられることを機に、アルゼンチンを離れ、ポーランドへ向かうことに。最後に仕立てたスーツを渡すために。
 あの手この手でマドリード、パリ、ベルリン、ワルシャワを渡りかつて自分が住んだ街へ。過去を背負いながら。
 仕立て屋だけあって、スーツ姿がカッコイイ。そして頑固なのにダンディ。そのギャップでってわけじゃないんだろうけど、彼には女神たちがついているようで。うらやましい。
 何度も書いているが、平和の中で生きているあの体験をぼくが理解できるハズもない。でも、70年音信不通でも会いたい、会いに行かねばならないという強い思いは理解できる。だからあのラストには自然と涙ボロボロだった。
 まぁ、32年後の初恋の女性の顔もわからなかったぼくなんだけどね。


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「彼が愛したケーキ職人」を観る(19.1.13)

「体の傷なら治せるけれど 心の痛手は癒せはしない?」
 イスラエルという国のこと…というかユダヤ教についてぼくはほとんど知らない。ただ、第二次世界大戦でナチスドイツが行ったユダヤ人弾圧は忘れてはいけない史実と理解している。だから、ベルリンとエルサレムを舞台としたイスラエル映画になんとなく興味がわいた。
 エルサレムからベルリンに定期的に出張するオーレンは、馴染みのケーキ店の青年パティシエ・トーマスと愛をはぐくむ。しかし、エルサレムに戻ったオーレンはベルリンに戻ることはなく、エルサレムで事故に遭い死亡する。オーレンの影を追いエルサレムを訪れたトーマスは、オーレンの妻アナトと出会い…。 二人の持つ喪失感は互いに埋め合うことができるのか。
 なんともせつない物語。抱き合ってもトーマスはオーレンを感じるために、アナトはオーレンを忘れるために。心の穴を塞ぐことと、新たな愛を求めることのかい離。
 ユダヤ教の決まりごとが物語の随所に見られ、少しだけどイスラエルという国を知ることができた。ドイツとユダヤ人の過去のわだかまりはアナトの義兄の「よりによってドイツ人…」って言葉に見えたりもしたけど、民族の対立じゃなく、喪失感の埋め方の対比をきちんと描いていて、今を生きる人たちの映画だって思った。静かだけど深い映画でした。


エスニック
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「それだけが、僕の世界」を観る(19.1.9)

「不可能とは事実ではない、思い込みだ by モハメド・アリ」
 家族だから?才能があるから?そんなうがった見方をするぼくは心底ひねくれ者なのかもしれない。でも、幼い頃に見捨てられたことで母を恨み、サヴァン症候群の異父弟の存在を知り戸惑うジョハが心を開くきっかけはと思うと、そこに行きついてしまう。
 ボクシング元東洋チャンピオンのジョハにとって、ピアノの才能はあるものの、健常者とは一線を画すジンテは計り知れない存在だったと思う。しかも、自分を捨てた母はジンテばかりかばう。受け入れるのって大変だったと。
 とはいえ、戸惑いながらも少しづつ心を開いていく兄弟。その様は微笑ましくあり、笑いにもあふれている。悲しい出来事も越えて絆を深めて。
 自分だったらどう付き合うのだろうか。心から愛おしく思える存在と最初から認識できるだろうか。こんな目が差別の一因につながっているのかもしれないけど。
 本当の意味で無償の愛を実践していたのは、大家の娘なんだろうなぁ。


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「パッドマン 5億人の女性を救った男」を観る(19.1.5)

「1人の女さえ守れないのならば、男じゃない」
 ↑、主人公・ラクシュミが語る数々の名セリフの中でも、ぼくにとって一番グっときたのがこれ。彼には栄冠も成功も地位も名誉もたいして意味ないのだ。愛する妻の身を守りたい、自分のために妻が被った屈辱を晴らしてあげたい。それが結果として5億人の女性を救っただけ…とこともなげに言ってのけるのがラクシュミなのだ。
 21世紀になっても生理は忌むべきものとして女性は遠ざけられ、生理用品の使用率も12%と低かったインド。不衛生により命を落とすこともあったという。それでも生理はタブーというインドの慣習。小さい頃から当たり前に生理用品のCMを見てきたので、なによりその事実に驚かされた。
 そんなインド社会の中、ラクシュミは愛する妻の身を危険にさらしたくないと、お手製のナプキンを製作し(衛生面でツッコミどころはあるけど)、性能向上のため奔放し、自らをも実験台として村を追われ、妻にも去られ…。
 前半はもう妻に盲目で奇天烈な男にしか見えないんだけど、彼の一念が実を結んでいく後半は痛快と涙のジェットコースター。彼を支える顧客第1号・パリ―と、インドの女性を救う旅に、心撃たれまくる…せつない。
 すべてを投げ打ってでも貫く愛。心から感動できる一作でした。


エスニック
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「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」を観る(19.1.4)

「生きていくんだから、わがままのひとつくらい言ってもいいのだ」
 筋ジストロフィーでほぼ全身の自由が利かない身でありながら、病院での拘束を拒み、自立して生きていく道を選ぶ鹿野。彼を支えるボランティアたちとの立場は対等もしくはそれ以上?鹿野の無理難題に振り回されながらも、鹿野を支え続けるボラのみんな。どうしたらそんなに献身的になれるのだろうか…って思ってた。でも、観ているうちに生きていくうえで、わがままだって必要じゃないかって思うようになってきた。強がって、自分一人で生きていくことが必ずしも正解じゃない。で、鹿野は一人でできることがほぼほぼないから、わがままの数が多くなってもいいんじゃないかって。それをみんなで共有すればいいのかって。
 ただ、目線は田中くんや美咲ちゃんに行ってしまう。田中くんの嫉妬する気持ち、言葉にすごく共感するし、美咲ちゃんの・・・もめちゃよくわかる。それは対障がい者としてのものでなく、ごくごく普通の人の気持ちとして。
 で、誰だってわがままを言いたいときもあるし、誰かによりかかることも必要なんだって。頼れる誰かになりたいし、たまには誰かに支えて欲しい。鹿野って誰かに頼ることしかできないように見えて、みんなの心の支えになってたんだよね。生きるために全力を尽くす、その姿が。
 ぼくが誰かの心の支えになることができるのかな?ぼくの財布は飲み屋の支えになってると思うけど。
 あっ、ラスト近くのあのロケ地って、『探偵はBARにいる3』のあの場所だよね、きっと。


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