artな戯れ言2016


このページではartな戯れ言を集めて掲載しています。


「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」を観る(16.12.28)

「わかっているんだけど、ままならぬ想い。レイア姫に献杯」
 『エピソード4新たなる希望』の前日譚となる物語、それが『ローグ・ワン』。レイア姫がR2-D2に託したデス・スターの設計図をめぐる、反乱軍と帝国軍の知られざる闘い。
 ここに登場するのはみな、反乱軍の中でも名もなき戦士たち。その名はスター・ウォーズ本編で語られることはない。そこにはジェダイも、Xウィングの操縦士もいない。圧倒的な力を持たざる者が、帝国に挑む。
 あのデス・スター破壊作戦の裏に、こんな物語があったのか。面白さはそのままに、フォースに頼らない闘い。スター・ウォーズにして、ありのままの肉弾戦といいますか。もたざる者たちだからこそ通じ合う心があり、希望へ向けた意志があり。でもさ、わかってることなんだけど、みんなね。それがなんとも悔しくて。繋げる人がいてこそ繋がるのがサーガなんだけど、持ってる者だけが紡ぐ物語でないことはわかっているんだけど、それをまざまざと見せつけられると悲しくなってしまう。ディズニーもやっちゃうんだ…。
 そして、物語以外でも寂しいんだよね。昨年公開のエピソード7から20世紀フォックスのオープニングがなくなったのに続き、『ローグ・ワン』ではスター・ウォーズの代名詞ともいえるエピローグがなくなった。本編と外伝との違いを醸し出したかったのかもしれないけど、あのエピローグがないとなんかさ。ルーカス色が薄れていっちゃってさ。
 そして、今日知った悲しいニュース。レイア姫を演じたキャリー・フィッシャーの死去。ニュースを知ったから今日『ローグ・ワン』を観たtわけでなく、あらかじめ決まってた予定だったんだけど、それだけになにか運命を感じてしまう。力も名もなき戦士のひとりとして。
 そんな感傷に浸りながら、涙ぐんじゃうエンディングでした。


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2016秋デビュー40周年記念コンサート・ツアー『松山千春の系譜』を観る(16.12.25)

「歌と説法と雄叫びと。千春節の集大成なのです。」
 函館の飲み屋で知り合いになった方と、歌えなくなる前にナマ歌聴いとくべき歌手の話しをしてたら、「千春のチケットならとれるよ」って。ハガキ申込みでなかなか当たらないと噂の千春のチケット。道民としては是非とも観て、聴いておきたい歌い手ですよ。しかも一度大病を患ってるし。迷うことなくお願いしたけど、まさかクリスマスだったとは。
 デビュー40周年を記念したコンサートツアーの、しかも最終日。会場には40年の歴史をともに歩んでこられた先輩たち。とにかくスキンヘッドが多いこと。幕が上がる前から野太い千春コールが沸き起こる。これが松山千春の世界なのか。
 『きよしこの夜』から始まるクリスマスモード…と思いきや、すかさず千春節。やっぱり歌がすごく上手い。5分歌って5分喋る。近況、40周年のあゆみ、辛口トーク、故人への想い。合間合間の名曲たち。しかも、ぼくみたいなコアなファンではない人にも馴染みのある曲を。『恋』『旅立ち』『季節の中で』…。全国のプロモーターからプレゼントされた漆塗りのギターで弾き語りも。2部構成で千春三昧
 でも、なんか酔うんだ。歌声に酔いしれるというのではなく、船酔いみたいなやつ。リズムをずらす大御所歌いが炸裂したからか。ぼくの知ってる名曲とのズレがこの酔いを生むのかな。弾き語りは忠実だったから、聴きやすかった。
 松山千春ってまだ61歳なんだってね。売れるの早かったから、もっと年上かと思ってた。
 貴重なプレミアチケットで観るフォークの大御所。軸足が演歌・リサイタルによってきてはいるけど、貫録のパフォーマンスでした。


エスニック
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『エノケソ一代記』を観る(16.12.18)

「突き詰めて極めることの狂気、芸のためなら…」
 昭和の喜劇王・エノケンこと榎本健一。もちろんぼくは見たことはない。でも、戦後の日本を笑いで支えた喜劇人ということで名前は知ってる。メディアやネットが発達していなかった当時では、名前だけ知ってるってシチュエーションが多々あったのだろう。そんな時代を描いた三谷幸喜の新作を観た。
 とある田舎の公民館。支配人が詰め寄る。本物じゃないと。一座は開き直り言う。エノケンじゃなく、エノケソだと。そう、この一座はエノケンをこよなく愛する座長が率いるニセモノ一座なのだ。ニセモノと知ってか知らずか、どの会場でも客は喜ぶ。笑いに飢えてた時代がゆえか、座長エノケソの本家への愛とクオリティの高さがゆえか。ときには逃げ出し、ときに居直り、ドタバタしながら道中は続く。
 芸人の定義ってなんだろうか。言ったもん勝ち?資格があるわけでもなく、法令で定められているわけでもないのは今も昔も同じこと。となると、お客を喜ばせることができるのが芸人であり、客が喜べば喜ぶほどすごい芸人であり、稼げる芸人なんだろうね。エノケンに心酔し、すべてをささげているエノケソ。それゆえに一歩でも近づこうとするその様はとても面白くあるけど、一般人にとっては狂気の沙汰でもある。そんなエノケソを支える一座ももちろん狂気の沙汰ではなかったりして。
 そんな芸人の性を三谷幸喜が描く。面白くて笑いが止まらなくてせつなくて哀しい物語。それを、幼いころから芸の道を歩む市川猿之助が具現化してくれる。脇を浅野和之と山中崇が固め、吉田羊が花を添えるなんて、豪華すぎ。そして三谷幸喜自身も古川口ッパとして登場して。贅沢な2時間弱。
 三谷幸喜、オールバックの髪の毛薄くなってない?まさか古川ロッパを極めるために?
 川上音二郎、ミヤコ蝶々に続く喜劇人もの。時代を彩り、今日の基礎を気付いてくれた偉人たちへの愛情。三谷幸喜らしさがあふれてます。こうなると、次はだれがモチーフになるのかな?そういえば井上ひさしはこまつ座で樋口一葉、石川啄木、小林一茶を題材にしてたっけ。
 猿之助、カッコよかったです。


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万城目学『とっぴんぱらりの風太郎』を読む(16.12.14)

「ひょうたんに大坂の陣、万城目ファンならわかるよね」
 
 走れよ、ぷう。約束したんだろ。ぷうの一歩に未来がかかっているんだぞ。ひょうたんと大坂の。ぷうのがんばりがないと、あとに続く物語が絵空事になっちまうよ。そもそも物語は絵空事ではあるのだけれど。
 柘植屋敷で忍者修行を受けたけど、御屋形様の逆鱗に触れて国を追われ、京都で無職の風太カ。忍者への未練を残しながらも、自堕落な日々を過すが、南蛮帰りの忍者・黒弓が持ってきたひょうたん屋への使い仕事から風向きが大きく変わり…。
 時代は太閣殿下亡き後の混沌期。京のハズレから京、大坂を駆けめぐる。柘植屋敷の生き残り、常世、蝉、百市も入り乱れ、誰が味方で誰が敵だか、くんずほぐれつの立ち回り。目が離せないとはこのことだ。
 小さなひょうたんが導く大きな世界。それはめぐりめぐって現代にまでつながっている。だからぷう、立ち止まっている時間はないんだよ。振り返ってる時間はないんだよ。走れ、走れ、走れ!
 ぼくらの希望を未来へ運べ。


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清水ミチコ 30th Anniversary『ひとりのビッグショー』を観る(16.12.11)

「札幌を好きでいてくれてありがとう、札幌も全力で応援するよ」
 国民の叔母・清水ミチコ。気付けばもう、デビュー30周年なんですね。『夢で逢えたら』が懐かしい。ミドリが懐かしい。でも、毎年見てるけど彼女の進化はハンパない。こうきたか…という新鮮な驚きがいつもあるんだ。それもこれも、彼女が優秀なクリエーターだから何だろうなぁ。モノマネ、顔マネに加え、作曲法。しかも新しいアーティストを次々と。このセンスと探求心が清水ミチコの清水ミチコたる所以なんだろうなぁ。なんて理屈はほどほどにして、ただただ面白いを堪能するのです。
 30周年を祝って、いろんな方が登場します。まずは実母から。これがお若い。そして…ってとこから始まって、定番から新作、老若男女が集います。そして今日も弟さんが登場です。なんとも仲の良い姉弟だこと。
 この週末、札幌は大雪でモー娘。や関ジャニの公演に影響があったみたいだけど、憎まれっ子みっちゃんには関係なし。むしろ、「帰れなくなったからたっぷりやるよ」って、ネタ1本追加だなんて。降り積もる雪が、迷惑とばかり感じていた雪が、これほどにも素敵な演出をしてくれるなんて。
 大いに笑い、その芸術性を堪能し、さらなる高みを見てみたいと思える。最高のビッグショーでした。


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チャラン・ポ・ランタンと愉快なカンカンバルカン ツアー2016-17“大衆音楽の手引き”を観る(16.12.9)

「フェリー最高!フェリーありがとう!チャランポ最高!チャランポありがとう!」

 3度目のチャランポLive。初めてのフルバンド(with カンカンバルカン)編成。初めてのオールスタンディング。おじさん、腰と膝が痛いけど頑張るんだよね。頑張ってよかった〜。もの好きでよかった〜。
 久々にライブで大きな声出しまくった。彼女たちの音が、声が、寸劇が、日々のもやもやを晴らしてくれるかのように。なんとも爽快。あの無国籍的な雰囲気が、日常を忘れさせてくれるのかな?
 『ハバナギラ』の大合唱はもはや怪しい新興宗教か?日本の北のライブハウスでイスラエルの民謡が響き渡る。人気ドラマのオープニング、オリジナル、内外のPOPなカヴァー、イスラエル民謡。この奇天烈な景色がチャランポなんだろうなぁ。
 北海道だから見せてくれた小春の涙。ぼくは3回中2回見てるんだけど、前回はサプライズ。今回はこれまでを振り返ってこみあげた涙。いろいろあったんだね。札幌を好きでいてくれてありがとう。札幌は第二の故郷だぜ…って、ぼくは勝手に思ってるよ。
 大雪の札幌。今回もはるばるフェリーでやってきた御一行。「いやいや、飛行機で来れるクラスじゃないの?あなたたち」ってツッコミたくなるんだけど、彼女たちフェリーが好きなんだって。同時刻、ニトリ文化ホールで開催予定だったモーニング娘のLiveは飛行機が着陸できずに中止になったとか。フェリーに、フェリーが好きなチャランポに感謝の素敵な夜でした。


エスニック
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「円楽 サンドウィッチマンの会」を観る(16.12.8)

「ちょっと何言ってるかわからないです…炸裂!」
 えっ?三遊亭円楽とサンドウィッチマンのジョイント、去年も来てたの?知らなかったよ。
前に『笑点』の演芸コ一ナーでサンドのコントに円楽飛入りってサプライズあったの観てたけど、それをナマでやるなら不倫報道にどこまでツッコミできるかかな…なんて勝手に思ったりして。でも、舞台上に一緒にいたのは最初のトークだけだった。ははは。
 それにしても円楽のお洒落なこと。冨澤のバティのレプリカと比較するのはいかんと思うが、金がかかっている。つかみはやはり『笑点』で。いろんな媒体で読み聞きした司会選びの話も本人から聞くと重みが違うというか。半面痛々しくもあるんだけど。あとはサンドのM1のこととか。
 本編はサンド、円楽、仲入り、サンド、円楽の順で。
【サンドウィッチマン:すし屋〜スピーチ〜犬の散歩】
 サンドウィッチマンの短めの漫才を3連発で。北海道を愛してくれるサンド。愛情たっぷりのマクラは道民をとりこにするよね。ボケ倒しのの漫才はもう笑いっぱなし。
【円楽:ウクレレサンドイッチ〜勘定板】
 円楽の落語を聞くの、初めて。まくらに歌丸はじめ笑点メンバーの噺ができるのって、落語に馴染みのない人でもわかりやすく笑いが取れるから、最高の切り札だよね。インテリイメージが強いから、凝った噺で来るかと思いきや、ハワイエピソードからの新作と、ただただ笑うだけの下入り噺。これはサンドにあわせてきてる?
【サンドウィッチマン:弔辞〜ショートコント〜アパレル】
 おもしろくてみんな笑うからって、まさかの同じネタリピート?さすがにプロだからさわりでやめたけど、あのまま続けても十分笑えたよ。20パターンあるショートコント・トイレは勘定板への返礼かな?
【円楽:まめだ】
 帰宅して調べたら、『まめだ』って上方落語なんだってね。それを江戸に置き換えて。本州ならば時期的にぴったりだったんだろうけど、札幌は寒すぎた。円楽らしい博学ゆえに、舞台説明に割く語りが多いのは親切心かな?


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大パルコ人Bステキロックオペラ「サンバイザー兄弟」を観る(16.12.1)

「ぼくの羨望のまなざし、誰も気づいちゃいないだろうけど」
 大パルコ人がサンシャイン劇場で。今回は観れないと諦めてたんだけど、宮藤官九郎好きの執念というか、偶然の重なりで観ることができました。
 今回の『サンバイザ一兄弟』はブルース・ブラザ一ズとトラック野郎がモチーフとか。なるほど、それをかき混ぜて宮藤官九郎テイストたっぷりふりかけた、なんとも濃い味の和製任侠ミュージカルになっている。2033年、年号が変わった未来で唸る昭和風味。齢50ちょい前には泣ける味。
 ムショ帰りの赤い兄貴が待ちわびた青い弟と無茶な目標を成すべく奔走する。アホでアホでたまらないけど、本気でアホできる奴ほど強いヤツはいない。本気のアホほど愉快痛快なものはない。戸惑わず、気取らず、恥じらわず。突き抜けられるヤツがうらやましすぎてたまらない。ぼくにはできないことだから。やりたかったことなんだけど。
 増子直純と瑛太の兄弟がもちろん主軸なんだけど、宮藤官九郎作品で燦々と輝くのは皆川猿時だよなぁ。彼失くして『サンバイザー兄弟』も成り立たないもん。あんな濃い顔、大フィーバードラマにも出演しながら、顔バレしない哀しさ。いやいや、ぼくの脳裏には焼き付いてるよ。風俗嬢じゃないけれど。
 楽曲もよかった。特に本家の『Think』を彷彿させるような掛け合い。楽しくてわくわくして。
 こんな素敵な舞台、裏方でも物販でもなんでもいいから関わってみたいものです。いろいろと嫉妬した夜でした。
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「玉置浩二 CONCERT TOUR 2016〜AMOUR〜」を観る(16.11.24)

「いまだって、なにもなくて それなりに楽しくやってる」
 実はぼく、玉置浩二にいやなトラウマがある。モテない青春時代、ふぞろいの林檎予備軍だったぼくのマドンナ・石原真理子と不倫の末、薬師丸ひろ子に乗り換えた憎きモテ野郎。青田典子はどうでもいいけど。だから玉置浩二のやることは疑心暗鬼になっている。ライブすっ飛ばすんじゃないか、延々30分『じれったい』の前奏やるんじゃないか…。楽曲自体は好きなんだけど。
 ぼくはたびたびこのHPで、かつて聴いたアーティストが歌えなくなる前に、ナマ歌聴いときたいって書いている。それを酒の席でもよく言ってるんだけど、多くの人に「玉置浩二聴いとかなきゃ。ホントうまいよ」って言われてさ。そりゃ聴いとかなきゃってなるでしょ。
 時間ちょい押しだったけど、出てきましたよ玉置浩二、安堵。15分休憩を挟んだ2部構成。髪も含め白づくしの衣装で登場した玉置浩二は立て続けにバラードを歌い上げる。申し訳ないがほとんど知らない曲。でも、その歌唱力はすごく伝わってくる。正統派のうまさが響き渡る。中森明菜に提供した『サザン・ウィンド』の心地よい違和感。オトナです。
 2部目もバラードでスタートするんだけど、ここからは耳慣れた曲が。『ワインレッドの心』は大御所歌いなんだけど、まるで嫌な感じがしない。かっこいい。ジャズテイストの『じれったい』。もちろん前奏は短めで。そして一番聴きたかった『メロディー』。久々に首筋に寒気が走った。これ、ぼくの感動のバロメーター。これぞって曲聴いたときに出るんだよね。聴けた〜〜〜という感動が好みを包む。
 舞台袖に引くことなくアンコールは『田園』。もう、ぼくが期待した曲勢ぞろい。早く帰ってウクレレ弾きたい。そしてそのままダブルアンコールは独唱で。
 歌詞とバンドメンバー名以外を口にすることなく歌い上げたライブ。派手なアップビートや煽りないけど、緩急のついた構成。そして歌声。オトナの時間がそこに流れていた。
 聴いといてよかった。


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「ARASHI LIVE TOUR 2016-2017 Are You Happy?(アーユーハッピー?)」を観る(16.11.13)

「豪華絢爛、光あふれて、全身全霊めざしてくWay」
 これが嵐のライブなのですね。初参戦、わかっちゃいたけど、会場に集う女子の波にのまれながら、開演ギリにスタンド席にたどり着き、目の前に広がるペンライトの光に驚き。色とりどりの光が5人の登場をまだかまだかと待ちわびていて。この時はまだランダムだった光がのちに絵となり文字となり。これまでも客席のペンライトを駆使したライブ演出は観てきたけど、ハンパない凄さで。正面セットの豪華さは言うまでもないんだけど、会場すべてですか、ジャニーさん。
 昨日、出張の車内で新アルバムは予習したんだけど、始まっちまえば新譜なのか定番なのかよくわからない。それほど嵐に疎いぼくでも、わからんながらにノリノリで、周りに合わせ大ハシャギ。凄いクセに敷居が低いところが、万民に愛される理由なのね。
 スタンドゆえにメインステージに立たれると小指の爪くらいの5人。モニター観ないと誰がどれだかわからない。でも、間近にも何度も来てくれて、その容姿をハッキリ観ることができて。普段ライブやお芝居のカーテンコールで必死に手を振る客を冷めた目で見てたんだけど、今日はなぜだか振っちゃって。乙女かって。
 このHP読んでる人でこの後嵐のライブ観に行く人はいないと思うけど、いろいろ書くのは申し訳ないので、詳しくは書けないよね。でも、これだけは書かせて。ぼくが一番好きなあの曲をやってくれたんです。きっと聴けないだろうってハナから諦めてただけに、感動もひとしお。キターって。ライブ全体がとても楽しかったんだけど、やっぱあれがあるのとないのでは断然違うので。
 大満足。こりゃチケット獲れないわけだ。きっとまた巡り会う Someday♪だといいなぁ。
 


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「スーパー歌舞伎U ワンピース」を観る(16.11.8)

「おいしいところは猿之助…いやいや、ボンちゃんが。」
 ワンピースを歌舞伎で?その話を芸能ニュースで知った時、「大丈夫?」って心配しちゃって。亀治郎…いやいや、猿之助のスーパー歌舞伎だからきっと面白く仕上げるんだろうって思いはしたけど、ワンピースの世界観が確立されたものだから。結局観には行けなかったんだけど。
 GWに福岡で会社の後輩の同級生(女性)が営むBarに行ったとき、彼女が博多座で2度観たほど面白かったと教えてくれて。そうなると俄然観に行きたくなる。そりゃ観に行きたくなるでしょう。だから、シネマ歌舞伎での上映が待ち遠しかったんだよね。
 もうね、やってくれたって感じ。もちろんすごくいい意味で。シネマ歌舞伎だからのカメラワークとCG効果もあるんだけど、すごく楽しい。圧倒されるんだよね、すごく。もちろん、キャストに無理があるのは否めない。でも、それを上回る楽しさがあったんだよね。インぺルダウンから マリンフォード頂上戦争を描いたのは、男とおかまの百花繚乱だったからかな。
 まぁさ、スーパー歌舞伎は猿之助という名の代名詞だから、彼がルフィとシャンクスという美味しいところを両取りしたのは仕方ないけど、インぺルダウンはやっぱりボンちゃんが最高にカッコよかったし、頂上戦争は白ひげなんだよね、ぼくの中では。で、今回もボンちゃん(坂東巳之助)がすごくキャラ立ちしてたので、すごくよかった。猿之助よりも。
 ワンピースを知らない歌舞伎ファンは大丈夫だったのだろうか。青雉クザンのモデルが松田優作だからこその「なんじゃこりゃ」が通じていたかな。まぁ、細部のネタはスルーしてもよいか。
 こうなると、ナマで観たくなるよなぁ。来年再演決定とか。行きたいなぁ。


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TEAM NACSアニバーサリーイヤーイベント「TEAM NACS XX(twenty)」を観る(16.11.4)

「望んでない笑いほど大爆笑になるのはなぜだろうか…」
 XXと書いてチョメチョメと読む。結成20年を迎えた北海道の…いや、もはや全国有数の人気劇団・TEAM NACS。その記念イベントが全国で30公演開催されるそうで、その初日に行ってきました。正直、なにやるんだろうと。最初は舞台公演かと思ったんだけど、脚本も演出もなかなか発表されない。あと、チケット代が5,000円とお安めなのは?
 なるほど、20年を振り返るイベントだったのね。シゲ撮影の秘蔵VTRからのスクープや、毎回メンバーの一人が担当責任のコーナー、懐かしの番組の再現、そして幻の名作。合間に挟むナックスの歴史プレイバック。和気藹々の優しさに包まれたイベントなのです。
 さて、どうして笑いの神様は笑いを欲する人よりも笑いを拒む人に微笑むのだろうか。一生懸命考え抜いた笑いの素晴らしさはもちろん称賛されるべきなのに、天然はそのはるか上の次元で大爆笑を生み出し、すべてをかっさらっていく。いやになっちゃうよね、正直。
 で、初日の今日はそれをいやというほど思い知らされたんだよね。大泉やヤスケンがどんなに頭と身体を使ったって、今夜はこの男には敵わない…音尾琢磨。20年記念の初日はナックスの末っ子がウィナーだったね。犬をも恐れぬ天然力で。


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田島貴男「ひとりソウルツアー2016」を観る(16.10.29)

「同年代だから分かち合えるノリが、ここにはあるのです」
 コンスタントに観てる田島貴男。今回はひとりソウルツアーなのです。バンド編成、ひとりソウル、弾き語り。それぞれがオリジナルラブであり、田島貴男であり。でもそれぞれに違う味があり、飽きないんだよね。巧いルーティンだなぁ。
 リゾネータ―とジャズギター。前回とはまたひと味違う音で魅了してくれた。デビュー25年の実績がなせる業?
 初期作品から最新作まで。舶来の新しいポマードで固めた頭を振りながら、時には清水アキラ並みのパフォーマンスを見せながら、齢50の田島貴男が見せるパフォーマンスにすっかりたっぷり乗せられる。同年代のノリが心地よいんだよね。さすがに最近の人たちの馴染みのない音楽ではっちゃけられるほど、ぼく自身が若くはないんだろうなぁ。
 あと、田島貴男の安定感。みんなが待ち望む曲は必ずやってくれる。出し惜しみしないのだ。アレンジは毎回異なるんだけど、著しい編曲ではなく、オトナの遊び。で、聴衆もそれをわかっている。この呼吸こそが同年代ならではだし、余裕なんだろう。
 謎のゲスト・三代目や宇多田ヒカルの『Automatic』のカヴァーとか、変化球もたっぷり織り込んで、楽しいったらありゃしない。そしてダブルアンコールの大トリはあの名曲。みんなで大合唱はお約束。でも、これが明日からの勇気につながるんだよね。悲しみをブッ飛ばして。みんなのソウルパワーで。
 で、次は3月の弾き語りです。


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劇団四季「ウィキッド」を観る(16.10.25)

「物事を違う角度から見てる誰かを、ぼくも待っているのかも」
 3度目の『ウィキッド』。2008年2014年に続き3度目。待ちに待った札幌公演。ロングランになるからゆっくり観に行こうなんてたかをくくっていたら、まさかの5ヶ月でフィナーレだなんて。あわてちゃったよ。だって、大好きな『ウィキッド』を、これまで東京にまで観に行った『ウィキッド』を、地元で観逃がすなんて、あっちゃいけないことじゃない。だから、間に合ってよかった〜なのです。
 自分を正当化するためには、誰かを陥れなければならない。とても残念で、とても悲しいことだけど、いつの時代もどんなシチュエーションでも起こりえること。でも、非のないところで陥れられた者の悲しみは、どの時代でも忘れられがちなのだろう。歴史は勝者が作り、物語は勝者を紡ぐから。だから天邪鬼なぼくは、「物事を違う角度から見てる」『ウィキッド』に魅かれるんだろう。
 もうね、いまさら言うことはないです。何回観ても見入ってしまうし、心奪われてうるうるしてくる。今回のエルファバがこれまで観たエルファバよりも直球だったので、また違った魅力があったよね。それで、8年前のキャスト表と今回のキャスト表を比較してみた。すると、男性アンサンブルで3人、女性アンサンブルで1人重複しているキャストが。残念ながら2年前はキャスト表をもらい損ねて比較できないんだけど、ぼくの中ではMr&Missウィキッドだよ。
 次は何年後に観るのかな?いろんなエルファバを観てみたいし、映画化されるって話もあるし。
 しかし、なんで札幌公演こんなに短いの?


エスニック
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「が〜まるちょば サイレントコメディー JAPAN TOUR 2016」を観る(16.10.20)

「言葉がなくても伝わる想い。イエローカードは勇者の証?」
 笛が鳴り響き、ぼくにイエローカードが提示された。開演18:30から10分経過。そうなるのはわかっていたけど、入らないわけにはいかないじゃん。係の人、ニヤニヤしてるんだよね。「やられる」って顔で。しかし、ほんとにみんなこっち見るんだな。会場にいた(席は離れていた)母と姉にも後で言われたし。「狙いでしょ」って。さすがにそんなのは狙わないよ。
 のっけからハプニングのが〜まるちょば。ちょっと久しぶりです。どうしても、『街の灯』の再演が観たくって。これ、ぼくが初めて観たが〜まるちょばでやったんだよね。それがものすごくよくって。が〜まるちょばを観に行くようになった、大きな要因なのだ。もちろん、長編だけでなく、短編もとても面白いしさ。
 今回も大いに笑い、楽しみ、感動した。喜哀楽をさらけ出した感じ。このすっきり感が、が〜まるちょばの効能なんだよね。今回の演目はこちら。
『が〜まるSHOW GAMARJOBAT SHOW』
 言わずと知れたライブです。王道パントマイムからクラップ&レスポンスまで。会場を一気に温めます。大笑いの連続。遅刻したら怒られます。ゴメンナサイ。
『やかん THE KETTLE』
 やかんにだって気持ちはある。さびしい時だって、ウキウキの時だって。そんなやかんを、温かく見守って。
『白い男 A WHITE MAN』
 確かにその男はいつもいる。街のあれこれをそっと見ている。だからぼくも気を付けなくっちゃ。
『伝説のブルースマン ビッグジョニー Blues Legend - Big Johnny』
 パントマイムだけじゃない芸の幅を見せつけられちゃうのさ。スケールでかいよなぁ。
『街の灯 CITY LIGHTS』
 これがぼくにとってのが〜まるちょば原点。チャップリンの映画の舞台化。とにかくあの走る姿は忘れられない。速く、遅く。躍動感がすごくって。笑いももちろんだけど、せつなさがこみあげてくるんだよね。また観れて、本当に良かった。


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ましまろ“ほーぼーツアー2016”を観る(16.10.15)

「そんなセッション、ぼくもやってみたいのだ」
 ましまろ、2度目のライブツアー。昨年観て感銘を受け、思わずギター買っちゃったんだよなあ。ウクレレに夢中であまり弾いてないけど。
 ましまろはライブを楽しむバンドだとぼくは思っている。楽曲がいいのはもちろんだけど、それを彼らが実に楽しそうに演奏する姿を見るのは極上の贅沢のよう。Over50の面々が、やりたいことを素直に楽しんでいるんだよ。クロマニヨンズでは観れないアコギ全開のマーシーなんて、素敵じゃない。
 ましまろの楽曲って馴染みやすい心地良いが先にくるけど、中森さんとマーシーのギターの掛け合いやシンクロを目の前でで観ると、曲の世界観や幅が広がって。もちろん真城さんというアンプが増幅させてましまろが完成するんだよね。
 もうさ、あの楽しくプレイする感じがとにかくたまらなくて、自分も楽器を弾きたくなる。そして誰かとあんな感じで演奏できればと思ちゃう。友達がいないので、なかなかかなわないんだけどね。ウクレレ弾きたくなるんだよね。夜中に一人で。
 今回は中森さんのギターに一番見入ってたかな。前回は位置的にマーシーに被ってよく見えなかったから。
 ノーベル賞文学賞を受賞したボブ・ディランの真似をするマーシー。わからんって。
 タテ乗りじゃなく、オトナの乗り。思わず仲間に入れてもらいたくなる(もちろん入れるテクなど持ってないんだけど)感じ。
 今日がツアー最終日。今後の予定はなにも決まっていないとか。いやいや、早くオトナの楽しさを見せて頂戴な。


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フラワーカンパニーズ アコースティック・ワンマンツアー 「夢のおかわり2016?フォークの爆発編〜座って演奏するスタイルです〜」を観る(16.10.8)

「生きていてよかった、そんな夜を探す始まりです」
 フラカン初参戦!でも熱狂的なノリだと怖いので、まずは探るようにアコースティックライブから。だってぼく、憶病なんだもん。
 正直、アルバムを持っているわけでもないし、聴き込んでいるわけでもない。ほとんど知らないと言っても過言ではない。でも、どうしても一度観たくて。地元・新さっぽろサンピアザ劇場でのライブという気軽さも手伝って。
 なんだろう、この楽しさは。予習なしだったので、客席のあちこちから聞こえるリコーダーの練習音には面食らったけど。
 とにかく雰囲気がいい。学生仲間から途切れることなく27年続いている一体感が、演奏から伝わってくる。アコースティックライブって、細かい機微っていうか、テクニックを含めていろいろ見えてくるじゃない。とくに狭いハコだし。そこから伝わってくるんだよ。支えるファンの一体感と一緒に。
 まぁ、知ってる曲ほとんどなく、リコーダー演出にも驚きだったんだけど、すっごく楽しくて。いろんな曲を聴いてみたくなった。そして、ウクレレで歌ってみたくなった。でも27年だもん、曲がいっぱいあるんだよなぁ。
 まずはここから。フラカンはじめます。


エスニック
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タクフェス第4弾公演「歌姫」を観る(16.10.1)

「不器用なりの優しさが身に染みる、せつない舞台なのです」
 暑〜っ。秋の札幌が熱気で暑くなってます。久々のタクフェス、芝居の余韻も完全に吹き飛ぶオーラスで。それが苦手な面もあったので、ちょっと遠ざかってたんだけど、覚悟を決めて波に飲まれるとそれもまた楽しいもんで。
 再演続きのタクフェス、でも今年はまだ観たことのない、しかも観たくてたまらなかった『歌姫』。ドラマの評判を聞いてたので、そりゃもう楽しみで。あっ、ドラマも観てないんだけど。
 高知県の端の方にあるレトロな映画館の閉館日。上映されるのはなぜかあまり知られていない邦画『歌姫』。でも、そこにはこの映画館の大切な想いが詰まっていた。楽しくてせつない太郎と鈴の、映画館に集いし人々の大切な時間が。愛おしい想い出が。
 現代から始まるプロローグが伏線となり、本編のあちこちに繋がっていく。それに気づく謎解き的な喜びと、その先に待つ現実のやるせなさ。どうして??あぁ・・・。身悶えしちゃいそうなこの感情。どれもがかけがえのない思いなんだけど、選ぶことなんてできないものなんだろうけど。
 今回はなんの予習もせずに観たので、宅間孝行以外の出演者を知らなかった。ぼくのお隣さんがすごいノリノリなので誰目当てかと思ったら、すず役はAKB48の方(入山杏奈)なのね。でもぼく的にはおちゃめな酒井美紀が。それと、眼鏡姿のお母さん、実はキレイなんじゃない?って思ってたら、かとうかず子だったのね。斉木しげるとか阿部力とか、気付けば豪華キャストだっつーの。
 それにしても、優しさってなんだろうか、いとおしさってなんだろうか。男としてできることってなんだろうか、思いはせちゃういい作品だった。ぼくは太郎みたいな男にはなれないんだろうなぁ。そもそも愛する人はいても、愛してくれる人がいないし・・・残念。
 
タクフェス恒例の撮影タイム、でもAKBはNGなのね


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「君の名は。」を観る(16.9.7)

「誰かの願いが叶うころ、あの娘が泣いてるよ。みんなの願いが同時に叶えばいいのにね。」
 最近、朝起きると上半身裸になっている。寝ている間にぼくと入れ替わっている誰かが脱いでいる?どんな夢を見たかはまるで覚えていない。でも、脱ぎ捨てられたTシャツを拾うと、汗でぐっしょり。誰かと入れ替わってるなんてロマンチックなことじゃなく、ただただ寝汗で濡れたTシャツが気持ち悪くて無意識で脱いでるだけなんだろうな。すっげーぐちょぐちょだから。
 でも、強烈に覚えている夢もあって、いつまでも忘れられなくて美化したりして。そんでその夢に出た女性に惚れたりもするんだよね、ぼく。
 そんな夢の入れ替わりが夢じゃなかった…から始まる物語。会ったことはないけれど、顔も形も私生活も知っている二人。そんな『転校生』みたいな青春ストーリーが、あらぬ方向に流れ出す。ありえない出来事にはちゃんと理由があるんだね。
 ミレニアムな天文ショー。大多数にとっての幸福感がすべての人の幸せにつながるわけじゃない。でも、忘れないうちに走り出すことで、見えてくるものもあるのかもしれない。その時々を、感じた想いを大切にすることが、次につながることだって。組みひもが折り重ねられて編まれるように、ぼくらの想いも折り重なって。
 という映画です。泣けます。思わず泣いちゃいます。『走れ』なのです。忘れる前に動けなのです。心の初動に忠実にあれ。ぼくが一番苦手なやつなんだけど、でも気づいたら『走れ』なのです。この映画を20代の頃に観ていたら、ぼくの世界も変わっていたのかも。
 恥ずかしがらずにぜひ見て頂戴。


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「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」を観る(16.8.28)

「すっげーギタリストがここにいた。それを知れたことがまずは幸せ」
 正直ぼくはパコ・デ・ルシアをしらない。でも、この映画の予告を観た時、その超絶ギターテクニックに釘付けになった。天才フラメンコギタリスト。フラメンコギターの奥深さもよく知らないけど、これはぜひ観て・・・いや、聴いておきたいと思った次第で。
 観たいのか、聴きたいのか。その選択のあいまいさはドキュメント映画を観る時に負に作用するよね。以前、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の感想でも書いたけど、観るものを選ぶ映画になっちゃうから。パコのギターの音を聴きたい、テクニックを観たいって思っても、インタビューの際に右に下に表示される字幕を追うので精一杯になっちゃって。字幕酔いしちゃうよ。なので、終盤は演奏シーン以外は目をつぶるようにしちゃった。その方が、バックに流れる曲がよく聴きけるから。そして、演奏シーンは必死に彼の指を追う。外国語が聞き取れたらいいのに・・・って、これは英語?スペイン語?
 いや〜、ホントすごいんだね。押尾コータローの原点じゃないかって、勝手に思っちゃう。なによりもまずは「リズム」っていうのは深い言葉だよね。
 もっともっと彼の演奏を観て聴きたい。彼の生い立ちに興味を持つほど、まだぼくは彼を知らないから。ならばライブ映像を観れよってとこなんだろうけど。きっとパコ・デ・ルシアに詳しい人たちが、その造詣を深めるために観る映画なのかもしれないけど、ぼくにとってこの映画はパコ・デ・ルシアを教えてくれた入門編になったようで。いつか、もっとパコ・デ・ルシアに詳しくなってからもう1回観ようかな。
 でもホントすごいよ、彼のテクニック。


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大野雄二&ルパンティックシックス「ルパンジャズライブ」を観る(16.8.26)

「ちゃんと言うよ、ルパンになりたいな」
 昨年のライブ、出張で観られなかったんだよね。だから、今年のルパンジャズライブをとても楽しみにしてたの。それがいきなりのメンバーチェンジときたもんだ。リズム隊の入れ替えとオルガンの追加。いぶし銀リズム隊と若いオルガン。その融合はいかに。
 昨年は不二子ちゃんズが帯同したそうなので、趣も違ったんだろうけど、その前まではほぼ同じ曲をソロアドリブを変えて聴かせるパターンが続いていたけど、今回はラインナップを変えてきて。そうそう、冬にルパンの新シリーズが放映されたから、石川さゆりがキュートに歌い上げた『ちゃんと言わなきゃ愛さない』が新たに加わって。もちろんレコーディング通りの演奏であるわけじゃなく(石川さゆりもいないことだし)、ミュージシャンたちの遊び心いっぱいのギグなので。
 イッチー&ミッチーのいぶし銀リズム隊が客席との距離感を縮めたのかな。いつも以上にフレンドリーなライブだったような。バンマス大野雄二も不二子ちゃんフィギアを手にノリノリで。演奏時間が短かったのは高齢化もあるかもしれないけど、その分濃密なライブだってこと。
 こうなると、来年はどんなライブを見せてくれるのか。楽しみになってくるルパンな夜でした。


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「シン・ゴジラ」を観る(16.8.21)

「温故知新が功を奏し、ゴジラが今の世のパニックを生み出す」
 実はどうしても観たいって意気込んでたわけじゃないんだ、シン・ゴジラ。だって、オトナになってから観たゴジラはガキの頃観たゴジラに並ぶどころか、足もとにも及ばなかったんだもん。そりゃ、ガキの頃とはあらゆる事柄が大きく異なり、純真無垢な心などとうにどこかに捨てたんだもん、かなうわけないんだよね、最初から。でも、今朝の『ワイドナショー』で絶賛されているのを見て、急に観たくなったんだよね。
 これ、凄かった。なにがって、緊迫感が。東京湾における謎のトンネル変状からめまぐるしく切り替わる場面。その都度貼られる明朝体のテロップ。映し出される人々はまさしく現代人の行動をとっているのに、懐かしい記録映画を観ているかのよう。鮮明な画像だけがリアルなわけじゃない。クリアなデジタル音だけがリアルなわけじゃない。画面の中の現代が、ひどく懐かしく思え、緊迫感をもたらす。
 怪獣映画であり、パニック映画である。でも、ほとんどが有事に対応する永田町や霞が関の人たちの悪戦苦闘である。言ってしまうなら、ゴジラの出現や壊れゆく街、逃げ惑う人々に現実味はない。でも、未曽有の出来事にあたふたし、対応に追われる閣僚や官僚はリアルなんだ。それは先の地震などでぼくらも十分わかっている。そこを徹底的に描くことで、嘘がホントに見えてくる。だからってゴジラの描写がおろそかになっているわけじゃないんだよ。そこのクオリティが高いのも、この映画が面白い要因のひとつなんだから。
 それにしてもゴジラの進化はすごかった。こればかりは「ご自分で確認して」としか言いようがないんだけど、あのテーマが流れた時はもう歓喜乱舞しちゃったもん。ついにきたーって。
 第一作が公開された1954年には作りえなかった、会議主体のゴジラ。事件は会議室で起こってたのね。でも、1954年の総理大臣・吉田茂なら、悩むことなく即決即断してたかも。
 ゴジラが生み出す緊迫感、ぜひ楽しんでください。


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「シング・ストリート 未来へのうた」を観る(16.8.15)

「ロックン・ロール・イズ・ア・リスク、でも夢は追い続けなきゃね」
 1985年、アイルランド。MTVが北の島国にもブームを起こし、デュラン・デュランやa-haの軽快な音楽と映像に若者が魅了されて。2作続いてアイルランドが舞台の映画を観た偶然はさておいて、日本の北海道で浪人生だったぼくも、その波をどっぷりかぶったもんね。だから、お国は違えど気持ちがすごく伝わるんだよね。ロンドンに憧れるアイルランドの若者と、東京に憧れる道民って地域性もあいまって。
 もうね、甘酸っぱさMaxですよ。でも、イケてないぼくはただ見つめるだけだったけど、コナーは違う。恋にもいじめにも家庭の危機にも自分のやり方で立ち向かう。歌という武器とともに。
 なにがすごいって、恥じ入ることがないんだよね。人前で歌うことにも演じることにも。15歳(それもびっくりなんだけど)って自分をさらけ出すのが恥ずかしくて、斜に構えたりするじゃない。ぼくだけじゃないと思うんだけど。だから、堂々とやってのけるやつは口ではバカにしながらも、心の中では憧れてたりするんだよね。だって、世の中を動かすのって、そういうやつなんだもん。しかも、コナーには彼を信じ、支えあう揺るぎない兄貴と仲間(バンドメンバー)、そして夢追う彼女(未満?)も。
 それにしても、バンド上手すぎ。ボノがコメントするのもうなずける。にしても、兄貴の宿題に呼応するかのようにめまぐるしく変わるビジュアルは、当時を知るものとして面白すぎる。そして生み出す曲がまたあの頃の雰囲気と宿題を見事踏襲して、なんとも懐かしくも新しい曲に仕上がっていて。思わず帰りにサウンドトラック買っちゃったもん。
 実は24年ほど独学でひとり籠って弾いているウクレレを披露する機会がいくつかあって。他人の前でジャカジャカしたり、誰かとセッション風にジャカジャカしたり、それが楽しいってこと、この歳になって気がついて。初老近くになっていまさらかよって感じではあるんだけど、気分はコナーそのものなのさ。だからぼくもウクレレであの娘を連れ去ってやりたいくらい。でも、カバーじゃダメなんだよね、兄貴の言葉を借りると。う〜む。
 あの頃、華やかな音楽に思いを馳せた同年代の方々、いまも音楽に夢を馳せる方々。もう一度あの頃の自分を取り戻してみませんか?


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「ブルックリン」を観る(16.8.11)

「木綿のハンカチーフ【北大西洋Ver.】、都会の絵の具は…」
 1950年代、アイルランドからアメリカに移住してきた女性の成長物語。故郷に残る母と姉への愛。大都会での戸惑い。出会った男。都会の絵の具が彼女を染める時、彼女はどんな女性になっていくのだろうか。
 この映画、観る人によって感じ方が大きく異なるんだろうなぁ。今日はレディースデイだったためか、満員御礼の9割が女性客。みなさん主人公の視点で大人になっていく彼女を観たんじゃないかな?でもぼくはついつい男の視点に立っちゃうから、美しくたくましくなっていく彼女をハラハラして観ちゃう。待ちわびる男がすっかり板についたからかな、ぼくに。
 だから、最初こそ見守るような気持ちでいっぱいだったけど、恋い焦がれたらたまらなくなっちゃう。会えないと思うだけでつらい夜を過ごす男の気持ちがひしひしと。そう考えると、もしああしてなければ彼女は…、もしこうしてなければ彼女は…っていろいろ出てきちゃって。男って弱い生き物だから。
 きっとぼく自身その時の気分で見方も変わるから、その時々の気分を映し出してくれる魔物みたいな映画なのかもしれないね。


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「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」を観る(16.8.6)

「自由の国の不自由。普通に戻るための闘い方に喝采」
 自由の国アメリカ。ずっとそう思っていた。その象徴こそがハリウッドであり、ハリウッドが世に出した映画だと思ってた。誰もが一度は観たであろう、王女と新聞記者の一夜のロマンス『ローマの休日』はその代表だと思ってた。まさか、アメリカの闇が迫りくる中で、闇と闘うために書かれた作品だったとは。
 冷戦がもたらした思想統制。平等を求めることがアカと呼ばれ、アメリカの自由主義(資本主義)を脅かすと。特に映画関係者は思想を作品に織り込むと。
 その闘いは凄まじいもの。ハリウッド・テンと呼ばれた脚本家、役者に包囲網がめぐらされ、裏切りや密告が相次ぐ。リーダー格のトランボはそれらに対し、ペン(タイプライター)で立ち向かうのだ。
 かっこいい…なんていうのは簡単なんだけど、あまりにも代償が大きい闘い。家族の支え、仲間の協力、それらすべてを注ぎ込み、見えない圧力に立ち向かう。映画人としてのやり方で。痛快って言いたいんだけど、彼らのおかれた立場を考えたら、そんな想いは軽々しく口にできないって。
 ぼくらも知ってるハリウッドスターやハリウッド映画が随所に登場し、ぼくらの想像しえなかったアメリカの不自由がより身近に感じられたりする。社会派映画だけど、ちゃんとエンターテイメントになっている。今は亡きトランボも納得だろう。
 なんだかトランボを執拗に追い詰める評論家ヘッダ・ホッパーが日本の○○さんとかぶって見えたりして。
 ハリウッドに最も嫌われた男が、ハリウッドで最も愛される映画のひとつを作っていた。やっぱり最高の反撃じゃないか。


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SAPPORO CITY JAZZ「大貫妙子と小松亮太」を観る(16.7.29)

「タンゴでたゆたうオトナのライブ」
 大貫妙子と小松亮太。澄んだ声とバンドネオン。聴かせてくれるはタンゴの調べ。冷静と情熱の間とでも言いましょうか、タンゴの熱と大貫妙子の凛とした感じがね。それをゆったりと聴かせるなんて、なんとお洒落な組み合わせだこと。
 バンドネオン、アコーディオンに似た楽器で演奏してるとこ生で見るのは初めてだったんだけど、蛇腹の部分があんなに伸びるんだ。それが一番の驚き。もちろんその音もなんだけどね。
 ぼくの中でタンゴといえば『黒猫のタンゴ』なんだけど、それとも違うたゆたう感じがなんとも心地よいもんだ。ゆるりと飲んで、ゆるりと揺れて。これもまたオトナの楽しみ。ぼくもいいオトナになったからね。


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SAPPORO CITY JAZZ「RICHARD BONA」を観る(16.7.28)

「アフリカからの風、ラテン経由?涼しい札幌に到来」
 歌えるベーシストってすごいと思う。だって、リズムとメロディって違うじゃない。もちろんベースラインも。それを釣られることなく歌いきるすごさ。ベーシストが歌うと女の子にもてるという定説も、ダテじゃないと思う。
 だから、リチャード・ボナのベーステクと歌声って最強なんじゃないか?Grooveなんていうけど、リチャード・ボナの創り出す風とうねりって、心地よいだけじゃなく、凄い広がりがあるんだよね。そこに凄腕のバックがついてるんだから、どこまでも延々と吹き抜ける風のようで。
 さらに、瞬発力というかアドリブ力というか。とにかく聴くものすべてを自分の風に採り込んじゃう。子供が泣けば「ドナドナ」からの「ボナボナ」で和ませ、救急車が走ればその音色を盛り込む。変幻自在の風が、包んでくれる。
 どんな楽器もこなすボナ。5弦ベースの奏でる高音の意外性にうっとり。でも、サンプリングマシンに自分の声だけを重ねて聴かすのは圧巻過ぎて反則だよ。聴き入っちゃうじゃない。
 ボナの音を、ボナの風を堪能した上に、すごく優しい気持ちになれた夜でした。


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SAPPORO CITY JAZZ「ORIGINAL LOVE」を観る(16.7.23)

「ソウルパワー降臨。小さい事務所で25年の凄みがビンビンと」
 全開のソウル、全開のパワー、全開の歌声、全開のジャンプ、全開のORIGINAL LOVE。25周年アニバーサリーツアーの番外編はとにかく全開の田島貴男が存分に楽しめた。
 19:30スタート、21:30クローズのSAPPORO CITY JAZZ。いつものツアーの構成を2時間に凝縮させたんだろうなってくらい、MCなしで飛ばしまくる田島貴男。のっけから『夜をぶっとばせ』で始まる、超ハイテンションライブ。圧巻としか言いようがない。
 25周年記念ということで、もちろんヒット曲も存分に。出し惜しみは一切なし。余力も残さぬ潔さ。これが同学年の男の生きざまなのかと、男ながらに惚れ惚れ。だって、ぼくにはそんな強大なソウルパワーも体力も持ちあわせていないんだもん。
 そして『接吻』でオトナの色気を学ぶのです。この後、飲みに出て3度も『接吻』を歌うハメになるのです。あっ、フルではなくて、出だしのとこだけだけどね。
 濃密な時間を堪能。叩きすぎて手はパンパン。煽られて叫び、歌い、喉もカラカラでガラガラ。でも思う。また観たいって。Jazz じゃないけど、みんな楽しんでるんだから、いいよね。


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SAPPORO CITY JAZZ「野宮真貴」を観る(16.7.22)

「札幌は夜の7時…半。ほぉら、レビューが始まる」
 今年のSAPPORO CITY JAZZ。ぼくの中で一番の楽しみが野宮真貴なんだよね。彼女のビルボードライブCDを聴いて、かつて夢中で聴いた渋谷系の曲たちをスタンダード化する計画に大賛成で。でも、誰でもいいわけじゃないんだ。野宮真貴がJazz アレンジで歌うからこそ、渋谷系の魅力が一段と増していく。渋谷系ムーブメントの中心にいて、歌いこなす歌唱力を持つ野宮真貴だからこそ。
 『東京は夜の7時』で始まったライブ。渋谷系の原点から渋谷系を感じさせる曲、そして渋谷系と称される曲まで、しっとりと聴かせてくれる。POPでキャッチ―な渋谷系が、オトナの装いでリメイクされていく。
 フリッパーズギター、ピチカートファイブ、小沢健二。渋谷系とひとくくりにするのももったいないけど、時代を飾った名曲が埋もれてしまうのはなおもったいない。メロディだけでなく、詞だって素敵なんだから。野宮真貴にしっとり歌い上げられて、気分は最高なのね。
 ピチカートメドレーはもう、夢見心地。『ストロベリイ・スレイライド』にはうるっときたりして。なんたってぼく、67年2月生まれだし。小西さん、札幌出身なんだから、来てくれればよかったのに。
 ピチカート復活は観たいよなぁ。もちろん高浪敬太郎も込みで。田島貴男は…無理か。


撮影タイムの野宮真貴。遠目だと木村カエラにも見えたりして。


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SAPPORO CITY JAZZ「Fried Pride featuring 武田真治」を観る(16.7.14)

「唄とギターと、時々サックス。Good Music!」
 酒を飲みながら耳を傾けると、素敵な音が聴こえてくる。聴き覚えのある曲が、ギター1本と歌声だけのアレンジで奏でられている。ウィスキーを舐めるのを止めて聴き入ってしまう。話しを止めて揺らされてしまう。ごくごく自然に音楽があり、うきうきしてきて耳から離れなくなる。Fried Prideって酒に合うよね。
 なにせかっこいいし、とても楽しい。音を楽しむを地で行くような。スタンダードナンバーも選曲とアレンジが絶妙で。
 そんな彼らに武田真治がサックスで参加。すっかりバラエティー色が強くなった武田真治だけに、喋ってもいじられても存在感あるな。でも、それ以上に彼のサックスプレイの存在感も凄かった。ぼくらがFried Prideに酔っているように、武田真治もFried Prideに酔って楽しんでるみたい。そんな機微が見られるのも、ライブの楽しみなんだよね。
 最初の『Part-Time Lover』から心鷲掴かまれて、ラストまで。超絶ギターテクと歌声に魅了され、心地よく酔っぱらった素敵な夜でした。


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SAPPORO CITY JAZZ「大橋トリオ」を観る(16.7.13)

「全然ジャズじゃないですが…、素朴さがにじみ出る大橋トリオ」
 今年も札幌にJAZZの季節がやってきました。ぼくにとっての今年初は、おそらく今年一番チケットが入手困難だった大橋トリオ。当日券ももちろん売り切れです。
 大橋トリオってオダギリジョーに似てるよね、見た目。で、オダギリジョーの素朴な演技と同じように、大橋トリオの楽曲の素朴さがまたリンクして…って思ってるの、ぼくだけ?
 「全然ジャズじゃないですが…」なんて主催者泣かせの言葉で始まったライブ、やっぱり大橋トリオの素朴さが詰まっててさ。優しいんだよね、歌声も曲もアレンジも。で、要所にはちゃんとジャズの要素が散りばめられてるよね、アレンジとして。きっと本人は強く意識したわけじゃないんだろうけど。
 アコースティック、マイク一本でのフォークコーナーや、人間(3人)ディレイなど、楽しめる趣向もたっぷり。ジャズって基本、自由な物なんだよね、きっと。それを感じさせてくれるライブだった。
 あぁ、心が洗われる・・・。


エスニック
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「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」を観る(16.7.4)

「だからクドカンは最高なんだよ。こんな楽しくてカッコよくて素敵な映画作るんだもん」
 なんだろう、涙が止まらなかった。
 とてつもなくあほな映画である。17歳でバス転落事故に遭い、命を落とした高校生が、未練たっぷりのこの世(あの世?)に帰るべく地獄で奔走し、果てにロックに目覚める物語。いや、決して目覚めたわけじゃない。彼にとってロックは道具のひとつにすぎないのだから。でも、その道具であるべきロックに時に翻弄され、時に救われる。だからこの映画は純粋なるロック映画であり、ぼくの中では『ブルース・ブラザーズ』に並ぶファンキーなミュージカル映画なのだ。  とにもかくにも官九郎ワールド、官九郎節の炸裂につきる。良識ある大人なら鼻で笑ってしまうような世界観やシチュエーション、繰り広げられる展開は、17歳の妄想そのままって感じ。宮藤官九郎の中の17歳が思い描いていたこと、心残りだったことがすべて盛り込まれているのでは。でも、その青い想いってなにも官九郎だけのものじゃなく、世の17歳を経験したことのある男子のほとんどが共有できるものなんだよ、きっと。だからこんなに切ない気持ちになるんだよ。大介に感情移入しちゃうんだよ。彼がどこで転生しようとも。
 あのころの淡い想い、聞きたかった言葉、もやもやした日々、微笑ましい見栄、聞けなかった言葉、取り返しのつかない過ち、聞くのが怖かった言葉、伝えたかった気持ち、知りたかった気持ち。それらのすべてを愚直に求める大介に、ぼくらは在りし日の自分を重ねているんだ。どんな姿にその身を変えようとも、ひたすら前を向く大介に、ホントはぼくもなりたいんだ。
 ぼくは宮藤官九郎が大好きだ。官九郎の紡ぐ物語は、あのころのあれやこれやをはぐらかすことなく真正面から受け止めてくれる。まるで官九郎の中にいる17歳の官九郎に、「迷い悩みながら進む未来って、結構素敵なんだぜ」って言い聞かせているようで。もちろんつらいことだってたくさんある。でも、小さくてもそこには確かに希望があり、「世の中って捨てたもんじゃないぜ」って伝えてくれているようで。すべてではなくても、ほんのちょっとかもしれないけど、いつか通じ合える日が来るって伝えてくれているようで。
 いかすロックが響き渡る、男の子の妄想ワールドは、49歳のおっさんの内角ふところ深いところを何球も何球もえぐり続けてくれたのさ。素直になれっ!本音で行こうぜっ!って。
 不幸な事故や事件、災害が多発し、この映画自体も延期を余儀なくされたけど、この映画がきっと塞いだ心に希望を与えてくれると思うんだ。
 面白いの裏側に広がる宮藤官九郎のメッセージ(本人ははぐらかすだろうけど)、きちんと受け取ってほしい。


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「二重生活」を観る(16.7.2)

「覗かれてもいい秘密なんて、誰も持っちゃいないんだよね」
 他人のプライベートを覗き見することによりできた研究に、書かれた論文に、どれほどの価値があるのだろうか。その論文でいったいどんな哲学を得ることができたのだろうか。なんてこと、真っ先に考えちゃった。
 修士論文作成のため、教授の勧めで他人を尾行し研究をすることになった大学院生。自宅の近所に住む名士のご主人の尾行で知ったのは、円満家庭の裏に隠された秘密だった。
 秘密は他者にとっては甘美なお楽しみになる。でも、知らなくてもよいなにかを知ることにより、失うものがあることは、幸せなんだろうか。そんな問いかけがスクリーンの向こうからビシバシ伝わってくる。
 許されない秘密があるのと同時に、優しい嘘も存在する。捉え方は人それぞれなんだろうけど、秘密に振り回される現実ほどせつないものはないもんね。
 秘密を知り、秘密を作り、秘密に縛られ、秘密に泣かされる。他者の秘密が甘美な分だけ、自分の秘密は重いんだよね。
 しかし、あのおばちゃんがかつてのセクシー女優・烏丸せつこだなんて…。この映画の一番のサプライズだよ。


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石田衣良「水を抱く」を読む(16.6.27)

「夜空に光る 黄金の月などなくても」
 石田衣良史上もっとも危険でもっとも淫らな純愛小説。
 帯の煽り文句に煽られ、通勤電車で読んでも大丈夫かを気にしながらも、淫らな世界に足を踏み入れてしまった。
 エロっ。エロいけど、エロの陰にあるはずの本心、なかなか見えないナギの心をなんとか覗き見したくなる。でも、ぼくにできるのは所詮覗き見程度。奔放すぎるナギを受け止めるだけの器量はきっとぼくにはないだろう。
 それゆえに、快楽に惑わせられながらも人を愛するということに真正面から向き合う俊也に嫉妬してしまう。ナギに対する一途な思いに。あっ、めくるめく快楽にも…ちょっとね。
  モラルとか、建前とか、ホントの気持ちの前に立ちはだかるすべてのものを凌駕して貫く愛。これこそが純愛なのかもしれない。目の前の障害にへこたれない、真実の愛に向き合う勇気をぼくも持ちたいんだ。
 この本を読んでいる間、ぼくの心の中でスガシカオの『黄金の月』がずっとかかっていた。二人がいれば、二人でいれば。夜空に光る黄金の月などなくても…。


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小沢健二「魔法的 Gターr ベasス Dラms キーeyズ」を観る(16.6.15)

「かつての仔猫ちゃんたちとぼくの中の仔猫ちゃんが、日常を忘れる夜」
 小沢健二、久々のライブ。「神様」「東京タワー」など、オザケンの歌詞にたびたび登場するキーワード。中でも比較的新しめの曲に多く使われた「魔法」をタイトルに冠したライブハウスツアー。きっとどの会場もなんだろうけど、札幌も青白のボーダーシャツ着たかつての仔猫ちゃんたちが大集合さ。心に仔猫ちゃんを宿したぼくも、負けじと集合。赤、青、緑、紫の電飾が場内でまばゆく光る、ライブの始まり。
 それはまさに小沢健二がかけた魔法だったのかもしれない。かつての仔猫ちゃんたちも多くは40歳を越え、それぞれに日常を抱えている。でも、いまこの時はあの頃に戻ることができる。小沢健二という存在と、彼が奏でる楽曲のおかげで。2度と戻れない美しい日に戻れる魔法を。そして静かに離れていった心が、またギュッとつながれる魔法を。
 名曲の数々と、新曲たち。新曲に王子様のイメージはないものの、小沢健二らしい言葉が、小沢健二たらしめている。今回披露されたのは7曲。なぜリリースしない?今回のライブでは新曲の歌詞を映し出す試みもあったけど、覚えきれないよ。小沢健二の紡ぐ言葉にじっくり浸りたいとこなのに。
 名曲の数々はそりゃもう大合唱。ぼくたちには魔法がかけられているんだから、照れも外聞もかなぐり捨てて。日常を遠く置き去りにして。たださ、さすがにいいオトナになった今では、大声で「マホーっ」って叫ぶ無邪気さは、ぼくには残っていなかったよ…残念。
 大好きな『天使たちのシーン』はアドリブスタイルで披露。これもまたカッコよく、真似したくなっちゃった。
 でもね、魔法はいつかは解けちゃうんだよね。楽しい時間、美しい日は永遠には続かない。でも、そんな時間があったことが、次々と訪れる明日たちと、容赦のない現実と向き合う力になるんだよね。
 魔法は解ける。日常に帰ろう。


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西加奈子「サラバ!上・下」を読む(16.6.12)

「神なのか、言葉なのか。信じるという終わりなき旅」
 自分の信じるものはなんだろうか。テヘランから始まった主人公・歩の人生。とにかくスケールがデカいのだ。一般人では得ることのできない体験、壮絶な家庭、天性の容姿。あるものはとてもうらやましく、あるものには同情したくもなり。嫉妬しようが同情しようが、ぼくの人生じゃないんだから、こんな人が実際に近くにいてもぼく自身にはあまり響かないのだろうけれど。
 ところが小説だと彼の心情を知ることができるから、「スカした野郎が…」に寄り添えてしまう。理解してしまうんだな、これが。そりゃそう考えるわなって。
 世界の事件、日本の事件と家族の在り方がリンクするかのように動き、歩の生活に、歩の考えに大きな影響を与える。そして、その時々に出会う人たちに大きく揺さぶられていく。ぼくもよく知る時代の物語なので、共感具合がさらに増すんだろうなぁ。
 テヘラン生まれの西加奈子、正月に放送してたテレビ『共感百景』でくりだしてくる言葉のすごさに圧倒されたもんね。彼女に信じる確かなものがあるからこそ生み出される力強い言葉たちなんだろう。
 信じるものがいまだに見つからないぼくの言葉は、なんと薄っぺらい、吹けば飛ぶような言葉なんだろうか。


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チャラン・ポ・ランタン ツアー2016『唄とアコーディオンの姉妹劇場』を観る(16.6.10)

「どんなに毒を吐いたって、素敵な音楽と去年見た涙でAll OKなのさ」
 チャラン・ポ・ランタンの姉妹二人だけのアコースティックなライブが今年も地元・新さっぽろはサンピアザ劇場でありまして。
 もうね、あのアコーディオンと歌声だけで奏でられる淫靡というか混沌とした世界観に、どっぷりやられてる。まだうら若き姉妹だというのに、オトナをざわつかせる調べはいったいなんなのか?時に歌舞伎町のキャバレーであるかのように、時にサーカス小屋の中であるかのように、時にうぶな箱入り娘の部屋であるかのように、サンピアザ劇場が色を変えていく。それらすべてがチャラン・ポ・ランタンの色であり、姉妹の手にかかればどんな名曲だって、その色に染まっていく。かわいいだけじゃなく、楽しいだけじゃない世界に。
 小春(姉)の手から目が離せない。あの複雑怪奇な鍵盤の、どこを押せば何の音が出てくるのやら。そんで、出てくる音の表情が豊かなこと。これがチャラン・ポ・ランタンの世界観の土台になっている。その上にもも(妹)のウィスパーからシャウトまで変幻自在な声が重なり、虜になっちゃうんだよなぁ。
「喋るたびにマイナスプロモーションになる」と評判の小春のMC。確かに本人の意識とは違い毒舌だけど、去年のライブでの姉妹愛を見ちゃってると、どんな言葉だって愛情たっぷりに聞こえるよ。またその毒がチャラン・ポ・ランタンの世界観のテイストのひとつになってるんだし。
「札幌はノリが悪いなんて誰が言ったんだ?」
 会場通路に飛び出して叫び歌いまくるもも。通路沿いに座ってたぼくの目の前にも来てくれたぞ。そして魂の側転2回転。そんなことされたら、もっともっとノっちゃうじゃない。無限に湧き上がる楽しさ、テッペン知らずか?
 残念ながらまだバンド編成のライブを観たことがない。北海道の野外フェスのひとつ、JOIN ALIVE に3年連続出演らしいけど、あれって毎年ダメな日にやってくれるんだよなぁ。ワンマンでの来札を期待してます。
 ということで、今最もハマっているアーティストのライブ報告でした。
 先日の真心ブラザーズといい、アコースティックの北の聖地になるのかも…サンピアザ劇場が。


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熱海五郎一座「熱闘老舗旅館ヒミツの仲居と曲者たち」を観る(16.6.8)

「立場は笑いも変えるのです。還暦を迎えた喜劇人の優しい笑い」
 劇団スーパーエキセントリックシアター、コント赤信号。かつて、若者たちの強い支持を受けた喜劇人たちが集う東京喜劇・熱海五郎一座。ぼくもSETを観に行ってたので、どことなく愛着があり。名前の由来は大先輩・伊東四朗氏から。
 それにしても驚いた。場所が新橋演舞場ということもあってか、場内高齢のお客さんでいっぱい。かつての若者だったぼくもいい年齢ではあるんだけど、ぼくの親世代が集っているのだ。そして、かつては尖っていた(と思ってた)笑いを演じていた彼らが、優しい笑いを演じていた。
 箱根の老舗温泉旅館と観光ホテルチェーンとの抗争がサミット誘致合戦に至り、なぞの若女将、歌姫、神奈川県知事なんかが絡んでおおわらわ。
 前述のとおり、優し笑いの中に時事ネタなんかが散りばめられて、それはそれは楽しい舞台に仕上がっている。中でも、半年前から知事役が決まってたのに、その後の東京都知事問題で役が以上に膨らんだラサール石井と、笑点司会に抜擢された春風亭昇太の裏話にはニンマリ。老若男女に通じるネタがあるって、ホント強みだね。
 三宅裕司が意外と静かだったのは、終盤の見せ場に備えていたのかな。個人的には一芸自慢に見えて鼻につくコーナーだったので、純粋にもっと三宅裕司の笑いが見たかったなぁ。
 松下由樹、笹本玲奈といった客演が花を添え、舞台を彩ってくれてます。
 そのうち松竹新喜劇みたいに全国公演とかもやればいいのに。


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世良公則 60th Anniversary LIVE「Birth」〜タカガウマレタヒ〜feat.押尾コータローを観る(16.6.5)

「すごいものを聴けたのは確かだけど、ホントに聴きたいものは…」
 高揚感とは裏腹に、充たされない感がハンパない。なんだろう、いろんな意味で裏切られたライブだった。いい意味でも、悪い意味でも。
 小学6年の頃だったか。世良公則&ツイストはひとつの衝撃だった。かっこいいやつが出てきたと。もちろん真似したけど、あまりの女子人気に気圧されたのを思い出す。その頃は女子の方が強く、真似しようものならクレームが殺到(そんなあの頃の女子たち、会場にいっぱいいたなぁ)。ゆえに、ジュリーになれないと悟り、桑田佳祐の衝撃と薫陶を受けたぼくには、「交差点の向こう側」に立つ大きな存在だった。
 そんな世良公則が60歳を記念し、リボーンを目指したライブ。押尾コータローとギター2本の完全アコースティックライブ。あの世良公則の名曲たちをナマで聴くことができる。
 のっけからかっちょいい声で聴かせまくる。それに押尾コータローのギターが相まってすごい音になって伝わってくる。ロックの先人たちの名曲、とくにぼくも思い入れのある『身も心も』は涙もの。押尾コータローのソロにあんなもので参加する世良公則とか、もう楽しすぎ。満を持して登場したぐっさんこと山口智充も…。
 リハにない世良&押尾のアドリブ合戦に戸惑いながらもきっちりメインで占めたぐっさんは最高にカッコよかった。それだけでぐっさんナイスジョブ。でも、ツイストの黄金期の名曲のほとんどをぐっさんがメインで歌うってどういうこと?ぼくは世良公則の声であの名曲たちを聴きたかったのに。なぜ本人がいるのに、本人の声で聴けない?まったくもって不可思議で、残念でならない。トリビュートライブ観にに来たわけじゃないんだぜ。
 最高に楽しくも、最悪のがっかり。これはトラウマになりそう。MC長すぎだったし。


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道新寄席「柳家喬太郎 独演会」を観る(16.6.3)

「道新寄席の歴史が変わった?喬太郎まさかの新作、しかも白鳥の…」
 いつも思ってた。何度も書いてきた。どうして道新寄席は古典しかやらないのか?その答えが今日の高座にあった。道新寄席に三遊亭圓丈が上がる日も近い?
 それにしても、喬太郎の芸達者ぶりをとことん見せつけられた独演会だった。落語、講談、浪曲の使い分けや、懐かしのゴジラ、ウルトラマンまで。まくらは飽きることありません。
 もちろん、落語も絶品で。談春が聴かせる落語なら、喬太郎は笑わせる落語なんだよね。
 新作落語の機運が高まれば、SWAの復活も夢じゃない?でも昇太は『笑点』の司会者だからなぁ。
【一、あたま山 小太郎】
 『芝浜』に憧れる二つ目の小太郎が、客の生理現象にまくらをとられながらも、とことん阿呆な噺で笑いを取る。不可抗力とはいえ、絶妙な間のくしゃみ。笑いの基本を感じさせるハプニングだった。
【一、転宅 喬太郎】
 喬太郎のキャラの使い分け、とくに女性の演じ方は絶品。声の出し方、仕草、表情。喬太郎が喬太郎でなくなる。泥棒に入られたお妾さんが機転でを利かして難を逃れるこの噺、喬太郎の艶っぽさと間抜け顔をを堪能できます。
【一、任侠流山動物園 喬太郎 】
 まさか新作落語をかけるとは、道新寄席で。もちろん、喬太郎自身新作落語の第一人者でもあるので、かけるのはなんら不思議ではないんだけど(待ち望んでたくらい)、ネタが自分のではなく盟友・三遊亭白鳥の定番ネタ。白鳥の一本気と勢いとは違い、キャラの使い分けを徹底し、合間に自虐を加えるサービスぶり。ドッカン、ドッカン、場内割れんばかりの大爆笑。古典落語も昔は新作だった。一之輔、三三など、若手成長株がこぞってかける『任侠流山動物園』は古典落語として語り継がれる名作になったのかもしれない。



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「EGO-WRAPPIN’ AND THE GOSSIP OF JAXX live tour」を観る(16.5.25)

「歌えや踊れ、完全燃焼で祝う20周年のララララ、ラーララーララーララーララー♪」
 カッコよさと猥雑さ、モダンとレトロ、様々な二面性を持ついかすユニットEGO-WRAPPIN’。結成20年なんだってね。年々よっちゃんの動きがキレてきてかわいくなっていく。そんな彼らのライブ、めちゃカッコよかったよ。
 20年のあれこれを…って言葉から始まったライブ。その通り、新旧の名曲に加え、ぼくら世代にドンピシャなカヴァー曲まで。もう、素敵すぎてたまりませんわ。
 歳のせいもあり、オールスタンディングが苦手なこの頃なんだけど、今日は跳んで跳ねて騒いだなぁ。いつもなら翌日のパソコン作業を気にして手をあまり叩かないんだけど、今日はお構いなし。ライブ終了後、股関節が変に痛かったもん。でも、それもこれも心地よいんだよね。すべてよっちゃんと森ラッピンに導かれるまま。
 もうね、「あれはまだ?」が終盤怒涛の2連チャンで全精力を使い切ってしまった…と思ったのに、懐かしのカヴァー大合唱でラストスパートへの余力が生み出され、踊って終われちゃうなんて。これはもう、ラッピンマジック?
 みんなの手垢できれいな飴色のライブにしたいだなんて、もうみんなはりきっちゃうよ。札幌の『サニーサイドメロディー』大合唱を気持ちいいと言ってくれて、よっちゃんありがとね。歌ってるこっちの方が気持ちよかったよ。
 もうね、帰りはベスト聴きながら、よっちゃんになりきりさ。最高過ぎて、眠れなくなりそうだぜ、今夜。ウクレレ弾いちゃう?


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「アイアムアヒーロー」を観る(16.5.21)

「すべての活力は二人の美女に支えられてます」
 パッとしない日々を送るマンガアシスタントが、なぞの新種ウィルスによりゾンビ化したZQNに立ち向かう。女子高生を守るために。憧れていたヒーローに近づけるか?
 まぁ、予想はしていたけど、R15+指定の名に恥じないグロさが随所にちりばめられていて。正直、「苦手」って思っちゃった。でも、せっかくだからと根性入れて観たら、なんとか無事に観終えることができて。なんせビビりなもんで、ぼく。
 画角的にはきつかったけど、主人公の心情の変化や集団心理に関しては面白かった。とはいえ、有村架純と一緒に入れて、長澤まさみに激励されたら、男は頑張っちゃうよね。どうせひとりじゃ生き延びられないだろうし。そんな心理と感情を、大泉洋が上手く演じていたんじゃないかな。特別じゃなく、普通の人を。ぼくも有村架純と長澤まさみがいたから、最後まで観ることができたといっても過言じゃないし。
 でも、一番強いのってきっと、藪さんこと長澤まさみなんだよね、きっと。


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道新寄席「立川談春 独演会」を観る(16.5.15)

「一番後ろの席からも、存在の大きさが伝わった落語会」
 やらちねたっぷり談春師匠。でも、前回独演会から3ヶ月ということで、たらちねが短い分三席やりますって、どんだけいい人なんだか。しかも、短いたらちねもとても面白い。いつもの志らくいじりも今日は愛情がたっぷりで。小さん師匠なんて大御所も飛び出して(小三治師匠はレギュラーだけど)、それはそれは面白く。
 談春師匠、同学年なんだよなぁ。『ROOTS 66』で初めて気がついた。あの落ち着きぶり、くぐってきた修羅場の数が違うんだろうなぁ。
【山号寺号/立川談春】
 成田山新勝寺、東叡山寛永寺、金龍山浅草寺、一縁山妙法寺。どんな寺にも山号と寺号があるということから始まる大喜利大会。通りを見まわし、目につくものに山号寺号をつけ、若旦那から褒美をいただくっていうお噺。とんちを効かせた屈託のない笑いが心地よい。たらちねで十分会場が暖まってるところに追い打ちをかけるような波状攻撃。やってくれるなぁ。
【天災/立川談春】
 不覚にも半分以上睡魔に堕ちてしまった。本当にごめんなさい。なにせハードな日々だったもので。
【包丁/立川談春】
 談春Ver.の『包丁』は初めてかな?これまでは奥様(清元の師匠)の不憫さに同情してたんだけど、彼女そばに男がいないとダメな女性なんだなって初めて思えた。悪いやからに付け入られないようにって保身もあるんだろうけど、そもそもそばにいるのがそんなやからで。つまりはそういう男が好きな女っていう演じ方してたのかななんて思っちゃった。



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「YO-KING×桜井秀俊 弾き語りツアー サシ食いねぇ!」を観る(16.5.14)

「勝抜きフォーク合戦の覇者の弾き語り」
 『KING OF ROCK』で度肝を抜かれてからから21年。一度Liveに行きたいと思いつつ、叶わなかった真心が、地元新さっぽろのサンピアザ劇場に?柳家喬太郎には「ここは札幌ではない」と言われている小さなホールで彼らが見せてくれたのは、弾き語りのサシ対決。ぼくは彼らがビシバシのバンドスタイルになってからしか聴いていないけど、もともと彼らは「勝抜きフォーク合戦」出身だった。
 いつも通り、飾らないスタイルの二人。コイントスで先攻後攻を決め(結局コイントス関係なかったけど)、ギター1本で弾き語る。
 先攻・桜井秀俊、好きなんだよね。真心全体で彼の楽曲数は少ないけど、ソロプロジェクトとか買ったもん。一番好きな『今しかないあとがない』は残念ながら演奏されなかったけど、桜井節全開で和ませてくれる。フーも投げキッスも飛び出して、ご機嫌バリバリ絶好調。昨夜書き直したという『アイアンホース』、北海道新幹線に携わる者として、ちょっと感慨深かったよ。
 後攻のYO-KINGもご機嫌のようで、桜井イジリに始まって、後輩ミュージシャンとの秘話などMCが出るは出るは。もちろん、彼らしいシンプルでストレートな楽曲も次々と。懐かしい…曲も、15分で作ったコンビ愛の新曲も(偶然だけど)。アラ50ありのまま等身大なんだよね。それがいいんだよね。
 最後は二人そろってギターデュオ。原点回帰の真心ブラザーズ。あぁ、これが真心なんだよね。
 ゆったりしたいいライブだった。またウクレレ弾きたくなってきた。秋にはバンドスタイルで来札するみたいだから、スケジュールが合えば行っちゃう?


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「リップヴァンウィンクルの花嫁」を観る(16.5.6)

「あまりにもいろいろあり過ぎるから、黒木華のすべてに没頭するのです」
 正直、凄すぎて唖然として、どうしたらいいのかわからなくて。七海…いや、黒木華を守ってあげたいんだけど、あまりにも展開がめまぐるしく、次々と進んでいくので、どうしたらいいのかわからなくて。すごい短期間に今の時代のありとあらゆるものにさらされたかのような黒木華の、戸惑いから始まるありとあらゆる表情と感情、そのすべてを見入ってしまう。それこそがぼくの大好物なんだけど。
 それにしてもすごかった。ネットから広がる世界の落とし穴がそこにあり、自らハマったのか、誰かにハメられたのか分からぬままに、流れ流されていく。善意と悪意の見境がつかなくなり、手を差し伸べるすべて者に後光がさしているような感覚に陥るような。ランバラル、安室、アズナブルで気づけよって思っちゃうんだけど、20代にファーストガンダムはわからないか。
 ちょっとネタバレ。なんとなく素敵な結末になってるんだけど、そもそもどこからが仕組まれた罠だったの?黒木華に魅了され、どうでもよくなっちゃいそうだったけど、この闇ってすごく深いんだよね。
 出てくる役者がDMM.com通販のサンプル視聴で見覚えのある人が多かったことからも、岩井俊二の描きたかった現代のリアルさがひしひしと感じられ、すごい怪作だってことが伝わってくる。
 でもね、やっぱり黒木華の魅力が一番なんだよな、ぼくには。


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「舞台 魔術」を観る(16.4.30)

「中山美穂の初舞台は自分探しの場になってしまったかな?」
 中山美穂の初舞台となる『舞台 魔術』の千秋楽。千秋楽だから、思ったこと全部正直に書いても大丈夫だよね、きっと。
 内藤裕敬作・演出の不条理劇。ぼくが初めて不条理という言葉を知ったのは、吾妻ひでおのマンガを読んだ時。だから、ぼくにとっての不条理は吾妻ひでおが原点なんだけど、不条理劇ってどうしてあんなにも怒鳴りあうのだろうか?どうして死がテーマになるのだろうか。もはや生きてるのか死んでるのかわからない世界にしか不条理は存在しないのだろうか…。観ててつらくなるんだよね。だって、出会って即怒鳴り合いなんて、ビーバップの世界くらいじゃん…ということで中山美穂?
 中山美穂、やっぱりキレイだった。アラ40には見えない美しさ。若かりし頃、たぬき顔KYON2派のぼくとしては、目の端が上がったきつね顔のミポリンは苦手だったんだけど、今見るとキレイはキレイなんだなと。ただ、不思議なんだけど、目を閉じて彼女のセリフを聞いていると、声質も演技も小泉今日子かと思ってしまう。話が進むほどに、その思いが強くなって。中山美穂らしさってどこにあるのだろうか?見た目でいうと髪型のせいもあって、松下奈緒にも見えてくる。そうなると、中山美穂の需要ってどこにあるのだろうか。余計なお世話だろうけど、心配しちゃったりして。もっと中山美穂らしさを出して欲しかった。それがなにかはわからないのだけど。
 勝村政信さすがの演技力。最初の悪ふざけがのちにハプニングを産むなんて、千秋楽ならでは?でも、中山美穂のおそらくアドリブでのキスを真剣に拒もうとするところ、結構純な一面も。萩原聖人が実直で直球な演技をしていたので、技巧派がより一層光ったのかな。
 世界中の誰よりきっと♪なオンリーワンの中山美穂がどこかで見れること、期待しちゃう今日この頃です。あっ、歌えって意味じゃないですよ。


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「"Kalafina with Strings" Spring Premium LIVE 2016」を観る(16.4.17)

「最初の一歩、つまづいてももう一歩」
 最初に謝っておきます。うちのバカな後輩に誘われて観に行ったんだけど、「予備知識なしで聴いてもらえれば…」なんて言葉を真に受けてしまって。なんの予習もせずに行ってしまいました。なんと迂闊な。
 しっとりとしたピアノとストリングスだけのアレンジによるLive。ぶっちゃけなにを聴いたってしっとり感しかないのです。彼女たちが歌が上手いのはよーくわかるのですが、印象が一緒なのです。ちゃんと元歌聴いてから行っていれば、「こんなふうにしてきたか」なんてアレンジの妙にも舌鼓なんだろうけど、しっとり感から入るとなにがなんだか。21世紀の安田祥子・由紀さおり姉妹かなんて思っちゃったりして。返す返すごめんなさい。
 唯一認識できた『歴史秘話ヒストリア』のテーマソング、聴き入ってしまったわ。
 なんとも失礼な結果で申し訳ないのですが、Kalafinaに興味を抱いたのは確か。ちゃんと聴きこんで、次はバンド形式のLiveに行こうかな。


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「グランドフィナーレ」を観る(16.4.16)

「本当の言葉、本当の気持ちはいつも、片道切符なの」
 なんだか昨日から言葉と想いについて考え通し。本当の気持ちを言葉にしたか、それは相手に伝わったか。
 英国女王の依頼を断った指揮者、亭主に浮気され離婚が近いその娘兼マネージャー、脚本のラストに思い悩む映画監督、ロボット役のイメージから脱却できない役者。そんな人たちが集まるアルプスのホテルでの、ゆったりとした、それでいて起伏の激しいひと時の物語。
 秘めた想い、隠した想い、忘れたい想い、届かぬ想い。過ぎてから気付く、失ってから気付く想いの数々。後悔、懺悔、贖罪…若き日に戻れたら、取り戻すことができるのだろうか?それらすべてを最後の大舞台は浄化してくれるのだろうか?
 ゆったりとしたアルプスでの日々は、すべての想いを包み呑みこんで、時にやさしく、時にシビアに、時にユーモラスに描かれている。
 どんなに成功をおさめた人でも、後悔のない人生を歩めているわけじゃない。人って繊細で難しい生き物だ。


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住野よる「君の膵臓をたべたい」を読む(16.4.15)

「生きるのも生かされるのも、ひとりじゃダメなんだ」
 何度も書いてきたことなんだけど、死を前提にした物語は好きではない。だから、この本だってきっと自分では買わなかっただろう。敬愛する小山隊長にいただいたおすすめ本だから。
 最初から死が前面に出てくる。膵臓を患って余命が1年の人気者の同級生と、他者とのかかわりを拒んできたぼくの物語。終わりが来ることがわかっている二人の、これまで決して交わることがなかった二人の、ぎこちなくも初々しく、儚くてせつない、正反対の二人が紡ぐ高校2年の短い時間。
 正直、なにを書いていいのか。それほどの衝撃を与えてくれた小説だった。閉ざされた心が開いていくさま、人それぞれが持つ内なる想い。必ずしも明かされるものではないのかもしれないけど、誰かと関わることにより起こる変化。すべての人が形こそ違えど抱いている期待や恐れ。すべての感情が吐き出されることはないのかもしれないけど、その一端を知ることで築かれる新たな関係。そのどれもに驚き、そのどれもに心が揺さぶられる。まるでぼく(岡本)の心まで覗かれているように。
 ごめんなさい。抽象的なことしか書けません。物語の概要を書いたところでこの想いは伝わらないだろうから。だから、抽象的でも少しでもぼくの想いを伝えたいから。50手前にして、胸をぎゅっとされたまま、その消失感と伝えられない想い、伝わった言葉に涙してしまうから。
 反対側から見続けた世界は、どんな色をしていたのだろうか。
 今日この日にこの物語を読了したこと、すごく意味を感じる。それはまるでぼくが選んできた結果として。
 先日発表された本屋大賞で第2位だったとか。色眼鏡なしで先に読めたことに感謝し、その評価の高さに納得する。ずっと大切にしたい物語だ。


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押尾コータロー「Tussie mussie U 発売記念ライブ 弦音〜loves cinema〜」を観る(16.4.2)

「弦音の残音の余韻に浸りながら」
 久々のナマ押尾コータロー。今回は札幌が誇るクラッシックホール「Kitara」での、アンプなしのナマ音ライブ。
 Kitaraの小ホールは初めてだけど(大ホールも入ったことないか)、すごく澄み切った静寂と響きを与えてくれる。そこにあのコータローの超絶ギターテクが…。
 耳慣れた映画音楽で構成されたセットリスト。『Tussie mussie U』の収録曲に加え、これまでのカヴァー曲、コータロー自身が作った曲。どれもが映画を彩った音楽。時には寄り添うように、時には前面に進み出て。
 これがギター1本で奏でられてるんだもんなぁ。いや、ギターとホールが調和して創り出される心地よい揺らぎ。なんとかあのテクの糸口をつかんで帰りたいなんてあさましい気持ちが、ふわっとどこかに飛んでいくような。そもそもじっくり手元を見たところで、ぼくに真似ることなんか到底無理なんっだけどさ。でも、やってみたいって思うじゃない。男の子なんだから、ギターはさ。
 願わくば『Mission Impossible Theme』もナマで聴きたかった。あの音はどう奏でれば出てくるか。もちろん真似はできないよ。真似はできないけど、確認はしたいじゃない。
 コンセプト上、アップテンポの曲はなく、ギターをドラム代わりに叩くことはなかっただけに、今度は爆音コンサートで立ち上がって堪能したいと思わせてくれる。これぞ相乗効果というやつか。
 まだ雪残る札幌の春の夜。外吹く風の音と冷たさを忘れ、心地よい音にさらされる。オトナの階段をまた一つ上ったような気分なのです。まぁ、コータローは年下らしいんだけど。


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又吉直樹「火花」を読む(16.3.29)

「ジリジリ焦がれるのはくすぶった才能か?ないものねだりか?」
 「おもしろい」を究めたい。それは芸人の道を選んだ人たちの業なのだろう。クラスの人気者に飽きたらなかった者、目立たずとも笑いに自負を持った者たちの。それぞれに方法は違えども。
 芸人という存在が身近に感じられ、門戸だけは年々広がっている今だから。芸人として−線で活躍しているピース又吉だから。そんな先入観を持って読み始めた芥川賞作品だけど、そんなのすぐに忘れてた。芸人という彼のフィールドは、特異さこそあれどのフィールドにでも当てはまることが多く、そのジリジリとした焦燥感の描き方は身につまされる思いで。それはこの作品を読んでいるぼく自身の焦燥感ともシンクロしているみたいで。
 笑いにかける若者の小説、これまでにも何冊か読んだけど、ぼくとは関係のない世界での青春話しとして読んでた。だから必らず書かれる色恋沙汰も、どこかネタの一部のように清らかで、血がかよってないみたいな。でも、ここに描かれた綺麗事だけですまされない話にこそ、決して理解できる愛情ではないのだろうけど、真の感情に近いのかもね。
 純粋に生きることの難しさと、純粋が必ずしも正解であり美であるわけじゃない現実をいま一度思い出したよ。
 誉めすぎ?。


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「ROOTS66 -Naughty 50-」を観る(16.3.27)

「ずっと探していた理想の自分って、もうちょっとカッコよかったけれど…」

 1966年生まれのミュージシャンがこんなにいたなんて。しかも、知らずに聴いてた人がこんなにも…。丙午にあたるこの年生まれのミュージシャンが日本武道館に一堂に会した『ROOTS66』。ぼく自身は1967年の未年なんだけど、早生まれなので彼らの大半とは同学年。うち一人とは高校も一緒なんだから(クラス違ったので話したことないけど)、言ってみりゃもう同志でしょ。
 それにしても豪華なメンバー。メインを張るヴォーカル陣だけでなく、バックを支えるバンドメンバーも豪華なんだもん。よくナマで観に行く顏、何度かナマで観た顔、初めてナマで観る顔。どれもがまぎれもない今年50歳の初老たち(本人曰く)。でも、脂ののった面々なので。
 誕生日順『夜のヒットスタジオ』風ヴォーカルメンバー紹介から始まるんだけど、「あの人がこれ歌う」ってな意外さが詰まっていて。本編はほぼ誕生日順に持ち歌一曲とセッションが。その持ち歌一曲がまたヒット曲のオンパレード。「一度はナマで聴いておきたい…」って思ってたのが一気に叶ってしまうのだ。こうなりゃインドにもなろうし、キスだって革命だって、一歩だけ前に進んじゃってもするよ。
 ぼくの中での一つの目玉は、かつてファンクラブにも入会していた斉藤由貴。あれから30年、いろいろあったのよ、ぼくの勝手な思い入れだけど。そんな歳月を越えて聴く『卒業』は、泣かないって決めてたのに涙が出るような。高声が出にくいのは女優さんということで。それもまた30年の歳月なのね。
 そしてセッション。まだ大阪公演が残っているから詳しくは書かないけれど、ぼくらが確実に影響を受けた楽曲が次々に。歌謡曲、アイドル、フォーク、ロック、洋楽…。小学生の頃のヒット曲から、大学の頃に聴いてた曲まで、まさにぼくらの音楽史。きっとググればどっかにセトリが出てると思うので、興味のある方はググってみて。
 武道館のステージに立つ者と客席で観る者、画す一線は越えられるものではないんだけど、彼らからもらった同年代のパワーとエネルギーを、それぞれのステージにぶつけ活かしていくんだよね。
 ありがとう。
友森昭一 1966年1月13日
宮田和弥 (JUN SKY WALKER(S)) 1966年2月1日
大槻ケンヂ (筋肉少女帯・特撮) 1966年2月6日
福島 忍 (勝手にしやがれ) 1966年3月21日
中川 敬 (SOUL FLOWER UNION) 1966年3月29日
増子直純 (怒髪天) 1966年4月23日
田島貴男 (ORIGINAL LOVE) 1966年4月24日
田中邦和 (sembello) 1966年5月13日
塩谷 哲 1966年6月8日
斉藤和義 1966年6月22日
渡辺美里 1966年7月12日
スガ シカオ 1966年7月28日
ABEDON (UNICORN) 1966年7月30日
阿部耕作 (THE COLLECTORS) 1966年7月30日
伊藤ふみお (KEMURI) 1966年8月22日
沖 祐市 (東京スカパラダイスオーケストラ) 1966年9月5日
斉藤由貴 1966年9月10日
吉井和哉 1966年10月8日
たちばな哲也 (SPARKS GO GO) 1966年11月18日
八熊慎一 (SPARKS GO GO) 1966年11月28日
奥野真哉 (SOUL FLOWER UNION) 1966年12月2日
田中 和 (勝手にしやがれ) 1966年12月12日
木暮晋也 (HICKSVILLE) 1966年12月17日
谷中 敦 (東京スカパラダイスオーケストラ) 1966年12月25日
トータス松本 (ウルフルズ) 1966年12月28日
GUEST MUSICIAN tatsu (レピッシュ)
※誕生日順


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TAKAYUKI SUZUI PROJECT OOPARTS vol.3 HAUNTED HOUSE を観る(16.3.18)

「鈴井貴之らしさ、HOMEの暖かさで本領発揮」
 正直、鈴井貴之に関してはふたを開けてみないとわからないって思ってる。ぼくが北海道を離れていた頃から台頭し、舞台が面白いと聞いてはいたけど、ぼくが観た映画や演劇はぼくが思う面白いものじゃなかったから。特に『CUT』は観ていてつらかったもん。だから、今回もチケットを獲るかどうか悩んだんだよね。つらいのは耐えきれないなって。信者(藩士?)が読んだら天誅くらわされそう。でも、今回はあくまでコメディって聞いたから。
 普通に面白かった。舞台(セット)の作り方に驚き、導入部はちょっとダレて。でも、話が進むとグイグイ乗ってくる。ちょっとスロースタートだけど、役者たちが暖まってくると。カーテンコールの時に話があったんだけど、セリフとか動きを役者自信が自由にアレンジしたりしてるからかな。徐々にぎこちなさがなくなってくるというか。逆を言うと、導入部は・・・ね。
 つぶれかけたお化け屋敷。正社員と契約社員、バイトが対立し、なかなか前向きにつながらない。そんな時、不思議な少女が現れて、彼女の提案によりお化け屋敷が、そこで働く人たちが少しづつ変わっていく。それぞれの事情を乗り越えながら。
 鈴井貴之が細かったのと、藤村Dが巧かったのは意外。でも、それ以上にカーテンコールのトークが一番面白かったのは・・・どんだけスロースターターなんだ?
 同じ道産子だからか、なにをイメージして、なにに触発されてできた舞台なのかが、なんとなくわかってしまう(…気になっているだけかもしれないけど)。それだけに、いろいろ思ってしまうところもあり、素直に笑えない部分もあるんだよな。ちょっと気恥ずかしくて。まぁ、これも勝手な思い込みなんだけどさ。


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2016年劇団☆新感線春興行 いのうえ歌舞伎《黒》BLACK「乱鶯(みだれうぐいす)」を観る(16.3.12)

「これが歌舞伎舞台装置の凄さなのか。恐るべし、日本の伝統」
 劇団☆新感線、この頃ゲキ×シネで観るばかりで、なかなかナマ観劇できなくて。だってチケットなかなか取れないし、高いし。でも今回の『乱鶯(みだれうぐいす)』は種々の事情がクリアできて、めでたく観ることができまして。
 新感線の看板役者・古田新太演じる元盗賊の頭領が、大恩を返すべく奮闘する物語。でもそこはいのうえ歌舞伎、愉快痛快ばかりではなく、一筋縄ではいかないのね。中島かずき脚本は。そこに惹かれて観ちゃうんだよね、新感線。今回も漢(オトコ)心を揺さぶる舞台だった。
 古田新太、映えてるなあ。五右衛門ロックみたいなド派手な風貌じゃないんだけど、舞台の上でピカピカだもん。みんな地味めな衣装ゆえ、全体的に立つキャラが少ない中、高田聖子と橋本じゅんの存在感も際立ってた。ゲスト陣がその分だけ割りを食らったか。まだ公演始まって間もないだけに、きっとそこは手を加えてくるんだろうね。ゲキ×シネで上映されるときには、その変化が見えたりして。
 劇場に入るといきなり、いのうえひであきが立っている。まじ?もちろん声をかけることもできず、すれ違うだけなんだけど、かなり感動。そして、初観劇の新橋演舞場に感嘆。いや、古くさいハコと思ってたのよ、勝手なイメージで。座席も狭いんじゃないかと。ところがこのゆったり感と足元の広さ、快適じゃないですか。舞台の広さ、花道、こりゃセットも懲りまくりできるし、演出も楽しかろう。「北海道には来てくれない」っていつもすねてるけど、こんなセット組めるハコないわ、北海道に。ゲキ×シネだとカメラ数台の映像を効果を加えて編集してるので、創りものって思って観ちゃうんだけど、ほぼほぼまんまの出来事が舞台上でナマで繰り広げられてるのか。
 やっぱりナマはすごいよね。


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葉室麟「春風伝」を読む(16.3.10)

「おもしろきこともなき世をおもしろく。春風が吹き抜けるが如く」
 ここ数年、大河ドラマを見ていて、今さらながら思うんだ。幕末に生きた人たちって、なにが正解なのかなわからず、必死に大義をまっとうしようとしてただけではと。生まれた土地や身分で大方決まってしまうと。『八重の桜』と『花燃ゆ』。まったく逆の立場のドラマが1年空いて放送されて。どっちが正しいかなんて、情報の伝達がほとんどないんだから、渦中にいた人には思い込み以外なかったかんじゃないかと。
 それでも幕末の物語を見たり読んだりしちゃうのは、動乱の中にいる個人がどう思い、どう生きたかを知りたいから。勝てば官軍とはよく言ったもので、倒幕派に偏る傾向は否めないんだけど。
 で、ぼくとしては個人として高杉晋作の生き方にすごく惹かれる。短い人生を一気に駆け抜けた様。その行動力と洞察力、機転の利き方。ぼくのあこがれたものをすべて持ってたかのような。好きな作家・葉室麟が高杉晋作を書く。うれしい限りで。
 とにかく濃密な生涯。飛行機があるこの時代でも東京出張が億劫で、いまだに海外へ行ったことがないぼくにとって、京都、東京、四国、長崎、果ては上海まで赴く晋作のバイタリティ。遠くイギリスまで見据えていたなんて。それらの多くが脱藩も厭わぬ覚悟での行動。そして、運気を身に着けて帰ってくる。かっこいいなぁ、憧れるなぁ。
 読み続けるうちに『龍馬伝』や『八重の桜』、『花燃ゆ』のシーンが浮かんでくる。あっ、びっくりぽんの『朝がきた』も。どんだけ国営放送に洗脳されてんだ、ぼく。
 今まで知らなかった高杉晋作、いや、本名・高杉春風を知ることができた一作。おもしろきこともなき世をおもしろく。この言葉がぼくを突き動かしてるんだよね。春風より20年も長く生きているぼくだけど。


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田島貴男「弾き語りツアー 2016」を観る(16.3.8)

「春一番が熱風の如く感じられる、晩冬の夜なのです」
 なんだろうか、この田島貴男Love熱復活は。昨年夏から3度目のLive。今回はギター1本での弾き語り。これがまた、バンドスタイルとも「ひとりソウルショー」とも違い、なんともしっとり、それでいて粘っこい田島節炸裂で、味わい深いんだな。
 数年前から1960〜80年代の曲を集めて聴きまくってるんだけど、沢田研二の艶っぽさ、尾崎紀世彦のハリと粘り、桑田佳祐の巻き舌に対抗できる歌い手は、流行りのJ-POPではいないんだよなぁ。その正統的な伝承者こそが田島貴男だと勝手に思ってて。
 粘りのある濃い〜歌声もさることながら、ぼくと同い年とは思えない貫録とすらりとした容姿。憧れちまうぜ。あれで『接吻』歌っちゃうんだから、こりゃもう反則としか言いようがない。それなのに、ギター1本で歌い上げるなんてしたら、女の子たちくらっとしちゃうじゃない。
 そんな嫉妬はさておいて、もう聴き入るしかないのです。かっちょいいとしか言いようがないのです。真似してやると真剣に手の動きを見つめているんだけど、絶対に真似できないんだよな。
 初めて聴くナマ『プライマル』もよかったけど、必ずやってくれる『接吻』と『朝日のあたる道』。そして大合唱の・・・。デビュー25周年の今でも鉄板は外さずにやってくれるありがたさ。なんていい人だ。
 2曲演奏したカバーはどちらも女性の曲だけど…あっ、1曲はもともとフォークグループが歌っていたそうで…もう田島色に染まりまくり。自分の色をきっちり出すことができるのが、田島貴男たるゆえんなんだろうなぁ。
 ぼくがいくらギターの練習をしたって、無理なんだよなぁ。うらやましい。なんて思いながらも、素敵な音楽に酔いしれたLiveでした。


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「ヘイトフル・エイト」を観る(16.3.5)

「タランティーノらしさが吉と出たり凶と出たり」
 南北戦争終戦間もないアメリカ。賞金首の女を運ぶ賞金稼ぎの前に次々と現れる男たち。立ち寄った山小屋にも怪しげな男たち。雪に閉ざされた密室の中で、男たちが語り始める。ホントはどこにある?
 『レザボア・ドッグス』を思い出すような会話による展開。そのテンポ、飽きさせない構成、画作り。タランティーノの真骨頂だよね。気が抜けないというかなんというか。バイオレンスなシーンももちろんあるんだけど、それ自体を主張するというよりも、会話劇のアクセントに使われている感じで。
 如何せん、長い。3時間超はちょっと。撮りたかった画を残さず詰め込んだ感じ。でも、せめて30分詰めることができれば、さらに素晴らしくなると思うんだけど。
 フランスで上映禁止訴訟が起こるなど、公開前からなにかと物議をかもした作品。時代設定が奴隷制度撤廃を争った戦争後だけに、人種差別発言てんこ盛り。でも、それはそういう時代を描いた作品だからであって、この作品が人種差別を励行しているわけじゃない。でも、うわべだけで批判したり、真似したりするやつが出てくるんだよなぁ。読解力のなさは致命的だよね。『ジャンゴ 繋がれざる者』を観た時はどう感じたんだろうかね、こんな人たちは。
 驚きのラストが待っているので、ちょっとグロいけど観てみて。


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「落語教育委員会」を観る(16.2.28)

「ようこそ落語の世界へ…って落語会」
 道新寄席に落語教育委員会が登場。柳家喜多八、柳家喬太郎、三遊亭歌武蔵の三師匠からなるユニット。コントから古典まで、落語家3人が落語普及を目的に?組んだそうで、全国あちこちで興行を開いているのだとか。札幌では初めてなんだけど。
 
【一、漫才/曇り空ひろう かろう】
 前説代わりに歌武蔵&喬太郎のコンビによる漫才。落語家が落語家の間合いによる漫才。歌武蔵がツッコミで、喬太郎がボケ。うん、喬太郎がボケだよね。歌武蔵が元力士なんて情報を交えながら、つかみはOKかな。
【一、芝居の喧嘩/柳家ろべえ】
 喜多八の弟子、二つ目のろべえ。師匠の紹介や落語のさげの解説を交えながら、寄席場のネタをくりだしてくる。教育委員会の基礎なのかな。ちょっと斜に構えた話し方は師匠譲りということで。
【一、子ほめ/三遊亭歌武蔵】
 枕から元力士を存分に使ってくりだすは、オーソドックスな『子ほめ』。朗らかな顔が噺にしっくりくる。なるほど、とっつきやすさで耳を奪うのね。
【一、へっつい幽霊/柳家喬太郎】
 喬太郎、やっぱり道新寄席では古典なのね。こちらもオーソドックスで、喬太郎得意の変幻は使わず、噺一本で勝負です。
【一、五人廻し/柳家喜多八】
 喜多八の落語を聞くのは初めて。斜に構えた立ち位置で語るのが特徴なのね。道新ホールで誰もかけたことのない噺をわざわざ選ぶなんて、片鱗が伺えるよね。そんで選んだのが廓屋噺だなんて、やってくれるね。でも、花魁のつれない仕打ちに悩ませられるのは今も昔も同じこと。遊ばれる男たちの哀愁が沁みるなぁ。

 で、ひと通り聞き終えて思った。四席とも女性の登場がほとんどない。これもまたこの会の特徴なのかな?今回は喜多八の体調を考慮してコントは中止だったけど、今度はコントも観てみたいかな。


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「MOMOIRO CLOVER Z DOME TREK 2016 AMARANTHUS/白金の夜明け」を観る(16.2.27)

「愛したいし 愛してる アイアイサ―!」
 ももクロ、久々に札幌でのライブ。とうとう5大ドームツアーなんだね。いつもライブビューイングや映像でしか観れなかった大仕掛けの数々を、ナマで観ることができるのか。感慨深いです。
 さすがに満員御礼とはいかなかったものの、モノノフたちの大集結。他会場では2Daysなので、先日発売された2枚の新譜『AMARANTHUS』と『白金の夜明け』をそれぞれフューチャーした公演を1日づつ行うんだけど、札幌ドームだけは1Day。ゆえに、『AMARANTHUS』Ver.と『白金の夜明け』Ver.のいいとこ取りなのだ。他会場より30分長い、ちょっとお得なSpecial版。さすがにカットされた曲もあったみたいだけど。
 さすがにドーム公演、いろんな意味でものすごい。豪華絢爛の中、会場の広さに負けない存在感を出す5人。彼女たちの全力投球についつい応援の声を上げたくなる。「うりゃ、おいっ」はモノノフたちのメッセージ。
 新譜主体の構成で、それぞれソロでの見せ場も十分。前作『5TH DIMENSION』でアーティスト嗜好に大きく舵を切ったと思ったのに、新譜ではごちゃ混ぜ感大復活。さすがにヒャダインとの確執〜和解が陰を差したかと思ったけど、ライブで体感したらこれこそがももクロの神髄だよねって納得してしまう。楽しいを全力で。5人の少女(でもなくなってきたけど)にぼくらは勇気づけられ続けたいんだよね。
 ひとつだけ苦情。グッズの売り切れ早過ぎ。ライトが買えなかったので、寂しかったよ。


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「オデッセイ」を観る(16.2.25)

「考えろ。考えることを決して諦めるな」
 火星にひとり残されたマーク。本国では死亡が発表されたマーク。通信は途絶え、食料も限られ、絶望に等しい境遇の中、彼のサバイバルが始まる。出来る限りを全うするために。還る望みをつなげるために。
 マークのサバイバルはNASAに届き、国をも動かす壮大なチームプレイにいたる。ひとりの宇宙飛行士の英知が世界の英知を呼び、仲間を呼び戻す。
 とにもかくにも、諦めないマークの姿に感動。彼は訓練を受けた宇宙飛行士であり、植物学者である。だから、普通の人よりも知識を持っていることは確か。でも、知識は持っているだけじゃダメなんだ。彼にはそれを使うための「考える力」を持っている。そして考えることを諦めない。逆境を打開するため、持てる知識をフル活用する。それに応えるため、遠く離れた地球でも皆が可能性を広げようと諦めずに考える。そして、宇宙空間でも。
 そうなんだ、考えることを諦めたらダメなんだ。ぼくがいつも後輩たちに口を酸っぱくして言い続けていることがここにはある。考えるのを諦めたら、自分を諦めることになるし、他人からも諦められてしまうのだ、きっと。
ひとりを救うために強いる犠牲、いかほどが妥当なのかは誰にもわからない。それを決めるのはきっと、それぞれが持つ想いの強さなのかもしれない。
 劇中で流れる『スターマン』。デヴィッド・ボウイの歌声が、火星の平原に響き渡る。今年急逝された彼がマークに歌いかけるんだよね。


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「キャロル」を観る(16.2.13)

「五者五様の去り際の美学。身につまされるよな…」
 1950年代のニューヨークを舞台に、2人の女性の禁断の恋を描いた映画『キャロル』。これ、ネットにあった映画の紹介文。確かにケイト・ブランシェットとルーニー・マーラがただならぬ関係に陥る映画ゆえ、そんな紹介になるんだろう。でも、甘美な映像もさることながら、登場人物それぞれの別れに対する去り際の美学を伝えたい映画なんじゃないかなって、ぼくは思う。
 離婚調停中の美しき人妻キャロル。その夫ハージ。キャロルの幼馴染アビー。デパート店員でキャロルに魅かれるテレーズ。テレーズの恋人リチャード。それぞれがそれぞれを愛し、別れを迎える。そこにはそれぞれの愛し方、それぞれの別れ方があり、それぞれのその後がある。どれがいいかなんて誰にも分らない。その場になったらどうしたいかは心に思いもするけれど、どうなるかなんてその場にならんとなぁ。「カッコよいふられ方」なんて歌もあったけど、それを意図できるほど、人ってオトナじゃないんだろうなぁ。とくにボクなんて。
 そりゃ男ですもん、キャロルとテレーズの官能的な絡みにコーフンもするし、テレーズ演じるルーニー・マーラの美しき肢体に目が釘付けになる。ルーニー・マーラは『ドラゴン・タトゥーの女』のときもそうだったけど、他を喰っちゃうものすごさがあるよね、ぼくにだけかもしれないけど。惚れてまうやろ…いや、もう惚れてるか。
 ぼくはカッコよいふられ方をしてきたか…でも、相手がテレーズなら、泣いてすがって、不格好なふられ方しちゃうんだろうなぁ。


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「スター・ウォーズ フォースの覚醒[4DX-3D]」を観る(16.2.6)

「中身についてはいまさらなので、楽しさをお伝えします」
 1カ月半ほど置きまして、3度目のSW7。IMAX3D、2Dときて、いよいよ4DX-3Dを体験だ。
 基本、ストーリーはバッチリさ。だから、どんなことが起きようとも、「見逃した」って後悔はない。そんな意気込みでシートに座ったが、これは予想以上の凄まじさ。4DX-3D初体験だった『ジュラシック・ワールド』の比なんかじゃない。横揺れこそないものの、座席の揺れ時間は長く、細かい震動、耳元への風、館内のフラッシュなどが絶え間なく。銃撃戦の震動はマッサージチェアに座っているような心地よさもあったりして。
 臨場感半端なし。これはもうアトラクションだね。楽しかった。でも、やっぱり物語を追うにはちょっと不向きだから、大切な映画は2回目、3回目に4DX-3Dで楽しむことになるのかな。


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「村上隆の五百羅漢図展」を観る(16.2.1)

「現在の作家の現在の美術展」
 まずはお断りしておきたい。ここに掲載している写真は決して盗撮したものではありません。全面写真撮影OKの美術展なのです。写真をSNSで共有することで、より多くの人に興味を持ってもらいたいという気持ちからだとか。調子に乗ってバチバチ撮影したけど、あとで見直したら直に作品を観た時の迫力と繊細さは伝わらないもんね。
 さすがは日本が世界に誇るポップアートの旗手・村上隆。閉塞感のある業界の常識を打ち破るってとこですか。
 仏教に由来する五百羅漢図(詳しくはわからん)。それを現代アートで描いたら。そんな試みの美術展。日本のオタク文化を芸術に進化させた村上隆だからこそできる、楽しみながらも芸術の昔と今を楽しめるような美術展。絵柄といい、色調といい、ポップアートそのものなんだけど、世界観がすごいというか。きっと芸術って時代時代の流行だったんだろうから、いつかはこのポップアートが古典的な物として賛美される日が来るのかも。そんなことを考えると、ポップアートで描く仏教の世界がとても意味深に感じられる。そこが狙いのひとつなんだろうけど。

村上隆がお出迎え

五百羅漢図「白虎」
 トップとして走る自覚が生み出す斬新さ。確信犯が織り成す融合は、後に続く者たちの希望になり続けてるんだろうなぁ。
 芸術を身近に感じることができる、楽しい美術展でした。
 
過去と未来と昨日と今日、行ったり来たり


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道新寄席「立川談春 独演会」を観る(16.2.4)

「実るほど頭が下がる稲穂かな」
 『下町ロケット』『赤めだか』と、暮れの談春の大活躍といったらもう。このまま落語に戻らないんじゃ…なんて思っちゃうくらい。まぁ、そんなの杞憂に過ぎないんだけど。そんな談春の独演会。待ちに待ってた独演会。
 談春からのご挨拶のアナウンスとともに、会場最後列から登場した談春。マイク片手に軽快なトークとともにステージへ。前から2列目通路沿いのぼく。談春が横を通るときに右手を差し出すと、右手に持っていたマイクを左手に持ち替えて握手してくれた。なんていい人。
 いつもなら高座に座って始める枕。今日は緞帳の前でマイク片手に。『徹子の部屋』出演ばなし、『赤めだか』、『下町ロケット』と、みんなが興味津々の話題がたんまり。暮れの大活躍をしっかり使うところ、さすがです。もちろん詳しくは書けないけど、笑ったなぁ。なぜマイク片手にかっていうのは、直接観て確認して。
【粗忽の使者/立川談春】
 落語に登場するお殿様はすべて赤井御門守。これが今日の独演会の一番のフリになるとは、この時は気付かなかった。なぜか殿様に寵愛される粗忽もの。ある日、殿様のお友達の藩邸に使者として向かうんだけど、そこは落語の粗忽もの。おバカな展開が待ち受けているのです。粗忽ものを演じる談春って生き生きとしてるよね。彼が粗忽ものってわけじゃないけど、気持ちがわかるのかな?楽しすぎてたまらない。
【妾馬/立川談春】
 貧乏長屋からお殿様の妾になった妹が世取りを産んだ。粗忽ものの兄、夜行性の鳥を産んだかと勘違い。そこから始まる与太噺し。でも、途中でホロリ、最後にニンマリ。まるでSWエピソードT〜Vを観てるかの如く。これが談春の粗忽セットか。やられた。



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「俳優 亀岡拓次」を観る(16.1.25)

「なんだろう…他人事ではないような。昭和男の生きる道」
 安田顕、テレビに出まくってるよなぁ。原作が有名なわけでも、監督が有名なわけでも、役者が大スターなわけでもないのに、これほどまでに番宣させてもらえるのは、アミューズのチカラ?『下町ロケット』効果?なにはともあれ、道産子が活躍してくれるのはうれしい限りで。
 そんな道産子を後押しすべく、北海道は他の地区よりも一週間早い先行上映実施中。なんかいいよね、そういうの。
 名前は知らない、いい役をやっているわけではないんだけど、いつもなにかに出演していて、顔に見覚えのある俳優。それが亀岡拓次。泥棒役は今年に入ってもう○回目。でもそれって監督やスタッフに認められてるってこと。そんな玄人俳優の仕事と恋の物語。
 現場現場で様々な顔を見せるところ、顔売れちゃったけど安田顕の真骨頂でもあるよね。だから違和感ないというか。それが観ててとても面白い。エピソードのひとつひとつに亀岡拓次のプロの顔と本性が観てとれるんだよね。そんな亀岡拓次が恋をした。
 亀岡拓次の人柄から、物語の構成まで、とても昭和を感じるんだよなぁ。ぼくが学生のころに観てた邦画の雰囲気。必ずしも答えは一つでないみたいな。でも、時折見かける難解を誇るような自己満足映画とはまるで違い、エンドロールの後に心地よさが残るんだよね。
 きっと亀岡拓次の頭の中で『走れ』がヘビーローテーションしたんだよね。気持ちがめちゃくちゃ伝わってきた。もう、自分のことみたいに。でも、原付で走らせたのは、意図があったのかな?ローカル番組の。安田顕は乗ってなかったから。
 もう、他人事ではないぞ、これは。


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柳家喬太郎独演会「喬太郎北伝説4」を観る(16.1.24)

「笑う門には福来たる、これで今年は絶好調?」
 笑った〜。もう勘弁してくれよってくらい、笑った。笑いは健康によく、福も来るって言うけれど、相当若返り、開運間違いなしなんじゃないの、今日の感じじゃ。
 新さっぽろはサンピアザ劇場で開催される『喬太郎北伝説』も4年目4回目。昨年は出張でチケットを親父に譲ったので、ぼくの今年にかける意気込みは相当なもんだった。柳家喬太郎独演会は道新ホールでもやってるけど、あっちは古典落語しかやらないから。札幌で喬太郎師匠の新作が聞けるのは、『喬太郎北伝説』だけなんだもん。
 くしくもその道新ホールでは、柳亭市馬と春風亭一之輔の二人会が開催されていて。どちらもチケット完売、満員御礼。札幌はまさに落語花盛り。
 ホント面白かった。アットホームな運営による、リラックスムードのなせる業なのかな?二席目の前の話しがノリノリで、昨日まで滞在してた北見での出来事と、九州巡業の出来事が大爆笑エピソード。本人も時間を忘れるほどに。これって客冥利に尽きるよね。
【透視眼/二松亭ちゃん平】
 茨城の高校教師・ちゃん平さん。『喬太郎北伝説』の前座といえばこの人です。アマチュアが競う国際落語大会で優勝され、ノリノリです。受験前の教え子たちの様子を笑いの誘い水とし、男の欲望を切々と語るのです。気持ち、わかるかな?
【初天神/柳家喬太郎】
 1月だからね、正月らしい噺をね。天神参りに行こうとする父と連れてけと駄々をこねる息子。おねだり禁止の約束も、立ち並ぶ出店を前に…。息子・金坊の小賢しくて小憎たらしいこと。こういうのやらせたら、抜群に上手いよね。それが笑いをドッカンドッカンと。
【夫婦に乾杯/柳家喬太郎】
 日本酒のネーミング会議で判明した、一般家庭の夫婦の関係。浮いてしまった家庭円満の社員、一般的な家庭に近づこうと…。普通が普通でない日常をシュールに切り取る目線がナイスです。壮大な新作落語が多い中で、喬太郎師匠の新作は身近なところを攻めて来るんだよね。
【首ったけ/柳家喬太郎】
 吉原のちょっぴり艶っぽいお噺。花魁につれなくされた旦那の心理が、なんだかわかってしまうんだな、ぼくには。そうそう、師匠のイベントをサポートする男女が結婚するということで、仲睦まじき二人に贈るということで選んだそうだけど、花魁を渡り歩く噺って…いいのかな?

喬太郎師匠のセクシーポーズ



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「知らない、ふたり」を観る(16.1.21)

「ほのぼので甘酸っぱいイタチごっこ」
 いやいや、それってダメなやつじゃん。日本には「ストーカー行為等の規制等に関する法律」というものがあるんだよ。なんてつっこみしたくなるような始まりも、木曜日を境にピタリと止まり。片道通行の恋の連鎖は、混沌を深めていくのです。
 ある事故をきっかけに、幸せを遠ざけようとする韓国人青年・レオン。彼とともにオーダー靴店で働く小風さん。韓国人留学生、日本語教師とその恋人。it’s a small world で駆け巡る「好き」。それがなんだか中年のおっさんにはキュンキュンしちゃうよな。
 静かに、淡々と。時を行きつ戻りつしながら綴られる恋愛のひとつ手前の物語。ハラハラ、ドキドキをゆる〜く楽しみながら、ニンマリが止まらない。これがなんとも面白い。
 ただの甘ったるさだけではなく、ウィットに富んだぼくにとってのツボも配置されていて、なんともお洒落な映画になっている。
 あの感情、ぼくに訪れることはあるのかな、ふたたび。


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海堂尊「カレイドスコープの箱庭」を読む(16.1.19)

「これが本当に最後の田口・白鳥?カーテンコールはオールスター感謝祭」
 東城大学を主な舞台とした田口・白鳥コンビシリーズは桜宮サーガの原点でもあり、中核でもある。その田口・白鳥コンビシリーズが今作でラストを迎える…ほんと?シリーズ最大の論点であり、作者・海堂尊の悲願でもあるAiが、大波小波の荒波を乗り越えて、世界に向けて羽ばたこうとしている。あくまで物語上の話しなんだけど。
 高階病院長から誤診疑惑の院内調査と、Aiの国際会議開催を命じられた田口先生。どちらもそつなくこなしたかに思えた時、愚痴外来にあの男が現れて…。白鳥医療過誤死関連中立的第三者機関設置推進準備室室長は田口先生の救世主になるのだろうか。
 最初から懐かしい名前が出てきて、あれよあれよと読み進めるうちに、これまでのシリーズが走馬灯のようによみがえってくるような。あぁ、これってホントのラストなのかなぁ。田口・白鳥シリーズのカーテンコールを読んでいるような気がしてきた。
 作者のAiに対する想いが、作品の中でとりあえず昇華できたんだろうなぁ。となると、次に田口・白鳥コンビが読めるのは、現実が作品に一向に追いつかないときなんだろう、きっと。
 カーテンコールをいつまでも読んでいたい。いや、その先をまだまだ読みたい。オールスターのこれからを、もっともっと…。とりあえず彦根先生の新作の文庫化を早く…。


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「マイ・ファニー・レディ」を観る(16.1.11)

「こんがらがってもつれて笑えるロマンチック・コメディ。ラストはマジかい?」
 とあるニュース番組でインタビューを受ける女優。元コールガールの疑惑を持つ彼女が語るデビューのきっかけは、なんとも不思議で男女がこんがらがった奇妙な物語だった。
 コールガールを呼び、大金をプレゼントする代わりにコールガールをやめて夢を負わせることを楽しみにしている舞台演出家。ある晩、ニューヨークで呼んだコールガールが後日自分の舞台のオーデションに・・・。くしくも主演女優は彼の妻。男優、脚本家、元客、主治医・・・。絡みに絡んだ人間関係。でもこれこそが上述の女優のデビュー秘話なのだ。
 もうね、倫理観的にはいかがなものかと思われるかもしれないけど、これが面白くてたまらない。あしながおじさんを気取る自尊心も、優しさに溺れる依存心も、忘れられない執着心も、ただただまじめな純粋も、すべてが男の素直な気持ちだもん。共感しちゃうのよ。女の怒りはさておいて。そんでもって、その気持ちの交錯に大笑いしちゃうのよ。
 すっごく上質なコメディ。随所に引用される映画の名セリフなんか、ニヤリとしちゃうしね。そして、イジーのキュートさがこのコメディを一層楽しくさせてくれる。いいね、ホントに。
 こんな大スキャンダル、どうして彼女はインタビューで語りだしたのか。そこにもまた、びっくりの素が・・・(同じ上映で観てたご婦人たちは「?」だったようだけど)。
 もう、コメディ好きは必見ですぞ。


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星野源 LIVE TOUR 2016 “YELLOW VOYAGE“を観る(16.1.9)

「ヘタウマ正統後継者の愛が詰まったLive。ツアー初日はナイショがいっぱい」
 全国ツアーは2年ぶり。どんどんビッグになっていく星野源。ライブのチケットは即完売。年末には紅白歌合戦にも出場し。大人計画の端役の頃から知ってるので、とてもうれしいような、それでいてちょっと寂しいような。
 でも、ライブはそんな想いをよそに、のっけから飛ばす飛ばす。最新アルバム『YELLOW DANCER』の出来が素晴らしくて、発売以来ぼくのヘビーローテーション中なんだけど、アルバムから存分に披露してくれ、以前の曲も聴かせてくれて。「2年前のツアーよりもたくさん歌ったんだけどなぁ」と言いながらも、「もっと、もっと」って声が大きいのは、聴きたい曲がどんどん増えているから。でも、それが息長く売れるアーティストの条件のひとつだから。
 観客の9割方は女性だったかな。これはいつものことなんだけど。星野源のあの歌声で聴く言葉の素晴らしさって、男性陣には伝わりにくいのかな。このことについては改めて書きたいと思ってます。
 ソロデビュー以来の静かな内なる想いを歌い続けた星野源。『夢の外へ』で明るいポップスに舵を切り、開花した『YELLOW DANCER』。これから大攻勢をかける上で、ターニングポイントになるであろうライブなのよね、きっと。
 もう、楽しくて楽しくて、ワクワクが止まらないライブ。星野源だけでなく、コメントを寄せた一流アーティストたちにも沸せてもらっちゃった。
 ツアー初日のあれやこれやも観ることができて(ナイショだよ)、なんとも楽しい年明け一発目の最高のライブ。この楽しさに乗って、一年を楽しもう。


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森見登美彦「聖なる怠け者の冒険」を読む(16.1.7)

「人である前に怠け者、休みはぐうたらしていたい!ぼくだってそうなんだ♪」
 森見登美彦が作家生活10周年を記念して、また京都を舞台とした小説を刊行した。ホント、また京都。京都を舞台としていない小説って、何作あったっけ。それほど彼は京都マスターなのだ。
 そして今作『聖なる怠け者の冒険』。作家生活10周年、京都を舞台とした作品たちの集大成のような作品なのだ。
 なんといっても、主人公である小和田くんが、当代きっての怠け者という設定が凄い。主人公が動かねば、物語が動かないじゃないかって心配しちゃうけど、そこはそれ。小和田くんが怠けようとも、小和田くんの周りで先輩や所長、週末探偵にぽんぽこ仮面が、縦横無尽に動き回る。小和田くんが怠けている間に、物語を動かしてくれる。なんと怠け者冥利に尽きる主人公だことか。
 京都の町に出没する正義の怪人・ぽんぽこ仮面。その正体を暴くべく暗躍する者たちと、その気がまるでないのに巻き込まれる小和田くん。知らず知らずのうちに世の中の中心を担う存在ってすごいよね。多くの人が自ら中心を目指しながらも弾かれるか、自ら離れ近づく機会もなく終わるのが世の常なのに。その巻き込まれ方がなんとも楽しくて。
 そしてね、なにもしないクセに幸せな予感すら漂わせやがって。これまでの森見作品の登場人物が見たら、激しく嫉妬するやつだぞ、これは。だからこそ「聖なる怠け者」の称号が得られるってもんなんだろうけどね。
 森見登美彦が描く躍動する京都に敢然とぐうたらで立ち向かう小説。あぁ、京都行きたい。


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