artな戯れ言2011


このページではartな戯れ言を集めて掲載しています。




越谷オサム「陽だまりの彼女」を読む(11.12.28)

 言ってしまえばジャケ買い&帯買い。だって、『女子が男子に読んでほしい恋愛小説No.1』だよ。斜め上目遣いの女の子だよ。そこにはオヤジをも胸キュンさせるCuteな物語が詰まっているって思うじゃない。となると、手にとってレジに持っていっちゃうじゃない。
 中学生のときに同じ時間を共有した同級生の女の子・真緒と社会人になってから再会し、恋に落ちる浩介。中学生の頃の後悔を払拭すべく愛を育む二人。その愛の行方は・・・。
 真緒の不思議さがこの物語のポイント。最初は「これって『イニシエーション・ラブ』的な返しあり?」なんて思ったり、「いやいや、『初恋の来た道』だよね」って思ったり。局面局面でいろんなこと考えちゃう。普通じゃ終わらないだろうって期待とともに。そんでもって最終的には『いけちゃんとぼく』なんだよね。イメージとして。
 再会してからの二人は「こんな恋愛、楽しいんだろうなぁ」ってニンマリしちゃうエピソードで包まれていて。うらやましくもなったりして。ただ、女子が男子に読んでほしい恋愛小説No.1』の称号はきっとそっちじゃないんだろうな。でも違うとしたらそれはどうかな・・・なんて深読みしたりもして。なんといっても女心のわからないぼくだけにね。
 なんか運命感じちゃう・・・って思うんだろうなぁ、そんなことあったら。残念ながら地元に帰ってきて数年経つけど、偶然同級生に会ったことなんてないもん。まぁ、四十半ばだと同級生を覚えていないって言うのが一番だし、会ったとしてもおじさんおばさんだもん。きっと「岡本くん、老けて太ったよね」で終わっちゃうよ。残念。
 でも、たまには運命感じたいって思える一冊でした。


エスニック
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イッセー尾形のこれからの生活2011 in 冬の札幌」を観る(11.12.25)

 今年最後の演劇鑑賞は、毎年恒例のイッセー尾形。イッセーにとっても今年最後の舞台だそうで、演じ手も観客も今年最後ってなんか運命的?
 いろいろあった年だけに、変わらぬ何かで幕を閉じられる幸せと、心からの笑いを感じながら、一人さびしいクリスマスを過ごす。それはまるでイッセーの舞台の登場人物かのように。ふむふむ。
 あのシリーズの最終回あり、あらたなシリーズ化を予感させる人物が登場したり。日本のターニングポイントとなる年の瀬に、イッセーのターニングポイントとなる公演だったのかな?
『残飯整理』
 広島支社から本社(東京)へ応援に来たOL一団。夜の会議室で与えられた仕事は、会議中に食された弁当の残飯整理だった。どうして広島からわざわざこのために?古参OLの胸に渦巻くあれやこれや。広島弁にこめられたOLのせつなさ。
 広島弁ってヤクザ映画でヤロウどもが話しているのしか聞いたことがなかったけど、女性の広島弁は沁みます。東京との対比がうまいんだな。
『高崎線のママ』
 夜の高崎線。おばあちゃん、子供3人と日光からの帰りのママ。満員の車内でぐずる子供とのんきなおばあちゃんを諭すママ。そして電車内でのふれあい。
 よくありそうな光景が演じられる。一人なのに満員の車内が、子供らが、おばあちゃんが目に浮かぶ。一人伝言ゲームとジェスチャーが実に微笑ましく見えてきた。
『古寺にて』
 接待を断ったサラリーマンが翌日連れられてきたのは、石庭のある古寺だった。社命とはいえ、断った接待に未練があるサラリーマンの想いは、古寺で成就できるのか?はたまた煩悩を拭い去ることはできるのか。
 竹林を連想させる背景(照明効果)が、古寺の静けさと奥行きを醸し出す。そこにたたずむサラリーマンの違和感にじわじわと笑いがこみ上げてくる。
『豊田エツコでございます』
 知り合いの娘の結婚式に突如数年ぶりに姿を見せた豊田エツコ。訳あり感たっぷりのエツコ、ドロンから陽の当たる生活への方向転換はできるのか?それよりエツコの真の目的とは?
 またもや強烈キャラ出現。元夫との荒んだ日々、逃亡生活、これから。シリーズ化してほしい一作がでてきたか。
『深海にて』
 これはもう、説明することすらネタバレになりそうで。深海でサメとたわむる潜水夫が語る青春とは?
 短い作品です。予想をはるかに超えた展開に驚き、笑ってしまいます。これ以上は書けません。
『天草五郎物語 最終回』
 気付けば恒例の大爆笑シリーズと化した『天草五郎物語』。その反面、ストーリーの破綻も否めず、幕引きが実に難しそうで・・・と案じていたけど、いよいよ最終回。誰が納得し、誰が納得しなくても、ホントにこれが最後なの?
 ストーリーとしての完成度より、どうしたものかと思い巡らすイッセーにぜひご注目。
『高山タカオ 没ネタリサイタル』
 10年ぶりに健康ランドの舞台に復活した高山タカオが歌い上げたのは、著名な作詞家(当然架空)が作ったものの、陽の目を見ることのなかった没ネタだった。「これはお蔵入りするよ」と思わずうなずいてしまう曲とは?
 没ネタって雰囲気をウクレレの音色が色濃くしてくれるんだよね。どれもその場限りって感じだけど、最後の『ど忘れ音頭』だけは忘れられない曲になりそう。いろいろあった忘れられない1年の締めだけに。


エスニック
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誉田哲也「ガール・ミーツ・ガール」を読む(11.12.18)

 待ってました。前作『疾風ガール』を読んで、すっかり夏美のファンとなったぼく。彼女の活躍を早く読みたいと願うのは、当然の心理というもので。
 今回は夏美デビューまでのお話。順風満帆と思いきや、ひと波乱、ふた波乱あって、ロッカーとして夏美の成長する姿が描かれている。そのひとつがタイトルにもなっているGirlとの出会いなのだ。
 そのGirl・島崎ルイは、夏美のマネージャー・宮原がかつてこだわっていた(ファンだった)シンガーで、夏美とは対極に位置する存在。その二人の出会いはどんな化学反応を引き起こすのか。
 もう、ほとんど一気読み。とにかく続きが読みたくてたまらない。夏美のデビューは?失踪していた父親は?ルイとの関係は?・・・知りたいことが山ほど出てくるのだ。本作が描く3ヶ月ほどの期間に、こんなにもあれやこれやがびっしり詰まっていて。と思い振り返ると、前作の最初からもたいして時間は費やしていなかったのか。夏美にとってすごく濃密な時間は、そのまま読者にとってもすごく濃密な時間になっているのだ。
 音楽小説に歯がゆさってあるじゃない。登場人物が演奏する曲がイメージしづらいって。既製の曲ならあとはニュアンス(奏者による違い)なんだろうけど、オリジナルはさっぱり。でも、夏美の『Thanks!』はなんかイメージできるんだよね。だからって、映像化してほしいってわけでは全然ないんだけどね。
 で、夏美の次の活躍が早く読みたい。どんなロッカーとして成長していくのかを読みたい。書いてくれるよね、誉田さん。
 村上”ポンタ”秀一に怒られないこと、祈ってます。


エスニック
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「OViC 14th Gospe Live!」を観る(11.12.17)

 札幌で活動するゴスペル団体、OViC。知人がその団員の一人で、「今度ライブに出演するから・・・」と言うことで観てきた。場所は札幌市民ホール。1500席のキャパをアマチュア団体が・・・大丈夫?
 ガラガラだったら・・・なんて思いながら、開演20分前に会場に入ったら、全席自由のイスにびっしりと人が座っていて。結局、2階最後列の一番端に落ち着く。みくびっていて、すみません。
 客の入りと同様、ステージも大盛況。ステージに上がった団員たちの声が、圧倒的な力を持って館内に響き渡る。なによりも団員たちが笑顔に包まれていて、とても楽しそうに歌っていること。その楽しさが圧倒的なパワーになり、観客を震わせるんだろうなぁ。
 観客には常連さんも多く、率先して歌い踊り、会場を温めてくれる。この雰囲気がすごくよく、アットホームなライブが展開される。「賛美歌ってなぁ・・・」と思ったりしてたけど、英語詞なので内容はさっぱり頭に入ってこなかったけど、とにかく楽しいってことがビシバシ伝わってきた。個人的にはアカペラOnlyの4曲目がよかったなぁ。
 終演後、今回が初鑑賞の知り合い数人に会ったけど、皆が興奮していた。もしかしたら何人かは来年ステージ上にいたりして。
 ぼくはと言えば、U2が『魂の叫び』でゴスペル隊と共演した『I Still Haven't Found What I'm Looking For』を聴きたくなっちゃって。
 そうそう、『もろびとこぞりて』に秘められた呪文の謎がついに解けた。あの呪文「シュワキマセリ」は「主は来ませり」だったのね。「テクマクマハリタ」と同じようなニュアンスかと思ってた。


エスニック
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「シャッフル」を観る(11.12.17)

 怪しい街の廃ワイン工場。その地下に集められた5人の男。1日200万円の報酬と引き換えに繰り広げられる、おかしなモニター調査。すべては1人の記憶を呼び戻すために。
 個性派俳優があの手この手で迫るさま、笑ううえに感心しちゃう。特にリーダー格の亀治郎の怪演は見もの。歌舞伎に復帰できるか心配しちゃう。
 それ以上に秀逸なのが、脚本と演出。目まぐるしく変化する状況と人間関係。小出しにインサートされる過去が示す真実とは?
 「レザボアドッグス」を彷彿とする疑心暗鬼の蟻地獄。最後にはい上がるのはいったい誰?
 とにかくスクリーンから目が離せなかった。目をそらすと展開が変わっていそうで。ハードボイルドな作りに散りばめられた笑いを見落としそうで。
 アットムービーはいつも面白いモノ作ってるなぁ。今後もますます注目です。


エスニック
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「【90ミニッツ】」を観る(11.12.9)

 あまりにも重く、心に刺さる舞台だった。なぜこの時期に…。いや、この時期だからやるべき芝居なのかもしれない。命の尊さを皆がかみしめているこの時期だから。
 二人の男の間にあるひとつの命。その鼓動の継続が二人の男に委ねられる。相反する主張と繰り広げられる駆け引き。弱まる鼓動が打ち続けられるには…。
 ある事件をモチーフにした脚本は、善と悪が表裏一体であることを観る者に思い知らせる。一般論は少数意見に対し押し付けとなり、少数意見は大勢の前でわがままに映る。相容れないもの。
 でも、命の前に主義主張は出るべきではないんだ。命を守るために悪戦苦闘するひともいれば、ひとつの命を救うために失った尊い命もある。生きることを諦めちゃダメだし、生きることを誰かがさえぎってはダメなんだ。
 ぼくは明らかに男1に肩入れしていた。哀しい眼差しを男2に向けていた。西村雅彦と近藤芳正の熱演が、ますますぼくの視線を強くしたに違いない。ぼくは思い入れちゃうタイプだからなぁ。
 二人の駆け引きに笑えるところもあったけど、気持ちが昂ってしまい素直に笑えなかった。三谷幸喜も笑いを取りたくて書いた脚本じゃないだろうし。
 すごく心に響いた。きっとぼくもやるせなさに身悶えるタイプだろうだけに、心が疲れてカーテンコールではちきれんばかりの拍手を送ることはできなかった。決して不満があったわけではない。脚本、演出、二人の演技が凄すぎるがために、考えさせられてしまったため。ものすごい舞台だった。
 天から降り注ぐ清か水が、途絶えることなくいつまでも続きますように。


エスニック
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「DREAM POWER ジョン・レノン スーパー・ライブ2011」を観る(11.12.8)

 ホントは誰よりもちっちゃくて、チキンなぼくだから、誰かに力を与えてもらいたいって夜もある。ぼくに一番力を与えてくれる人が、滅多に会えないその人に会える機会があるのなら、ぼくは迷わず会いに行く。力をもらいに。他人が白い目で見ようとも。ってことで、日本武道館にぼくのHERO・桑田佳祐に力をもらいにいってきた。
 ジョン・レノンスーパーライブは、ジョンの命日である12月8日に毎年開かれるイベントで、その収益は世界各地の学校建設に使われている。豪華な参加アーティストたちが、ジョンの歌をカバーする、なんとも贅沢なステージが繰り広げられる。そんな舞台に、スペシャルゲストとして桑田佳祐が出演するのだ。
 昨年の病気療養から復活の宮城ライブ、クリスマス&大晦日ライブと参加できないぼくにとって、千載一遇のチャンス。オリジナルは聴けなくとも、その声、その姿は確実にぼくに力をくれるだろう。
 参加アーティストはこちら(登場順)。
 奥田民生、吉井和哉、斉藤和義、NAOKI(LOVE PHYCHEDELICO) 、ROY(THE BAWDIES) 、BONNIE PINK、サニーデイサービス、桑田佳祐、Overground Accoustic Underground、LOVE PHYCHEDELICO、YOKO ONO。他に箭内道彦、杏、菅原文太(声のみ)も登場。
 とにもかくにも桑田さん。久しぶりに観る桑田佳祐、ナマでは小指の第一関節大だったけど、紛れもなく桑田佳祐。ビートルズルックで登場し、初期ビートルズナンバーを7曲。MCを交えて桑田節炸裂。療養前の桑田さんまんま。シンプルなナンバーに桑田節。ジョンを気取りながらも、風格はプレスリーそのもの(笑)。力もらったよ。ありがとう。
 他の面々も訳詞だったりアレンジを変えたりしてジョンの名曲をカバー。それぞれの味が出まくっててよかったよ。おっと、民生は1曲ジョージだった。
 なかでも、Overground Accoustic Undergroundの『(Just Like) Starting Over
』はかっこよかった。全然知らないバンドだけど、聴いてみたくなった。
 そしてみんなで歌う『Power to the People』.。めっちゃ力もらえた。一緒に叫んだ。一人じゃないんだ、みんながいるんだ!
 なんて気持ちのいい夜だこと。


エスニック
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SWAファイナル「SWAファイナル書き下ろし」を観る(11.11.28)

 SWA=創作話芸アソシエーション。林家彦いち、三遊亭白鳥、春風亭昇太、柳家喬太郎(背番号順)といった、新作落語を得意とする面々が集って旗揚げした団体で、かれこれ8年が経過したそうで。講演会はチケットがプラチナ化するんだとか。
 新作落語の雄・三遊亭円丈をこよなく愛すぼくとしては、円丈チルドレンと称される彼らは注目していたんだけど、残念ながら観る機会がなくて。
 そんなSWAがその活動を休止するという。しかも、全員が新作を書き下ろしで。その初日に行ってきた。数十年後には古典の名作と呼ばれることになるかもしれない噺たちのお披露目に。
 白の3本線と背番号の入った赤いジャージ風の着物姿の4人が登場すると、場内大喝采。目の肥えた落語通がこぞって入った本多劇場。書き下ろしの初演と言うことで、緊張感漂う舞台上。特にトップバッター喬太郎はあがりすぎのハイテンション。これから真剣勝負・・・って独特の雰囲気に、なんだかこっちも手に汗握る。
『再開のとき』 柳家喬太郎(背番号6)
 扇子、手ぬぐいといった落語家の必需品に加え、腰紐まで忘れたくらい緊張する喬太郎。芸達者から平常心を奪うほどのプレッシャーなんだね。
 勤め先のスーパーで対応した万引き犯は、高校時代の同級生だった。あの大人びた彼女がなぜ?自分に何ができる?
 ハイテンションな男どもに対し、冷製沈着な振る舞いの彼女。そのギャップが面白い。冷静な彼女を静かに演じる喬太郎の色気がまたいい感じに。上品に笑える一席。
『泣いたちび玉』 林家彦いち(背番号1)
 勝手なイメージかもしれないけど、彦いちと大衆演劇ってイメージ合うよね。
 大衆演劇に欠かせないのがちびっ子玉三郎。どの一座にもひとりはいる存在で、その当たりハズレが一座の人気を大きく左右したりもする。そんなちび玉の代替わり公演の噺。人情噺って親と子だったり男と女が思い浮かぶけど、まさかのちび玉同士とは。格闘好きの彦いちテイストもきっちり入って、ホロリとさせられます。
『心を込めて』 春風亭昇太(背番号4)
 もどかしさ。昇太の手が届きそうで、なかなか届かないもの。
 倦怠期の夫婦。朝から会話がとっちらかって。互いが相手になにを求めているのか、わかっているようで、わかっていないようで。皆まで言わない美徳ってどこで生まれたのやら。なんだか昇太の結婚観を垣間見ているような。「だから昇太は結婚できねぇんだ」ってご贔屓の声が聞こえてきそう。
『鉄砲のお熊』 三遊亭白鳥(背番号2)
 白鳥が語る、「なでしこブーム」の元祖。一生懸命闘う日本の女性は、いつの世でも美しいのです。
 女相撲の大関・鉄砲のお熊が、地元に帰っての大活躍。その凄まじさは書くに及ばず。高座を荒らしながらも熱く語る白鳥の姿は、掟破りの抱腹絶倒。白鳥の真骨頂、ここに極めり。

 これらの噺はきっとこれから何度も演じられ、育てられていくんだろう。熟成され、古典に名を連ねることができるかは、今の時点ではわからない。でも、今日はその貴重な産声を聞くことができ、しかもことごとく笑えた。すんごく楽しい落語会だった。
 こうなるとぼくもなにか作りたくなるんだよね。実力もないくせに。


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伊吹有喜「四十九日のレシピ」を読む(11.11.26)

 ずるいなぁ・・・。
  それは作者のせいではない。ドラマを先に見ちゃったから。冒頭から玄関に立ち、コロッケパンを差し出す風吹ジュンが目に浮かぶ。ちょっと首をかしげる風吹ジュンが。ゴミ屋敷で呆ける伊東四朗が。
 泣けるんだよなぁ。恥ずかしながら、読みながらなんど嗚咽を漏らしたことか。「生きること」の意味、証し。そんなことふと考えてしまったりして。でも、誰もが誰かに支えられ、誰もが誰かの踏み切り板になってるって思えたら、無駄な人生なんてどこにもないって思えるよね。
 残念ながらぼくの人生にはまだドラマチックな展開は訪れないけど、いつかは忘れられる存在なのかもしれないけど、それでも知らない誰かの役に立っている。そう思うといつもよりも余計に胸を張って歩きたくなる気分なのだ。
 そんな想いを抱かせてくれる、ステキな小説です。


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「ステキな金縛り」を観る(11.11.22)

 この作品が面白いなんてこと、あちこちで言われているので、いまさらぼくが語ることは何もない。三谷幸喜テイストに満ち溢れた中に、西田敏行のアドリブがアクセントとなり、そりゃもう面白くてたまらない作品になっていた。
 ということでぼくがここで語りたいのは、深津絵里のかわいさについて。とにかくかわいい。どのシーン、どのカットも、ぼくの胸を撃ち抜いてくる。頼りなさげな表情も、自信に満ち溢れた表情も、どの顔もおもわず抱きしめたくなるような。
 三谷監督よ、こんなにも愛くるしいふかっちゃんを映し出してくれて、本当にありがとう。この作品はぼくにとって最高のプレミアです。
 先日放送された『ステキな隠し撮り』、まだ見ていないんだけど、こっちにもCuteなふかっちゃんにあふれてるのかな?早く見なくっちゃ。
 ってことで、面白いのはもちろんだけど、ふかっちゃん好きには最高の作品になってます。そのほかもいろいろ見どころはあるけど、それは見てのお楽しみ。


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森見登美彦「ペンギン・ハイウェイ」を読む(11.11.13)

 認めたくはないんだが、ぼくはアオヤマ君に嫉妬している。けっして歯科衛生士のおねえさんと仲がよくて、おねえさんのおっぱいが好きで、うらやましい・・・ってわけじゃない(それもあるけど)。幼少の頃のぼくにノートに記録するという習慣が備わっていれば、探検を地図に残すという習慣が備わっていれば、どれだけ今が充実していたことだろうか。
 ぼくの住んでた街も新興住宅街で、裏には森が広がり、山あり谷あり、その向こうにサイロがあったり。でも、今となっては切り開かれて埋められて、ぼくらが探検した森や山は、全て住宅街になってしまった。クワガタがたくさんいる場所も、サンショウウオがいる場所も、どこに何があったかわからない。なんかとてもさびしいのだ。
 でも、アオヤマ君は忘れないように記録している。自分の研究の全てを。川の探検も、ペンギンの研究も、おっぱいの研究も。だからアオヤマ君は忘れない。オトナになってもあのときの記憶を。そして大切な決心も。
 登校途中に見つけたペンギン。ウチダ君とともに始めたペンギンの研究は、探検していた森へと繋がって・・・。森の謎は、共同研究をすることになるハマモトさん、スズキ帝国の支配者スズキくんらクラスメイトを巻き込んで、とても大きく、深い謎へと展開していく。
 でも、本当に大切なのは研究のすごさや謎の大きさじゃなく、そのとき何に疑問を抱き、どんな気持ちになったかなんだよね。直接的な言葉はなくても、なにを研究していたか、いつなにを発見したかが記録されていれば、読み返すたびにきっとそのときの記憶がフィードバックするに違いない。
 アオヤマ君のノートは最高の宝物に違いない。あんなすごい出来事を、あんな素敵な出会いを、その時に芽生えた感情を、忘れることはないんだろうから。
 だからぼくはアオヤマ君に嫉妬する。


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aiko Live Tour「Love Like Rock vol.5」を観る(11.11.11)

 なんていい娘なんだ・・・aikoは。
 ZEPP SAPPOROで行われたaikoのライブ。ライブハウス仕様ということで、場内は開演前から熱気満々。2階指定席最後列だからゆっくり観れるかと思いきや、有無を言わさずスタンディング状態。仕事帰り、しかも珍しくスーツ姿(ネクタイは外したけど)のぼくは、完全に浮いている。周りは見事に女性ばかり。でも、あまり気にせず溶け込めるあたり、雰囲気がいいのかな。
 初めてナマで観るaikoはちっちゃいけどとてもパワフル。バックバンドを従えて、ハードなビートでステージを走り回る。aikoの曲って、1曲の中でちょくちょくビートが変わるので、ノリが結構難しい。ぼくは戸惑いを隠せないこと多々あったけど、周りはさすがに聴き込んでいるようで、一糸乱れぬ盛り上がり。
 それにしてもaikoは優しい。MCのときに五月雨のように飛んでくるファンの声を、できるだけ拾って話しを紡いでいく。あまりに拾いすぎて、スタッフから巻きが出るほどに。その姿を見るだけで、いい娘だなぁ・・・って思っちゃう。
 ライブハウスVerということで、シングル曲は少なく、有名どころもあまりやらないんだけど、ぼくがよく聴いていた初期のナンバーの選曲も多く、うれしナツカシ。知らない曲でも自然と体が動くaikoのナンバー。素直に音を感じればいいんだよね。
 もう、汗だく、でろでろ、でもたのしい!
 aikoがみんなに愛されているのがひしひしと伝わる、いいライブだった。


エスニック
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「猿の惑星 創世記ジェネシス」を観る(11.11.5)

 どうして地球が猿に支配されたのか・・・。名作『猿の惑星』最大の謎が、ついに解き明かされた。小学生の頃は猿が怖くて、この映画も直視できなかった記憶が。
 いやいや、面白かった。とにかくモーションキャプチャーを使って撮影したという猿の動きに驚き、シーザーのせつない表情に胸がしめつけられてしまう。人に育てられた猿の話はドキュメンタリーで見たことがあるが、知能が発達するとこうなるのかな。そんなドキュメンタリーの延長的要素もあり、シーザーの知略を楽しむこともでき、三国史でいうところの関羽と張飛も登場し・・・。いろんな要素が詰まってる。
それでいてきっちり『猿の惑星』に繋がっていく構成がとても緻密で、面白いうえに感心すらしてしまう。『猿の惑星』へのアプローチがなくても、『猿の惑星』を知らなくても、十分に楽しめる作品だ。
 北海道に灯りがともったとき、思わず咳き込んでしまったよ。


エスニック
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「モテキ」を観る(11.10.14)

 ぼくのモテキはいつだったのか・・・。きっと5歳のころだろうか。実感はまるでなかったけど。
 映画『モテキ』はドラマのその後の物語。ドラマはきちんと見ていたわけではないけど、酔っ払って帰るといつもやってて、ぼーっと見てたんだよね。音楽の選曲と使い方がうまいなぁって思ってて。
 映画版はそのテイストがパワーアップして存分に楽しめる。のっけからサブカル満載、懐かしソングのてんこ盛り。悩める青年がサブカルを糧に、サブカルを反骨として、訪れたモテキに立ち向かう。
 正直、幸世の鬱屈さは見ていて苛立つ。でも、ぼくと通じるところもあり(あのうじうじさあたりか)、歯がゆさを覚える。そんな幸世の心の動きと音楽のリンク、妙にうなずけちゃって。ぼくも同じように音楽や誰かの言葉に支えられてる・・・。そういう意味でこれは立派なミュージカルなのだ。
 それにしてもうらやましい。美女4人(うち一人は脈なしだけど)に囲まれるんだから。しかも選べる立場だなんて。いやいや、ぼくならだれでもいいよ。って、そんな優柔不断さ(もしくはえげつなさ)がモテキのこない理由なのかな?
 物語をどうこうよりも、やっぱり音楽の使い方に聴き惚れ見とれる作品です。男子はきっと大ウケか。女子は引くかもしれないけど。
 そういえば冒頭で長澤まさみのTシャツにおもわず吹き出したけど、みんな笑ってなかったなぁ・・・。


エスニック
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TEAM NACS 15th project『5D=FIVE DIMENSIONS=』
大泉ワンマンショーを観る(11.10.10)

 すっかり全国区の人気者、大泉洋。芸達者な彼のワンマンショー、期待しますぜ。
 という期待、なにを期待するかは人それぞれ。NACSファンは優しい人が多いから、大泉洋の陽気な一面が見れて大満足だったようで。確かに楽しいショーだった。でも、ぼくはアイドル然とした大泉洋ではなく、表現者としての大泉洋が好きなわけで、ファンミーティングの域を出ないショーを期待していたわけでない。だから、このショーを見て、手放しで楽しめなかった。
 オープニング、ものまねショー、高座、歌謡ショーの合間に、どうでしょうスタッフ製作の転換VTRが流れる。『探偵はBarにいる』の映像を使ったものまねは秀逸。あとマーシャも。転換VTRはいつものダラダラ感がそこかしこにあふれてて、とにかく笑える。その他は・・・。
 もっとできるはず。忙しいのは十分承知だが、大泉洋ならもっと面白いものを。創作した噺を、キレのある歌詞を。専念は無理だから・・・はわかっていっるけど、お楽しみ会の域を出ない出し物を喜んで見てくれる優しいファンに目線を合わせていると、表現者として、創作者としての力が削がれるようで。
 なんてこと、ぼくなんかに言われたくはないだろうけど、5500円払ってるんだから、言ってもいいよね。


エスニック
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「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」を観る(11.10.3)

 なんだかんだいって全部観たぞ、ハリー・ポッター。札幌での上映は今週まで。見逃してなるかと、今日あわてて行ってきた。スケールの大きい作品はやっぱり大画面でいい音で観たいもんね。残念ながら3Dは終わっちゃったけど。
 PART1の内容をほどよく忘れていたので、できればダイジェストからやってくれればうれしかったんだけど、そこまでは優しくないのね。
 素直に面白かった。これまでのシリーズで登場したポグワーツのあれやこれやが、最後にきて伏線だってわかって、スケールの大きいシリーズを観続けたんだって感慨深くなってくる。もちろん謎解きも含めて、あぁ終わっちゃうんだって寂しく思えたりして。
 全て観終えたから言える事かもしれないけど、脇のキャラにもシリーズ中にひとつは華を持たせているところに、作者のキャラに対する愛情を感じるんだよね。それがとても好き。ハリーという生まれながらのヒーローだけが見せ場満載って言うんじゃなく、みんなに見せ場がちゃんとある。その時々のみんなの顔がいいんだよね。
 ネタバレになっちゃうけど、ラストシーンで登場する子供たち、女の子は別として男の子のどっちにどの名前をつけるか、悩まなかったのかなぁ。魔法使いだから何人生まれておよその性格まで把握してたのかなぁ。
 さて、10月22日にはWOWOWで本作以外を一挙放送なので、見直して「そうか、それがこう来るのね」って確認しちゃおうかな。


エスニック
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東宝セレソンデラックス「わらいのまち」を観る(11.10.1)

 東京セレソンデラックスが東宝セレソンデラックスと名前を変え(興行主だからね)、豪華客演陣を迎えての全国興行。昨年『くちづけ』で宅間作品に魅了されてしまったぼくとしては、笑いを前面に打ち出した本作も楽しみで、楽しみで。なによりまた北海道に来てくれたことに感謝。そして、好きな俳優・岡田義徳が客演陣にいることにニンマリ。
 なに?昨日、岡田義徳と田畑智子(こちらも客演)の熱愛がフライデーされたって?なんてホットなニュースが全国に駆け巡った直後の公演。これが特別な一夜の予兆になって・・・。
 閑散としたまちをお笑いで活性化する−元町長だった父の夢をかなえるため、旅館を経営しながら奔走する兄弟。旅館の主であり、お笑いフェスティバルの実行委員長を務める弟・信雄と板長の兄・将雄。フェスティバルを明日に控え、視察に国会議員を迎えるという重要な夜に、ヤクザな長兄がまちに戻ってくる。トラブルメイカーの帰還で一同に広がるパニックの予感。取り繕う言葉で次々と勘違いが連鎖し・・・。
 勘違いから起こるドタバタ劇は多々あるけれど、これほどまでに連鎖の様が連なり、幾重にも重なっているコメディはそう多くないと思う。それをワンシチュエーション、ノンストップで畳み掛ける。笑える笑える、大笑い。そこに宅間のアドリブが客演陣を悶絶させ、まさに旬な岡田&田畑いじりが加わる。いやいや、おふたり災難でした。でも、現実とお芝居がクロスオーバーする様は、見ているこちらもハラハラで面白かったり。事務所は大丈夫なのかなぁ。
 いやいや、そんなタイムリーなハプニングがなくてもとても面白かった。ラストに向かい、笑いとシリアスの転換部にちょっと引いてしまったけど(権力ヒステリーは芝居も現実も興ざめするよね)、笑いは人を幸せにするもんね。
 セレソンは来年も札幌に来てくれるって。次はどんな一面を見せてくれるか、今から楽しみです。


エスニック
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石田衣良「ドラゴン・ティアーズ−龍涙 池袋ウエストゲートパーク\」を読む(11.9.23)

 年に一度、マコトが池袋の街を走り回るIWGPを読む季節。今回のIWGPはリーマンショックが起こった2年前の話しだけど、さほど意識することなく読み進めた。それはきっと、ぼくら庶民にはテレビが騒ぐほどリーマンショックを身近に感じていないからかもしれない。マコトも「1個5000円のメロンが売れなくなった」程度に考えるとおり、ぼくも、差し迫った危機感はまるで感じなかった。ぼくの周りにおける景気はもっと前から冷え切っている。なのにエコカーだ、地デジだと購買をあおる政府に疑問を覚えていたくらい。そう考えると40過ぎの勤め人であるぼくも、マコトと同じ目線で時代の一部を体感しているのかもしれない。
 ただ、ぼくはうわべだけしか見ていない。ぼくに街のトラブルを持ち込むものもいない。でも、マコトの元には池袋の、いや、日本の今が持ち込まれている。それを通して、2年遅れでぼくも日本の今(過去?)を知る。
 今回もキャッチ商法、ホームレスの現状、出会いカフェ、中国人研修問題と、目を向けなければ気付かないけど、街のどこかに必ず潜んでいる社会問題がテーマ。でも、そこには問題提起して社会を変えようというのではなく、人とのつながりを重んじるマコトイズムが必ず根付いている。マコトの正義は必ずしも「よりよい社会」にはない。だからマコトはみんなに頼られるんだろうなぁ。
 今回はマコトの立場も揺らぐような男が登場する。やばいぞ、マコト。タカシやサルに頼ってる場合じゃないぞ。『赤(ルージュ)・黒(ノワール)』に続く外伝ができちゃうかも?
 マコトと走る池袋。次はどんな繋がりが待っているんだろうか?
 そうそう、惚れるなよ、マコト。


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「イッセー尾形のこれからの生活 in 2011」を観る(11.9.19)

 毎年札幌公演を2回観に行っているイッセー尾形。今年はそれに加え、砂川でも公園をするという。しかもすべて新作で、札幌公演とはかぶらないって。そりゃ観に行かないといけんわな。『天草五郎物語』やられたら、1回見逃すことになっちゃうもん。
 ”砂川市地域交流センターゆう”。JR砂川駅に直結する好立地に、こんな立派なホールがあったとは。駅なんて滅多に来ないから(というか今まで一度も来たことなかった)、全然気付かなかったよ。
 入場すると、アコーディオン奏者が演奏でお出迎え。YAGI(青柳さん)という札幌を拠点に活動されている方だとか。今度聴きに行ってみようかな。
 さてさて、なにはなくともまずイッセー。未体験の砂川、波乱万丈の砂川公演の幕が上がったのです。
『自転車乗れないの』
 自転車に乗れないおばさんが、マンションの前で自転車相手に悪戦苦闘。行き交う人に乗るコツを聞いている。憧れの砂町銀座へ行けるように。
 自転車に乗るって、言葉じゃなくて感覚じゃない。でも、感覚って伝わらない。そんなジレンマを堪能してください。
『溶接工のお仕事』
 勤続50年を迎えた熟練溶接工。その技術は一朝一夕ではなく、どっぷりと身体に染み込んでいる。熟練工の流れるようなルーティンワークに見惚れてください。
『高原ホテルのベルボーイ』
 高原のリゾートホテルでなぜか不評のベルボーイ。「おれのせいじゃないッス」「もうやすりかないッス」と気合いを入れて、めざせ『貧乏(くさい)脱出計画』。でも、彼のせいだけじゃないよな、根本的に・・・と、ちょっと同情したくなる。
『ヨット上で現代社会を見る』
 風のない日のヨットの上は、人に現実を見せ、さらに現実からの逃避を促す。気を遣えば調子に乗り、核心を突けば理屈で交わそうとする若者に、正義の鉄槌「アレルギーとノイローゼ」。ぼくもおじさんの気持ちがよくわかる歳になりました。
『お局様のダンスタイム』
 お局様は社内事情に当然詳しい。だから、若造をひねるなんていともたやすいのだ。だから、お局様のダンスタイム後には、若造たちの屍が・・・。怯むでない、お局様だってオンナだもん。もちろんツボもあるのです。桃井かおりっぽいのは、親友だからのご愛嬌?
『天草五郎物語 最終回?』
 やっぱりあったよ、天草五郎。これが最後と高らかに宣言も、あらすじ説明でまた盛り上がり・・・。完璧な芝居を演じることで定評のあるイッセーも、天草五郎だけは素を見せ笑い転げる。
 そんなお題で砂川ならでは(?)のハプニングも。トイレから戻ったおじさんが、ステージ前を堂々と横切った。これにはイッセー、たまらず突っ込み。きっと他のネタなら演じきるんだろうけど、ここは素の出る天草五郎。公演中では初めて見るイッセーの客いじり。
 さて本筋は五郎とおくみの祝言から。おくみは実は妖怪だった。波乱万丈の幕開けで、登場人物入り乱れ、今回もまた収拾つかず。
 イッセーらしくなさがイッセーらしい、もはや名物のお題です。
『スパニッシュな流浪の旅』
 小さなライブハウスで半生を振り返る女性ミュージシャン。今日はセルフカバーライブのようで。彼女がかつて作ったラブソング(ウクレレ弾き語り+α)で堪えきれずに涙し(笑いすぎ)、アイドルを想定して作った曲(ギター弾き語り)に騒然とする(ツッコミ入れたくて)。ジプシークィーンとなって、スパニッシュな流浪の旅の果てにあるものは・・・大きな笑い声と拍手喝采なんだよね。


エスニック
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「が〜まるちょばサイレンとコメディ JAPAN TOUR 2011」を観る(11.9.17)

 今年もが〜まるちょばの全国ツアー札幌公演を観てきました。彼らにしかできない、言葉の要らない表現方法。彼らの表現力とぼくらの想像力、その2つが重なって見える世界。ただ楽しいだけではない、実は観る者も試される舞台。
 そんな高度な舞台も、客の年齢層は実に幅広く、お子様からお年寄りまで。想像力に関しては常識にとらわれないお子様のほうが、世間の風に当たって変にスレたオトナよりも豊かなのかな。
 オープニングはいつもの通りながら、今回の『が〜まるちょばSHOW』は例年以上にぼくらにも緊張が走り、緩和するときは2人以外は大爆笑。ホント、試されるなぁ。パントマイムの基本、オーバーアクションのレクチャー。観るだけでない、パントマイムの世界へようこそ。
 つづく『マジック』は二人のコミカルな動きにひたすら笑わされる。サイレントコメディの王道的作品。まさかケッチ!がぼくの目の前にいたとは・・・。
 『プロローグ』から『Hello Goodbye』は、彼らの真骨頂となる長編作。爆弾魔に相対する刑事とその恋人の物語。彼らの得意技がふんだんに盛り込まれ、笑いとせつなさを演じきる。なにもない舞台にセットが見え、2枚のカーテンが巧みなカット割りを演出する。笑うのはもちろんだけど、ホントせつなくなる。ストーリーはベタなんだけど、きっとあれらの動きにより頭の中で見えている絵は人それぞれだろうから、数百の物語が会場に展開されていたんだろうな。
 今年のが〜まるちょばも、圧巻であり感動のステージでした。


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五十嵐貴久「1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーター」を読む(11.9.16)

 五十嵐貴久の青春シリーズ第三弾。主婦でもバンド、主婦でも青春、主婦でもロックンロール!あっ、一人独身がいたっけ。
 憧れたよね、バンド。立ちたかったよね、学祭のステージに。今思えば、生徒の大多数が学祭のステージには上がってないんだよなぁ。あれから数十年が経ったけど、いまだに思ってる人っているんだなぁ・・・ぼく以外に。
 よくあるバンドものと言ったら失礼かもしれない、よくある青春ものと言ったら失礼かもしれないけど、骨格はそのもの。設定と枝葉を40代女性に変えるだけで、見えてくる背景が大きく変わるとは。
 主人公・美恵子はなに不自由なく暮らしてきた専業主婦。でも、息子の中学浪人と友人・かおりの借金を機に、コンビニで働くことになる。そこで出会った人や出来事が、美恵子とかおりをバンドへと走らせていく。
 基本はベタなんだけど、いつしかうるっとしてしまう。それが青春小説の基本だよね。展開は先読みできるんだけど、確認せずには要られない。もしかしてぼくにもできるんじゃないかって。
 妙に淡い期待を持ったりする作品でした。


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「探偵はBARにいる」を観る(11.9.13)

 東直己の『ススキノ探偵シリーズ』。ぼくの地元でもあり、東直己はぼくに似ていることもあって(お会いしたことあるがホント似ていた)、このシリーズを映画化するなら探偵役は・・・「ぼくかな」。いやいや、それは叶わぬ夢なれど、北海道のキラ星・大泉洋がやるのであれば応援します。
 それにしてもうれしい。好きな地元小説が、雰囲気そのままに映画化されていた。探偵が大泉洋によりより軽妙に描かれるも、ダンディな心とのギャップがより一層引き立ち、根のかっこよさが上手く描かれている。これは大泉洋のアタリ&ハマリ役になるでしょ。
 探偵の相棒・タカダも松田龍平があのつかみどころと人を寄せ付けないイメージそのままに上手いこと演じている。ボソッと語る本音が実に効いている。
 脇も上手いこと占めた配役。小雪、いいオンナだなぁ。
 ススキノを駆け回る探偵。「あっ、ここ」「あれ?そこは」と妙にロケ地もわかるので、それもまた観る楽しみになってたりして。
 変に弾けてなく、洒脱の中に哀愁が漂っていて、ススキノの冬とミステリーが素敵に描かれている。ぼくが主演じゃないのがくやしいほどに。
 シリーズ化してほしいなぁ。小説読み直そうかと思ったけど、次の映画化に期待して我慢しておこう。
 大泉探偵、ススキノをもっともっと走り回ってちょうだいな。


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ヨーロッパ企画「ロベルトの操縦」を観る(11.9.10)

 フライヤー(チラシ)を見る限り、旅客機パイロットの話かと思ってた。フライトの機上で起こるシチュエーションコメディだとばかり思っていた。なので、舞台に鎮座する近未来的な乗り物を見たときは驚いた。つなぎを着崩した3人が登場した際は、飛行整備士の物語かと思ったが、これも裏切られた。近未来(?)の地球のどこかの砂漠。滅多にならない徴集のラッパを当てもなく待ち続ける軍隊の隊員たち。フライヤー、全然違うじゃん。
 ヨーロッパ企画の舞台はこれが3度目か?STORY性の強いシチュエーションコメディと、ハイテンションでノリ押し捲るドタバタコメディ。今回はあきらかに後者のドタバタ系で、常識人こそがマイノリティと化していく集団劇。
 砂漠の中の基地は娯楽も嗜好もほとんどない状態。そこへ基地の敷地外2kmにコーラの自販機があるとの情報を得た隊員たちは、だれがコーラを買いに行くのかでもめることに。そして、いざ2km先にあった光景とは・・・。欲望はコーラに始まり徐々に大きくなる。そこに人が集まり、良識と欲望の間での綱引きが始まる。
 コメディである以上、常識なんて風が吹けば簡単に飛ばされ、飲み込まれていく。囚われないようにする者の理屈と、縛られるものの意思が、ロベルトという武器の機上で錯綜する。
 思わず自分のポジションを探してしまう。自分ならどう意見をし、どう立ち回るか。意外と小心者なので、最初は常識に囚われながらも、どこかでたがが外れ、とことん突っ走るんだろうなぁ。
 無謀の行く先に見える世界を、みんなで笑い飛ばしましょう。


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「やみ鍋の会SPECIAL」を観る(11.9.9)

 月亭方正・・・八方に弟子入りした山崎方正の高座名だ。「山崎方正が落語?できるの?」とちょっと意地悪な気持ちでそのニュースを聞いた。今回上京するにあたり、なにかイベントはないかと調べたら、月亭方正が主催する落語会を発見。しかもゲストは笑福亭鶴瓶師匠。どれどれ、方正の落語を確かめに、鶴瓶師匠の落語を味わいに行こうではないか・・・って、どこまで上から視線なんだ、ぼくは。
 なぜ『やみ鍋』なのか。それは落語家だったり、そうでなかったり、上方だったり江戸だったりが入り乱れたメンバーの練習会だからだそうで、名付け親は今日のゲスト・鶴瓶師匠だそうで。
 全体的な感想は『勢い』がある。若いメンバーが持てる力を思い切り出し切っている感じがして、とても好感。爆笑したよ。でも、勢いだけで押し切ろうとするきらいもあり、話術の難しさと面白さがそこにあるとつくづく感じた。
 そういう点で最後の鶴瓶師匠の引いたところから入る落語は、押し一辺倒だったこの会の大きなアクセントになっていたし、今日のメンバーにとっても勉強になったんじゃないかな(って、ここでも上から目線かよ)。
聞き手がわかりやすい(有名な)演目だったのは、上方落語初心者が来ることを予測してのナイスな配慮。江戸落語との比較もできて楽しかったし勉強になった。さすが。
 今日の出演者と演目を。
○前田一知『平林』
 この方は落語家じゃないようで。落語家然としていないところと初々しさが、読み書きのできない丁稚さんと上手くリンクして、微笑ましくなってしまう。ナイスなチョイス。
○笑福亭瓶二『ちりとてちん』
 勢いがあったなぁ。ハイテンションちりとてちん。顔を赤くしながらの熱演は、笑いに直結。どっかんどっかん来てました。
○月亭方正『手水廻し』
 「ガキ」と「チャングンソク」の波状攻撃の枕で客が大いに盛り上がる。こんなに話術上手かったんだ。TVという一面しか見ていなかったので、驚き(失礼しました)。
 落語もキャラの使い分けを大きくすることと、「チョウズ」という聞き慣れない言葉の扱い方とハイテンションで盛り上げていた。着眼点がいいね。ときおり「チョウズ」に引きずられ、キャラの混同が見られたのは惜しい。大きく使い分けるなら、そこは最後までキッチリと。それにしてもハイテンション&リアクションという持ち味を発揮したスケール大きい落語だった。
○鈴々舎やえ馬『時うどん』
 瓶二と方正に大きく時間をとられ、枕なしはちょっとかわいそうだったけど、こちらも大きなアクションを入れての『時うどん』。『時そば』で聞き慣れた話しながら、関西テイストがばっちり加わり、面白かった。料理の味は薄味なのに、落語の味は濃くなるのね。
○笑福亭鶴瓶『死神』
 圧巻の鶴瓶流『死神』。講座に上がり、枕なしでぼそぼそっと自殺しようとする男の語りが始まる。割れんばかりの拍手だった場内が「何事?」と静まり返る。一気に鶴瓶師匠に引き込まれる。声を張って笑いを取った前座に見せ付けるかのような、なんたる凄み。あとは抑揚のメリハリをつけた話術で笑いを作る。
 なにより『死神』のアレンジだ。滑稽噺を見事な人情話に変え、オチも主人公らしい幕引きで泣き笑いを誘う。これまで聞いてきた『死神』とはまるで違う味わいの作品となっている。なんとも鶴瓶師匠らしい。
 キャラの使い分けもさしてないけど、男と女の機微があのちょっとだみ声からひしひしと伝わってくる。
 これ、聞けて良かったわ。


エスニック
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万城目学「偉大なる、しゅららぼん」を読む(11.9.7)

「選ばれし者の恍惚と不安」
 万城目文学は選ばれし者の物語だ。『ホルモー』は最後まで選ばれたことに気づくことはなく、『鹿男』は巻き込まれたと思い続ける。『プリンセス』は途中で知らされ、『しゅららぼん』は最初から知ってる。関西を舞台にした選ばれし者の物語たちは、毎度驚かされる発想と、少しづつ形を変えた構成で、ぼくを楽しませてくれる。なんかまじめなことから書いてしまった。ちょっと思いついたので、書いただけなんだけどね。
 「しゅららぼん」ってなんですか?
 もうこれは読んでもらうしかない。琵琶湖湖畔に位置する石走を舞台に、琵琶湖の力を有する者たちの物語。力の修練を目的に高校入学と同時に石走にやってくる涼介。同じクラスには本家の息子・淡十郎、やたらイイ男の広海、校長の娘・速瀬がいて、決してありきたりや平凡ではない高校生活が始まって。それがとんでもない事態に発展して。
 謎の力を巡って一進一退で物語は進むんだけど、力を持つ者のスタンスがそれぞれに異なり、それが登場人物のキャラクター付けとなって人間ドラマとしても面白い。そんなやつらを上手いこと暴れさせ、上手いこと黙らせ、上手いこと遠ざけ物語を紡ぐ様は、「万城目すっげぇ〜」と唸らざるを得ない。
 どんな力よりも大切なものがそこにはある。ハラハラドキドキの大活劇。でも、それ以上にせつなさと希望で胸が熱くなるエピローグ。ちくしょう、万城目め。毎度のことながらやられちゃうじゃないか。
 涼介、淡十郎、広海、清子。ひと月ほどの間に成長していく彼らの心を応援せずにはいられない。彼らの行く先が光に満ちていることを願わずにはいられない。
 選ばれし者を書きながらも、誰もが思う大切なものを愚直に伝え、心を震わせる万城目のその発想力と筆力にこそ、琵琶湖の力が宿っているのでは・・・なんて強く感じるのだ。
 必読です。


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北沢秋「哄う合戦屋」を読む(11.8.29)

 軍師。その言葉の響き、その立ち振る舞い。クラスのヒーローになれないことを自覚したとき、次にぼくが目指す立ち位置はそこだと思った。でもダメなんだよね、ぼくは。よこしまな邪念が入っちゃうから。モテたいとかさ。縁の下の力持ちになれないタイプなので。
 時は戦国、場所は信濃の国。甲斐の国の大名・武田晴信(のちの信玄)が南信濃・諏訪を平定し、北へと勢力を広げようとしていた頃。数々の戦でその武勇が語り草になり、名を轟かせる石堂一徹という男があった。主君を転々とする一徹が、中信濃の横山郷に現れ、決して有力ではない豪族・遠藤吉弘に仕えるという。戸惑う吉弘をよそに、次々と武勲を治める一徹。一徹の見据える先にあるものとは?
 軍師って、見えてなきゃダメなんだよね。世の流れ、敵の兵力と動き、人の心。そして何より自分の才を。自惚れるだけでなく、長所も短所もその全てを。さらに、自分の夢を、目指す先にあるものを。そのために守るべきものを、捨てねばならぬものを。
 軍師としてまっすぐ生きる男の、あまりにも潔い生き様は、仮にも軍師を目指した者にとっては衝撃であり、清廉であり。それでいてそんな一徹の巻き込まれていく人たちの心の動きもすごくよくわかる。戦国の合戦記と思いきや、心理合戦の連続のようで面白く、読み応え満点。すごい。
 残念ながら一徹のような孤高の男にぼくはなれない。なれない男はどう生きるべきか、どう立ち振る舞うべきか。面白い上に考えさせられるいい小説だった。
 いつか、誰か一人のためのヒーローにだったら、ぼくにもなれるのかな・・・。


エスニック
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劇団四季「マンマ・ミーア!」を観る(11.8.28)

 東京で凱旋公演中の『マンマ・ミーア!』が9月上旬で終了し、今度は京都へ行ってしまうとか。最初の東京公演を見逃し、悔しい思いをしていただけに、京都なんかに行かれた日にはもう観ることが叶わないのでは?ならば上京ついでに観るがいい。
 ってことで、四季劇場『海』で上演されている『マンマ・ミーア!』を観た。
 映画化もされたのでご存知の方も多いだろうけど、ABBAの名曲が全編に流れるギリシャの孤島を舞台としたミュージカル。ぼくはいつの日か舞台を観るときのためにと、映画を観ずに我慢していたのだ。
 ギリシャの孤島でホテルを経営する母娘。父をしらない娘ソフィは自分の結婚式に母に内緒で父親候補とされる3人を招待し、父親探しを画策するのだが・・・。
 やっぱりABBAの曲のことから書くべきか。ぼくはあまり熱心にABBAを聴いていたわけではないので、全ての曲を知っていたり、英語詞に思い入れがあるわけではない。だから、とても自然に、物語の流れとして、あるいはBGMとしてすんなり聴き、楽しめた。知っている曲が歌われるとことさらニンマリしたりして。耳馴染みがあるから盛り上がりもひとしお。ABBAの曲の楽しさを再発見したりして。
 でも、そんな発見も物語り自体がとても楽しいからであるこそ。母のヒステリックをなだめる友人、それぞれにかつての恋敵的存在でありながらも、ともに惑い、解かり合う3人の父親候補。みんながABBAを歌って前向きになって行く。楽しさを思い出し、楽しさを目指し前向きになる。
 やっぱりハッピーエンドはいいなぁ。観てるこっちも楽しい気分になり、前向きになれる。
 ぼくを元気にするミュージカル。観てよかった。


エスニック
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川上つよしと彼のムーードメイカーズ「-The 10th Anniversary Live-」を観る(11.8.26)

 ぼくの好きなBand、川上つよしと彼のムーードメイカーズ。その結成10周年を記念したスペシャルLiveを観てきた。場所は新宿Loft、オールスタンディング。
 まずは川上つよしと彼のムーードメイカーズの紹介と、彼らへのぼくの思いをちょっと書きます(ちょっとじゃなくなったかも・・・)。
 バンマスであり、バンド名に名前が冠されている川上つよしは、言わずと知れた東京スカパラダイスオーケストラのベーシスト。メンバーには日本のスカ、レゲエシーンで活躍するミュージシャンが名を連ねる。オリジナルやカヴァーをロックステディに演奏するムーディでかっこいいバンドなのだ。
 昔話をちょっと。1990年に就職のため上京したぼくは、同じ時期にメジャーデビューしたスカパラにハマり、Liveを観だした。ぼくにとって彼らのなによりの魅力は、オトナの遊びや猥雑さ、洒落っ気とかっこよさの詰まった楽曲、選曲、アレンジと演奏。ウラ打ちが新鮮で、それでいて心地よい。Liveではニンマリしまくり状態。でもスカパラは進化の過程でオトナの遊びや猥雑さ、洒落っ気を捨て、スピードとかっこよさに特化していった。Live会場には若い女性が殺到し、オトナたちは次第に姿を消していった。
 そんなオトナの遊びや猥雑さ、洒落っ気を引き継いだのが、川上つよしと彼のムーードメイカーズなのだ。それがゆえに、客の年齢層は比較的高い。もちろん今のスカパラから流れた若い娘もいるけど、「青臭いガキにわかるかな?」なんて上から目線になったりして。
 幕が上がる。狭いステージに10人が並び、新曲『Wandering Mood』が演奏される。揺れる、揺れる。身体が心地よいウラ打ちに促され、自然と揺れる。ンチャ、ンチャのたびに首が鳩みたいになったりして。次々と繰り出されるナンバーに顔がニヤけているのがわかる。これだよこれ。洒落たオトナによる、オトナのためのMusic。
 楽しさあり、猥雑さあり、Band一体のグルーヴはもちろんのこと、個々のテクも冴えわたり、ちょっとしたアドリブがはさまれるたびに「おぉぉ〜」なんてなっちゃって。たまらない。これだよ、これ。待っていたのは。探していたのは。
 インストだけじゃなく、過去に彼らの作品に参加した3人の歌姫(武田カオリ (fr. TICA)、古内東子、中納良恵 (fr. EGO-WRAPPIN'))もゲスト出演し、彩りを添える。それぞれの声がBandのグルーヴにきれいに乗る。素敵。
 すごく濃密なライブ。会場の狭さも相まって、緩やかな波が大きなうねりになって行くよう。でも、いつまでもそのうねりに漂っていたいって思うんだよね。
 アンコールの最後はRANKIN' TAXIが登場し、モンキーズ版ではなくザ・タイマーズ(清志郎)版の『Daydream Believer』大合唱。最高だぜ、今この瞬間のぼくらこそがデイドリームビリバーだぜ。
 もう、楽しくてしょうがない。思い出すだけでニンマリ。身体は今も横揺れでンチャを刻んでる。素敵な素敵な最高のLive。それぞれが自らの場所で活躍するミュージシャンの集まりだけに、次のLive予定はまったくの未定。最高の瞬間を目撃した、立ち会えた、体感した、ご機嫌な夜でした。


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「天と地の守り人<第1部>ロタ王国編、<第2部>カンバル王国編、<第3部>新ヨゴ皇国編」を読む(11.8.23)

 ついに「守り人シリーズ」が終焉を迎えた。バルサとチャグムの長い旅がここに幕を下ろした。きっとこれからもバルサ、チャグムともにそれぞれの生きる旅は続くのだろうけど、二人が歩を並べる旅の物語はもう紡がれることはないのだろう。
 『蒼路の旅人』で海に飛び込んだチャグム。彼の逃亡劇から物語は始まる。タルシュ帝国の侵攻を前に建国以来の危機に陥る新ヨゴ皇国。その窮地を救うべく東奔西走するチャグムと、それを助けるべく彼を探すバルサ。ロタ、カンバルを巡る道中で見る、二人の信念と繋がりに胸が熱くなる。
 それにしても奥が深い。単なる冒険活劇ではないのだ。ロタ、サンガル、タルシュ、新ヨゴ。それぞれの国を治める人々の思惑や対立の綿密さたるや、驚いてしまう。それはかつての彼の国だったり、現在の某国を髣髴させたり。それが主題だったり伏線だったりして、冒険活劇を支え、盛り上げている。
 バルサとチャグムの行く先々では、「守り人シリーズ」のオールキャスト総出演で、フィナーレを飾ってくれる。もちろんただの顔見世興行じゃなく、がっちりと物語の歯車となっている。この最終章のために今までのシリーズが存在していたかのように。
 やっぱり気になるタンダくんといえば、「タンダだもんなぁ・・・」という感じで大きな流れに巻き込まれていく。それでもトロガイ師の弟子として、ナユグとサグに訪れるであろう異変を察知し、話しをつなげます。でもさ、やっぱりタンダなんだよね。タンダ好きにはそれしか言葉が見つからなくて。
 訪れる新しい未来がどんな形を成しているか、それは読んでのお楽しみ。
 ぼくとしては、あとがきを読んですごく満たされた気分になった。だからといって、あとがきを先に読んじゃダメだからね。


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水城せとな「脳内ポイズンベリー@」を読む(11.8.4)

 久々のコミック紹介。しかも少女マンガ。
 街中で打合せの2連チャンだったんだけど、間がポッカリ空いてしまって。会社に戻るほどの時間はないし、遊んでいる余裕もない・・・ってことで、ちょっと気になっていたコミックを買って暇つぶしを。この本を選んだ理由は、土曜の夕方の定番FM『Suntory Saturday Waiting Bar "AVANTI"』の少女マンガ特集で紹介され、とても気になっていたから。
 黒い正装で喧々諤々と論じ合う5人(うち一人は静観だけど)の男女。彼らが激論を交わしている議題とは、三十路直前の独身女性”いちこ”の行動について。声をかけるべきか、このまま立ち去るべきか。ネガティブ、ポジティブ、感性派、風見鶏、記録係。彼らはいちこの脳内で、いちこの意思決定を論じているのだ。時には感情に流され、時には暗黒の過去を引きずりながら・・・。
 これってなんかぼくの頭の中でもやっていそうな・・・。ぼくの場合は怠け者が一番の発言権を持っていて、「どうせ無理だから・・・」とアクションを起こさないことが多いんだけど。あと、ふいに暗黒の記憶を呼び覚ます愚かな記録係がいやがって。
 いちこの場合、議論が荒れるたびに感情も揺れ動き、それが言葉になって出ることもあり、さぁ大変。なかなか前に進めないもどかしさ、理解してもらえない切なさが、なんかすごく伝わって。
 でも、いちこの恋のお相手・早乙女くんも、脳内で相当激論が買わされていそうだよね。
 脳内の激論をありのままに伝えたら、解りあえたりするのかな・・・いやいや、相当失礼なことになったりするんだよね、やっぱり。
 頭の中は天使と悪魔だけじゃない。いちこの脳内では、まだまだ激論が続きそうで。もちろんぼくの脳内でもね。
 これは面白いです。


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「アンダルシア 女神の報復」を観る(11.7.22)

 『アマルフィ』をTVで観て、ドラマ『外交官・黒田康作』を観て、その面白さにすっかりハマってしまった。正確には戸田恵梨香と柴崎コウのドジっ子ぶり(特に柴崎コウのメガネっ子)にやられたと言っても過言ではないが。ってことは、今回は黒木メイサが・・・。
 始まりは警視庁総監の子息の死亡から。第一発見者の銀行員の秘め事、インターポールの捜査官の持つ苦悩、外交官・黒田康作の正義。パリ〜アンドラ〜バルセロナ〜アンダルシアと、それぞれの思惑を抱え、イベリア半島を3人の邦人が駆け巡る。
 濃密な人間ドラマになっている。映画の限られた時間に完結するために、作り手が今回選んだのが、物語をあまり発散しないこと。ゆえに本筋にかかわる登場人物は限られ、濃密さが一層増す。それがゆえ、ミステリーとしての大きな広がりには欠けるけど、その分深〜くなっている。そこが『アマルフィ』やドラマシリーズと違い、3人の駆け引きに引き込まれる。シリーズの新たな一面が見れて、面白い。どっちがいいかは個人の好みだろうけど。
 このシリーズは続くのかなぁ。続くのであれば、福山雅治演じるルポライターと黒田康作の対峙する物語が観たいなぁ。そこに柴崎コウが絡むと『ガリレオ』になってしまうのか?
 個人的にはドジっ子がいないとさびしい・・・。全員が優秀だと、ちょっと疲れちゃうんだよね。
 ってことで、緊張感をお楽しみください。


エスニック
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有川浩「図書館革命」を読む(11.7.14)

 『図書館戦争シリーズ』本編の最終巻(番外編であと二冊あるらしい)。いよいよもって図書隊の本領発揮だ。もちろんこれまでだっていろんな形で戦ってきたけど、局地戦がついに大本陣に迫ってきたんだもん、読んでるこっちも否が応でも盛り上がる。個人的にはちょっと色ボケしていた堂上班が、今回の事件に対し背筋が伸びた雰囲気を感じたりして。
 出だしがショッキングだった。小説の世界とリンクするような事件が発生。小説の中のその事件が、現実とシンクロするかのようで・・・。図書館戦争シリーズ、文庫化に際し、ものすごい偶然が重なってるよなぁ。児玉清さんのこともだし。
 検閲強化を図るメディア良化委員会。次のターゲットは出版物ではなく、書き手だった。表現の自由をめぐる図書隊との攻防。メディアから広がる図書隊への後押し。悪しき歴史を覆す日は来るのか?郁が、堂上が、雨の東京を駆け回る。
 よくぞこんな展開を思いつくものだ。作者曰く、登場人物たちが勝手に動いているだけだそうだが、彼らに試練を与えるのは作家の役割。そう考えると、よくぞそんな試練を考え、与えられるものだと感心してしまう。有川浩はドSなのかもしれない。
 それでも試練をこえようともがきながらも前に進む隊員たちの活躍は、読み手として大きな勇気をもらった。もちろん、有川版”月9”としての恋愛描写においても勇気をもらえたかな。
 これで終わってしまうのはなんとも惜しいけど、確かにここが潮時なのかもしれない。とても楽しいシリーズだった。


エスニック
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「パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉」を観る(11.7.9)

 ぼくの理想型、それがキャプテン・ジャック・スパロウなのだ。見てくれは相当違うけど、精神面は限りなく近くに到達したいって。もちろん、ジョニー・デップのような格好はしないけどね。心の問題だから。だから、『パイレーツ〜』シリーズは見逃すわけにはいかないのだ。公開から2ヶ月近くたってしまったけど、3Dメガネ持参でしっかり観てきたのだ。
 今回の物語はロンドンから始まる。「生命の泉」をめぐり英国王と宿敵・バルボッサに追われ、ジャックの名をかたる訳ありの女・アンジェリカに拿捕され、伝説の海賊・黒髭に使われ・・・。ジャック、型なしなのだ。でもそこから盛り返すのが『パイレーツ〜』の見どころ。気づけばいつの間にかジャックのペース。それがジャックの真骨頂。そしてぼくの目指すところ。
 「生命の泉」を目指し、黒髭、英国海軍(バルボッサ)、スペイン軍が三つ巴。人魚も絡んで大乱戦。さて、われらがジャックはどうやって彼らを出し抜くのだろうか。訳ありの女をどうやってさばくのだろうか。
 前回までの3部作と違い、1本で完結しようとしたことで、ちょっと物足りない部分(特に牧師絡みのあれこれが)もあったけど、なにより完結しているのだ。結末まで待ち焦がれなくてもよいのだ。続編ができたら、それはそれでラッキーなのだ。
 ぼくなりのジャックを考えたくなってきた。
 それにしても、ジャックとギブス航海士のコンビは、ルパンと次元みたいだね。
 映画を観ている間にひと雨降ったようで、フロントガラスにその名残が。帰り道、携帯にメロディ登録している『He's A Pirate』を聴きながらスピードを上げると、塗りたてのSuper Rain X効果で雨粒が一滴ごとにせり上がっていく。そのさまがまるでぼくを「生命の泉」に誘ってくれるみたいで。


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ゲキ×シネ「薔薇とサムライ」を観る(11.7.7)

 すっかり楽しみになっているゲキ×シネ。劇団☆新感線の演目、とりわけハードロック調のビートに重低音ベースのうねりと高音の雄叫びが炸裂する舞台はスクリーンにハマるのよ。
 『薔薇とサムライ』は『五右衛門ロック』の第二弾。太閤秀吉をおちょくって日本を離れ海に出て、南シナ海あたりで大暴れしていた前作から、インド〜喜望峰をぐるりと回って今回はヨーロッパに登場だ。
 イベリア半島沿岸で海賊狩りをする海賊・つむじ風のアンヌとその一味。男勝りの女海賊アンヌ・ザ・トルネード(天海祐希)の傍らで、用心棒として存在感を見せ付ける五右衛門(古田新太)。向かうところ敵なしの一味だが、アンヌが小国コルドニア王国の亡き王の一人娘として王位を継承することになり、船長を失うことに。王室内にはびこるラーカム大宰相(藤木孝)の権力払拭に奮闘するアンヌ。しかし、うごめく陰謀の中、自らヨーロッパ連合艦隊の先陣として、海賊討伐に出ることになったアンヌ。そこに立ちはだかったのは、海賊連合の首領となった五右衛門だった。
 かつての仲間たちとの対峙、復権を狙うラーカム大宰相とその一派の暗躍。アンヌの決断は、そして五右衛門は・・・。
 とにかく天海祐希が男前でかっこいい。さすがは宝塚出身だけあって、所作ひとつとっても男前、セリフひとつとっても男前なのだ。「惚れてまうやろ〜」って感じ。
 でも、われらが五右衛門・古田新太も負けちゃいない。おちゃらけ顔とやる気モードのギャップに悔しくなってしまう。ああなりたいと。
 注目は劇団☆新幹線の看板女優・高田聖子が見せる開戦の雄たけびの表情。あの表情ひとつで場を見事に変えてしまう。すごい。
 STORYが面白いのはもはや当然。二重、三重に仕組まれた陰謀の数々を解き明かす五右衛門。敵となり味方となって五右衛門を支える仲間(なまか)たち。ハードロックに乗せて進む展開は、どの場面もわくわくさせてくれる。
 ゲキ×シネは映画なので舞台装置の話しを書くのもなんだけど、オーロラビジョンを応用し、変幻自在にセットを作り上げ、視覚効果を多用する舞台、すげ〜。舞台の制約を排除した画期的な代物だ。もちろんこんな装置、一握りの劇団やユニットしか使えないだろうし、その効果を存分に発揮できる演目なんて早々ないだろうけど、『薔薇とサムライ』は見事に昇華させていた。それがまたシネマになって・・・。
 面白いとしか言いようのない大作です。


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「さや侍」を観る(11.6.29)

 正直、『さや侍』を観るつもりはなかった。目当ての映画の上映時間に惜しくも間に合わず、でもせっかく映画館に来たんだからなにか観たいと思い。で、時間の都合に合致し、観てみる気になった作品、それが『さや侍』だった。
 松本人志監督作品は『大日本人』以来2作目の鑑賞。『しんぼる』は観にいけなかったんだよね。で、今回の『さや侍』、『大日本人』でぼくが観たかった結末がここに描かれていたと思う。
 きっと松本フリークは「安直」と言ってもっと深い意味を探り出すんだろうけど、ぼくは『さや侍』は松本人志が後世に残したい、彼の意思なのではないかと思う。父となったからというわけでもないのだろうけど、芸人・松本人志の本音と意気込みとこだわりが、30日間笑いを追及し続けた男に託されたのではないか。本人が主演しなかったのは照れで、かわりに似たような役者に語らせて。この役者の、笑わせ慣れしてなさ過ぎがまたいいんだよね。
 脱藩の咎により捕らえられ、若君を30日間で笑わすことができなければ切腹という不条理な立場に追い込まれた男。刀を捨て、逃げ回る姿に「武士らしく」といい続ける娘、門番がブレーンとして加わって展開された30日間の姿。
 時代劇版「お笑いウルトラクイズ」の先に待つ結末。松本人志が逃げることなく綴った言葉の数々には、涙があふれそうになる。その想い、ぜひ感じ取ってほしい。
 それにしても、最近の子役はみんな演技が上手いなぁ。


エスニック
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「イッセー尾形のこれからの生活2011 in 初夏の札幌」を観る(11.6.26)

 また初夏の札幌にイッセー尾形が新作を持ってやってきてくれた。
 あんな大きな震災があっただけに、今までどおりってことがすごくありがたく思えてくる。いつまでも続いてほしい、ぼくの初夏の風物詩なのだ。
 では、いつものように勝手につけたタイトルで。

『散歩日和』
 孫を背に散歩するおじいちゃん。おじいちゃんの世間話や昔話、時に世相を斬るつぶやきは背中のこどもにどう伝わっているのだろうか。育児に悩むパパ&ママに肩の力を抜いて観てもらいたい一本。
『同伴出勤』
 冬の札幌時計台前。寒さに耐えながら待ち合わせに遅れる相手を待つ女。どうして暖かい場所に行かないかって?たって、今夜は「同伴出勤なの」。
 そんな彼女に降りかかる、ほほえましい数々の出来事。道民は心がきれいな人が多いのです。そんな素敵な出来事を、笑いというオブラートに包んで。
『海抜2000mへようこそ』
 近年の登山客は中高年でいっぱいなのだとか。そこに目を付けた農家のおじさんが始めた副業。それは携帯酸素ボンベ売りだった。ロープウェイの降り場で始めた副業は、見事完売となるのだろうか。おじさんの揺れる心、見ものです。
『返品』
 在庫管理の倉庫に届いた返品の山。在庫の山と双璧を成すその頂に、挑む男の心理描写。自分が企画したわけでも、自分が作ったわけでも、自分が売ったわけでもない商品の山にさいなまれる、在庫管理ってなんて過酷な職なんだろうか。どうしてそこの悲哀に目を付けることができるんだろうか?さすがです。
『東海道新幹線、西へ』
 新幹線でのひとコマ。関西から上京し、買い物を楽しんだおばちゃんの、帰途での出来事。そうそう、これこれっておばちゃんのやる迷惑行為(特に映画館や劇場に多い)にまずは笑わされ、そのままハイテンションで駆け抜ける、珍しくコンパクトな一編。オチは道民にはちょっとわかりづらかったかも。内地暮らしの長かったぼくは大いに笑えたけど。これ、、今回の公演の中で、ぼくのイチオシ。
『天草五郎物語 番外編』
 もうどこに着陸するのやら、作り手であるイッセーですら制御不能の状態にあるのでは?「”みんなで楽しみましょう”のコーナーです」とはよく言ったもので。改心のヒットシリーズにイッセー作品では珍しいグダグダ感がいっぱい詰まってる。今回は番外編なので、安寿と厨子王とネロとパトラッシュです。
『流浪のフォークシンガー』
 もう、こいつ知ってる!地元で細々と週イチでAMラジオのパーソナリティやってるフォークシンガーだ。たまに全国めぐってライブやってるやつ。と、見ただけで背景が浮かんでくる。そんな彼のライブとMC、全国各地(裏街道)の情景が浮かんできます。

 イッセーのいろんな一面が詰まった今回の公演。全国津々浦々を巡ってきたイッセーならではの味わいにあふれていた。楽しかった〜。


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大野雄二 & LUPINTIC FIVE「LUPIN JAZZ LIVE」を観る(11.6.24)

 ルパンとジャズ。ぼくがジャズを意識した一番最初が『ルパン三世のテーマ'80』。それまでの'70年代NTV系列ドラマのテーマソングの流れ(太陽にほえろ、大都会、大追跡、大激闘…)を組んだビッグバンドのノリノリテーマ('78、'79)から一転、ビブラフォンがメインを張り、ホーンセクションが脇を固めるCoolな'80はある意味衝撃だった。当初は躍動感と女性コーラスが控えめなんて思ってたけど、聴くうちにカッコよさに気がついて。
 作曲家・大野雄二がルパンのために書き下ろした曲をジャズアレンジしたCDは数枚持っていて。その大野雄二が彼のバンドLUPINTIC FIVEを引き連れて札幌発上陸となれば、それはもう観に行くしかないでしょ。
 いやもうおしゃれ。なにがって、御歳70のピアノ奏者・大野雄二が。見た目は冴えないおっさんだけど、醸し出す雰囲気、左手の上げ方、声(決して美声ではない)。いぶし銀のバンドマンそのもの。もちろんメンバーも匠ぞろいで、なじみの曲を心地よいグルーヴで楽しめる。ルパンの曲以外にも、『犬神家の一族 愛のテーマ』もやってくれて。
 アンコールはもう涙モノ。やっぱりこれは外せないという代表曲2曲をたっぷり聴かせて締め。かっちょええのだ。
 ホールでのライブだったけど、個人的には酒を飲みながら聴きたい感じ。大野雄二の雰囲気が大人の妖しさと艶を存分に含んでいるので、クラブ(ガキが踊りに行くところではなく)やキャバレーで聴きたいかな。オトナの遊び心を焚きつけてくれそうで。
 あと、ビッグバンドを引き連れての公演もぜひとも聴きたい。『ルパン』もさることながら、『大追跡のテーマ』も聴きたいなぁ。
 MCの方向と目線がいまひとつだったけど、オトナの魅力満載のいい演奏だった。東京まで追いかけようかな。


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有川浩「図書館危機」を読む(11.6.22)

 『図書館戦争シリーズ』第三弾。郁と堂上、いよいよメロウな雰囲気で、読んでるこっちが恥ずかしくなってくる。しかもどうやら他にも・・・。どうなってるんだ、図書館は。
 そんなニンマリもさることながら、『ねじれたコトバ』はとても骨太な物語となっている。誇りに思っている呼称が、意味のない善意により規制されていく。規制とは誰のために?規制が作る社会は本当に誰もが望んでいる社会なのか?
 図書館シリーズの根本が描かれているこの作品、本当にいろいろ考えてしまう。あとがきに作者の体験談としての検閲や自主規制について書かれているが、物語の世界と似たことが現実にもあるなんて。のほほんと暮らしていたので知りもしなかった。
 そして最後の稲嶺指令。ぼくもつられて敬礼してしまった。
 メロウと骨太の共存。相反するテーマが振り子のように行ったりきたりで絶妙のバランスを保っている。うまいなぁ。
 次刊がまだ発売になっていない。待ち遠しいよ。

エスニック
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ウーマンリブVOL.12「SAD SONG FOR UGLY DAUGHTER」を観る(11.6.19)

 宮藤官九郎が脚本・演出を務めるユニット、ウーマンリブ。大人計画の本公演とは一味違う、クドカンワールド炸裂の公演に、今回は大河女優・宮崎あおいと、小劇場界の重鎮・岩松了が客演し、主演は大人計画主宰の松尾スズキが演じるとか。岩松了と松尾スズキのいぶし銀(?)絡み。考えただけでわくわくしちゃう。
 しょっぱなっから暴走全開。荒川良々がつっぱしる。「この設定はなに?」と、誰もが不安に思いつつも、とにもかくにも面白い。あの風貌でのハイテンション。いいキャラしてるよなぁ。
 西東京にある老舗和菓子屋での家族の物語。5年ぶりに帰ってくる娘が彼氏を連れてくるとか。不機嫌極まりない父と取り繕う継母。引きこもりの義弟は姉を慕っているようだが、使用人は不穏な空気をかもし出す。そこになぜか未来人。娘が連れてきた恋人が、なんと無職の56歳。まじめ一筋職人気質の父はどう対応するのか?
 舞台だからできること、テレビや映画だとできない表現。視覚的表現は映像のほうが自由だけど、映像ではおおよそできない表現が、クドカン舞台にはテンコ盛り。それは邪道とかお下品とか言われてしまうかもしれないが、それもまた日常の一部であることも確かなもの。それを拾い上げるのがクドカンは実に上手い。しかも同世代だからわかる細かいネタの数々。ほんとぼくには「どストライク」。
 今回はホームコメディにSFが入った体(てい)。それをどのように広げ、大団円に仕立てるのか。それはもう楽しみで。伏線はたくさんあり。未来人の語る未来と、複数いるらしい同胞。それらがこの家族に与えるインパクトとは?
 宮崎あおい目当てで行ったわけではないのでかもしれないが、宮崎あおいがあまり目立ってなかったかな。確かにかわいかったけど、「うん、かわいい」って感じで。それよりも岩松了と松尾スズキの丁々発止のやり取りが実に見事で、もう笑いが止まらない。生き方が180度違う二人がわかり合えることはあるのか?妥協することはあるのか?とにかく面白い平行線。これはみんな食われますよ。
 クドカン信奉者としては間違いなく面白かった2時間なんだけど、消化不良も否めないかな。敷いた風呂敷は畳みきれてないし、勝手に想像(推理)していた謎も多数残ったまま。なんでもいいから(どんな媒体でもいいから)、解明してほしいよな。
 やっぱ同世代の脚本家はぼくのツボを知り尽くしていて、確実に突いてくるなぁ。


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「ベッジ・パードン」を観る(11.6.17)

 『三谷幸喜生誕50周年記念』の第三弾は、ぼくが大好きな役者陣の超豪華共演舞台。ふかっちゃん、萬斎さん、洋ちゃん。それぞれの芝居もチェックしているぼくだから、これを見逃したら一生後悔するって思ったもん。だから、チケットが獲れてほんとうによかった。そして、観てほんとうによかった。
 夏目漱石がロンドン留学中のお話。探偵として難事件を解くといったミステリー小説もあったけど、三谷版は真っ向勝負の人間ドラマ。漱石がノイローゼになったという噂を素に、漱石の下宿に集う人々の交流を描く。
 とにかく役者陣が光っている。三谷特有のアテ書きが冴えまくっている。それだけ魅力ある人たちが集まっているってことか。金之助(漱石)演じる野村萬斎の存在感。頼りなげな金之助でも抜群に光る。ここぞの場面では輝きまくる。あの声がまた漱石って感じするんだよね。
 ふかっちゃんの今回の役(アニー、通称ベッジ)はまた難しい。これまでのようなおしとやかでも気の強い女性でもなく、下町生まれを卑下されながらも、明るく前を向いている女性。マナーや常識にあまりこだわらないので、一見健気とはかけ離れているんだけど、心がすごくきれいなのがよくわかる。役柄としてはふかっちゃんらしくないけど、ふかっちゃんにしかできないっていうか。とにかくCuteで、ぼくは何度撃ち抜かれたことか。
 洋ちゃんはまんま洋ちゃんって感じ。心のない能弁はもはや代名詞だもんね。三谷さんにかわいがられているのがありありと伝わる。ただ能弁だけじゃないところ、洋ちゃんがきっちり演じてます。
 アニーの弟グリムズビー役の浦井健治さんはよく知らないんだが、今回のひとつのKey。威圧と萎縮のギャップを見せてくれる。
 そして浅野和之さん。もう、スーパーの一言で、こればっかりは観てもらうしか伝えようがない。
 それらを引き出し、まとめる三谷脚本&演出。言葉を使った演出の妙、演出を揶揄した脚本。こんなところにも芽はあるじゃないってとこ、突きまくったりするずるさも満載。明るく楽しく、それでいて心にしみる物語をまたもや作ってくれちゃった。それを1セットの舞台でやってのけるんだもん。お芝居の醍醐味がつまりまくってる。すごいの一言。
 ほんとうに観てよかった。観ることができてよかった。
 これから観劇される方、ロビーでパンフレットを購入してもよいけど、閉演するまで決して読んだりしないでください。そのほうが数十倍楽しいと思います。


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有川浩「図書館内乱」を読む(11.6.15)

 『図書館戦争シリーズ』第二弾。続けて読めるこのうれしさ・・・のはずが、読書に割ける時間がなく、読了までしばらくかかってしまった。
 さてさて。有川版『月9』の本領がいよいよ発揮されてきたなって感じかな。恋もさることながら、人間模様やら心のうちの探りあいやら。図書隊ならではの派手な動きの中に、思いのこもった感情の機微が張り巡らされ。
 今回からはタイトルにもあるとおり、内なる勢力とのせめぎあいがクローズアップるとともに、小牧、柴崎、手塚の素もどんどん描かれていく。これがそれぞれに曲者で。
 一人称の小説ではないので、それぞれの本音を俯瞰して読むことができる。ゆえに、ミスリードが少ない。読者により解釈の差が小さいこと(わかりやすいこと)は、作者曰く『月9』を意識したところなのかな?
 個人的には柴崎の本音なんてぼくにはまるでわからないだろうから、美人を前にしてあたふたする一般男性と同じことすると思うんだよね。美人は美人で苦労が絶えないんだなぁ。
 小牧の姿にクラリスを守るルパンの影を見ているのはぼくだけかな?
 ラストは有川的クリフハンガーで終わっているので、「早く次が読みたい!」って思わせるんだな。でも、続刊もすでに文庫化されているので・・・読むぞ。


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「落語物語」を観る(11.5.21)

 噺家の世界を描いた物語は数あれど、噺家自らが描いた物語はそうそうない。しかも、落語協会が全面バックアップし、東京にある四つの席亭でロケが行われた作品となると、その貴重価値たるや。脚本・監督は林家三平(もちろん先代)門下の林家しん平。札幌にはとても縁のある落語家だ。
 下町に居を構える真打・今戸家小六を弟子入り志願の若者が訪ねる。内弟子となり、師匠、おかみさん、弟子で始まった新生活。でもそれは普通とはちょっと違う生活で。
 新弟子生活や高座の裏話、メディアへの露出、師匠という壁など、噺家ならではのエピソードが散りばめられ、それを川柳で締める。小春と名づけられた新弟子を軸にしながらも、多くの噺家が描かれている。小六師匠とおかみさん(葵)の話もいい味出していて。
 噺家のエピソードでは、「このモデルって・・・」とニンマリしたり、心痛く思うものもあったりして。落語の物語なのであまり心痛くはなりたくないんだけど、それも避けて通れぬものなのかもしれない。
 全体的にほんわかムードでいい話。落語の裏側を見て、もっと落語が好きになるような。だけど、腑に落ちないことがある。どうして非日常を強く描くのか?それがないと噺家の世界は成立しないのか?そんなにしょっちゅう悲しみが訪れる世界なのか?どうせ描くなら、悲しみに打ちひしがれても笑いを取りに行く必死な姿を描けばいいじゃないか。さすがにそれはやりすぎと思うなら、悲しみを前提になどしなければいい。
 とてもいい感じのエピソードが多かっただけに、ぼくにとってはとても惜しい映画だったかな。全体的には面白いので、そこにこだわるかどうかで意見は分かれると思うけど。
 小六師匠を演じたピエール瀧と、おかみさんを演じた田畑智子はめちゃいい味出していた。とくに田畑智子のどっしりとした感じは、新境地開拓って感じだよね。


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有川浩「図書館戦争」を読む(11.5.19)

 もう、待ちに待った『図書館戦争シリーズ』の文庫化。単行本を手に取るも、レジに向かうのはこらえ、アニメ化作品がテレビで放映されていると、即座にチャンネルを替え、文庫で読むのに備えていたのだ。だからほとんど予備知識なし。まっさらな気持ちで読んだのだ。
 まったく、どんな頭の中をしているんだろうか?検閲がはびこる時代に本を守る人たちの物語なんて。現実とそう変わらない世界に『メディア良化法』なる奇怪な法律を制定させるだけで、こんなにとんでもない物語が生まれるのか。
 図書館の図書を守るために組織された図書隊の新入隊員・郁。戦闘もあり、身の危険にさらされながらも、愛する本を守るため、かつて助けてくれた王子様に追いつくため、がんばるのであります。図書隊はまるで戒厳令下なんだけど、そこに集う人々の日常はまんま現代っ子で。そのギャップが妙にリアルなんだよね。
 表現の自由を脅かすことにより生じるあつれき、事件、感情。表現の自由だけで物語がすごく膨らみ、ごく自然に流れ出す。有川浩にとって、無尽に広がる脳内玉手箱の鍵が図書館のポスターだなんて(あとがきより)。すごすぎるのだ。
 郁の言動が痒かったり、堂上教官の優しさに首筋がぞわっとしたりするけど、それが読んでいて病み付きになっていくんだね。現代では考えられない状況下で青春を謳歌する現代人。普通だけど不通じゃない。普通じゃない状況で語られる言葉が何よりも普通であり、常識だったりする。どんな局面でも、大切にしなければならないことや想いって同じなんだろうね。
 それにしても図書隊の上層部は一致団結してるんだなぁ(口のかたさは)。
 あとがきにあったけど、有川浩の考える『月9連ドラ風』物語は、月9には難しいかもしれないけど、ぼくにとっては高視聴率獲得決定なのだ。
 うれしいことに、『図書館戦争シリーズ』今月は2冊、以降月1冊ペースで文庫化されるそうだ。ほぼ続けてフィナーレまで読めるのね。
 文庫化特別対談として、有川浩と読書家で有名な俳優・児玉清さんの対談が掲載されている。先日惜しまれながらもご逝去されただけに、読んでるだけでうるうるしてしまった。


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小林賢太郎LIVE POTSUNEN 2011「THE SPOT」を観る(11.5.14)

 小林賢太郎、2月に札幌で公演やったのに(残念ながら観にいけなかったが)、もう次の公演が・・・ってことで観に行った。今回はいつもよりも大きい箱・道新ホール。
 登場して目を疑った。上手に井戸のポンプ、下手にぶら下がるヒモと赤い玉。この既視感はデジャヴ?いや、ネタにも覚えが・・・。あっ、これは再演なんだ。今の今まで気がつかなかった。昨年観たやつだ。今の今まで気がつかなかった・・・。はははっ。
 やっぱりこの人は頭がいいんだね。勢いでの笑いはそこにはなく、計算の元に構築された笑いが次々と披露されていく。さすが・・・の一言。
 これに対し、ぼくのおつむはいいんだか悪いんだか。ネタのフリは忘れてるんだけど、オチはしっかり覚えている。ただ、これが頭のいい笑いの場合は意外と致命的。全部覚えているのならじっくりと研究したりもできるのだろうけど、「あっ、あれか」って感じでわかっちゃうとなんか乗っていけない。勢いに頼らない分、計算され尽くしている分、中途半端に知っている答えは完成度を低くしてしまう。芸術性はめちゃ高い。笑いとしての話ね。バカな笑いほど連投が利くのかもしれない。
 だからといって、もちろん彼の笑いのクオリティが低いってことではないよ。ライブでしか観ることのできない彼の笑いって、やっぱり特別だもんね。
 新作落語(風)のネタはオチがわかっていても一番笑えた。それが話芸の良いところなんだろうなぁ。
 新作、待ってます。


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TEAM NACS 15th project「5D -five dimensions-」『LOOSER 6』を観る(11.5.4)

 もう7年が経つのか。池袋サンシャイン劇場に『LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜』を観に行ってから。
 TEAM NACS結成15周年企画として、リーダー森崎の選んだ出し物は、NACS初の全国公演を実現させた『LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜』の再演だった。NACSの変わりに*pnish*と飯野雅彦を役者陣に迎え、脚本に直しを入れて。
 なんか感慨深いなぁ。すっかり忘れてた物語が鮮明に思い出されていく。シゲの役回りをリーダーが演じる。リーダー、ずっとやりたかったんだろうな、あの役を。
 この芝居、ぼくが観たNACSの中ではNo.1だよ。前回も、今回も良かったもん。ただ、今回の再演、本当にこれでよかったのかな?
 *pnish*と飯野雅彦、とてもいい演技していたと思う。特に藤堂平八と桂小五郎を演じた彼は面白い役者だと思った。でも、彼らがいい芝居していただけに、なおさら惜しいのだ。なにがって、NACSの焼き増し感を脱してないところが。リーダーの近藤勇を、大泉洋の土方歳三を、音尾くんの沖田総司を、そして安田顕の芹澤鴨をそれぞれが演じている。もっと彼ららしさを、彼らの新選組、彼らの勤皇の志士を観たかった。それも役者陣を替えての再演の見所だから。そうか、藤堂平八役が特に印象に残ったのは、それが再演で書き加えられた役だからってのもあるのか。
 とはいえ、やっぱりこの物語は面白い。7年前に観た人も、観れなかった人も、東京・大阪で観るチャンスがあるのでぜひ。


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万城目学「プリンセス・トヨトミ」を読む(11.5.2)

 京都、奈良に続く万城目ワールドの舞台は大阪だ。天下の台所・大阪。そこに眠る秘密とはなんぞや。東京から大阪府庁へ向かう会計検査院の3人が、その全貌を明らかにする。
 これまでの万城目ワールドと較べ、不気味なほどに穏やかな出だし〜中盤なのだ。登場人物が所狭しと動き回る前作の躍動感が、息を潜めている。会計検査院の淡々とした仕事ぶりと、個性的な中学生の挑戦が交互に展開されていく。その二つの流れがつかず離れず、時折交差しながらも。その二つの流れがシンクロしたとき、息を潜めていたエネルギーが大きなうねりとなって大阪を包み込む。
 太閤・秀吉と茶々の子、秀頼が生きていたら、その子孫が現代に残っていたら。これまでにも物語にされていた題材だけど、経過をすっ飛ばして現代から始まるのが万城目流。しかも、会計検査が事の発端だなんて、どんだけシビアなの。夢物語と現代社会のギャップ、穏やかから怒涛の展開のギャップ。それが本作の醍醐味です。
 登場人物の名前を見るだけでニヤっとしちゃう。大阪の町(大阪って”街”より”町”の方があってるよね)をきちんと歩いたことがないんだけど、そんなぼくにも大阪の下町の雰囲気が伝わってくる。作者の大阪Loveが伝わってくる。真の大阪城を思い描きながら、一度は散策したいものだ。
 偉大なるホラ吹き・万城目学。そのホラに踊らされる時間は、なぜだかとても楽しいんだよね。ふいにホロリとさせられたりして。たまには実家でゆっくり過ごそうかな。
 日曜朝のTV『ぼくらの時代』にたまたま万城目学が出てたんだよね。なんかうれしかったのだ。


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「三遊亭円丈・白鳥 親子会」を観る(11.4.25)

 大好きな落語家・三遊亭円丈とその弟子・白鳥の親子会を観た。新作落語の巨匠とその後継者。この二人の落語をナマでじっくり聞いてみたいと思ってたんだよね。今回、お仕事による上京の日程が親子会と一致したので(一致させたので)、プラチナチケットを残り2枚のところでGetし観た次第。
 師弟の親子会はこれが4回目だそうで、前半は互いのネタを交換して演じ、後半は持ちネタ披露という構成。師弟といえどネタの持つ味わいは異なるので、演じ手がどう脚色するかは見どころ。なんて書いておきながら、どちらもオリジナルを聞いたことがないので、聞き較べるほどの耳を持ち合わせていないんだけどね、ぼくには。

三遊亭白鳥「一ツ家公園ラブストーリー」(円丈作)
 アラフォー世代では婚活が頻繁に行われているらしいけど、高齢者たちも公園などでお盛んらしい。そんな晩年の恋の鞘当のお噺。白鳥は自分が感じた高齢者の恋を紹介しつつ、実体験も交えた枕で客を沸かす。そして入った本題に、枕を活かす技も入れる。いくつになっても男と女。騙し騙されは世の常なんでしょうね。
三遊亭円丈「砂漠のバーとまり木」(白鳥作)
 円丈師は白鳥のことをとても評価しているんだなぁ。師弟愛とはまた違う、ライバルとしての愛を感じるのよ。それにしても奇才・円丈も記憶に不安を感じる歳となったか。ちょっとさびしい。失恋男が恋を忘れるために旅に出たタクラマカン砂漠。路頭に迷いながらも見つけたバーでの奇妙な体験談。
三遊亭白鳥「真夜中の襲名 上野にパンダがやって来た」
 抱腹絶倒、白鳥渾身のドタバタ落語。今回はパンダ来日記念とばかりに力力(リーリー)が登場し、ぴょん吉と対峙する。二匹のやり取りはことごとく落語界にたとえられ、国立演芸場満員の通な客の大爆笑を誘う。時事ネタもふんだんに取り込み、夜の上野動物園は大騒ぎさ。
三遊亭円丈「藪椿の陰で」
 愛犬家で知られる円丈の人情噺。迷い犬と家族の交流を描いた一席。「新作落語」=「爆笑」と思いがちだけど、しっとりと聞かせる噺もあるのだ。もちろん笑いもしっかりとって。『芝浜』も『子は鎹』の昔は新作だったのだ。円丈が綴る人情噺も、いつの日か大演目になる日がくるかもね。

 いやいや、笑った。言葉の持つ力、想像力をかき立てられる話術。これだから落語は面白い。


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「PUFFY TOUR 2011 "Time For ACTION" 」を観る(11.4.24)

 清涼飲料水のCMでPUFFYがデビューして15年。ぼくはずっと亜美派だったんだが、今日は由美から目が離せなかった。由美ちゃんかわいい。もう釘付け。
 もともと15周年記念のツアーだったものの、東日本大震災の影響で急遽タイトルと内容を変更。でも、二人は変わらずPUFFYだった。ではなぜぼくの目が由美ちゃんに釘付けだったのか。それはぼくにもわからない。
 ここ数年のPUFFYの曲がとても好きだ。もちろん昔の曲も好きなんだけど、彼女たちの今を聴いているような気がして。そのなかでも、『マイストーリー』はぼくの胸をぎゅっと締め付ける。とっても切ない気持ちになる。ますます由美ちゃんから目が離せないうえ、胸がキュンとしてたまらない。
 マイペースの二人の、マイペースながらも素敵なライブ。新旧織り交ぜ、メドレーもあり、デビュー以来の振り付け担当・南流石センセも登場。15年たった等身大の二人を堪能することができたライブだった。
 それにしても久々のライブハウス、オールスタンディングは年老いて運動不足のぼくの足腰には堪えたよ。


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「ROCKミュージカル ピンクスパイダー」を観る(11.4.23)

 hideの楽曲はまるで知らない。なのに、hideの楽曲のみで構成されたROCKミュージカルを観て来た。Webで実施していたご招待券プレゼントに当選したもんで。きっとコアなファンからは「冒涜だ」と怒られそうだけど。
 会場に着いたらhideの象徴たるピンクの髪をしたコアなファンがたくさんいた。一見さんとバレないように気を遣ったくらいにして。
 作品の評価って、ふとしたことで大きく変わる。正直鑑賞中は「あた」って思ってた。hideのトリビュートLiveをやりたいのか、ミュージカルをやりたいのか、立ち位置がはっきりしない。バックの音が主張しすぎて歌詞が聴き取れない。セリフもPAを通すので舞台としての奥行きが感じられず、声が割れる上にエコーかけっぱなしでこちらも聴き取れない。楽曲のイメージを先行させるばかりの演出に、STORYがついていけてない。ちょっと・・・かなり陳腐で。
 ただ、ほぼ初めて聴いたんだけど、hideの楽曲ってとんがった縦ノリばかりかと思いきや、ぼくにもついていけるいい曲が多かった。あと、主演・武田真治のSaxはかっこよかった。舞台の70%は演奏だったんだから、前の方のコアなファンあおってスタンディングさせちゃえばいいのに。
 ってことでぼくの中では残念な感じがしていた。でもカーテンコールで武田真治から今日が大千秋楽だったことを知らされ、一人一人の挨拶で感極まっているのを観ると、こっちもじ〜んときてしまう。今年13回忌を迎えるhideへの想いだったり、このミュージカルへの想いだったり。こんなの見せられたら、ぼくも気持ちが揺さぶられるよ。最後は全員で『ROCKET DIVE』の大合唱。東京公演で主演を務めた渡部豪らも加わって、大ノリでの終幕。
 再演を高らかに宣言していたので、そのときは音響(音声)効果をきっちり見直して挑んでほしいかな。
 カンパニーのすばらしさを見ることができた、いい体験だった。あと、hideの楽曲も今度聴いてみよう。


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矢作俊彦「傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを」を読む(11.4.20)

 『傷だらけの天使』はぼくのバイブル的ドラマのひとつだ。残念ながらオンタイム放送時はまだお子ちゃまで観ていなかったが、再放送ですっかりはまり、修と亨の活躍に胸躍らせたものである。我が家の本棚にはシリーズの脚本家の一人である市川森一の小説版『傷だらけの天使』があるし。
 北海道では数年前に『傷だらけの天使』が深夜再放送された。もちろん観たし、ハードディスクレコーダーに全話保存してある。だから修と亨の活躍は昨日のことのように思い出せるのだ。
 本書『傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを』は単行本が発売されたときからチェックしていた。初老の修が新宿に帰ってきた。でも、文庫化まで我慢、我慢。そうしていよいよ解禁なのだ。正直複雑。なにもかもが剥き出しの昭和40年代ではないのだ。修がガツガツできる社会なんて平成も20年経過した今あるわけがない。しかも、いつも傍らにいた亨はもういない。
 それにしても上手く考えたものだ。宿無しとなった修は容易にビジュアルとして頭に浮かぶ。その顔は平成の時代のショーケンではないけれど。そんな修の宿無し仲間が修の身代わりとなり行方知れずに。事件解明のため、亨の死以来の新宿に舞い戻った修は、「コグレオサム」を核とする大きな企みに巻き込まれていく。
 うれしいやら悔しいやら。作者としては新しい修の伝説を書くのか、ドラマシリーズに終止符を付けるのか、悩みどころだったと思う。で、どっちも叶えるなんて、ムシがよすぎるよ。それが面白かったから、また腹だたし。岸田今日子や岸田森の顔が目に浮かぶ。もちろん修には新たな相棒シャークショが。
 ドラマのその後、現代の修。。ぼくみたいに『傷だらけの天使』の影響を受けて育った人にはお勧めです。ドラマを知らない人にはたぶんつらい本でしょう。
 ただ、正直現代版の修はもういいかな。


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「毎日かあさん」を観る(11.4.17)

 西原理恵子の描く物語は、笑いの中に現実のつらさが混じっていて、読み終えると切なくなる。だから、西原理恵子作品の映画化は、観るべきかどうかいつも迷う。でも、つい観てしまう。
 なぜだか、西原理恵子の自伝的物語は映画化されるとぼくの好きな女優が西原理恵子を演じている。『女の子ものがたり』では深津絵里が、『毎日かあさん』では小泉今日子が。そして『毎日かあさん』では亡くなった西原理恵子の元亭主・鴨志田譲役を小泉今日子の元亭主・永瀬正敏が。
 かあさんと子供たちのエピソードが散りばめられ、物語の日常を支えている。どの家庭にもあるような朗らかなエピソード。これに対し、アル中の亭主が登場することで、西原家の非日常が、一般家庭との違いが現れてくる。いや、西原家にとってはこれもまた日常なのか。
 鴨志田譲の持つトラウマ、西原理恵子の亭主への想い、それら全てを理解するなどぼくには到底できはしない。どうして危うい道ばかりをすすむのか。でも、幸せだったり楽しいだったり、いとおしいという感情は人それぞれ千差万別だから、こういう道を選んだ人がいるということを見守るしかないんだよね。
 不器用な生き方しかできなかった夫婦と、笑顔で支える子供の物語。やっぱり観終えたときは切なくなった。
 小泉今日子と永瀬正敏。KYON2ファンであり、濱マイク好きのぼくとしては、二人が怒鳴りあいながらも支えあう姿が、フィクションには見えなかったりするんだよね。怒鳴りあう関係はいやだと思っているけど、本当の気持ちを見せ、分かり合うために怒鳴りあうのなら、それもまた必要なのかもしれない。なんて、本題とは離れたことを考えたりして。


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朽葉屋周太郎「おちゃらけ王」を読む(11.4.3)

 タイトル買い。なんとも魅力的なネーミングだろうか。それはぼくがなりたかったポストそのものではないか。
 引きこもりとほぼ同類(本人は一線を画しているが)の主人公・名雪小次郎。しかし、鳴鼓宮祭りの夜に訪れた友人・魔王と妹に導かれるように喧騒の中に入った名雪は、壮絶な逃亡劇に身を投じるハメになる。敵は無数。タイムリミットは鳴鼓宮祭りのフィナーレ、花火が打ち上げられるまで。名雪は魔王とともに逃げ切ることができるのだろうか。
 それにしても魔王のキャラである。主人公である名雪を圧倒するアクの強さ。あちこちで顰蹙を買うことをいとわず、それらをもネタにするかのように鳴鼓宮祭りで捕り物帳をやらかし、あちこちに敵を作る。そして一年を過ごし、また鳴鼓宮祭りで・・・。夏だというのにマントを羽織り、ブリキの大鎌を持つ男。バレンタインのエピソードひとつで邪悪さの全てが伝わる男。
 読んでいて名雪がうらやましくなる。何年も地下の王国にこもっていたくせに、魔王・妹に加え、初恋の相手・厨女史にも好かれ、いざというときは全力で走れる。全力で走ったことって、もう何十年もないよなぁ・・・ぼく。
 荒唐無稽、魑魅魍魎、空前絶後の逃走劇の先にあるもの。それをぜひ確かめてもらいたい。おちゃらけることの意味とチカラがなんとなくわかるから。
 一気読みしてしまう秀作です。


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「国民の映画」を観る(11.4.2)

 『三谷幸喜生誕50周年「大感謝祭」』の第二弾はナチス政権下における芸能事情(映画事情)を描いた『国民の映画』だ。三谷幸喜の描く軍事政権化の芸能といえば『笑いの大学』を思い浮かべる。でも今回は趣がまるで違う。権力側の人間が映画を作ろうとする物語だ。
 登場人物のほとんどはナチス政権化に実在した大臣や軍人、映画関係者や作家だ。ナチス政権のプロパガンダ『国民の映画』に、それぞれの思惑が絡む一晩の物語。最初に書いておくけど、これは三谷幸喜が得意とするコメディとは一線を隠す、群像劇となっている。といっても、随所に笑いが散りばめられているので、テーマのごり押しなんて事はまるでない。
 緊迫した世相の中で、それぞれが生き延びるために、それぞれが自らの生活だったり誇りだったりを守るために、それぞれが持つ理想を実現するために、媚び諂い、強い強いられ、利用し騙される物語。今となっては決して正しい事ではないのは誰もが知っている。でも、あの時代に生きる人間にとっては・・・とても考えさせられる。Yesということ、Noということの重みがひしひしと伝わる。
 いつもは脇を固めることの多い俳優陣が、それぞれ強烈な輝きを放っていた。小日向文世、段田安則、白井晃、今井朋彦、小林隆、平岳夫、小林勝也、風間杜夫。だれもが要所を締め、輝いていた。これが三谷幸喜のあて書きと俳優の演技力の融合の成せる技。余震にも動じず、その姿で客を落ち着かせるし。それを彩る女優陣(石田ゆり子、シルビア・クリステル、新妻聖子、吉田羊)が彩りを添える。シルビア・クリステルと新妻聖子が出ているんだもん、もちろん・・・。
 今の時代に生まれてよかった。困難なことはいっぱいあるけど、みんなが力を合わせること、勇気付けあうこと、思いやることができるこの時代に生まれて。
 これから観に行かれる方、上演前にパンフレットを購入し、人物紹介のところを読んでおくことをお勧めします。劇中登場人物の説明をきっちりはしてくれないので、「?」になってしまわぬように。あと、群像劇は一点集中になりがちな前目の席より、俯瞰して見れる席のほうがいいかな。語っていない人間の表情や動きが結構カギになってるから。
 三谷幸喜の新しい面が観れて、楽しいとは違う面白い舞台だった。統制とか規制のない時代、社会に生まれたことを一番喜んでいるのは、きっと三谷幸喜なんだろうなぁ。脱帽。


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海堂尊「極北クレイマー」を読む(11.4.1)

 桜宮サーガが北の大地に進出。財政破綻目前の極北市で赤字五つ星のひとつ・極北市民病院に赴任した非常勤外科部長・今中が見たのは、で発生した妊婦の死亡と退廃した医療サービスと、その中で孤軍奮闘する産婦人科医だった。しかし、ある妊婦の死が産婦人科医と極北市民病院を窮地に追い詰めていく。
 今回のテーマは地域医療の崩壊。崩壊自体はすでに始まっていたんだけど、その決定打となるのが司法の医療への介入。それが桜宮サーガの本流に密接にリンクしていて・・・。もちろん、『極北クレイマー』単品でももちろん面白い。でも、桜宮サーガの全体を知っていればさらに何倍も面白くなる。『ジーン・ワルツ』につながる作品、そしてさらに先の『アリアドネの弾丸』の序章となる作品。『ジェネラル・ルージュの凱旋』のその後や『イノセント・ゲリラの祝祭』のあれや、『螺鈿迷宮』のこれや。
 下手なこと書くと導火線のようにいろんな作品のネタバレにつながりそうで。田口も白鳥も登場していないけど、二人の影が見え隠れもする桜宮サーガのワンピース。はずすわけにはいきません。
 とかいいながらも、ぼくの好きなあの先生が颯爽と登場するので、早く続編が読みたい。そして三枝医師の無実を読み確かめたい。
 桜宮サーガ、まだまだ楽しませてくれそうです。
 作者やサーガには関係ない不満を最後に。『極北クレイマー』、この薄さで二分冊はないよなぁ。営利主義と言ってしまいたくなる。あと、『ジーン・ワルツ』の続編『マドンナ・ヴェルディ』が文庫化を前にNHKでドラマ化されるとか。文庫化が先でしょうが。


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「ソウル・キッチン」を観る(11.3.27)

 不安定な社会情勢がぼくの気持ちにもだいぶ反映されていると思う今日この頃。癒しってわけっじゃないけど、なにか「ほっ」とさせてくれるものを心が求めていたりする。『ソウル・キッチン』は決して癒し系の映画ではない。でも、セオリーどおりのストーリー、予定調和は安らぎを与えてくれる。山あり谷ありでもハッピーで終わるって、一番勇気を与えてくれるよね。
 ドイツの映画です。閑古鳥の鳴く大衆食堂ソウル・キッチンを営む主人公は恋人と遠距離恋愛になったり、税務署&保険所に目を付けられたりと踏んだり蹴ったり。店に愛着はあるものの、早く整理して恋人を追って上海へ行きたいと思う毎日。そこに仮釈放の兄がやってきて。
 店も恋愛もアップダウンが激しい上に、腰痛まで患って、それでも進むことをやめない彼に、思わずエールを送ってしまう。そのエールが届いたわけじゃないけど、幸せな結末は観ているこっちがうれしくなってしまう。
 登場人物がみな魅力的で、一人ひとりを追うだけでたのしい。ぼく的にはシェフのダンディさを真似したいところだけど、残念ながらハードルが高いですな。
 フィクションにはいろんなジャンルがあり、伝えたいメッセージもさまざまなんだろうけど、やっぱり最後にニンマリできる物語がぼくは好きです。


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「冷たい熱帯魚」を観る(11.3.26)

 でんでんが・・・。スクリーンに映し出されたでんでんは、これまでぼくがTVや舞台で観たでんでんじゃなかった。あの温和な顔で近づき、人の心の隙間に巧に入り込み、恫喝・威圧で従順させる。でんでんの本当の顔?
 実際にあった殺人事件をモチーフに作られた映画。小さな熱帯魚店を営む家族に近づいた大型熱帯魚店の店主。家族の心の隙をつき、主人を悪事に加担させていく。でんでんキレキレなのだ。
 でんでんだけじゃない。よき頑固親父のイメージが定着している渡辺哲がまた悪い。それがまた堂に入っている。ぼくが始めて渡辺哲を認識したとき、彼はオカマ役で舞台に立っていた。イメージがぜんぜん違う。
 そんな男たちに翻弄される役を、裏表のある役を結構得意とする吹越満が演じているミスマッチ加減がまた面白い。
 心の隙。完全に埋まっている人なんていないだろう。誰もが抱えるその隙を、満たすなにかを求め生きていくのだろう。それが他人の心の隙を突くことになる人もいるのだ。残念だけど。
 必ずしも滑らかでないでんでんの怒鳴り声。流暢でない分リアルで、言葉の一つ一つに凄みがある。でんでん新境地開拓の怪作であり、問題作。
 気合いを入れてみないと、でんでんに飲み込まれてしまいます。心してください。


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和田竜「忍びの国」を読む(11.3.23)

 本を読む、そのときの自分の体調や気持ちによって、物語の印象が大きく変わってしまうんだろうなぁ。
 『のぼうの城』が面白かったので、和田竜の2作目『忍びの国』もすごく楽しみに読み始めた。でも、読み始めてすぐ東日本大震災。ぼくは被害を受けることもなく日常を過ごしているけど、さすがに大量殺戮の合戦話はこの時期つらいかな。
 百地三太夫ら率いる伊賀の里と、織田信長の次男・信雄率いる伊勢の合戦記。伊勢に討ち勝ち名を上げたい伊賀の里と、伊賀を討ち取り父に認められたい信雄の思惑入り乱れた物語。化かし化かされ討ち討たれ。
 伊賀の忍者って空想の産物と思っているんだけど、『忍びの国』では『伊乱記』等の史実、文献を引用し、伊賀の里の人々にリアルさを与える。物語の展開も定点で見つめるのではなく、伊賀側、伊勢側、主従入り乱れ、群像劇のような構成をとっている。物語を以下にリアルに感じてもらうかの工夫だと思う。そのリアルさが、たまたまこの時期にあたってしまったのはなんとも残念。これはタイミングだから、致し方ないか。
 ただ、その視点の多角過ぎるところが、どうも登場人物に感情移入できない側面も作っているんだよね。個人的には大膳と無門はキャラ的に大好きなんだけど、どっちつかずなのだ。それもまた巧妙な伊賀の・・・かもしれないけど。
 時期が違えば感じ方も違う。落ち着いたときに再読しよう。


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「サンピアザ落語会〜古典落語の世界〜」を観る(11.3.22)

 我が地元・新さっぽろのサンピアザ劇場で、毎月落語会が開かれている。知ってはいたが、なかなか足が向かないでいた。でも、今月はどうしても観たいと思った。それは、三遊亭白鳥師匠が講座に上がるから。「〜古典落語の世界〜」に新作落語の旗手・白鳥師匠。これはすごい冒険だ。白鳥師匠が古典をやるのか?主催者が趣旨替えをしたのか?
 白鳥師匠とぼくはなにか縁があると勝手に思っている。ぼくが落語に興味を持ったのは『笑点』の影響が大きいが、落語を聞き始めたのは三遊亭円丈(現・圓丈)師匠の新作落語を聞いたことから。弟子入りしたいと思ったくらい。その圓丈師匠のお弟子さんが白鳥師匠なのだ。白鳥師匠が二つ目・新潟を名乗っていた頃、ぼくは新潟に住んでいて、夕方の情報番組に出演する彼をよく見ていたりして。しかも白鳥師匠の噺は圓丈師匠譲りで面白い。
 そんな白鳥師匠が登場するんだもん、聞きに行きたくなるでしょう。
 今回のサンピアザ落語会、隔月レギュラーの春風亭べん橋氏が一席、白鳥師匠が一席、仲入り、竹内獅子丸三味線ミニライブ、白鳥師匠、べん橋氏の組み立てで。
 まずはべん橋氏の『強情灸』。古典落語です。江戸っ子がお灸をやせ我慢する噺。っその顔色の変化をどう演じるか、そこが見所。ほんのり赤らむべん橋氏の顔。がんばってます。
 「白鳥の湖」の出囃子で登場した白鳥師匠。自己紹介と初心者のための落語レクチャー(ワークショップ)で会場を温めた後、新作『ギンギラボーイ』をかけます。ひなびた薬屋の老夫婦が集客UPのため作り出した惚れ薬・ギンギラボーイをめぐる与太話。笑いの渦。
 仲入り、三味線ライブ。
 再び「白鳥の湖」の出囃子で白鳥師匠登場。だれもが知ってる古典をモチーフにした新作『スーパー寿限無』。人間国宝の噺家・白鳥が新たに演技のいい名前をつけるといったもの。まったく、そうくるかといわんばかりのこじつけ言葉遊び。醍醐味は一気通読にあり。
 とりは再びべん橋氏。古典『夢金』で〆です。金銭欲の強い舟頭が、雪の夜に舟を出すことになったのだが、そこで思わぬ儲け話が・・・。舟を漕ぐところの扇子の使い方がこつ。なるほど。
 とにかくわかってはいたけど白鳥師匠は面白かった。真打と二つ目の差は大きかったなぁ。がんばれ、べん橋。
 時間があればまた行こう。


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「SP 革命篇」を観る(11.3.14)

 井上と尾形のにらみ合いが、ついにその幕を閉じる。TVシリーズから欠かさずチェックしたお気に入り作品『SP』。ついに尾形らの計画が実行に移される。国会議事堂の占拠。どうする、井上。どうなる、日本。
 とにかくメリハリのある構成、画作りに引き込まれる。静と動のギャップがSPの世界観を見事に表現している。そのギャップに、スリルにぼくらはやられているのだ。
 明らかになる革命計画と尾形の出自。浅田首相との因縁。事実を前にして、井上が下す判断と行動は。
 面白かった。固唾を飲んで見入ってしまう。これが最後かと思うと、ちょっと切なくなる。
 それにしても、フィクションとはいえ警察組織はどうなってるのか。この描き方は『アンフェア』とあい通じるものがあるというか。そこは一工夫ほしかったかな。そういえば『アンフェア』の続編が製作されるらしいから、リンクしたりして。そりゃないか。
 『SP』ってサブキャラの描き方もいいよね。TVスペシャル『SP革命前夜』では公安がクローズアップされてたけど、個人的にはハウスクリーニング屋の「リバプール」が好きかな。あの4人組のスピンオフは観てみたい。作ってくれないかなぁ。
 さて。ここから先はネタバレになるかもしれないけど・・・。下のチラシに偽りはないのかな?どう見たって・・・ねぇ。それはそれで楽しみではあるんだけどさ。


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上村佑「セイギのチカラ」を読む(11.3.8)

 異能。ちょっと見なんの役にも立ちそうのない、とても小さな超能力を持つ人々が、誰も知らないところで日本国民のために立ち上がる。命を懸けて、セイギのために。
 人間GPS、ほんのちょっとの念動力、動物との会話、誰にも気づかれない・・・。それはなんの役に立つのだろうかと思ってしまうけど、念ずれば岩をも通すのだ。チャットで知り合い、オフ会で集まって、事件に巻き込まれて。それでもみんな自分のできることを前向きに考える。特別な力を持つことは、特別な意識を持つことにつながるのかな。誰かのために、身を粉にすることもできる。なんか素敵だ。
 『HEROS』でも『SPEC』でも『X-MAN』でもないけれど、ほんわかと日本を守る彼ら。その活躍はぼくの心にも小さなセイギのチカラを灯してくれました。
 だから何ができるってことでもないけれど。


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有川浩「シアター!2」を読む(11.2.23)

 こちらも待ちに待った続刊です。前作で主宰・巧の兄・司から300万円の借金をした劇団シアターフラッグ。2年で劇団の収益から完済できなければ解散という難題に奮闘中なのだ。
 毎回青春モノを読むたびに思うのだ。みんなでなにかを創るために夢中で突っ走る姿は、読んでいて清々しくもあり、うらやましくもあり。今回はそんな仲間(劇団員)のひとりひとりにスポットが当てられて、シアターフラッグをより一層身近に感じることができるのだ。
 劇団員だけでない。鉄血宰相の称号とともに運営に加わった(屈折した関与だけど)司も扇の要として随所の顔を出す。しかも一番おいしいところで。
 毎回の公演前後のエピソードと収支報告。舞台上では主役であり脇役であるメンバーも、エピソードの中では誰もが主役になれる。うまい小説の創りになっているのだ。それだけでない。公演自体(題目・脚本・設定)もとてもアイデアのある面白いものになっている。残念ながらそれを通しで読むことはできないんだけど。
 ネタバレになるかもしれないけど、ここまで仲のいい劇団だと、それはそれで大変なような気もする。でも、小説として読んだときに終始ギスギスした関係だと面白くなさそうだし。彼らがいろんな意味で次のステップに進むとき、試される物事への布石なのかもしれないなぁ。
 そんな次に期待したくなる面白さだった。


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「ろくでなし啄木」を観る(11.2.20)

 『三谷幸喜生誕50周年「大感謝祭」』の第一弾、『ろくでなし啄木』を観た。藤原竜也、吹石一恵、中村勘太郎による3人劇。三谷、藤原、吹石、勘太郎といえば、『新選組!』だよね。壬生村での3人のエピソードはほのぼのしていて、『新選組!』の中でも好きなシチュエーションだったので、この組合せはうれしい限り。
 今回は石川啄木の物語。啄木(一)と愛人・トミと友人・テツの一晩のミステリー。謎とエロスとほのぼのがくんずほぐれつ入り乱れ、手に汗握る展開となっている。オトナになった3人の演技に目が離せない。
 見方によって事実は変わる。自分に見えていること、知っていることが必ずしも真実を語っているとは限らない。「本当」はそれぞれの胸の内にしかないのだから。
 とにかく一のダメっぷりがすさまじい。「これは遺族に怒られるのでは?」って思っちゃう。子供っぽさは『新選組!』の沖田総司にかぶっていて、まさに藤原竜也の適役。そのくせずる賢く人を操る言動は、三谷幸喜が入っているのではないかと勘繰ってしまう。
 トミは素敵な女性。どんなに一に裏切られ、言いくるめられても、一を包み込もうと健気にがんばる。吹石一恵のハマリ役。
 そして一番の道化・テツ。どうしてそんなにいい人なの?と聞いてしまいたくなるお人好し。一に翻弄されても男気を見せる一面も。中村勘太郎、まさに怪演です。
 笑ったし、驚いたし、腹も立つけどホロリもした。「大感謝祭」の華々しい打ち上げ花火だった。
 もうこの3人&三谷幸喜はユニットとして定期公演してほしい。幕末、明治ときたから、大正・昭和初期・昭和後期・平成、それぞれの時代を舞台とした作品を発表し続けてほしいって思っちゃう。ホリプロさん、三谷さん、なにとぞよろしくお願いします。


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誉田哲也「武士道セブンティーン」を読む(11.2.19)

 待ちに待った続刊です。前作で高校一年だった香織と早苗も、今回は高校2年生。一緒に竹刀を振っていた二人も今回は離れ離れです。
 東松で武士道に精進しながらも、早苗の音信不通と別れ際の「剣道やめるから」の言葉に苛立つ香織。
 強豪・福岡南に編入し、再び剣道部に入部するも、香織についた嘘を気に病む早苗。
 遠く離れていても、互いを気にかけ、励みに精進する。二人の間に通じた想いは一生ものなのです。
 ここに新たな女子剣士レナが登場。早苗のクラスメイトであり剣道部員でもあるレナは、香織とも因縁浅からぬ仲であり・・・。
 離れたからこそ強く想えるようになった香織と早苗の武士道。剣道に対するの価値観の差を見ることによって、一層絆が増していく。漠然と思い描いていた武士道が、徐々に形を見せてくる。今の二人の道は大きく分かれているけれど、同じところに向かって進んでいる。おじさんにはまぶし過ぎるほど輝く道が。
 今回も香織は成海璃子、早苗は北乃きいがぼくの頭の中で駆け巡る。そして新キャラ・レナには黒木メイサ。ちょっと年上かもしれないけど、完全に黒木メイサです。
 『武士道エイティーン』が早く読みたい。二人の成長と絆を早く知りたい。でも文庫本が出るまで1年待つのです。


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荒木源「オケ老人!」を読む(11.2.12)

 くや探メンバー・SAYUKIのblogに紹介されてたんだよね、これ。彼女は単行本派なので、文庫本派のぼくが読むのはいつも2〜3年後。でも、ふらっと入った本屋の文庫コーナーにあったんだよね。なんで、後を追うように読んだのです。
 高校の数学教師・中島が赴任先で入団したオーケストラ・梅響は、老人ばかりで音もまともに出ていないオケだった。ライバル梅フィルとの差に愕然とし、挫折も味わいながらも、老人たちとともに演奏会開催を目指していく。電器屋抗争やロシアのスパイが入り乱れ、ひっちゃかめっちゃかながらも、「音を楽しむ」を体感する物語。
 一応楽器経験者のぼくとしては、「えっ?ホルン足りないの?ぼく下手だけど老人とならそん色ないかもよ」なんて立候補する気満々だったりして。残念ながらその場は若いのに奪われちゃったけど。
 いろんな事件の詰まった1年の物語。そのたびに強まる絆と、音を楽しむ気持ちのたかまり。老人たちがとても若々しく描かれている。ぼくらの身の回りのお年よりたちも、パワーに満ち溢れているのかもしれないなっておもったよ。
 音楽ってほんと「続けていればよかった」ってこの年になって強く思うよ。だから夜な夜なウクレレ弾いてたりするんだけど。
 ぼくも隠居したらハワイアンバンドでも結成しようかな。もしくはウクレレ漫談で。
 希望をもたらせてくれる楽しい物語でした。


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札幌小劇場スタイルvol.0〜序章〜
「O.N.アベックホームラン 特別編」
〜はじめまして!大堀こういちと温水洋一です。〜を観る(11.2.5)

 札幌で気軽に演劇を楽しもうという企画・札幌小劇場スタイル。演劇好きのぼくとしては、東京に行かなければ観ることのできなかった劇団や役者を札幌で観る機会が増えるってことで、なんともありがたいことで。
 そのトップを飾るのが、大堀こういちと温水洋一のユニット「O.N.アベックホームラン」。東京の演劇界を主戦場とし、TVなどでも活躍する怪優二人が、シュールなコント調の芝居を観せてくれる。
 これがなんとも言えずハマった。シュールって大爆笑の連発はないけど、つぼにハマったらものすごく尾を引く。そのくせ非日常が哀愁を漂わせたり、しんみりさせたり。笑った分だけ響くものもあるんだよね。必ずしも社会性とかとは無関係の、とても人間くさいものなんだけどね。
 芝居、過去の映像、トークショウのお試し版で小劇場の面白さを伝えてくれる。
 今日は立ち位置的に温水さん側の最前列だったので、温水さんのきょどり顔を存分に満喫することができた。あの髪型がかつらだったらのパフォーマンスは大爆笑。
 札幌小劇場スタイルvol.1は7月にO.N.アベックホームランの本公演で正式に幕を開けるとか。個人的には5ヵ月後なんていわないで、月1回くらいのペースで道内外のお芝居興行を打ってほしいところ。「札幌小劇場スタイル友の会」作るんだったら入会してもいいしね。そして下北沢の劇場ピラミッドみたいのを札幌にも作ってもらいたいなぁ。
 札幌小劇場スタイルの案内人に任命されたフォークシンガー・小象にも注目です。


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我孫子武丸「弥勒の掌」を読む(11.2.2)

 購入から1年以上寝かしていた一冊。新興宗教ってちょっとヘビーかなって思って、ずっと置きっ放しにしていた。ところがこのところメロウな小説ばかり読んでいた反動か、今こそガツンと来るやつを読みたくなったということで。
 感想をどう書いてよいのやら。一言で言うと面白かった。それ以上書くとネタバレになるのでは?って。
 妻が失踪した高校教師と、妻を殺害された刑事。二人の妻に共通したのが新興宗教『救いの御手』だった。教師の視点と刑事の視点が交互に入れ替わり、二人の妻に起きた出来事が明らかになっていく。そのとき『救いの御手』は・・・。
 緊張感のあるSTORY運び。ハラハラしながら読み進める。目が先を欲して中座するのが惜しいくらい。そしてその先に待っていたのは驚くような結末。
 ホント面白かった。こうきたか・・・って感心することしきり。伏線は・・・って思い起こそうとするんだけど、お見事としか言いようがない。視点スイッチの際にわずかに感じた違和感か・・・。いやぁ、まいった。
 こんなことしか書けないのだけど、これはもう読んでもらうしかない。
 1年以上寝かしたことがもったいなかったという想いと、この小説を読みたいと気持ちが欲したタイミングで読むことができた喜び。この二つはこの小説が面白かったからこそ得られたものなのです。


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石田衣良「夜の桃」を読む(11.1.24)

 運命の女性なのか?肌の合う異性。性格が合うというのではなく、触れただけで感応に直結するような女性。もちろん触れるだけでなく、性交もすごくって。
 石田衣良の『夜の桃』はそんな女性に出会ってしまった中年男の物語。同世代の男としては、スケベ心に野次馬根性が手伝って、読んでみたのさ。
 でも、なにもかもが主人公とぼくは違うんだ。ネットの寵児と呼ばれ、六本木に一戸建てを持ち、バーを共同経営し、妻と愛人をうまく転がす男とぼくとでは。名前の最後が"人"ってとこだけだよ、共通点は。だから読んでて羨望の眼差ししかなくってさ。
 でも、有頂天から滑り落ちる時がとても唐突に、すごくあっさり訪れることはよくわかるというか。有頂天のレベルが彼とぼくとでは相当違うんだけどさ。
 なんかすっかりすねてしまった。ぼくがもっとあらゆる面でオトナなら、この小説からもっと感じるものがあるんだろうけど、まだまだお子ちゃまだから。
 でも、本当に肌の合う女性にめぐり合ったら、ぼくは社会生活を放棄してしまうかもしれないなぁ・・・。
 読んでるときはいろいろ思うところがあったハズなんだけど、結局こんな陳腐な感想しかかけなくてスミマセン。当分恋愛小説とか私小説っぽいのは読まないようにした方がいいかな。


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「アンストッパブル」を観る(11.1.21)

 simple is best.
 とにかく列車が暴走するのだ。危険物が満載の無人貨物列車が、スピードを増して街に突き進んでいく。 止めなくちゃ。なんとしても止めるのだ。愛する家族を守るため。
 これだけなのだ。ベテラン機関士と新米車掌のコンビが通じ合うとか、家族の問題とか、企業の危機管理とか。少しは背景があるけど、とにかく突き進む列車を止める物語なのだ。
 最初はテロと戦う鉄道マンの話かと思った。実は凄腕エージェントが・・・なんて。そんな陳腐な脚色なしの直球ストレート。それがすごく伝わってくる。
 とにかく仕事に対し責任と誇りを持つ人たちの物語。ぼくも彼らのようにありたいって強く思った。有事に対し成すべきことをこなせるか?保身や利益に流されやしないか?目の前にあることに真摯に向き合えるか?教えられることがいっぱいあった。
 ベテラン機関士役のデンゼル・ワシントンがすごく味のあるオヤジを演じていた。こんなオヤジにぼくもなりたい。でも、ず〜っと暴走列車を追い続けた立役者の一人・ネドにも憧れちゃうんだよね。ぼくのキャラだとこっちかな。
 暴走列車に立ち向かう鉄道マン。迫力の映像とシンプルでストレートな物語に、映画の純粋で本質的な魅力を感じたのでした。


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「ハリー・ポッターと死の秘宝 Part1」を観る(11.1.16)

 とうとう『ハリ・ポタ』も最終章ですか。お子たちもすっかり大人になって、一人前の魔法使いへの最後のステップなんでしょうか。
 あのお方が完全復活し、いよいよ騎士団との最終決戦です。最終章だけあって、これまでのシリーズに登場したキャラが総出です。名前も会話の端々に登場します。でもなぁ、ごくカタカナ名前覚えられないタイプなので、「誰だっけ?」の連続で。予習しておいたほうがよかったみたい。
 最終章だけに全ての謎が徐々に解明されていくのかと期待したんだけど、それはPart2でのお楽しみなんだろう。
 そう考えると、ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人による宝探し兼逃避行は、ロードムービー調で、抑えた色調がイギリスの冬を描き出しているけど、単調なんだな。ロンのお子ちゃまぶりばかりが目立っちゃって。
 正直長〜く感じた映画だった。この鬱憤をPart2できっちり晴らしてくれること、期待しましょう。
 Part2観る前に、全作品一気予習したほうがよいかな?


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いしいしんじ「雪屋のロッスさん」を読む(11.1.14)

 久々に読んだいしいしんじ。どこかの街にいるかもしれない人々を紹介してくれる。おとなの童話作家らしいやさしい語り口で。
 でも、やさしいだけじゃないのがいしいしんじなのだ。人の強欲さや醜さ、残酷さまでも、やさしい語り口で書き綴る。だから、30+1名の登場人物たちはあたかも都市伝説のよう。世にある理不尽をさりげない毒であらわにするいしいしんじ。おとなの童話作家は日本のグリム童話なのかもしれないなぁ。
 それにしてもよくぞこれだけの人を描写し続けたもんだ。ここまでためると長編小説にしてみたくはならないのだろうか?きっと30+1人全員を平等に書きたかったんだろうな。そこにいしいしんじの愛が垣間見れるような気がするんだよね。
 決して勧善懲悪ではない、それでいてひたむきで純粋な作品群。冬の夜によく似合うんじゃないかな。
 彼の目に、『調査屋の岡本くん』はどのように映っているのかな?


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朝倉かすみ「田村はまだか」を読む(11.1.7)

 すすきのの片隅にあるスナック・バー「チャオ!」。小学校のクラス会から流れ着いた5人の男女と店のマスターは、大雪で到着の遅れている同級生・田村をひたすら待っている。「田村はまだか」とつぶやきながら。
 孤高の小学生・田村が与えたインパクト。それは同級生たちに大きな影響を与えた。それゆえに28年たった今、田村を語るときの同級生たちの楽しくも懐かしげな語り口に、田村を知らないマスターまでもが待ち遠しくなって。とてつもない小学生なのである、田村は。
 田村だけでない。集まった同級生ひとりひとりに語るべき人生があり、それぞれに胸を去来する想いがある。40歳という年齢の持つ、狭間感が、エピソードに深みを与える。
 先にも書いたとおり、物語の舞台は札幌・すすきの。田村を含めた同級生たちは丙午の生まれ。これってまんまぼくと一緒なんだよね。小学校の記述で思い浮かべる風景はぼくにとっても懐かしくもあり、知らぬはずの田村が鮮明に見えてくる。バブル期、数年前、語られるエピソードの時代を共有することができる。大雪で遅れている田村を、ぼくも知っているのかも・・・。こうなると「チャオ!」のカウンターにぼくも並んでいるのかもとさえ錯覚してしまう。
 ぼくも心のどこかで田村的な存在を待ち続けているのかもしれないなぁ・・・。同級生にそんなやついたっけ?


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「バーレスク」を観る(11.1.5)

 たまに観たくなる、ガールズサクセスストーリー。男だと「成り上がり」なんだろうけど、女性だとついつい応援したくなる。この分野はパターンとして確立してるよね。ちょっと不幸な田舎娘が夢を叶えるために都会に出てくる。ちょっといじめられながらも、支えてくれる人がいて、チャンスをつかみ、スターに駆け上がる・・・前に葛藤があり〜の。
 そんなパターンに見事乗ってる『バーレスク』。でも、観ていて飽きないのはSHOW Time に迫力があり、面白いから。クリスティーナ・アギレラとシェールが圧倒的な存在感をステージ上で観せてくれる。これは見ものです。
 予定調和だけれど、ほっこりできる。暖かい気持ちになれる。いいよなぁ。
 敵役の俳優が、モウリーニョ(現レアル・マドリード監督)に見えてしょうがなかった。モウリーニョも金でクラブを渡り歩いている風で、ある意味サッカー界のヒールだから。
 ダンスも歌もできないぼくだけど、バーレスクみたいな店のオーナーになりたくなったよ。資金はないけど、もし金持ちだったらさ。


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「キック・アス」を観る(11.1.3)

 いやぁ、やられた。こんなにすごい映画だったとは。今日は絶賛モードです。
 正直バカにした風で観に行った。ヒーローにあこがれる少年とその仲間のドタバタ劇かと。正月初笑いにちょうどいいかなと。ところがどうだ。ドタバタで大笑いできたうえに、ヒーロー映画としても十二分に面白いときたもんだ。これは褒め称えるしかないではないか。
 ヒーローオタクの冴えない高校生デイヴ。ヒーローになるべく通販で購入したスーツに身を包み、街の警護に出かけるが・・・。特殊能力を持たないデイヴがヘタレヒーロー『キック・アス』から真のヒーロー『キック・アス』に成長を遂げるさまを、とくとご覧あれ。
 と言いたいところだけど、真のヒーローはCuteな11歳ヒット・ガールなんだな。見た目は『バットマン』のロビンみたいだけど、心は『レオン』のマチルダで。心に焼き付いちゃいます。
 ほかにも魅力的なキャラが登場し、物語にきっちりインパクトを与えてる。物語に関係のない浮いてるキャラがなく、コンパクトにまとまっている。パロディのひとつひとつにも意味があり、物語の伏線になっている。
 まだまだ年明け3日目だけど、『キック・アス』は間違いなくぼくの中で今年を代表する映画の1本になるぞ。『キック・アス』を追い越す映画は出てくるかなぁ。
 ってぼくがこんなに盛り上がっているのに、札幌での上映は14日(金)までだって。もったいない。
 映画館に急げっ!


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