artな戯れ言2009


このページではartな戯れ言を集めて掲載しています。




「アバター【3D】」を観る(09.12.30)

 初めて3D映画を観た。グレーの眼鏡をかけると、画面に奥行きが・・・。おおっ、飛び出すではないか。昔、赤と青のセロファンを貼った立体眼鏡で見た飛び出す絵とはぜんぜん違う。進化だ・・・。
 そんな感動も加味されて、3時間近くに及ぶ長編大作がそんなに長いとは感じなかった。画面に映るものひとつひとつを目で追ってるうちに、物語が進んでいく。
 物語といえば、結構ベタな大筋なんだよね。原住民と侵略者の戦いと、敵味方の恋。アメリカのインディアンやアフリカ、インドにアジア。日本国内でもあった蹂躙の歴史。元ネタは『ポカホンタス』だね。それはわかっているけれど、ジェームス・キャメロンの映画つくりの上手さで引き込まれていくんだもん。ずるいよな。物語をこれ以上書くと観たとき面白くなくなるだろうからここまでにしておいて。
 とにかくわかりやすい物語に、ド迫力の映像が加わり、総合的に魅せる映画に仕上がってます。
 3D映画は見どころ満載だから、字幕よりは吹き替えの方が良いのかも・・・。字幕がやけに浮き上がって見えるのも気になっちゃうしね。


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有川浩「シアター!」を読む(09.12.23)

 趣味のひとつが演劇鑑賞のぼくにとっては、大好物なジャンルの小説を、有川浩が書いてくれた。
 学生時代からの仲間で作った劇団・シアターフラッグが、上を目指すことを決意したと同時に多額の借金を背負ってしまった。主宰が泣きついたのは後に鉄血宰相と呼ばれることとなる兄。現実主義の兄は条件付で300万円を融資することに。果たしてシアターフラッグの再生はなるのか?
 演劇、劇団はショービジネスでありながらも、ショービジネスの原則が成り立たないものなのか・・・。『金』という視点で劇団を書くという発想がすごいね。演劇好きと言いながらも、そこんとこはまるでわかんないから、感心しちゃった。
 あと、楽しければいいという感覚でやってる劇団が多いってことも。物書きや演技の才能があり、働き盛りを演劇に捧げるなら、否応なく上を目指すものだと思ってた。そこら辺、ぼくは鉄血宰相と同じ現実&現金主義者なんだろうなぁ。
 人気のある声優(女性)が加入することで、主宰及び劇団に上昇意識が芽生え、走り出す。そういえば前に読んだ石田衣良の『下北サンデーズ』も一人の女優の加入によって、劇団が変わっていくという物語だった。主宰の心を動かせるのは、有能な女優ということか。
 芝居をよくするために登場人物を絞るっていう選択、なんかわかる。人気劇団・SETの全体公演を何度か観に行ったけど、劇団員を全員登場させるために、個々が希薄になっているって印象が強かったもん。これなら岸谷&寺脇は出て行くよって思ったから。
 あと、金のことでは東京ヴォードヴィルショーの主宰・佐藤B作がこんなこと言っていた。
「東京公演は金にならない。東京公演で評判がよく、地方で公演に呼ばれて初めて儲けが出る」
 そんなことを踏まえてこの小説を読むと、納得の嵐なんだよね。
 いやいや、諸事情がわかるだけでなく、物語の根幹から面白かったので、演劇好きの方には必須アイテムとなるんじゃないかな。
 ぼくも学生の頃に演劇鑑賞に目覚めていたら、人生変わったのかなぁ。


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「イッセー尾形のこれからの生活2009in冬の札幌」を観る(09.12.20)

 今年のイッセーは一皮剥けたと言いましょうか(斜め上目線でスミマセン)。前回の公演で作ったキャラが、とめどなく笑いを広げている。笑いのパターンをキャラに持たせて押しまくる。無数のキャラを持つだけに、パターンだって無数になって。とにかく今回もめちゃくちゃ笑えた。
 ネタの合い間の着替え前に、そのキャラがウクレレでオリジナルソングを歌うという試みもアリ。これがまた笑える。反則です。
『すみこ』
 徘徊症のオバサンが、彼女を捜しに来た幼馴染と屋台で語り合う。昔のことは鮮明に覚えているのに、どうしてついさっきのことが思い出せないのか?ちょっと哀愁が漂います。
『めし屋のバイト』
 心配性の年上新入りバイト・和久井さんに要領を教える金髪バイト君。度が過ぎる心配に帰るに帰れなくなる彼。580円のカキフライ定食は美味いのか?
『非常階段の女』
 禁煙の波に追いやられ、非常階段で一服するお局様。PCイカレポンチで大塚商会待ちの彼女の言葉は、辛らつでありながらも的を射ていて。「うわぁ〜、キツイ」って思うけど、愛情もあるんだよね。そこんとこヨロシク。
『便利屋登場』
 心臓が悪く、寝違いの便利屋おじさん。彼の容態が変わることに、モラル的に笑っていいのか?果たして彼は依頼をこなすことができるのか?
『社長、田舎を行く』
 広告代理店社長シリーズの第2弾。田舎町のキャッチコピーに、奮闘します。見るもの全てを言葉にしていく彼に、ナイスなコピーは浮かぶのか?
『天草五郎物語A』
 袴を穿いた瞬間、キターっと思った。こちらも待望の第2弾。絵師・五郎とその妹・ふみの物語が、壮大なミュージカルになりました。本家・天草四郎や新キャラクターも登場し、物語は大笑いのまま新たな展開へ。これを200円で観ることができるなんて、長崎の小学生はうらやましいぞ(ちがうか)。
『ザ・マルクスズ』
 ソ連ソング一筋のバンド、40年ぶりにスキー場イベントで再結成。『資本論』片手に歌い上げる彼。コートはなぜか青島刑事なんだよね。今は亡きソ連がそこはかとなく歌われます。あくまでイメージ先行だけど。

 今回もホント大笑いした。次回はできれば物販に、ネタで登場したイワシの目玉と肝油ドロップを置いて欲しいものだ。
 高田文夫が『後世に残したい文化』のひとつにイッセーのひとり芝居を挙げていた。ぼくもその意見に賛成です。


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「イングロリアス・バスターズ」を観る(09.12.19)

 クエンティン・タランティーノ監督の最新作。『キル・ビル』でやりたいことやっちゃったから、もう映画は撮らなくなっちゃうじゃないかって心配してたけど、誰よりも映画が好きな映画監督が、映画祭の審査員で満足するわけないよね。帰ってきてくれてありがとう。
 第2次世界大戦、ナチ支配下のフランスの物語。戦局を大きく変えることができる場面に遭遇した者たちの、行動とは?戦局は変わるのか?
 緊張と緩和というか、粗雑と流麗というか。この両極端を見事に使い分けて、面白い映画を作ってくれる。アルド、ランス、ショシュア。メイン3人の二面性が素晴らしい。正直、この面白さは個人差が大きいと思うけど、この展開、まとまり、美しさは特筆すべきかな。
 残念ながらぼくですら目を背けたくなるようなシーンが数度出てきたので、人によってはNGかもしれないけれど、是非観て欲しいシーンもいっぱいあって。『キル・ビル』の自己中が見事に昇華して、STORYにバッチリはまった。一皮向けたタランティーノなのです。なんて、ぼくごときが言ってはいけないのかもしれないけどさ。
 一番ニンマリするのは伏線の張り方。これはタランティーノ作品の醍醐味。今回もラストはニヤけまくっちゃいます。
 史実を利用した新しいSTORY。『GOEMON』なんかもそうだけど、新しい映画の潮流として定着するかもね。どう調理するかは監督の腕次第。見比べるのも楽しいかな。
 とにかくタランティーノが動き出したことは、ファンにとってとてもうれしいことなので、次回作も早くお披露目してください。


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「ONE PIECE FILM STRONG WORLD」を観る(09.12.13)

 いやいや、いくら先着特典がつくからって、公開二日目に事前予約してまで映画を観に行くほど、ハマってしまったとは。『ONE PIECE』面白いよね。
 今回の映画は作者・尾田栄一郎氏の完全オリジナルストーリー。現在連載進行形のSTORYのどの部分に位置するかは明確でないけれど、20年前にインペルダウンを脱獄したという伝説の海賊・金獅子のシキが麦わらの一味の前に立ちはだかる。
 イーストブルーに起きる異変、さらわれたナミ、空飛ぶ船が導く場所に待っている冒険とは?
 厚き友情の物語。予定調和はわかっているけど、やっぱりとても面白い。仲間を救うために、何の迷いもなく団結して敵に立ち向かう麦わらの一味の立ち姿。なんと壮観なこと。涙もろい中年オヤジとしてはツボを突かれまくり。ナミの健気さも、昔と違って信じる仲間がいることで、安心感があるというか・・・。
 中年オヤジのツボといえば、今回は一味の衣装が様変わり。ラストでは元に戻るので、パラレルワールドの演出のひとつなんだろうけど、これがいい。シキの味とに乗り込む一味のギャング風の出で立ち。かっちょいい。
 でもさ、でもさ、やっぱりオヤジとしては女性陣に目が釘付けでしょ。とにかく露出がハンパないナミと、ちらリズム満載のロビン。ぼくとしては眼鏡・ポニーテール・ニットセーターのロビンに思いっきりやられちゃった。アレは反則だよ。普通、部屋着でしょ、あれ。しかも黒髪の眼鏡・・・。どストライクです。たしぎ命だったのに・・・。
 正義、仲間。この歳になると恥ずかしくて言えないようなことを思いっきり叫んでくれる『ONE PIECE』。いつも忘れかけたものを思い出させてくれる。公開から二日間、大入り満席状態が続いたとか。『ONE PIECE』を愛する人の全てが、麦わらの一味と同じ気持ちを持ち続けたら、世の中とても過ごしやすくなるだろうになぁ。
 オトナへの配慮もバッチリの劇場版第10弾。純粋な心とヨコシマな気持ちでもう一回観たくなります。


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津原泰水「ブラバン」を読む(09.12.9)

 1980年、広島。高校に入学した主人公が、楽器を弾きたいという理由で吹奏楽部(ブラバン)に入部した。それから25年、ブラバン復活に奔走することになる主人公が、25年前を回想する。四半世紀の隔たりがこの物語の軸となる。
 ここで大きく私的にそれて、1980年、札幌。中学2年になったぼくは、友人に誘われるまま吹奏楽部(ブラバン)に入部した。なんかすごくシンパシーを感じた。それで読もうと買っちゃった。ぼくは当時の仲間のその後をまるで知らないし、再結成しようともまるで思わない(ぼくだけがハズされているのかもしれないけど)。
 ってことで、かなりの期待感を抱いて読み始めた。でもさ・・・。

 ここからは珍しく否定形です。

 描かれる部員や先生のエピソードがあまりにも陳腐で。まるでロマンポルノをつなぎ合わせたような・・・。そういう意味ではまさに1980年なのかもしれないけれど、焼き増し感と安直さが目立ちすぎてさ。どこかで読んだ物語って括りになちゃう。しかもドライな主人公の語り口。仮に狙っていたとしても、なんだかなぁ・・・。
 正直、救いがない物語にしかぼくには映らなかった。
 まぁ、そんな時もあるさ。


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「なくもんか」を観る(09.11.28)

 笑った。そして、ホロリとさせられた。
 『舞妓Haaaan!!!』に続く、宮藤官九郎脚本、水田伸生監督作品。笑いアリ、涙アリの謳い文句に偽りはなく、しかもハートウォーミングな作品だった。
 親に捨てられ、下町の商店街の総菜屋で育てられたお人好しの兄・祐太と、生まれる前に生き別れになった芸人の弟・祐介。泥棒の子ながらも祐太を育て、店を譲った総菜屋山ちゃん夫婦。音信普通だったものの帰ってきて祐太と結婚する山ちゃんの娘・徹子と徹子の連れ子。祐介と兄弟コンビを偽り売れっ子となる大介。祐太・祐介の実の父親。祐太・祐介兄弟を取り巻く様々な形の家族が、それぞれの形を守ろうとがんばっている。”本当”がなにかを探す愛の物語といっても過言ではない。
 その悪戦苦闘が笑いと涙を誘ってくる。商店街の誰にでも笑顔で接することで自分の居場所を見つけようとする祐太。他人を笑わすことで自分を守ってきた祐介。その健気さが心に染みる。
 「笑いは7つの要素で成り立っている」・・・金城ブラザーズの兄・大介の持論は、そのままこの映画に生かされている。「他人の不幸は蜜の味」は誰の名言だっただろうか・・・。でも、それがゆえに大爆笑できない部分もある。切ないんだな。
 正直、この作品は映画でよかったのかなって思う。映画とドラマを差別して書いているのではない。『なくもんか』という楽しくも切ない物語は、映画の尺(2〜3時間)では語りつくせないと思う。だから、映画の中でひとつひとつのエピソードが浮いちゃってるような感じがする。展開も唐突みたいになっちゃって。ドラマの総集編を観ている気分なんだよね。登場人物一人一人をもっと知りたい。面白い話がわんさかあると思うんだ。日本テレビがバックについて製作してるんだもん、何とかならないかな。
 日本テレビが阿部サダヲを主役に据えてコメディ作ったら、石立鉄男シリーズ(パパと呼ばないで、雑居時代、水もれ甲介)の再来かって喜んじゃうんだけどな。
 最後に一言。元デブでもプチ整形でも子連れでもいいから、徹子さん(竹内結子)と一緒になりたいものだ。


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TEAM NACS SOLO PROJECT 「ライトフライト」〜帰りたい奴ら〜を観る(09.11.23)

 さて、戸次重幸脚本のプロジェクト第2弾です。演出は前回『GHOOOOOST!! 』に引き続き福島三郎。出演者は加藤貴子、野仲イサオを除いては新規で6人となっており、これでシゲ・プロジェクトの中核が見えてきたかなってところかな。
 率直に言うと・・・。「シゲ、アミューズ傘下でよかったね」というのと、「千秋楽公演でよかった」というのが真っ先に思ったところ。楽しめはしたけど、芝居としてプロジェクトが成功したかといわれるとどうだろうか。それはなぜかと書きますと。
 お芝居の面白さの半分以上は本の善し悪しで決まるとぼくは思っている。残りは演出と演者によるのだが、今回のお芝居は脚本が実に稚拙だった。局面局面は面白いところがあったけど、思いついたこと、やりたいことをつなげて芝居にしてみただけという印象は拭えない。映画でいうなら『キル・ビル』と同じ。でも、タランティーノとシゲでは力量に差がありすぎる。おのずと完成度も・・・。これを芝居として成立させたのは、演出家・福島三郎の功績といっても過言ではない。ただ、福島三郎をもってしても、映像をふんだんに用い、セットに費用をかけられたからこそできた離れ業で、資金がなければ難しかったと思う。ましてや東京・大阪・札幌で全27ステージのツアーだなんて・・・。アミューズ傘下だからできたこと。もっと良質なお芝居を作りながらも資金難にあえぐ劇団からすれば、垂涎の舞台といっても過言ではないだろうなぁ。
 演出家・福島三郎と出演者・野仲イサオが関わった東京サンシャインボーイズ(主宰・三谷幸喜)なら公演中止だろうし、出演者・六角慎司が在籍したジョビジョバ(座長・マギー)だとコント集ってところだろう。シゲが恵まれた環境にいること、もっと大切に思わなきゃ。
 これはおそらく千秋楽だけの思考だと思うんだけど、カーテンコールの途中で演出家・福島三郎のコメントが映し出され、その後本人がメイド姿で登場(出オチ)。その要旨は別として、コメントで「脚本を読んだとき、舞台として成立するかを悩んだ」と言っていた。それにつられ、出演者全員の挨拶でも、脚本による芝居の着陸点の不安を訴える人続出。誰もが「どうなっちゃうの?」って思った幕開けだったんだろう。千秋楽だから言える本音を聞くことができたのは良かった。
 そんな不安を抱えた出演者も、観客の笑い声に勇気付けられたに違いない。TEAM
NACS関連の客は優しいから。そういう意味では芝居を面白くする要素の一つとして、わずかながらでも観客は貢献しているかな。
 ただ、シゲが今後ソロプロジェクトを続けていくうえで、次回があるのならば正念場になると思う。NACSファンと芝居好きのどちらを相手にしていくのか、演劇人としての評価・・・。
 なんか観劇後にいろんなこと考えちゃうお芝居だった。
 そうそう、福島三郎さん。3月に行われた東京サンシャインボーイズ公演『returns』では地球征服をたくらむ宇宙人、今回はメイドとコスプレ姿ばかり拝見しているので、ぼくの中では”コスプレ好き”が定着しそうです。


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多島斗志之「海賊モア船長の遍歴」を読む(09.11.22)

 海賊モア船長はどのようにして海賊となり、インド洋に君臨するようになったのか。『海賊モア船長の憂鬱(上)(下)』を読み終えてすぐ、その前作となる本書『海賊モア船長の遍歴』を読みたかったんだけど、中公文庫って札幌ではあまり置いてなくて、すぐには購入できなかった。出版業界もいろいろとあるのだろうなぁ。
 そんな業界事情はさておいて、若き日のモア船長を綴ったこの小説、海賊研究家が彼の日記をもとに書き記した体となっているため、実に淡々としたつくりとなっている。あくまで歴史の1ページかのように。その抑えた語り口ゆえに、あたかもモア船長が実在した人物のように思えてくる。17世紀末から18世紀の、まだ世界地図が完成していなかった頃に海を闊歩した男の記録。ロマンだね。
 訳あって自暴自棄菜毎日を過ごしていたモアが、海賊討伐船アドヴェンチャー・ギャレーに乗り込み、船ごと海賊に転身する物語。海賊ながらも力に頼ることなく、知恵を駆使して成果を上げるモア船長とその一味がいかにして作られたのか。後作を先に読んだ者にとっては、種明かし的な感じがして。なんか『スター・ウォーズ』のダース・ベイダー誕生の瞬間みたいな。
 海賊という非合法な立場にいながらも、支配と暴利を貪るものには厳しく、そうでないものに対してはあくまで紳士的な彼らの立ち振る舞いは、痛快としか言いようがない。男爵、大樽、ドクター、爺さま・・・。乗組員たちの人柄もアクセントになっている。
 インド洋を舞台に繰り広げられる海賊の物語、面白いのでもっと読みたい。続編はもう出ないのかなぁ。


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「大洗にも星はふるなり」を観る(09.11.20)

 夏はやってくる。代名詞ともいえる湘南だけでなく、北関東は茨城の大洗にもやってくる。もちろん日本各地、いや世界のあらゆるところで夏はやってくる。だから、夏の物語は湘南に限らなくてもいいのだ。大洗にだって、世界のあちこちにだって、夏の思い出があり、物語はあるのだ。
 夏のロマンス。でも、ロマンスの何十倍もの勘違いが、夏のあちこちに散らばっているのだ。
 そんなありふれているはずの夏を回顧するクリスマスの物語が、『大洗にも星はふるなり』なのだ。大洗海岸に取り壊されることなく残った海の家”江ノ島”に集まった男たち。彼らの目的は、あの夏ともに海の家で働いたエリコとの愛の成就。各々が募る想いを打ち明けながら、妄想恋愛レースは続いていく。
 『稲村ジェーン』の名台詞で始まる、湘南に負けない夏のメモリー。その着眼点に唸らされ、男たちの美しき勘違いに笑わされる。でも、ぼくも夏の想い出は勘違いばかりなので、この歳になると素直に共感できたりして。妄想は若者の、いや男の特権だ!妄想から一歩踏み出す勇気こそがロマンスなのだから、妄想万歳、勘違い歓迎、夏は勘違いの大安売り!
 笑い、笑い、笑い、ホロリ、笑い。これを観てあの夏の勘違いを思い出そうではないか。
 ”江ノ島”だけど、大洗なんだよね・・・ここ。


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ねずみの三銃士プロデュース「印獣“ああ言えば女優、こう言えば大女優。” 」を観る(09.11.15)

 脚本・宮藤官九郎、演出・河原雅彦、出演・生瀬勝久&池田成志&古田新太。今、演劇界を引っ張っているこのメンバーが『鈍獣』以来再集結し、あのおどろおどろしい世界観をまたもや構築してくれた。今回は大女優・三田佳子と、演技派・岡田義徳を客演に迎えて。
 編集者に連れられて山奥の別荘に招待された3人の作家。別荘の持ち主は大女優・長津田麗子。3人は監禁状態で彼女の自伝小説を書かされることとなる。しかし、誰もその女優を知らない・・・。
 携帯小説家、絵本作家、風俗ライター。3人を見張る編集者。どうして彼らが集められたのか?長津田麗子とはナニモノなのか?彼女が書かせようとしている半生とは、一体どのようなものなのか?
 この舞台、絶妙なバランスで成り立っていると思う。作家、演出家、役者陣。みんなの主張と協調が均衡して、のっぴきならない舞台に仕上がっている。STORYと展開にのめりこみ、それを具現化する演出に目を見張り、それに応える役者陣に感嘆の声を漏らす。すげぇ。
 とにかく3人の作家と編集者の追い込み方がすごい。笑いをドカンドカンとりながらも、狂気の世界に導いていく。作風の、演出の、演技の変わり身たるや目まぐるしく、息をつかせぬうちに観客も追い込まれていくような。
 三銃士の演技力を今更語っても仕方あるまい。だってすごいんだもん。間違いない。それをどんと受け止める大女優・三田佳子。この人の懐の広さ、これもすごかった。官九郎&河原の繰り出す無理難題を、「いいわよ、やるわよ」と二つ返事で演じちゃうんだろうなぁ。その洒落っ気も大女優と言われる所以なんだろう。
 そして岡田義徳くん。ぼくは彼をAround30の男優ではナンバー1の演技派だと思っているんだけど、ナマで観ると一層彼のすごさが伝わってくる。三銃士の後を継ぐのは、間違いなく岡田義徳だ。
 『鈍獣』から続くセットやネタに懐かしさとニヤリ感も味わえて、やってくれるよ子のチーム。
 それら全てを堪能した後、きっちりと話しに落とし前をつけてくれる。てんこ盛りなのに破綻していない創り、さすがの一言。そして目いっぱいの拍手しちゃいました。素晴らしいっ!
 このスーパーチームによる舞台、5年に一度と言わず、もっと頻繁に新作演ってくださいよ。ちなみに生瀬曰く、『鈍獣』『印獣』に続く第三弾は、『痩せてる男は貫禄がない』。”獣”じゃないんかよっ!
 もう一回みたい・・・。ネタがわかったところで、おさらいで。


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「マイケル・ジャクソン This Is It」を観る(09.11.13)

 仕事中、ふとマイケルが観たくなった。別にファンではない。ヒット曲を知ってる程度。むしろアンチだったかも。ディズニーランドで一番好きだったのは『キャプテンEO』だけど、あれはルーカスの功績だと思ってた。マイケルって、奇行の多い、かつてのスーパースターくらいに思ってた。
 でも、彼が亡くなって、ものすごい数の人が悲しみにくれたのを聞くと、ぼくは彼を色眼鏡で観ていたのではないかって思ってさ。世界が待ち望んだロンドンでの50公演。彼が生きていたとしても、ぼくには観に行くお金も手立てもないけれど、残されたフィルムなら観るチャンスがある。でも、27日までとなると・・・後悔しないように観ておきたいと思った。
 すげぇや。マイケルすごい。ホント、ぼくはワイドショーの伝えるゴシップネタだけで彼を判断していたんだなぁ。彼の歌・踊りはもちろんのこと、どうやったら観客が喜ぶかを見通す力。ほんの一呼吸の間、リズムの緩急、立ち位置・・・。演出家としてのセンスのよさ、プロデュース能力。すべては観客の「楽しい」のため。CDとプロモビデオだけでは伝わらない、本当のマイケルがスクリーンにいた。
 知ってる曲は数少ないけど、全編彼に見とれてしまった。まさに”King of POP”。いまさら趣旨変えはずるいかもしれないが、観れるものならナマでマイケルのステージを観たかった。
 映画館で座っての鑑賞。できることなら立ち上がって一緒にリズムに乗りたかった。思い思いのスタイルでこの作品を楽しむスペースがあれば、もっと楽しいんだろうなぁ。


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海堂尊「夢見る黄金地球儀」を読む(09.11.9)

 チーム・バチスタに始まる桜宮サーガの番外編とでも言いましょうか、近未来小説がこの『夢見る黄金地球儀』。今回は医療の現場から離れ、現代からも離れ、これまでと違う桜宮サーガが語られている。
 2013年、桜宮市。かつての政府が全国にバラ撒いたふるさと創生資金1億円で作られた、黄金地球儀。こいつを巡って、語り手である平介と親友ジョーが悪戦苦闘する物語。彼らの敵は桜宮市役所管財課。なるか一攫千金。目指せ泥沼脱出。
 一見桜宮を舞台とするものの、接点などないような物語だけど、『ナイチンゲールの沈黙』の登場人物が出てきたり、『螺鈿迷宮』や『ジェネラル・ルージュの凱旋』で語られた出来事が過去として紹介される。それよりなにより、バッカスがいい役回りで登場するのが面白い。
 正直、いつものサーガのような緊張感はない。これは作者がライトノベルとして楽しめるよう、配慮したんだろう。ぼくは身構えて読み始めたため、ちょっと肩透かし食らった気持ちだったけど、これはこれで面白い。豪介&平介親子の発明や、ガラスのジョーの詭弁、4Sエージェンシーの暗躍など、今後も読んでみたい要素がいっぱい。まぁ、一番はバッカスなんだけどさ。
 最近政権が交代して、元与党が「税金のバラ撒き政策」と批判をしているけど、ほんの20年前にふるさと創生の名のもとに、もっとえげつないことやってたんだなぁ。すっかり忘れてたよ。
 ぼくにも昔みたいにちっぽけな正義のために、己をかける日が来るのかなぁ。忙しいだけで平凡な毎日を過ごしている今、「ジハード、ダイハード」の言葉で始まる冒険に身を投じたくもある今日この頃なんだよね。


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有川浩「海の底」を読む(09.11.1)

 有川浩・自衛隊三部作の三作目。『塩の街』『空の中』に続く三作目は、『海の底』。未知の有事に遭遇したときの人々を描くこの作品は、自衛隊モノと言いながらも、人々の心情を鋭く書いていて面白い。Mナイト・シャマランみたいなところ、あるよね。
 横須賀を襲った謎の巨大甲殻類集団。なすすべなく蹂躙されていく街。潜水艦「きりしお」内に残された少年少女と二人の若き海上自衛官。巨大甲殻類を阻止すべく奮闘する警察。子供を守るため、街を守るため、亡き恩人の遺志を守るために奔走する人々を描く、パニック小説となっている。
 読み始めたとき、巨大甲殻類の実態をつかみ、掃討する怪獣モノかと思った。さにあらず、これは実に綿密に構築された人間ドラマだった。きりしお内での複雑な人間関係、縦割りに苦悩する警察と自衛隊の関係、マスコミ、マニア、アメリカ軍・・・。なんと多岐にわたった複雑な関係が、巨大甲殻類の来襲により浮き彫りになっていく。これが面白い。どの立場にも感情移入できてしまう。
 主人公の二人の若き自衛官の対比が面白い。バディものの基本とでもいうべき、性格や思考の真逆さ。それでいて認め合う関係は、ニンマリすることこの上なし。
 また、警察内部のバディ(こっちらは上下関係)も意思の疎通が絶妙で、既成概念に捉われずに街と人を守るための最善を尽くすところがカッコよい。それに従う機動隊の気骨。こんな人たちに守ってもらいたいと思ってしまう。
 子供に影響を及ぼす新興住宅街の人間模様。子供の持つ正義って、どうやって養われるのか・・・。ホント、多岐にわたった関係を提示し、描いている。
 女性作家ならではの視点も。男性作家ではタブーに感じてしまうことも、すんなり書いてしまう。こればっかりはどうあがいても敵わない。
 面白かった。三部作それぞれに違うテーマがあり、かといって関連性はなく、どれを読んでも独立した物語なので楽しめる。すごい作家だなぁ。
 そうそう、文庫本に収録されている『海の底・前夜祭』。二人の自衛官のハチャメチャ振りが伺える。『踊る大捜査線』を思い起こさせるような短編です。


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サンドウィッチマン ライブツアー2009 〜新宿与太郎狂騒曲〜(09.10.25)

 言わずと知れた2007年M-1王者で、2009年キングオブコメディの準優勝者、サンドウィッチマン。彼らが全国5箇所を巡るツアーの最終日・札幌公演を見た。
 漫才で頂点を取りながらもコント職人を名乗り、笑いを追及する彼ら。なんかカッコいいよね。そんな彼らをナマで観るチャンスがあるんだもん、いくでしょ。どんな笑いを繰り出してくるか、楽しみだモンね。
 舞台に登場した二人。まずは正装で漫才から始めるという。が、その前にマクラ代わりのおしゃべりを。仙台出身の彼らだけに、東北楽天イーグルスへの思いいれも強く、昨日も札幌ドームに足を運んだとか。やっぱりノムさんの胴上げには感極まったようで、なんか厚い絆のようなものを勝手に感じちゃった。あと、コジマさん。ライブには必ず現れる、栃木県在住の彼が、今日も来ていたようで。栃木なら・・・。いやいや、笑いのセンスは出身地に規定されないからなぁ。
 まずは漫才。彼らの漫才は系統的には「シミュレーション」系でも言いましょうか。最近でいえばトータルテンボスやNONSTYLE、キングコングなんかもこの系統。この頃多くなったよね。今回は『3分クッキング』と『ぶらり旅』で富澤がボケまくる。確かにこの系統はコントに近い漫才だ。トータルテンボスも『エンタの神様』でコントやってるしなぁ。上手いのよ、やはり彼らはボケの出し方が。同じボケを時間差で繰り出してくる。「ここでかっ!」って感じで笑いが引き寄せられる。
 その後は怒涛のようにコントを連発。『不動産屋』『なんでも知ってる男』『マスター』『哀川 町』。ショートコントと一風変わった会場巻き込み型の『素晴らしき日本語』を挟んで、『みどりな窓口』で締めて、おまけつき。
 基本は一般的なシチュエーションの中でありえないボケを繰り出す富澤と、イラつきながら捌く伊達。これが絶妙なのよ。漫才と流れは一緒だけど、小道具と動きがある分、ボケにも幅が広がって、笑いが増幅される。
 そんな中で異色なのが『なんでも知ってる男』。伊達がボケに回り、一般人の富澤を翻弄する。これがまた伊達の味が出て面白い。そういえばショートコントも伊達がボケだったか。
 個人的には『哀川 町』。もちろんあのVシネの帝王をモチーフにしたコント。ボケのはずの富澤がゲラになってしまうほどの伊達の演技。これは見ものです。
 テレビでは絶対に観ることのできない下ネタも満載。コントの合い間に流れるVTRには大物も登場し、笑えること間違いなし。
 見た目はゴールデンのバラエティ向きでない二人。でも、テレビの笑いがすべてじゃないってこと、ライブにくると強く感じる。ライブってほんと楽しいな。


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夫婦印プロデュース「月夜の告白」を観る(09.10.17)

 菅原大吉と竹内都子の夫婦印プロデュース。2年前と同じく、ぼくの地元・厚別のサンピアザ劇場での公演。本当の夫婦である二人の、絶妙なコンビネーションの人情劇。前回は互いに子を持つ親だった二人が、今回は40歳を過ぎても独り身の男女を演じる。
 お見合いパーティで知り合った二人。互いにタイプではないと公言し、会うたびに揉めるんだけど・・・。まぁ、反目しあう二人が徐々にって感じでありがちなんだけど、ベタなネタを面白おかしく、ちょっと涙を交えながら見せるのが人情劇。作家であり、演出家の水谷龍二はその第一人者なんだけど、それを具現化するこの夫婦。いいねぇ。
 ベタであることの安心感からか、サンピアザ劇場に集う高齢な方の多い観客もとても楽しめるみたい。嫁に行かない、嫁をもらわないアラ40世代が多くなった現状からも、きっと入りやすいテーマだったんだろうなぁ。ぼくにとっては肩身が狭くてたまらないけど。
 一人って確かに楽なんだけど、ふと寂しいと思うときがあるんだよね。この舞台にはそのふとした瞬間が上手く描かれているかな。
 どこに共感を持たせるか。人情劇の一番の肝がしっかりと押さえられるこの舞台。面白かったです。


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「トータス松本 FIRST TOUR 2009」を観る(09.10.14)

 ウルフルズが活動休止を発表した直後のフリーライブ。ウルフルズとしての演奏が終わった後、ステージに上がってソロ・シングルを歌うか迷うトータス松本。葛藤と覚悟の様子をNHKの『SONGS』で観たとき、トータスのライブを観たいと思った。
 ウルフルズのCDは数枚持っている。しかし、熱心に聴くファンでもないし、ライブを観たこともない。それでもソロライブを観たいと思ったのは、立場こそ大きく違うけど、同学年の男の決意を目の当たりにし、素直にカッコいいと思えたから。42歳のスタートを一緒に感じたかったから。
 ソロアルバム『FIRST』は聴かないでライブに臨んだ。歌に先入観を持ちたくなかったから。直接彼の言葉を耳にしたかったから。
 会場・道新ホールは主に演劇が行われている小屋。そこを北海道のスタートにしたトータス。ステージは至ってシンプル。派手な装飾もなく、キーボード2台とベース、ドラム、ギター×2が並ぶ。一からのスタートって感じ。しかし・・・。実は道新ホールの広さを理解していなかったようで、今回のツアーセットが入らなかったためにシンプルにしたとか。
 トータスの歌声はとてもよくぼくの心に響いた。トータスの歌詞は同世代の感情をストレートに表し、心に届く。アルバム1作でのツアーだけに、今回のライブツアーは今のトータスの言葉が歌われている。当然今後も活動は続くだろうけど、『今』だけを聴けるのは今回だけ。曲数が少ない分MCは長く、フリートークでの彼の言葉もふんだんに。
 立場は違うけど、同学年のナマの声が聴けて、ぼくと同じようなこと考えたりしていることがわかって、彼の決意の程が知れて、とてもいいライブだった。
 それにしてもトータス、さすが関西人です。サービス満載のライブアクト。聴かせるだけでなく、楽しませてくれる。同学年だと思うと、そりゃ嫉妬もするぞ。


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artな戯れ言LIVE

多島斗志之「海賊モア船長の憂鬱(上)(下)」を読む(09.10.6)

 下巻末、香山二三郎氏の解説にあるとおり、海賊の人気は高く、『宝島』に始まり、『パイレーツ・オブ・カリビアン』『ONE PIECE』と、面白い作品がいっぱいあり、まんまとぼくもハマっている。『小さなバイキング・ビッケ』『宇宙海賊キャプテンハーロック』『クイーン・エメラルダス』『コブラ』などなど、ぼくは海賊モノに目がないといってもいいくらい。世はまさに大海賊時代!
 そこに新たに加わったのが、17世紀のインド洋に悪名高き片腕の海賊、ジェームズ・モアなのだ。アドヴェンチャー・ギャレー号を操り、アジアの利権を貪るイギリスやオランダの東インド会社を向こうに回し、インド洋に君臨する。ところがこの海賊、これまでの勇ましくも荒々しい海賊像とは違うのだ(ジャック・スパロウも違うことは違うけど)。「果敢にして智略に秀づ」。武闘派ではなく、頭脳派。振る舞いはいたって紳士。それがいいじゃない。頭脳戦、コン・ゲーム大好きのぼくにとっては、願ってもないニューヒーローなのだ。
 イギリス東インド会社の上席商務員が、ダイヤとともに姿を消した。その事件を調べるためにロンドンからマドラスにやってきたクレイ。マドラス長官のピットにまつわる噂から、事件にモア船長が関わっている可能性が・・・。
 物語はクレイを軸に進んでいくので、モア船長の登場が実に待ち遠しいんだけど、登場したら最後。あとはモア船長の独壇場。魅力全開、計略満開。これが伏線?というところからも、彼の謀が始まっているのだ。
 後はモア船長の智略を堪能してください。このテの小説でくどくど書くのって、野暮だモンね。間違いなく面白いから。
 実はモア船長シリーズ、今作が2作目で、その前に彼が海賊になるまでの物語があるのだとか。これも読まなくてはいかんですね。


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artな戯れ言BOOK

ギンギラ太陽's「翼をくださいっ!さらばYS-11」を観る(09.10.4)

 福岡の劇団ギンギラ太陽’sの全国ツアー札幌公演。被り物でPARCO劇場に登場し、擬人化の目線で物語を紡ぐ劇風で、その名を全国に響かせた劇団。一度観たいと思っていたら、札幌に来てくれるという。うれしいではないか。
 毎回福岡を舞台とした脚本のギンギラ太陽。今回はPARCO劇場でも公演した、九州の航空事情を擬人化で演じる。新規参入したスカイマークと既往勢力との争い。福岡空港の一局集中と地方空港の関係。次代を担う翼とこれまでを支えてきた翼。時を越えて繋がる翼たちの物語。
 泣けます。登場人物…いや、登場飛行機、登場建造物のひとつひとつに感情移入しちゃいます。それらが生きた時代のそれぞれの想い、人間が作った歴史や事実を一身に受け止めざるをえない状況。それでも健気に前を向く彼ら。もちろん笑えるところも満載。めちゃくちゃ面白かった。
 そうそう、開演前、いきなり彼らのキャラクター、西鉄やくざバス軍団として登場した彼ら。会場をところ狭しと駆け回り、大写真撮影大会。そんな劇団初めてみた。
 是非ともまた来て欲しい、もしくは福岡まで観に行きたい。そんな素敵な劇団だった。

西鉄やくざバス軍団に扮して、撮影大会。
 札幌ってやっぱり出演者で演劇を観る土地だって思った。今日の会場の入りは半分くらい。有名じゃないから?ぼくも地元劇団の芝居ほとんど観てないから、そんなに言えた口じゃないけど、出演者の善し悪しで出来を無視してスタンディングオベーションするのはちょっと…。まぁ、舞台が見えなくなるからぼくも立っちゃうんだけど。そんな人達に今日の芝居観て欲しかった。人気だけじゃない、良質な芝居の普及、ちょっと考えようかな。


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石田衣良「Gボーイズ冬戦争 池袋ウエストゲートパークZ」を読む(09.9.26)

 池袋の気のいいおせっかい、マコトの物語も今作で7冊目。1冊1年の時間経過だから、初登場から都合7年が経過したことになる。10代後半だったマコトやタカシ、サルも20代半ばに。マコトは相変わらず八百屋の店番をしながら、金にならない人助けに奔走している。タカシも池袋のガキの王様に君臨し続け、サルは暴力団で出世しているようだが、大きな変化は見られない。
 でも、時間は確実に経過している。今作に紹介されている4つの物語は、確実に「今」を伝えている。ぼくが読んでいるのは初出から3年遅れた文庫版だから、正確には3年前の「今」になるのだろうけど。
 マコトに助けを求めてくる者は、必ず正しいとは限らない。正しいとは限らないが、困っていることは確かだ。そんな依頼人たちにマコトが出す答えも、必ずしも正しいとは限らない。だから、最後の選択はマコトにはない。依頼者が自分で選ぶしかない。その先にあるのは彼らの人生なのだから。
 『要町テレフォンマン』のヨウジ、『詐欺師のヴィーナス』のキヨヒコ、『バーン・ダウン・ザ・ハウス』のユウキ。彼らは勝ち組でも意気揚々と表通りを闊歩する人種でもない。でも、流されるだけの人生ではなく、マコトの活躍により選択肢を得ることができた。それはまた素晴らしいことだ。
 「今」がどんどん移っても変らないこのクールさと、マコトに陰となり日向となって力を貸す(かなり打算も含まれているが)情厚き友・タカシとサルがこのシリーズ最大の魅力なのだ。ぼくはそう思っている。
 でも、表題となった『Gボーイズ冬戦争』は一味違う物語だ。良心の呵責がまるでない悪意。それと対峙するとき、人はどのようなことを考えるのだろうか。この物語は冒頭に語られるとおり、「肉屋と口のきけない娼婦の話」(『水のなかの目』)のその後であり、タカシ率いるGボーイズにとっては『サンシャイン通り内戦』をちらつかせるストーリー展開となっている。潰された車の表現がまるで一緒のところは、作者の粋なお遊びか。
 この物語に選択肢はない。でも、確かな絆に溢れる物語となっている。『水のなかの目』の頃(10代終わり)とは違う視線がマコトには備わっている。もちろんいろんな事件を通しての経験からなるものだろう。相変わらずと書きながらも、確かな成長が読み取れる。
 現在進行形だとマコトたちは20代後半にさしかかっている頃だろう。サルは行けるところまで登りつめるのみだろうけど、マコトたち、特にタカシに転機が訪れる頃合だと思う。彼らがどんな成長をし、どんな決断を下すのか。これからもIWGPから目が離せない。


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artな戯れ言BOOK

「20世紀少年−最終章−ぼくらの旗」を観る(09.9.21)

 そうきたか・・・。原作とは違う結末とは聞いていたけど、そこんとこを変えていたのか。
 『20世紀少年』の映画版もいよいよラスト。前作の復活で神格化された「ともだち」による人類滅亡のシナリオに対し、抵抗する源氏一派のヨシツネと氷の女王ことカンナ。そこにかけつけるオッチョ。そして単身バイクで南下する、ギターを担いだ伝説の男・ケンヂ。大量殺人ウィルスを撒こうとする「ともだち」の野望を止めることはできるのか?そして「ともだち」の正体は?
 それにしても毎回書いているが、登場人物が原作に似すぎだぞ。ゆえに、すんなり感情移入できたのがこの映画の魅力のひとつだよな。カンナみたいにオーディションで選ぶ分には納得だけど、名だたる俳優も似ているんだもん。下のチラシ、大好き。これでモンちゃんも載っていれば完璧なんだけど。
 映画には原作で描かれなかった血の大みそか以降のケンヂが捕捉され、「腑に落ちた」感を味わえる。ちょっとありきたりだったけど、何もないよりはね。
 正直、今回映画用に変更された結末を観て、原作を読んだときの見落としを見つけてしまった。どこかは恥ずかしくていえないけれど、原作が超長編だけにこんなこともあるよね、うんうん。
 歳をとり、学生時代の友人とたまに飲んでいると、クラスメイトの名前をすっかり忘れていることが結構ある。原作を読んだとき、存在自体を忘れるってひどいなと思ったけど、意外とぼくも同じなのかもしれないし、ぼくも忘れられているかも知れない。とはいえ、『20世紀少年』って奥深くもあり、残酷な物語だったんだなぁ。
 ネタバレかもしれないけど、最後に一言。エンドロール後に長い尺で償いのシーンがあるんだけど、できればカンナとその母・キリコの再会も1カットでいいから入れて欲しかった。
 いや〜、また読み直そうかな。


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仁木英之「僕僕先生」を読む(09.9.20)

 この素朴な表紙に魅かれて購入した本。実は帯の「美少女仙人に弟子入り!?」と「日本ファンタジーノベル大賞受賞」に魅かれたのも事実だけど。
 中国唐代、父親の財産で生涯を暮らそうと、すねかじり人生を決め込んだ息子・王弁。父の言いつけで病を治すと評判の仙人のところへ貢物を持っていくと、そこにいたのは美少女の姿をした仙人・僕僕だった。
 相手は数千年生きていると言われる仙人。すねかじり息子など簡単にあしらわれる。そりゃそうだ。それでも成り行きで弟子入りすることとなった王弁は、いつしか僕僕に魅かれていき・・・。美少女の姿が果たして真の姿なのか?という疑問を抱きながらも。
 ほのぼのとした物語である。ダメな男と賢い少女。しかも少女はツンデレ美少女とくれば、アキバ系の物語とたいして違わないではないかと思ってしまう。でも、昔々の中国の、仙界といういかにもファンタジーな広大さが、朴訥とした物語に仕立てている。とはいえほのぼのだけではなく、特殊な能力を持つ仙人を忌み恐れる人間の企ても露わになるなど、物語にうねりをつける要素もある。なんか中国太古版X-MENの香りもする。
 旅を経て、師弟の絆が深まっていく様は、やっぱり読んでて面白い。もどかしさがいっぱいで、なんとも甘酸っぱくて。アキバ系も描き方によっては雄大なファンタジーになるということです。
 映像化するなら、ぜひ実写でお願いします。アニメだと、もろアキバ系に逆戻りしてしまいそうでね。


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「ウルヴァリン X−MEN ZERO」を観る(09.9.14)

 ウルヴァリンの過去。第一作を観たときから、知りたくてたまらなかった。一連のシリーズで明かされていくのを、楽しみにしていたんだけど、そこがなかなか描かれない。なんで、独立した作品として公開されるとは、予想していなかった。そもそも、ヒュー・ジャックマンがあまりにBIGになったので、シリーズも打ち切られると思ってたくらい。うれしくてたまらないのだ。
 それにしても驚いた。ミュータントの起源が放射能を介した突然変異だと思う気持ちがあったけど、ウルヴァリンの誕生でちょっと心変わりかな。でも、最古のミュータントに近いウルヴァリンとその兄のビクターが、最も原始的な能力を保有しているというのも、味わい深いよなぁ。文明の急激な発達や科学の進歩、環境の変化がミュータントの能力をバラエティに富むものにしていったとか。
 それにしても哀しいよなぁ。決して自らが求めた能力ではないのに、持ってしまったがために運命が翻弄されるんだもん。妬まれ、的にされ・・・。
 予告を観ると近代的なシチュエーションだったので、シリーズでの回想と合わないと思っていたけど、そこはきちんと整合とってたね。個人的には第二次世界大戦のおどろおどろしさの中に謎が隠されているのを期待してたんだけど、ウルヴァリンの生態をリアルにするには、現代科学が必要ということか。なんでもナチスの生体実験で片付ける横暴はダメってことね。でも、南北戦争のときのウルヴァリンとビクター、第一次世界大戦のウルヴァリンとビクター、第二次世界大戦のウルヴァリンとビクター、ベトナム戦争のウルヴァリンとビクター・・・、その時々をもうちょっと深く知りたいなぁ。
 いかにも『つづく』的なラストゆえに、シリーズの再開に期待大。わくわくするね。


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「女の子ものがたり」を観る(09.9.7)

 スクリーンにダイブして、なっちゃんを抱きしめたくなった。きいちゃんを抱きしめたくなった。みさちゃんを抱きしめたくなった。女の子のしあわせの力になれるなら、女の子が一歩踏み出す勇気を与えられるなら、ぼくにそんな力があるのなら惜しみなく貸してあげたい気分になった。
 西原理恵子の自伝的ものがたりの映画化。『ぼくんち』の世界観は彼女の原体験と言われているけど、ホントのところは・・・って興味があったりした。でも、興味なんて言葉を使ってはいけないんだよね。
 スランプ中の少女漫画家が、編集者の「友達いないでしょ」の言葉に、故郷にいる仲良し三人組を思い出し・・・。都内の一軒家を舞台とした現在と、四国の自然溢れる過去が交差する。
 彼女たちは完全に外界から閉ざされているみたい。芸能界に憧れることもなく、今の暮らしの延長上に自分の居所を探している。昭和30〜40年代の田舎ってこういう感じだったんだ・・・。ある程度予想はしていたけど、それ以上に閉ざされていたんだ・・・。生まれや育ちが否応なく将来を決めていく。哀しすぎる。
 一人故郷を出たなっちゃん、故郷に残ったきいちゃんとみさちゃん。その岐路は涙なくては観れません。友達っていいよなぁ。
 業田良家の『自虐の詩』を地で行く生活を幸せと思うのはそれぞれの好みなんだろうけど、そこにしか生きる道を見つけられない女の子がいる現実がなくなるよう、祈らずにはいられない。
 深津ちゃん、かわいすぎ。彼女がさびしさを訴えるなら、駆けつけて抱きしめたいと心から思うぼくなのだ。深津ちゃん、女3人つながりで、『彼女たちの時代』も観たくなってきた。
 エンディングロールの持田香織の歌声、ぐっときます。
 女の子の数だけ、シアワセの道がありますように。あと、中年男のぼくにも、シアワセの道がありますように。


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「新感線☆RX 五右衛門ロック」を観る(09.9.5)

 ゲキ×シネというジャンルをご存知か。劇場で公演されたお芝居を収録し、映画館で公開するってやつ。いやらしい言い方すると、DVD発売前にひと儲けって感じだけれど、閉ざされた空間、でかいスクリーンで観ると迫力が大違い。臨場感がものすごい。しかも、引きもズームも自在なので、劇場では観ることのできない役者のアップやアングルも楽しめる。こりゃいいのう。
 さてさて、本作。劇団☆新感線の面々に北大路欣也、松雪泰子、江口洋介、森山未來、川平慈英、濱田マリを客演に加えたロック・ミュージカルとでも言おうか。豪華なんだなぁ。カッコいいんだな。コミカルで面白いんだな。
 石川五右衛門は捕らえられ、釜茹での刑に処せられたことになっているけど、ホントは逃れて新たな盗みの大冒険をしているってお話。五右衛門を執拗に追いかける京都所司代の左門字。五右衛門を助けたり利用したり、欲望のままにふるまう魔性の女・真砂のお竜。この関係がまさに『ルパン三世』へのオマージュって感じ。そのメンツが架空の王国タタラに乗り込んで、秘宝の謎に迫るあたりは、さしずめ劇場版『ルパン三世』なのだ。新感線のお芝居は70〜80年代サブカルチャーの雰囲気がプンプンだから、ぴったりハマる。また、松雪泰子の妖艶なお竜がそそるのよ。江口洋介の飄々さもよかったし、森山未來の踊りと殺陣も決まってた。さすが本職。
 新感線のお芝居って、普段はバイプレイヤーの古田新太の魅力全開で、彼がものすごくカッコいいって印象なんだけど、今回は北大路欣也に敬意を払って譲ってる感じだったかな。タタラ国王のクガイって、ものすごくカッコいい役なんだな。でも、おちゃらけていながらも真実に到達し、バッチリまとめてしまう五右衛門(古田新太)に憧れちゃうんだよね、ぼくは。
 五右衛門を追う役の江口洋介が、今年公開された映画で180度違う五右衛門役を演じているってのもなんか面白いよね。
 ゲキ×シネ、もうちょっと音をなんとかして欲しかったけど(せっかくサラウンド完備の映画館なんだもん)、これは癖になる面白さだよね。なにより、お芝居が面白いことが大前提なんだけどさ。来年は今年上演される宮藤官九郎脚本のお芝居が上映されるとか。東京までお芝居をなかなか観に行けないぼくとしては、またひとつ楽しみが増えたというとこです。


エスニック
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Point Green! 富良野音楽祭2009を観る(09.8.29)

 このイベントも今年で3回目。年々運営方針に修正が加えられ、長く続けられるイベントへの方向を模索しているといったところか。去年から客席が斜面となったことで、安全を考慮してか開演及び終演時間が2時間早くなった。去年の退場の際は足元が暗かったのに対し、今年はまだ日が高い。きっと怪我人を出さないための考慮なんだろう。安全第一だもんね。
 今回の出演は、JYONGRI、押尾コータロー、ケイコ・リー、ゴスペラーズ。ゴスペラーズは3回連続3度目の出演・・・というか、このイベントはゴスペラーズとそのファンにより成り立っているといっても過言ではないので、当然ながらの出演といったところ。他3組は初参加となる。
 トップバッターはJYONGRI。この枠はこれまで沢田聖子が務めていたんだけど、マンネリ打破のためか替えてきた。残念ながらぼくは知らない人だけど、ギター、キーボードとのトリオ編成でしっとりと歌い上げる様は素敵でした。
 次はインスト枠。前回のDEPAPEPEに続き、ギターがメインの押尾コータローが登場。ギターがメインというか、ギター1本の演奏だけどね。昨年ホールライブを観たので、雰囲気も内容もバッチリ。いつ観てもあの弦さばきの巧みさにうっとりしてしまう。今回始めてみるお客さんも、花柄のシャツ以上に彼の両手に目が行ったんじゃないかな。またホールへも行こうかな。
 3番手は大御所感もあるケイコ・リー。Jazzシンガーとして、MCもそこそこに歌い上げる。ドラム、ギター、キーボードのシンプルな編成が彼女の声を引き立てる。さすがの貫禄。でも、かなり飽きる。
 ラストはゴスペラーズ。会場のほとんどが彼ら目当てだということは先に書いた通り。なので、異常な盛り上がり。登場前から立ち上がり、大歓声で迎える。その期待にバッチリ応えちゃうゴスペラーズ。でも、3曲目が終わったところで着席を促すと、そこからはアカペラ主体の構成に。デビュー15周年ということもあり、聴きなれた代表曲のオンパレード。それに加え、鈴木雅之の『ガラス越しに消えた夏』やサントリー角瓶のCFソング『ウィスキーがお好きでしょ』なんかもやってくれるから、ぼくみたいなコアでない聴衆も素直に楽しめた。
 アンコールは全員で、聴衆も巻き込んでの『スタンドバイミー』。しっとりと聴かせてくれました。
 全体の印象として、安全主義を尊重しているためか、とてもおとなしい音楽祭になってしまった。ゴスペラーズも含め、少人数の編成のため、目先は変えても感覚が同じに聴こえてしまう。確かにステージチェンジが早くなり、時間のロスも減ったけど、音の厚みとかもっとバリエーションのあるほうが面白いのに。また、聴かせるを主体にしすぎて、なかなか乗れないのもちょっとなぁ。
 正直ゴスペラーズにおんぶに抱っこなんだから、もっとその特性をつくべきかも。客層は30代以上が大半。ならばゴスペラーズ以外はアラフォー世代が懐かしむような80〜90年代に活躍したアーティストを連れてくるとか。盛り上がると思うよ。
 まだまだ新しいイベントだけに、試行錯誤を繰り返しているところだけど、あまりにも小さくまとまってしまっては先の集客は望めなくなっちゃうよ。優等生音楽祭って感じだけど、もうちょっと冒険もしなくちゃさ。


エスニック
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石田衣良「40フォーティー 翼ふたたび」を読む(09.8.27)

 石田衣良が書く40歳。これまで若者を主人公にした彼の作品は多く読んできた。では、彼が書く中年ってどんな感じなのだろうか。興味津々でこの本を手に取った。まさかみんなIWGPシリーズの主人公・マコトのおふくろみたいな感じではないだろうな・・・。
 いやいや、今回の主人公は相当くたびれていた(最初は)。ぼくもこの世代の一員なんだけど、ぼく以上にくたびれた感じさえ見える。第1話に登場する凋落したIT長者の恋人役で、ロリコン系ゴックンAV女優(書いていて恥ずかしくなる)と並ぶ姿を想像すると、そのギャップに哀愁すら漂ってくる。
 大手広告代理店を退社し、仲間の会社でも浮いてしまい、フリーとなったキーさん。1年に2度の転職を経て、仕事のなさに伴う収入減にさらされる日々。人生の半分が過ぎてしまった。しかもいい方の半分が。広告の一環にとの安易な気持ちで始めたブログ『40』を通じて入る、同年代の人たちが関係する仕事が今のところの唯一の食いぶち。でも、ブログを通じた出会いがまたブログを経由することにより、確かな人間関係へと変化し、そして・・・。ブログのキャッチコピーでもある「40歳から始めよう」が、キーさんを、その周りを、さらに大きな広がりをもって浸透していく様を描いている。
 ここではいろんな40歳が登場する。いい方の半分を謳歌しつくした者、殻に閉じこもってきた者、これからの半分に希望を持つ者、逆転を狙う者、半分でないと知る者。それぞれに抱えるものがあり、それぞれが想い描く未来がある。キーさんはほんのちょっと彼らの後押しをしているだけなのだが、それが彼らの未来への大きな助走となる。そして、キーさんにとっても、大きな力となっていく。一方的にする、されるの関係のようでありながらも、確実に互助作用が働いている。だから、この短編集に登場する40歳たちは、誰もがキーパーソンであり、誰一人欠けてはならない人となっている。
 同じ世代の、社会に対する自分の価値を測りかねている者として、登場人物は皆眩しく見える。一歩踏み出す勇気を持ち得た者たちだから。ぼくにない勇気と輝き。ホントうらやましい。この歳になると人とのつながりは年々希薄になり、新たなつながりだって持とうとしなくなってしまう。あまつさえ、自分ひとりで生きているなんて錯覚に陥りながら。うらやんでばかりもいられない年代なんだけどね。
 このHPが10周年を迎えたとき、HP開設時には野望を持っていたと書いた。実は、HPを通じていろんな人と知り合い、人脈ができればと考えていた。まさにキーさんのブログと一緒。最初のうちはメールアドレスを掲載していたこともあり、いろんな見ず知らずの方からメールをいただいて、にんまりしたものだった。でも、悪用する人も多く、気づけば迷惑メールが日に数十件届くようになった。せっかくの交流の機会をあきらめざるを得ない状況となってしまった。ブログに切り替えておけばよかったのか・・・。でも、炎上は怖いしね。
 話が大きく脱線してしまった。キーさんのブログを通じて知り合った人たちの活気や熱意はキーさんをも刺激し、キーさんが大きく変わっていく。冒頭に書いたキーさんは、後半ではどこにもいない。互いを高めあう関係。「四十にして惑わず」という言葉もあるけど、惑ったって悩んだって、前に進めればそれでいいんだよね。
 タイトルを見て思ったこと。著者の直木賞受賞作『4TEEN』の26年後の答えなのか・・・。読後、確かにそうかもしれないという想いと、答えではなく40歳の『4TEEN』だという想いが心にある。いつだってその時点の答えはあるものだし、いつからだって始まりはあるのだ。意味不明かもしれないけど、そういうことなんだ。そのひとつひとつにびびったってしょうがないんだろうな。
 やばい、そんなこと書いたら、あの歌が頭の中を回り始めた。
 この物語、ぼくにはとても共感でき、勇気を与えられた物語だった・・・と笑って言える自分になりたい。
 40から始めよう。


エスニック
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尾田栄一郎「ワンピース 1〜54巻」を読む(09.8.23)

 いまさらなんだけどさ、『ワンピース』をオトナ買いして一気読みしたさ。一気と言いながらも、あまりにも長い物語なので、結構日数はかかったんだけどね。マンガ読んで初めて知ったんだけど、セリフの量がものすごく多い。結構読むの大変だったもん。
 なにゆえ今頃ワンピースなのかというと、数年前からTVアニメを観出したことにつきるのだ。『ウォーターセブン編』でオハラにバスターコールがかかり、脱出する回想シーンのアタリだったか。漠然とした知識は持っていたけど、なにがなんだかわからないまま観続けていたら、これが泣けたんだ。生きようと願うロビンとそれを叶えるべく闘う麦わらの一味、そしてゴーイングメリー号。訳わからんまま泣いていた。
 そのままTVアニメを観続けているんだけど、やっぱり麦わらの一味の根っこのところがわからなくては、本当にこの物語を楽しんでいるとはいえないだろうと思って。
 いやぁ、面白かった。ルフィのもとにゾロ、ナミ、サンジ、チョッパー、ロビン、フランキー、ブルックが集まった過程、彼らの絆が深まっていく過程にある数々の冒険と闘いに、ホント夢中になっちまった。
 ワンピースとはなんなのか。失われた100年とは。ガープ、ドラゴン、エースのルフィの家族、王下七武海、四皇、海軍本部、世界政府、CP9、ルーキーたち、革命軍・・・。これからどんな物語へと展開していくのか、楽しみでいてもたってもいられない。
 物語的にはすでにTVアニメを追い抜いてしまった。来月上旬には55巻が発売されるらしい。とても待ち遠しいのだ。
 ってなことを、ワンピース好きの友人に伝えたら、「あなたはただストーリーを追っているだけで、ワンピースの本当の面白さを味わっていない」と言われてしまった。「たくさん書き込まれたセリフのひとつひとつ、コマの絵ひとつにまで伏線が張られていているのに、どれだけ気が付いているのか。そこから今後の展開を予想するという楽しみを知らないでしょう」と。
 そうなのか・・・。確かにいくつかの気になるセリフや設定は覚えているけれど、読んでいくうちに忘れたりしてるしなぁ。言われっぱなしは癪なので、ここはもう一度じっくりと読み直すしかないかな。
 ちなみにぼくの好きなキャラクターは、たしぎさんです。黒髪ショートの眼がねっ子。ストライクさ。


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上原菜穂子「神の守り人−上 来訪編−」「神の守り人−下 帰還編−」を読む(09.8.19)

 『守り人』シリーズの第5弾、『神の守り人』が文庫化された。前作『虚空の旅人』が昨年の夏前々作『夢の守り人』がその前の冬に文庫化されていることを踏まえると、新潮社はこのシリーズを読書感想文お薦め作品に認定しているということなのだろう。まさにその通り。ぼくもお薦めしちゃうのだ。
 短槍の使い手の女用心棒・バルサと幼馴染のタンダが助けたタルの民の兄弟を巡り、対立するバルサ、タンダとカシャルたち。伝統、神話がいつしかロタ王国を揺るがす事件へと進展していく。
 わからないでしょ。カシャルってなに?ロタ王国ってどこ?それはすべてこのシリーズが構築する世界の中にあるのだ。そのうえ、異界の神なんかも絡んでくるもんだから・・・まずは「読め」としか言いようがない。
 バルサが救った少女アスラ。親を失い兄チキサと彷徨う彼女に、バルサは自分を映し出していたに違いない。バルサには養父ジグロがいたけれど、チキサにはアスラを守りきるだけの力はまだない。でも、アスラには過去に葬られた異界の神を呼び寄せる力があり・・・。強大な力を手にした少女、いにしえのならわしの通り、少女を葬ろうとするものたち、その力を利用しようとするものたち、少女を一人の少女として救おうとするものたち。いろんな思惑や想いが入り混じり、物語がうねっていく。
 心に同じ傷を持つバルサとアスラの逃亡劇。迫りくる困難に勇敢に立ち向かうバルサ。旅先で出会う人々との会話。それらの設定と展開がなんとも面白く、読み出したら止まらない。「ダメだ、アスラ。その力を使っちゃ・・・」なんて、思わず叫ばずにはいられない。
 毎回思う。自分ならどう動くだろうかと。もちろんぼくにはバルサのような強さも、タンダのような能力も持ち合せていない。だから、見て見ぬふりするんだろうなぁ。なんとも卑劣ではあるが、それはしょうがない。
 今回の主な舞台はロタ王国。これでシリーズの中心となる新ヨゴ皇国に隣接するカンバル王国、サンガル王国、ロタ王国のすべてが出揃った。今回の結末はいかにも伏線たっぷりだっただけに、南方のタルシュ帝国を含めた展開に発展していくのだろう。
 次は冬休みか?来年の夏休みか?あんまり延ばすと、読書感想文書く世代が大人になっちまうぞ。


エスニック
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「サンシャイン・クリーニング」を観る(09.8.14)

 未婚の母で高校時代の彼との不倫を続ける姉・ローズと、投げやりでなにひとつ長続きしない妹・ノラ。ただでさえ厳しい生活の毎日なのに、ローズの息子・オスカーの奇行癖がもとで金が必要となり始めたのが、現場清掃。殺人や自殺の現場を清掃する仕事なのだ。
 こう書くとなんかダメダメ姉妹って感じがするけど、本人たちはそれをきちんと自覚していて、なんとかそこから抜け出そうとしている。他人の死の痕を洗い流すことにより、自分たちが眼を背けてきた死に対峙しようとする姿は、健気に思えて仕方ない。思わず観ていて応援したくなるのだ。
 決して順風満帆ではなく、むしろ多難なくらいなんだけど、逃げずに立ち向かうローズは抱きしめてあげたいです。きっと拒否されるでしょうが。
 映画って非日常を描くものが多いじゃない。今回もトラウマを持った姉妹なんだけど、結構そんな映画が多いから非日常じゃなくなりつつあって。それはそれで困ったものである、
 現場清掃業、ぼくには絶対できない。確実にもらいゲロするし、毎晩夢に出てきそうで。


エスニック
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小路幸也「シー・ラブズ・ユー 東京バンドワゴン」を読む(09.8.8)

 下町の大家族古本屋の人情噺もこれが第二弾。第一弾で登場した「東京バンドワゴン」一家とその周辺の人たちが、ちょっぴりミステリアスでハートフルな物語を展開してくれる。一家には代々言い伝えられてきた家訓がたくさん残っているけれど、それ以上に「LOVE」で強い絆を保っている。核家族化が進む現代社会に失われつつある大切なものがそこにはあるのだ。
 新興住宅地に生まれ育ったぼくには、この下町人情というのが実にうらやましい。経験したことないんだもん。だから憧れてしまう。いいなぁ。
 今回は登場人物たちの過去が少しづつ見えてくる。いろんな顔があるけれど、それでもそれぞれが強い意志を持って、今を生きている。あるときは強がりながら、あるときは助け合いながら。そんな人間関係ってなかなか構築できないよね。だから、この作品を読むとほっこりするのだ。
  一作目が紹介で、二作目がエピソード。これは長く続く物語になりそうだ。それはとても楽しみだ。けど、待ちきれなくなるのがタマニキズ。早く文庫化すすめて下さい。


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地球ゴージャスプロデュース公演Vol.10「星の大地に降る涙」を観る(09.8.2)

 岸谷五朗と寺脇康文の演劇ユニット・地球ゴージャスのプロデュース公演も10回目になるのか・・・。10回目にしてついに北海道初上陸。二人が大好きなぼくとしては、当然観に行くでしょう。
 今回は若手俳優・三浦春馬とベテランの域にさしかかるけどキュートな木村佳乃に、道内人気No.1演劇ユニット・TEAM NACSから音尾琢磨を客演に迎える。岸谷五朗が書き上げたのは北海道公演を意識した作品。海を流され津軽から星の大地に辿り着いた青年と、星の大地に暮らす人々の物語。
 木村佳乃と音尾琢磨の歌や演技が上手いのは知ってたさ。だからきっと、地球ゴージャスが目指す歌って踊ってアクションあって笑いもある劇風には合うと思ってた。三浦春馬は大丈夫か・・・それが気がかりだったんだけど、いやいや観て驚き。三浦春馬ってすごいじゃん。歌って踊れて、バック転もこなせて演技もできて。観客の半数くらいが三浦春馬目当ての女性だったというのも理解できたよ。
 舞台の方はというと、いつもどおりに歌えや踊れやの華やかさ。もちろん岸谷&寺脇の軽妙なやりとりもバッチリ。今回は岸谷が音尾をいじり倒す場面も(東京ではサッパリうけなかったらしいが)。楽しさがストレートに伝わってくる、これぞ地球ゴージャス!メインキャスト以外のメンバーもそれぞれに上手く楽しく、一体感溢れるいい舞台。
 今回は道新ホール用にセットをダウンサイズして作り直したスペシャル版。舞台が小さい分、動きに広がりが欠けたけど、その分濃密で良かった。北海道では三の線の音尾くんが意外とカッコいい役だったギャップも面白くって。また北海道に来て欲しい!
 でもね・・・。
 ここからはネタバレ注意です。
 タイトルとチラシを観たときから思ってたのよ。「また皆殺しか?」って。Vol.7『クラウディア』の二の舞かって。確かに争いや憎しみの虚しさをテーマにするならば、誰かが死ぬのってわかりやすい表現かもしれない。でも、死を前提とした幸せ、死からしか始まらない物語って哀しすぎるじゃない。だから、皆殺しなんてむごい結末は『クラウディア』だけにして欲しかった。なのに・・・。
 やっぱりまたやった。そんなことしなくてもいい物語だったのに・・・。年代的に岸谷&寺脇の死の美学的なものはわからないではない。「カッコよい死に方」。『太陽にほえろ!』では殉職する刑事役の俳優に死に際の演技は一任していたという。ぼくも含めてそれを観て育った世代。なんか、二人してどっちがカッコよく死ねるかを争っているかのようで。「カッコよく死ぬ」よりも「みっともなくても生きる」を演じて欲しかった。
 倭人が他民族を滅ぼしていく過程に「みっともなくとも生きる」の選択肢は少なかったのかもしれない。リアルを追求したら皆殺しなのかもしれない。でも、カッコいい死に方なんてありえなかったはず。同じリアルでないのなら、生きる方を演じてもらいたかった。それで物語を作る力を彼らは持っているとぼくは信じるから。
 前にも書いたけど、あんな結末は二度と演じて欲しくない。それがなんか哀しくて。
 大好きだからこんなこと書くのです。大好きだからまた観たいと思うのです。三浦春馬がいなければ、北海道では今回ほど客が集まるか・・・不安ではありますが、ぼくは行くのです。だから、楽しい結末を、地球ゴージャスの楽しさを家まで持ち帰り、翌日もうきうきできるお芝居を観せて欲しいのです。
 頼むぜ!岸谷&寺脇!!



エスニック
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「ドラムストラック」を観る(09.7.30)

 右の写真、「ホントかよ?」って思ってたんだけど、ホントだった。椅子にひとつづつ置かれた打楽器。普通の生活では絶対触ることのないそれに、思わず心弾んでしまうのはぼくだけじゃなかったようで。開演前からほとんどの人が叩いて遊んでる。無邪気に叩く子供たち。テクをみせようとがんばる人たち。ちょっとすかして興味なさげに叩く人(ぼくはこの部類)。
 そんなぼくだって、ひとたび幕を開けたら一心不乱に叩くのさ。アフリカ系黒人のメンバーが身振り手振りで観客を煽る。それがとても心地良い。言葉なんて要らないのさ。基本リズムのみの演奏会。しかも観客をも巻き込んで。子供が多く観に来てたから、好き勝手に叩いてステージを台無しにするのではと危惧してたんだけど、そんな的外れの子は一人もいない。みんながビタッとリズムを決めるのだ。それがホント快感というか、気持ちいい。
 何よりもステージで跳ねるメンバーがかっこいい&かわいい。男性陣の黒人特有の研ぎ澄まされた筋肉。女性陣の肉厚ボンボンながらも可憐で機敏な動き。それらがリズムを奏で、リズムに乗って躍動する。観て楽しい、聴いて楽しい、叩いて楽しい。すっげ〜体感型エンターテインメント。
 老若男女が無邪気に楽しめ、自分たちが演目の一部になれる。ちょっぴり手が痛くなるけれど、それ以上に心が爽快になれる。これは面白い。来日のたびに観に行きたくなるぞ。これから全国を回るようだから、お近くに来たときはぜひ遊びに行ってみてください。ストレスも発散できるでよ。


エスニック
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伊園旬「ブレイクスルー・トライアル」を読む(09.7.28)

 このミス大賞受賞作。最新のセキュリティ・システムで守られたIT研究所。難攻不落の要塞を12時間以内に突破せよ!大学時代の友人チームが賞金1億円とそれぞれの運命を賭けて、この難題に挑むのだ。敵は主催者のみならず。同じく賞金やそれぞれに目的を持った挑戦者達もまたしかり。そして偶然(必然?)巻き込まれた人たちも・・・。
 まずは主人公とその友人。この二人、固い友情で結ばれていると思いきや、裏にいろんな事情と感情を持っていたりして。それが読んでいてニヤっとしちゃうんだよな。
 この二人を含め、トライアル参加者の目的も面白く、背景がきちんと描かれていて面白い。そして本番。それぞれがそれぞれの方法で突破を図る要塞に待ち受けているドラマとは・・・。
 この作者って、本当に優しい人なんだと思った。登場人物にかける愛情は人一倍かも。どんな泣かせる背景を背負っていようが、どんなに極悪非道であろうが、誰一人不幸にはしないSTORY。小説って、こうじゃなくっちゃね。
 ミス大賞受賞作はやっぱりハズレなしだね。


エスニック
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「GREEN TOKYO ガンダムプロジェクト」を観る(09.7.21)

 あれからもう30年ですか・・・。ガンダムの登場は12歳のぼくには衝撃で。毎週土曜日の夕方は家にこもって観てたもんなぁ。まだビデオも普及していない時代。それまでのサンライズものとは違い一話完結でなかったため、見逃したらショック大きかったもん。
 なんたってモビルスーツという言葉が新鮮で。ロボットじゃないのだ。個人的には連邦軍よりもジオン軍が開発する得意な形状とモノアイのモビルスーツに魅かれたんだけどさ。ガンプラもジオン軍派で・・・。でも、そんなジオン軍のモビルスーツをことごとく撃破するガンダムは、最高の憧れなのだ。
 そんなガンダムが、しかも等身大がお台場に・・・。行くでしょ、そりゃ。
 18mの巨体が二本の足でしっかりと大地を踏みしめて立っている。もううるうるさ。ぼくら世代が子連れで来てたなぁ。あと、外国人の方が多かった。もう、日本の子供の娯楽ではなく、世界基準になったのね、ガンダム。
 ガンダムその感動をお裾分け。

 1時間に1回、ガンダムの躯体からミストが噴出するという催しがあって。たまたまガンダムの股間くぐりの列に並んでいたら、ミストショーに遭遇。なかなかの好ポジションで観ることができたのだ。その一部始終は映像に収めたんだけど、ファイルが重くて・・・。そのうちこのHPで紹介できればと考えているんだけど、いつになるやら。ちなみに好ポジションだっただけにショーが終わる頃には全身ウェッティに。近くで観る場合は覚悟が必要です。
 こうなるとガンダム以外のモビルスーツも等身大で見てみたい。希望としてはシャア専ズゴックかな。ビグザムも観たいけど、あれはデカいわりに足細いから自立できそうにないし。
 最後にぼくが思う一番カッコいい角度の等身大ガンダム。一度でいいから操縦してみたい・・・。


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「ハリー・ポッターと謎のプリンス」を観る(09.7.21)

 あぁ・・・、ロンになりたい。
 ハリー・ポッターの6作目は、いよいよクライマックスへの序章なのだ。いやまてよ、これまでの5作にだってあの人の影が色濃く出てるのだから、序章その6といったところか。
 今回はTVでやってた過去の作品ををチラチラと見、過去5作品をウィキペデリアで検索し、予習はばっちり。これまではあまり予習しないで観ていたためだろうか、今回の期待度というかワクワク感は相当なものなのだ。やっぱりシリーズものは予習せにゃだめだよね。
 ヴォルデモードとの決戦に備え動き始めるハリーとダンブルドア。ヴォルデモード軍団も復活に向け死喰い人を使って動きを活発にする。狙いはホグワーツにあり。
 どちらかというと嵐の前の静けさという感じで、両者の暗躍合戦かな。派手なシーンが少ない分は、ハリーたちの甘酸っぱい恋物語が補ってくれる。ハリー、ロン、ハーマイオニー三者三様の秘めた想いがニンマリさせてくれる。このまま『ビバリーヒルズ青春白書』になだれ込むのでは?なんて心配したりして。
 それにしても、ジニーっていつのまにあんなに大人になったのか?ロンの妹なのに、どっちが年上かわからない。個人的にはルーナかな。不思議っ娘好きなもので。
 そんな楽しい学生生活も、ラストで大きな岐路を迎える。不死鳥の騎士団とヴォルデモード軍団の陣容が明確になった。いよいよ決戦。しかし、痛手の大きい不死鳥の騎士団。期待は若手の伸びしろか?どうなるハリー。
 次回最終作『ハリー・ポッターと死の秘宝』は2部に分けて来年と再来年に上映だとか。待てるかなぁ・・・。今度の予習は原作本読んじゃったりしちゃいそうだなぁ。


エスニック
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「少年メリケンサック」を観る(09.7.20)

 官九郎好きとしては見逃すわけにはいかない監督第2作『少年メリケンサック』。とかいいながら、本公開を見逃しちまったんだよね。なので、今回二番館で観れたのはうれしくって。やっぱ映画は映画館で観るべきでしょ。
 それにしても面白かった。笑いっぱなしといっても過言ではない。レコード会社の契約社員がネットで見つけたパンクバンド。なんとか契約にこぎつけようとメンバーに会いに行くと、そこにいたのは中年オヤジ。ネットの動画は25年前のものだった。
 なにから書こうか。ネタバレありでもいいよね、本公開じゃないし。宮崎あおいとユースケ・サンタマリアの絡みから始まるんだけど、のっけから笑いどころ満載。次に佐藤浩市との汚い絡み(そこまでやるか・・・)で笑わされ、とどめがキム兄。牛糞は・・・。そこからはじまる、乙女とオヤジ達のライブハウスツアー。
 個性的なメンバーが官九郎の本ではっちゃけていく。佐藤浩市、ユースケ・サンタマリア、キム兄に負けじと全力アタックの宮崎あおい。あれ?こんな演技ができる娘だったんだ。ちょっと好きになったかも・・・。でも、それ以上に輝いていたのが田口トモロヲ。なんたってホンモノなんだもん。重みがちがうっつーの。語らずとも笑わせる。完全復調しても笑わせる。笑わせるだけじゃなくて、魅せる、聴かせる。圧巻とはまさに彼のこと。
 感慨深いことがひとつ。少年メリケンサック初のテレビ出演、前日のライブで片腕ずつ負傷したアキオとハルオ(佐藤浩市とキム兄演じる兄弟)が、二人で一台のギターを弾くところ。病院の段階でネタは割れたけど、これは江口寿史の『GO AHEAD』ではないか。そういえば、ライブシーンで『GO AHEAD』の旗が飾られていたな。官九郎も同じもの読んで感動してたのね。なんてうるうるしちゃいそうなところでも、初めて明かされる彼らの持ち歌「ニューヨーク・マラソン」の歌詞に大爆笑で。なんたって笑いすぎて咳き込んじゃって、死ぬかと思ったくらい。
 なんだろなぁ、ピストルズから一部で始まったパンクブーム(ぼくははまらなかったけど)とその周辺のサブカルチャーの詰まった、懐かしさを笑いで大きく包んだ映画。いや〜、面白かった。


エスニック
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サタミシュウ「ご主人様と呼ばせてください」「おまえ次第」「はやくいって」を読む(09.7.5)

 さてさて。前作『私の奴隷になりなさい』の時にも書いたけど、三冊一気に購入して、第一弾だけ読んでそのままにしていたら、第四弾が発売されていた。ならば第二弾『ご主人様と呼ばせてください』だけでも読んでおこうかと思ったら、あれよあれよと全部読んでしまった。
 覆面作家・サタミシュウのSM青春小説。また朝の通勤電車からエロい物語に没頭するのかと思いきや、これが言うほどエロくない。確かにエロいシーンは結構あるが、それ以上に物語の構成や展開が面白いのだ。前作で美貌の人妻とそのご主人様(亭主ではない)に弄ばれた青年が、自分の妻の浮気を知り、浮気相手を利用した新たな世界を構築する。弄ばれ、奴隷となった彼の作り上げるスモールワールドとは?彼と浮気相手が交互に綴っていく物語は、支配するものとされる者の優越と戸惑いをより一層深めてくれる。
 そして第三弾『おまえ次第』。今度は前作で支配された浮気相手が、支配者となる物語。支配し、される関係を快く思う人々を「ジャンル」と呼び、ジャンルにいる人たちを解説するかのような物語が展開される。解説で作者自身が「この作品はコメディです」と述べているように、軽快なタッチで描かれている。
 第四弾『はやくいって』はSM青春小説のスピンオフとでも言いましょうか。過去三作に登場した人たちの現在・過去・未来が描かれた短編集となっている。
 エロいシーンがどうのとか、その性癖がこうのとか言うつもりはない。ただ、この連作が一貫していっている、最も美しい関係は縦の関係ということに関しては一理あると思う。決して屈服させたいとか陵辱されたいというわけではない。また、すべてに対してそう考えているわけでもない。でも、絶えず平等という関係はありえないと思う。平等な関係でありながらも、場面によって主従関係をなすことでうまくいくことがとても多いと思う。主従だってその時々で立場が入れ替わりもするだろうし。この連作はあくまで性的な関係でわかりやすさをもたらせているのだと思う。
 『はやくいって』は蛇足だと思うけど、人間関係を考える上では面白い作品だった。
 なお、今月から札幌の地下鉄にも女性専用車両が導入されるのは、決してぼくがエロい眼で女性を見ているからではありません。


エスニック
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「守護天使」を観る(09.7.1)

 カンニング竹山はとても親近感のわく芸人なのだ。だって、その容姿たるやぼくと似てるじゃない。気が弱いくせにキレ芸してるところなんて、共感すら感じてしまう。そんな竹山を『キサラギ』の佐藤祐市監督がどう料理するか。
 なんだろう。あまりにもハマリ役すぎて、声を失ってしまうほど。実際の竹山は彼女もいるから(結婚したっけ?)あんなに尻に叱れてもいないだろうけど、ハマってる。もしかしたらそれは竹山でなく、ぼくがハマリ役ということなのか?
 冴えない中年サラリーマンが、親切にしてもらった女子高生に一目惚れ。彼女に降りかかる災難から身をていして彼女を守ろうとするお話。でも、そのひたむきさはどうしたって逆に捉えられてしまう。そりゃそうだ。でも、彼は自分の初恋を貫くため、敢然と立ち向かうのだ。
 ダメキャラでも信念を持ってことをなす。なんとも勇気のわく物語ではないか。中年に希望を与えてくれる物語ではないか。この頃思うんだよね。近所で婦女暴行事件や幼児誘拐事件が起きたら、ぼくは近所の人から疑われるだろうって。だって、近所づきあいの少ない独り身の中年って、世間の印象悪いじゃない。
 あと、この頃の映画のキーワードかもしれないけれど、「仲間」ってやっぱりいいよね。必ずしも素直な友情でなくても。帰ってそっちの方が物語としては面白いか。
 どうしようもない人間がくだらない理想や信念を饒舌に語るのには閉口なんだけど、あとは楽しい映画だった。
 そうそう、竹山もさることながら、寺島しのぶの存在感は圧倒的だったなぁ。


エスニック
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「イッセー尾形のこれからの生活2009 in 初夏の札幌」を観る(09.6.27)

 すんごいの。今回のイッセー尾形はホントすんごいの。キョーレツなネタが怒涛のように迫りくる。これがとてつもなく面白い。ただでさえ面白いキャラ作り上げているのに、それがさらに面白いネタやっちゃったら、もう笑うしかない。劇中劇ならぬネタ中ネタなんだもん。
 そんなキョーレツを連発しながらも、イッセーの変わり身といったらこれまたすんごい。さっきまでテンションアゲアゲだったのに、ネタが終わって暗転となり、着替えが始まると恐ろしいほど冷静なイッセーがそこにいる。テンション上げて大爆笑さらったら、ぼくなら「どや顔」して思い出し笑いしそうだけれど、すぱっと全部断ち切って、次のネタに集中するさまは、さすが。
 このところ朝の連ドラや映画など、イッセーにとって本来と異なるステージでの活躍が刺激になったりするのかなぁ。そんな単純ではないか。
 いつもの通り、各ネタに勝手にタイトルをつけて感想を。
『棟梁』
 江戸っ子の棟梁、弟子たちの建てる家を視察に来て、工期が遅れ気味の弟子を叱咤する。なにより足と杖のアンサンブルに注目。狙いかどうかはわからないけど、棟梁の影も見どころです。弟子に厳しい棟梁も・・・。
『デ・ジャ・ヴだわ』
 雨宿りで入った喫茶店。そこに繰り広げられる光景は、どこかであったような気が・・・。あの女性、なにもの?大女優?占い師?わからないけどその態度は妙に納得できてしまう。まさにおばさまマジック。
『創立10周年記念パーティ』
 パーティの受付をすることとなった若手社員。接客研修を受けて臨んだのに、口にする敬語はどこかチグハグで。まさに今どきの若者なのよ。どっからどう見ても。どこで観察しているの?ってくらいにそのまんま。あっ、でもぼくの敬語は彼よりもひどいかな。才能を垣間見せながらも、まだまだなところがいっぱいのイマドキくんに、昔の自分を見たりして。
『高坂元子』
 生花品評会で一等を受賞した旧友にお祝いをいいに、久しぶりに昔住む街に来た元子さん。かわいいです。つらいことも前向きに(都合よく)捉え、先を見ている彼女はかわいいんです。イッセーが演じているとわかりながらも、思わず抱きしめたくなるような女性です。そして笑えます。浮いた国有林は彼女のものです。
『社長奮闘記〜広告代理店編〜』
 抱腹絶倒。たまらない。松竹映画の『社長シリーズ』にでてきそうな太鼓持ち系の広告代理店社長。海外旅行のコピーを明日までにすべて作り直さねばならなくなり、奮闘するのです。それにしても「昭和」の香りがぷんぷん。ボツになった各国のコピーに漂う懐かしさ。締め切りにホントに間に合うのか?追い討ちをかけるように問題も発生し・・・。
『天草五郎物語』
 このおっちゃんのジャンルはなんと呼ぶべきか。紙芝居ならぬ、仮面芝居。天草四郎が活躍した時代の長崎で、絵師・天草五郎とその妹ふみの運命やいかに。幾重にもなった笑いの構造。どれかひとつでも面白いのに、こんなに重ねちゃミルフィーユばりにおいしいじゃないか。ふみのキャラ設定は・・・反則です。っつーか、キャラにキャラつけるなんて・・・。200円握りしめて駆けつけるから、続きを早く教えてな。
『大家族〜内山さん新婚編〜』
 久しぶりに大家族の新ネタです。あの数少ない荒川一家の理解者・内山さんが結婚し、荒川家に報告に来たんだけど、荒川家といえば・・・。両極過ぎる二家族。そりゃお父さんも卑屈になるってもんで。大家族最大の危機を乗り切る手段は・・・。面白いんだけど、せつなくもなるよなぁ。内山さん、中途半端な優しさはかえって罪なのですぞ。
『スズキタマオの夜は朝まで』
 深夜、FM墨田でO.A.の番組。スズキタマオが昭和を求めて八重洲界隈を彷徨うのです。ギターを背負って、酔いどれおじさんに昭和エピソードを聞きながら。そしてお届けする、「こんな唄があったような気がする」曲集。ずるいです。なつかしの昭和。あの頃、あの時が甦ります。


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「江戸の青空〜Keep On Shackin'〜」を観る(09.6.25)

 『猫のホテル』主宰の千葉雅子が脚本、G2が演出のお芝居、『江戸の青空〜Keep On Shackin'〜』。
 このお芝居、『芝浜』をはじめとするいろんな古典落語をモチーフにしている。残念ながらぼくがわかったのは『芝浜』だけなんだけど・・・。だからというのもあるだろうけど、展開に落語特有のスピード感があって、「次はどうなる?」とわくわくしながら観ていられる。
 脚本と演出の技なんだろうけど、芸達者の面々を配したところにも勝算ありかな。松尾貴史や松永玲子なんてAGAPEのメンバーまんまだけど、あえて絡ませずにそれぞれの役割を与えたところはG2の信頼の厚さが垣間見える。ちょっと松尾貴史にやりすぎ感があったけど。松永玲子はさすがだよ。噺家とはいえど、いま一つのりきれない印象の強い花禄をリードして、しっかりと笑いをとるんだもん。
 道民としてはシゲ(戸次重幸)の演技に期待たっぷりだったんだけど、これがなかなか良かったよ。物語をリードする役どころを見事に演じてたね。ナックスだと脇に回りがちだけど、真ん中に置くと見栄えするのね。あとは予定調和をいかに打破するかかな。このあと、シゲ脚本の公演があるというので、そちらも楽しみ。
 西岡徳馬目当てのおばさまもかなりいたようだったけど(ぼくの隣がそうだった)、芸達者な脇役陣を見て新たな楽しみを見つけてくれていればいいのだけど。
 立場的に弱い人たちが知恵を使って強者を「ぎゃふん」と言わせる物語。好きなんだな、ぼくはこの手の話が。やっぱり最大にして最強の武器は知恵だからね。
 楽しいお芝居でした。


エスニック
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「スター・トレック」を観る(09.6.22)

 本編が終了し、エンドロールに入る直前、思わず親指を立てた拳を突き出しつぶやいてしまった。
「Good Job!」
 心からそう思ったし、それ以外の言葉が見つからなかった。ぼくのような『宇宙大作戦』しか観ていない人にもめちゃくちゃ楽しめる今回の『スター・トレック』。カーク、スポック、マッコイ等、お馴染みの面々のファーストコンタクトが描かれている。でも、最近よく観るビギニングものとは違うのだ。ただ単なる回顧物語ではないのだ。そこがすごいではないか。
 悪童ジムがカッコいい。斜に構えた感じがぼくの知ってるカーク船長のイメージと大きく異なり、とても新鮮なのだ。そんな彼がちょっと斜めから船長席に座るところがなんともしびれる仕草なのだ。『宇宙大作戦』や『スタート・レック』のエピソードを巧みに散りばめているところもいいけれど、ぼくには新しい一面が新鮮でたまらなくて。
 細部のみならず、全体の造りやSTORYも面白い。正直、ジムが仕官する前のエピソードや学生時代のエピソードをもっと観たいという気持ちがすごく湧いているのだが、映画の尺に収めるためにはしょうがないか。そういう気持ちにさせる造りをしているところがにくいんだよなぁ。完全に術中にはまっているんだろうなぁ。あっ、もちろんスポックやマッコイの過去も・・・。
 あと、個人的には総攻撃を命じるところのくだりがいかにもハリウッド映画っぽくって笑えた。正確にはその直前の会話からの流れがなんだけど、やっぱりハリウッドは勧善懲悪なんだよね。
 面白すぎて、気が付けば終わっていた。ホント、そんな感じ。
 『宇宙大作戦』のパラレル・ワールド。ここからまた5年の深宇宙調査が観たいかといわれると、それはまた別の話になるのだろうけど、分岐点となる今作は間違いなく面白い傑作だ。


エスニック
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ヤノベケンジ「ジャイアント・トらやんの大冒険」展を観る(09.6.19)

 銀座をぶらぶら歩いていたんだけど、時間がたくさんあったので、ギャラリーにでも入ってみようかと思った。とはいえ闇雲に入って「あちゃ〜っ」と思わぬよう、本屋で『ぴあ』を立ち読みし、選んだのがこの『ジャイアント・トらやんの大冒険』展。正直なんのこっちゃサッパリわからなかったけど、『ぴあ』に載ってた火を噴くデカいブリキに興味をそそられて。
 『トらやんの大冒険』という絵本が大元のようで。その中に出てくるアトムスーツ(放射能を感知する防護服のようなもの)を着たおっちゃんの冒険物語。壁に飾られた絵本の一枚一枚を見る限り、トらやんってキューピーみたいな男の子かと思ってたんだけど、展示されたフィギアを見ると・・・バーコードにちょび髭のおっちゃんやん。
 その絵本に出てくる船やロボットが造形として展示されている。これがそこはかとなくかわいい。ちょび髭のおやじがとてもいとおしく思えてくる。なかなか面白い展示だった。
 ちなみに造形は売られていたそうだが、怖くて値段は聞けなかった。小心者なんでね、ぼく。


エスニック
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「天使と悪魔」を観る(09.6.19)

 ダヴィンチコードの前のお話なんだとか。今度の舞台はローマとヴァチカン。カトリックとイルミナティの因縁確執に端を発するテロ事件に立ち向かうは、お馴染みのラングドン教授。宗教の闇の部分に果敢に挑んでいく。
正直スケールは前作よりも小さい。だって、ローマ市内を駆けずり回るものの、移動距離は知れてるじゃない。でも、スピード感は圧倒的。プロローグを除くと概ね1日の、というか、午後8時から12時の出来事。1時間おきの殺人予告に追い立てられながらの謎解き。展開の速さに引き込まれてしまう。
このシリーズ、宗教が大きなテーマなので、無宗教のぼくには感情的に理解しかねる部分もあるんだけど、それが足を引っ張ることもない。面白いのだ。
信仰と科学の間に妥協点はあるのか?長いコンクラーベの結論は?
ラングドンと共に、ローマを奔走してみないか?


エスニック
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誉田哲也「疾風ガール」を読む(09.6.18)

 この小説、すごく気になっていた。タイトルといい、カバーの写真といい、とても好みで。ただ、読みたい本が多すぎて購入を迷っていた。そんな時、新宿の紀伊国屋書店で見つけたのが、サイン入り文庫本。文庫本にサインって、すごく珍しくない?
 で、読んでみて思った。買ってよかったと。主人公・夏美がとにかくいいのだ。見目麗しい天才ギタリスト。ROCK魂に溢れ、所属するバンド、ペルソナ・パラノイアのヴォーカル薫を敬愛する。そんな彼女の才能に惚れたおっぱいタレント事務所のマネージャー祐司を巻き込んで、真実を求めて突っ走る。あたかも疾風が如く。
 夏美の言葉、一挙手一投足が、真っ直ぐで気持ちいい。突き進むときも、凹むときも、夏美は一途で真っ直ぐなんだ。こうありたいとぼくは思う。でも、こうあるためには相当な周囲の理解が必要だ。言葉では伝わらないであろう理解。圧倒的な、ねじ伏せるかのような理解。夏美はそれを持っている。才能という武器で。
 突然の薫の死。それを乗り越えるために、夏美はさらに加速する。ぼくはそのスピードに振り切られないよう、でもそのスピードを楽しんで読みすすめる。夏見の目指すてっぺんから振り落とされないよう、しっかりとしがみついて読みすすめる。夏美はぼくを何処まで連れて行ってくれるのだろうか。
 こんな文章でこの小説の面白さは伝わるだろうか?でも、こんな感じがこの小説の面白さなんだよね。そんで、はやく続きが読みたくなる。もうすっかり虜なのさ。


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恩田陸「エンド・ゲーム−常野物語」を読む(09.6.16)

 読んだよ、『エンド・ゲーム』。途中、第1作『光の帝国』を読み直して、記憶を呼び戻したおかげで、バッチリ。
 んで、感想を書こうと思ったんだけど、どう書いてもどうしてもネタバレにつながってしまう。そんなこんなで、ネタバレ必至です。ネタバレがいやな人は読まないでね。





 『光の帝国』を読んだとき、ぼくが常野一族だったらどの能力が欲しいかと考えたら、「裏返す」だったんだよね。なんかカッコいいじゃない。人知らず闘ってるってシチュエーション。でも、不思議だったのが、彼らは一体誰と闘っているのかってこと。最初は常野一族の仲間割れかと思ってたのよ。でも、そんなにたくさん一族がいるとは思えないし、「遠目」や「遠耳」が彼らの敵になるとも思えない。闘うならやっぱり「裏返す」同士だろうけど、なおさら能力者は少ないでしょ。常野の能力に恐れを抱く一般人が敵?んで、裏返したら友好的に生まれ変わってる?いや、そうでもなさそうで。誰も知らないところで密かに世界の秩序を守っているというわけでもなさそうで。
 ではその存在意義とはなんなのか?その存在を誰が認めているというのか?なにに怯え、なにを変え、何処に行こうとしているのだろうか?
 オセロ・ゲームのようなものとはよく言ったものだ。すべてを白が裏返してしまったら、ゲームが終わってしまったら、彼らの存在する意味は・・・。
 最後まで「???」で終わるのかと思ったら、いきなり答えを突きつけられた。やられた。そうなっちまうよな、うん。
 やっぱり「裏返す」能力は要らないや。音楽の才能とかでいいです。


エスニック
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恩田陸「光の帝国−常野物語」を読む(09.6.10)

 再読である。小説を読み直すなんて、めちゃくちゃ久しぶり。大好きな常野シリーズだけに、すべてが脳裏に焼きついていると思ったんだけどさ。
 第3作『エンド・ゲーム』を購入して読み始めたんだ。あっ、「裏返す」話だ・・・ってとこまではすぐ出てきたんだけど、読みすすめるうちに「肝心なところを忘れていたらどうしよう」という不安にかられて。それで第1作『光の帝国』を読み直すことにした。第2作『蒲公英草紙』は問題なく読めたんだけどさ。
 いや〜、すっかり抜けてることの多いこと。7年ぶりに読んだのに、まるで初めて読んだかのように楽しんでしまった。爽快なお話、悲しいお話、心温まるお話。常に野に在るべく生きようとする彼らを待つ歓喜と悲哀。常野の人たちが持ついろんな能力にまつわる短編集。よくぞこんなに能力を考えつくもんだ。
 改めて第2作『蒲公英草紙』と比較すると、常野の人たちと接する一般の人たちの考え方の違いに驚かされる。第2作の頃(明治〜大正?)は友好的な関係だったけど、『光の帝国』では彼らを異端と感じ、恐れ、虐げるような形が見えてくる。人の業とは恐ろしいものだ。
 これで第3作『エンド・ゲーム』がすんなり読めるはず。ただ、ひとつ大きな疑問が湧いているんだな。それが解決されるのだろうか。


エスニック
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「ROOKIES−卒業−」を観る(09.6.8)

 昨年、目頭を熱くさせられまくったドラマ『ROOKIES』が、映画で完結を迎えた。荒んだ高校生活を送っていた面々が一人の教師と出会い、夢を持つことで本当の強さを知る物語。夢があるから、仲間がいるから突き進める。彼らが夢を追い続ける姿は、ぼくの中でとうの昔に失われてしまった大切なものを、思い出させてくれた。
 そんな彼らの最後の夏。夢に向って全力で走った夏。迎える卒業。彼ら一人一人の成長を、夏の試合を通して描いていく。一人はみんなのために。みんなは一人のために。傷は一人が痛いのではなく、みんなが痛いのだ。そんな仲間と巡り会い、ともに熱い時間を共有した彼らの姿に、傍観者であるぼくの心が揺さぶられる。あの輪の中に入りたい。叶わぬ願いだけどね。
 今作は原作を踏襲しながらも、ニコガクの面々(と言っても3年生)の心情をより深く描いている。それにより、新入生2人がちょっとおざなりになったけど、そこを知りたければ原作を読むべし。そして訪れるエンディング。原作にはない卒業式。
 たまらん。一人一人がまさに彼ららしく、想いをぶつける。ヤバイ、目頭がものすごく熱い。ちくしょー、やっぱおまえら最高じゃないか。
 こんなに胸を打たれながらも、ひとつだけ不満なことがある。たったひとつなのではあるが、ぼくの中では大きなひとつ。それは・・・。

(読みたくない人はスルーしてね)

 GReeeNの『キセキ』が流れなかった。エンディングは新曲『遥か』なんだけど、やっぱり最後に『キセキ』が聴きたかった。彼らの奇跡は夢を現実にして軌跡になった。だから最後に『キセキ』が聴きたかった。あの歌があれば、もしかしたらぼくらも奇跡を、夢を、軌跡に変えることができるような気がして。


エスニック
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「楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき〜」を観る(09.5.28)

 小泉今日子、蒼井優、村岡希美、渡辺えり。なんと個性的で素敵な女優の共演だこと。それを束ねる演出家は生瀬勝久。舞台に、映画に、TVに活躍している面々の芝居。4人(演出家を入れると5人)が小さいステージでストーリーを展開する、混じりっけのほとんどないステージ。演じる4人と観る客ががっぷり四つに組んだようなお芝居。濃厚です。
 チェーホフの『かもめ』を上演中の劇場の楽屋。念入りにメイクする女優AとB。そこに現れる女優Cは『かもめ』のニーナ役。一人で芝居の最終チェックを始めるCと、冷ややかに見守るAとB。かみ合わないやり取りが続く中、いよいよ本番となり、舞台へ向かうC。そこにCのプロンプター(影で台詞を教える役割)を務めていた女優Dが現れ、舞台から戻ったCにこう言った。
「私の役を返してください」
 この戯曲が書かれたのは'77年代だそうだ。当然、芝居や役者、とりわけ女優を取り巻く環境は現代とは大きく違う。そんな中、当時の女優であること、女優になること、女優であり続けることが、年齢(年代)の異なる4人の女優を通して、描かれていく。
 まずは4人の配役がお見事なこと。特に小泉今日子に女優CではなくBを当てたところなんか、憎いとしか言いようがない。あえて実際とはまるで異なる役どころをさせるなんて。ところがそれがいい味出してる。華やかさのない小泉今日子。斜に構えた陰のある小泉今日子。はすっぱとか場末とか連想するような小泉今日子。それがオトナの女・小泉今日子によりリアルに演じられている。あんみつ姫でもナッキーでもない、オトナの小泉今日子の魅力がいっぱいなのだ。
 蒼井優はもう彼女らしいというか、なんと言うか。蒼井優の若さあふれる笑顔とその裏に隠された狂気が交錯する。あの、目が線になる満面の笑顔を見せたかと思うと、一転して表情を無にしてしまう。前者がかわいすぎるだけに、後者は背筋が寒くなる。そのスイッチの早さといったら、それはもう。とはいえ、無の表情でもかわいいんだな、蒼井優は。ずるいぞ。
 渡辺えり子と村岡希美は言うに及ばず。
 演出家は笑いのあふれる『楽屋』を作りたかったそうだ(パンフより)。ほかの人の演出を観たことがないので、想像の域を出ないのだが、確かにまともにやったらとことん底に沈んでしまいそうな戯曲かもしれない。おかげで今回の舞台は笑いに溢れている。でも、4人の女優の持つ気持ちはしっかりと伝わってくる。今の時代に順応させながら、受け継がれた女優魂。
 とにかく濃厚な女優のぶつかり合いが楽しくもあり心をも打つ。いいお芝居です。


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有川浩「空の中」を読む(09.5.28)

 ぼくらの知らない生命体がこの世にはまだ存在するかもしれない。人間は決して生態ピラミッドの頂点にいるわけではない。でも、知能により世界を牛耳っていると言っても過言ではないのが現状だ。その人間をもはるかに凌駕する生命体が存在したら、人間はどう対応するのだろうか。
 今回読んだ『空の中』は、遥か上空に未知なる生命体の存在を見つけたら・・・大まかに言うとそんなSTORYだ。その生命体の存在は2つの不幸な航空事故により知られることとなり、生命体に対する人間の感情が生命体と人間の関係を左右していく。
 生命体を発見した航空会社職員と航空自衛隊員(なんと女性パイロット)、航空事故の遺族である少年とその幼馴染み。2組の男女がそれぞれ未知なる生命体(【ディック】と【フェイク】)と接し、関係を構築していくものの、強者を前にした人間の畏怖に巻き込まれ・・・。
 見つかった生命体がフェイクだけだったら、きっと誰もが微笑ましく受け入れただろう。「かわいい動物が発見されました」なんてニュースも流れて。でも、人間よりも強い力を持つことで、たとえ敵意がないとしても人間は怯え、排除しようとしてしまう。多摩川にアザラシが、釧路川にラッコが現れるとマスコット化されるけど、ジョーズが現れたら「殺せ」って言うよね、そりゃぁ。たとえ人を食べる意識がなかったとしても、漁場を荒らされるとか、危険だとか言うもん。人の業ってなんと恐ろしいものなのだろうか。
 そんな根深い問題により複雑化していく事態に直面する2組の男女。この2組が紆余曲折ありながらも真っ直ぐでいることにより、楽しめる作品となっている。と言うか、人間の業を掘り下げず(象徴的なキャラは登場するが)、問題の解決策を読ませることにより、ぼくらの持つべき罪悪感が軽減されていると言うか。うまくすりかえてるなぁ。
 問題解決への過程がまた予想だにしない方法で。すごく練られた作品だと、つくづく感心してしまった。
 巻末に掲載されている、エピローグとでも言うべき『仁淀の神様』は、山手線の中で読みながらうるっとしてしまった。
 この文章を読んでも何のこっちゃくぁからないでしょう、きっと。だから読んでみてください。面白いです。


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RAHMENS #17「Tower」を観る(09.5.22)

 2年ぶりのラーメンズ公演。コンビでのコントを観られるのはナマの公演だけってことで、チケットは当然Sold Out。すごいなぁ。
 彼らのコントでぼくが好きなところといえば、巧みな言葉の選び方と使い方。言葉を通してかたちどられる小林賢太郎と片桐仁の奇妙な優劣関係。そして突如として起こる優劣の逆転。片桐目線で言うところの緊張と緩和。作家でもあり演出家でもある小林にとっては絶好の逸材なんだろうとニンマリしてしまう。
 言葉遊びが雪崩のように妄想に突っ込むコントでは、優位に立った片桐の姿と言葉の選択・反復に大爆笑。
 もちろん他のコントも二人の味が存分に発揮されていて面白い。コントひとつひとつに伏線が張られてオチの大笑いに導いてくれる。脚本がとてもしっかりしているコント。小林賢太郎の才能なのでしょう。
 「Tower」のタイトルのもとに集められた珠玉のコントたち。あんなTower、こんなTower、いろんなTowerが笑いを誘う。なんとも楽しいLiveだことか。
 会場にゲラ子ちゃんが多いのは有名税とでも言いましょうか。媚びることなく突っ走って、更なる探求の結果をまた観せてください。大笑いさせに札幌に来てください。


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「スラムドッグ$ミリオネア」を観る(09.5.4)

 アカデミー賞受賞はダテじゃなかった。すっごく面白い、でも面白いだけじゃなく訴えるものの詰まった映画だ。貧困、暴力、不正、嫉妬・・・。平和ボケした日本じゃ考えられない世界がそこにはある。ぼくらがテレビで目にする観光したくなるようなインドとは違う、本当のインドの姿。誰もが貧困から脱したくて、身内をも利用するようなインドの側面。目をそらしたくなるようなことがたくさんあるんだけど、決して無視してはいけないインドの諸問題。
 日本でもみのもんたの司会で放送されている『クイズ・ミリオネア』。そこに登場するスラム街出身の少年・ジャマール。無学な少年が正答を重ねることの理由とは?目的とは?クイズ番組がクイズマニアや常識王などを争う芸人、果てはお馬鹿タレントのモノとなっている日本には到底起こりえないサクセスストーリー。そんなこと書いているぼくだって、日本版『クイズ・ミリオネア』にこんな少年が登場したら疑うんだろうなぁ。斜に構えたりして。まず日本じゃありえないってたかをくくるだろうし。
 彼のたどった道は壮絶としか言いようがない。そこで得たナマの知識。それは辛く思い出したくもない記憶なのかもしれない。それでも彼は答え続ける。ただひとつ信じているもののために。
 もちろん実話ではないだろうけど、現に問題を抱えている国が舞台の物語を見てしまうと、メディアに露出したいがために学習ドリルに取り組む芸人の出ているクイズ番組はうんざりした気持ちになる。TBSあたりなら貧困にあえぐ少年の生い立ちをあらかじめリサーチし、お涙頂戴ドキュメントにするんだろうなぁ。くそくらえ。
 インドを舞台とした映画だけに、エンドロール手前の演出は物語と調和して、心が和んだよ。日本では到底作ることのできない、信念の物語。よかったぞ。


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シティボーイズミックスpresents「そこで黄金のキッス」を観る(09.5.3)

 久しぶりのシティボーイズ。3人ともに還暦を迎えたという面々の、円熟味あふれるコントの数々が堪能・・・。
 のっけから大竹まことが堪えきれずにそっぽを向いた。背中が完全に震えている。きたろうと若手のやりとり。きたろうのたどたどしさ。波乱の幕開け。そして半ばのきたろうと中村有志の絡みで事件は起きた。あらぬ方向を見回すきたろう、にらむ有志。逃げるきたろう、追う有志。台詞が、台詞が出てこない。ドタバタじゃん。過去の公演でもハプニングはちょこまかあった。斉木しげるがひな壇を踏み外すとか、きたろうの段取り無視とか。でも、ここまですっ飛んだのを観るのは今回が初めて。その後の大竹まことのきたろうへのアドリブツッコミのきついこと。
 今回はレギュラーの中村有志に加え、作家2人(細川徹・ふじきみつ彦)と若手役者(春山優)を客演に迎えての公演。客演3人に濃い色がついていない分、大竹・きたろう・斉木の個性が浮き上がる。前半の共産主義コント(「今日から我が社は共産主義になります」と宣言する社長・きたろうと順応する斉木、戸惑う大竹)はシティボーイズ3人の立ち位置が明確に現れた作品だ。息子行方不明コントとか、やっぱり3人が絡むと楽しくてしょうがない。
 ハプニングも円熟のなせる技・・・ということにしましょうか。でも、作家はたまらんだろうなぁ。いつまでも元気なオヤジでいて欲しい3人の織りなす楽しい夜でした。
 完全版、WOWOWでやるだろうか?一応確認しておきたいよなぁ。


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「GOEMON」を観る(09.5.1)

 紀利谷ワールド全開。時代考証なんて関係ない。あくまでモチーフと思ってみるべし。そして男の物語に心を奮わせろ。
 天下に君臨した秀吉と野望を抱いて彼に仕える光成と家康。光秀の遺した箱をめぐり、3人の思惑に巻き込まれていく大泥棒・五右衛門と忍びの才蔵。それぞれに絡まる関係。自由を望んだ男は本当の自由を勝ち取ることができるのか?乱世が収まる日は来るのだろうか。
 娯楽映画だと思っていたが、とんでもない間違いだった。痛快時代劇だと思っていたのは間違いだった。映像ばかりに気がとられてしまうけど、映像だけじゃない。この脚本はものすごくいい。友情、愛情、忠義・・・。ホント心が奮わされる場面の連続なのだ。正直、まぶたには涙がいっぱいで。あの『手鎖心中』的なところなんか大好き。
 もう、いちいち書いていられない。そんだけすごい展開がいっぱいで、もう目が離せない。そこに小気味いいアクションと圧倒的な映像が加わり、正直パーフェクトです。
 あぁ、女の子のおでこを肩甲骨で感じたい。
 決して舞台挨拶を観れたからいいこと書いているわけじゃない。正真正銘ピカピカで最高の作品だった。何回でも観直したいくらい。先行き不透明な今だからこそ、この映画の発するメッセージをキャッチしてほしいと思ったのだ。必見!


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「GOEMON」を観る前に・・・初日舞台挨拶を観る(09.5.1)

 芸能ニュースで映画の舞台挨拶の模様がよく流れている。東京だとそんな場面に遭遇することもあるんだろうなぁ・・・なんていつも思っていた。んで、今回そんな場面になんと遭遇できたのだ。
 予約した席は2階席最前列ほぼ中央。眼窩に見えるステージをさえぎるものは何もない。そして出演陣の総登場。江口洋介、大沢たかお、広末涼子、ゴリ、要潤、玉山鉄二、寺島進、伊武雅刀、奥田瑛二、そして監督・紀里谷和明。彼らが横一列に勢揃いするその光景を見下ろすとは、「絶景かな、絶景かな」。 大勢の報道陣が見守るなか、このまま颯爽と飛び降りて、この腕に広末涼子を抱きかかえて走り去ったら、ぼくこそが本物の五右衛門になれるかもしれない・・・いや、そんな大それたことやれっこないんだけどね、心意気だけはさ。
 壇上で出演陣が意気込みを語る。最後に監督が謝意を込めてきっちりまとめる。ゴリは自分の役割を理解して、きっちり笑いを取りにいく。役者の肉声を聞く機会なんてそうそうないじゃない。なんかうれしい。それにしても広末涼子かわいい。
 今日は映画の日ということで、この舞台挨拶つきの上映はなんと1,000円。めっちゃお得じゃないですか。司会はテレ朝の大木ちゃん。『くりぃむナントカ』ばりのNGもいっぱい見れて、本当にラッキーな上映だった。
 帰りはパンフ売り場に立った紀利谷監督に黒山の人だかり。ぼくはあっさりスルーなんだけどね。
 広末涼子の美しさを目に焼き付けたので、夢に出てきますように。


エスニック
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生誕80周年記念特別展 手塚治虫展 未来へのメッセージ」を観る(09.5.1)


 ぼくは昭和の子なので、アトムの子といっても過言ではない。マンガといえば手塚治虫だった。初めて買ってもらったマンガの本は朝日ソノラマ社の『鉄腕アトム』(なぜか4巻)だし、家にはアトムの目覚まし時計があった。といっても物心ついたときにはこの時計は動いておらず、のちにユリ・ゲラーの超能力ブームの際にテレビの前でこの時計を抱え、一心に動き出すことを念じたものだ。当然動くことはなかったが。
 手塚マンガはアニメや実写のテレビ番組から入門した口。『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『不思議なメルモ』『マグマ大使』・・・。ところが後になって気づいたんだけど、いづれもが再放送であり、オンタイムで観ているものはほとんどなかった。ぼくが手塚マンガに目覚めた時期はちょうど手塚治虫プロダクション倒産のころで、手塚治虫自身が不調のときだった。
 そんな時、週刊少年チャンピオンで始まったのが『ブラック・ジャック』。オールキャスト総出演の華やかさに目が奪われたけど、それは最初だけで、気づけば本格的医療マンガであり、すごく濃い人間ドラマに変わっていた。ぼくは彼がこのマンガに描きたかった本質を理解することなく、それでいてとても楽しみに読んでいたのを覚えている。そしてアンチヒーローの主人公にあこがれていた。今思えば、よくこんな濃いマンガを少年誌に連載できたものだ。
 24時間テレビの午前10時頃に放送された新作アニメを毎年夢中で見た。オリジナルストーリーにおなじみのキャラクターが総出演し、わくわくしたものだ。
 大学に入り、ぼくが生まれる前の手塚作品を読みまくった。そこに古さを感じることはなく、その面白さに圧倒されっぱなしだった。中でも『メトロポリス』と『W3(ワンダースリー)』は心のマンガとなった。
 手塚治虫が亡くなって、特集番組などを見てはじめて気づいた。数多くの物語にこめられた手塚治虫のメッセージに。でも、それらは気づかなかったからって伝わっていなかったわけではない。気づかないうちに受け取り、心にしっかりと刻まれていたのだ。これってすごいことだと思う。
 前置きがとても長くなってしまった。今回、江戸東京博物館で開催されている『手塚治虫展』では、彼の生い立ちや、小学生時代から晩年(といっても享年60歳)に至るまで、彼の作品と作品に込められたメッセージが展示紹介されている。多くの直筆原稿をナマで見ることができる。これが見入ってしまうんだな。
 柱や床に大写しされた『ブラック・ジャック』の言葉が、すごく胸に突き刺さる。あれこそ手塚治虫の偽らざる声なんだろうなぁ。
 アトムの子たちに刻み込まれた手塚治虫のメッセージは、いつまでも消えることはない。これを次の世代の子供たちにも伝えていかないとなぁ。


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YUKIO「Spring Live」を観る(09.4.29)

 今回は友だちのバンドのLiveです。このバンドの編成が実に面白い。チェロ、ピアノ、エレクトーン、ヴォーカル、コーラス。客演としてヴァイオリン。これで演奏するのがクラッシックはもちろんのこと、QueenやJeff Beckまで。なんじゃそりゃって感じ。
 話を聞いて驚いた。前のLiveではDeep Purpleのギターソロをチェロでやったっていうんだもん。これはぜひ鑑賞したいと思っていたのだ。そのバンドの2nd Liveが今日だったのだ。
 なんと表現したらいいのかな。やっぱり楽しいというのが一番だよね。全員が音楽教室の講師だけに、上手い下手は言うに及ばず。音楽講師というから『クラッシックやってる堅い人たち』って勝手なイメージがあったんだけど、あっさり崩れるこのLive。まさに楽しいという表現が最適なのだ。
 しっとり聴かせる曲あり、寸劇あり、ピアノの連弾リレーありと、そのサービス精神と技を見せ付けられた。観ているぼくも楽しいが、やってる本人たちがもっと楽しんでいるみたいで。そりゃ面白くなるわな。
 楽器ができたり歌が上手く歌えるっていいなぁ。音楽の楽しみ方がすごく広がるんだろうなぁ。アレンジとかしてLiveやって・・・。うらやましいなぁ。さすが音楽講師たち、音楽の楽しさと可能性を観せて、引きずり込もうとしているな・・・。いや、本人たちが楽しんでるだけか。でも、その姿を見ることで、「ぼくもやりたい」と思う人が増えれば、裾野も広がるもんね。
 音を楽しむことっていいなぁって思える素敵なLiveでした。


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五十嵐貴久「2005年のロケットボーイズ」を読む(09.4.29)

 五十嵐貴久の青春もの第二弾。今回は工業高校を舞台に、ひと夏を、いやそれ以上をキューブサット製作に費やした高校生たちの物語。
 前にもどこかで書いたけど、この歳になると青春だの友情だのに弱くなる。成功も挫折も葛藤も決裂も、全てにおいて涙してしまうくらいなのだ。前作『1985年の奇跡』はまさに同年代の物語でその背景にシンパシーを感じた。今回は理系の物語だ。主人公は期せずして工業高校に入学してしまった文系少年。そこにシンパシーを感じてしまった。ぼくも英語ができないがために理系へと進んでしまった文学少年だからなのだ。時代が違うけど、根っこの部分はおんなじなんだよね。
 五十嵐青春シリーズって、熱血少年の物語じゃなく、斜に構えたやつらがいつの間にか熱くなっていくところがいいんだよね。ホント、昔のぼく(今でもか)みたいなやつらばかり。だから、彼らが変わっていく姿はうれしくもあり、くやしくもあり。また道のりが遠いんだよな。そのたびに涙するぼく。たとえ先が見えなくっても、その時々がつらくても、振り返ると面白かったって言えるって素敵だよなぁ。
 今気づいたんだけど、『1985年の奇跡』の登場人物の悩みや行動と、今作のそれとは明らかに違う。ちゃんと時代に則した若者がそこに描かれていた。いまさら気づくのもなんだけど、すげーなぁ。
 理系の青春物語。これまでになかった着眼点。涙と共感と笑いのとまらない作品だった。でもおいしいところは・・・。


エスニック
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「バーン・アフター・リーディング」を観る(09.4.27)

 去年、監督賞はさておきまさかアカデミー賞作品賞を受賞するとは思わなかったコーエン兄弟。このままアカデミー監督としての作風を目指してしまうのか・・・と半信半疑で観た受賞後第一作は、これまでのコーエン兄弟が息を吹き返したかのような、毒のあるユーモアがいっぱいの作品だった。うれしいぞ。これぞコーエン兄弟のコーエン兄弟たるゆえんかな。
 メディアでも話題となったけど、ブラピのお馬鹿ぶりのみならず、ジョージ・クルーニーもジョン・マルコヴィッチも、見事なまでにお馬鹿なのだ。その愛らしいことといったらこの上なし。お馬鹿なオトコと賢い(?)オンナの対比が絶妙に面白いし、お馬鹿な男たちがいとしく思えてくる。女性ファンが観たら幻滅してしまうかもしれないけれど、ぼくの目にはブラピもジョージ・クルーニーも相当株が上がったぞ。
 CIAを解雇されたオズボーン・コックスを軸に、妻の不倫相手とデータCDを入手したジム職員がごちゃごちゃに絡まって、事態は思わぬ方向へ。その先々にブラックなやりとりが溢れてて。コーエン兄弟はホント、オトナのコメディを撮らせたらピカイチだね。ハチャメチャなドタバタコメディにも、第三者の冷静な視線を加えることで、悪ふざけにならずに済ませている。お洒落な演出。
 内容は・・・たいしてない。構えずに笑っちゃっうのがコーエン兄弟作品の正しい見方だね。
 アカデミー賞受賞監督という期待をいい意味で裏切りまくってくれるコーエン兄弟。ハリウッドスターもついついお馬鹿してしまうそのスタイルに、虜になってますわ。


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山下達郎「Performance 2008-2009」を観る(09.4.25)

 ぼくにとって、一度はLiveをナマで観ておきたいアーティストの一人が山下達郎。熱狂的なファンというわけでもないんだけど、振り返るとぼくのいろんなシーンで「聴いてた、達郎」っていってしまうもん。それに、ぼくの今の考えというか生き方に影響を与えた曲のうちの一曲が彼の曲。ここ数年、Liveから遠ざかっていただけに、今観ておかなければもう観れないかもしれない・・・なんて思いながらも会場へ。
 ステージには紛れもない山下達郎が立っていた。日曜日にラジオで聞くあの語りが、毒性を多めに含んで展開される。いやいや、圧倒的な歌声。すっげー。60歳に手が届きそうな男の声じゃないって。そして演奏。達郎もさることながら、バックも渾身のプレーの連発。カッコいい。楽しい。
 今日のLiveはなんちゃって千秋楽。当初はツアーの千秋楽の予定だったのが、追加公演がこの後3本入って千秋楽じゃなくなったんだとか。それだからということもあるんだろうか、メンバーみんな気合が入っているみたいで。
 あ〜っ、だめだ。今日の感動が伝わる文章じゃない。いや、別に伝えようとしているわけでもないんだけれど、でも自分で納得いってない。
 山下達郎からは「残り3公演に来場予定の方のためにも、ネタバレには十分なご配慮を」との言葉をいただいていたので慎重に書いてたけど、ぼくの感想にとどまる程度で書いちゃおう。
 これからLiveを観に行かれる方はご注意を・・・。まぁ、そんなに読者のいるHPでもないからそんなに心配はないだろうけど。

 山下達郎のすべてのアルバムを聴き込んでいるわけではないから、マニアックな選曲をされると乗り切れない部分もあるのかな・・・なんて心配していた。それでも達郎のナマ歌が聴けるだけで十分な幸せなんだけど。ところがどうだ、そんなことはまったくの杞憂。「人は昔のヒット曲を懐メロと呼ぶけれど、パッションを持って歌えば懐メロにはならない」との本人の言葉どおり、数々の名曲が情熱を注入されて特別な演奏になっていく。
 もう春だからあれはないよな・・・と思っていた名曲のイントロが流れたときは、首筋から頭皮にかけて鳥肌が立っていくのがわかった。これ名曲を聴いたときに出るぼく独自の反応なんだ。別にあらかじめこの曲って決めているわけではないんだけど、自然と出てくる反応で。思い入れとか強いとそうなるのかなぁ。過去のクリスマスが走馬灯のように巡ってくる。
 続けて演奏された『蒼氓』は、前述したぼくにとっての大切な一曲。口ずさんでいた。歌の中に挿入されたボブ・ディラン(『風に吹かれて』)や岡林信康(『友よ』これは後で教えてもらった)の歌詞も曲にはまり、胸の内側を突いてくる。そして佐橋佳幸のギターソロ。激しく心が揺さぶられる。CDで聴いて感動したこの曲が、CDだけでもあんなに影響を与えてくれたこの曲が、ナマだと一層大きな波となって心に響いてくる。頭皮の震えは治まらず、目じりには涙がたまっていた。今思い出すだけでも涙腺が緩む。
 さらに追い討ちをかけるようにバラードの名曲が(あえて曲名は伏せておくけど、わかるか)。これが前半のヤマ。前半だけでこんな大山。どうなっちまうんだ?これから。
 後半はノリの良い曲で攻める。PARTYの始まりさ。平均年齢の高い(ぼくはきっと若い方)オーディエンスも、遅れてはならぬとばかりに立ち上がる。さっき揺さぶられた心が、今度はリズムに乗って揺れている。もちろん名曲・ヒット曲もしっかり入ってて、この楽しい時間に乗り遅れるなよって感じで。
 アンコールは達郎自身の想いも込められた演奏もあったり、オマージュもあったり、その昔を思い出したり。そうだよね、なんたって今は賑やかな土曜日の夜なんだもん。
 結構配慮したつもりなんで大丈夫だよね、きっとこれで。
 どうしてもこの感動を書き残したかった。すごくいいLiveだった。観に来てよかった。田舎の大学で島崎藤村の『破戒』や谷崎潤一郎の『田舎教師』に自分を重ねていた不毛な頃に聴いた『蒼氓』。きっと今日の演奏は一生忘れないと思う。


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TEAM NACS第13回公演「下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム」を観る(09.4.22)


 北海道の演劇シーンを引っ張っている5人組、TEAM NACS。大泉洋人気が先行していたけど、今やメンバーみんなが東京進出し、テレビでもよく観るようになった。そうなるとチケットがますます入手困難になってきて・・・。
 さてと。今回はこれまで脚本・演出を努めてきたリーダー森崎に替わり、大泉洋が脚本・演出を努めるという。大泉脚本は『鈴井の巣ドラバラ』で観た程度だけど、久世作品を髣髴とさせるようなホームコメディはほんわかと笑えた。だから、今作『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム』はタイトルを聞いただけでニンマリしてしまった。
 さて、ここからはぜひ観劇後お読みください。


 面白かった。間違いない。すべての登場人物を5人で演じるというNACSの特性を生かしてのすれ違いコメディ。幕開けはちょっと反則だけど、単純明快なキャラ設定と始まりの「まいっちんぐ」なんかは昭和のよき時代のコメディの香りがして、笑いっぱなし。父の十年祭(神道では法事のことを祭と言うらしい)で久々に集まった4兄弟が繰り広げるドタバタ。そこに20年前に家を出たきりだった次男が帰ってきて、ドタバタに拍車がかかる。面白い。笑いっぱなし。それは寅さんやハナ肇のバカシリーズへ向うのか・・・。
 と思いきや、展開が大きく変わっていく。兄弟それぞれが持つ葛藤と絆。訳あって離れた兄弟達の再生を描く一晩の物語。そう、気づけばシリアスな展開になっているのだ。いや、書き方が違うな。無理くりシリアスな展開に持ち込むのだ。ちょっとゴリ押しだよ。何かを訴えかけるというのはNACSの持ち味だけど、前半と後半のギャップはちょっと重いというか、胃にもたれるというか。よくあるお芝居に流れてしまって。大泉作品なんだから、緊迫の時間帯をあんまり長くしないで、要所は笑いながらの絆の再生を目指して欲しかったなぁ。昭和のよき時代のコメディでいいじゃない。それだとNACSファンは納得しないのかなぁ。せめて最後はもうひとオチで、笑いながら締めてくれれば。
 でも、トータルするとやっぱり面白かった。次は前半部の楽しさを押し通す物語っていうのをぜひお願いしたい。


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森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」を読む(09.4.20)

 そうだ、京都へ行こう。京都だったら恋に奥手なぼくにも、神様のご都合主義によりオモチロイことがいっぱい待っているに違いない。黒髪の少女に想いを馳せ、偽電気ブランで飲み較べをし、古本市を彷徨い火鍋をつつき、学祭で高みを目指し、風邪で寝込むこともできるかもしれない。もしかしたらホルモーを争っているかも・・・。
 京都という街がなせる技だろうなぁ。3階建ての電車が先斗町を走るのも、浮遊術を心得た輩が闊歩するのも、怪しげな集団がひしめき合うのも、京都の伝統と妖しさがなせる技なんだ。
 この物語は二人の書き手により語られる。二人は追っ手であり、追われる身なんだけど、追われる方は追われていることにすら気づかない、妙な逃走劇なのだ、恋想う方と想われる方、でも想われる方はその存在に微塵も気づいていない恋愛小説なのだ。このもどかしさ。追い手はいつターゲットを捉えることができるのか?埋め続けた外堀を闊歩する日は来るのだろうか?
 人の恋路を眺めるのはかくも楽しきことなのか。でも、我が身に置き換えると心に隙間風が吹いたくらいにして。だから京都へ行こう。京都なら、京都なら・・・。
 森見登美彦著『四畳半神話大系』と絶妙のリンクをなす本作。樋口氏と羽貫さんのサポートで、一緒に京都を冒険してみませんか?
 オモチロイ一冊です。


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万城目学「鴨川ホルモー」を読む(09.4.10)

 ちょっとタラレバの話から。浪人のとき、京都産業大学を受験した。京都まで受けに行ったわけでなく、札幌でも入試が行われていたから。当時笑福亭鶴瓶を慕っていたぼくとしては、彼の母校で落研に入るのに憧れていた。残念ながら夢はあっさり破れたんだけど、もし受かっていたら・・・。もしかしたら京産大玄武組の一員として、黒い浴衣を羽織っていたかもしれない。なんか夢があるよなぁ。
 古都、伝統、ライバルたち。京都という街にはホルモーなる謎の競技を競う条件がすべて揃っている。そして2年に一度選ばれし40名の若者たち。うらやましい。いまひとつパッとしない地方大学で、なんの張り合いもないままに4年を過ごしてしまったぼくにとっては、この小説に描かれていることのすべてが羨望に値するものなのだ。
 でも、もっともうらやましく思うのは、謎の競技・ホルモーが実に面白そうだからなのだ。常人の目には見えないオニを操って繰り広げられる戦乱絵巻。自分も武将気分で鬼を操ってみたい。智力を、統率力を試してみたい。たとえその先に大きな辱めが待ち受けていようとも。
 要するに、架空の競技であるホルモーが実に面白く表現されており、魅力的なのだ。もちろんホルモーは青春ストーリーの添え物的存在のはずなんだけど、ホルモーを通すことによって登場人物のキャラクターもより強調される。巧いなぁ。
 主人公・安倍の思考が手に取るようにわかる。あの独りよがりの恋愛思考、まるでぼく自身の姿を読んでいるようだ。決定的な違いがひとつあるんだけどさ。
 続編というか、スピンオフ的な次作が既に刊行されているそうだ。早く文庫化してちょうだいな。そしてぜひ副読本を出して欲しい。作中で競われた鴨川ホルモーの一戦一戦(衣笠ホルモー、京都府立植物園ホルモー、糺の森ホルモー、三十三間堂ホルモー、吉田ホルモーなど)を、立会人となったスガ氏や龍大フェニックス立花会長の解説による検証を記した本を。その時々の陣形や動きを示す図解で。面白いと思うんだよな。
 なんか長く書いてしまったけど、とどのつまりは「青春っていいなぁ、仲間っていいなぁ、信じるっていいなぁ」ってところです。めっちゃ面白かった。映画も見に行っちゃおうかなぁ。


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「20世紀少年−第2章−」を観る(09.4.8)

 第1章を観てから全巻読み直した。「そうそう、そうだった・・・おや?」なんて新たな発見もあったりして。予習バッチリで第2章へ突入だ!
 第2章は血の大晦日から15年後の東京・新宿。不法地帯と化した通りの一角に、最後の希望が息づいていた。遠藤カンナ。彼女の元に集結する『テロリスト』と呼ばれたケンヂ一派。ともだちとの闘いが再び・・・。
 いやぁ、面白かった。全巻読み直した後だっただけに、「おっ、ここはそうやってショートカットか」「ここでこんなことしたっけ?」と原作との差異がはっきりわかったけど、それはそれで害になっていない。むしろ映画の尺にあわせるためではあるが、スマートに観せる事ができている。それ以上に、なにげに読んでしまったモンちゃんの執念、モンちゃんとサダキヨのくだり、サダキヨの葛藤がじっくり描かれていて、すごく胸に染みた。その他でも人間のつながりに重点が置かれた演出に、こみ上げてくるものがいっぱいだった。巧いっ!
 それにしても役者陣が似てるんだよ、漫画のキャラクターに。よくぞここまで集めました・・・いや、みんな名の通った役者だけにマンガがアテガキ?って疑っちゃうくらい。
 ひとつくらいはケチをつけとこうかな。日テレのアナウンサーの老け顔メイクは必要?っていうか、そこまでして名の通った日テレアナウンサー使わなくたって・・・。それでありながら徳さんはノーメイクなんだし。それくらいかな。
 最終章は夏公開か・・・。もう一度読み直しちゃおうかな、マンガ。う〜ん、楽しみ。


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宮川大輔×ケンドーコバヤシ トークライブ「あんぎゃー」を観る(09.4.5)

 北海道で公演される演劇の情報って、結構地方局のHPで入手することができる。東京のお芝居を北海道で上演するとなると、TV局の協賛が不可欠みたいなのだ。確かにいろんなものが海を渡るには、それなりの原資が必要だから。んで、北海道文化放送のHPをチェックしていたら、大輔とケンコバのトークライブを見つけてしまった。
 この二人、今一番面白い芸人といってもいいのではないでしょうか。さすがにネタを見る機会は皆無に近いけど、『人志松本のすべらない話』他バラエティで聞く彼らの話の実に面白いこと。メインでもひな壇でもその場に応じた話ができる。その対応力と反射神経の早さには脱帽で。そんな二人をナマで観れる。もちろんナマだから聞ける話もあるでしょう。
 それがすごく面白かった。打合せも下準備もそこそこで、出たとこ勝負のトーク。おそらくは普段の会話と変わらないのかもしれない。それが故にグダグダのところもあったりするけれど、そこがまた面白いのはなんだろう。スープ地獄から始まり、ダム転落に至るまで、仲のよい二人だからの呼吸と、容赦ないツッコミ。『すべらない話』で聞いたことのある話ですら、ナマで聞くと面白さ倍増で。一度聞いた話なのに・・・。
 『あんぎゃー』は二人が全国各地を回ってみたいという希望で実現した企画だそうで、今回の札幌が記念すべき第一回目。なんら告知や宣伝はなかったはずなのに、チケットは完売の大盛況。観客のほとんどが若い女性だから驚き。下ネタの帝王・ケンコバに黄色い声援が飛ぶ。着の身着のままのトークライブだからか、チケット料金はお安い2,800円。
 今度はオトコ限定、下ネタ大炸裂ってのでど〜でしょうか?


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あさのあつこ「The MANZAI 5」を読む(09.4.5)

 あさのあつこ2連発なのだ。意識したわけではないのだが、本屋に行ったら『The MANZAI』の最新刊があるんだもん。見ちゃうと読みたくなっちゃうじゃない。とても好きなシリーズなんだもん、おあずけ状態ではいられない。
 面白いヤツが一番エライ。この言葉、とても好きなのだ。主人公・歩を漫才の道に誘い込む秋本と同じようなことを、昔ぼくも考えていた。ぼくの場合、さほど賢くもなく、ルックスも今ひとつ、運動神経も良い方ではなかったので、活路を開くとしたらこれしかなかったのだが。ツービートやB&Bを輩出した漫才ブームが始まる前のことだけどね。
 今回は中学最後の年越し。失恋の痛み、進学への悩み、中学三年生が普通に抱えるあれこれが、百八つの煩悩とともに除夜の鐘により浄化されることはあるのだろうか?いやいや、そんなことじゃなく。
 歩って本人も気づいていたけど、とても幸せな子だと思う。それはつらい過去もあっただろうけど、心から分かり合おうとしてくれる仲間がいるんだもん。そのことに気が付いているあたり、歩は相当にできた子なのだ。普通は時が過ぎてから気づくんだから。
 今回は短い時間のお話なんだけど、ターニングポイントとなる部分だと思う。本音で話し合える仲間がいることを大切に思えるようになった歩が、前向きになっていく。
 次は漫才甲子園へのチャレンジなのかな?ごちゃごちゃ言わんと、誰が一番面白いんか決めればええねん。by前田日明風。
 ロミジュリの今後に目が離せません。


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が〜まるちょば サイレントコメディ JAPAN TOUR 2009を観る(09.3.28)

 パントマイムで物語を紡ぐ。ナレーターも活動弁士もいない舞台、しかもたった二人で。あらゆる感情が動きだけで伝わる。すげ〜2人組、が〜まるちょば。その舞台は超絶といった感じだった。
 パントマイムってパーツではよく観るけど、STORYとして意識したことはなかったので、これほどまでに感動するとは思わなかった。面白いのはもちろんだけど、心が揺さぶられちゃって。完全に持っていかれちゃった。
 休憩を挟んだ二部構成。前半は5つのショートプログラムを並べて、客をあおり暖める。『が〜まるSHOW』はほんと序章。彼らの代名詞ともいえるトランクを中心に、客をいじり場を盛り上げる。客は傍観者であってはならない。彼らのSHOWの一部であり、登場人物なのだから。笑いどころ満載、怒涛の攻めであごが痛い。『やかん』では擬人化により日用品の哀愁が表現される。『催眠術師』はアメリカのコメディを観ているよう。『白い男』はハンナ&バーバラの短編アニメみたいだ。『THE TARAI』はバラエティそのもの。これらタイプの異なる主題をもちろん言葉なしでみせてくれる。なんだこりゃ?状態なんだけど、めちゃくちゃ面白い。
 そして休憩後に演じられた『街の灯』。チャップリンの名作をアレンジしたが〜まるちょば版。これがすごい。言葉がなくても想いは伝わる。動きのひとつひとつに感情がこもっていて。それでいてもちろん笑いもいっぱい。なんじゃこりゃ・・・。
 彼らが日本のみならず世界で高い評価を受けているのがよ〜くわかった。言葉じゃないんだ。言葉がなくても伝わるだ。笑いも、涙も、感動も。こんな気持ち、野村萬斎の狂言を観たとき以来かな。
 この二人、今後も観続けたいと思いました。でも、チケット獲りづらいんだろうなぁ・・・


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ユニコーンツアー2009 蘇る勤労を観る(09.3.26)

 ユニコーンが復活。復活を期待していたバンドのなかでもぼくにとっては1・2を争うバンドだっただけに、嬉しさもひとしおなので。そんな彼らの復活は、ありがちなシングル1曲作ってあとはヒットソングオンパレードではない。ニューアルバムを引っさげて、今の彼らの音を携えての復活なのだ。休んでいた16年間に彼らがすごしてきた時間が、感じてきた想いが詰まった音で、待ちわびたぼくらに応えてくれる。嬉しいではないか。
 16年の歳月は彼らの持つ緩急にさらにアクセントがつき、緩緩急緩といった感じ。これがまた絶妙で。それでいてグダグダMCを入れながらも飽きさせないのは、技と言わずになんと呼ぼうか。
 彼らとともに客も16年の歳月を過ごしているわけで、それを見越した進行であったり、MCであったり。解散前のユニコーンを期待していた人には違う思いも合ったかもしれないけれど、彼らが今を詰め込んだニューアルバム主体のライブは、ぼくにはとても心地良かった。解散前のユニコーンのまんまだったら、おじさんにはついていけないよ。
 とか言いながらも、やっぱり往年の名曲が流れるとそれはそれではっちゃけるわけで。演奏曲名はあまり書かないけれど(これから観に行く人のために)、どの曲も興奮させられる。
 で、まとめると16年の歳月の集大成は・・・阿部BのMCに集約されているということで。
 3時間ほどのライブ、気持ちよかった〜!


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あさのあつこ「ラスト・イニング」を読む(09.3.24)

 エロい小説で桃色に満たされた心を緩和するためには、清々しいほどの青春が必要なんです。中学生から高校生になる、オトナの階段上る少年たちの真っ直ぐな心が。
 あの伝説の試合、新田東中vs横手二中。その後の少年達を、横手二中のクールガイ・瑞垣目線で描いていく。
 瑞垣目線だからだろうか、すごく大人びた文章になっている。人の心を見透かしたような物言いの瑞垣。誰にも心の奥を見せようとせず、斜に構えることで自分を維持しようとする瑞垣。門脇の、巧の、豪の真っ直ぐ差をうらやましく思いながらも、素直になれない瑞垣。ちょっとシンパシー感じちゃうんです、ぼく。あそこまで賢くもないけれど。
 先に書いたけど、ホントにオトナの文章なんだ。感情を表す言葉や比喩が、10代半ばでは到底浮かばないような言葉ばかり。四十過ぎのぼくでも思いつかない。もはや児童小説の域をとっ越え過ぎていて。ガキの頃そんなに難しいこと考えていたかなぁ。いろいろと考えてはいたけれど、難しい言葉ではなく、もっと単純な気持ちで考えてたよなぁ。その単純さが逆に言葉にはできないものなんだろうけど。
 面白かったけどそこんところがちょっと・・・かな。
 えっ?試合の結果?それは読んで確かめてよ。


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斎藤誠 ツアー・ザ・ネブラスカ"25"を観る(09.3.21)

 斎藤誠のナマ歌を聴くのは、実に24年ぶり。彼がサポートにつくライブはよく観ていたので、ギタープレイは定期的に聴いていたんだけど、彼の歌もいいんです。あまり知られてはいないんだけど。
 今回のツアーは弾き語り。彼が一人でステージに立ち、ギター一本で歌い聴かせてくれるアコースティックライブ。デビュー25年、50歳を迎えた彼のいぶし銀な演奏を、小さなライブハウスで骨の髄まで感じられる。なんと贅沢なひとときなんだろうか。
 懐かしい曲、新しい曲を歌い上げる中に、ブレイク的にザ・フーやスタンドバイミーなど往年の名曲を挿入したり。いろいろの織り交ぜ方がまた憎い。流れるように移行して、客を自然とあおってくれる。音楽好きならではの巧みさ。自らを音楽バカと名乗るだけあり、最高です。マーティン社推薦アーティストの称号はダテじゃない。ぼくもあんなふうにギターを操れたらなぁ・・・。
 心に染み入る歌声に、ちょっぴり涙目にもなったりして。特に本編最後の『DIRTY THIRTY MAN.』。詳しくはToday's Songに書きますが、彼の歩んだ25年の影響を、ぼくもしっかり受けていたんだなぁ。
 とにもかくにも心温まる、いろんなことを思い出しながらも、歌声とギターテクを堪能したライブでした。
 そうそう、会場に客として小倉博和が・・・。ぼくの真横にいたんだ。札幌の小さなライブハウスに、ぼくが憧れる2大ギタリストが揃うなんて。


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サタミシュウ「私の奴隷になりなさい」を読む(09.3.1)

 はいっ、今回ご紹介するのはオトナの小説です。
 まずは何故これを読む気になったのかといいますと。やっぱり表紙です。大沢佑香、かわいいです。お気に入りのAV女優です。次に解説。リリー・フランキーです。官能小説の解説に人気作家です。一体どんな小説だい?そして作者サタミシュウ。実はとある有名直木賞作家のペンネーム。あの人がこんな小説を書くのか・・・って感じで。まぁ、なにを書いても言い訳なんですがね。
 移動時間とかしか小説を読まないぼくにとっては、かなり照れくさかったかな。だって、朝の地下鉄でこれ読んでるんだぜ。これでは中年エロ親父まっしぐらではないか。いかんいかん。
 面白かったけどつらかった。蜘蛛の巣に引っかかっていくというか、蟻地獄にはまっていくというか。そんなオトコの哀愁が漂っていて。もちろんエロい部分もしっかりとエロく、朝から読む本じゃないよなぁ・・・って感じもあったり。
 その昔、まだうら若き高校生だった頃、都筑道夫が別名で書いた小説『猫の目が変わるように』にハラハラドキドキしていた自分を思い出すかな・・・なんて思ってた。でも、あの頃のうぶさをもはや持ち合わせていないんだろうなぁ。
 この小説、とりあえず三部作だそうで、三冊一気に購入してしまったんだけど、どうも続けて読む気にはなれないなぁ。なんかホントにムッツリエロ親父になってしまいそうで。ってことで、次読む小説は清々しい青春ものにしようかしら。


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海堂尊「ジェネラル・ルージュの凱旋(上)(下)」を読む(09.1.31)

 面白い。そうとしか言いようがない。田口・白鳥コンビの第3弾。桜宮サーガとしては4作目になる本作は、ミステリー性よりも生き様を描いた快作なのだ。
 自宅では小説を読まないことを信条としているぼくが、上巻を定食屋で読み終え、どうしても続きが読みたくなって、帰宅後一晩で下巻を読み終えたほど。とにかく面白い。
 話は『ナイチンゲールの沈黙』とほぼ同時進行に進む。歌姫が担ぎこまれ、オレンジ新棟がパニックに陥ったあの時に、もうひとつの物語が展開されていたなんて。その発想から驚きなのだ。田口が委員長を勤めるリスクマネジメント委員会に届けられた告発文。田口と同期の救急救命センター部長・速水の収賄疑惑。同じく同期の島津、もはや名コンビの域の白鳥を援軍に、田口センセーの大岡裁き開演なのだ。
 とにかく速水の男気がこの物語のすべてだと思う。桜宮の救命救急にすべてを賭け、ドクターヘリ導入を心から望む孤高の医師。人呼んで「血まみれ将軍=ジェネラル・ルージュ」。患者に対し真摯であり続ける彼こそ、男前の医師と呼ぶにふさわしい。そんな彼と採算しか頭にない事務屋や本分を忘れた医者との対決は圧巻の一言。田口・白鳥コンビも色褪せてしまうほど。カッコいい。
 『ナイチンゲールの沈黙』のアナザーストーリーということもあり、同じキャストが別角度から描かれて大活躍。海堂尊のキャラの使いこなしの上手さが際立っている。『螺鈿迷宮』が実像初登場かと思っていた白鳥の部下・姫宮も、実は本作が真の初登場。ちなみに本作は『螺鈿迷宮』より数ヶ月前の設定となっており、『螺鈿迷宮』への布石もバッチリ。
 そんなキャラ使いの海堂尊、ニックネームのつけ方が上手いよなぁ。今回のタイトルともなっている速水の呼称ジェネラル・ルージュは、血まみれ将軍とも赤字将軍とも訳される上、さらに・・・。主人公・田口医師のグッチーは田口のグチ、愚痴外来のグチの他に、ブランド品読み間違いエピソードも含まれている。白鳥のロジカル・モンスターは聞いただけで言動が目に浮かぶ。白鳥の火喰い鳥、姫宮の氷姫、猫田師長の眠り猫、花房師長のハヤブサなど、名は体を表す的なところでキャラつくりしていて面白い。今回最大の敵役、エシックス・コミティ率いる沼田委員長をもじって、章タイトルに「泥沼エシックス」なんて名前をつけるあたり、上手く遊んでいるよなぁ。
 話は本編に戻りまして。桜宮サーガで一環として描かれている医療問題の提起は今回もオートプシー・イメージング(死亡時画像病理診断)やドクターヘリ、経営問題で継続されており、ぼくらの医療に対する知識の拡大につながっている。速水や島津の言葉で代弁されている海堂尊の声は、現実問題に則しているだけに、ストレートに伝わるなぁ。それだけに速水の最後の告白はぼくの中では・・・あっ、ネタバレにつながるのでこの件に関しては書けません。
 さて、『ジェネラル・ルージュの凱旋』は近日映画が公開されるそうで。『チーム・バチスタの栄光』で体型こそ違うけど白鳥=阿部寛は合っていると書いた(田口は・・・)。その気持ちは変わっていないけど、今回速水を演じるのが堺雅人と聞いて、そりゃ違うぞと。それなら速水は断然阿部寛じゃないか。
 ってことで、ぼくが選ぶキャストを書いてみました。
配 役 映画版 岡本選 短  評
田口公平 竹内結子 市川亀治郎 ちょっと若いかな?でも合ってそう。
白鳥圭輔 阿部寛 古田新太 阿部寛、合っているけど体型的には。
速水晃一 堺雅人 阿部寛 威風堂々でなくちゃ。堤真一もいいかな。
如月翔子 貫地谷しほり 柴咲コウ 勝気でてきぱきとくればね。
花房美和 羽田美智子 小泉今日子 KYON2でラストシーンを観てみたい。
猫田麻里   堀内敬子 あの温和な感じ、昼寝が似合いそうで。
小林聡美もいいかも・・・。
浜田小夜   蒼井優 滲み出る優しさ。子供にも好かれそう。
島津吾朗   トータス松本 ちょっと意表をついてみて。
佐藤伸一   堺雅人 堺雅人はこっちです。
姫宮   平岩紙 上野樹里だとのだめになっちゃうか。
森野弥生   菅野美穂 優しい先輩。麻生久美子もいいなぁ。。
久保圭子   木村佳乃 きつい役も上手くこなして。
沼田泰三   生瀬勝久 嫌味な敵役に味を加えてくれることでしょう。
三船   手塚トオル あの独特な味で経理屋をこねくりまわして。
権堂昌子   光浦靖子 まんま・・・かな?
兵藤勉   設楽統・大泉洋 こちらもまんま・・・かな?
黒崎誠一郎 平泉成 小日向文世 タイガー&ドラゴンの師匠のような感じで。
藤原真琴 野際陽子 宮本信子 野際陽子ハマってるけど、対抗として。
高階権太 国村隼 西田敏行 だって狸なんだもん。


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海堂尊「螺鈿迷宮(上)(下)」を読む(09.1.20)

 つい先日『ナイチンゲールの沈黙』を読んだばかりだと思ってたのに、今度は角川から『螺鈿迷宮』が文庫化されるとは。今回の舞台は桜宮病院。『ナイチンゲールの沈黙』に登場したオレンジ新棟のディーバ・浜田小夜が育てられた病院だ。これぞ桜宮サーガ。今回は田口医師は登場しないけど、白鳥は健在。そしてこれまでも名前だけは出てきた白鳥の部下・氷姫こと姫宮が、満を持しての登場だ。
 何から書き始めようか。とにかく『チーム・バチスタの栄光』から始まった、海堂尊の東城大学医学部を中心とした桜宮サーガ。読み物としての面白さを保ちながら、現代医学の問題点を提唱し続けるクオリティの高さには脱帽。後者だけならみな煙たがるだろうけど、物語に織り込むことにより、オートプシー・イメージング(死亡時画像病理診断)なんて専門用語がとても身近なものになっている。ぼくら本読みにとってはもう、当然の知識となったのではないか。そこにいたる手法こそが桜宮サーがであり、田口、白鳥、姫宮、高階といったおなじみの面々の登場なんだろう。しかも、上手いこと出し惜しみしながらも、連鎖させて。一度はまればとことんのめり込んじゃうよ。
 それでいて、今回は新たに天馬大吉という新たなキャラも登場した。別宮葉子という相棒とともに(コチラは名前だけ既に登場しているが)。架空の都市である桜宮市がものすごい連鎖でつながっていく。そこにあるべき医療とは。人の生とは。人の死とは。深いよ。
 他にも桜宮病院を経営する一族それぞれの魅力のあること。既に『ナイチンゲールの沈黙』でもその名は登場していたけど(そこらへんが書き手として巧みだよなぁ)、巖男先生や華緒、すみれ、小百合が実際に動く姿は、それぞれのキャラが立っていて実に面白い。すみれさん、ぼくもあなたに惚れちゃいそうです。ぼくも「腰抜けのろくでなし」なんだけど。
 天馬と葉子は今後どのように桜宮サーガに関わっていくのだろうか。メインキャラの活躍は?桜宮サーガにモリアーティは誕生したのか?もう先が楽しみでたまらない。
 そんなこと思っていたら、本屋には『ジェネラル・ルージュの凱旋』が文庫化されて並んでいるではないか。もう、このまま一気に読んじゃいまする。
 最後に。『ジェネラル・ルージュの凱旋』も映画化されるそうで。映画版やドラマのキャストはぼくのイメージと大きく異なるので、観ないようにしているんだけど、『螺鈿迷宮』を映像化するならば、ぜひともすみれ役は深津絵里でお願いしたいものだ。すみれつながりでもあるし。


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「ワールド・オブ・ライズ」を観る(09.1.17)

 ウソがこの世を動かしている。ウソを武器にテロリストと戦うCIA捜査官の戦いの物語。いつだって悲しいほど誰もが誰か、騙し騙されて生きるのさ。それで本当に保たれている平和ならば、ウソは最高級の防衛システムって事になる。ウソも方便とはよく言ったもので。
 もう、なにがウソでなにがホントだかわからなくなる。味方とて信じちゃおらんと言わんがばかりに。いやいや、見さかえないと言うかなんと言うか。ウソのひとつひとつが好事をもたらしもするし、苦境に導きもする。それが面白いんだな。
 テロと最前線で闘っている人たちにとっては面白いなんていうのは失礼なのかもしれない。でも、これほどまでに身体を張った頭脳ゲームはそうそうないんだろうなぁ。負ければ即、命と関わってしまうし。教訓としては「郷に入っては郷に従え」って所でしょうか。「事件は会議室で起こっているんじゃない」って感じで。
 ちょっと目を背けたくなるシーンもあったけど、スリリングな展開は見逃せません。
 テロの脅威を知らない日本人は平和ボケと言われたりもするけれど、命かけてまでウソなんてつきたくないし、やっぱり平和が一番だよなぁ。ウソは女の子を口説くときくらいにしてさ。


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「WALL・E」を観る(09.1.12)

 観ちゃいました、PIXARの新作『WALL・E』を。『ショートサーキット』のNo.5の面影残るウォーリー。なんか製作者に意図があったのかなぁ。ぼく的にはNo.5が帰ってきてくれたみたいでうれしくてならないんだけどさ。PIXAR作品かつ、No.5好きには外せない映画なんだよね、『WALL・E』って。
 この映画が面白いであろうことは、観る前から百も承知というか、保障されているというか。で、やっぱり面白かったんだから、改めてPIXARのすごさがわかったということで。もう、ウォーリーの愛らしいことったらありゃしない。誰もいない地球で黙々とごみを片付けるウォーリー、イヴに会って戸惑うウォーリー、献身的なウォーリー、がんばるウォーリー・・・すべてのウォーリーを抱きしめたくなってしまう。決して「俺についてこい」ではないんだけれど、優しく見守り、時には勇敢に立ち向かう姿なんて、男前じゃないですか。必ずしも誰からも愛されるタイプじゃないだろうけど、勝ち気(っぽく見える)イヴとは合うんだろうなぁ。「まるでぼくみたい・・・」なんてことはまるでないか。
 今回観たのは吹き替え版。というか、札幌での上映は殆どが吹き替え版。本場の声が聞けないのかよ、お子さま向けかよなどと思っていたけど、もともとアニメなんだもん、字幕にこだわる必要もなく、しかも多くがロボットなんだもん、吹き替えの方が観やすかった。正解。あと、細かいところが日本用に修正されていたりして、観やすかったりもして。吹き替えに対する先入観が消えたぞ。草刈正雄もいい味出してたし。
 なにはともあれ、夢と希望のあふれる素敵な映画だった。純粋無垢な純愛モノはもう人間では描けないのかも?「助かるのは結局金持ち?」って疑念が残ったりもするけれど(金のない人は汚染された地球で息絶えたの?)、そこはハリウッド映画ということで目をつぶってさ。
 もしこの映画が実写化されたら、ぼくにも出演のチャンスがあるかなぁ。乗客の一人として。ハリウッドデビュー目指して肥えておこうかな。


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ヒキタクニオ「遠くて浅い海」を読む(09.1.3)

 すっかり楽しみになってしまった『消し屋シリーズ』。『ヒ消し屋A』では幸三と名乗っていた消し屋が、今回は将司と名を変えての登場なのだ。消し屋は命のみならず、対象人物の生きている形跡までも消してみせたり、一定の時間だけ消してみせたり。ただ殺せばいいってものじゃない。用意周到な準備をし、不自然さをなくして事にかかる。そんな消し屋は自分の存在自体を社会から消しているのだ。
 そんなプロフェッショナルな将司に今回きた依頼は、天才を自殺させること。そんじょそこらの天才じゃない。金にも将来にも困っていない、超ド級の天才を自殺に追い込まなければならないのだ。どうする?将司。
 天才とプロフェッショナルの戦いは、沖縄の海を前にして繰り広げられる。沖縄の歴史と、島民の苦闘を知る海の前で、勝つのはどちらか?
 新しいタイプのダーク・ヒーロー将司。同性愛者の彼のプライベートパートナー・蘭子も今回は随所に登場し、物語のひとつの核となっている。
 それにしてもこのシリーズ、もったいないって思っちゃうんだよね。だって、物語がいくつも重なっていて、それぞれが単独でも面白い。一冊にまとめられるのでお得感満載なんだけど、書き手として「出しすぎた〜」って後悔しないのかなって。あのエピソードだけで一冊かけるじゃんって。
 とにかく、将司がどうやって天才を追い詰めるのか?はたまた、天才が将司の存在を命ごと消してしまうのか?遠くて浅い海を前にし、二人が命を張った賭けの行方は、見逃せないのであります。


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「K-20 怪人二十面相・伝」を観る(09.1.2)

 今年一発目は人気小説の映画化、『K-20 怪人二十面相・伝』なのです。正直、松たか子目当てなんだけど、さにあらず。面白い作品に仕上がっているではないか。
 明智小五郎vs怪人二十面相。子供の頃に読んで、ものすごくワクワクさせられた対決に、いままた新たな展開が見られるだなんて・・・。ニヤリ。
 華族制度が継続されているという設定の1949年の日本。懐かしくも新しそうな近未来ニッポンって、なんかハマるよね。VFXになりやすいっていうのか、琴線に触れるというのか。『CASSHERN』なんかもそうだったよなぁ。タイプライター式のキーボードなんてありそうで懐かしくて、ニヤリ。葉子操るヘリコの形なんかもニヤリ。
 ニヤリついでにちょっとつっぱしっちゃうけど、松つん演じる令嬢・羽柴葉子の漢字が”葉子”なのに思いっきりニヤリ。個人的な感情なんだろうけど、お嬢様で勝気なヨウコは葉子でなければダメなのよ。これは『あしたのジョー』の白木葉子のイメージが頭にあるからなんだろうけど、松つんがまた葉子って感じでニヤリ。「ちょっと暑いわ」なんて言って・・・ニヤリ。
 金城武演じる主人公・平吉の理解者である源治(國村隼)。平吉のためにツールを開発し、物語にも大きく関与するその姿は、『007シリーズ』の科学者Qのようでニヤリ。
 その他いろいろ、ニヤリがいっぱい詰まった映画になってるんだ。まさにニヤリの宝庫。
 物語の核心については、映画PRのためにバラエティ番組に出演していた主要キャストがネタばらし直結の発言をしたのを聞いてしまったので・・・残念。まぁ、わかっていても十分楽しめたんだけどね。
 懐かしSFエンターテインメント。この分野でも邦画もここまできたんだなぁ。年明け一発目、大満足です。松つんを筆頭に。


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