artな戯れ言2010


このページではartな戯れ言を集めて掲載しています。




「トロン:レガシー」を観る(10.12.29)

 お正月映画、結構観たいのがたくさんあって、休みの間にすべてを消化するのは無理かな・・・って感じ。そんななか、トップバッターで見に行った『トロン:レガシー』。一番の理由は時間がちょうどよかったなんだけど、もちろん期待も十分で。
 3D映画になるべくして作られた設定。Story自体は人間の創造物による人間への反抗なのでとてもベタ。でも、ゲームの要素がふんだんに取り込まれ、3Dの質感と融合することで、引き込まれてしまう。正直、語りや会話の部分では睡魔に引き寄せられたけど、ゲームが始まると目が冴えるというか。
 ようは映像なのだ。軌跡の残像が障壁となるバトルは、観ていてわくわくする。娯楽映画のひとつの形として、3D映像が確立できたって感じ。300円多く払ってもいいという意味を含めて。
 ってことで、物語性には多くを期待しないで観に行ってください。できれば目がすっきりしているときに。
 ゲーセンで3Dゲーム機ができたら、劇中のトロンゲームは流行すると思うよ。


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「イッセー尾形のこれからの生活2010 in冬の札幌」を観る(10.12.26)

 年に2回のイッセー尾形。毎回新作を持ってきてくれるので、新鮮味いっぱい。また、あのキャラが・・・ってのもあって、毎回見ていて楽しいなぁ。
 今回の見所は、今まで以上の幅の広さです。そこまでやるか、イッセー尾形。
 では、軽く演目紹介。
『ツンデレ女子中学生』
 まさか、イッセーが女子中学生です。しかも真面目ツンデレ不思議ちゃん。告白に来たカズキに真意を確かめる姿は、乙女の恥じらいと恋への戸惑いが見てとれます。
『ビートルズのお店へようこそ』
 ビートルズのコピーバンドが売りのスナック。ビートルズマニアたちの罵声に、バンドの面々は今夜も耐えられるのか?
『三越リニューアル』
 娘・愛子の帽子を買うために、リニューアルした銀座三越にきた主婦。大混雑の中、無事帽子を買うことができるのか?
『バイキング会場』
 ホテルの朝食バイキング会場でマナーを説く教授。これって、清本さんだよね。人の振り見て我が振りなおせといくのでしょうか?そして面接は?
『全国の名所のコピーを作ろう』
 広告代理店社長シリーズ弟3弾。毎度思うのだが、ホントにこれで経営が成り立っているのだろうか。ひねり出されるコピーの数々。苦笑いが笑いの素。笑いの二重構造です。
『里帰り』
 田舎のじいちゃんが久しぶりに帰ってきた息子夫婦と孫に見せる愛情。しみじみと伝わってくる。愛ゆえの無茶がいとおしいんだな。ちょっぴり田舎の親父を思い出してしまった・・・といってもうちの実家は車で5分なんだけどさ。
『天草五郎物語D』
 えっ?Cは札幌でやってないよ・・・ぷんぷん。物語もそろそろまとめに入らなきゃならないと、試行錯誤するイッセーが面白くもあり、痛々しくもあり。どうする?どうなる?来年に続く。
『ひとみちゃんのショータイム』
 あら、ひとみちゃんまた夜の世界に戻ったの。しかも港町。ひとみちゃんがウクレレで奏でるシャンソンは、荒くれものの漁師たちの心に染み入ったことでしょう。ホントか?メリークリスマス!

 こうなると『天草五郎シリーズ』が無事完結するかが心配で。あと、Cは観てないので、完結の暁にはぜひシリーズを通してDVD化してください。


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戸梶圭太「誘拐の誤差」を読む(10.12.24)

 久々に戸梶圭太を読んだ。『闇の楽園』がとてつもなく面白く、一時期読み漁っていたけど、彼のテーマとも言える「安い人たち」に引きずられるように、文体が乱れたんだよね。安い人を描くのはありだけど、文体まで安くなるのは読んでいてつらかった。それでしばらく離れてた。
 『誘拐の誤差』は書店に平積みされ、書店員推薦のポップが飾られていた。これはという期待を胸に、買って詠んだ。するとどうだ、「安い」が進化しているではないか。登場人物のほとんどが安い人って。ところが、死んだ小学生が俯瞰して物語を語ることで、文体の乱れが悪ふざけにならないですんでいる。むしろ稚拙な語り口が涙をも誘う。やったな。
 追う方もバカなら追われる方もバカ。追われるバカは追われていることすら自覚していないほど。果てることのないバカの連鎖と、決して交わることなく積み重なっていくバカの誤差。これが日本の現状なのかもしれない。近年の検挙率の低下の根本がここにあるのかもしれない。
 その割りに本部長の最後の言葉には胸が熱くなります。
 決してすべての人に薦められる本ではないと思う。でも、現代を読み解く見方のひとつがここにあるのかもしれない。そんな感覚で軽く読んでみては。


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「裁判長!ここは懲役4年でどうすか」を観る(10.12.12)

 裁判員裁判制度が施行され、検挙される以外は縁がないであろうと思ってた裁判所が少し身近になったのかもしれない。ぼくは日刊スポーツに連載されている阿蘇山大噴火(大川興行所属の芸人さん)のコラムが好きなので、一度傍聴したいとは思ってたけど、当たりハズレがありそうだし・・・なんて思ってたりして。
 設楽統演じるライターは映画脚本執筆のため、法廷の傍聴取材をすることに。最初は勝手がわからず戸惑うも、傍聴マニアと知り合い、傍聴にはまっていく様は、ぼくらが傍聴をするときのガイドになることだろう。
 この映画の魅力はなんといっても法廷で繰り広げられる様々な裁判のエピソード。ドラマに登場するような法廷ではなく、「なんでそうなる?」ってツッコミたくなるような案件の数々。それぞれの法廷にはそれぞれの人生がかかっているのだろうけど、首を傾げたくなるようなことも多数。そこがうまく笑いにつながって、ひきつけられていく。
 それだけで十分コメディ映画なんだろうけど、「他人の人生を高みの見物」するだけで満足していないところがこの映画のツボ。裁判とは何ぞや。当事者だけが関わるものなのか?傍聴席からできることはないのか?
 ホント面白かった。腹を抱えて大笑いはないものの、終始噴き出してしまう。設楽の呟きがツボに入る。そして、情熱にちょっとホロリとさせられる。これはお薦めです。


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万城目学「ホルモー六景」を読む(10.12.10)

 待ちに待った『鴨川ホルモー』のスピンオフ文庫化。京都を舞台にオニを使って繰り広げられる謎の競技「ホルモー」と、それを取り巻く人間模様にすっかり魅了されてしまったぼくとしては、このスピンオフの存在を知ってから、何度単行本購入を堪えたことか。ホルモーは京都大学青竜会だけにあらず。他の3大学+αにもホルモーを取り巻く物語があるのだ。
 スピンオフゆえに、『鴨川ホルモー』を読んでないと厳しいかもしれないけれど、読んだものとしては楽しくてしょうがない。全6編の短編は『鴨川ホルモー』の時と場所に直にリンクするもの、そうでないもの、恋愛、友情などなど色とりどりなれど、どれもが「ホルモー」でつながっている。
 どれもがぼくの中にまだかすかに残っているピュアな心をくすぐってくれる。中でも、立場(見方)により印象って大きく変わることと、北の大地にもホルモーの可能性を感じさせる『同志社大学黄竜陣』と『丸の内サミット』がワクワクもの。札幌の大通公園や中島公園、円山公園を舞台にしたホルモーも繰り広げられているのでは?って期待しちゃう。でも、北に北海道大学、南に北海道教育大学札幌分校(昔は南にあった)か北海学園大学、東に北星学園大学、西に札幌医科大学で、我が室蘭工業大学に付け入る隙はないか。札幌じゃないし。チッ。
 あぁ・・・、京都を旅したいなぁ。


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西田俊也「少女A」を読む(10.11.29)

 本番に弱い性格からか、志望高校の受験にことごとく失敗した主人公・ナオ。浪人するくらいならと、遊び半分で受験し合格した女子校に入学するという、男子生徒なら誰もが夢見るような物語。下心満載でスケベ道を突っ走るナオに、自分では果たすことのできなかったあれやこれやを託すような気分なのだ。男子禁制の花園を、そこで体験するあんなことやこんなことを、克明に報告してくれと。
 ところが、頭の弱いぼくなんかが期待する永井豪的ワールドの香りがするのは初めだけ。そこから先はリアルな女子校が描かれている。いや、女子校を知らないぼくにはなにがリアルでなにがフィクションなのか、判別できないんだけど。永井豪的ワールドでないものがきっとリアルに違いない。
 ナオが直面するリアル(であろうもの)に、ナオとともに狼狽していく。主人公と読み手が見事にシンクロするのだ。見栄や嫉妬が描かれるたびにうんざりし、自主クラブにワクワクする。作者に完全に弄ばれてるね。
 でもなぁ・・・。やっぱりぼくは永井豪的ワールドの方が好きだ。あっけらかんとスケベ道に浸っていたいからね。お子様だからさ。


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「ウルトラマン アート展」を観る(10.11.27)

 そうなんだよ。『スター・ウォーズ アート展』があるんだもん、それよりも十数年早く日本中を熱狂させたSF作品ウルトラシリーズのアート展があって当然だよね。もちろんぼくも熱中した子供の一人。オトナになってその舞台裏に触れることができるなんて、史上の喜び。
 ウルトラマンやセブン、毎週登場しては倒されていく怪獣たちのデザインや模型、マスクやらがわんさか展示されている。さすがにすべての怪獣の名前や特徴を言えるほどの記憶力はないが、どれを見ても「あっ、こいつ」ってつぶやいてしまう。なにより驚いたのは、ウルトラマンの後頭部がまっ平だったこと。もっと丸みがあると思ってた。
 ウルトラマンの第一話に登場した怪獣ベムラー、当初は正義の味方・主人公として企画が進んでいたとか。ヒーローが一転、最初の悪役に。なんか哀しいよね。そんなプロット設定や、ウルトラマンやセブンの構想の過程が見られて大満足。親にねだって買ってもらった覚えのあるソフビや、近年発売された食玩の展示もあり、ウルトラマンの世界にどっぷり浸かれた。
 個人的に一番ヒットしたのは、ハヤタ隊員役の黒部進氏のサインの入ったスプーン。脚注はなかったけど、これって取り違え事件のときのカレースプーンだよね・・・。
 本展示の手前には写真撮影可能コーナーがあったので、写真をちょっと紹介します。

バルタン星人、ウルトラマン、ウルトラセブン

ジェットビートル、ウルトラホーク1号、3号

メトロン星人の佇まい。畳とちゃぶ台がお似合いで

マグマの突起具合がいいよね

ビラ星人、浮遊感がいいねぇ
 童心に戻ったかのような高揚感と、オトナの目で見る造形の緻密さへの感嘆。同時に味わうことのできる最高の空間だった。北海道(旭川)での開催は残すところ明日の1日のみ。北海道の皆さん、明日は冬の嵐らしいけど、チャンスを逃さないように。


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「SP 野望編」を観る(10.11.16)

 このところTVドラマの映画化にはヘキヘキするところがあったんだけど、『SP』だけは待ち遠しくてならなかった。なにせTVドラマのころからドラマの域を超えた作品だと思ってたから。それが映画となって大きいスクリーンで見ることができる。それはとても待ち遠しいことなのだ。
 のっけからアクション炸裂。CGによる爆破シーンの迫力と、生身の岡田准一が飛び跳ね走るアクション押しでスピード感抜群。一気に引き込まれる。
 それ以上にグッときたのは、映像の質感。フィルムの落ち着きが映画のトーンにピッタリ。特に青がいい色で表現されていて、SPたちのネクタイや夜の色合いを絶妙に引き出している。それを見るだけで「映画(フィルム)にしてよかった」って思えてしまう。
 ドラマのエピソードをインサートしながら、ちょっとづつ謎解きもし、次につなげる。映画は2部作なので、前編にあたる今作はブツ切りで終わられたらどうしようかと思ったけど、ちゃんと今作だけでも楽しめる終わりになっている。もちろん最終章へのツナギはきちんと盛り込まれているけど。
 ってことで、早く最終章『革命編』が観たくてたまらない。井上は尾形たちの目論見を阻止することはできるのか?
 そうそう、最後にひとつ注文を。エンドロールで流れるV6の歌う主題歌は、作品にあってないよなぁ。ドラマの頃ならまだしも、映画では。
 それ以外は文句なく面白いので、映像の質感を味わいながら観てください。


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天野純希「桃山ビート・トライブ」を読む(10.11.13)

 時は文禄、太閤・秀吉が日本統一を成し遂げ、朝鮮に兵を出した戦国時代。それぞれ素性の異なる4人の男女が一座を組み、誰も聴いたことのない猿楽で名を上げていく物語。要は戦国版『バンドやろうぜ!』なのだ。
 どこまでも響く三味線、澄んだ笛、彼方の大地のビートを刻む鼓。それらが生み出すグルーヴにのって弾ける踊り。舞台に立って演じることを生きがいとし、誰かの縛りを嫌う彼らこそ、かの時代のロックと言っても過言ではないだろう。そんな彼らが出会い、成り上がっていく前半部は、まさしく『バンドやろうぜ!』なのだ。だから時代小説の形をした、青春群像そのものなのだ。
 ゆえに文章中に現代の文化用語がいくつも使われる。時代小説として読むと違和感を覚えるそれらの言葉も、この物語ではすんなり飲み込める。ウエスタンラリアット(いまや死語になりつつもあるが)がしっくりくるのだ。
 ただ、バンド結成でとどまらないのが物語の面白いところ。一座は政権争いに巻き込まれ、その中でもひたすら演じることを望み、大きなムーブメントを生み出していく。その時々の感情のあるがままに。彼らが起こすムーブメントについては、読んで確認してください。
「このテがあったか」
 見事に意表をついた秀作。天下人の傲慢をあざけ笑い、形骸化し富に走る既存の芸を蔑み、わが道を行かんとする一座の成長を読んでみてください。


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有川 浩「クジラの彼」を読む(10.11.8)

 作者曰く、「国防ラブコメ」。自衛隊員の恋愛事情を綴った作品集。まったく、そこに目をつけたかって、感服してしまう。
 有川浩を読むきっかけは、自衛隊三部作(『塩の街』『空の中』『海の底』)。最初は作者が女性だなんて想像もしなかった。でも、緊迫した状況の中に垣間見るふれあいとか感情の表現が繊細だって思ってたんだよね。そこをぎゅっと詰め込んだのがこの『クジラの彼』なのだ。
 『空の中』や『海の底』のアナザーストーリーやその後が読めたり、新たなシチュエーションがあったり。個人的には札幌・真駒内駐屯地が舞台の「国防レンアイ」がお気に入り。なんか伸下=三池と『塩の街』に登場する野坂夫妻をダブらせたりして。
 どの話も一般人には理解しがたいシチュエーションだったりもするけど、微笑ましく感じてしまう。これまで自衛官というと萎縮してしまうイメージがあったけど、これを読むと「この、この〜」って脇腹つついてあげたくなるような。
 一服の清涼剤のような一冊でした。


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森見登美彦「有頂天家族」を読む(10.11.3)

 もう、ずるいとしか言いようがない。森見登美彦に京都の物語を書かせたら、抜群に面白いね。京都の持つ歴史や魑魅魍魎、摩訶不思議が現代に息づき、突飛な楽しい物語に仕上がっている。
 なんったって、主人公が狸の家族。そこに天狗と人間が絡み合い、説明に困る森見ワールドが繰り広げられる。説明に困るけど、読んで楽しいのが森見ワールドなんだよね。
 偉大なる父の才能の1/4を引き継いだ主人公・矢三郎。根っからの師である天狗・赤玉先生の世話を焼き、師の想い人・弁天に振り回され、犬猿の仲の叔父一家と抗争を繰り広げ、狸の天敵・金曜倶楽部に目配せをする。そんなこんなでオモシロ主義をモットーに京都を駆け回る矢三郎を、時には仲たがいしながらも、雷神様が来ると一致団結する家族が支えるのだ。
 ここでなにを書いたって、この奇天烈な物語を言い表せられないのだから、あとは読んでくれとしか言いようがない。「なしてこんな楽しい物語が書けるの?」と作者に聞いたとしたら、きっと「これも阿呆の血のしからしむるところだ」との返事がくるに違いない。
 とにかく森見ワールドなんで、あちこちに作者の別の作品に通じるネタが見え隠れ。それがまたニンマリポイントだったりして。
 あぁ、京都に行ってみたいものだ。偽電気ブランを飲みながら、「面白きことは良きことなり!」とつぶやきたいものだ。


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「REDLINE」を観る(10.10.30)

 待ちに待ったとでも言いましょうか。石井克人ファンのぼくとしては、彼の作品にインサートされるアニメが大好きで。もっと長く観たい、もっとたくさん観たいって常日頃思ってただけに、今回の長編作品公開はうれしくってたまらない。
 そんな待ち望んだ作品のテイストが、いかにもぼく好みでこれまたうれし。主人公はウルトラ純情野郎・JP。四輪からエアカーに変わろうとする時代で四輪にこだわり、レースの最高峰・REDLINE優勝を目指すのだ。JPが走り続ける理由がまたいいんだな。世慣れた女性には鼻で笑われちゃうかもしれないけど。
 そんなJPが突っ走るレースは、邪魔も攻撃もなんでもあり。『マッハGoGo』や『チキチキマシーン猛レース』を思い出しちゃう。そのうえ、あちこちオマージュがあふれていて、ニンマリしっぱなし。JPが操るトランザム20000。それだけでホホホだもん。
 なんか勝手に自分とリンクしちゃうんだよね。AT車が蔓延している昨今の中、MT車を新車で購入するウルトラ純情野郎のぼく。レース中のヒール&トゥなんて頬が緩みっぱなしで、足元が動いたもん。さすがに珍クンでやりはしないけど。急加速時の慣性の法則なんて、「そうそうまさにそんな感じ」。
 スピード、アクション、友情、ほのかな恋心・・・。ぼくの好きなものがすべて詰まった、日本発の手書きアニメ。さすが同世代の石井克人、ツボが一緒なんだね。
 アラフォー男性は涙モノですぞ。


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海堂 尊「アリアドネの弾丸」を読む(10.10.26)

 桜宮サーガの最新刊。埼玉在住の友人のご厚意で読んでしまった。全国各地、過去未来に広がりつつある桜宮サーガ。でもやっぱり東城大病院における田口・白鳥コンビが桜宮サーガの王道だよね。桜宮サーガの本公演って感じ。全国各地、過去未来に散らばったパーツが、そこかしこに顔を出していて、読んでてニンマリ。
 今回はいよいよ設立されたエーアイセンターのセンター長に田口が就任するところから始まる。エーアイセンターは医療と司法の駆け引きの場と化し、東城大病院はもちろん桜宮市をも揺るがしかねない事件が発生する。容疑者は高階病院長。この危機に立ち向かうのはお馴染み田口・白鳥コンビなのだ。
 ミステリーとしては刑事コロンボみたいな、トリックを明かしていくタイプ。犯人はわかっている。あとは仕組まれた完全押し付け犯罪の証明だけ。その証明法がいかにも桜宮サーガ、いや、火喰い鳥・白鳥なのだ。ロジックの構築・破壊と最新技術の駆使。桜宮サーガの火喰い鳥でしかできない証明で敵を叩く様は、読んでいて痛快そのもの。彦根も同じ芸当はできるだろうけど、軽妙さまでは真似できないだろうから。彦根がやると痛快ではなくドンヨリしそうかな。とにかく火喰い鳥がスーパーになりすぎて、火の鳥に昇華しそうな勢いでさ。
 それにしても、そこまでやるのか…司法って牙城を守るために。昨今の冤罪や検察の不祥事を見ると、ホントなの?って恐ろしくもなっちゃうよね。
 前述の通り、散らばった桜宮サーガのパーツが集約された最新刊。そしていよいよ桜宮サーガのモリアーティが動き出す。桜宮サーガの分岐点になる一作だ。
 ひとっ跳びで最新刊を読んでしまったので、未読の『極北クレーマー』や『マドンナ・ヴェルデ』がぼくの中でサーガの穴になってしまって。早く穴埋めしなくっちゃ。基本、単行本は読まない主義なので、早く文庫化してください。
 ネタバレしないよう言葉を選んだら、とても抽象的な感想になっちゃったけど、面白いこと間違いなしです。


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海堂 尊「ジェネラル・ルージュの伝説【文庫版】」を読む(10.10.22)

 まったく、やられたよ。『ブレイズメス1990』を読了し、その勢いで『アリアドネの弾丸』へなだれ込もうと思っていたのに・・・。巻末の著者作品宣伝に書かれていた言葉に愕然とした。『ジェネラル・ルージュの伝説【文庫版】』には新たに書き下ろした短編が2本収録されているという。それは『ジェネラル・ルージュの凱旋』と同時進行となる『疾風-2006-』と、速水が去った後のオレンジ新棟を描いた『残照-2007-』。どちらも最新刊『アリアドネの弾丸』の前に位置する作品だ。これらを読まずして最新刊を読むと、読み取れない事象があるかもしれない。ならば『ジェネラル・ルージュの伝説【文庫版】』を読むしかないではないか。
 ってことで、『疾風-2006-』と『残照-2007-』を読んだのだ。
 三船事務長目線で『ジェネラル・ルージュの凱旋』を描いた『疾風-2006-』は、敵対していた医療現場方と事務方が束の間ながらも分かり合えた時間を描いている。速水が去った後の『残照-2007-』は、救命に対する世間の評価を客観的に見せかけて描いている。分かり合えた時間があるだけに、その後はちょっと残酷にも読めてしまうのだが。
 あくまで医療の現状に対するジャブといったところか。佐藤ちゃん(副部長)の言葉が重いのだ。でも、きっとその言葉は桜宮サーガの中でいつか大きく反響すると思う。
 ってことで、『アリアドネの弾丸』に突入です。


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シネマ歌舞伎「大江戸りびんぐでっど」を観る(10.10.21)

 歌舞伎座のさよなら公演を宮藤官九郎が作・演出する。マジかよ、ありかよ。初めて聞いたときはそんな言葉しか出てこなかった。でも、歌舞伎って今でこそ伝統芸能だけど、江戸時代は大衆芸能の先端だったんだから、現代の先端を行くクドカンを許容する幅はもちろんあるわけで。それを拒むものがあるとしたら、歌舞伎役者か歌舞伎ファンなわけで。
 そんなこと考えてたら、チケットも取れず、観ることも叶わなかった。そんな公演が、シネマ歌舞伎として札幌の映画館でも観ることができるなんて。うれしいです。
 正直に言ってしまうとハチャメチャです。クドカンは相変わらずクドカンなんだけど、役者陣が乗り遅れることなくついてきた・・・というか先を越えたというか。それがゆえにクドカンと歌舞伎が融合し、面白い歌舞伎になっていた。
 江戸にクサヤによりゾンビが増殖し、派遣業務をこなすというとんでもない設定。それを仕切る半助の葛藤と、ゾンビたちの悲喜こもごもの物語。笑えるけどきっちり人情も盛り込まれている。破天荒でありながらも、歌舞伎のツボは押さえた意欲作となっている。
 それにしても、名だたる人気歌舞伎役者達が「そんなチョイ役でいいの?」って感じで出演する。そしてゾンビになったりする。歌舞伎界が古典の熟成とともに、新たな挑戦を待ち望んでいるかのよう。
 歌舞伎座のさよなら公演は、次世代の歌舞伎の予告編となったのかもしれない。


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海堂 尊「ブレイズメス1990」を読む(10.10.20)

 『ブラックペアン1988』から2年。当時研修医だった世良の登場する物語がついに読めた。桜宮サーガの主軸を成す田口・白鳥コンビの作品には登場することのない世良。『ジェネラル・ルージュの伝説』ではちょこっと出るだけにとどまり、後にうまくいきそうだった花房看護士を後輩の速水に取られてしまう世良。一体世良になにがあったのか、気になってしかたなかった。それが明らかになる・・・か?
 1990年。日本がまだバブルに沸き立ち、ぼくが社会人となって上京した年。確かに好景気はいつまでも続くと思っていた。しかし、15年後に現実化する医療危機を予知し、回避しようとする動きがあった。
 国際学会出席のためニースに訪れた東城大病院の世良。彼は佐伯病院長から天才外科医・天城を連れ帰るよう密命を受けていた。佐伯病院長よりスリジエ・ハートセンター設立を託された天城と、反発する東城大病院医局員たち。天城は彼にしかできない医療法ダイレクト・アナストモーシスを引っさげ、桜宮市から新しい医療の形を提示することができるのか?お守り役となる世良の行く先は?
 この作品には『チーム・バチスタの栄光』の原点が詰まっている。ここからか・・・って驚きと感慨がここあそこに溢れている。でも、ぼくらは15年後の桜宮市を知っている。1年後の桜宮市も『ジェネラル・ルージュの伝説』により知っている。そこにあるもの、そこにいる人。ダイレクト・アナストモーシスではなく、バチスタであること。それを知っていて読み進めると、『ブレイズメス1990』はせつない物語に思えてくる。天城の活躍がまばゆいほど、公開手術の輝きがまぶしいほど。
 ネタバレになるかもしれないけど、残念ながら答えは出ない。『ブレイズメス1990』から『ジェネラル・ルージュの伝説』の間に語られるべき物語がもうひとつ。そして、『ジェネラル・ルージュの伝説』後の物語も。早く答えを知りたい。桜宮サーガの断片を早く埋めたい。いやもう・・・焦らすんだから。
 ってことで、『ブレイズメス1990』を読んで身悶えてみませんか?


エスニック
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東京セレソンデラックス「くちづけ」を観る(10.10.17)

 グッバイ・マイ・ラブ この街角で
 グッバイ・マイ・ラブ 歩いてゆきましょう
 あなたは右に 私は左に
 ふりむいたら負けよ

 ぼくらは口では福祉だボランティアだと言いながら、直視しようとしない社会が存在する。『非正規レジスタンス 池袋ウェストゲートパーク[』のマコトの言葉を借りると、「この世界の見えない存在」といったところ。意識しているのかどうか、係わりを避けているような・・・。でも、一番ピュアな存在なのは、この芝居に登場する彼らなのかもしれない。
 埼玉県の知的障害者が暮らすグループホーム「ひまわり荘」。おしゃべりのうーやん、頼朝くん、島ちんに新しい仲間・マコが加わる。マコの父は30年前にヒット作を描いた漫画家で、「ひまわり荘」に住み込みのボランティアとしてともに暮らすこととなる。
 芝居は幼稚園児レベルの彼らの言動と周囲の包容力で、明るくかつ楽しく進んでいく。でも、彼らを取り巻く環境の厳しさが、時として明るさを揺さぶる。あってはならないことだって思っていながらも、積極的に係わろうとしない。その存在すらなかったことにしてしまうような偏見と距離感。
 様々な理由で別れていくホームの仲間たちの中で、結婚を誓ったうーやんとマコの行く末は・・・。
 涙が止まらなかった。大いに笑いもしたけれど、涙があふれて止まらなかった。あまりにもせつないSTORYに、なにもできない自分の不甲斐なさに。打算と妥協を覚え、言い訳ばかりの自分が、その隙間を縫って生きているような自分が恥ずかしく思えた。
 これまで数多くの舞台を観てきたけど、こんな気持ちになって泣いたのは初めて。軽々しく感動したなんて言えないけど、心を打たれたことは間違いのない舞台。テーマやジャンルが違うので一概には言えないのかもしれないけど、とても素晴らしい舞台。ぼくのBEST3に入る舞台だった。
 このステージが千秋楽。テーマ曲『グッド・バイ・マイ・ラブ』の生演奏があり、出演陣もグランドフィナーレとして大いに盛り上がった。なので、ここで絶賛しても、もうナマで観ることはできません。でも、21日の夜にWOWOWで放送されるので、観れる環境の人にはぜひとも見て欲しいと思う。
 宅間孝行率いる東京セレソンデラックス。その噂からいつかは観たいと思い続けて願いが叶った公演は、ぼくの心に深く深く刻み込まれた最高の舞台だった。
 これからは『グッド・バイ・マイ・ラブ』を聴くと、こみ上げてきそうだよ。

 忘れないわ あなたの声
 やさしい仕草 手のぬくもり
 忘れないわ くちづけのとき
 そうよあなたの あなたの名前

 ⇒4日後に観たWOWOWの劇場中継鑑賞後の感想はこちら


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石田衣良「非正規レジスタンス 池袋ウェストゲートパーク[」を読む(10.10.13)

 真島誠衝撃のデビューから8作目。20代も半ばを過ぎた池袋のトラブルシューターは、今日も池袋を駆けずり回っている。
 シングルマザー、ボランティアの清掃員、定年を過ぎた刑事、日雇い派遣。今の社会を象徴するキーワードが、池袋発で日本の現状を教えてくれる。マコトはただ目の前の問題を解決しているかに見えて、実は日本の問題点を定義し問いかけている。
 池袋にいるのに、気づかれない存在。埋もれているのか、目を背けられているのか。そんな人たちの発するSOSをキャッチしたとき、マコトが走り出す。
 タカシやサル、おふくろなど、マコトの周りを固める面々も健在なれど、今回はマコトと依頼者の物語に徹しているような感じがした。あっ、おふくろの存在感は抜群だったけどね。
 マコトの精神的成長が物語に深みを与える。その分、マコトが対峙する敵の存在も大きくなっていくんだけど、マコトにしかできないことを無償でし続けるマコトの姿は、とても清々しく、とても大きく見えるのだ。
 これからも成長し続けていくマコトを、中年になってでもマコトを読み続けたいっておもうんだな、これが。


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ゲキ×シネ「蛮幽鬼」を観る(10.10.10)

 お芝居をカメラに収め、映画館で上映するゲキ×シネ。ただの舞台中継とは違い、圧倒的な台数で効果的な映像を撮影し、編集するので、臨場感に加えて舞台の幅・奥行きから役者の表情まですべてがわかる。新しい演劇の見方だ。
 今回の『蛮幽鬼』、とにかく役者陣のUPが多いんだけど、主役・上川隆也の顔にとにかく大粒の汗。いつも汗だく。それを見るたびに取り直しナシの一発勝負長回しなんだって再確認。
 もちろん、映像のすごさは、この物語の脚本と演出のすごさがあっての産物。遠い昔の架空のお話なんだけど、『巌窟王』をモチーフにしているだけあって重厚な創りの骨太作品になっている。遠い異国の地で仲間に裏切られ、幽閉のみとなった男・土門が十一年の歳月を経て祖国に戻り、自分を裏切った者に復讐するという物語。でもそこは劇団☆新感線。上川隆也に重い芝居を与えながらも、きっちり笑いをふんだんに散りばめている。その筆頭が堺雅人演じるサジ(と名乗る男)。堺雅人の代名詞とも言える笑顔を前面に押し出したキャラ設定で、シリアスをも笑いに、笑いをもシリアスに変えてしまう。それはもう変幻自在。うまいことやりよる。土門に協力し、復讐の先鞭をつける謎の男・サジが、土門を食っちゃうくらい。山内圭哉演じる浮名の軽妙さ(関西弁がまたいいのよ)も勢いがあったなぁ。
 そんで、骨太の物語はうねりもきっちり合って、復讐の矛先をどこに持っていくべきか悩み葛藤する土門の姿も楽しめたりで、ホント面白い。3時間(休憩あり)があっという間なんだ。
 とにかく面白かった。札幌での上映は惜しくも15日までと残りわずかだけど、ぜひとも上川隆也の汗と、堺雅人の笑顔を観に行って欲しい。


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OOPARTS「CUT」を観る(10.10.9)

 それは12年の歳月なのか・・・。
 大泉洋をはじめとするTEAM NACSの所属事務所社長で、『水曜どうでしょう』ではミスターとして人気を博する鈴井貴之が、久々にホームグラウンドである演劇シーンに戻ってきた。
 正直、ぼくは札幌を離れていた期間が長いため、彼が演劇界で活躍していた頃を知らない。彼がどんな舞台を創ってきたのかを。でも、話題性と豪華キャストに胸膨らませて観に行った。
 開演前、出演者がなにげに会場を通り過ぎ、会場内で掛け合い芝居が始まる。かなり引っ張りすぎのきらいはあったものの、つかみはよかった。そこまでは。
 10年前に単館封切り一週間で打ち切られた映画をリバイバルする。そこに集まる製作者、スタッフ、キャスト、スポンサー等々。それぞれの思惑で方向性が大きくぶれていく。
 久しぶりに旧世代の難解な(を装った)芝居を観た。反語の掛け合い、無駄なシンクロ。2時間の芝居がとてつもなく長く感じられた。豪華なセットが舞台の奥行きと広がりを邪魔し、花道に頼りる。ライブハウスのPAが役者の持つ声の力を均等にし、声の出所をわからなくする。これが十数年ぶりに演劇シーンに戻ってやりたかったことなのだとしたら、なんとも残念な結果であろうか。
 もっとストレートでいいじゃない。出オチみたいな小ネタなんかいらないじゃない。やることなすことが裏目に出ているようで。
 幕後の挨拶でも登場人物の一人のキャラ(たいして面白くない)を装って話す鈴井氏にはドン引きした。
 豪華出演陣は納得して演じているのかな?
 ひさびさに「金返せ!」と言いたくなる舞台だった。


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あさのあつこ「The MANZAIE」を読む(10.10.8)

 お笑いを志す少年と、巻き込まれていく少年。二人の中学生を描いたシリーズも今回が最終巻。高校の合格発表から物語は始まる。
 家庭の事情で都会から田舎に転校してきた内気な少年・歩が、秋本に引きずられながらも心を開き、仲間を作っていく物語。毎回「嫌だ」って言いながらも漫才コンビ・ロミジュリを続け、少しづつ大人になっていく歩の姿を読むのは、なんか我が子の成長を見守るようで。
 なので、今回の出だしの歩に大きな違和感が。はっちゃけてるんだけど逆行してもいて、どうしちゃったの?でも、読み進めていくうちに、これは『The MANZAI』シリーズの集大成なんだ。たった2日の物語なんだけど、歩の成長が凝縮されている。
 歩にとっての秋本、歩にとっての仲間たち。中学生という短い期間を笑い、悩み、楽しんだ彼らの、とりあえずの終わり、もしかしたら次への始まり。そんな一冊です。


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「ミックマック」を観る(10.10.4)

 好きなんだよね、ジャン=ピエール・ジュネ監督の世界観。おもわず顔がほころんでしまう小ネタが満載で、心がホッコリするの。『アメリ』を観てその感性に共感したのだ。
 そして今作。父を地雷で失い、自分も頭に弾丸を撃ち込まれたことにより、なにもかもを失った男・バジルが、地雷と弾丸それぞれの製造会社に復讐をするという物語。ホームレス仲間の特技を存分に生かしたその復讐劇は、復讐というよりはイタズラのようで。バジルと仲間達の復讐劇は成功するのだろうか・・・。
 もう、ホントわくわくする。鼻で笑っちゃうようなかわいらしい作戦の数々。監督の遊び心が満載で。それが成功するたびに強まる結束。アウトローたちが本領を発揮し、輝いていく。もうニンマリ。
 もちろんバジルの心情だって、かわいい演出でいっぱい。オーケストラ、炎、難問・・・。「わかる、わかる」ってうなずいちゃうのはぼくだけでしょうか?
 こんなかわいい復讐劇(でもやることはしっかりやっている)、観なきゃもったいない。復讐劇で心が潤うなんて、滅多にありませんぞ。


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「悪人」を観る(10.10.1)

 ふかっちゃんの淫らな姿を見たくない・・・
 深津絵里好きのぼくとしては、そんな理由で『悪人』を観るのを躊躇していた。なんてちっちゃい男なんだ、ぼくは。
 観終わったとき、つくづく恥ずかしくなった。もちろんふかっちゃんの濡れ場には嫉妬したけど、この作品の奥の深さの前ではその嫉妬心すら一時の心の揺れ程度に過ぎなかった。そんだけ心に響く映画だった。
 自分という存在を、誰かにちゃんと見て欲しい。そう思う気持ち、よくわかる。たとえ田舎の閉鎖社会でなく、そこそこの都会に住んでたって同じだもん。社会の役割としての存在に過ぎないとしたら、哀しいじゃない。誰かにとっての大切な存在になりたいと思うし、大切な誰かを見守っていたいと思う。ぼくも祐一や光代、佳乃と一緒なんだ。出会いサイトを利用する勇気もないチキンだけどさ。
 それだけに、佳乃の父の言葉は胸に突き刺さった。
 誰もが悪人になりうるし、誰もが悪人の心を持っている。殺した男、殺された女、一緒に逃げる女、置き去りにした男、殺された女の父、殺した男の祖母と母・・・。みんな紙一重のところで揺れている。見方によっては善人も悪人になり、悪人が善人と崇められる社会。『大切』があるかないかが分かれ目になってたりするんだな。
 確実に入り込んだうえに、なんかいろんなこと考えさせられちゃう映画だった。2時間半があっという間。いろんな意味で応えた映画だった。
 そうそう、祐一の愛車のナンバーが『33』だったんだよな。う〜む・・・。


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有川浩「阪急電車」を読む(10.9.30)

「ジョッキでいくなら−今日やろ!」
 これだ。これが『恋のタイミング』だ。ぼくがなかなかつかむことのできないタイミング。阪急電車にはそれがたくさんあるらしい。
 北海道に来て5年半。地下鉄通勤しているのに、東西線にはこんなタイミングはありゃしない。なぜだ?
 そうか、車窓の風景が絶えず真っ暗で、共有できるものがないからか。
 なんてぼくの話はさておいて、『阪急電車』には素敵なエピソードが詰まっている。正確には阪急電車今津線。それぞれがそれぞれの駅で、それぞれの想いを抱えて乗り込む阪急電車。その想いが各駅でバトンタッチされ、連作となっていく。どれもが微笑ましく変わっていくのは、阪急電車のなせる技なんだろうかな。だから、読んでいる方も微笑ましくなっちゃう。ぼくもこの連鎖の中に、楽しい意味で加わりたいと思う。
 この連鎖の中にいる登場人物って、実はしっかりとした芯のある人たちなんだよね。それぞれに自分の価値観を持っている。もしくはそれに気がつく。やっぱり流されるだけじゃいい連鎖には加われないってことなんだろうなぁ。
 いろんな意味ですごく面白く、ホッコリできる小説でした。これはお薦め。


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上橋菜穂子「蒼路の旅人」を読む(10.9.23)

 守り人シリーズの第6弾。今回は『旅人』ということで、バルサはお休みでチャグムの登場。まったくもう、チャグムったらオトナになっちゃって。
 サンガル王国からタルシュ帝国の進行に対する援軍要請を受けた新ヨゴ皇国。帝の後継者争いも相俟って、罠と知りつつも援軍を出す帝と、それに反発するチャグム。サンガルとタルシュの陰謀に自ら飛び込むこととなったチャグムは、祖父でもある海軍提督・トーヤと海士たちを無事新ヨゴ皇国に連れ戻すことはできるのか?チャグムを待ち受けるタルシュの陰謀とは?
 バルサが主人公となる『守り人』はどちらかというと北の国々の神話や言い伝えを解き明かす考古学的な雰囲気を持つ。これに対し、チャグムが主人公となる『旅人』は今物語世界に起こっている外交問題を扱った現代史のような雰囲気。『守り人』が縦軸、『旅人』が横軸。これによりシリーズが大きく膨らんでいる。どっちかひとつじゃダメなんだ。上手くできた構成だ。
 で、今作。『虚空の旅人』で明らかになったタルシュ帝国の存在と侵攻。これが現実として描かれ、新ヨゴ皇国が標的となる、圧倒的な経済力と軍事力で多くの国を支配下としてきたタルシュ帝国。タルシュがチャグムに求めたものとは?
 今回、チャグムは一人きり。バルサもタンダもトロガイもシュガも、チャグムのそばにいない。15歳の少年が一人で新ヨゴ皇国の未来を担うこととなる。その責任を受け入れる決意をする過程が今回の『旅人』なのだ。
 そして、今作は『守り人シリーズ』のラストへ向う重要な作品でもある。ヒュウゴという新キャラも登場し、クライマックスにどう関わってくるのか楽しみ。
 それよりも最後の3部作は『守り人』なのだ。ってことは、主人公はバルサ。タルシュの侵攻の前に、バルサはどう関わっていき、物語を紡いでいくのだろうか?タンダ、トロガイ、シュガ、ジン、ヒュウゴ・・・。一体どんな動きをし、どうなっていくのだろうか?そしてチャグムは?
 シリーズの縦軸と横軸が大きなうねりを作る様、早く読みたい。


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「BECK」を観る(10.9.17)

 この夏のマンガ大人買いで狙ってたんだ、『BECK』。
 忙しくて達成できてないけど、いつかは読破したいと思っているだから先に映画観るのはどうかと思いもしたんだけど、バンドの音が聴きたくて、観ちゃった。
 なんかわくわくするんだ。ひとつのものを作ろうとする一体感。その高揚と疾走、必ず通る挫折。それらを乗り越えて行く様とその先に待つ達成感。もちろん自分のSTORYじゃないし、フィクションだってことも判っている。でも、いつかはぼくも形は違うだろうけど、達成感を味わいたいと思っている。40過ぎのオヤジのくせに。
 だからBECKに集った仲間達に嫉妬なんかしたりする。羨ましいんだ。そして早くぼくもなんか始めなきゃってあせったりして。
 バンドの音、よかったなぁ。映画を盛り上げてたなぁ。コユキのおどおど感と平くんのどっしり感と、チバの焦燥感がぼくには響いたよ。
 このテの映画には弱いんだよ、ぼくは。やられたぞ。
 そうそう、新体操部の彼女、レオタード姿で校内歩くのはエロすぎる・・・。男子高校生は耐えられないでしょ、それは。


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海堂尊「ひかりの剣」を読む(10.9.15)

 桜宮サーガがついに青春小説にまで手を広げた。なんと貪欲な。もちろん登場人物は桜宮サーガでおなじみの面々。それを上手く対極に配置して、ライバルとして競わせるなんて・・・。日本の医学会って意外と狭いのね。
 若き日のジェネラル・ルージュこと速水晃一と帝華大学の色男・清川吾郎が、剣を通して激突する。今では専門も違い、接点の見つからない二人が、青春時代に繰り広げた激闘。今に通じる互いの性格が滲み出るエピソードの数々にはニンマリ。医学と剣道をダブらせて進める展開は説得力ありです。
 彼らが競うのは医鷲旗という医学系大学の対抗戦優勝者に送られる旗なんだけど、そこが海堂氏のおくゆかしさか。あくまで内輪の大会、決して全日本などを背負わせたりしない。現実的にも医学生がスポーツ推薦の選手とやりあうことがおかしいもんね。でも、大会の規模や程度に関係なく、医鷲旗を巡る闘いは手に汗握る緊迫感の連続なのだ。
 もちろん速水の盟友・田口や島津も登場するし、今や東城大学医学部付属病院に君臨する高階権太は重要な役どころで登場する。桜宮サーガ読者にはたまらない仕掛けなのだ。
 立場や考え方こそ違えど、真摯に医学の抱える諸問題に立ち向かう速水と清川にも、感情と思いのたけをぶつけ合う仲だった時期があったんだなぁ。
 その後の人生を知っていながらも読むスピンオフな青春小説。一筋縄ではいかない海堂ワールドの一端が垣間見えた一作だった。


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「踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!」を観る(10.9.10)

 やっと観ることができた、『踊る3』。
 係長に昇進した青島くんの活躍、てっぺんを目指す室井さんの奮闘、そしてすみれさんのすべて。観たくてたまらなかった、待ち望んだ最新作なんだもん。
 過去に青島刑事が逮捕した犯人の釈放を要求するテロ事件発生。場所は湾岸署新庁舎。個人的にはすみれさんのストーカー(伊集院光)がまたすみれさんを狙うのではと心配する。青島くん、守ってくれるんだよね、すみれさんを。
 一見知的に見えるテロ実行犯達。しかし、本店と所轄のいがみ合いながらもの捜査により明らかにされていく真実。テロの真の目的は?そして真の犯人は?
 今回の作品、これまでと違って被疑者確保が夜となっている。そのせいか、緊迫感がより強く出ていると思う。今回の事件の背景を色濃く出すのに、夜の映像があっているんだろうなぁ。夜がもたらすイメージ、夜に浮かび上がる白。
 『踊る』シリーズってもはや評価ではなくて好みの領域に来ているのかもしれない。前と比較して・・・ではなくて、観た人が「オレはこのエピソードが好き」って言い合うような。それを承知であえて書くならば・・・。
 亀山Pがかつて『踊る』の本編を全体公演と称していた。それぞれのキャラが一人立ちし、スピンオフで活躍したりするけど、たまにはみんな揃って全体公演をやるみたいに。で、『踊る3』はというとまさにこの全体公演だった。有名劇団の全体公演って、@壮大なことをやる、A全員をステージに上げる…って制約があって、結果キャラの一人一人が希薄になりやすい。『踊る3』はまさにそこかな。レギュラー、新キャラ、復活キャラ。いろいろ出してきたけど、どれも浅いまま。顔見せ興行とはいえ必ずしも出す必要があったのだろうか?特に室井さんの登場には・・・。青島くんと室井さんがそれぞれのポジションでがんばり、支えあうのが『踊る』の根っこなのになぁ。
 『踊る4』があるのなら、これ以上壮大な事件なんて必要ないから、もっと湾岸署のメンバーの個性が引き立つストーリーにして欲しいかな。いいキャラいっぱい出してるんだもん。スピンオフでなくてさ、青島くんがちゃんと絡んで。
 そしていつの日かシアワセなすみれさんが観られれば・・・。


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北川修三「上越新幹線物語1979-中山トンネルスピードダウンの謎-」を読む(10.8.31)

 いつも創作の物語ばかりを読んでいるぼくが、珍しくノンフィクション、ドキュメントを読んだ。1979年、ぼくが12歳の頃のドキュメント。列島改造論から始まった全国新幹線網計画。田中角栄のお膝元へ通じる上越新幹線の工事に立ちはだかった、中山トンネル工事の湧水事故。その対処方法と携わった人々のドラマが記されたのが、本書だ。
 ぼくが新潟に住んでいた5年間で、ぼくは何度となく上越新幹線を利用した。しかし、新幹線のスピードが中山トンネルで落ちるということを知らなかった。そもそも中山トンネルがどこにあるのかすらも知らなかった。著者は「スピードの変化は誰でも容易にわかる」と書いているが、乗っている者にしてみれば快適な乗り物なのだ。著者は「建設に携わったものにとっては大きな屈辱」と書いているが、その言葉はあくまで難工事をやり遂げたものが持つ自信・自負と裏返しの謙虚さからくる言葉であることは間違いないと思う。利用者にとってはとても便利な交通手段なのだから。
 著者は旧鉄道建設公団(現鉄道運輸機構)に入社し、数多くのトンネル建設に携わった。そのひとつがこの中山トンネルである。湧水事故が発生したという事実は工事誌や報道記事として記録されている。しかし、工事誌や報道記事には残らない問題(渇水やそれに伴う地元対応など)は、通常なら一般に知られることのないまま風化していくのだろう。でも、親方日の丸がまかり通らなくなった今だからこそ、純粋技術の陰に隠れがちな公共事業における地元対応・住民対応にスポットを当てた本書は、後進の技術者にとっては貴重な本といえよう。もちろん純粋技術についても盛りだくさんだしね。
 著者は鉄道運輸機構退職後も建設コンサルタントでトンネル建設に情熱を注いでいる(著者紹介より)。そして、現在その指導を最も受けている技術者の一人がぼくなのだ。いつも朗らかで勉強熱心な著者がトンネル技術における『フォレスト・ガンプ』だったことと、その経験の豊富さにはただただ驚かされるばかりである。
 そして、堅苦しいだけの工事記録ではなく、感情のこもったドキュメントを書き上げる器量をもたれていたというのにも、驚いたりなんかして・・・。
「なんだと?岡本、生意気だぞ!」と怒られてしまいそうなので、この読書記を含めたHPのことは、著者にはヒミツにしておこう。


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「山下達郎 Performance 2010」を観る(10.8.17)

 サザンがとっ散らかした渚を、夏の終わりに達郎が後片付けする・・・
 20年以上前、そんなこと言ってた人がいたっけ。でも、今日ってまさにそんな感じ。北海道の小学校は今日が夏休み最終日。そんな夏の終わりに、達郎の歌が耳に心地良い。
 6年ぶりだった去年のツアーから間をおかないではじまった今年のツアー。清志郎や桑田佳祐のこともあり、「歌えるあいだ、ライブのできるあいだはやり続けたい」と宣言した山下達郎の気持ちにちょっとうるうる。
 昨年のツアーはヒット曲満載で大復活の狼煙。そして今年は新生・山下達郎のルーツを振り返る。SUGAR BABE時代の曲を当時のアレンジで演奏し(本人曰く「これは売れないわ」)、初期の作品をたっぷりと。正直ぼくの知らない曲が多かったけど、それはまた新鮮で。
 季節外れのスタンダード・ラブソングから、「今だから書くことができた」と達郎自身が語るバラードへの展開。この歌を捧げる病と闘う二人の友人への励ましの想い。その真摯な気持ちがものすごく伝わってきて。なんかぼくもうれしくって。ぼくも一緒にエール送って、一緒に気持ち入っちゃった。
 後半は怒涛のスタンドアップ。あれもこれもそれもどれも。アメリカ中部を意識したセットもあいまって、乾いた風が吹いたような気がする。とても心地良い風が。
 達郎がもたらした風は、短い北海道の夏を優しく送り出してくれるようだった。


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地球ゴージャスプロデュース公演Vol.11
「X day」を観る(10.8.15)

 今回の地球ゴージャスは6名の精鋭によるヒューマンオムニバスドラマ。岸谷五朗と寺脇康文のコンビに歌と踊りと演技に長けた4名が加わり、繰り広げられる舞台。前回は大人数が狭い道新ホールにひしめいていたけど、今回はゆったり感の中に緊張感がみなぎるドラマになっている。
 5編のドラマには笑いと巧が満載で、観せる(魅せる)舞台に徹底している。SETから受け継いだアクション・コメディ・ミュージカルのうち、今回アクションの要素はなかったけれど、その分だけ濃い空間が創り出されている。そして端端に見え隠れする繋がり。それらがひとつに会したとき、それが『X day』なのだ。その意味こそそれぞれなんだろうけど、出会うことで終わるなにかと生まれるなにか。そのなにかがなになのかは、観てもらわなきゃ。
 それにしても今回も贅沢な舞台だった。中川晃教、陽月華、藤林美沙、森公美子の客演陣の、レベルが高いこと。地球ゴージャスの舞台に立つのって、めちゃくちゃハードル高いんだろうなあ。
 ぼくにとって地球ゴージャスは笑えて元気がもらえる存在であり続けてもらいたい。だから、今回の舞台はとても好きなのだ。特に今回、これはぼくの観た公演だけかもしれないけれど、寺脇のアドリブのキレまくっていて、楽しい雰囲気が増幅されて。謎のかっこいいお兄さん登場には、心が躍ったもんね。
 明日からの意欲と活力とユーモアが湧いてくるいいお芝居でした。


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「告白」を観る(10.7.18)

 連日の寝不足のなか、21:30〜のレイトショーを観るのは無謀だ。絶対に途中で寝るだろ・・・と思っていたけど、そんな不安を吹き飛ばすほど、一瞬たりとも目の離せない作品だった。
 原作『告白』は既に読んでいる。とんでもないバケモノ文学だと思った。こんなすごい面白い小説の映画化なんて、大丈夫?いやいやそれは中島哲也。彼の手腕は見事の一言に尽きるのです。
 正直救いのない映画。でもそれに光を当てるのが、中島監督の得意技。『嫌われ松子の一生』では松子の空想をファンタジーにすることで救いを演出した。では今回の『告白』では?
 原作はまさに登場人物の告白として物語が語られた。それはあくまで無機質で、感情を殺した回想文で。でも、映画は主観的に描いた。語られる言葉は無機質でも、インサートされる回想シーンに感情が込められている。そのギャップが観客をひきつけ、ぼくから睡魔を遠ざけていく。そして、その感情こそに救いがあったとぼくは思う。誰のどの感情か?それは観る人によって異なるのだろうけど、映画にだからできる表現で、原作を引き立てている。ギャップの使い方もお見事。感動の音が聞こえたよ。
 「どっか〜ん」ってね。
 これは小説、映画の両方を楽しんでもらいたい作品です。


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海堂尊「ジーン・ワルツ」を読む(10.7.17)

 桜宮サーガ、今回は首都・東京を舞台に産婦人科医療に切り込む。帝華大学の講師・曾根崎理恵が官僚の作り出す医療制度に敢然と立ち向かう。
 これまでのサーガで名前はよく出てくる、日本の医療の中心・帝華大学がついにそのベールを脱いだ。官僚に最も近いといわれ、地方医療の危機を大上段から見下ろしているようなイメージの帝華大学。でも、そこにも今の医療制度を嘆く芽があり、動きがあった。クール・ウィッチこと産婦人科医・曾根崎理恵が目指す地域医療、産婦人科医療とは。その全貌が明かされる。
 産婦人科医が減っているという話はニュースでよく耳にする。妊婦の受け入れ拒否・たらい回しなんてニュースもよく耳にする。そのすべてが官僚の進める医療制度改革のためかどうかはぼくにはわからない。でも、それが問題のひとつであることを、物語の面白さの中で伝えている。問題があり、それを知ることが問題解決の第一歩であること。桜宮サーガの裏テーマが今作にも息づいている。
 いきなり重いところから入ってしまったが、桜宮サーガの持つ面白さがまず前面にあることは間違いない。マリアクリニックの終焉を飾る5人の妊婦と、それを見届ける帝華大学の産婦人科医・曾根崎理恵。それらの出産にはそれぞれに障壁がある。でも、それこそが本来の出産の姿であり、順風満帆の出産だけを出産と考えている人々に問題を提起している。その一方で産婦人科医療、特に不妊治療に頑なな官僚と、彼らと蜜月な関係を保つことで立場を守ろうとする大学。妊婦と向き合う理恵と態勢に立ち向かう理恵、クール・ウィッチと称される彼女のお手並み、懐柔される妊婦と翻弄される男たちのありさまは必読です。
 今作は大きな事件があって謎解きをする類のものではないため、とても穏やかな感じだけど、その中にある様々な意味での起伏は読み応えたっぷりです。
 さらに、桜宮サーガでちらほらと出てくる極北市の医療過誤事件。その端っこがここにもあります。
 田口先生も白鳥も登場しないけど(名前すら出てこない)、今作は桜宮サーガの鍵となる作品のひとつです。
 クール・ウィッチ、菅野美穂がやるんだ・・・。


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ギンギラ太陽's「遊園地3兄弟の大冒険」を観る(10.7.11)

 去年の北海道公演でその楽しさに魅了されてしまった、かぶりモノ集団・ギンギラ太陽’s。GWに予定されていた東京ドームシティ公演が主宰の大塚ムネトの体調不良で延期になったのは知ってたけど、まさかぼくの上京に合わせるかのように代替え公演が組まれていたとは。これは縁です。なにか通じるものがあるのです。

 
開演前恒例の「西鉄バス軍団」による記念撮影会
 毎回地元・福岡に着目し、ご当地の歴史をモノの視点で演じ描くギンギラ太陽’s。擬人化されるモノの一つ一つに愛情が込められていて、福岡を知らずとも福岡に愛着を持ってしまうのです。
 今回は豪華2本立て。最初はオマケ芝居『男ビルの一生』。福岡の老舗百貨店「岩田屋」を主人公に、明治〜大正〜昭和〜平成の岩田屋の奮戦を描く。老舗としての使命と心意気にあふれている。これが結構ホロリとさせられて。
 そして表題『遊園地3兄弟の大冒険』。福岡は西鉄が保有する3つの遊園地のうち、長男にあたる到津遊園が閉園することが決まる。開園以来、動物とのふれあいをテーマに、小学生の林間学校を受け入れ続け、市民に親しまれてきたという自負(ここから擬人化がはじまってます)から納得のいかない到津遊園。兄弟である香椎花園、だざいふ園とともに、閉園撤廃、存続を勝ち取るための旅に出る。
 巨大な敵として行く手をさえぎる西洋ネズミの遊園地や、和製猫ランド。勇者・菊地41歳(観客)とともに難敵を打ち破り、過去と現在、現実と夢の世界を駆け巡る。
 かぶりモノ遊園地に泣かされる非現実体験。あり得ないけど、モノの一つ一つがもつ歴史と、巧みに脚色されたキャラ設定で、泣き笑い状態なんだよね。モノをモノとして、「あって当たり前」と思うのではない感覚。モノに感情移入する気持ち。きっと主宰・大塚ムネトとぼくは似たところがあるんだと思う。だからギンギラ太陽’sの芝居は胸をつかまれる。
 モノを捨てられない人、モノに名前をつけてしまう人にはぜひお勧めの演劇集団です。


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黒田研二「カンニング少女」を読む(10.7.10)

 少女を難関有名大学に入学させるため、仲間がそれぞれの持ち味を駆使してカンニングを決行するお話。カンニングってカンペとかのぞき見しか思い浮かばないんだけど、ITと携帯電話の普及でものすごい進化を遂げているようで。
 姉の死の真相、それが姉の通っていた大学にある。だから、偏差値的には無理だけど、どうしても同じ大学に入りたい。そんな少女の下に集まった、生徒会長を務める才女とメカヲタクとスプリンター。彼らが決行するカンニング大作戦とは?
 と書きながらも、この作品においてカンニング行為はそんなに大きなウエイトを占めていない。カンニングに対する罪悪感よりも、現行の受験制度への疑問が先に立っている。とはいえカンニングを面白がっているわけではなく、友人のために一致団結して事にあたっている。カンニング方法やグッズに対する思い入れはないに等しい。それよりも登場人物の姉妹や友人に対する想いがつづられている。
 カンニングは決して許される行為ではないけど、特殊な状況下で気づく想いがあることを読むことができる青春小説なのだ。
 いいお話だけど、学生さんには読ませづらいよね。カンニング行為自体はやっぱり不正だから。


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「イッセー尾形のこれからの生活2010 初夏の札幌」を観る(10.6.19)

 半期に一度のお楽しみ、イッセー尾形です。今回も新作を引っさげての来道。新キャラあり、連作あり、ひさびさ登場ありと、イッセーワールドが堪能できる。
 今回は最前列中央で観たんだけど、横のおばあちゃんは初観劇だったようで。特に老人ネタで大笑いするんだけど、笑ってる最中に「痛い、痛い」って言うんだよね。なにごとかと思ったら、笑いすぎて腹が痛いんだと。慣用句としてはよく聞く言葉だけど、実際にそれを訴えるおばあちゃんは初めて見た。
 そんな奇跡の笑いの数々です。
『パリ旅行』
 日曜朝の喫茶店。友人を呼び出したオバサンが語りだしたのは、息子夫婦とのパリ旅行の顛末。狙いは「ヒロコや。嫁や」。二人の間になにがあった?お父さんはそこでなにしてる?
『大森リンゴ』
 リンゴの生産者・大森さんにワンランク上のおもてなしをするべく意気込む住吉と吉倉。でも、行き違いの連発で・・・。ワンランク上のおもてなしはできるのか?
『青空、公園、バドミントン』
 ハツラツな職場を目指し、昼休みに公園へ。でも、主人公のOLはバドミントンより風月の噂話がしたいのに・・・。
『10番の男』
 空港のキャンセル待ち、どうして清本さんは順番を飛ばされたのか?それは存在が希薄だから。清本さんは次の便に乗り、無事九州にいけるのか?
『ひとみ食堂』
 帰ってきましたひとみちゃん。ホステスに始まって、家政婦、ビルの清掃員、ホステスを経て、ついに店を持ちましたか。熟女ホステスたちが営む食堂。チラシに嘘は当たり前。すべてが熟女ペースの食堂で思い起こすのは・・・スーさん?
『天草五郎B』
 いよいよ第三部。妖怪人食い地蔵の登場で、隠れキリシタンvs長崎奉行から舞台は地底へ。そこに待ち受けたのは予想だにしない展開だった。長崎くんちは修復できるのか?四郎の面から発せられた「ぺきっ」って音はなに?講釈師自ら納得いかない結末は、半年後の第四部に続くのである。
『金城千秋、大人の曲リサイタル』
 沖縄出身の千秋が、言われるがままに歌わされる大人の曲の数々。大人といえばブルースということで「ドンキホーテブルース」。男の曲もと「ゴールドラッシュ」。古文調の曲「月日は百体の過客にして」(これは原由子っぽい)。最後は千秋が作った「パピプペポ」(これはホットペッパーに対抗?)。わけがわからず笑えます。
 ネタの合い間にもウクレレ演奏があり、それぞれに笑いが詰め込まれている。ぼくも腹が痛くなるほど笑ったかな。
 半年後が待ち遠しいです。


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石田衣良「夜を守る」を読む(10.6.17)

 今度の舞台はアメ横だ。
 石田衣良の若者群像(?)物語。アメ横と言われても、若者のイメージが・・・とぼくも思ったさ。新宿、渋谷、池袋と違い、山手線東側ってサラリーマンとか江戸っ子って感じだもんね。でももちろんどの街にも若者はいて、その町々で個性を持っている。アメ横の若者達はなんかほっとするやつらなのだ。
 フリーターのアポロ、古着屋の衣跡取りサモハン、区役所勤めのヤクショの幼なじみに、福祉施設所属の天才。この4人がアメ横の街を守るガーディアンを結成。とはいえ、やるのは挨拶とゴミ拾いと酔っ払いの介抱と自転車の整理。それでもそんな些細なことから街がよくなれば・・・。いい青年たちじゃないですか。
 彼らが出会う人や出来事は新宿や渋谷のようにスタイリッシュじゃないけど、情に溢れててほっとする。アメ横という土地柄なんだろうなぁ。ぼくも船橋に住んでた頃はよく行っていたので、なんだか懐かしくもあってさ。
 街にはいろんなものが散らばっている。ゴミや不法自転車だけでなく、人の想いや夢や絶望や。それらを拾い集めるガーディアンたちとアメ横という街の物語は、心をホッコリさせてくれる。やっぱ篭ってないで街に出なきゃダメなんだよね。
 一番堅実な職についてるヤクショが一番欲しがりってところが地味に笑えます。
 石田衣良の新シリーズ。本を持ちながらアメ横をたどるのも乙かもね。


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越谷オサム「階段途中のビッグ・ノイズ」を読む(10.6.5)

 この歳になると、「あれができたらなぁ・・・」とか、「あれやっておけばよかった」なんて思うことが山ほどある。そのひとつがバンドを組むこと。残念ながら人に聴かせるほどの腕前も、ともに熱くなれる仲間もいないんだけどね。
 そんなぼくの果たせぬ想いを、この青春小説はやってくれちゃってます。もう、うらやましいやら、悔しいやら。
 バンド組んでライブやるのを目標に軽音楽部に入部した啓人。でも、演奏することなく一年が過ぎたら、気づけば廃部の大ピンチ。どん底からのスタート。メンバー集めから初めて、半年でライブを成功させることはできるだろうか?
 青春小説はもちろん体育会系だけのものではない。文化会系にだって青春小説は存在する。しかも、青春小説のセオリーもそのままでOK。どん底⇒助走⇒挫折⇒飛翔の起承転結は、オールマイティなんだね。
 ってことで、この小説もセオリーに則ってる。その上、バンド小説ゆえかリズムが良い。心地良いビートに乗って、読み進められるんだね。結構先読みできるんだけど、リズムが良いからうまいこと吸収されるっていうか。出来事すべてがGIGだから、知ってるメロディと歌詞で盛り上がるのと一緒なのかな。
 うらやましいなぁ。おじさんバンドは結構流行りみたいだけど、かつてのバンドマンたちが主流だからなぁ。カラオケでがなってるのが関の山なんだろうね。
 そうそう、ライブのシーンは演奏してる曲のテンポと文章の量がピッタリで、めちゃくちゃ楽しく読めるのよ。なにが言いたいかわかりづらいだろうけど、読んでくれたらわかるから。
 あ〜〜〜〜〜っ!なんか楽しいことやりてぇ!


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「ひふみよ 小沢健二 コンサートツアー 二零一零年五月六月」を観る(10.6.2)

 なんだかんだ言って43歳。その歳その歳で”楽しい”を見つけてきたけど、振り返ったときに一番アクティブにがんばってたのって20代半ばから後半だったような気がする。「青春」の定義はよくわからないが、思えばあの頃がぼくにとっての青春だったのかもしれない。かなりオクテだけどね。
 そんな時代にいつも口ずさんでいたのが、オザケンの曲の数々。楽しいときもしんみりしたときも、いつも愛車Rちゃんはオザケンで満たされていた。女の子が左にいるときも、女の子がいなくなったときも、オザケンが励まし、勇気づけてくれた。
 そんなオザケンが長い沈黙を破って全国ツアーを始めた。ツアーメンバーはほぼあの頃のまま。ひさびさに胸に熱いものがこみ上げてきた。なんかあの頃のうきうき感が戻ってきたみたい。”世界に向ってハローなんつって手を振”りたくなるくらい。会場の札幌市民ホールはきっと同じ気持ちの、かつての”仔猫ちゃん”たちであふれていた。
 真っ暗なステージから、オザケンの声とギターが響いた。会場からの大歓声。あのオザケンが帰ってきた。ぼくの気持ちもあの頃に戻っていくような。最初ッから炸裂するオザケンの名曲の数々。もちろん唄うさ、ぼくも。みんなだって唄ってる。不思議なんだ。予習も復習もしたわけでないのに、むしろここしばらくオザケンは耳にしてなかったのに、躊躇なく歌詞が出てくる。なにもかもが蘇ってくるかのよう。もちろんそれは錯覚だってことはわかってる。オザケン自身、それに気づいていた。弾けんばかりのPOPの合い間に朗読した詩にこそ、今のオザケンが存在する。でも、それを押し付けるのではなく、POPを前面に出すことで、ぼくらを後押ししてくれているみたい。だからこそ声が出る。”めんどくさいことも飛んでっちゃうくらいBASSLINEにのって踊”ってる。みんな二日後に襲ってくる筋肉痛など気にせずに。
 出し惜しみナシで”爆音でかかり続けてるよヒット曲”。もう楽しくてたまらない。『今夜はブギー・バック』では会場全員がボーズであり、アニになる。1時間後の予告まで飛び出す痛快さ。この感じ、まんまあの頃のよう。”くだらないことばっかみんな喋りあい”、”長い時間をぼくらは過ごした”あの頃の。なつかしい”神様たちがパーっと華やぐ魔法をかけ”たみたい。今更ながらにわかった。”二度と戻らない美しい日にい”たってこと。
 でも、”本当は分かってる”。魔法は解けるんだってこと。この楽しさに捉われてはいけないことを。会場に集まった”誰もみな手をふってはしばし別れる”ことを。”そして過ぎて行く日々をふみしめてぼくらはゆく”ことを。”ずっとずっとどこまでも道はつづくよ”。
 ぼくは思うんだ。”毎日のささやかな思いを重ね、本当の言葉をつむいで”、”宛てもない「明日」を書きつづけてる「ぼくら」を、守るように「彼」はこっそり祈”ってくれているんじゃないかって。あの曲たちを通じてね。
 素敵な素敵な、心に残る夜だった。”嫌になるほど誰かを知ることはもう2度とない気がして”たけど、”熱もってポケットでファンクする僕のハートビート”復活にむけて踏み出してみようかな?
 ”今のこの気持ち、ほんとだよね”


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小路幸也「スタンド・バイ・ミー 東京バンドワゴン」を読む(10.5.24)

 予定調和なんだけど安心感があって、読んでいて落ち着く。それでいてマンネリ化するわけでなく、いつ読んでも面白い。昭和のホームコメディのオマージュというだけでなく、平成の現代を切り取った楽しい作品になっている。
 東京の下町にある古本屋・東京バンドワゴン。そこに住む大家族と、そこに集う人々が遭遇する出来事を、秋冬春夏綴った連作短編の第三弾。ほのぼのとしたエピソードの数々に、気持ちがほんわかしてきます。
 今回は4編中3編が過去にまつわる物語。つらい過去もあるんだけど、みんな前向きなんだよね。前向きでなくても前向きになっちゃうんだよね。そこが東京バンドワゴンのよいところ。ぼくもこの輪の中に入りたくなっちゃう。
 魅力ある場所には魅力ある人が集まるって言うけれど、ちょっと度を越えすぎているのと、金に物を言わせたのはちょっと残念。そこだけもっと下町情緒を効かせてほしいなぁ。
 とはいえ、早く第四弾を読んでほんわかしたくなる作品なんだよね。


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『がーまるちょば サイレントコメディー JAPAN TOUR 2010』を観る(10.5.22)

 言葉がなくても伝わるものがある。もちろん言葉はかけがえのないものだけどね。そんなことをつくづく感じさせてくれるのが、が〜まるちょばのLIVEなのだ。
 去年の公演ですっかり虜になってしまった。パントマイムという分野でくくるには窮屈な彼らのステージの幅の広さ。動作のみならず、テンポと間を駆使してのパフォーマンスは圧巻としか言いようがない。ただ押してるだけでなく、そこに笑いとか安堵とか、いろんな感情を織り込み、それを共有させてくれるんだから。もちろん言葉なしで。
 最初は『が〜まるちょばSHOW』で客を温める。ネタの半分(客あおり)は去年と同じなんだけど、客の違いで笑い方も変わってくる。臨機応変に対応し、客が笑うこと、熱中することを誘導する。この辺が路上パフォーマンスなどで培った腕前なんだろうなぁ。ぼくらもすっかりリラックスして、彼らを楽しむことができる。つかみはOK!
 次の『M&D』は去年急逝したKing of POPマイケル・ジャクソンと、伝説のドラゴンことブルース・リーの対決。二人の動きをユーモラスに取り入れ、対決を組み立てる。観ていて楽しい作品。
 続いて『透明人間』。映像でも見せ方が難しい透明人間を、舞台でどう表現するのかと思いきや、そうきたか。サイレントコメディならではの演出に笑いが止まらない。それでいてこの透明人間がキューピットもこなしちゃうんだから。大爆笑の中でもハートウォーミングな作品。
 休憩後は長編の『BOXER』。挫折したボクサーの復活を描く。が〜まるちょばの技が満載なのだ。特に試合のシーン。シャドーボクシングはあっても、殴られるところはそうそう一人ではやらないでしょ。それがもう、敵のボクサーのパンチが見えるかのよう。そして、ロープが確実にそこで揺れるがわかるのだ。もちろん舞台上にリングなどないのに。『ロッキー』はもちろんのこと、『リングにかけろ』のギャラクティカ・マグナムを髣髴とさせるようなパンチとか、『あしたのジョー』の名シーン「行かないで、矢吹君」の再現もあったりして、こっちは涙目だよ。
 至福のひとときとはこのような時間のことをいうんだろうなぁ。何度も観たくなるようないいパフォーマンス。次くるときも観に行くぞ!


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DORIS & OREGA COLLECTION vol.5 『ナンシー』を観る(10.5.20)

 とある地方の銀行に立て籠もった銀行強盗が、警察署長を呼び込んだ。犯人の要求とは?人質の安否は?銀行を舞台とした密室コメディなのだ。
 銀行を舞台とした密室コメディといってまず思いつくのは、映画『スペーストラベラーズ』の原作となった、『ジョビジョバ大ピンチ』を思い出す。そのジョビジョバの一員だった長谷川朝晴が出演しているのも興味深いところ。
 さて、本作。警察署長役の西村雅彦が銀行に入ると、そこには行員3人と客2人、そして身柄を拘束された銀行強盗がいた。直ちに事件を集結させようとする署長の前に、銀行の支店長と署長の妹でもある女子行員が立ちふさがる。「事件をなかったことにして・・・」と。
 正直、イラッとした。コメディだからとはいえ、導入があまりにも雑。脚本と演出がマイナスの相乗効果を出しているというか。身勝手な設定をヒステリックに演じられると、聞いていられなくなる。その後の展開が面白いだけに、抑えた演出にするかまともな設定にするか、どっちか片方でよかったのに。
 そこをこえると、田舎町ならではの連鎖が始まって、笑いがつぎつぎと起きてくる。オチはちょっとあざといとぼくには思えたけど、お泪もちょうだいするのかな。
 西村雅彦を軸に、初舞台の飯島直子と若い岩佐真悠子が華を添え、知名度のあるデビッド伊東と演技派の安田顕・長谷川朝晴・本多力が脇を固める。ユニットとしてはとてもいいバランス。導入部をああしちゃったのは出だしで飯島直子の見せ場を作っておきたかったからなのかなぁ。後半は「いたの?」って感じだったから。
 面白かったけど、惜しかった舞台かな。最大の観ドコロは岩佐真悠子の背中です。


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五十嵐貴久「交渉人・爆弾魔」を読む(10.5.15)

 『交渉人』の続編。病院立て籠もり事件で警察内で浮いた状態となった交渉人・遠野麻衣子。彼女の携帯にシヴァと名乗る者から警察との交渉を求めた電話が入り、目の前で交番が爆破された。無差別連続爆弾テロの交渉条件は、かつて二千人の死者を出した”宇宙真理の会地下鉄爆破テロ事件”首謀者で教祖の釈放だった。
 交渉人と題しながらも、メールや掲示板を使った要求が続き、一番の武器である会話が削がれる。シヴァにいいように振り回される警察と遠野麻衣子に、状況打開の術はあるのか?
 前作は会話を主体とした交渉力が主体だったけど、今作は分析能力が鍵となっている。およそ2日間の攻防戦は、手に汗握るスリリングにあふれていた。振り回される中に散りばめられた手がかりが、終盤怒涛のようにつなげられる。その悪漢さに脱帽。これだから頭脳戦は面白い。
 上司であった石田警視正の教えをどう生かすか?警察内部の軋轢に味方はいるのか?遠野麻衣子の分析は、シヴァに迫り追い詰めることができるのか?
 東京の地理に疎い方は、ぜひ地図を見ながら読むことをお薦め。遠野麻衣子の気持ちにより近づけること間違いなし。
 このシリーズ、まだまだ続くということで、楽しみでたまりませんわ。


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「9<ナイン>〜9番目の奇妙な人形〜」を観る(10.5.12)

 麻袋の人形たちが巨大な敵に勇敢に立ち向かう。すごく新しいのになんとも懐かしい香り漂う映画だ。とにかく人形たちがかわいい。手作り感たっぷりの昭和のおもちゃって趣きで、掌に載せたい。そんな彼らが、がんばるのです。
 知能を持ったマシンが人類に反旗を翻し、人類が滅亡してしまった後の世界。ここ。ポイントはここ。マシンvs人類って構図はこれまでもよくあったけど、人類が負けちゃったのってそうそうないじゃない。しかも、その戦いではなくて、その後の物語。で、高性能マシンを相手に望みを託されたのが、麻袋の人形たち。このギャップにきゅんとさせられてしまう。
 なんか自分が観てきた漫画やアニメと比較してニンマリしちゃった。9体の人形というだけで、『サイボーグ009』を思い出す。当然別モノなんだけどね。9体のキャラ設定がしっかりしていて、それぞれの想いが伝わってくるんだよね。
 そんで、勇敢な女性戦士の7の出で立ちを見て、『もののけ姫』を思い出す。これに関してはその姿を見てもらえば・・・。そんでもって、7がとても美しく思えてくるんだよね。惚れちゃいそう。いやいや、どう考えても容姿端麗ではないんだけど、限定された世界ではその世界でのNo.1を捜してしまうというか。『サザエさん』の中のタエコさんだね。他のマンガのキャラと比較したら全然だけど、その世界の中では・・・。『あいのり』効果にも近いかも。
 そんないろんな意味での懐かしさあり、当然ながら巨大な敵に向っていくスリルあり、友情あり。これはいい映画です。心に染みます。
 元は11分の短編アニメだったとか。ティム・バートンを唸らせた短編アニメも、ぜひとも観たいと切に思ったのだ。
 この映画、強くお薦めします。


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「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」を観る(10.5.8)

 哀川翔芸能生活25周年記念作は、あの『ゼブラーマン』の続編だ。
 前作でダメダメ教師から地球を救うヒーローとなった主人公が目を覚ましたのは、15年後のゼブラシティ、かつての東京だった。それまでの記憶をすべて失って。
 ゼブラシティに君臨する闇の女王・ゼブラクィーン。それに共鳴するゼブラーマン。悪を許容する世界から、真の平和を取り戻すことはできるのか?
 あくまで哀川翔の記念作のはずなんだけど、脚本・宮藤官九郎のいじりっぷりはすごいものがある。前作も茶化しまくってたけど、今回も「いいの?これでいいの?」と何度も聞きたくなるくらい。セットも衣装もCGも、あらゆる面でグレードアップし気合が入っているんだけど、まるで気張っていない。ものすごい大作と紙一重のB級感で包まれている。Vシネの帝王として君臨した哀川翔のスタンスを、記念作でも崩さない。それを受け入れる哀川翔と三池監督の懐の深さが見えるというか。
 今作の観ドコロをはやっぱりゼブラクィーン・仲里依紗のPVかな。エロい衣装もさることながら、PVの作りは見とれちゃう。カッコいい。ゼブラクィーンのタオル欲しくなったもん。一緒に振り回したくなったもん。
 受け入れ、やりきることで生まれる面白さ。いろんな意味で哀川翔の男気あふれる映画だね。


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「武士道シックスティーン」を観る(10.5.4)

 香織と早苗がスクリーン狭しと動き回る。小説を読んだときのまま、成海璃子と北乃きいが笑い泣き、竹刀を振る。やっぱり適役だ。香織と早苗だ。その躍動感、小説を読んでいない人は目に焼き付けてから小説を絶対に読んで欲しい。
 なんだろう。剣道一筋の香織の浮世離れぶり、映画だと手に取るようにわかる。それがとてもアクセントになっている。
 決して小説の映画化を否定しているわけではない。でも違うんだ。いや、違っててもそれが映画化というものだから問題はないんだけど、でも…。
 香織は決して父親の操り人形じゃない。そもそも父親はそんな人じゃない。香織は自分で剣を極めようと決意したし、それで挫折もした。確かに父の影響は大きいけれど、父が勝つことを強いていたわけではない。香織の気持ち、折れずに一生懸命突っ張ってた心をもっとわかってあげてほしい。
 早苗もただ勝ち負けつけるのが怖いから、勝負に執着しないわけでない。父親の影響、少しはあるかもしれないけれど、もっと大切な気持ちがあったから、勝負じゃないことに価値を見出していたから、勝負に執着しなかっただけ。
 映画という制限(尺)があるのはわかるけど、もっと彼女たちの気持ちをていねいに描いて欲しかった。
 だから、必ず小説を読んで欲しい。映画が導入だったとしても。でも、小説を読んだ人には映画を観て欲しい。香織と早苗の躍動する姿を観て欲しい。
 映画化って難しいなぁ。


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「アリス・イン・ワンダーランド【3D】」を観る(10.5.3)

 あれから13年。19歳になったアリスが、再びワンダーランドに降り立った。赤の女王が支配するワンダーランドを打倒すべく、救世主として。『不思議の国のアリス』のそれからを、ティム・バートンが描く一作。
 6歳の時の冒険はすべて夢と思い、すっかり忘れてしまったアリス。19歳になり、大人として封建的なイギリス社会に組み込まれようとしたとき、服を着た白うさぎが現れた。白うさぎを追いかけて、穴に落ちたアリスが辿り着いたのは、かつてきたワンダーランド。アリスを待ちわびた人々を前に、アリスはかつての自分を取り戻せるのか?
 大人になったアリスってどんな感じ?『不思議の国のアリス』を読んだ人なら誰もが想像するであろうことの、ひとつの答えです。これが正解かどうかはわからないけど、大人になる一歩手前の冒険と、新しい道。このティム・バートンの選択、ぼくはめちゃくちゃ賛成です。
 赤の女王が支配するワンダーランド。『不思議の国のアリス』の世界がきっちり散りばめられていて、のっけからニヤッとしちゃう。そこに組み込まれるティム・バートン色。これがいい感じにマッチしてるのね。赤の女王の兵士なんて涙モノ。トランプ兵をあんな形にするなんて。ニンマリです。
 さてさて、アリスの成長記、ぼくにはちょっと急ぎすぎ・・・っていうか、もうちょっとじっくり時間をかけてみたいとこだった。でも、それは映画の制限があることなので、鑑賞後の脳内OAで補完しましょうか。こんな風に、大人になったアリスだったり過程の細部を各人が想像できるのって、名作の持つ力だよね。
 『アバター』に続き2度目の3Dだったけど、楽しかった。予告で『バイオ・ハザード』の3D版もやってたけど、人間ばかりだとちょっとアラが見えちゃうのかな。となると3D映像って作品を選ぶよね。ちなみに『トイ・ストーリー3』の3D予告はとても楽しくって。
 大人の階段上るアリス、とても輝いてて面白い映画でした。


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湊かなえ「告白」を読む(10.4.27)

 まいった。ものすごく面白い。決して読後に幸せな気持ちになることはないんだけど、とにかく面白い。タイトルどおり、全編誰かの告白で綴られる。それは生徒に向けての独白だったり、小説誌への投稿だったり、日記だったりWebだったり。話し手を替えて、始まりの事件を多角的に見せ、その後につないでいく。
 小説だから、語り手は必ず存在する。それは主人公だったり、主人公に近い人だったり、全てを俯瞰してみている作者だったり。多くの場合、物語の時間軸はひとつ。たまに反復したり種明かしってパターンもあるけど、ここまで反復する物語はそうそうないのではないか。それぞれがそれぞれの視点になって、始まりの事件を語る。
「愛美は事故で死んだのではなく、このクラスの生徒に殺されたからです」
 森口先生が語った娘の死の真相についてを。そしてそれぞれが迎えるその後についてを。
 それぞれの告白はまさに心の声であり、そこでは誰一人嘘をついていない。それゆえに読み進めるうちに次々と真相が見えてくる。それ以上に、人によって感じ方、捉え方に大きな違いがあるのに驚く。さらに、自分に正直なゆえにとる行動に迷いがない。娘の復讐を果たそうとする教師に始まり、それぞれの想いを実現しようとする告白者たち。その連鎖の元は一体どこから・・・。
 書きたいことは山ほどある。教師の復讐、クラス・家庭の崩壊・・・。でも書けない。とにかくそこは読んでみて。その展開は驚くばかりだから。
 この物語には希望や再生といった類のものはなにもない。先にも書いたが、エゴといわんばかりの自己愛に溢れている。読んで不快感すら覚えるところもいくつかある。それでも読まずにはいられなくなる。ことの始まりと顛末をどうしても確かめたくて。
 物語のラスト、全てを投げ出して一念を通そうとする姿勢は決して人として薦められるものではないが、潔さすら感じた。そして、この文体で物語を書ききった作家の潔さにも恐れ入った。
 『本屋大賞』受賞作はものすごいバケモノ作品だった。
 これは絶対読むべしです。


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万城目学「鹿男あをによし」を読む(10.4.23)

 小川孝信。この名前は『鹿男あをによし』の作中には一度も出てこない。本編を読み終え、ドラマ版『鹿男あをによし』でリチャード(小治田教頭)を演じた児玉清による解説で初めて気がついた。本作の主人公は「おれ」であり「先生」であるが、名前はない。でもそれはまるで気にならなかった。なにせ圧倒的に面白いのだから。
 神経失調を理由に大学院を追われ、奈良県の女子校の臨時教員となった「おれ」。赴任早々、遅刻した女生徒にからかわれ、それがもとで生徒に嫌われ、ついには鹿に話しかけられるに至った。
 このとてつもなくアンラッキーな主人公が、鹿に命じられるへんてこなミッションが、いつしか人類存亡に関わる重大なミッションに・・・。奈良、京都、大阪。いにしえの都に秘められた謎とは?
 ドラマを見ていたのでSTORYは知っていたけど、それでもやっぱり面白い。ミステリーハンターに熱血青春モノがミックスされて、まさにぼく好みの作品。ドラマではひとつの軸だった恋愛は小説にはないけど、かえってスッキリして謎解きに夢中になれる。
 読むのが楽しくて、早く続きが読みたくて。読んでてとても前向きになれる素敵な物語だ。こういうの、ホント大好き。
 そんでもって、小川孝信はドラマで名付けられた「おれ」の名前ね。


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夢枕獏「楽語(RAKUGO)―席亭夢枕獏・爆笑SWAの会」を読む(10.4.15)

 なんか、落語熱が醒めないのだ。心のどこかで、創作落語を創ってみたいと思ってて。でも、どう書いたらいいかわからない。そんな時見つけたのがこの本。なんと、ぼくの好きな夢枕獏が創作落語を創っていたというのだ(ここでは講談師にも書き下ろしているので、『楽語』と読んでいる)。これは読むでしょ。しかも、彼が新作を書き下ろしたのは創作落語の若き伝道者の集まり、SWAの面々(林家彦いち、三遊亭白鳥、神田山陽、春風亭昇太、柳家喬太郎)というんだから、こりゃまた豪華。さらに、SWAの面々の新作も読めちゃうなんて。これぞ創作の教則本か。
 この本についてはとやかく言えることはない。全部で10本の新作楽語に対し、あらすじもなにもないでしょう。とにかく呼んでとしか言いようがない。面白いんだから。
 夢枕獏の5作は、SWAの面々にあてがきした作品。残念ながら5人のうちぼくが高座で聞いたことがあるのは白鳥と山陽だけだけど、なんか二人とも見事にハマってる。
 SWAの面々の楽語も当然のことながら面白い。いやいや、それしか書けないよ。楽語なんだもん、筋とか言えないし。
 読むだけじゃなく、高座で聞きたいよなぁ。


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「第9地区」を観る(10.4.14)

 エイリアンは20年以上も前に地球に到来していた。しかも南アフリカに。このぶったまげた設定にいきなりド肝を抜かれたような。なんでNYでなく、南アフリカ?まぁ、東京にもしょっちゅう宇宙人やら怪獣が現れるくらいだから、南アフリカに来てもおかしかないけど。
 人類とエイリアンの共生・共存を描いたこの作品。エイリアンの人類に与える危害が大きいことを理由に、エイリアンをこれまでキャンプ地となっていた第9地区から、強制移送することに。その作業を一任されたMNUは人類と国家の錦の御旗を掲げ(表現が和すぎか)、任務を遂行するのだが、裏にはMNUの隠された実態があり・・・。
 冒頭からドキュメンタリー風の進行。強制移送の陣頭指揮を任されたヴィカスへの密着と、関係者へのインタビューで物語は進んでいく。それはあくまで客観的に、人類の正当性を訴えるかのように。ところが、不審エイリアンの家宅捜査中にヴィカスが謎の液体を浴びた辺りから、物語はドラマチックモードに突入していく。
 正直、前半は気分の悪さと面白さの葛藤だった。でも、いつしか面白さが圧倒し、STORYにのめり込んでったって感じ。エイリアンの容姿や細部の動き、第9地区の環境は、グロテスクでちょっと滅入る。エビが俊敏な動きで迫ってきて、肉を食らう。打ち抜かれて身体の一部が吹き飛ばされる。見る人によってはそこが観ドコロなのかも知れない。でも、ぼくの思う一番の観ドコロはヴィカスの心境変化だった。
 立場が変われば考え方も当然変わる。人類の主張、エイリアンの主張、利用するものされるもの。ヴィカスは立場を変えながら、心境も大きく変えていく。その様が面白いというか、身につまされるというか。
 あと、エイリアンを難民に置き換えると、これから日本も避けて通れない問題に早代わりするんだよね。
 MNUを人類代表的に描くので、人類は悪者という感じが大きいけど、冷静に考えると人類とエイリアンは表裏一体で、どっちに転ぶかを想像するだけでも面白いんだよなぁ。
 最初は目を避けたくなるエイリアンも、終盤はいとおしく思えちゃう。とてもお薦めの一作。
 鑑賞後、よく行く回転寿司で晩飯食べたんだけど、エビやシャコはさすがに食べられなかった。ははは・・・。


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東京03単独公演「自分、自分、自分。」を観る(10.4.3)

 昨年のキングオブコント覇者、東京03のコントライブを観た。東京03は一度、渋谷でネタ合わせしてるのを偶然見て以来、気にしているのだ。このところのマジうた選手権での角田の熱唱や、キスがまん選手権での飯塚の残念顔も面白いけど、彼らの真骨頂はやっぱりコント。
 案の定面白かった。ネタがしっかりしているのは当然として、角田の暴走に笑いを堪えきれなくなる飯塚や豊本の姿もまた面白い。ミスやネタ飛びで笑いが起きるのはご愛嬌・・・いやいや、もっと精度を高めてね。
 ありそうなシチュエーションを掘り下げていってコントにする。好きなんだな、この系統のコント。シティボーイズやバナナマンみたいな。で、彼らも確実にこの流れの中にいて、3人がそれぞれの色を出しまくっている。
 コントの合い間には角田作曲の楽曲を含むVTRが流れ、また笑いを誘う。これがまたかなり強力。力入り過ぎてちょっと尺が長いのはタマニキズ。
 居直り逆切れの『クレーム』、建前と本音の『落ち込む同僚』、その名の通りの『自虐』、攻守交替が見どころの『遭難』、察してくれない『恩師』、プレッシャーに負けそうな『誕生日』、いじられキャラと天然がせめぎ合う『カクピーの結婚』の全7本。笑いの連続だよ。個人的には『落ち込む同僚』が好き。
 カーテンコール。角田の暴走ぶりに飯塚と豊本がチクリ。舞台裏が聞けるのはとても楽しい。そして物販紹介でプライベートで観覧していたゆってぃが舞台上へ。場内大盛り上がり。嫉妬する3人。それもまた楽し。
 家に帰ってテレビをつけたら、TBSで『オールスター春の第感謝祭』が放送されていた。東京03にあんな芸能人の無駄遣い番組は必要ない。コント街道をひた走って欲しい。
 次回も来道してくれたら、絶対観に行こう。


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柏葉空十郎「ひとりぼっちの王様とサイドスローのお姫様」を読む(10.3.30)

 3作続けて青春小説。今回は幼い時にバッテリーを組んで甲子園出場を約束した二人が、高校でその約束を果たすため奮闘する物語。
 小学生のときにバッテリーを組んでいた綾音と巧也。中学時代は二人離れ離れ。ピッチャーの綾音はヨーロッパへ移住し、一人投球術を磨く。キャッチャーだった巧也はピッチャーに転向。全日本中学選手権を制し、世界の頂点にまで立った。でも、帰国後巧也と同じ県内一の進学校に入学し、野球部に入部した綾音に、巧也は「野球をやめた」と伝えるのだった。
 女子が甲子園に出場を許されるというちょっと歪曲した設定と、その実現に近い少女の存在が、この物語の肝なのだ。昭和の時代なら水原勇気だね。ところが意外とこの小説って、挫折を味わった巧也の再生物語だったりする。綾音はそのアシスト役。前向きでかわいい女の子にアシストしてもらえたらと思うと、羨ましいなぁ。
 進学校の野球部だもん、部員達の実力は知れている。でも、団結力と個々の長所を伸ばすことにより、狙うはジャイアントキリング。
 きっと、読む順番がいけなかったんだと思うんだけど、物語の構成は『走れ!T校バスケット部』と一緒かな。それでも、一緒に闘うメンバーに少女がいることで、心の中で応援するボルテージが高まってるかな。
 清涼感を味わえる小説です。


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伊藤園 第二回落語大秘演會
笑福亭鶴瓶 JAPAN TOUR 2009-2010 WHITE セカンドシーズンを観る(10.3.27)


 ツービートをはじめとする漫才ブームが吹き荒れたぼくの中学生時代。もちろんぼくもハマってたけど、漫才師になろうとは思わなかった。一人で笑いを取れる芸人に憧れていた。実験的新作落語で圧倒的な世界観を創り上げていた三遊亭円丈、ひとり芝居で独特な世界観を創り上げていたイッセー尾形、ラジオの持つアナログ感を取り入れた九十九一、『ヤンタン』『ぬかるみ』『突然ガバチョ』『YOU』で違う顔を見せ続けた笑福亭鶴瓶。ぼくの目指すべき笑いはそこにあると思ってた。
 あれから30年近く、そのうちの一人である鶴瓶師匠の、しかも滅多に聞くことのできない落語(本職のハズだけど)を聞くことができるなんて・・・うれしい。
 鶴瓶が仲の良い落語家のご当地に出向いて、二人会を開くというこの企画、全国を回って今日の札幌が最後の公演だそうで。お相手は札幌出身の三笑亭夢之助。夢之助って札幌出身だったんだ・・・。若くして全国区で活躍されてたから、そうとは思わなかった。
 まずは鶴瓶がPOPな私服で登場。テレビでもよく見る語りを聞かせてくれる。札幌の雪、靴、タイヤ。落語のエピソードや、今日演じる『青木先生』の予備知識。どの話をとっても面白くって、会場から笑いが起こり、温まる。準備はOK。
 そして鶴瓶と夢之助の競演が始まる。
●『転宅』 笑福亭鶴瓶
 とある妾宅に押し入った泥棒が、やり手のお妾さんにいかに丸め込まれるか。泥棒と妾という正反対の二人を、鶴瓶が演じ分ける。鶴瓶の女形、これが艶っぽいんだな。
 この噺、夢之助の師匠・夢楽の十八番(おはこ)だったそうで。夢楽と鶴瓶の師匠・松鶴が仲良しだったこと、弟子同士も仲が良いことから、鶴瓶が今日のために練習してきた一席だとか。泣けるじゃないですか。
●『チョーむかつく』 三笑亭夢之助
 これは古典でも新作でもなく、夢之助の生い立ちと現代社会の矛盾を面白く聞かせる噺。若くして全国区となり、地元メディアにあまり登場しない夢之助にとって、札幌はHOMEのようでAWAYに近いから。自己紹介替わりの一席。
 貧しいながらも楽しい我が家、苦しいながらも笑える下積み。夢之助の噺には懐かしの昭和が詰まっていて、ほんわか笑える。
<中入り>
●『お見立て』 三笑亭夢之助
 吉原の花魁が好かない客にどうしても逢いたくないため、若い衆(今で言うボウイさん?)に嘘をつかせるという噺。二枚目噺家の夢之助が演じる若い衆と客の間抜けぶり、そのギャップがまたいいの。花魁の肝の据わり方とかも。
 オチを言うときのさりげなさに、札幌出身・東京で学んだ噺家の粋が見えるのね。
●『青木先生』 笑福亭鶴瓶
 鶴瓶の高校時代の実話を元にした噺。総入れ歯の老教師をからかい続ける生徒たち。その中心に駿河学。奇抜ないたずらの数々と、青木先生のピーッ。
 なんだか楽しい情景が目に浮かぶ。そして、青木先生を演じているときの鶴瓶の顔は明らかに70歳の老教師の顔。本人曰く「乗り移る、降りてくる」そうだけど、まさにそんな感じ。ホッコリする一席。

 話芸としての落語のすごさをつくづく思い知らされる。それと、落語もコントも漫才も、演技力の占めるウェイトが大きいのに改めて気づく。なにごとも奥が深いです。
 演劇人としても登りつめた鶴瓶の落語、鶴瓶以外でもいろんな人の落語、古典も新作も、聞き込まないとその奥の深さはつかめないんだろうなぁ。


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LIVE POTSUNEN 2010「SPOT」を観る(10.3.22)

 小林賢太郎のソロ・パフォーマンスを観た。前回受けた衝撃もそのままに、ふたたび高度な笑いの世界を見せてくれた。落語テイスト、言葉遊び、音や映像といった構成はほぼ一緒ながらも、新たなネタを披露してくる。
 小林賢太郎のソロ・パフォーマンスって、プロセスが物凄い。正直、オチはかなりわかりやすい。でも、オチに至るまでの過程や仕掛けが物凄い。そこに笑いもいっぱい詰まってて。いろんな意味で計算されつくした笑いを提供してくれる。
 この人の頭の中はどうなっているんだろうか?
 思いついたことをどうやって具現化しているんだろうか?
 それは単なる笑いではなく、ARTに近いものなのだ。一人でやってのけることで、物凄い境地に達しつつある。いつの日か、東京近代美術館で彼の特集が組まれたりするかも。ホント、新しいジャンルの笑いと言うか、試みでいっぱいなんだよね。
 なんだろうか、その手法ばかりに目が行ってしまうけど、もちろんネタも言うまでもなく面白い。特に押しどころと引きどころの使い分け。畳み掛けるところは一気に、引くときはあっさりと。
 センスのいい笑いを堪能しました。


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松崎洋「走れ!T校バスケット部」を読む(10.3.16)

 ホント、おじさんになると青春が恋しくなる。若さがうらやましくなる。そんで、若さのほとばしる物語を読みたくなる。そこに殺人や無理なミステリーは必要ない。ただただ楽しくて仕方がない毎日の記録があればそれでいい。悩みや葛藤もいつしか笑って話せる日が来る。そんな記録が読みたいのだ。
 そんで今回読んだ『走れ!T校バスケット部』。もう、突っ走っている。弱小バスケ部が常勝高校からドロップアウトした転校生と個性的な面々により、快進撃を始めるという物語。バスケ・エリート集団の中で忘れてしまった、バスケを楽しむという気持ちを、弱小バスケ部が思い出させてくれた。みんなでバスケを楽しむ毎日が続く。勝ったことなかったチームが勝利の味を覚え、ますますバスケが好きになる。もっと勝ちたいと思う。みんなでバスケを楽しみたいと思う。
 なんと純粋な物語だろうか。読んでいる方も楽しくなる。荒唐無稽な設定も随所にあるけど、「楽しい」で押し切れる勢いがある。この勢いって大切で、躊躇すると物語が一気に陳腐になってしまうんだよね。
 悩みは尽きない年頃だけど、それをも忘れ去る楽しいことが必ずあるってこと、いつも心に置いておきたいよね。
 とにかく楽な気分で、物語の登場人物と「楽しい」を分かち合ってください。そんな楽しい物語です。


エスニック
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誉田哲也「武士道シックスティーン」を読む(10.3.8)

 公共の交通機関を使って出張すると、本を読むのが進むよね。先日の出張は移動中に珍しく寝なかったから、進む進む。もちろん面白い小説だとなおさら。
 ってことで『武士道シックスティーン』なのだ。文庫化を切望しまくってたんだけど、先に映画化が決まって。主演が成海璃子と北乃きいって話だけど、いかがなものかと思ったりして。
 ところがさっ。読んでたらもう成海璃子と北乃きいしか思い浮かばない。真反対の性格と思い入れを持つ香織と早苗。この二人が剣道を通して友情を育み、成長していく物語。宮本武蔵に心酔する剣道一筋のエリート剣士・香織は絶対成海璃子。あのきりっとした凛々しさ、芯の強さはピッタリで。対する剣道初めて日が浅く、おっとりとした小動物系の早苗に北乃きい。あの人懐っこそうな笑顔はストライク。いやなことがあっても健気にがんばる・・・うぅっ。
 中学時代、香織が憂さ晴らし的に参戦した小さな剣道大会で、香織を負かしてしまった無名の選手が早苗だった。その負けが認められず、早苗と同じ高校への進学を決意する香織。そして、剣道に真摯に向き合う高校1年・16歳が始まる。
 好対照な二人を主人公とする青春物語はいっぱいある。普通は片方が語り手になるか、第三者が語り手となる場合が多く、片方の心情はより深く、他方の心情はちょっと謎に包んだりする。片方が他方をわかろうと努力する。その努力を読者もでも、共有するつくり。でも今作は章ごとに語り手が交互に変わる。その時々の心情を、本人がその都度聞かせてくれる。だから読み手も片方に思い入れすることなく、一緒に悩むことができる。一緒に笑えることができる。それが面白くて楽しい。
 剣道をやったことも見たこともないけど、二人の少女の共有できる絶対的アイテムとして描かれる剣道は、違和感なく頭に入ってくる。剣道の持つ躍動感、相手と対峙したときの研ぎ澄まされた感覚。どれもが未経験者でも容易に共有することができる。上手いなぁ。
 二作目、三作目も既に単行本で刊行されている。早く文庫化してよ。そして成海璃子と北乃きいが演じる映画も。楽しみが尽きないなぁ。
 とにかく二人の少女と一緒に成長できる本なのだ。この清々しさはお薦めです。


エスニック
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伊坂幸太郎「陽気なギャングの日常と襲撃」を読む(10.3.5)

 シリーズもの一気読みなのだ。端的に言うと、このギャング団のとりこになっているのかもしれない。ドンパチがほとんどないギャング小説。いや、詐欺師の暗躍するコンゲーム小説と言った方がふさわしいかも。
 タイトルとおり、今回はギャング団ひとりひとりの日常的エピソードが綴られている。銀行強盗を生業とする彼らとかけ離れた牧歌的な日常。人生の裏街道まっしぐらでも、金欲におぼれるでもない生活。それこそが彼らの生業をスマートにし、成功率を高める要因なんだろう。
 第一章で描かれる各人の日常が、第二章で徐々にリンクする。次はどのエピソードがリンクするのか、推理しながら読むんだけど、適度に裏切られたりして。人助けのために身体を張って奔走するさまは、銀行強盗している時のスマートさとかけ離れていて面白い。銀行強盗という大罪をスマートにやれてしまうためか、その穴埋めにスリルを求めているみたい。人助けはスリルの宝庫なのかもしれない。
 今回も最後はホンモノがわかる男の手のひらでみんなが踊るんだけど、種が明かされるとニンマリしてしまうんだな。
 ひとつだけ願望がある。金に執着のないお人好しの彼らだとしても、銀行強盗で稼いだ金を善意だけで気前よくくれてやるのは勘弁願いたい。その分は然るべきところからきっちり回収している裏エピソードを期待してます。ホンモノのわかる男なら、やってくれてるよね。


エスニック
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「ゲキ×シネ 蜉蝣峠」を観る(10.2.27)

 いのうえ歌舞伎★壊PUNKなのだ。いのうえ歌舞伎が宮藤官九郎の脚本で壊PUNKとなってお目見えだい。昨年話題になったこの舞台を、ゲキ×シネで観られる。うれしい限りでございます。
 いのうえ歌舞伎の大看板・古田新太。彼の舞台映えたるや、現役俳優No.1と勝手に思っているのだ。今回も大たわけモノから大立ち回りまで、その魅力を存分に見せてくれる。最初のブラちん姿を観たときはどうしてくれようかと思ったけど、ラストシーンの彼には涙、涙。かっちょいいんだな。
 そんな古田新太の向こうを張るのが堤真一。『野獣郎見参〜Beast Is Red〜』で彼が新感線の舞台で躍動する姿を観て、イメージががらっと変わったんだよね。古田新太の芸のふり幅に対応できるのは、ホント彼くらいでしょ。ぼくの中ではゴールデンコンビ。二人の絡み、立ち回りは見応えたっぷりなのだ。ドラマや映画とは違う一面が見れて、うれしいのだ。
 過去の記憶をなくした闇太郎が、長年過ごした蜉蝣峠を出て宿場『ろまん街』で出会ったのは、25年前に約束を交わしながらも離れ離れとなったお泪だった。未遂に終わった一揆、ろまん街を襲った大通り魔。遠い過去が怒涛のように押し寄せてくる。天晴の描く絵図が人々を翻弄する。二人に隠された過去とは?二人の行き着く未来とは?
 今更書く必要もないだろうけど、面白いのです。この世界観にハマったら、おそらく抜けられなくなること必至でしょう。新感線のチケットは高価かつ入手困難なため、このところすっかりナマ観劇はご無沙汰だけど、ゲキ×シネであの興奮が蘇ってしまい、また観に行きたいと思ってしまう。この商売上手が・・・。
 それはそうと、高岡早紀、色っぽいぞぇ。


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SDN48「誘惑のガーター」を観る(10.2.20)


 あれは25年前。大学受験に失敗し、浪人生活を余儀なくされたぼくの前に彗星のごとく現れた伝説的番組が、秋元康プロデュースの『夕やけニャンニャン』だった。同年代の女子との接点が一気になくなったぼくにとって、同年代の女の子が大勢出演するこの番組は、心のオアシスに近いものがあったと思う。
 あれから25年。あと2日で後厄も明けるという歳になったぼくが、またしても秋元康の戦略に踊らされることとなろうとは・・・。
 Yahoo!ニュースで「18禁のアイドルグループSDN48、AKB48の姉貴分・・・」ってのを見つけて、ググってみたら上の画像。「おおっ!」って思うでしょ、男なら。誘惑されるでしょ、四十路でも。
 同時期に上京するアキラを誘い、遠隔枠抽選なるものに応募したら、見事に当選。いざ、会場となるAKB48劇場へ。
 全員がOVER20ということなんだけど、多くのメンバーが十代でも通じるのでは?おじさんは女の子の年齢に疎いからかもしれないけど。AKB48自体をよく知らないから、比較はできないけど、SDN48のステージは確実に色香が漂う。歌う曲の歌詞、踊り、衣装、どれをとっても挑発されている。こりゃ若造が見ると勘違い続出だわ。おっさんでも勘違いしている人多そうだし(ぼくもその一人?)。18禁の一番の理由は上演時間らしいけどさ。
 どの曲もメンバーの一生懸命さからくる清々しさも伝わってきて、色香と融合されるといい心地になるんだな。なんていい子ぶったこと書いてはいるけど、やっぱりステージタイトルにもなっている『誘惑のガーター』には胸を撃ち抜かれること必至です。
 もちろん挑発モードだけでなく、MCコーナーでは初々しさも満載。このギャップがまたファンをひきつけるんだろうなぁ。妖艶だけのアイドルってこれまでもいたけど、長続きしなかったと思うし。
 終演後、メンバー全員がハイタッチで送り出してくれる。かなりうれしかったりして。常連さんはなんか会話してたなぁ。ぼくは笑顔で「どうもありがとう」としか言えなかったけど。
 会場の多くを埋めていた常連さんみたいな熱心さはまるでないけど、機会があればまた観たいと思えるステージだった。顔と名前を覚えられたのはごく数人だけだったけど。
 えっ?お気に入りの子ですか?恥ずかしいなぁ・・・。センターの加藤雅美さんと、セクシーハンターの大堀恵さんで。


エスニック
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AGAPE store「残念なお知らせ」を観る(10.2.20)

 松尾貴史と演出家・G2の演劇ユニットAGAPE storeの最新公演『残念なお知らせ』は、12年続いたユニットとしての活動を終了するという”残念なお知らせ”の告知とともにスタートした。ぼくは『BIG BIZZシリーズ』しか観ていないけど、この”残念なお知らせ”は残念で仕方がない。
 長崎県のとある壁の薄いホテルの一室。子供番組の地方公演で訪れた一行(歌のおにいさん、おねえさん、体操のおにいさん、人形操者、プロデューサー)に届く”残念なお知らせ”の数々。翌日に控えた公演を揺るがす”残念なお知らせ”たちの前に屈することなく、彼らは公演を成功させることができるのだろうか。
 ホテルの一室という狭い空間でのリアルタイムなシチュエーションコメディ。ぼくのストライクど真ん中なんだよね。なので、入場して舞台を見た瞬間からワクワクしてしまった。そして、最初からメインとなる松尾貴史と片桐仁がそこに立っている(松尾貴史はおそらく座っていただろうけど)。この潔さは観ててすがすがしい。
 子供番組とかけ離れた状況。夢の世界とリアルな現実とのギャップ、それぞれの思惑と意気込み。その落差が大きいほど、笑いが増幅される。そして、微妙なバランスを次々と崩していく”残念なお知らせ”。
 世の中って、必ずしも知る必要のないことってあるじゃない。知らないことで上手くいってたのに、知ってしまったためにギクシャクしてしまう。知ってしまった後でひどく後悔したり。”残念なお知らせ”はことごとく陰の部分をあぶりだしていくんだよね。その部分においては、とても楽しいシチュエーションコメディなのに、かなりブラックなサイコホラーみたいな一面もあって、観ててドキドキしちゃった。
 状況により繰り返される結束と崩壊。刻々と経過する時間。このままで本当に翌日の公演を行うことができるのだろうか?
 緊張と緩和が絶妙なサイコホラーシチュエーションコメディ。AGAPE storeのラストを飾るにふさわしい作品になっていたと思う。派手さはないけど、とても面白くて、確実に心に刻まれる。さすがの一言。
 出演者は6名なのに、子供番組の一行は5名。残る一人は・・・?それは観てのお楽しみです。


エスニック
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「TALK LIKE SINGING」を観る(10.2.19)

 三谷幸喜2作目のミュージカル『TALK LIKE SINGING』。香取慎吾主演、初演がオフブロードウェイということで話題になった作品の凱旋公演とでも言いましょうか。三谷ファンとしてはなんとしても観ておきたい作品。
 ミュージカルを自然なものとするために三谷幸喜が今回選んだ設定が、歌わないと話せない青年・ターロウの物語。これならミュージカルが必然となる。相変わらずの策士だのう。ターロウの頭の中にはバンドがいて、バンドが奏でる演奏にあわせて話をしているという。ということでオケピが用意されているけど、そこにいるのは6ピースバンド。フルバンドでないところに、頭の中のバンドのリアルさを感じる。この設定は、音楽監督の小西康陽の発案だそうで。
 三谷作品だから面白いのはわかっているけど、今回の作品も当然のごとく面白かった。香取慎吾の表現力、川平慈英と堀内敬子のエンターテインメント、新納慎也の新鮮さ。これに三谷の脚本と演出、小西の音楽が加わるんだもん、無敵に近いでしょ。贅沢。
 日本語と英語が交錯する作りとなっているけど、それはそれであまり気にならなかったかな。むしろ、アリやカエルのくだりなんかアメリカで通用するのかと心配してしまうくらいだけど、大いに笑えた。世界共通の笑いって、大人が考えたものではなくて、子供の日常にあるのかもしれない。
 音楽、作品にとてもマッチしてた。小西康陽のシンプルな楽曲ってあまり聴いたことがなかったけど、あの曲調がターロウの心情にすごくフィットしていて、申し分なし。
 個性と社会適応能力、どちらを尊重すべきかはいろんな場面で遭遇する問題だと思う。口では「個性」と言うけれど、正直身近に対象がいる場合は「適応能力」と言ってしまう。人って身勝手なものじゃない。でも、ターロウのような存在と真摯に向き合うことで、新しい一歩を踏み出せるのかもしれない。
 予想はしていたが、会場となる赤坂ACTシアターの客席を埋めるのは95%が女性客。しかも見るからにジャニーズファン。観客の反応もいつもの三谷作品とは一味違っていた。リピーターも多かったようで・・・。マナーは・・・。
 三谷幸喜2作目のミュージカルも、とても面白い、しかも心に響くいい作品だった。できればぼくもDr.ニモイに「あなたはできる子」と言われたい!


エスニック
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伊坂幸太郎「陽気なギャングが地球を回す」を読む(10.2.18)

 人気作家・伊坂幸太郎。ぼくは勝手に「禁断の作家」と呼んでいた。おそらく読み出したらハマって止まらなくなりそうだから。でも、とうとう手をつけてしまった。そして、ハマってしまいそうになっている。それは決して偶然ではなく、必然であるがごとく。
 4人組の銀行強盗団の物語。彼らのモットーはいかにスマートに金を手にするか。時間がかかったり、立てこもったりすると、検挙率が高くなるばかりで成功率が減ってしまう。手荒い真似はしないけど、効率を良くするために威嚇射撃の1・2発は致し方ない。
 そんな銀行強盗団を束ねるのが、嘘を見抜くことができる成瀬。彼の前では本心が見抜かれているかのよう。そして、成瀬の学生時代からの友人で、本当のことを言ったことがないのではと言われる饒舌な響野。正確な体内時計を持つ雪子。掏りの才覚を持つ久遠。それぞれが持ち味を生かし、チームとして機能していく。
 そんな百戦錬磨の彼らが、逃亡中に盗んだ4千万円を横取りされた。それは偶然か?はたまた、必然か?奪われた4千万円の行方は?リベンジに向け、チームが動き出す。
 このチームのすごいところは、金に困って銀行強盗をしているのではないところか。まるでゲームかのように事を楽しんでいる。その余裕がチームとしての機能をよりよくし、成功を生んでいるのだろう。なので、この物語の面白さは強奪やドンパチではなく、計画遂行の過程にある。騙し、騙され、欺きあう。時として仲間をも欺く。でも、唯一一人だけ欺けない男がいるんだな。くやしいけど、そこがまたジョーカーになっていて面白いんだな。
 ドライ感覚のコン・ゲームを書くとは、まさしくぼくの好みではないか。やっぱり伊坂幸太郎にハマっちゃったよ。


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「ゴールデンスランバー 」を観る(10.2.6)

 人気作家・伊坂幸太郎。あまりにも人気がありすぎて、読むのに気後れしてた。でも、この映画の予告を観ると面白そうだったので、伊坂幸太郎解禁。小説を読み始めたのに続き、映画も観ることにした。
 アイドルを救出したことで一躍有名となった宅配ドライバーが、首相暗殺犯に仕立てられた。友人の「生きろ!」の言葉を胸に、孤独な逃走劇が始まった。執拗に彼を追い詰める警察。次々と出てくる身に覚えのない証拠。彼が信じるべき人は誰なのか?彼の無実は証明されるのか?
 展開、カメラワーク、エピソードのどれもがGOODで、飽きることなく夢中にさせてくれる。逃走劇の疾走感と、回顧録の安らぎが上手い緩急になっているんだな。
 それにしても、イメージとは恐ろしいものだ。美談を醜聞に変え、賞賛を侮蔑に変える。本質は変わっていないはずなのに。これが我が身に降りかかると思うと、たまらんですわ。
 主人公・青柳はとても災難だけど、かなりうらやましい。彼に揺るぎないイメージを持ち続けてくれる人が複数いるんだもん。
 話としてはネタバレになるのでどこまで書いていいのやらなんだけど、物語なんだから現実的な着陸よりも完全決着を観たかったかな。
 以前どこかに悪役を演じる吉岡秀隆を観てみたいと書いたけど、今日思った。あの声だと悪役は無理だ。残念。
 キャスト的には劇団ひとり演じるカズオの恋人役に吹き出してしまった。小技が効いてます。
 なんか伊坂幸太郎ワールドにハマってしまいそうな予感です。


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「Dr.パルナサスの鏡 」を観る(10.2.3)

 2010年、やっと映画を観ることができた。急逝したヒース・レジャーの遺作であり、彼が撮り残したシーンを3人の親友が代役した、しかも出演料を彼の遺児に寄付したという、映画以上に泣ける裏話のある『Dr.パルナサスの鏡』。このテの友情に弱いぼくとしては、始まる前から涙モノだったんだよね。
 テリー・ギリアムが紡ぐ大人の童話。眩い夢と醜い欲望と皮肉な現実が入り乱れる物語。Dr.パルナサスが操る鏡に魅入られる人々がたどるのは、純真無垢な世界か、それとも毒を含んだ世界か。
 永遠の命、富、名声・・・。人の欲って果てることがないんだなぁ。欲を持て余し、人を弄ぶ。身につまされる部分も多く、そのたび心苦しくもなる。でも、希望を忘れない人により照らされる光に救われるんだな。ちょっと哲学的な言い回しかもしれないけど。
 ヒース・レジャーの遺志を継いだジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの活躍に目が行ってしまいがちだけど、ヒース・レジャーのポテンシャルの高さが凄すぎた。金持ち女性の選択に今は亡き名優が例えで登場するんだけど、その中にヒース・レジャーも加えて欲しいくらい。
 それにも増して目を引いたのが、Dr.パルナサス一座の舞台。馬に牽かれて移動する住居兼舞台が魅力的で。ぼくも乗って旅をしてみたい。
 すごく心に響く大人の童話。ぼくの歩いている道は正しいのかななんてふと思ったりするけど、それだけシニカルな童話に仕上がっていて、面白かった。


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海堂尊「ジェネラル・ルージュの伝説〜海堂尊ワールドのすべて」を読む(10.1.24)

 海堂尊作品の今『イノセント・ゲリラの祝祭』と昔『ブラックペアン1988』を読んでしまうと、桜宮サーガの全体構成が知りたくてたまらなくなる。そこで、海堂尊ワールドの解説本でもあるこの本を買うこととした。本来なら文庫化されるまで待ちなんだけど、相関図とかは文庫化で縮小されると見づらいだろうし、とりわけ今すぐに読みたいし。
 それよりも魅力だったのは、『ジェネラル・ルージュの凱旋』で登場した速水が、いかにして東城大学付属病院に君臨する医師になりえたかを綴った、『ジェネラル・ルージュの伝説』が読みたかった。速水もさることながら、『ブラックペアン1988』の主人公で、速水のオーベンでもある世良のその後と、如月との恋の進展が読みたくて・・・。世良が現代に登場しないことの答えがここにあるのかもと思って・・・。
 速水が出てくると、物語が重厚になる。緊張感が一層高まる。それが研修医の頃からときたもんだ。遠めに見ると頼もしい、でも近くにいるとちょっと・・・って感じ。すべての人を自分のペースに巻き込む男。でも、物語が速水の伝説だけにとどまらず、桜宮サーガを一貫して支えている『ラプソディ』にもおよんでいるのにニヤリ。ちょっとした時系列のズレには目をつぶり、その物語を堪能しましょう。ジェネラル・ルージュと伝説の歌姫の誕生に乾杯です。
 そして、『海堂尊ワールドのすべて』。ますます桜宮サーガを読み進めたくなる逸品。今後も新刊(文庫)が刊行されるたびに確認しながら読むんだろうなぁ。


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海堂尊「イノセント・ゲリラの祝祭(上)(下)」を読む(10.1.18)

 『ブラックペアン1988』を読み終えてすぐ、桜宮サーガの王道である田口・白鳥コンビの第4弾を読めるなんて。この上ない幸せとでも言いましょうか。
 今回の舞台は東城大学付属病院ではなく、厚生労働省。いつもはずかずかと白鳥が乗り込んでくるんだけど、今回は田口が白鳥の本丸に乗り込む。とはいえ、白鳥のご招待である以上、田口はまたしても白鳥の掌で踊らされているんだけどね。
 作者が一貫して訴えているエーアイの導入。今回は現時点でエーアイ導入を妨げる諸問題について、検討会という場での激論を通して描かれている。それは解剖学であり、法医学であり、法であり、官僚であり。医療事故調査委員会・創設検討会という、名前だけ聞くと被害者のための委員会を愚弄するかのような対立が、そこで繰り広げられる。この不毛な会議を打破し、真の医療のあり方を討議する場に立ち戻すことができるのは、田口か?白鳥か?それとも・・・。
 今回の見せ場はやはり討論。それぞれの立場で話される堂々巡りと、俯瞰することで見えてくる矛盾や不備。そして全てを凌駕するかのような圧倒的な強者の出現。その言葉のひとつひとつを早く読みたくて。もう楽しくてたまらない。
 非常にナーバスな医療問題を題材にした、とてつもないエンターテイメント。残念ながらこの作品は問題点が多すぎるのと、ミステリアスに欠けるところが多いので、映画化されることはないだろうけど、面白さは屈指だよ。
 この作品のポテンシャルの高さは凄まじい。それゆえに海堂尊の主張を全面的に受け入れたくなってしまう。でも、ぼくは医療についても法律についてもド素人なので、まずは俯瞰して見る目を持つように心がけたい。なんてね。
 『北』とか『南』とか、桜宮サーガの伏線もいっぱい。ますます桜宮サーガから目が離せません。


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海堂尊「ブラックペアン1988(上)(下)」を読む(10.1.12)

 田口・白鳥コンビが医療問題を背景としたトラブルに立ち向かう、桜宮サーガの起点となる物語が、本作。舞台はバブル盛りの頃の東城大学付属病院。サーガでは田口に無理難題を押し付ける高階病院長が赴任してきた頃、田口がまだ学生の頃のお話し。
 今回の物語は医療危機の種を描いている。でもそれはサーガでいうところの現代が対峙している医療制度ではなく、医師の倫理観について。佐伯、黒崎、高階といったお馴染みの面々に加え、田口、速水、島津の思想の原点がここにある。
 医師のあるべき姿の対立、地方大学と中央大学の対立、佐伯外科に渦巻く様々な対立に、入局1年目の若造・世良が巻き込まれていく。サッカー部でサイドバックとして活躍した世良は、迫り来るハードマークをかわしてゴール前まで駆け上がることはできるのか?
 各医師のみならず、藤原看護士長や猫田、花房の若かりし頃が物語にはいっぱいで、読んでいてニンマリ。それに加え、バタフライ・シャドウや水落冴子の『ラプソディ』といった小ネタも揃ってる。でも、それだけじゃない。初登場の世良や渡海といった医師がまた魅力的なんだ。彼らのそれからも知りたい。今後、サーガに登場するのか?今なにしているのか?
 とにかくスピード感溢れる物語だった。それぞれの倫理観のぶつかり合いは、読んでいて圧巻の一言。原点にして高みといった趣きは凄いなぁ。
 こんなの出されたら、ますます桜宮サーガにのめり込んでしまうではないか・・・。そんでもって、書店には『イノセント・ゲリラの祝祭』の文庫版が並んでいるし・・・。


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