artな戯れ言2015


このページではartな戯れ言を集めて掲載しています。



「CATS」を観る(15.12.29)

「ネコの祭典を覗き見しまして」
 
 最近知ったんだけど、うちの会社の本社や他支社には、ぼくと同じように舞台好きが数人いるようで。先日、その中でも劇団四季好きが揃った飲み会があり、かなり盛り上がったんだけど、ぼくが『CATS』をまだ観ていないと言うと、ランキング最下位に急降下。札幌でのロングラン公演も来春3月までなので、混みあう前にぜひ観ておかねばと。
 さすがに世の中冬休み。小さいお子様からお歳を召された方まで、劇場は満席で。何より側面のガラクタを模した装飾と舞台からハミ出んばかりのセットに圧倒される。おいおい、そんなごちゃごちゃした中で踊り歌うの?なんて心配をよそに、セットが回転してスタート。次から次へと這い出てくるネコたちに、視線を泳がせながら観入ってしまう。
 ぼくの勝手な印象だけど、『CATS』は天上に向う一匹を決めるコーラスラインかなと。猫たちにはそれぞれに物語があり、歌と踊りで紹介されていく。一幕終了の時点では正直「...」だったけど、気づけばあとは楽しむだけ。なにせひとつひとつの歌と踊りはとても楽しいんだから。
 いつものことなんだけど、やはり横文字(カタカナ)の名前は覚えられない。とくにメロディに乗せられると、そもそも聞き取れない。ぼくでもそうなんだから、お子様なんてもっとそうなんじゃないかと心配してしまう。でも、猫一匹一匹があまりにも個性的で、視覚的に受け入れられる。これってスマホや家電で用いられているグローバルデザインと同じこと?うまくできてるわ。猫の顔のフェイスパックもグッズとして売られてたし。買っちゃったし。
 ぼくの周りにはさほど英語が堪能でないのに、本場で観た人が数人いたけど、ストーリーに重きを置いてないので、わかりやすい。ぼくでもバッチリ楽しめた。しかもすっごく。
 これで四季好きに一歩近づけたかな?



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「完全なるチェックメイト」を観る(15.12.26)

「病むまで賭けれるなにかがぼくにはないので、病む人の気持ちはわからない」
 チェスの世界で絶対王者であり続けたロシア勢に黒星を付けたアメリカ人。世界が震えた<神の一手>に辿り着くまでの物語。
 必ずしも恵まれた家庭環境ではなかった幼少時のボビー。寂しさをいやすため、彼が没頭したのはチェスだった。そしてひたすら高みを目指し、打倒・絶対王者を志す。
 なんとも奥深い世界。東西冷戦で両者手足が出せない中、唯一武力の代わりになりうる存在だった頭脳戦。チェスのルールを知らないので、ついていけるか心配だったけど、そこは全然大丈夫。手に汗握る神経戦が始まる。
 世界最高峰の頭脳の激突だもん、そりゃ大変だわ。凡人にはわからない。ゆえにボビーの行動はぼくにはさっぱりわからない。だからこそ生まれた最高の一手。天才のみにしかわからない、凡人の立ち入ることのできない世界なんだな。ぼくがわかるとすれば、二人の対戦に熱狂する一般市民の気持ちくらいかな。まるで秋のラグビーフィーバーみたいに。
 ということで、面白くもあるけど、わかりづらくもある、凡人にはちとつらい映画だったかな。


エスニック
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ハッピーエンドの選び方」を観る(15.12.25)

「旅の終わりがハッピーエンドならいいのに、キミの顔色窺いながら Oh... ♪」
 末期のがんで闘病に疲れ果てた親友とその妻の懇願により、安楽死装置を開発ヨヘスケル。無事願いをかなえてあげることができたはいいが、なぜかうわさが広まって、安楽死を依頼する重篤患者が次々と。ヨヘスケルの妻レバーナは尊厳死ではなく殺人だと断罪する。依頼に応えるべきか、妻の意見に従うべきか。
 正直、コメディだと思っていた。安楽死装置に振り回される老人たちを滑稽に描いた作品じゃないかって。だって、このチラシの空の色。澄み切ってるじゃない。でも、”老い”と”死生観”について真摯に描いた重厚な作品だった。
 延命治療、認知症。自分の意思はどこまで反映されるのか。自分らしくあることはどこまで可能なのか。人は本当にハッピーエンドを迎えることができるのか。
 ぼくにはまだ実感がわかないのが正直なところなんだけど、死ってやっぱりつらく哀しいことで、安らかに死ぬなんて今の世の中できないんじゃないかな。なにをもってハッピーエンドとするか。もしかしたらそれは本人ではなく、残された者が決めることなのかもしれない。自分のこともあるけれど、残された者に少しでもいい思い出を持ち続けてもらいたいって。
 すごくシリアスながらも、時折ユーモアが挿入されて、無理なく死について意識することができた。これ、難しい問題だけど、避けては通れない問題だよね。
 イスラエル映画の真摯さを感じることができた。


エスニック
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「007 スペクター」を観る(15.12.23)

「ダニエル・クレイグ=ボンドの集大成。でもチンクのお尻はつつかないで」
 いま気がついた。007ジェームズ・ボンドは『水戸黄門』ではなく、『スケバン刑事』だったのね。何人もの俳優が同一人物を演じるのではなく、007ジェームズ・ボンドという屋号を受け継いでいくみたいな。だからダニエル・クレイグ=ボンドは衰えを描くし、出生の秘密にも踏み込んでいる。東西冷戦時代から世の中が大きく変わってきているのだから、必然ではあるんだけど。
 いやぁ、クールだよなぁ。最初はMI6じゃなく、KGBにしか見えなかったダニエル・クレイグ=ボンドも、慣れなのかな。もうMI6の凄腕エージェントにしか見えないもん。ユーモア感にちょっとかけるけど。
 でも、今回は濃密だったなぁ、ストーリーも、アクションも。前作『スカイフォール』の展開を引き継ぎ、壊滅寸前のMI6の最後の砦として、自らの過去と対峙しながら闘うジェームズ・ボンドがたっぷりと。粋な口説き文句はないけど、その男らしさでボンドガールもメロメロさ。
 なんともかっこよかったとしか言葉が出てこない。これまでのイメージを覆したジェームズ・ボンド。それもまた時代の流れということか。次の人選、難しいだろうなぁ。いっそ、往年のユーモア路線に戻すってのはどうかな?
 見応えたっぷりの007。ダニエル・クレイグ=ボンドの見納めには最高の作品です。
 個人的にはQのスピンオフが見てみたい気分。誰か作って。


エスニック
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「スター・ウォーズ フォースの覚醒[2D]」を観る(15.12.20)

「レイア姫の『 We Can Do It ! 』、本編のセリフじゃないけど、それもリスペクト?」
 公開初日から3日間限定で2D版を観た人だけが購入できる鑑賞日入りパンフレットがあるというので、一昨日[IMAX3D]版を観たばかりだけど2D版を観てきたのだ。
 そうそう、今日はストームトルーパーが会場に来ていたので、仲良くパシャリ。こいつが後にフィンになる?
 とはいえまだ公開3日目。やっぱり何か書こうとするとネタバレになっちゃうよね。ちょこまかあやうい言葉が織り交ぜられているかもしれないので、読まれるときはご注意を。
 さして間を開けずに観たというのに、新鮮であり、とても面白い。のっけから涙が出そうになり、ミレニアム・ファルコンに狂喜乱舞し、ハン・ソロ登場でノックダウン。でも、これはまだまだ前半の出来事。しかも、レジスタントのNo.1パイロット・ポーとストームトルーパー離脱兵・フィンの脱走劇や、レイとフィンの出会いと逃走などなど、盛りだくさんなのだ。それだけで1本観たような気分。でも、当然ながらそれだけじゃない。めくるめく怒涛の展開が、これでもかって押し寄せてくる。
 と、今回はここまでの記載ということで。これくらいなら許されるよね、きっと。もちろんもっと書きたいことはいっぱいあるんだけどさ。次はいつ観に行こうかな…。どこまで書けるかな…。
 2時間15分がとてつもなく長いような、あっという間の瞬間のような。濃密で、濃密で、時の流れを忘れさせてくれる2時間15分。最高です。
 
左が通常版パンフ、右が限定版パンフ


エスニック
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「スター・ウォーズ フォースの覚醒[IMAX3D]」を観る(15.12.18)

「『 I know 』はぼくらの合言葉」
  ついに来ました、12月18日。10年待った12月18日。SWサーガの新章突入、記念すべき公開日。朝の情報番組もYahoo!のニュースもスター・ウォーズでいっぱいなのさ。もちろんぼくの頭の中だって。
 何度予告編を観て胸ときめかせたことか。シリーズ6作はDVDで復習したし。連日の飲み会も昨夜はー軒でやめて、体調だって万全さ。
 ここでぼくの計画を。初日の今日はTMAX3Dで純粋に映像と音に浸りながら、初見を楽しむ。次に2D版でストーリーをじっくり味わって、最後に4DX3Dで無邪気に楽しむ。計画は完璧さ。ただ、3回で満足するかどうかが心配で。
 なんで前置きが長いかって?そりゃなに書いたってネタバレになりそうじゃん、公開初日なんだから。でも書いちゃうよ。怒られない程度で。
 もうね、ルーカスに替わってメガホンをとったJ・J・エイブラムスのSW愛に感激。そこここにリスペクトが伝わってきて、正直涙が出てきちゃった。でも、そのリスペクトがファン目線じゃなくて最高のクリエーターであるところが、本作を最高に面白くしている。楽しくてたまらないんだよね。
 映像もすごかった。これは IMAX3D だからなおさらすごかったんだと思うけど、もう圧倒されまくり。20日に2D版を観に行くんだけど、どうなんだろうか。とにかく IMAX3D がおすすめ。ちょっと高いけど、比較的チケットとりやすいし、お値段以上の感動を得られると思うよ。
 映画の冒頭に20世紀フォックス社のファンファーレが聴けないのがちょっと寂しかったけど、エンドロールの録音スタジオにその名が見れてうれしかった。
 そうそう、ダース・ベイダーとカイロ・レンのコスプレしてた人、いたよ。
 とにもかくにも、すっげー面白かった。新3部作、期待Maxだよ。



エスニック
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「死刑執行中脱獄進行中」を観る(15.12.15)

「不協和音に蠢く変幻自在のローソン地、概念すべて木っ端微塵」
 原作である荒木飛呂彦の短編を読んだわけではないんだけど、マンガが原作なんだから主人公がいかに脱獄するかを面白おかしく見せてくれるんだろうなぁ…なんて安易に思ってた。だから、バンドの重低音と不協和音が鳴り響き、幕が上がって森山未來が第一声を発しても、、その異様さには気がつかなかった。でも、徐々に異様さが会場内に蔓延し、いつしか押し寄せてくるローソン地に呑みこまれてしまう。なんじゃこりゃ。
 さしたる説明もなにもない。でも、怒涛のように押し寄せ、際限なく絡みつくローソン地こそが、主人公に課された死刑執行なんだろう。あがけばあがくほど、逃れようとすれば逃れようとするほど、押し寄せ続けるローソン地。もうこれはサイコホラーそのものなんだ。
 なにが凄いって、布とフレームと音以外、すべてが肉体。絶えず動き続け、ひるまなく仕掛け続ける肉体の世界。どうしたらこんな演出が考えられるのか。どうしたらこんな動きができるのか。ただただ驚きの一言。ぼくの持つイメージがいかに陳腐だったかを、徹底的に思い知らされてしまった。
 ダンス畑から役者の道に進んだ森山未來。彼が表現したかった世界って、これのことだったのか。つくづく感動。
 ローソン地から解放されたとき、彼は本当の意味で解き放たれることができたのだろうか。
 すごい舞台でした。


エスニック
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「海賊じいちゃんの贈りもの」を観る(15.12.12)

「雨降って地固まる。じいちゃん燃えて・・・」
 この映画が札幌では1日1回2週間限定計14回だけの上映だなんて…。こんなに面白く、こんなに幸せな気分になれる素敵な映画なのに。
 まじめで嘘が嫌いなロッティ、奔放で北欧神話の神・オーディンを敬愛するミッキー、石が友だちで不機嫌になると倒れるまで息を止めるジェスの三姉弟。75歳になるじいちゃんの誕生パーティ出席のため、ロンドンからスコットランドへ。仲が冷え切り、離婚調停をしている両親とともに。
 じいちゃんと共に暮らす家族もそれぞれ問題を抱え、死期を自覚するじいちゃんが休まるのは孫といる時だけ。そんなじいちゃんが話す理想の最期を知った三姉弟は…。
 大きなテーマがあり、そこに至る伏線が張られていて、一つ一つに微笑ましさがついてくる。観ててすごくほんわかする。他人の不幸は蜜の味って言うけど、大げさすぎず、ドロドロもせず、あと味を悪くしないで描くところ、すごく勘どころがおさえられていて。映画ってやっぱり観終った時に幸せな気分になりたいって思うぼくとしては、ほんとツボ。
 家族的なことも書こうと思ったんだけど、独身で子供のいないぼくには計り知れないので、控えさせていただきます。
 もうさ、これ観てよってとにかく勧めたくなる映画。でも、札幌では18日までなんだよなぁ。なんでだろう?


エスニック
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東京スカパラダイスオーケストラ ニューシングル「嘘をつく唇」発売記念!
「Live at Budokan 〜The Last〜」スペシャル上映会&トークショーを観る(15.12.8)

「アラ50男たちの熱を感じろ!」
 スカパラのNewシングル『嘘をつく唇』がすごく耳に残っている。スカのリズムにかっちょいいホーン。そこにのるちょっとたどたどしい片平里菜のボーカル。これが絶妙で、オトナに一歩近づいた少女って感じで危なっかしさを醸し出している。そのシングルの発売を記念し、全国8箇所の映画館で今年開催された武道館ライブ『the Last』を鑑賞し、メンバーのトークを聞くというイベントに参加したのだ。
「スカパラ解散っぽいですよ。ベストアルバムとライブのタイトルがラストですから」
 去年の今頃、友人がそう言ってきた。マジかよ。バンマスの脱退やメンバーの死など、多くの困難を乗り越えてきたスカパラが、ここまできて解散なんて…。結局ガセでホッとしたんだけど、そんな意味深なタイトルがついたライブ。4時間越えを2時間に編集して、いいとこどりでドドーンと。
 前から2列目通路沿い。大スクリーン劇場のそんな前で映画も観たことないのに、いきなりライブ映像だなんて。でも、その大迫力がくせになりそう。映画だと画角のスミズミまで観たいって思うけど、ライブだと舞台のすべてを俯瞰して観ようなんて思わず、独自目線で観てるから、おんなじ感覚で楽しめばいいんだよね。
 ライブの細かいこと書くのは割愛するけど、総勢21人のセッションは圧巻。『Merry X'mas Show』のロッケストラを思い出しちゃった。個人的には亀田誠治を迎えた『The Look of Love』がかっちょえかった。あと、亀田誠治と川上つよしがフェンダーの同じベースを弾いてるのがニンマリ。
 終演後は道産子・GAMOUが登場してのトーク。「つぶやかないでね」のお約束ゆえ、なにを話したかは内緒なのさ〜♪
 またスカパラのライブ観たくなったよ。


エスニック
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「全力スマッシュ」を観る(15.12.6)

「下町ロケット演出の原点、ここにあり」
 『少林サッカー』の流れを汲む?、香港映画のスポ根作品最新作は、中国が国際大会でも力を発揮するバドミントンだ。元中国チャンプも試合中の暴力等が原因で追放された女性カウサウ。彼女が羽根型UFOに追われたどり着いたのは、元銃撃強盗団が集うバドミントンクラブだった。バドミントンで更生を認めてもらおうともがく3人組+謎の師匠との交流が、彼女のバドミントン熱に再び火を付け、TV局主催のオープントーナメント優勝へ向け走り出す。
 言ってしまえばならず者集団。彼らに対する世間の偏見はすさまじく、容赦ない言葉が投げつけられる。それに耐え、実力で世間に認めてもらおうと努力する様は、「中小企業」「町工場」と蔑まれながらも技術を磨き勝負する佃製作所そのものではないか。香港映画の大げさな差別的扱いこそが、下町ロケット演出の原点だったのか。梶原ー騎的容素といい、荒んだ世界での差別といい、平成の時代に昭和30~40年代が流行るとは。時代は巡るということなのか。
 面白かったよ。特に師匠覚醒のところが。伝説の男はこうでなくっちゃ。でも、映像がリアルで笑えない(見るに耐えない)シーンもさ。『あしたのジョー2』ではキラキラ輝やいて表現してたのに。日本で言うお子様の笑いのツボがウンチに対し、香港はリバースなのかな?
そんなこんなで好みが分れる映画です。食後すぐの鑑賞はやめといた方がいいよ。食べながらの鑑賞も。


エスニック
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「黄金のアデーレ 名画の帰還」を観る(15.12.5)

「音楽の都・ウィーンの陰と、前へ進むための勇気」
 第二次世界大戦でナチスの軍門に下ったオーストリア。国をあげてのユダヤ人迫害の末、数多の金品財宝が略奪された。それらの一部はオーストリアの所有物とされたとか。本作は国策変更により国を追われ、家族を失い、多くを奪われた女性が、オーストリア政府から愛する伯母の肖像画を取り戻す、実話に基づく話である。
 現代(設定は1990年代後半だが)におけるマリアとオーストリアの攻防が主軸なのだが、第二次世界大戦前後のマリアとその家族の物語が第二軸として描かれている。栄華からの転落と辛酸。これまでウィーンの華やかな部分しか見る機会がなかったぼくとしては、改めて歴史を認識する機会であり、マリアの想いを強く感じられる構成だった。ただの法廷闘争劇だったら、こんなには心の奥に響かなかっただろう。
 1億ドルの名画。国にとっては国宝というべきものであろう。入手の経緯はどうあれ、手離したくない気持ちはわかる。でも、どんなものにだって作り手の想い、依頼主や所有者の想いが込められているんだから、それを無視はできない。伯母の遺言がカギのひとつになるが、「死んだ伯母だってこんな国(家族を迫害するような国)に自分の肖像画を託そうとは思わなかったはず」の言葉はとても重く、国のあり方を諭していた。その言葉を支持した方々の勇気にも拍手したいところ。もちろんこの映画に協力した(であろう)オーストリア政府にも。
 大きな戦争から70年ほど経った今でも、日本を含め各国で様々な問題が残っている。全ての円満解決は無理と言わざるをえない現状、これ以上新たな問題が生じないよう、各国が歩調を合わすことができればいいのに。
 今作の続編『審問会の逆襲』なんてのが作られないように。


エスニック
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「バクマン。」を観る(15.12.2)

「マンガの持つ魅力と可能性を大画面で 目撃せよ!」
 なんだ、この画は。少年ジャンプで連載を目指すマンガ家の卵たちを描いた『バクマン。』。その実写映画だというのに、原作マンガやアニメ版よりもマンガ感があり、生き生きとしている。鉛筆の擦れる音、Gペンが紙を引っ掻く音が旋律となり、ーコマーコマが生み出されいく。コマはやがて物語となり、読者の目に触れることでマンガとして命を授かる。その過程が躍動感たっぷりに迫ってくる。
 発行部数において日本のマンガ雑誌、いや全ての週刊誌の頂点に立つ少年ジャンプ。アンケートの人気で連載の継続が決まる人気至上主義。直接ぶつかり合うことができない世界だけに、本人たちの能力がすべての世界。なんともたとえようがなく、目には見えないバトルなんだけど、マンガ家たちの切磋琢磨が見事に映像として表現されている。凄いの一言。
 原作読んでたけど、一部の変更などまるで気にならない。登場人物を絞ることで一人一人のキャラもすごく立っている。だから、最高と秋人、登場人物彼らがこの映像の中でどこまで成長していくのかを観たくなる。新妻エイジとの切磋琢磨、小豆との恋の行方、仲間たちとの友情。まだまだネタはいっぱいあるんだもん。
 そして最後にどうしても書いておきたいのがエンドロール。この作品、そしてマンガ愛に満ち溢れたエンドロールは、観てるだけで涙が浮かんできちゃう。大根仁監督とスタッフたちの愛を感じて欲しい。


エスニック
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「ラスト・ナイツ」を観る(15.11.25)

「プライドは生まれ持つもの。誰からも与えられず、誰にも奪われることはない」
 日本的を絶えず批判した紀里谷和明が、日本的プロモーションを敢行すべくテレビに出まくっている。主旨替えか?と思ったりもするけど、そんだけハリウッドデビュー作を成功させたいという心意気なんだろう。
 『CASSHERN』『GOEMON』、彼の監督作品の世間一般の評判はあまりよくない。でも、ぼくはどちらもとても好き。元ネタを大胆にアレンジし、独特の映像美で観せる。ぼくの知ってる物語が、まるで違うもののように描き出される。それこそが紀里谷和明最大の魅力。
 で、今回は中世ヨーロッパのような世界観で『忠臣蔵』をぶちかました。武士道とと騎士道。東洋と西洋の違いはあれど、男たちの熱い想いは通じるものが当然あるのだ。
 日本では毎年師走になると繰り返されるお馴染みの物語。だから、大筋の流れは当然知ってる。それでも展開にハラハラし、男たちの決意と絆に涙してしまう。静かな物語の中にも溢れんばかりのたぎる想い。ぼくの中にわずかに残る男気にビシバシ伝わってくる。忘れかけてた気持ちが甦ってくるように。
 正義のために不正をただそうとした主君バルトーク卿と、固い絆で結ばれながらも主君を討たねばならなかった騎士隊長ライデン。これでもかとライデンを追い込むあたり、紀里谷和明のS性が出まくってて。どこまで試練を与えるんだって。
 心に響く男の物語。堪能しました。


エスニック
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「ダブリンの鐘つきカビ人間」を観る(15.11.20)

「大王が紡ぐ大人のメルヘン、ファンタジー。心揺れまくり」
  久々の大王。待ちに待った大王。オトナのメルヘン、オトナのファンタジー。演出・G2と組んで創られる物語は、人生の折り返し点をとうに通過したぼくに、甘くせつなく語りかけてくるんだよね。『ダブリンの鐘つきカビ人間』の再演、ぼくにとっては初見だったので、久々感もともなって、興奮度Maxで。会場を間違えてあわてちゃったのはご愛嬌。
 濃霧の森。迷い込んだ屋敷の主はこの森がかつては多くの人が住む街だったという。どうしてにぎわっていた街が人けのない森に変貌してしまったのか。この街を襲った不幸、街を我が物にしようとする企み、街を救おうとした純愛。誰も覚えていない街に起こった、誰も覚えていない物語。切なく、哀しく、美しい物語。
 主人公カビ人間を演じた佐藤隆太、カンパニーの座長として、あの爽やかな演技でグイグイ引っ張っているけど、やっぱ大王に目が行ってしまう。オトナのメルヘン、オトナのファンタジーを照れることなく観入ってしまうのは、大王のもたらすアクセントあってこそ。そして今回は大番頭としてマギーを配役。これが絶妙にいい味出してるんだよなぁ。ご当地北海道でNACSネタぶち込むのは『悪童』の演出した特権ということで。脚本・演出がもう鉄板の上、配役まできっちりそろえてきてるんだもん、あとは心を開いてゆだねるのみだよなぁ。
 今日がこの公演の千秋楽。カーテンコールで特別に演者および演出家の挨拶があるというサービス付き。大王の衝撃発言。心揺さぶられる物語を見た後で、また心揺らされる。嘘だと言ってくれ。


エスニック
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「マルガリータで乾杯を!」を観る(15.11.19)

「いろいろと考えてしまう、勇気あるインド映画に乾杯!」
 身体に重度の障害を持ちながらも、家族の支えを胸にNYで学ぶインド人女性の青春物語。確かにその通り。障害にことさら情けをかける大人に中指を立て、失恋に心を痛める。でも、そんな上っ面の日常ではすまさない、映画にするとは予想もしない日常まで描かれていた。観てるこっちが思わず顔を赤らめてしまうような。
 最初に書いておくけれど、ライラは一個人であり、障害を持つ方の象徴でも代表でもない。ライラはライラ。ライラらしい生き方を探し、進もうとしている。
 数年前、日本でも障害のある方の性欲処理に関する特集が、雑誌や本、TVで組まれていた。でも、ドキュメンタリー以外で映像化するのって勇気いるよね。いろんなところに余計な配慮をしてしまうし。あっ、この作品は決して障害のある方の性を主題としたものではありません。障害のある方にも健常者同様の欲求は存在し、彼女(たち)の青春をリアルに描こうとすると、その描写は必然なんだろうと。偏った倫理で目をそらしてはいけないと。アイドル映画にしないためにも。インドの映画作りの姿勢、障害のある方への姿勢を垣間見た気がする。


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「三匹のおっさん ふたたび」を読む(15.11.17)

「悪さしながら男なら、粋で優しい馬鹿でいろ」
 そういや第2弾のドラマ、やってたよね。観てなかったけど。
 事件といえば事件だけど、警察沙汰にするほどでもないトラブルや、事件の芽。ぼくらの日常の中にある厄介事。でも、当事者にとっては大きい問題だし、地域にとっても重要課題である。そんなトラブルが、町の夜回り自警団である三匹の専門分野なのだが、ときには事が大きくなったりもする。
 個人的な問題や地域の問題はプライバシーの名のもと、アンタッチャブルなものになってしまった今だからこそ、残念な結末に至る前にOpenにして解決を図るべき。誰もがそう思っているのに、なかなかそうはなっていない。それは三匹のように経験豊かで心を開けるオトナが減ったからなのか…ぼくも含めて。作中に「キレる大人」の話題が出てくる。ぼくが子供だった頃の大人と、ぼくを含めた大人(高齢者を含む)は質が違ってきたのかもしれない。物語の中で子供たちが起こす問題が多く取り上げられてはいるけど、その子供たちをどう導くのか。作者の大人に対するメッセージがふんだんに込められている。学ぶことが多いです。
 いつかぼくもこんなおっさんになれたらいいな…って思う今日この頃です。


エスニック
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「コードネーム U.N.C.L.E.」を観る(15.11.16)

「”カウボーイ”から”ソロさん”と呼び方が変わる日が待ち遠しい」
 『0011 ナポレオン・ソロ』はぼくにとって特別な作品。ぼくの会話の原点が、ソロとイリヤにあると言っても過言ではない。だから、なかなか決まらなかったリバイバル映画の公開日にやきもきし、今回は奮発してIMAX上映での鑑賞を決めた。
 あらかじめ書いておくと、あくまでテイストを受け継いだ別作品として考えて。だって、イリヤは屈強な男じゃないもん。でも、これだけは最初に言っておく。これ、すっげー面白い。
 東西冷戦時のベルリン。CIAの諜報部員ナポレオン・ソロは、東ベルリンの自動車修理工場で働くギャビーを西に連れ出すべく潜入。それを阻止すべく迫る追跡者はKGBのNo.1イリヤ・クリアキンだった。なんとか西ベルリンへギャビーを連れ出したソロ。でも、そんな二人がパートナーに。アメリカとソ連の前代未聞の協力。生まれも育ちも考え方も正反対の二人は無事任務を遂行できるのか?
 ガイ・リッチー監督の、60年代を舞台としたスパイ映画に対するこだわりがふんだんに盛り込まれている。デジタルでクリアな画像が全盛の昨今、青みがかったちょっと粗いフィルム調の画質がなんともクール。スタイリッシュなソロと、素朴で野性味あふれるイリヤの対比の強調は、画質とともに強いコントラストを生み出している。かっけーっ。
 ストーリーも洗練されていて。ベタあり、どんでん返しあり、スパイ映画の王道を踏襲しながらも、『0011 ナポレオン・ソロ』特有の洗練さもあり。
 もうね、書きたいことはいっぱいあるんだけど、まだ公開3日目だからあんまり書いちゃ…。
 とか言いながら。昨今のスパイ映画がリアルになり過ぎ、ユーモアを失いつつあるのに対し、適度なユーモアを残した今回の『コードネーム U.N.C.L.E.』。続編もぜひ作ってほしい。
 となると、往年の『0011 ナポレオン・ソロ』をもう一度観たくなる。これを機に、発売されていなかったDVD-Boxを発売してくれないかなぁ。もちろん、矢島正明さんと野沢那智さんの吹き替えVer.で。


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「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」を観る(15.11.15)

「うれしくもあり、残念でもあり。このモヤモヤはなんだろう」
 自らの作品を公表せぬままこの世を去った女性カメラマン・ヴィヴィアン・マイヤー。いやいや、厳密には写真愛好家と言うべきなのか。彼女のネガを入手した青年は思う。その素晴しさと価値について。個人で所有していていいのだろうかと。事実、彼女の作品は多くの人から賞賛を受ける。写真に関してなんら造詣を持ち合わせないぼくですら、彼女の作品が持つ魅力にどハマリしてしまうほど。
 死後に認められたヴィヴィアン・マイヤーという女性について、知りたいという欲求は当然だと思う。現代のゴーギャンみたいだもん。だから、青年が彼女の生い立ちを調べようとするのも理解できる。ドキュメンタリー映画にしてその興行収入を彼女の作品管理に使いたいという気持ちもよくわかる。でも、知りえた情報を吟味することなく(したのかもしれないけど)公開することは果たして正解だったのだろうか?
 芸術を支えるモノが時として孤独だったり狂気だったりすることは確かにある。作品を世に出すことは、自分をさらけ出すことと等しい部分もある。特にネットで情報が飛び交う現代では。でも、否定だってできるんだ、生きていれば。
 身内もなく、生涯独り身だった彼女。誰も否定や反論をしない状況で世に問うことの意味。完全に上から目線で他人の人生を語る人たち、世紀の発見と奢るかのような青年。最後はすべてが悪意に観えてしまって。もちろん極度の色眼鏡とはわかっているんだけど。
 彼女の作品に出会えたことの喜びだけ、胸にしまっておこう。


エスニック
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「奥田民生 2015年ツアー秋コレ」を観る(15.11.6)

「さすらいもしないで、このまま死なねぇぞ」
 アルバムを出してもいないのにツアーを回る。なぜなら、これまでリリースした名曲の数々を消費者にかみしめてもらい、消化してもらうため。そんな言葉を照れ気味に放つ奥田民生。相変わらずの自然体なステージは、「これをかめ」と言わんばかりの渋めの選曲。かみ応え満点のステージだった。
 今のサポートメンバーになってから、奥田民生のライブほど中央最前列に特典がないライブはないんじゃないか。民生の位置は下手より。ギターソロで前に出る時も、ケーブル長の都合から下手中心。上手はベース・小原礼がどっしりと陣取っている。今回中央にはランウェイが設置されたけど、最初と最後以外は誰も歩かない。本来一番盛り上がる中央最前列が、意外と寂しいライブなのです。
 ギターを頻繁に変えるボーカルはギターを自慢したいだけ。この過激な発言も、4ピース編成でひとりでギターを担当する民生の心意気が感じられる。それがいいんだよね。もちろん、Dr.StrangeLoveのサポートもよかったけどね。
 ホント、新しめの曲が中心のライブ。こう聴いてみると、CMタイアップ曲が多いよね。爽快感があるもんなぁ。ハードにギター掻き鳴らすのもかっこいい。まぁ、なにやったって好きなんだけどね。
 明日からまたがんばる力をいっぱいもらった。まだまだがんばらなくっちゃね、ぼくも。


エスニック
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「ギャラクシー街道」を観る(15.11.4)

「やりたいことを貫ぬこうとすると、映画になっちゃうのかな、大御所にもなると」
 三谷幸喜の新作映画は、ななんとSF。宇宙を結ぶいまやさびれたギャラクシー街道のハンバーガーショップが舞台なのです。地球人の店長夫妻と店に集う様々な星の人たち。多種多様に繰り広げられるシチュエーションコメディなのだ。
 元カノ、不倫疑惑、ヒーロー、ファンタジー、オトナの…。設定が宇宙だけに、なんでもありのやりたい放題。脚本執筆中の三谷幸喜、楽しかっただろうね。
 で、ぼくはというと、楽しくはあったけど、これを映画で一気に観るのにはなんか違和感が。ひとつひとつがショートコントとして成立してるんだから、10〜15分のテレビ番組にして、毎週楽しみにして観たいって。放送時間は21:50〜って感じで、オトナのコメディを。
 出演者も全員を豪華にする必要はない。若手演劇人を起用することで、ぼくたちに新しい人材を紹介して欲しい。多くの演劇人を起用してTVや映画の一線で活躍するに至らせた三谷幸喜だからこそ、一流ばかり集めないで、彼にしかできないことをやって欲しい。
 セットだって、もっとチープでいいじゃない。コメディなんだもん。完璧を目指すとそれなりに金もかかるから、今のTVでは難しく、有名芸能人多用して映画にするしかない。それはわかってるんだけど、クスリと笑う面白さを延々続けて観るのは…。
 でもね、『メリー・ポピンズ』のオマージュはファンにとってはうるっときたな。
 ということで、三谷先生。次は大河ドラマということは知ってるけど、テレビで良質なコメディ作ってください。若い俳優使って。


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「エール!」を観る(15.11.3)

「その声、その想いは、きっと、ちゃんと、伝わるよ。大切な人に」
 フランスの田舎町で牧場を営む一家の長女ポーラ。ごく普通のちょっと奥手な彼女。毎朝牛の世話をし、休日にはバザーでチーズを売る。家族の耳となり、家族の声となる。なぜなら、彼女の家族は彼女以外みな耳が不自由だから。
 縞な理由で選択したコーラスの授業で歌の才能を見出だされたポーラ。パリの学校への受験を勧められるが、なかなか家族に言い出せない。そんな彼女の気持ちなど関係なしに思える家族たち。恋も進展なく停滞し、あきらめちゃうの?
 常識ってなんだろうか。ハンデを自覚してなお明るく前を向く家族の、一般常識を越えた行動に目を丸くしちゃうけど、それもこれも家族の中に愛がちゃんとあるからなんだよね。支え合う意識はときに依存に変わりうるけど、想い合い信んじることが理解につながる。そんな簡単なこと、思い出させてくれる。
彼女とその家族の周り人たちの優しさも染みるよね。
 確かに普通じゃない家族だけど、子の親への想い、親の子への想いはなにひとつ変わらない。当り前が当り前でない昨今、変わっちゃいけないことを再確認できました。


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「清水ミチコ一人フェス 2015」を観る(15.11.1)

「全ての弟は姉にマインドコントロールされている…確かに」
 国民の叔母。なんという微妙な立ち位置。でも、それが実にしっくりくる。母親だとうざいけど、どこかでつながっていたいと感じさせる存在。すごい才能を楽しいのオブラートに包み、飲み込みやすくしてくれる。清水ミチコってそんな稀有な女性だよね。
 彼女の芸は人を傷つけない(きっと)。毒は吐くし、誇張して真似されるけど、怒ったという話しは聞いたことなく、むしろ仲良くなっている。そして、その仲の良さがライブに反映されるんだもん、観てる方はたまらない。
 そして才能。真似だけでなく、真似する人の特長をふんだんに盛り込んだ曲まで作って歌いあげる。これがとてもすごくて。聴き入りながらも笑ってしまう、この絶妙感。さらにアーティストの作曲メソッドまで曲にまとめて歌ってしまう。大笑いしながら激しく同意するしかない。ドンドンっ!
 そして見ものだったのはサポートメンバーの登場。ベース&ピアノ・清水イチローはなんと清水ミチコの実弟だって。弟は何年経っても姉に頭が上がらないんだね、どの家も。幼いことからかけられているマインドコントロールの呪縛から逃れられなくて(ミチコ談)。
 笑って、唸って、チョッピリ涙。国民の叔母の溢れんばかりの才能に、ただただ感服のLiveでした。


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「キングスマン」を観る(15.10.25)

「史上最高にブラックなのに、なぜか痛快な打ち上げ花火」
 どの国にも属さず、その影響を受けることのない独立した諜報機関・キングスマン。選ばれし6名のエージェントたちは、日々世界平和のため暗躍する。テーラーの地下にある秘密基地への入り口、凝った小道具。往年のスパイ映画の要素が満載で。愛が感じられるんだよね、スパイ映画への。
 とある大学教授の失踪、その救出が、全世界を揺るがす大きな陰謀へつながっていく。その一方、ひと席空いたキングスマンの後継者をめぐり、若者6人が厳しい訓練に挑んでいた。
 もうね、痛快としか言いようがない。ぼくが子供のころに観て憧れたいろんなスパイ映画のメソッドがすべて現代にアレンジして盛り込まれている。いつの頃か『007』も『ミッションインポッシブル』もシリアス路線一辺倒だけど、『キングスマン』には愛すべきユーモアもふんだんに。過激すぎるところもあるんだけど。
 コリン・ファース演じるハートの凛々しさが素晴らしい。立ち姿、戦闘シーン、なにもかもが一流エージェントなのだ。若さだけで突っ走るのではなく、老獪さも兼ね備えた。その彼が次期キングスマンに推薦するかつての弟子の息子・エグシーの師弟関係がまたいいんだよね。愛が伝わってきてさ。
 とにかくやるときゃやる。倫理も道徳もR指定もお構いなしに、派手かつスタイリッシュにぶっぱなす。目をそむけたくなるところもあるんだけど、それを凌駕する楽しさがたまらない。
 なんてすごい映画なんだ。こんなすごいの上映してたなんて。最高に満足の一本でした。


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「いとみち 二の糸」を読む(15.10.24)

「全国のあんこ型男子、朗報ですよ!直人くんはちょっぴりブルーだけど」
 青森のメイドカフェに勤めるアルバイト女子高生・いとの成長記録第二弾。前作で傾きかけた店の窮地を三味線Liveで盛り立てたいと。でも、人見知りの性格と訛りはまだ克服できず。二年生になりクラス替えで仲良し3人組と離れ心細い日々の中に現れたのは、二人の男性だった。
 つい相手の態度に過剰に反応し、心にわだかまりを作ってしまう。若き日の感情が甦るような、はにかんでしまうような。小さなことでも人生のすべてなんだよね、思春期って。大人になって思い返したときに、ハナで笑っちゃうようなことでも。
 でも、きっとなんとかなっていくんだよね。とか書きながらも、なんともならなかったニュースを見る機会が多くなったので、なんと書いていいのやら。
 『いとみち』はちゃんと道があります。助けてくれる友や仲間、家族がいるのです。ほんわかしながらも前を向けるのです。いとにとっての高校2年生は激動の一念かもしれない。自分も周囲も変わっていく。でも、変わらないなにかを見つけることができた一念なのかもしれません。
 そんないとの成長を優しく見守れる一冊です。ちなみに第3弾もすでに刊行されているようです。


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「ジュラシック・ワールド 4DX3D」を観る(15.10.23)

「終わりよければ…って、終わったの?」
 今更ながらになんだけど、やっとこさ『ジュラシック・ワールド』です。なんといっても4DXとやらを体感したくてさ。でも、連日満席でなかなか席を確保できない。ようやく今日の席が取れたという運びで。凄い人気で、今日も満席になっていた。
 いやぁ、こりゃ面白い。映像に合わせ、席が揺れ、風が吹き、水が飛んでくる。恐竜の足音、息づかいがまさに感じられるような。すっげー。
 『ジュラシック・パーク』から20年。あの島は新たに『ジェラシック・ワールド』として再生、多くの恐竜を作り出し、盛況となっていた。でも、人気を持続させるためには新しいアトラクションを作り続けねばならない。よりスリルと迫力がある恐竜を。一方で、恐竜を軍事に使う悪だくみも、華やかなテーマパークの裏側で進行していた。そんな時、遺伝子設計で産み出された新種の恐竜が脱走した。迫りくるパニックの波状攻撃。揺れ動く座席。
 もぅね、頭空っぽにして楽しめる作品。もうこれ(4DX)はアトラクションだね。楽しくってしょうがない。しかも3Dなんだもん。すっげー昔に行った東京ディズニーランドのスターツアーズを思い出しちゃった。
 映画の方はね、ご都合主義が出るわ出るわで、物語自体がご都合主義になっちゃうような。でも、決してストーリー重視じゃないから、楽しければOKってやつだから。
 4DX、ハマりそうだよ。


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「田島貴男 ひとりソウル・ツアー 2015」を観る(15.10.18)

「トラブルも骨折も、悲しみもぶっ飛ばせ。スピード上げてさ」
 昨夜、ぼくの音楽鑑賞歴について長々と書いてしまったので、大きく割愛するけど、90年代によく聴いていた音のひとつがオリジナル・ラブ。ピチカート・ファイヴのボーカルとして知った田島貴男がむちゃくちゃかっこよくって。ということで、夏のSAPPORO CITY JAZZに続き、今年二度目の参戦です。たった一人ですべてをこなす、ひとりソウル・ツアーに。
 あれ?マイクスタンドにマイクが2本。と思ったら、1本はサンプリングマシン用だったのね。録音した音をルーターで再生し、一人数役出来上がり。「ひとりソウルショウ♪」の開幕さ。
 ギター1本が奏でる音の多様性、田島貴男の声との融合。こんな風にギターが弾けて、歌うことができたならどんなに素敵だろうか。もう、聴き惚れ見とれるしかないんだな。
 「ひとりソウルショウ♪」で一番聴きたかった曲『フィエスタ』がいきなり始まった時はもう感動。この歌、すごく好きなんだよね。U2の『I STILL HAVEN'T FOUND WHAT I'M LOOKING FOR』が、特にゴスペル隊とのセッションVer.が好きで、それを邦楽でやるとしたらって考えてた時期があって、『フィエスタ』はハマると思ったんだよね。ひとりソウルショウでもカッコよかった。やっぱいい曲。
 それにしても田島貴男、富山であばら骨折ってなおステージに立ち続けるとは、すっげー。ルーターが誤作動するなどのトラブルも、ひとりソウルショウならではのハプニングでニンマリしたぐらいにして。
 新旧硬軟織り交ぜたセットリスト、オリジナル・ラブのヒット曲も、初期の名曲も、一人ギターで奏でてくれる。最高にかっこよい。そして予想してなかったまさかのダブルアンコール。もちろん歌うさ、全力で。悲しみをぶっ飛ばすために、夜をぶっ飛ばすために。
 次は弾き語りで来道だそうです。ハマっちゃうな、やっぱり。
 ちなみにさっき知ったんだけど、田島貴男ってぼくと同学年なんだね。


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「JFL presents LIVE FOR THE NEXT」を観る(15.10.17)

「そしてあいのうたが 心に響き始める」
 生まれてから80年代までは流れてくる音を受け入れ、夢中になっていた。TVでは音楽番組が全盛で、札幌にも民放FM局が開設された。化粧品や腕時計、炭酸飲料水、即席麺のCMソングに聞き入り、ドラマやアニメの主題歌に夢中になって。
 90年代は音を選んで聴いていた。社会人になり小金が入ると、CD買いあさって。もちろん流行も押さえてたけど、個の主張が強くなったというか。
 2000年代以降はなかなか新しい音に耳が傾かず、これまでの蓄積を掘り返すような。
 YEN TOWN BAND、岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』内の架空のバンド。90年代半ば、その音は巷に響き渡り、多くの人の耳に届いた。その音はぼくの心にも響き渡り、すっかり虜になっちゃって。Charaのブレスを果敢にも真似て歌ったりして。
 あれから19年、どうして彼らが復活を果たしたかは知らないが、当時ナマで観ることができなかった彼らを観ることができる幸せ。主催のNorth Waveにひたすら感謝。
 Joint Liveの形式。次世代へ繋ぐ音。若い世代に人気のバンドACIDMANと19年前に一世を風靡したYEN TOWN BAND。それぞれのファンがそれぞれの音を聴き、音が世代に継がれていく。音楽産業が偏っている今、なんと贅沢な企画だこと。
 前置き長くなっちゃった。
 震えた。あの頃夢中になった音が、ダイレクトに響いてくる。色褪せない音とその存在感に、心も身体も震えた。さすがに19年の歳月はCharaの、いやいやグリコの高音に影響を与えてたけど、そこはぼくの心が補正する。これがYEN TOWN BANDのナマ音なんだ。胸が熱くなり、19年前の感情が甦るようだ。
 グリコのアカペラで始まる『Swallowtail Butterfly ?あいのうた?』、ナマで聴けた喜びと、その音のすばらしさに、心が打ち震える。
 うれしくもあり、せつなくもある、心に残るLiveだった。


エスニック
artな戯れ言LIVE

「大逆走」を観る(15.10.16)

「不条理にパルピテーションしなくなったのは歳のせい?」
 仕事の都合で開演20分後に入場(周りのみなさん、ごめんなさい)。ゆえに、導入部の情景を想像しながらの観劇。吉高由里子の初舞台。演出は昨今話題の赤堀雅秋。どんな舞台になるか、楽しみだったのに、なんたる不覚。でも意外とわかるものなのね。なんとかついていけたもん。
 ただ、ぼくの理解が果たして正解だったのか?ある意味パラレルワールド、10:17で止まったままの時間。前を向き、動き出すための不思議な一夜の物語は、なぞかけ、アングラ、暗い過去。不条理の中に道理を見出すような舞台だった。
 その不条理、意味もなく(すみません、意味はあるのでしょうが)怒鳴りあう掛け合い。正直、息苦しかった。他社の否定から繋がる会話。昭和?
 場面転換の演出はすごく緻密。それだけでひとつの創作ダンスかのよう。歌舞伎やバレエを融合させた演出なんかも見応えがあり、パラレルワールドを醸し出してる。でもなぁ、ちょっと演出に酔ってないか?お腹いっぱいだよ。上演時間長いのって・・・。
 テーマがもっと違ってたら(短絡的でなかったら)、もっとのめり込めたかもしれないんだけど、今この歳のぼくにはちょっと厳しかったかな。
 あらぬ言葉を口にして空飛ぶ吉高由里子を観れたのが一番の収穫でした。


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「心が叫びたがってるんだ。」を観る(15.10.12)

「彼らから30年を経たぼくにだって、叫びたいことがあるんだ」
 確かに言葉ってうつろいやすいくせに、時として人の心の奥底を深くえぐったり、心の一番奥でカラ回りし続けたりする。その言葉にとらわれて、動けなくなることだってしばしば。それは玉子の王子の仕業なんかじゃないけど、縛られるんだよね。もちろん、ポジティブな言葉が支えになることもあるんだけど、ネガティブな言葉ほどより強く。言霊の名のごとく。
 山の上のお城で開かれる舞踏会を夢見る少女・順。ある日、お城から父が出てきたことを母に話したことから、両親は離婚することに。そのトラウマから玉子の王子の魔法にかかり、言葉を発せなくなってしまった。時は流れ、高校生になった順。クラスでは喋らない変わり者として孤立していたが、地域ふれあい交流会の実行委員に任命され、坂上拓実と向き合うことで、少しづつ変わっていく自分を自覚する。そして、交流会で上演するミュージカルの主役に立候補する。みんなで作り上げたオリジナルミュージカル、無事上演することはできるのだろうか?
 甘酸っぱいんだよね、若さって。言葉にできない想いが心に充満していて、伝えられないことがもどかしくて。でも、伝えた時の相手の反応が怖くて、また言葉にならなくて。まぁ、30年経ってもぼくはあの時のままなんだけどさ。甘酸っぱさはなく、加齢臭を気にする年頃なんだけどさ。だから、じれったくとも、歯がゆくとも、もがいている4人がいとおしいんだよね。
 で、ぼくの一番好きなシーンはというと…。すみません、ここでは書けません。「だからおっさんは…」って言われちゃうから。
 ぼくも伝えたい言葉は歌にしてみようかな…っておかしいか。だからさ。ぼくの心を読み取ってよ、お願いだからさ。もうわかってるんだろ?


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「岸辺の旅」を観る(15.10.10)

「カンヌはある視点、ぼくは深っちゃん目線で大賞受賞です」
 失踪した夫を捜し、待ち続ける妻。3年ぶりに姿を見せた夫は妻に言う。「おれ、死んじゃった」と。そして二人はかつて夫が世話になった方々を訪ねる旅に出る。人と人ではない者の想いを遂げるための旅に。
 もう死んでいる夫が誰にでも見える。もう死んでいるハズの人も見える。想いがこの世に残っていると、成仏できないようだ。夫はそれぞれが持つ想いを妻とともに叶えることで、自らの想いも叶えようとする。
 ぼくの感想だから、なにはともあれ深っちゃん。もう、美しいとしか言いようがない。なぜ彼女を残して夫は自殺することができたのだろうか?心の病があったのかもしれないが、なんと贅沢な。他人の家のパイプベッドや食堂の小あがりでも泊まることができる女性なんて、今はそうそういないんじゃないの?
 そんなできた妻が見せる女としての感情も、ぼくをぞくっとさせてくれる。今が一番幸せとほほ笑む彼女をぎゅっとしたくなる。
 想いを遂げられずにいた3人を見送る妻。それが持つ意味と来たるべき本当の別れ。大切な時間ほど短かいのかもしれない。
 二人が旅した岸辺は、あの川の岸辺なんだろうね。
 深津絵里と浅野忠信が揃うと、「顏、割れるんじゃね?」と心配しちゃったけど、もちろん今回は割れたりしません。


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「ましまろ ほーぼーツアー2015」を観る(15.10.4)

「素敵な曲、素敵な夜。いつまでもメロディーに揺られていたい」
 家に帰ってギターとウクレレをすごく弾きたくなった。でも、その前にこの余韻に浸りながら、酒を飲みたくなった。懐かしくもあり、新しくもあり。忘れてたなにかがよみがえってくるオトナLive。素敵という言葉しか浮かんでこない。
 ザ・クロマニヨンズのギター・真島昌利、ヒックスヴィルのボーカル・真城めぐみとギター・中森泰弘。30年前にライブハウスで知り合った仲とは言うものの、これまの彼らのディスコグラフィからは接点がなさそうな3人が結成したバンド・ましまろ。でも、彼らの曲を聴いた途端、マーシー初のソロアルバム『夏のぬけがら』を思い出した。そうか、音楽的接点はあったんだ。
 ネオアコ、FOLK&ROLL。でも、ブルースもあれば突発的なインストも(マーシーのトイレ休憩)。ゆったりとした中に多彩さが詰め込まれ、一音一音、歌詞の一つ一つが心に沁みてくる。聴き込んだアルバム『ましまろ』収録曲も、初めて聴く新曲も(えっ?そんなにあるの?2ndじき発売される?)。そしてカバー曲も。BO GUMBOSの『魚ごっこ』、懐かしくて涙が出そうになった。
 座ってアコギを弾くマーシー、バンマスとして仕切る真城めぐみ、エレキに専念の中森泰弘、サポート二級建築士ベースマン・伊賀航。ナイスな4人が奏でるオトナのサウンド。何度でも浸りたくなる心地よい時間。
 THE BLUE HEARTSの真島昌利に受けたメロディと歌詞の洗礼は、30年の時を経て再びを捉えて離さない。ずっと酔いしれていたい音と言葉で。
 山ちゃんが自由が好きで、請求書を割り勘にしてた友だちなんだよね、きっと。
 あぁ、めっちゃ近くでマーシー観てたのに、生え際の位置はわからなかった!


エスニック
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「ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声」を観る(15.9.30)

「期間限定の天賦の才能、持たぬぼくには見えない景色」
 アルコール中毒で問題の多い母とふたり暮らしのステット。素行は荒れていたが、彼は声という天賦の才能を持っていた。母の交通事故により知った出生の秘密。それを隠したい妻子を持つ父親。半ば強制的に入れられた国立合唱団付属学校は、ステットが生きるためのすべてだった。
才能は使い方次第で輝きもすれば腐りもする。使い方を知らず、投げやりに過ごすステットに、才能に気づき導こうとする者たち。才能を妬み潰そうとする者たち。その才能の行方は…。
 不幸な少年のサクセスストーリーとしてはベタなんだけど、そのベタさ加減に安定感があるんだよね。程よいというか、やり過ぎないというか。そこに、ベタの礎を気付いてきたダスティン・ホフマンが重鎮のごとく収まる。若き日に引っ掻き回す役をやり続けた彼が見守るんだもん、これほど説得力のあるキャスティングはないよね。
 ステットの努力と活躍は観る者を痛快にさせてくれるんだけど、少年がソプラノを歌える時期は短いんだよね。終わりとその後、この作品の暖かいところは、投げっぱなしにしないことなんだろうね。
 ステットを厳しく育てたカーベルは確かにさすがだけど、才能に気づき強く推し続けた元の学校の校長と、ウーリーもすごいよね。
 それにしても、妻は夫が浮気して作った子供を心から愛しむことができるのだろうか…ちょっと疑問に思った。子どもにもよるか。


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冲方 丁「光圀伝 上・下」を読む(15.9.25)

「義に生きる男の生き様を我が身の愚直さとくらべ、恥じ入ること甚だし」
 まぁ、くらべること自体がおかしな話なんだけど、50を前に惑ってばかりの毎日だと、どこかに物差しを求めたくなるのよ。たとえ無謀だと他人が笑ってもさ、ふと自分に迷うときはね。
 「先の副将軍・水戸光圀公」の生涯を描いた物語。このフレーズ自体、後世に作られたものなんだけど、ぼくらが思い浮かべる水戸藩主・徳川光國のイメージって、助さん格さんを従えて、諸国を放浪する好々爺なんだな。ゆえに史実に近い本書に描かれている壮絶な葛藤と義を求め生きる姿を読むと、こんなご仁だからこそ後にヒーローとして語られたんだと納得してしまう。時代も生まれもまるで違うのだから、張り合ったところで仕方ないし、おこがましいだけなんだけど、あこがれるからこそ比較し、その差を確かめることで己の分をわきまえているのかもしれない。
 それにしてもすごい一生だこと。自らの存在を悩み、答えを見つけ、周囲の信頼を得ていく。大望を抱き、挫折しながらも邁進し、つかみとる。哀しみに見舞われても囚われることなく前を見据え、進むことをあきらめない。よき兄、よき友、よき妻、よき師。恵まれたのではなく、自ら選び得たのではとさえ思えてくる。出会う人をよき人に変える力を持っているのではと。
 落ち着き始めた江戸時代を知る上でもよい物語だった。ここ数年戦国時代と幕末を行ったり来たりの大河ドラマになるのかも…。その時は誰が光國を演じるのかな?『天地明察』とのシンクロも楽しかったから、岡田准ーの登場にも期待して。
 子龍ってかっこいい名だよね。


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「Perfume FES!! Nippon Budokan days2 三人祭り」を観る(15.9.22)

「己の分ってやつをわきまえようぜ、そろそろ、ぼくも」
 急な上京、でもせっかくだからなんか観たい。おっ、パフューム結成15周年、メジャーデビュー10周年を記念してFES開催中だって?チケットお安くなってるし、話のタネに観に行くか。
 こんな動機で観に行ったPerfume FES。三人祭ということで、三人組グループを集めてのFES。顔ぶれは登場順に「Negicco」「空想委員会」「WEAVER」「凛として時雨」「フジファブリック」、そして「Perfume」。ぶっちゃけ、Perfume の有名どころの曲と、フジファブリックの『モテキ』のテーマソング「夜明けのビート」ぐらいしか知らない。ぼくの世代の三人組といえば、キャンディーズとかBLANKEY JET CITY だもんなぁ。あと、BEGIN と。
 ということで、なにも知らないぼくは会場で独りぼっち。みんなが踊ろうとなにしようと、ポカンと観ているのみなのだ。そんな状況の中、考えていたことを以下に。
「Negicco」
 ぼくが新潟に住んでた時はいなかったよなぁ。あっ、みんな衣装が揃いのねぎ色なんだ。でもリストバンドはそれぞれパステルカラーで色の区分けしてるなぁ。3人ともショートヘアだなんて、珍しい。そういや田島貴男が楽曲提供したっていうけど、その曲やったのかな?AKBグループに負けるなよ。
「空想委員会」
 がんばれ、永遠のPerfumeファン。握手ができるその日まで。
「WEAVER」
 アミューズらしい優等生バンドだね。編成は違うけど、その昔のTHE 東南西北を思い出しちゃった。
「凛として時雨」
 爆奏するギター、ベース、ドラムがかっこよい。そこにハイトーンのツインボーカル。あれ?歌詞が全然聴き取れない。これってぼくの老化のせい?モスキート音みたいに年寄りにだけ聴こえない高周波で歌ってるの?
「フジファブリック」
 あぁ、落ち着く。ほっと一息。『夜明けのビート』でのPerfume とのコラボ、『モテキ』ファンとしてはよかったなぁ。
「Perfume」
 会場踊りまくりだけど、ほとんど知らない曲だよ。そりゃ15年もやってれば、たくさんあるもんね、楽曲。『チョコレート・ディスコ』を演ってくれなかったら、惨敗だったよ(いやいや、演ってくれても惨敗だった)。
 ということで、なんでも観に行きゃいいってもんじゃないこと、痛感しましたわ。でも、これもまたいい経験。のっちの美脚が観れてよかった。


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「チャップリンからの贈りもの」を観る(15.9.20)

「チャップリンだからだよ。他の人でやっちゃダメよ、絶対!」
 刑務所帰りの親友、周囲は拒む関係、窮地を救おうとする友情。なんだいこれは、昭和の日本映画にもありがちなシチュエーションじゃありませんか。物語の舞台はスイスだけど、山田洋次監督作でもいいような。万国共通のテーマなのね。
1977年、チャールズ・チャップリン逝去。その棺はアメリカから遠くスイスの地に埋葬された。妻の入院、治療費に窮していた〇〇は、刑務所帰りの親友・エディに相談。返ってきた答えは「チャップリンの棺を盗み、身代金を奪う」という、とんでもない提案だった。
ベタと言ってしまうとそれまでなんだけど、落ち着いた生活と妻の回復との葛藤があり、慣れない悪事への戸惑いと滑稽さがあり。まるでチャップリン映画そのものみたいだ。で、これが実話だと言うんだから、よくできたものである。


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「映画 みんな!エスパーだよ!」を観る(15.9.19)

「チラリこそが究極のエロスなんだよね、この歳になると」
 テレビ東京で放映中から、エロと笑いと正義のアンサンブルで魅了された『みんな!エスパーだよ!』。夏帆と真野恵里菜のパンチらが…夏帆と真野恵里菜の喘ぐ姿が…いやいや、それだけでなく、エスパーたちの苦悩とエロが毎週楽しみで。だから、映画版も期待大で観に行ったのよ。
 物語を最初から、テレビではできない演出、映画でしかできない演出で作り直した映画版。その演出とは…ズバリ、エロ。もう、最初っから下着姿全開で、美由紀ちゃんに至っては喘ぐどころか身悶えっちゃって。これは夏帆ちゃん降りちゃうわ。中高生にはたまらない仕上がりなんだろう。おじさんとしてはお腹いっぱい。
 もうね、園子温がエロいカットを全力で撮りたかったって位置付けかな。尺の問題ももちろんあるだろうけど、嘉郎以外のエスパーたちの描かれ方もなんだし、なにより嘉郎の相棒・ヤスがほんと友情出演の顔見せ程度なんだよなぁ。柄本時生も売れっ子になったから、スケジュール的な問題もあったんだろうけど。
 ということで、想像力を駆使せず、視覚的にエロコメディを堪能したい方はぜひ。
 ぼく的には紗英役の真野恵里菜のハミングが「モーニングコーヒー飲もうよ♪」だったのが感動かな。でもやっぱ、夏帆が観たかった…。


エスニック
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「海のふた」を観る(15.9.13)

「忘れたころに観たくなる、スローライフな日本映画」
 西伊豆の海辺の町で、海を眺めながら食べるかき氷。気持ちいいんだろうなぁ。かき氷好きのぼくにはたまらないシチュエーション。あぁ、食べに行きたい。しかも、美しい女性が出迎えてくれるなら。
 東京から生まれ故郷でかき氷屋を開業すべく戻ったまり。訳あり感でいっぱいの母の友人の娘・はじめちゃんに手伝ってもらい、メニューは自家製の糖蜜、みかん水、エスプレッソだけのお店がスタートした。
 幼き頃から変貌し、すっかりさびれた町に戸惑い、そこに留まり酒屋を継いだ元カレ・オサムに励まされ、はじめちゃんの心の傷に気を配り。「本当にやっていけるの?」なんて、こっちがヤキモキしたりして。
 理想と現実の違いに揺れながらも、そこにあり続ける強さ。溶け流れてゆく氷と対極にあるような気がするんだけど、それでもかき氷屋を続けるまりに、魅かれていくんだよね。
 『かもめ食堂』や『めがね』みたいに、ちょっとのほほんだけど芯の強い、スローライフな映画が帰ってきたというか。観たくなるんだよね、周期的に。汚れちまった心を洗いたいときに。小林聡美の後継は市川実日子で決まりと思ってたけど、菊池亜希子の透明感がすごく素敵だった。あぁ、まりさんのかき氷が食べたいよぉ。


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「テッド2」を観る(15.8.28)

 コメディの2作目は難しいんだね。だって、真っ先に思い付いた発想は1作目に使っちゃうでしょ。特に突飛な設定を土台にしたコメディだとなおさら。なんてこと、しみじみと感じてしまった。
 まさか、公開初日に観ることになるとは思わなかったが、来月は忙しくなりあまり映画を観ていられないハズ…なので、時間があるうちに観ておきたいと。
 喋り動くテディベア・テッド。下品極まりない悪態と行動を連発ながらも、愛され続けるテッドが、父親になるために人権を主張する本作。結婚し、幸せ絶頂のテッドと、りこんして落ち込むジョンから始まる物語。サンダーバディの二人は幸せをつかむことができるのか?
 相変わらずの罵詈雑言三昧。猥雑、不謹慎は当たり前。でも、やっぱり前作と比べちゃう。インパクトがね。それが2作目の差がなんだろうけど。面白かったけど、残っちゃうんだよね、そういうところが。
 それにしてもコミコンのシーン、いろんな映画をぶった斬ってて面白かった。あと、ゴラムのくだりと。
 ちょっと辛めの感想だけど、なにぶん前作が凄すぎたからね。普通に面白い映画でした。


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「バケモノの子」を観る(15.8.24)

 いつからだろうか、見方が変わったのは。涙もろいのは今に始まったことではない。だから今回もうるうるもので。でも、九太じゃないのだ。何年か前なら九太に感情移入し、熊徹を叱咤激励しながらその優しさに感謝の涙を浮かべてたはずなのに、すっかり視点が熊徹になっていて。
 九歳で家出し、バケモノの世界に迷い込んだ蓮。腕っぷしは強いものの身勝手な一匹狼(熊だけど)の熊徹に弟子入りし、九太として成長していく。それは九太だけでなく、熊徹の成長の奇跡でもあった。でも、いつまでも一緒にいられるわけでなく…。
 自分でいうのもなんだけど、熊徹とぼくに類似点がいっぱいあってさ。で、ぼくも歳が歳なんで人を育てるポジションになっていて。でも、育て方ってやっぱり難しくて。非難されることも多いんだけど、教えた子たちには真意が届いていると伝え聞いたりすると、すごくうれしかったりもするんだよね。ぼく自身ができることって大したことはないけれど、ぼくの何気ない言葉のひとつでも、誰かの胸の内に残っていると思うと、よかったって心底思うんだよね。
 この物語の世界観はとても壮大で、見どころ満載。面白いことこの上なし。でも、ふと自分の日常に置き換えることのできる親近感も併せ持っている。だから、面白さが何倍にも膨らんでいるような気がする。ぼくは熊徹だったけど、映画館には九太もいれば楓もいる、百秋坊も多々良も一郎彦も二郎丸も猪王山もいるに違いない。誰もが誰かにシンクロして。
 まぁ、ぼくの一番の見どころは眼鏡をかけた楓ちゃんなんだけど。
 大人のファンタジー、ぜひご覧あれ。


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「ボヴァリー夫人とパン屋」を観る(15.8.22)

 イギリスからフランスの片田舎に引っ越してきた夫婦。隣人のパン屋・マルタンは美しき夫人に目を奪われるのだが、夫妻のファーストネーム・ボヴァリーに一抹の不安を抱く。それはマルタンがこよなく愛する悲恋の小説『ボヴァリー夫人』の設定にそっくりだから。夫人の奔放な行動に振り回されながらも、マルタンは彼女のことを思い巡らすのに夢中になっていく。それは現実?それとも妄想?
 若い女性に想いを馳せるマルタン、わかるよ。でも、その想いが実在の小説とシンクロし、ひとりあたふたする様は滑稽としか言いようがなく、それをフランス映画らしいマイルドな描写で表現するところがお洒落なんだよね。ハリウッドならもっと下品になるだろうね。愛すべき滑稽さ。でも、ぼくが若い娘と接している姿も、マルタン同様滑稽なのかもしれないよな。
 小説『ボヴァリー夫人』は未読なので、その結末はわからないけど、この映画はあくまでフランスのユーモアに満ち溢れたエンディングとなってます。このわびさびは日本文化に通じるものがあると思うのはぼくだけかな。劇中、わさびも登場するし。


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「スター・ウォーズ展」を観る(15.8.13)

 いよいよ新しいエピソードが始まる。すごい楽しみ。でもその前に、スター・ウォーズの世界をリマインドし、さらにより深く知るべく、スター・ウォーズ展へ行ってきたのだ。
 スター・ウォーズがどれだけぼくらの妄想を膨らませ、夢を見させてくれたかと考えると、とんでもない影響力だと思う。ぼくなんかが見るちっぽけな夢から、インスパイアされて製作された作品まで。そんな影響のひとつとして、今回絵画を主体とした美術品が展示されている。
 映画の一部を切り取った作品。映画では描かれていない裏側を想像した作品などなど。ルーカスが監修していることもあり、どれもが世界観に合致していて。ぼくの想像がなお一層膨らんでいく。各所でリマインド映像も上映されていて、あの面白さが甦る。衣装や小物に目を輝かせ、精度の高い模型に宇宙を夢見る。ああ、新作が待ち遠しい。
 ここらで思い出してもらい、新作公開のハズミにするって大人の魂胆はミエミエだとしても、乗ってしまうのがファン心理。それで十二分に満足できるんだもん、やっぱりスター・ウォーズはすごいのだ。

入口で出迎えるダース・ベイダー

記念撮影コーナー


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「人生スイッチ」を観る(15.8.10)

 初めて観るアルゼンチン映画。コメディだから入りやすいかと思ったけど、お国柄の違いは笑いにこそあるにかな。
 6編の短編から構成されたオムニバス映画。どの作品も最初はどこにでもあるシチュエーションも、ボタンの掛け違いが大きくなって、予想だにしない方向へ突き進んでいく。同じ飛行機に乗り合わせた客(『おかえし』)、レストランのウェイトレス(『おもてなし』)、追い越し追い越されたドライバー(『エンスト』)、駐車違反の発破士(『ヒーローになるために』)、ボンボンが起こした交通事故(『愚息』)、幸せなはずの新郎新婦(『HAPPY WEDDING』)。彼ら、彼女らの運命やいかに。
 公開のタイミングがきっと悪かったのかな。砂川の酒酔い交通事故、調布の小型機墜落事故。どうしても思い出してしまうよね。テレビだったら放送中止レベルかな。あと、ぼく的にはどれもやり過ぎ感は否めない。そこまでやらなくてもいいんじゃね?って感じ。誰も、なにも救われない。なんだかなぁ。そういう意味でも、この中からぼくのお気に入りを選ぶとするなら、『ヒーローになるために』になるのかな。唯一光が見えるじゃない。
 ぼくの好きなクリエイターたちがよいコメントを残していたけど、ぼくにはちょっとブラック過ぎたみたい。感性と才能に乏しい一般人だからなぁ。


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道新寄席「柳家喬太郎独演会」を観る(15.8.9)

 道新寄席、2度目の喬太郎登壇!新さっぽろの手作り感とは違う、老舗の高座で喬太郎。高座により噺と噺方の違いを見るのもまた一興で。喬太郎にしてみれば、「札幌で演る道新寄席と、名ばかりの札幌で水族館と演る喬太郎北伝説」といったところか。どちらも大切にしているハズだけど。
 今回は前座に弟弟子・やなぎを連れての来道で。おっと、彼って去年も連れてきたさん坊じゃないか。別海町出身の。二つ目になって改名したのね。
 夏だからということで、今回は円朝作の怪談噺をかけてくれたんだけど、円朝の名すら9月に開催される落語協会のイベント・謝楽祭PRのマクラと言い切る喬太郎。近代落語の祖もタジタジだね。
 それにしても道新寄席、やっぱり新作は御法度なのかな?
『短命』やなぎ
 大店の一人娘、婿が次々と早死にするのはなぜかしらという、艶っぽいお噺。さん喬一門の特色なのか、見た目にもわかりやすい演じ分けの演劇型落語とでも言いましょうか。素直さが噺にあってたね。
『真景累ケ淵 宗悦殺し』喬太郎
 こんな表情の喬太郎を観るのは初めて。盲目の按摩、狂気じみた旗本、気を病む正妻など。見入ったし聴き入った。静まり返って息を詰めるのに焦れた喬太郎の前座いじりも飛び出して、怖いだけじゃない怪談になってたね。この続き、喬太郎で聴きたいなぁ。
『百川』
 こちらはのん気でおバカな噺。田舎から出てきた奉公人見習いが、その訛りゆえ勘違いから巻き起こる騒動。怪談の後の清涼感。さっきまで息詰めてたぶん、思いっ切り笑えました。


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TEAM NACS 第15回公演「悪童」を観る(15.7.31)

 日本一チケットが取りにくい劇団として、5人揃ってテレビ番組に出るようになった TEAM NACS。北海道から全国区へ、華麗な転身だね。そんな彼らの凱旋公演。今回は脚本に古沢良太、演出にマギーを迎え、5人は役者に全力投球。
 とある田舎の廃墟と化したつぶれたレジャーランド。立て籠もりを続ける同級生を説得するべく集まった中学時代の卓球部員たち。それぞれが今を生き、あわただしい毎日を過ごす中、彼らは懐かしき卓球部員としての記憶と友情を取り戻すことはできるのか?そして、転校してしまったとん平について、なにを思うのか?
 まず、個人的に作・演出を外部に頼むのは、特にリーダーは思うところ大きいだろうけど(カーテンコールでも言ってたけど)、ありだと思う。古沢良太は『趣味の部屋』でもシチュエーションコメディの才能を存分に見せてくれたし、マギーと立て籠もりとくれば『ジョビジョバ大ピンチ』。この作品を作るべくして参集した二人とどっぷり芝居だけに打ち込める環境は、NACS にとって楽園だったんじゃないかな。それぞれに忙しいとしても。で、楽しんで演じていることが伝わってくるんだから。5人から。
 もちろん宛て書きなんだろうけど、それぞれの立ち位置がよくわかる設定だった。なんだかこのまま5人の戦隊ものまでできちゃうんじゃないのって思ってて。古沢良太、いい仕事です。でも、陽→暗→陽の切り替えや、張った伏線はすべて回収する律義さが、予定調和にならないようになんて、勝手に心配したりして。
 ちょっと斜に構えたようなこと書いちゃったけど、文句なしに面白かった。27年目のお礼参りが『とん平、学校かわるってよ』へと変貌していくさま、役者それぞれの揺れる人格。見どころ満載の舞台だった。
 ついぞ姿を見せることのなかったとん平(そりゃそうだよ、NACSは5人しかいないんだもん)。でも、ぼくにはとん平としてある男の顔が終始浮かびっぱなしだった。それもこれも、開演前に見てしまった花のせいだ。でも、その顔がなんかとん平としっくりきてたんだよな。「6人目の男」、木村洋二。

いやいや、あんたアナウンサーだから・・・
でも、道内某局のディレクターも役者デビューしちまう時代だから


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「REBECCA Preview Live」を観る(15.7.28)

 10歳下の友達に「REBECCA の復活 Live 観に行くんだ」と自慢したら、あまりよく知らないと言われてしまった。ぼくらにとって青春ど真ん中の歌姫も、ぼくら限定の歌姫だったの?なんて感傷に浸っている場合じゃない。はげ、デブ、チビ、白髪などなど、ぼくら世代は今か今かと REBECCA の登場を待ちわびて声を上げ、手を叩いているのだから。
「こんばんわ、REBECCA です。あっ、15年ぶりに REBECCA と名乗りました」と切り出した NOKKO。ぼくにとってはナマ REBECCA は学生の頃に新日鉄なんちゃらというホールで観て以来、実に27年ぶりさ。懐かしいったらありゃしない。
 8月に横浜アリーナで開催される復活 Live のリハーサルというかお披露目の意味を兼ねた今回の Preview Live。券面にも40〜50分と記載されていたので、どこまで盛り上がれるかなんて心配すらしてたけど、まったくの杞憂。のっけからのハイトーンの伸びは若かりし頃のまま、ぼくのテンションもいきなり Max で。オリジナルメンバーが揃い、小田原豊の乾いた強いスネアの音、懐かしく心地よい。
 『LONELY BUTTERFLY』『Cotton Time』『真夏の雨』『MONOTONE BOY』『RASPBERRY DREAM』、アンコールに『フレンズ』。たまらんでしょ、このラインナップ。やられちゃうでしょ。『RASPBERRY DREAM』なんて、ずーっと「Wow Wow Wow Wow Wow Wow♪」って歌ってて欲しいもん。
 横浜アリーナ、観に行きたいけど行けないんだよね。WOWOW でO.A.するみたいだから、楽しみに待とうか。でも、自宅でひとりシャウトするのは気が引けるんだよね、ご近所さんに。
 一昨日の ORIGINAL LOVE といい、今日の REBECCA といい、20歳は若返った気がするぜ。ご同輩たちと一緒に。

ご同輩たち、みなご機嫌の復活 Live なのさ


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SAPPORO CITY JAZZ Ezo Groove 2015「ORIGINAL LOVE」を観る(15.7.26)

 札幌の7月はジャズに染まる。第三弾はぼくら世代のどんぴしゃり ORIGINAL LOVE。
 J-POPの呼び名が一般的となり、色とりどりの音楽がシーンをにぎわした90年代。オトナの色気を漂わせながらもひとところにとどまらず、音楽の可能性を試し続けた孤高の男こそ、ORIGINAL LOVE こと田島貴男なのだ。自らバンドメンバー全員をクビにしてまで高みを極めようとした男。ぼくらはいかに『接吻』をエロく歌うかに全力を注いでたんだもん。
「田島くんは”渋谷系じゃない”って言うだろうけど」とは、渋谷系のNo.1歌姫・野宮真紀のお言葉。でも、サポートメンバーに木暮晋也(G)と真城めぐみ(Cho)がいたりしたら、そりゃもう、ね。
 ORIGINAL LOVE が JAZZ をどう見せるか…そんなもん、関係ないのが田島貴男なんだな。別に意識しなくたって、普段通りやってたって、彼の音楽的多面性が JAZZ を感じさせてくれるし、誰よりもニューオリンズしてたもん。
 ニューアルバム『ラヴァーマン』からも演奏したけど、90年代涙ものの名曲も惜しみなく披露してくれる。もう、ぼくの脳内狂喜乱舞。もちろんエロく歌ったぜ、『接吻』。そしてアンコールは ORIGINAL LOVE 最高のアゲアゲナンバー。愛車珍クンで行ってよかった。帰りはぶっとばしたのさ。
 「ジャアアアアアズ」でコール&レスポンスなんて、田島貴男ならではなのさ。でも最後に「ソウル最高!」って叫んじゃうところも、また田島貴男なり。
 最高の夜でした。




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「ヒッピーズ寄席番外編 狸小路で天どんまつり」を観る(15.7.25)

 三遊亭圓丈師匠門下の真打・三遊亭天どん。圓丈門下といえば新作落語。北海道の落語会はなぜか古典ばかりなので、新作が聞ける貴重な機会。しかも尊敬する圓丈師匠のお弟子さん。
 天どん師匠といえば、以前喬太郎師匠の道新寄席に飛び入りしたのも記憶に新しいかな。
 会場に入ってびっくり。満席ではなかったんだけど、若い女性が多いこと。え?失礼かもしれないけど、あのビジュアルで?女子大のゼミの課題にでもなった?なんて考えたりして。
 天どん師匠の特徴といえば、枕もネタも大きく演じ分ける出なく、淡々と演じる。その語り口が絶妙なんだよね。圓丈門下に見られる絶叫もあまりないし。でもそれが妙に耳に残り、病みつきになるのかな。枕の毒舌も加えて。

『子供の作文』
 子供が作文の書き方を聞いてきたので、新作落語の書き手としてのノウハウを伝授したら、授業参観で発表されてえらいことに。確かにほとんどの人が文章の書き初めって作文なんだよね。誰を、なにを意識して書くことができるか。それが将来を大きく分けるのかもしれない。文豪になるも筆下手になるも。着眼点がいいんだよなぁ。
『カベ抜け』
 天どん師匠の夏噺。怪談を意識してか、幽霊が出てくるけど、なにも怖くはありません。幽霊なんだけど、気のいい奴なんです。うらみを本当に晴らしたいのか、いささかあやしいんです。こんな夏噺もありなんです、新作だから。
『船徳』
 古典です。古典もやるのです。船宿で居候する若旦那・徳が思い付きと見栄で船頭になるべく修業を始めるんだけど、そこは落語の若旦那。のんきな人柄が巻き起こすドタバタ劇。この噺を聞くのが初めてだったので、本来の噺と天どんアレンジの違いが解らなかったけど、面白かった。若旦那ののんきさが淡々とした語り口で倍増されてます。


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「靴職人と魔法のミシン」を観る(15.7.23)

 老舗、地下室、古い道具。いかにも怪しげななにかが潜んでいそうなシチュエーション。NYのダウンタウンなんで、ヨーロッパみたいな伝統と格式はないにせよ、だからこそ猥雑で下世話ななにかが。再開発計画が持ち上る下町の靴修理店なんて、怪しい臭プンプンなわけで。
 靴職人の父が蒸発後、痴呆気味の母を抱えながら一人店を守るマックス。愛用のミシンが壊れ、いけ好かない高圧的な客の靴を地下室に眠るミシンで修理、何気にその靴を履いてみたら、鏡の前にその客の容姿をした自分がいた。
 夢のようだけどシュールな話。使い方は本人次第。善にも悪にもエロにも…。どうするマックス。母を幸せにし、下町を守ることはできるのか?
 現代のおとぎ話。もちろんすべてがマックスの思い通りにはならないけれど、幸せって挫折やら紆余曲折あってのものなのかもしれないから。
 ファンタジーにほど遠い存在。地道に働くものが見る夢のような世界。ほんわかしたいい気持になれる映画でした。


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SAPPORO CITY JAZZ Ezo Groove 2015「SOIL & "PIMP" SESSIONS」を観る(15.7.17)

 札幌の7月はジャズに染まる。第二弾は SOIL & "PIMP" SESSIONS です。気になって、CD買って聴いてたバンドのLiveを Music Tent で楽しめるなんて。
 Jazz の奔放さを体感できるLive。のっけからソロをたっぷり聴かせたり、フロントマン(社長)のアクションで盛り上がったり。「座ってていいの?」って言うか、「立っちゃダメ?」みたいな感じ。でも、ヨーロッパがえり一発目の Live は彼らなりの Jazz が炸裂。もう、楽しくってしょうがない。
 それにしても、メンバー全員巧いなぁ。あのリズム、あのノリ、あのテクニックで終始攻められたら、そりゃもうやられっぱなしも必至。2階席から見渡す観衆たちの笑顔と盛り上がりが、なお一層 Live を盛り上げていく。一方的に聴かせるではなく、みんなで作り上げていく Live。強面で子供いじっても、笑顔で返ってくる楽しい Live。
 Jazz の幅を改めて認識しなおしたよ。また観たい…。


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SAPPORO CITY JAZZ Ezo Groove 2015「THE TRIO」を観る(15.7.13)

 札幌の7月はジャズに染まる。
 大通公園2丁目に今年もミュージックテントが建てられ、連日ライブが開催されている。なので、ぼくも参戦するのです。ぼくの今年のチョイスは3公演。今日はそのトップバッター、THE TRIO のライブなのだ。
 ピアノ・山下洋輔、ドラム・村上”ポンタ”秀一、ベース・坂井紅介。ぼくがジャズをなんとなく意識し始めた頃、前衛ジャズの最先端を突っ走っていた方々。やっぱり1発目っからすごかった。いや、そんなにジャズに詳しいわけじゃないんだけど、なんか歴然とした差がそこにはあるのだ。村上”ポンタ”秀一の分厚い音のドラムがすごく好きなんだけど、それとはまた違う幅を見せつけられたような。軽快の中にうねるグルーヴ、時折顔を出す重厚感。なんて知ったかぶって書いてみたけど、果たしてこれが合ってるかどうか。要は楽しけりゃいいんだよね。
 そんなドラムに時には乗っかり、時には対抗しながら奏でられるピアノとベース。もうね、にわかのぼくでも楽しくなっちゃうんだ。
 そしてスペシャルゲストに高岡早紀。彼女のやわらかいボーカルが加わって、会場は古き良き日のキャバレーかのよう。もちろん行ったことはないけれど。でも、そんな雰囲気満々。ミュージックテントのキャンドルライトと、ロックのせいもあるけれど。そして、高岡早紀のノースリーブタイトなロングドレス。おじさんは悩殺されました。
 そういえば『ボクらの時代』で山下洋輔と高岡早紀が一緒に出てて、父娘みたいな感じだったっけ。
 硬軟取り揃えられたライブ、耳にも目にもいい保養になりました。


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「予告犯」を観る(15.7.8)

 ぼくが年老いたせいだろうか。
 法を犯してでも貫きたい正義感とそれを尊ぶ心。あくまで個人的な思い込みであり、社会に通用するものではないのだけれど、自己満足の極みなのかもしれないけれど、あったじゃない。自分だけの正義心とか曲げられないものって。本作ってまさにそれなんだよね、シンブンシたちにとっての。
 でも、素直には共感できなかった。もちろん被害者たちを擁護する気は毛ほどもないけど、痛快感しかないケースもあったけど、心から肯定することはできなかった。『俺たちに明日はない』とか『明日に向かって撃て』にときめいた自分はもういないのかなって。
 では、ぼくは変わってしまったのか?ぼくの中の正義感や曲げられない心は、どこぞに消え去ってしまったのか?それもまた違うと思う。若い頃はやみくもに正義を訴えていたのが、年を重ね経験を積むことで、訴え方が変わったんだろうか。それともネット社会が生み出した正義の鉄槌についていけないのか。
 なんてことしみじみと考えちまった。面白く観ている頭の片隅で。で、甘っちょろいと言われるかもしれないけれど、ぼくは吉野警部補と同じ気持ちで。それにしても最近戸田恵梨香の出演してる映画ばかり観ているなぁ。
 録りだめしてるWOWOWのドラマ『予告犯 -THE PAIN-』を一気見しましょうか。


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海堂尊「玉村警部補の災難」を読む(15.6.25)

 チーム・バチスタの番外編という立ち位置の本書は、タイトルにある桜宮市警の玉村警部補と、彼のバディでチーム・バチスタの主人公の一人・白鳥圭輔のライバルである警察庁の加納警視正が解決した4つの事件の報告という体裁の短編集である。つまりは桜宮サーガの一部なわけで、ー編を除き現代の医療問題を扱ったミステリーとなっている。そこには陰に日当に主に田口、たまに白鳥が見え隠れするのたが。
 人ひとりひとりにドラマがあり、誰もがそのドラマの主人公であるとはよく言ったもので、本作を読むと本編では融通の利かない超現実主義者の加納と、彼に振り回される玉村がとてもかわいく思えてくる。もちろん、役どころが大きく変わるわけではないけど、主観が変わることで彼らのキャラクターがより深く描かれ、より一層愛着が湧くのだろう。でも、要所要所に田口センセーが登場することで、桜宮サーガの一員であるというカテゴリーが明確になり、キャラのひとり歩きが抑制されている。作者が読者とキャラの手綱をうまくつかんでいるんだね。
 桜宮サーガ好きとしては『ハイパーマン・バッカス』がエピソードにしっかり入り込んでいるのにうれしさを感じる。いつの日か、海堂尊が『ハイパーマン・バッカス』の物語を刊行してくれないかと、ひそかに願っているくらい。桜宮の子供たちを熱狂させ、パロディ芸人まで生み出す名作だもん、読んでみたいと思うでしょ。そう思うのはぼくだけじゃないはず。
 さらに今回はネトゲ『ダモレスクの剣』も登場。ユナちゃんの正体は…なんて想像させるオマケつき。芸の細かさが憎いねぇ。これもいつかタネ明ししてくれるのかな?


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「駆込み女と駆出し男」を観る(15.6.22)

 女性が理不尽に虐げられ、妻からの離縁が受け入れられなかった時代、鎌倉に幕府公認の駆込み寺・東慶寺が存在していた。様々な理由から離縁を望む女たちが、駆け込む最後の望み。そんな東慶寺に集う人たちの24ヶ月の物語。
 大泉洋、よかったぞ。ぼくらの気持ちを代弁してくれるかのように、女性たちを守ってくれる。決して肉体的に優れているわけでもなく、いい男でもないけれど、強い心で難事に向かっていく。医者見習いの知識と、戯作者見習いの想像力で。井上ひさしの生み出したキャラを、大泉洋が見事に実像化してくれた。同じ道産子としてうれしいなぁ。でも、悔しいなぁ。だって、ぼくはこんな男になりたいって思って、日々過ごしてるんだぜ。
 戸田恵梨香演じるじょごの傷が癒えていくたび、じょごが笑顔を取り戻すたび、すごく幸せな気分になる。よかったね、あのひどい男から離れることができて。信次郎と知り合いになれてって。でも、別れの理由は決して一つとは限らない。いろんな別れが東慶寺には存在し、別れの数だけ女性たちが涙を流している。いろんな涙がきちんと描かれていて、幸せの形がきちんと描かれていて、救われる涙にこっちが涙してしまう。
 誰だって誰かを幸せにしたいって思ってるはず。だから、じょごの笑顔が心に沁みるんだよね。ぼくも信次郎みたいにいろんな人の幸せをサポートしたいって。まぁ、一人の女性をも幸せにできない独り身のぼくがなにを書こうと、説得力にかけるんだろうけどさ。


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「海街diary」を観る(15.6.20)

 海街の風に揺れながら キミは振り返り ボクに微笑みを
 大好きなマンガ『海街diary』が映画に。とにかく四姉妹が誰になるか、発表前からワクワクしてたのに、過去にぼくがときめいた女優3人が幸、佳乃、千佳を演じるだなんて。それだけで期待値Maxなのに、すずもまたかわいくて。ぼくにどうしろと言うんだい。まぁ、どうもしなくていいんだろうけど。
 鎌倉の古い一軒家に住む三姉妹のもとに、家族を捨てて家を出た父の訃報が届いた。葬儀に出席した三姉妹がそこで出会ったのは、中学生の異母姉妹だった。そこから始まる四姉妹の物語。鎌倉が織り成すたおやかな時の流れに四季を感じ、四姉妹それぞれの成長を見つめていく。
 言ってしまうと原作をしっかり読んでいるので、筋はすべて知っている。でもね、実際に4人が動き、発する言葉、表情を見ると、知ってる筋なのに心が大きく揺れてしまう。構成の都合上、裕也が出てこなかったり、カットとなったエピソードも結構あるけど、違和感なく観ることができる。そして、「原作もう一度読まなきゃ」って思いが強くなる。
 原作はまだまだ続いているので、映画も同じように続いていってほしいなぁ。広瀬すずの成長記録になってもいいから(だってかわいいんだもん)。
 唯一不満があるとしたら、坂下が加瀬亮なのはちょっとなぁ。もっとふっくらした人じゃなきゃ。ごく普通なのにその誠実さに佳乃が魅かれるところが、世の中の「いいひと」たちを狂喜乱舞させるんだもん。佳乃のサービスカット満載はうれしかったけど。
 四姉妹の 旅の終わりが ハッピーエンドなら いいのに


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木村多江ひとり芝居「エンドロール」を観る(15.6.13)

 この3日間、アラ40女性の魅力にやられっぱなし。深津絵里、天海祐希ときて、ラストは木村多江のひとり芝居。ナマです、ナマ多江です。
 映画好きのアラ40女性に突然訪れる恋と仕事のおいしい転機を前にし、揺れ動く女ごころを一人で演じ切るのです。彼女自身は既婚者だけど同じ年項。演じやすさの反面、共感しすぎてやりにくい部分や、いやいや違うぞ脚本家なんて思う部分もあったのかな。見えない相手との100分は、彼女にとってもぼくらにとっても濃密な時間だったもん。恋人が、上司が、同僚が、いないはずの人達がそこに感じられるんだもん。
 なによりいろんな木村多江を見ることができて、もう幸せ。浮かれる木村多江、戸惑う木村多江、落ち込む木村多江、いろんな木村多江。あんな調子で隣に来られたら、パソコンのセッティングでもなんでもやっちゃうよ、ぼく。
 願いは叶う。形はどうであれ、誰かがきっと見てくれている。そう思うと強く生きていられるのかもしれない。出来すぎ感はあるものの、ハッピーエンドの後のエンドロールほど、充実したものはないよね。
 映画好きがこうじて、なんでも映画で返して来る女性が実際にそばにいたら、正直ちょっと面倒くさいけど、すべてを拾わなくていいならかわいいかな。木村多江なら。


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「ゲキ×シネ 蒼の乱」を観る(15.6.12)

 劇団☆新感線のチケット、高いし獲れないし。すっかり気軽に観に行ける存在じゃなくなったよね。出演者も豪華になっていくし。でも、何年か待てばゲキ×シネでやってくれる。大きなスクリーンで演者の表情まで大写しにしてくれる。地方在住者やチケットが獲れないぼくらの楽しみとして、ゲキ×シネは定着したよね。しかも、これまで特別料金の名で高かった鑑賞料も、今回からは普通の映画並み。これはなんともうれしいことです。
 天海祐希と松山ケンイチ。なんとも豪華ないのうえ歌舞伎。舞台はまだ公家が牛耳る時代の日本。武士はまだ公家の近衛兵に過ぎず、民は公家が課す重税にあえぎ、貧困に窮していた。公家の横暴に耐えかね、異国の占い師・蒼真を救った坂東武士の将門小次郎は朝廷から追われる身に。故郷の惨状を知り、窮地を救うべく蒼真とともに戻った将門は、そのまま国を動かす大きなうねりへと巻き込まれていく。
 腐敗した公家政治に敢然と立ち向かった平将門の乱をモチーフとしたいのうえ歌舞伎。外つ国、蝦夷、坂東と、中央政府に虐げられてきた者たちの、平等と自治を求める戦いの中、将門小次郎の葛藤と蒼真の愛はこの国に何を残すのだろうか。
 いのうえ歌舞伎の王道、裏切りと純真に満ち溢れた作品。無垢がゆえに染まりやすい心。知りすぎたがゆえに躊躇する心。松山ケンイチと天海祐希がそのキャラクターまんまで演じ切る。まさに適役。お互いの凛々しさ、戸惑い、決意が交錯する様は、観る者を圧倒する。その上、ゲキ×シネならではの大写しで、天海祐希の美しさがドカンと。髪型が変わるたびに惚れ直します。
 脇を固める面々はいのうえ歌舞伎の常連が多かったけど、中でも早乙女太一の殺陣は美しかった。身体の使い方、流れがしなやかなんだよね。ゴシップ記事で読むゲスな噂(あくまで噂で、真実は知らない)によるイメージが拭われます(あくまでぼく個人のイメージです)。
 平将門の乱を自在に膨らませながらも、伝説をしっかりとフォローする。上手い脚本にいつもながら脱帽。だからいのうえ歌舞伎はやめられない。


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「寄生獣 完結編」を観る(15.6.11)

 顏が割れても深津絵里。寄生獣はぼくにとって深津絵里がすべての映画だ。
 原作漫画を持っているくらいこの物語は好きだし、この物語の壮大さや深遠さは十二分に理解してる。でも、それはぼく以外の誰かがきっとたくさん語っているに違いない。ぼくがぼくの言葉で一番語りたいのはなんだろうかと考えた時、やっぱりそれは深津絵里だった。
 ぼくの好みというか性分というか、ぼくは結構表情の硬い女性に魅かれる傾向がある。地味とか暗いと言われることもあるけど、そんな女性が時折見せる感情が露わになる表情がたまらなく好きだ。うれしい顔でも、悲しい顔でも、笑った顔でも、怒った顔でも。その意外性と「ぼくだけに見せてくれた」という特別感。そういう意味ではぼくは無類の表情フェチなのかもしれない。で、田宮涼子である。終始無表情。顔が割れても無表情。でも、そんな彼女が見せる唯一の感情。それを演じてるのが深津絵里。そりゃもう、悶え死にそうだよ。映画館でひとり身をよじっていたに違いない。ほとんど専用劇場状態だったから、変質者扱いはされなかったと思うけど。
 この二部作、ちゃんと観ることができて本当に良かった。帰ったらうちにいるミギーをかわいがってあげよう。


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和田竜「村上海賊の娘」を読む(15.6.10)

 これは本屋大賞を受賞するよ。断然面白いんだもん。
 時は戦国時代。織田信長が本願寺攻めをしていたころ、西国の毛利家では本願寺からの兵糧入れの要求に受けるか否か迷っていた。そんな中、兵糧入れを実現させるために必要不可欠とされたのが、村上海賊だった。そんな村上海賊には、戦働きに憧れる男勝りの姫が一人。この姫・景が史実に残る戦いに大きく関与していく。
 もうね、多くは書きません。姫さまの葛藤と活躍に読み惚れてください。
 いやさ、景だけじゃないのよ。出てくる人たちみんな、魅力がありすぎなのよ。ひとりひとりキャラが立っていて、誰もがそれぞれの人生を一生懸命生きていて。だから、戦なんてして欲しくないというか、誰一人死んで欲しくないというか。複雑なのよ。みんなに生きて欲しいのよ。でも、ここは戦国時代。そんな甘っちょろいこと言ってはいられない。みんなが命がけなんだから。だからこそ、この物語はせつなくも面白い。
 もうね、景もいいんだけど、やっぱりぼくとしては七五三兵衛なんだよね。泉州侍の粋たるや、ぼくのあこがれ、目指すところ。材木屋の若旦那・栄次郎、下鴨矢三郎に通じるというかなんというか。彼の物語を、もっと読んでみたいと思った。
 読後の思い入れが強すぎて、実写化とかして欲しくない・・・。どうしても実写化するなら、七五三兵衛は絶対、古田新太で。


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サザンオールスターズ LIVE TOUR 2015「おいしい葡萄の旅」を観る(15.6.6-7)

 10年ぶりのサザン。10年前も札幌ドームだったっけ。この10年、いろいろあったから。ぼくにじゃなくて、サザンオールスターズに。だから、すごく感慨深くて。小6で『勝手にシンドバッド』の洗礼を受けてから早37年。いつもぼくの心に鳴り響くサザンメロディ。だから2Days行ったのです。もっともっと、今のサザンを心に刻み込むために。
 MCで桑田さんも言ってたけど、セットリストが速攻でWebに上がってる。だからここでも隠す必要はないのかもしれないけど、まぁまぁ丸ごと書かない程度で、ちょっくら隠しながらの感想を。
 まずは1曲目。これは正直予想できなかった(これは隠します)。この曲、ライブでやったのって…ぼくが観た中では記憶がない。ぼくの観たサザンのライブは数がしれてはいるけれど。カラオケでカッコつけて歌ってた若き日が甦る。そこからは怒涛のオンパレード。どこから切ってもサザン、サザンの金太郎飴状態(当たり前か)。
 懐かしい曲に心躍らされ、新譜『葡萄』の楽曲に心震わされる。還暦が近くなった面々の今の想い。すごく沁みるんだよね。平和の鐘はぼくらのために鳴ってるんだろうか。ぼくがサザンメロディと歩いてきた道は、正しかったのか(正しいって信じてるけど)。
 37年の月日は会場の雰囲気も変えていた。年齢層がすごく幅広くて。桑田さんのMCに「○○腺ってなに?」と聞いて父親を困らせる女の子とかいるんだもん。往年の大興奮Song『ボディスペシャルU』を知らず、戸惑う若者が多かったり。でも、みんな楽しんでた。近い将来○○腺を覚え、『ボディスペシャルU』でシャウトしてくれるのだ(シャウトは曲の後半にはしてたけど)。だから、いつまでも、いつまでも、ぼくらを楽しませ続けてほしい。
「みんな、死ぬなよ〜っ!」って、あんただろ。
 ライブの会場で、ノッたフリしてさ、足が触れたのは故意(わざと)だよ♪


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「SAKEROCK LAST LIVE "ARIGATO!"」を観る(15.6.2)

 間に合った、最後の最後で。
 一度は観たいバンドのひとつ、SAKEROCK。かっこいいインストやるバンドはたくさんあるけれど(とても好きだけど)、楽しいインストバンドって少ないなとぼくは思ってる。で、ぼくにとってその楽しいインストバンドのひとつがSAKEROCKなのだ。星野源、浜野謙太と分野を問わず活躍するメンバーを抱えるインストバンド。早かれ遅かれ、この日が来るとわかっていたので、どうしても観ておきたかった。最後の最後で間に合った。
 オリジナルメンバー5人が両国国技館の円形ステージに車座になって向き合い奏でる音楽は、ぼくがCDで聴いていた楽しい音楽そのままだった。この日を待ち望み、惜しむファンたちと、上方に飾られた、これでもかというくらいの白鵬の写真に360°囲まれて、楽しい音楽、心地よい雰囲気を作り出してくれる。その何気なさがまた楽しい。
 ナマで観ていると旋律以外の巧みさがよくわかる。あっ、この曲のここ、こう弾いてるんだってのが、2階席だったのでなおさらよく観えて。それがまた楽しくってさ。やっぱりライブっていいよね。
 正直、これが最後だってわかってるから、もう揃わないメンバーだから、観衆も目に焼き付けようって気持ちでいっぱいだったのでは?ぼくは純粋に楽しいに浸ってたんだけど。
 楽しいがまだ心で鳴りやまない。きっとCDで聴きなおしたら、新たな発見が見つかるのかな。
 素敵な楽しいライブでした。


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PARCO Production「幕が上がる」を観る(15.5.15)

 最近、うちの若い社員にいっちょ前の熱い言葉を吐いている。若いやつらは「何様?」と思っているに違いない。だって、熱さから一番離れた立ち位置で学生、社会人生活を送ってきたんだもん、ぼく。どうしちゃったのかな…と我ながら思ったりするんだけど、その答えが『幕が上がる』に詰まっているような気がした。
 高校演劇に真剣に向き合う女子高生の演劇への目覚めから飛躍までを描いた映画版『幕が上がる』。舞台版は彼女たちを導きながらも唐突に姿を消した美術教師・吉岡が高校を辞めた事実を知った直後の、映画では描かれなかった部員たちの数日間が演じられている。
 彼女たちが飛躍を遂げるために乗り越えなければならなかったステップ。支えの消失、プレッシャー、ぬぐいきれない記憶。それらに真正面から全力でぶち当たり、前に進もうとする彼女たち。本音を出し合うことをためらいながらも恐れずに、互いを信じて取り組む姿は、逃げてばかりの自分の若い頃とは正反対で。昔なら斜に構えて目を背けてたかもしれないけど、この歳になるとハートに剛速球で投げ込まれてくる。
 そして、映画ではあまり描かれなかった彼女たちの『銀河鉄道の夜』。部長が込めた想い、部員たちが感じた気持ち。丹念に描かれている。それがとても沁みるんだよね。
 彼女たちが本音をぶつけ合う姿を、若かりし頃にぼくができなかったことを、今更ながら若い世代に語る自分が最近いる。上から目線でカッコつけながら語るぼくは、冷静に考えたらカッコ悪いよね。恥ずかしい…。
 ももクロっての忘れちゃいます。黒木華の首筋のほくろがナマで観れないのがとても残念だけど、演劇部員だけで演じる舞台には、大人の力に頼らずに演劇に真摯に向き合う気持ちが表れていて、それだけでもじんときちゃう。
 そうそう、開演前のサプライズ、観劇に来ていたがるるのおじいちゃんが舞台に登場したんだよね。開演後はぼくの4つ隣に座ってたけど。


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「セッション」を観る(15.5.8)

 なんだかドラムが印象的な映画を観るのが続いてる。前回は効果としてのドラムだったけど、今回はドラムが主役といっても過言ではない。
 世界一のドラマーになるべく、名門音楽大学で厳しい鍛錬に明け暮れる、師弟の感動物語…だと思ってた。名門音大のレギュラーバンドの主奏者となると、天賦の才があって、明るい未来が待ち受けているのかと思いきや、相当の努力が当然必要なんだ。それを師弟が手を取り合って、ときにはスパルタ、ときには愛をもって越えていくのかと思っていた。
 ところがどうだ。鳴り響くドラムプレイと怒号の緊張感から物語は予期せぬ方向へ。そして再び出会った師弟が立つ舞台、カーネギーホールで、レイ・パーカーの伝説を越えることができるのだろうか?
 途中からの展開はホント驚きだった。アーティストとしてのエゴや完ぺきを求める心からのすれ違い。緊張と緩和じゃなく、緊張の連続。大舞台での仕掛け合いなんて、まさにセッション。
 凄い感動や凄い映像があるわけじゃないんだけど、心にどっしりと残るすごい作品だった。
 ちょっとネタバレになるかもしれないけど、ラストのラスト。あの終わり方は心にとても突き刺さった。周りなんてどうでもいいんだ。二人が通じていれば。
 めちゃくちゃお勧めです。


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「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」を観る(15.5.4)

 アカデミー賞作品賞受賞作。鳴り響くドラムソロに流れるような場面展開。オンタイムで進行するかと思いきや、時間経過もカメラワークとドラムソロで乗り切る。ぶつ切り感がまるでない。それがテーマである演劇とシンクロし、しっくりくる。
 アメコミヒーロー映画『バードマン』で一世を風靡したリーガンが再起をかけブロードウェイで演劇を上演することに。しかし、演劇を主戦場にする役者や批評家にとって彼は芝居を知らない過去のスターであり、一般人もバードマンとしての認識しかなかった。役者としての存在を示したいリーガン。過去の幻影との葛藤、家庭問題からの逃避など、彼を取り巻くあらゆることから、彼の新境地は生み出されるのだろうか?
 そこまで高いプライドが必要なのだろうか?凡人のぼくにはわからない世界がそこにあった。もちろん、辱められるのは耐え難いが、誰からも称賛される経歴があるわけではないので、失うものも少ないか。
 なにもかもが息づまるような展開。スリルだ、アクションだではなく、心理描写での緊迫感。そんな中、時折はさまれるホンワカにほっとさせられる。緊張と弛緩。まさにそれを駆使した映画だった。
 かつてバードマンと呼ばれた男がたどり着く先、ドラムに煽られながら確かめてみませんか?



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「女神は二度微笑む」を観る(15.5.2)

 またもボリウッド映画を観てきました。今回はサスペンス。歌も踊りもなく、スリルとサスペンスが満載。
 行方不明となった夫を探しにロンドンからコルカタに来た妊婦・ヴィディヤ。しかし、夫がコルカタに滞在した記録はまるでなし。それどころか、夫の生まれ故郷にも夫の存在は見つからない。そんな中、夫に似た顔を知っているという証言から、2年前に起きた地下鉄毒ガス無差別殺人事件とのつながりが浮上してくる。
 もうさ、いつ産まれるかってハラハラドキドキ。逃走シーンなんかに時が訪れたらって考えると、「無茶しないで」と祈ってしまう。だってかわいいんだもん。きっと同行していた警官・ラナも気が気じゃなかったと思うぜ。勝気なくせに、子供の扱いがうまく、きれい好き。二面性があって、こりゃラナも惚れるわな。
 もうね、やられました。多くは書けないけど、すっかり術中にはめられて。インドの妖しさもまた、サスペンスに奥行きを深めてるんだよな。ヴィディヤの妊婦が醸し出すエロスにもさっ、酔わされちゃう。
 またひとつ、勧善懲悪・歌って踊れのボリウッド映画が持つ既定概念を吹き飛ばす作品が出てきました。面白いです。


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立川談春 三十周年記念落語会「もとのその一」札幌公演を観る(15.5.1)

 仕事を終え、落語を聞きに道新ホールへ。18:30着。いつもはごった返している1Fエレベータ前が閑散としていた。そんなこと気にも留めず、道新ホールで恒例となった『本日の催し物』の写真を撮っていたら…「開演18時30分?」。てっきり19時開演だと思っていた。会場に入った時、すでに談春が高座に上がっていたけど、まだご挨拶だったので「ほっ」。
 
 立川談春三十周年記念の楽日。札幌の桜の開花に合わせて組まれたツアーなだけに、さぞかし感慨深い高座でしょう…と思いきや、東京で追加公演やるって?まぁ、それなりに事情がおありなんだなと。
 それにしても札幌の桜、見事に満開。例年ならまだちらほらくらいなのに。そのうえ、ライラックまで花開いたって?談春、どんだけ札幌の花に愛されてんだ。
『かぼちゃ屋』
 談春は与太郎が苦手だという。でも、与太郎をうまく演じられるようになったのが、この噺なんだとか。談春の与太郎はその顔かたちからだろうか、バカボンに見えてくる。裾足らずの浴衣を着たバカボンが、竿を担いでかぼちゃを売りに行くのだ。なんともおちゃめな与太郎さんだこと。
『談春半生記』
 初アフレコを務めたアニメ映画の話に始まり、弟子入り志願の若者のお手紙、自作の著書『赤めだか』のドラマ化に関する話なんかをたっぷりと。談志役に北野武、談春役に二宮和也。放送は冬以降だとか。宣伝話を笑いを交えて聞かします。
『百年目』
 先日急逝された関西落語界の頂点・桂米朝が十八番とした噺。旦那の目を隠れて遊ぶ番頭、その所業が旦那に知れた時、旦那と番頭の葛藤が始まる。談春はこれをもって、師匠・談志からの独り立ちを誓ったとか。米朝の百年目とは筋が変わっているとのこと、スタンダードな百年目を聞いたことがないので、いつか聞いて確かめてみよう。
 ということで、今回もたっぷり落語を堪能しました。
 



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「趣味の部屋」を観る(15.4.23)

 2年ぶりの再演。しかも全員初演と同じキャストで。座長・中井貴ー、この作品がとても好きなんだなぁ。中井貴ーといえば、今や日本でも指折りの役者さん。その代表作といえば『ふぞろいの林檎たち』(エ〜リぃぃ〜っ)、『武田信玄』(大河です)、『最後から二番目の恋』(和平さん)、『ビルマの竪琴』(水島〜っ、一緒に帰ろ〜っ)と、テレビや映画が多いかな。選択は人それぞれだろうけど。舞台だと『Good Night Sleep Tight』や『コンフィダント・絆』があるけど、三谷色が強すぎ?中井貴ーの舞台といえば『趣味の部屋』と言わせたい?
 そんな戯言をなぜ書いたかというと、芝居の筋とかなんだとかは2年前の観劇時に書いちまったからさ。だから知りたい人はそっちを読んでちょうだい。ちょっとネタバレがあるから気を付けて。
 笑いもチームワークも色褪せることなく、大笑いしてしまった。やっぱりぼくのツボは白井晃なんだよなぁ。ガンダム。なにせ白井晃のナイーブっぽいところ、ガンダムキャラにぴったりなんだよね。髪質もブライトさんに似ているし。やすひ腰を真似たあのポージングは一品です。
 とにかく今回も面白かった『趣味の部屋』。札幌公演が1回だけというのはもったいないなぁ。最高です。


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「エイプリルフールズ」を観る(15.4.17)

 いろんなことがあって、心も身体も疲れ気味だった今日のぼくにはぴったりの映画だった。笑って笑って、ホロリとさせられて。さすが『リーガルハイ』のスタッフによる映画だ。ささくれだった心に潤いが加わったもん。
 認知・入籍を求める妊婦、おとなしくしてるといいことしてくれる誘拐犯、お忍びの宮様夫妻…。4月1日に発せられる様々な嘘と、嘘が作る人間模様。これが優しいんだよね、心に。たまには傷つく嘘もあるんだけど、嘘を嘘でフォローしたり、嘘がまことに変わったり。嘘つきは泥棒の始まりっていうけど、素敵な泥棒だっているんだよ、きっと。ハートだけ盗んでく泥棒が。
 内気な戸田恵梨香が、その一挙手一投足がかわいかった。いろんな嘘とその結末があり、どれもホロリとさせられちゃうんだけど、ぼくの中では滝藤賢一が一番よかったな。歳のせいかな。
 心のエネルギーも満タンになったことだし、明日からまた頑張りますかな。4月1日は過ぎたばっかなので、当分は正直者全開で。


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チャラン・ポ・ランタン ツアー2015『唄とアコーディオンの姉妹劇場』を観る(15.4.9)

 念願のチャラン・ポ・ランタン、ついに観ることができた。実は彼女たち、1月にも札幌でライブやったんだ。ぼくも観に行こうとチケットを購入してたんだけど、大学の恩師が急逝され、そのお通夜とかぶって断念したんだよね。当分観る機会はないのかなって思っていたら、今回の公演が。しかも、地元・新札幌のサンピアザ劇場で。うれしいぞ。
 ナマで観た彼女たち、圧巻だった。バックバンドなし、声とアコーディオン、姉妹だけのシンプルな構成。でも、アコーディオンの七色の音色と、変幻自在の魅惑ボイスが、大サーカス一座を思い起こしてくれるのだ。
 いやはやすごかった。あの世界観、あの歌声、あのテクニックに魅了されまくり。サーカスのイメージで演じるような唄と演奏。戸川純を思い出すようなボーカル。22歳になりたての妹・ももの末恐ろしさを感じずにはいられない。そして姉・小春のアコーディオンの心地よくも艶しい音色。そしてふたつが重なった時の甘美ときたら。
 カヴァーも姉妹の世界観で色づき、CMソングメドレーですらゴールデン街でテレビを観てる雰囲気で。
 本日、フェリーの中で22歳になったもも(えっ?移動は飛行機じゃないの?)。アンコールで登場の際はサプライズがなぜかサプライズ返しになって、姉妹愛炸裂。こっちが涙ぐんじまった。ステージ衣装は実母のデザイン。家内制手工業アーティストのほのぼのさも堪能できた。
 もうすっかり虜なのさ。


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「ジュピター」を観る(15.3.30)

 『マトリックス』シリーズに熱狂した身としては、アンディ&ラナ・ウォシャウスキー姉弟の新作に心ときめくのはいたしかたないこと。次はどんな世界観を見せてくれるかって、大いなる期待を抱きながら。さすがに最近、目が疲れるので3Dではなく2Dにしたけれど。
 ここから先は、まだ観ていない人はご遠慮ください。






 なんじゃこりゃ。ありとあらゆる物語の要素をぶち込んだ、予定調和のスリル満載映画。マザコン兄弟が宇宙を巻き込んだ三つ巴の兄弟げんかを繰り広げ、イタチごっこに終始する。これがホントにアンディ&ラナ・ウォシャウスキー姉弟の作品なの?それとも実際に資産をめぐって姉弟ゲンカでもしてるの?
 戦闘シーン、アクションシーンを撮りたいんだったら、盛りだくさんStoryなんて無視して、タランティーノみたいに割り切ったほうがよかったんじゃない?
 この際、金はいいから時間を返して欲しいなぁ。


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「繕い裁つ人」を観る(15.3.29)

 港が見える坂を上る。洋館。近所の方から長く愛される「南洋装店」は、女主人・市江が先代の仕立てた洋服の仕立て直しをメインにひっそりと営業している。大手百貨店に勤務する藤井は南洋装店をブランド化すべく、足繁く通うが、頑固じじいのごとき市江から色よい返事は得られないまま。それでも通う藤井は、市江の顧客を通して市江の先代が作った服への想いを感じていく。
 ゆるやかに流れる時の中、たおやかな意志も持つ市江と、立場は違えど服を愛する藤井や近所のひとたちの、洋服を巡る優しい物語です。
 古き良きもの、守り通したいスタンスと、新しいスタイル、越えてみたい壁。静かな市江の心の中の葛藤が導き出す答えは?
 ホント素敵な物語なんだよね。正直、近所の一員に加わりたいって思っちゃうけど、きっといいとこの人たちなんだろうなぁ。庶民的なショットもあったけど。
 そうそう、物語の舞台は東京を意識する描写がいくつかあったので神戸なんだろうけど、横浜じゃないの?って首をかしげてしまった。だって、老若男女すべての人がきれいな標準語なんだもん。関西人は関西弁を喋るというのは、ぼくだけの先入観かな?
 中谷美紀はもちろんきれいなんだけど、黒木華よ、どうしてあなたはこの頃ぼくの前にその素敵な笑顔を見せ続けるの?
 藤井くんが風船を手にした時、『走れ』が聴こえたのはぼくだけだろうか。えっ?『モテキ』じゃないんだからだって?おっしゃる通りです。


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いとうせいこう「想像ラジオ」を読む(15.3.28)

 よくぞこの物語を書いたもんだ、いとうせいこう。震えた。いろんな意味で文章が、言葉が持つ強さを感じた。
 圧倒的な勢いの中、なすすべのなかった方々。その無念さを想うと…。みなさんが伝えたかった言葉、今となっては知る由もなく。
 想像ラジオは音が伝わるラジオではない。心で音を感じるラジオだ。放送時間も聴き手の自由。流れる曲も聴き手次第。語り掛けるは木の上に逆さに引っかかっているDJアーク。アークの語りかけに多くのリスナーが呼応し、一大ムーブメントを起こしているはずなんだけど…きっと誰も知らない。
 きっとこんなこと考えてたんだろうなぁ…。もちろんいとうせいこうの想像である。でも、その想像がとても優しくて。そんなこと思いながら旅立ってほしいと。想像ラジオはみんなの想像する力で成立してるんだから、ある意味なにを想像してもいいわけでしょ。そう考えると、想像ラジオは旅立つ人のためのラジオではなく、見送る人、唐突に分かれた人のためのラジオなんだろうね。
 震災の記憶がまだ鮮明な時にこの物語を執筆し、出版したいとうせいこうの心意気に、惜しみない拍手を送りたい。


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道新寄席「春風亭一之輔 独演会」を観る(15.3.20)

 3年前、並みいる先輩達を追い抜いて真打ち昇進をはたした春風亭ー之輔の独演会。テレビで見せる毒舌を高座でも味わおうと、足を運びまして。
 花粉症と航空性中耳炎の影響で耳、鼻、喉の調子が悪いようで、まずは開演前に行った耳鼻科にチクリ。続いて息子、さらには近所の子供と毒づきます。でも、良く聞くと自虐なの。決して誰かをけなすではなく、矛先は自分。
 「今回の会場・道新ホールのような大箱ばかりで興行を打つ談春師匠」にも悪意はないのよ、意識はしても。そこから静岡の落語王国の悲哀へのつなぎは、たまらないものがあって。ちなみに「静岡 落語王国」でWeb検索したら、どうやら実話のようでして。手作り寄席の悲喜こもごもを一之輔独特の愛情あふれる毒をちりばめて、笑いを生みます。
 さて、ネタです。一之輔の二席、どちらも近年、談春が道新寄席で演じたネタというのは、意識してのことではないのかなぁ。特にこの時期なのに『ねずみ穴』ぶつけてきたってことは。
『お菊の皿』 柳家小太郎
 ご存知の怪談・番町皿屋敷のその後を描いたお噺。お菊さんは会いに行けるアイドルに。劇場型落語、語って見せて笑わせてくれました。
『花見の仇討』 春風亭一之輔
 これは観て楽しい仕上がりになっていて。特に松っさんの顏&一挙手一投足には笑わずにはいられない。劇場型落語を思う存分楽しめた。
『ねずみ穴』 春風亭一之輔
 ここをチョイスし、演じ分けるのがすごいとこなのかな。観せる落語の後に聞かせる落語をぶち込んでくる。もちろん仕草は大切だけど、要所を締める動きにとどまり、ラジオでも伝わる話芸を聞かせてくれた。さすが。
 
 


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「幕が上がる」を観る(15.3.14)

 アイドル映画ってカテゴリーを越えたかどうかばかりが話題になりがちな、ももいろクローバーZ主演の青春映画『幕が上がる』。正直、そんなカテゴリー自体がどんなもんかわからないけど、面白ければいいんだよ。心に響けばいいんだよ。ぼくがモノノフだからってわけじゃなく、ホントに響いた映画だった。
 このHPにもよく書いてるけど、ぼくは青春ものがホントに好きなのだ。小説にしても、映画にしても。ここでいう青春ものとは甘酸っぱい恋の物語じゃなく、みんなでなにかを作り出そうと奮闘する物語のこと。ぼくの思う青春って、決して10代だけのものじゃなく、中年だっておっさんだって、年代を越えたって、仲間が一緒になれればそれが青春だと思ってるから。
 で、本作は高校の演劇部がみんなで演劇を作り上げていくという物語。部長として、脚本家、演出家として、役者として。それぞれがそれぞれの想いを抱えながら、一つの方向を向いて前に進んでいく。正直、脚本勝ちの部分は否めないけど、それをももクロのメンバーを初め、女の子たちが等身大で演じているようで。戸惑いから自信へ。それは役の彼女たちの想いでもあり、アイドルから役者に挑戦するももクロ5人そのものでもあり。
 ひとりじゃ立ち止まりそうな時でも、みんながいれば少しづつでも前に進める。それはこれまでのももクロのあゆみそのものかもしれないね。
 とか書きながら、ぼくの眼は新任美術教師・吉岡先生役の黒木華に釘付けさ。あのメガネ姿、たまりません。首のほくろ2つ、たまりません。
 ひとつ残念だったのは、教師役で出演のフジテレビ三宅アナのももクロネタがうっとおしかったことかな。まるで不必要だし、あんなことするからアイドル映画なんて言う人も出てくるのかも。
 少女たちが限られた時間を謳歌しようと奮闘する姿、素敵です。
 笑顔が止まらない!踊るココロ止まらない!
 動き出すよ 君の元へ 走れ!走れ!走れ!


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「ORANGE」を観る(15.3.7)

 阪神淡路大震災から20年。あの日、祖母の通夜〜葬儀のため田舎(北海道)の寺に籠り、情報から遮断されていたので、関西で何があったのかまるで解らなかった。葬儀告別式が終わり、本家に戻ってつけたテレビに映し出された光景に驚愕したのを覚えている。
 未曽有の大災害に際し、人命を救助する任を負った消防隊員たちが見たもの、感じた想い、秘めたる意志。その日、神戸でなにがあったのか。その日から神戸はどう復興したのか。そして東日本大震災が。
 平和、平穏、当たり前のように存在すると思ってたことが一瞬のうちに奪い取られる現実。誰もが呆然とする中、動き続けなければならない。自分の身を顧みず、目の前の命に真摯に向き合う隊員たち。やるせなさの標的になることもあるけど、助かる命がそこにあるなら。その覚悟を誰が批判できようか。
 なにも知らなかったことに恥ずかしさを感じるけど、知った以上はなにができるかを真剣に考えなくっちゃ。誰かに頼るだけでなく、誰かと共に行動しなくちゃ。
 めちゃくちゃ心に響く舞台だった。この物語を伝えてくれた脚本家、演出家、舞台監督、俳優たち、すべてのスタッフ、そして日々人命救助に携わっている方々、すべての人に感謝なのだ。
 TeamNACSの五男坊・音尾琢磨くん、いい作品に出合えたなぁ。彼の演技力はもちろんのこと、パーソナルな部分もハマりきっていて。


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中條てい「アイミタガイ」を読む(15.3.7)

 歳のせいか、テレビで紹介されるなにげないエピソードにホロリとくる回数が増えたみたいだ。自分とは関係のない人のエピソードだというのに。だからというわけではないが、心温まる話を集めた短編集にほっこりなのです。
 朝夕の通勤でのひとコマ、在宅介護ヘルパーのお話し、亡き娘の想い、受験失敗の心持ち、異母姉弟の複雑と、身近なものから普通の生活では経験しないものまで。でもすべてにおいてちょっとした気遣いが下がった気持ちを温めてくれる。他人の存在がふと優しさをもたらしてくれる。
 物語自体に大きな影響を与えているわけではないけど、ー編ー編に繋がりがあり、『アイミタガイ』が具現化されてるように感じられるのもひとつの読みどころ。
 読後に優しい気分になれたとともに、ぼくもアイミタガイを実践しようかと思った。意識してるところがホントにダメで、無意識にできるようになって初めてホンモノなんだよね、そういうのって。


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森見登美彦「有頂天家族 二代目の帰朝」を読む(15.3.4)

 待ちに待った『有頂天家族』の続編が登場。新刊は買わない主義のぼくも、我先にと飛びついてしまった。そんでもって読みかけの小説を中座して、寸暇を惜しんで夜なべして読了してしまった。だって、面白いんだもん。
 サブタイトルにある通り、二代目が帰朝したのだ。そう、天狗の赤玉先生のご子息が、100年ぶりにイギリスから。赤玉先生との関係は?そして、赤玉先生の跡目を継ぐのは二代目?それとも弁天?
 一方、下鴨一家はといえば、昨年(前作)でうやむやとなった偽右衛門の座を目指す矢一郎に春の予感が。下鴨一家を陥れるべく暗躍し失墜、逃亡した夷川一家の頭領・早雲の行方、空席となった金曜倶楽部の椅子、我らが矢三郎は休む暇もないのです。
 3部作の2作目って感じ満々。前作で構築された世界観が新たな登場人物を加えることで、どんどん膨らんでいく。新参者たちだけでなく、すでに登場していた者たちも驚くほど弾けだした。弾けて、膨張して、臨界点に達して、一度落ち着いて。次なる大爆発が待ち遠しい。もちろん、2作目の独立しての面白さも満載なんです。
 阿呆の血のしからしむところにより、面白きことは良きことなりを実践すべく奮闘するぼくにとって、目標としかつ愛すべき作品なのだ。ぼくも京都の狸に生まれてたら…早々に鍋に落ちて食われちゃうか。どうせ食われるなら、ぜひ弁天さまに。
 第三部はいつまで待てば読めるのかな?


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「いやおうなしに」を観る(15.2.21)

 
 賢明な読者の皆様はもうお気づきだと思いますが、2回目の『いやおうなしに』です。前回は後ろの方だったので、全体を見渡すことができたけど、今回はかなり前。役者の表情をきっちり観ることができる席なのだ。そんでさ、2回観て大正解。上下前後に広がりのある舞台セットで役者陣が駆け回るため、前の席だとどこを見ていいかわからなくなっちゃう。でも、先に全体を見てるから、目線バッチリ。美味しい表情を外しやしないのさ。そしてCDを購入した効果も。一緒にノれる、一緒に唄える。これはすごいアドバンテージなのさ。
 物語全体については前回の観劇を読んでちょうだい。今回は主にぼく自身の思い入れを書き綴るのだ。
 まずは罪悪感。モラル的に大丈夫なの?って思いもあったんだけど、今回は最初から吹っ切れた。O.L.H.の楽曲もノリノリで口ずさんじゃって。
 KYON2のオトナの惑いもさることながら、やっぱり高畑充希の表情やしぐさにやられっぱなしだった。なんだ、あのかわいさは。女子高生らしい弾けた笑顔もさることながら、ぽっかり空いた口、絶妙な腰使い。そんでもってキレキレのダンス。もうとりこなんです。チアガールの「いまバック転しましたよ」体のアピール顏だったり。もう目が離れないんです。『今夜、巣鴨で』は完全に緑ちゃんにロックオン。すべてを捨ててもいいS▲X、彼女となら…って思えちゃうんです。
 もちろんほかのキャストもみな最高。こんな表情で演じてたんだ、こんな表情で歌ってたんだってのが手に取るようにわかって、楽しくってしょうがない。
 でもね、やっぱり…。ぼくの中の好きな女性タレントランキング急上昇中です、高畑充希。


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NODA・MAP「エッグ」を観る(15.2.20)

 実は初演のチケット持ってたんだけど、諸般の事情により観に行けなかったんだよね、『エッグ』。だから再演って聞いたときはうれしかったし、キャストも全員初演のままとなると、是が非でも「観たい!」ってなるのよ。もちろん、キャストが変わってもという思いはあるけどさ、もし深っちゃんが変更となったら…いやいや、深っちゃんが観れて、うれしくてたまらないのさ。
 耳を疑ったのは開演前。なんの予備知識もなく来たので、場内に流れる劇中歌の声に驚き、その言葉にぶったまげた。深っちゃんが歌うんだ、「だって私は重金属の女、毒を孕ませている」って。それって、ぼくが来るってわかってて歌ってくれてるの?なんて勘違いしてしまいそうだよ。
 老朽化した劇場で見つかった、寺山修二の遺稿に書かれた、エッグという壊れやすいものを運ぶ競技。東京オリンピックで正式種目に採用されるべく、選手たちは宿敵・中国との死闘を繰り返す。エッグの聖人ともいわれるカリスマ・粒来幸一の前に現れる新人・阿部比羅夫。売れっ子シンガー・苺イチエが公開プロポーズしてしまうほどの人気競技のはずが、そこから歯車が大きく回り始め…。
 その歯車が向かう先は明るい未来のはずなのに、みんなが目指しているのは世界の祭典・オリンピックのはずなのに。東京オリンピックをキーワードに、たどり着いたのは北の地のさらに北。そこにある本当のエッグとは?
 2年前にこれを上演した野田秀樹の決意と、2015年に再演をする野田秀樹の決断。いろんな近代が風化し、戦国時代や幕末の方がなんか身近に感じられる今日この頃。なにが正しいかなんて誰にも決めれない混沌とした時代の価値観が大きくぶれている現在で、野田秀樹の問いかけはどれだけの響きを世にもたらすのだろうか。
 ぼくの心にはすごく響いた作品だった。決してひとつの時代に収まることのない普遍さがあり、それが東京オリンピックに投影されていて…。いろんなこと考えちゃった。
 まぁ、一番は深っちゃんかわいいってことなんだけどさ。
 劇中歌のCD買っちゃったので、毎日深っちゃんの声で目覚めようかな。


エスニック
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「TKOとサンドウィッチマンのコント大好き!」を観る(15.2.14)

 TKOとサンドウィッチマン。いま日本を代表するコント師ふた組がジョイントするコントライブが札幌で開催された。なぜ札幌で?それはサンドウィッチマンが札幌ローカルで冠番組を持っているから。なんともありがたい話じゃないか。
 もうね、オープニングトークからふた組の仲の良さがあふれてて。時間オーバーも気にせずに盛り上がるさまもまた面白くて。
 コントは交互に3本づつ。
『パラダイス葬儀』(サンドウィッチマン)
『モロゾフ後藤ディナーショー』(TKO)
『ガソリンスタンド』(サンドウィッチマン)←TKOのリクエスト
『裏口入学』(TKO)←サンドウィッチマンのリクエスト
『哀川調』(サンドウィッチマン)
『ぬいぐるみ』(TKO)
 完全に閉ざされた空間で、一点に集中して観るコントの面白さ。『裏口入学』や『ぬいぐるみ』はキングオブコントで観たはずなのに、面白さは数倍増し。『哀川調』は劇場でないとやれないでしょう。「のんきだな、みやすのんきか!」で笑ったのがぼくだけだったのには驚き。『冒険してもいい頃』だよ。
 互いにショートコント連発を経て、開演前に客から集めた質問に答えるコーナーへ。もうね、時間押しまくり。「そろそろエンディングへ」のカンペもことごとく無視して笑いを作り出す。2時間があっという間の楽しいコントライブだった。
 一番驚いたのはボケまくりの木下、伊達、冨澤を仕切る木元の処理能力の高さ。いじられながらもテキパキで、漢気があったり。テレビではあまり見ることのできない一面を知ることができた。
 欲を言えば、もっと時間をたっぷりと用意して欲しかったのと、2組の合同ネタを見たかったかな。


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「中村達也 9 Souls -Anniversary of Drums Beast- 日の出食堂」を観る(15.1.22)

 
 イカ天世代のぼくにとって、BLANKEY JET CITYはすごいかっこいいバンドで、そのドラマーである中村達也はある意味伝説の人だ。そのうえ、ぼくの大好きな『私立探偵 濱マイク』や『龍馬伝』に役者として出演し、『BORDER 警視庁捜査一課殺人犯捜査第4係』では小栗旬との激闘を演じ。かっこいいなぁ。
 そんな中村達也の生誕50周年を祝うイベントのひとつが、日の出食堂Liveなのだ。これがすごいメンバーで。
 ・石原顕三郎 gt & vo.(THE TRAVELLERS)
 ・GAMO tsx.(東京スカパラダイスオーケストラ)
 ・NARGO trp. (東京スカパラダイスオーケストラ)
 ・沖 祐市 key.(東京スカパラダイスオーケストラ)
 ・秋田ゴールドマン abs.(SOIL&”PIMP”SESSIONS)
 ・中村達也 dms.(LOSALIOS, FRICTION)
 しかもこれが毎年北海道で開催されているRISING SUN ROCK FESTIVALで結成されただなんて。残念ながら観に行ってないけど。
 想像にたがわずかっこよかった。かっこもいいけど、なにより楽しかった。みんなが楽しんで演奏していて、楽しませるすべを知り尽くしていて。久々にNARGOのミュートの効いた『The Look of love』、渋いなぁ。沖さんの口笛の魅力、25年経っても変わらない。GAMOのスキャットが聴けるだなんて、うるうる。秋田ゴールドマン、石原顕三郎は初見なんだけど、うまいなぁ。縁の下の力持ちと、根っからのフロントマン。
 そして中村達也。どう見ても不良をこじらせまくって半世紀なのに、実はおちゃめなバンドマンだなんて、ギャップにきゅんとしちゃう女の子続出なんじゃないの?シンプルなドラムセットで厚い音を叩き出す。やっぱりかっこいいね。
 そんでもってホントに楽しかった。ジャズからスカからなにからかにまで、すべてが日の出食堂の味付けで変幻自在に。立ちっぱなしのLive久々だったんだけど、足腰の痛みも忘れ弾んでしまった。
 また機会があれば行きたいなぁ。


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「いやおうなしに」を観る(15.1.12)

 
 ダークでヘヴィ、ズッシリと胸にシコリが残る面影ラッキーホールの楽曲をベースに創られた"ファンク歌謡喜劇"だもん、朗らかに笑えるわけはない。それはわかっていたけれど、予想以上の衝撃に見舞われた。こいつはおったまげた。主演・古田新太、演出・河原雅彦だとねずみ三銃士もダークだけど、とにかく楽曲のインパクトが強い分、なんともビターな味わいなのよ。
 『あまちゃん』と『ごちそうさん』の主要キャストにそれをさせるか…。まぁ、小泉今日子はね、人生いろいろ乗り越えて今があるから驚かないけど、高畑充希は大丈夫?次のステップ、イメージの脱皮にしてはすごいんですが…。おじさんとしては「ええよ、ええんよ」半分、「そんなことしたらアカン」半分。フクザツです。
 男と女の愛憎がドロドロに煮詰まった、海老名の夜の物語。さびしい男とさびしい女の情念のぶつかり合い。のど自慢の役者たちが歌い、演じあげる淫靡な世界は、当分心から離れないよ。いやおうなしに。
 
 Only Love Hurts(O.L.H ex.面影ラッキーホール)のベストアルバム、購入しちゃった。そんでもってVocalのaCkyと握手し、サインまで。これでどっぷりディープな世界にはまり、東京公演の予習をするのです。


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原田ハマ「旅屋おかえり」を読む(15.1.11)

 ベタなんだけど、心鷲づかみされちまった。涙もろいのは年のせいってわけじゃないんだろうけど。
 主人公・丘えりか、通称おかえり。ここからしてもうベタじゃない。元アイドル、30歳を越え、唯一のお仕事・旅番組が打ち切られ、絶体絶命のピンチ!起死回生の一打は「誰かのために旅をする」旅行代行業だった。
 そんな都合のよい展開はないよね。普通ならそう思う。ベタだって。でも、そのベタが心地よくなってくる。ぼくも一緒に旅をしている気分。旅の土産話ってあるじゃない。自分は行ってないクセに、ついつい行った気分になれる。旅は話題の宝庫だし、人を結びつける力を持ってて。だから本来ベタは必要ないハズなのに、トドメのように繰り出すなんて、反則だよ。でも、やられたよ。
 おかえりの次の旅の成果、期待しちゃうよ。本当の「ただいま」を言う日のことも。


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「天才スピヴェット」を観る(15.1.3)

 ジャン=ピエール・ジュネ監督の作品には優しさとロマンが詰まってるんだよね。だから観ていて温かい気持ちになれる。
 双子の弟の死に責任を感じ、家族に疎まれていると思い込むスピヴィット。科学の天才でありながらも、カウボーイの父とその素質を持つ弟に疎外感を感じるスピヴェット。スミソニアン学術協会から権威ある科学賞を受賞することになっても、昆虫学者の母にも打ち明けられず、一家が暮らすアメリカ西部のモンタナから、単身ニューヨークへと向かうのだった。
 10歳の少年の葛藤。ロードムービー風の大陸大横断。たどり着いた場所での違和感。それらすべてが少年の心に刻まれ、少しづつ大人になっていくんだよね。そんな過程が優しいまなざしでつづられているのだ。
 スピヴェットの精神的成長もさることながら、彼の科学者としての才能をうかがわせる発明品、スケッチ等が面白い。もう、これだけまとめて観せちゃってと言いたいくらい。ジャン=ピエール・ジュネの遊び心が満載さ。
 ぼく自身も忘れかけてた素直さを、取り戻せそうなほっこり作品です。


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