artな戯れ言2007


このページではartな戯れ言を集めて掲載しています。


「イッセー尾形のとまらない生活2007in真冬の札幌」を観る(07.12.22)

 恒例のイッセー尾形札幌公演。ぼくにとって『クリスマスと言えばイッセー尾形』が定着している。イッセー・サンタがとびっきりの新作をプレゼントしてくれるのがクリスマス。今年もてんこ盛りのプレゼントを堪能させてもらったのだ。
『カツカレー』
 空港のコーヒースタンドで主なき食べかけのかつカレーがテーブル間を一人旅。こう書くとなんとも奇天烈な設定なんだけど、観て納得。結論としては食事中に電話に出るのはやめましょうって事なんだけど。この小さな奇跡に、それを見守る人々に乾杯です。
『喫茶フジ』
 世間知らずのお上品なおばあちゃんが喫茶店の留守を頼まれさぁ大変。ホント、こんなババァいるよね。決して意図的ではないんだろうけど、庶民を上から見下している風の人。でも、ただ単に憎らしくするのではなく、かわいい部分を切り取るところがイッセーなんだよね。天国の勝さんも応援してるよってささやくが如く。
『キャバレー龍宮城』
 ホールスタッフの哀愁が漂う、大人のシブい一編。バーテンとは違い、ホステスで稼いでいるという負い目がこの哀愁につながるのかな。場末の酒場の一幕。このテイスト、好きです。注:ひとみちゃんは出てきません。
『図書館のお奨め』
 お奨めの名作はなんですか?図書館の持つむず痒いような緊張感とは無縁の営業マンの、静寂との闘い。ダメだとわかっていながらもやりたくなるのは性分だから。でも、文学少女・沢本さんが泣いてるぞ。
『中尊寺に選ばれし爺』
 中尊寺への坂道はきつくて遠くて・・・。でも、そのツライ道のりの先にこれまでの行いを悔い改める何かがあるのなら・・・。そうそう来れない場所ですから。この爺って、6月の公演で公園デビューを果たしたあの爺だよね、きっと。
『日本人パフォーマー』
 海外で日本について語る資格を持つ日本人って、どんな人なんだろうか?同じ日本人でも、それぞれに日本への想いは違うだろうし。ってことで、パフォーマーが海外の学校で非常勤講師をやってしまいました。彼が語る日本とは?
『大家族〜内山さんの実家へ〜』
 もう観客もわかったもので、イッセーが綿入りの腹巻を装着した時点で笑いが起こってる。今やイッセー公演の名物だもんね。今回は荒川一家総出で内山さんの実家へ出頭です。いつもの通り、父が一番舞い上がってます。そこが大家族です。「20世紀とはなんだったのか?」、同じ時代を生きたものとして共に考えたいです。
『琵琶法師』
 ラストはお馴染みの歌モノ。今回はどんな楽器かと思ったら、びっ、琵琶。とうの立ったOLが、思いのたけを琵琶の音色に乗せて歌い上げる。ぼやき漫談の進化系とでもいうべきか。染みます。心に染み込みます。

 年2回の札幌公演。毎回新ネタを観られるのが当たり前のようになったけど、それを喜びのように新ネタを創作し続けてくれる、札幌に来てくれるイッセー尾形に心より感謝なのです。今年もありがとう。そして来年もよろしく。


エスニック
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慶應義塾大学佐藤雅彦研究室+中村至男「任意の点P」、ユーフラテス「midnight animation」を読む?(07.12.16)

 知り合いの男の子(小学一年生)にプレゼントをあげようかと思ったが、なにを買ってあげれば良いか皆目検討がつかない。いまどきの子供のトレンドってなに?ゲーム?キャラクター?洋服?できれば喜んでもらえそうなもの、長く使えるものがいいけれど(欲張り)、直接聞くのもちょっとね。
 ってことで、ぼくが楽しめるものを選ぶことにした。ぼくの精神年齢はとてつもなく低いと思われるので、きっと彼の好みとシンクロできるのではないか・・・てね。かなり安易な押し付け的発想だけど。
 きっと彼が持っていないもの、難しいこと考えないで楽しめるもの・・・。いろいろ探して、面白そうな本を見つけたので、まずはぼくが楽しめるかどうか、自分用に買ってみた。ちなみに2冊ともNHK教育テレビ「ピタゴラスイッチ」を企画・監修された佐藤雅彦関連の本・・・というよりは美術書か。
【慶應義塾大学佐藤雅彦研究室+中村至男「任意の点P」】
 二枚の似たような絵が左右に並んでいて、右の目で右の絵、左の目で左の絵を同時に見ると、絵が浮かんでくるってやつ。立体視。十数年前に流行ったよね、『ウィリーを探せ』なんかと一緒に。あのときの本って、すごく派手派手しい色彩の中から文字や数字が浮かんでくるって感じだけど、本書はそこがちょっと違う。2枚の絵はとてもシンプル。絵というよりは記号といったほうが良いものも多くある。それが無限の広がりを持っているかのように見えるのだから、驚き。そのセンスにはただただひれ伏すばかり。
 なんと親切なことに、この本には立体視が容易にできる特製レンズが付いている。ぼくは仕事で空中写真の立体視をよくするので、簡単な絵柄なら裸眼で見ることができるんだけど、このレンズを用いると、裸眼で見るよりも絵が大きく映し出され、面白いったらありゃしない。これなら小学一年生でも不思議な絵の広がりに目を丸くしてくれるに違いない。なにしろこのぼくがとてつもなく楽しんでいるのだから。
【ユーフラテス「midnight animation」】
 赤・緑・白の線で書かれたシンプルな絵。これが付属のDVDを再生したモニターの前で見ると、なんと動いて見えるではないか。なっ、なんで?視覚的に可視が可能な状態と不可能な状態を交互に作り出すことにより、動きを与えているんだけど、今まで見たこともなかった世界なだけに面白くてたまらない。DVDを再生し続けると、目がちかちかして疲れてくるけれど、一定時間が経過すると休憩画面が現れる気の遣いようもGOOD。
 ぼくはめちゃくちゃ楽しめた2冊。正直大人向けの本だけど、直感で楽しむことができるので、年齢は関係ないよね、きっと。彼に見たことのない世界を体験してもらえれば、まずはそれだけでもいいかなってことで、プレゼントに決定。早速ネットで購入して配送依頼しちゃった。
 いやぁ、ホント楽しい本なので、ぼくもことあるごとに読み(見)なおそうっと。


エスニック
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乾くるみ「イニシエーション・ラブ」を読む(07.12.14)

 なんか、脳天に鉄杭を打ち込まれた衝撃に襲われている。ぼくの本読みはなんとおざなりだったんだろうか・・・。HPで評論家ぶって感想など書く資格はないんじゃないか・・・。
 『評判通りの仰天作。必ず二回読みたくなる小説などそうそうあるものじゃない。』とは、文庫本の帯に書かれた読売新聞書評の一文だ。この一文と、目次に魅せられて購入した小説。そのそそられる目次とは。
side-A
1 揺れるまなざし
2 君は1000%
3 YES‐NO
4 Lucky Chanceをもう一度
5 愛のメモリー
6 君だけに
side−B
1 木綿のハンカチーフ
2 DANCE
3 夏をあきらめて
4 心の色
5 ルビーの指輪
6 SHOW ME
 ずるいぞ。あの頃の懐かしソング(今ツボSONG)満載ではないか。そして随所に散りばめられたキーワードの数々。舞台となる1987年、ぼくは大学2年生。感情も入るってもんでしょう。今にして思えば、ぼくとマユは同い歳。
 ここからはネタバレ大注意です。ぼくのダメさ加減を書き記します。カーソルを合わせてずずっと指定すると読めます。まだこの作品を読まれていない方は決して読まないでください。
 稚拙な恋の物語だと思った。初めて同士のかわいい恋物語。好かれたいと思ってがんばる気持ち、SEXの快楽におぼれるありさま。もう周りなんて気にならない勝手な盛り上がり。わかる、わかる。そんな感じね。読んでるこっちが恥ずかしくなるような、それでいながらほのぼのとした気分になるような。そんなside-Aなのだ。
 そして始まるside-B。二人にはしばしの別れと遠距離恋愛。まさにこの世の大迷惑!(あれは'89年か)。枕が変っても、やっぱりするこた同じ。ボインの誘惑に出来心、2年の悲しい一人旅!!
 わかるんだよ。そんなにモテない男が彼女しか知らないと、「おれってホントはもっとモテるんじゃないの?」とか、「一生この娘しか知らないで終わるのかな」なんて下衆なこと考えるんだよね。いい気になったりしてさ。
 SEXに対する意識も変ってきた時代だったと思う。だから、最後の2行のどんでん返しを読んだときも、因果応報だって思ってたもん。でも、直後に強烈な違和感を感じた。時系列が歪んでいる。マユがマユでない。あ〜〜〜〜〜〜〜っ!
 完璧にやられた。今にして思えば伏線は張られまくっていたんだ。作りとしては『木更津キャッツアイ』と同じなんだけど、小説だけに気づかなかった・・・いや、ぼくが鈍くさく、主人公と若き日のぼくを重ねあわせて悦に浸っていたから気づかなかったのか?とにもかくにもガツンとやられてしまった。
 ダメダメだぞ、ぼく。

 ぜひとも読んでみて欲しい。最初はかなりこそばゆいかもしれないけど、奥がとてつもなく深いから。読み終わるとあ然とするから。


エスニック
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海堂尊「チーム・バチスタの栄光(上)(下)」を読む(07.12.6)

 このHPで何度も書いている言葉をまた書いてしまう。このミス大賞受賞作にハズレはない。
 『チーム・バチスタの栄光』は大学病院を舞台としたミステリー作品。ベストセラー作品である上に竹内結子主演で映画化されるので、いまさらぼくがとやかく書く必要もないだろうけど、文庫本しか読まないぼくにとっては待望の文庫化だったから、書かずにはいられない。
 大学病院にいながらにして出世を望まず我が道を行く精神科医・田口が、大学病院の花形であるチーム・バチスタで起きた術死の調査を引き受けてしまう。不運か?医療事故か?悪意による事件か?
 この作品、謎解き作品のようでいて実は謎解き作品ではない。限られた空間、限られた登場人物、謎の死が揃うミステリーならば、怪しいのは誰かを推理したくなるものだが、あくまで予想する程度しかできないのだ。医療現場を舞台としているがゆえ、その道の専門知識がないと推理の証明ができない。たぶんあの人が・・・と予想はできても、どうしてあの人なの?ってことになってしまう。
 ミステリー=推理である必要は必ずしもない。でも、推理の要素が揃っていながらも推理できないってどうなの?フラストレーション溜まらないの?
 それが溜まらないんだな。読者に推理させる余裕すら与えない面白さが詰まっているのだ。推理を意識する前に、読んでる先から起こる事象(やりとり)に釘付けになる。登場人物のキャラが立っていて、そのぶつかり合いが面白い。一気に読み切れてしまう。田口&白鳥コンビ・・・最高ですわ。
 起承転結。作品の色を自在に変えながら、医療ミステリーをジェットコースター的な娯楽大作に仕立てている。たまらんですわ。
 映画では田口センセを竹内結子が演じるらしい。40歳独身男性の田口センセを・・・。ぼく的には田口センセは佐藤二朗なんだけどな。『医龍2』の影響もあり。この違和感、映画では解消してくれるのかな?


エスニック
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桑田佳祐 LIVE TOUR 2007
呼び捨てでも構いません!!
「よっ、桑田佳祐」SHOWを観る(07.12.2)

 2週連続でぼくが敬愛するミュージシャンのライブ第2弾。今日は最も愛してやまない男・桑田佳祐なのだ。もうテンション上がりっぱなし。ソロライブ観たのは・・・。
 ツアーはまだ続くので、この文章がネタバレになるかもしれないので、読まれるときはご注意を。
 ぶっちゃけ、桑田佳祐黄金のソロ・ヒットパレードと言いましょうか。繰り出される楽曲は桑田佳祐及びKUWATA BAND名義のシングル発売曲全てと、アルバム『KUWATA KEISUKE』『孤独の太陽』『ROCK AND ROLL HERO』に収録されている楽曲から適度なチョイス。コアなファンなら当たり前でも、そうでない方の誰もが耳にしたことのある曲がほとんどという大サービス。まさにソロ活動の集大成と呼べるライブだった。
 オープニングはぼくの大好きな『哀しみのプリズナー』。ぼくの脳内カレンダーが、大学時代まで一気に遡る。アルバム『KUWATA KEISUKE』の洗練具合に「くぅ〜っ」っときていたあの頃。。続いて『BAN BAN BAN』。20年以上前の曲で、初めての一人暮らしの寂しさを癒してくれた、サザンのライブでは決して聴けくことのない楽曲。北海道厚生年金会館や月寒グリーンドーム(当時はまだ北海道立産業共進会場か)でのKUWATA BANDのライブが蘇える。まだ10代のぼく。ステージ上の桑田佳祐を一心に見つめていたぼく(ホモとかじゃなくてね)。
 あとは新旧入り乱れ、桑田ワールド怒涛のラッシュ!今年発売されたシングル曲の新鮮さに心踊らされ、各時代を彩った名曲に胸を震わされる。『東京』〜『月』のコンビネーションでは自分の心臓の鼓動が聞こえるかと思った。
 当然サザンの活動がメインのため、桑田佳祐のソロ活動は不定期に行われていたけど、ぼくのこれまでの人生の要所に合致していたりして。それだけになおさらハートを鷲掴みされているような。
 POPSの王道的な位置づけもあるため、サザンのような煽り倒しこそないものの、老若男女すべての人が手を叩きステップを踏む爽快感。それでいて泣かせどころや社会へのメッセージをも織り込んで、場内を大いに沸かす。やっぱ、あんたは凄いよ、桑田佳祐。
 で、ぼくが一番しびれた曲は・・・やっぱ『悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)』でお願いします。ベタだけど、いろんな想いがこの曲とともに蘇えっちゃってさ。
 今回はステージサイド席という、ステージの真横の席だったんだけど、滅多に桑田佳祐を正面で観ることのない席だったんだけど、音の位相のズレがほとんどない位置で、桑田佳祐と同じ場所で同じ時間を共有していること、その臨場感を味わえてたことに感無量だった。
 ライブが終わり、会場の外に出ると、空から雪が舞い降りていた。決して吹雪くことなく、ふわふわと。それはまさに「白い恋人が、待っている〜♪」とでも言いたげに。
 さてと、先週に引き続き、これからギター掻き鳴らすか・・・近所迷惑だよなぁ・・・。でも、余韻に浸っているうちに。


エスニック
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奥田民生【vs PUFFY】DOUBLEHEADER@ZEPP LEAGUEを観る(07.11.25)

 2週連続でぼくが敬愛するミュージシャンのライブなのだ。ここ数年、ライブを観る本数が減っているので、2週連続で、しかもぼくの大好きな・・・なんてすごいことなんだけど、なにも2週連続じゃなくても・・・。第一弾は奥田民生。今回はユニコーン・デビュー20周年記念で発売されたトリビュートアルバムに参加したミュージシャンとの対バンですぞ。札幌は愛弟子PUFFY!
 実はぼく、PUFFYのライブはこれが初めて。正直PUFFYに関しての視聴は'90年代までで止まってるけど、最近CMで流れる『boom boom beat』とか『くちびるモーション』は気になってたんだよね・・・って思ってたら、いきなり『boom boom beat』からだよ。カッコいいんだよ。それ以上に、かわいいんだよ。もう目が亜美ちゃんに釘付け。いやいや、由美ちゃんもかわいいぞ。目が交互にLock On!
 すっげーぞ、PUFFY。アメリカで人気というのは聞いていたけど、こんなカッコいいデュオになっていたとは。当然ながら、懐かしの'90年代ソングもやってくれて、その時々のあれやこれやも思い出したりなんかして。
 やばいぞ、PUFFYの新譜買っちゃいそうだよ。今日会場で購入すればサイン色紙ついてきたらしいんだけど・・・買ってくればよかった。失敗。
 PUFFYが場内を暖めまくったところで、民生先生ちゃんの登場。渋いッス。パッと見拓郎かと見間違うようなグラサン。前回のライブに引き続き、今回もベースに小原礼を入れての4ピース。なんだろう、当然のことなんだろうけど、円熟味がさらにUP。民生のギターソロには唸らされる。
 先日発売された新曲や1月に発売予定のNEWアルバムからの演奏に加え、『月を越えろ』、『スカイウォーカー』、『息子』といったあまりやらないシングル曲を挟み、2次会と称した後半は『さすらい』と『CUSTOM』で畳み掛ける。あっ、書いちゃったけどいいかなぁ・・・。この後に回る仙台や福岡のライブを観る予定の人、このHP読んでないだろうなぁ・・・。このパターンは民生の王道なので、大方予想がつくだろうから問題はないか。アンコールはもちろん・・・ぼくらの〜自由を〜♪
 このラインアップはわかっていてもやられちゃう。十二分に予想はできているんだけど、毎度叫んじゃう。「キターっ!」って。で、40になっちゃったけど、『イージュー★ライダー』はぼくの愛唱歌なのだ。カッコいいッス。普段着感覚で特別を植えつける。たまらないッス。あんな大人になりたいッス。
 大ラスはPUFFYを呼び込んで隠れた名曲『BEEF』。できるならばあと2曲くらいやって欲しかった。PUFFYとならばいっぱいあるでしょ、やれる曲。
 そうそう、途中の民生のMCでとても笑ってしまったことが。「今回の対バン形式のライブ、ぼくとユニコーンのトリビュートアルバムが発売されたことで出た企画で。PUFFYもトリビュートアルバム出してもらえばいいでしょ。えっ?もう出てるの?オレが呼ばれなかっただけ?まぁ、オレが演ってもそのまんまか・・・」おっしゃるとおり。
 民生の素晴らしさはよ〜くわかっているし、何回聴いても浸っちゃうんだけど、それに加えぼくの知らなかったPUFFYの一面が聴けて、とても楽しい対バンだった。来年早々にはNewアルバムを引っさげた民生のライブツアーだっ!
 さてと、これからギター掻き鳴らすか・・・近所迷惑だよなぁ・・・でも、余韻に浸っているうちに。


エスニック
artな戯れ言LIVE

あさのあつこ「The Manzai 4」を読む(07.11.20)

 このシリーズも気付けば四冊目。時の流れの緩やかさに少々いらつきもするんだけど、その穏やかさの中で確実に変わっていく歩の心の成長が、もどかしくもあり、うれしくもあり。
 今回のテーマはズバリ恋愛。人をいとおしく思う気持ちと、そこから生まれる勇気。人を愛するがゆえに出さねばならない勇気。それらを前にして、歩に芽生える感情。仲間意識と恋愛感情。かつては歩が拒んでいた他人への想いが、緩やかすぎる時間の中で爆発し、濁流となって溢れ出す…。そこまで書くと誇張しすぎだけど、それくらいすごいことだと思うんだ。だってあの歩だぜ。四十歳になってもまごついてるぼくよりもはるかに男だぜ!
 どんどんたくましく色気づいていく歩と、いつも支えとなる秋山、いやいや秋本。二人の漫才がほんとに面白いのかについては未知の領域だけど、二人のかもし出す雰囲気は格別。いつまでも変らぬ二人・・・と言いたいところだけど、各巻の表紙をよく見ると身長伸びてないか?歩。そろそろ歩が秋本を支えるシーンがあってもよくないか?もたれかかってばかりじゃしんどいもんね、コンビって。
 次巻はいよいよ女子校ライブか?楽しみっ!


エスニック
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「ハンブン東京」を観る(07.11.17)

 内村光良作・演出の舞台を観た。
 劇団SHALALAを観たことのないぼくにとって、ウッチャンがどんな芝居を作るのか、まるで未知の世界。さまーず、バナナマンといった旧知の仲の芸人と、役者の融合は如何に。
 意外だった。もっと貪欲に笑いをとりにくる喜劇を想像していた。それでいてテレビバラエティーのようなグダグダに終わるのではなく、きっちりオチをつけるエンターテイメントを。でも、舞台で演じられたのは清々しい大人の青春ドラマ。なんだろう、四十歳になり、若者のひたむきな青春に涙するぼくには、そのチョイスがすごいよくわかる。あの日置き忘れたもの、取り戻したい想い。田舎から上京して、人生のハンブンを東京で過ごし、見えてきたもの、見失ったもの。ウッチャンが主人公・浅倉哲平に託した想い。がむしゃらになることが恥ずかしいと思ってた三十代を経てたどり着いた脚本なんだろう。
 もちろん笑いもちりばめられている。芸人五人が本編を壊さないように、アクセントをつける。ピンクスポットに照らされて見せる大竹の妄想、三村の細かいこだわり、バナナマンのすかしぶり。そしてウッチャンのとぼけっぷり。女優の天然に負けることなく、拾ってかぶせて爆笑をさらうあたり、さすがの一言。その機転と嗅覚には惚れ惚れします。
 物語の本筋は役者で見せながらも、おいしいところを三村に与えるウッチャン演出、ナイスです。
 面白かった。でも、次は喜劇で勝負してよ、ウッチャン。
 カーテンコールでウッチャンが語った出川の花。帰りには撮影待ちの渋滞ができちゃって。

これが噂の出川渋滞。誰に贈った?意味不明の「祝 出川哲朗」


エスニック
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「恐れを知らぬ川上音二郎」を観る(07.11.16)

 日比谷にできた新しい劇場、シアタークリエ。そのこけら落とし公演となる三谷幸喜の新作舞台を観た。今後商業演劇のメッカになるであろう劇場に、小演劇の旗手が作品を書き下ろす。ミュージカル、歌舞伎と守備範囲を広げた三谷の手腕やいかに。
 なんてね。それが小劇場だろうが商業演劇だろうが、三谷幸喜の基本はそうは変わらないのである。
 川上音二郎がアメリカ公演で『ベニスの商人』を行ったという実話を基にした舞台。川上音二郎の破天荒さを最大限に利用して組み立てられる構成は圧巻。「どうせ観客はアメリカ人。日本語なんて誰も理解しちゃいないんだ」という開き直りから繰り出される、標準語・津軽弁・スチャラカポコポコが入り乱れる奇天烈な芝居。大いなるおふざけにしか見えない劇中劇。「これはシェークスピアに対する冒涜だっ!」と嘆く文芸部。そして笑いの中に隠された思いやり。
 さすが東宝直営劇場のこけら落とし公演ということで、出演陣の豪華なこと。メインはTVで活躍中のユースケ・サンタマリアと映画・ドラマで人気の常盤貴子。脇を大ベテランで芸達者の堺正明、舞台経験豊富な戸田恵子、堺雅人、浅野和之、今井朋彦、小林隆、阿南健治・・・そして堀内敬子。もう、堀内敬子さんのCuteさに眼を奪われっぱなしで、常盤貴子がかすんで見える・・・。巧みに操る津軽弁、どんな衣装でも失われない輝き。しまった、かなりやられてるぞ、ぼく。
 それにしても大御所・堺正明をあそこまで走らせるとは。堺しぇんしぇいの息遣いや汗を見るだけで、拍手を送りたくなる。三谷幸喜も人使い荒いなぁ。でも、堺しぇんしぇいがそこまで身体張ってるんだもん、ほかの出演陣が奮起しないわけがない。結果、一見出所がバラバラの出演陣と舞台上に高揚と一体感が生まれるあたり、演出家・三谷幸喜の腕なんだろうなぁ。堺しぇんしぇい、年末年始もこの舞台でいっぱいだけど、フジテレビの「新春恒例かくし芸大会」の収録は大丈夫なのだろうか?あれ、中山ヒデに座を譲ったんだっけ?
 そうそう、三谷幸喜が商業演劇を意識しているのかな?と思った箇所がひとつ。劇中劇『ベニスの商人』で堺雅人演じる文芸部・伊達くんが水色のはっぴを着て登場する。そう、新選組のあのはっぴを。観た者の9割は「山南さんっ!」と思ったに違いない。これまで舞台でセルフパロディをしたことってあったっけ?日比谷での公演、これまでよりも上がるであろう年齢層に対応すべく講じた洒落・ファンサービスなのかな。できればそっちに頼っては欲しくなかったけど。あと、得意の伏線張りとどんでん返しも少なかったように思えたのは、高齢者向けの配慮かな。
 今年観た三谷新作の中では一番笑いの要素を抑えた芝居になっていた。それでも大笑いする箇所が随所にあるので、ハナから次元が違うのだろうけど。その分、やさしさに包まれた芝居になっていた。これが商業演劇に対する三谷幸喜のひとつの答えなんだろう。どっちがどうというわけではないが、個人的には大きいところばかりでなく、観客が劇場を出たら笑っていることしか覚えていないような芝居もいっぱい書いてください…ってところでしょうか。
 堀内敬子さん、素敵でした。
 最後に。きっとこの舞台を収録したDVDが発売されることだろう。できれば特典として、劇中劇の部分の副音声に『ベニスの商人』の本当の台詞をアフレコして欲しいなぁ。もちろんご本人たちのアフレコで。


エスニック
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野沢尚「殺し屋シュウ」を読む(07.11.16)

 作家、脚本家として有名な野沢尚がハリウッドでの映画化を希望していた、意欲作だとか。読んでみて、その想いがわかる気がした。舞台の大半が日本にもかかわらず、登場人物のほとんどが日本人にもかかわらず、描かれている世界観が無国籍なのだ。それは非現実的というのではなく、とても自然体の日本なんだけど、漂う空気の質感が日本ではない。個人的には70年代後半の火曜夜9時NTV系列のような。それだと作者は納得しないかもしれないけど、ぼくの大好きなテイストなんだよね。
 警官だった父を殺し、アメリカでの修行を経て殺し屋になったシュウ。ふだんはうだつの上がらない二流大学文学部の助手を務めるところなんて、ハリウッドっぽくはあるけれど、それ以上にひとつひとつのシーンが確実に目に浮かぶんだ。砂漠を走るシュウ。大の字になるシュウ。上空を旋回する鷲。ホテルから見えるナイト
もしかして、この物語って面白いけど、情景が浮かび過ぎて映画の作り手としては撮りづらい作品なのかな。
 ってことで、映画を観ているような作品です。しかも上質で面白いヤツ。
 読後は殺し屋気分になれるかな?


エスニック
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中場利一「ノーサラリーマン・ノークライ」を読む(07.11.12)

 『泣かないサラリーマンはいない・・・』。人間誰しも涙を見せるときはある。自営業には自営業の涙があるだろうし、社長にも涙はある。でも、『泣かないオーナーはいない』や『泣かないアスリートはいない』とは違う哀愁が、『ノーサラリーマン・ノークライ』には込められていると思う。
 物語は銀行マン・カネテツの努める銀行を中心に、サラリーマン・銀行マンならではの不条理やもどかしさが描かれている。そして、カネテツとは180度生き方の違う同級生サージとの比較で、サラリーマンの悲哀を描いている。自由を謳歌し、なににも捉われない生き方をするサージに、カネテツは嫉妬し、うらやましく思っている。そんなカネテツはサラリーマンの典型なのだろう。
 どうしてだか、やりすぎ・・・と思えるものも多々あるんだけど、どのエピソードも楽しく読める。決して楽しいエピソードばかりじゃないんだけど、面白い。似たような経験の一つは、サラリーマンなら誰でもあるんだろう、きっと。
 ぼくもしがないサラリーマンだ。サラリーマンには見えないとよく言われるし、ぼく自身サージのような無頼派を気取っている。でも、この小説を読んでぼくは明らかにカネテツ側の人間だということがわかった。カネテツと違いズケズケと物を言うし、上に逆らいケンカすることもしばしば。でもそれは会社という大枠があってのことだし、きちんと保険を持って行動している。なんとも嫌なヤツだ。そして、自分が一番かわいい。アレンジを変えたサラリーマンってとこか。
 だからこの小説が凄く身に染みた。すごく面白かったうえに、ばっさり斬られた気分だ。それは決して不快ではない。自分のいる場所に気づいたというか、やるべきことに気づいたというか。
 サラリーマン小説としては『神様からひと言』が凄く評判いいけれど、ぼくにとっては現実感があり、『だけど毎日は続いていく・・・』って感じがする分だけ、ぼく的にはこっちの方が好きな作品だ。
 『軸足を常に前においておけ』。心に刻み込もう。


エスニック
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木下半太「悪夢のエレベーター」を読む(07.11.6)

 この作品、フジテレビでドラマ化され、深夜に放送されていたんだってねぇ。知らなかった。密室劇であること、作者・木下半太が劇団主宰者であることで読むことを決めた本だった。だからこの作品は舞台戯曲の小説化かと思っていた。ブログから生まれた小説だなんてまるで知らなかった。
 だから、読んでいるときはずっと舞台の情景を勝手に思い浮かべていた。小劇場のステージにエレベーターの箱があって、4人が箱の中で叫んでいる・・・正確には叫んでいるのは3人か。
 読んでいる時はずっと劇場にいる感覚だった。役者の動きが活字の中から浮かんでくるようで。なんとも巧みな文章使いだことか、木下半太は。そして、ぼくの頭の中だけじゃなく、実際にこの目で観てみたいと思った。ドラマじゃなくて、舞台『悪夢のエレベーター』を。
 ホント、面白かったのよ。二重・三重構造の人間関係。密室が生み出すスリリング。もちろんあります、どんでん返し。ところが・・・!
 なんてこったい。っつーか、なんてヤツだい、木下半太。小説(単行本・文庫本)にはない最終章がBLOGで連載されているって?そんなの文庫本本文にも解説にも、どこにも書かれていないぞもし。たまたまこの感想書く前にWeb検索してたら見つかったんだけど、それって本文以上にどんでん返しじゃないですか!
 これから読みます。これって感想になってるのかなぁ・・・。


エスニック
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「HERO」を観る(07.11.3)

 公開からそろそろ2ヶ月だそうで。土曜の夜に観に行ったということもあるんだけど、かなり人が入っていた。今年最大のヒット映画になるのかな。ぼくもTVシリーズから観続けているので、楽しみで楽しみで。久利生公平が今回注文する通販とは・・・。
 率直な感想として、面白かった。TVシリーズから6年の時が過ぎ(スペシャルをはさんだものの)、変らない想いの詰まった作品となっていた。正直、木村拓哉はカッコよすぎでハナにつくんだけど(ひがみです)、木村拓哉ではなく久利生公平という型破りな検事としてみるとしっくりくるんだよなぁ。松たか子演じる雨宮との関係なんぞはうらやましい限り。
 謎解き・法廷劇・サスペンス・ラブロマンス・友情・・・。この映画にはいろんな要素がてんこ盛り。大物ゲストもバシバシ登場。その分発散してしまうのではとの危惧もあったけど、韓国ロケ以外はきっちりハマっていたかな。使い捨てのゲストがほとんどいなかったもん。韓国ロケもある意味ターニングポイントとなる部分だから不要ではないんだけど、ちょっとの感は否めなかったかな。
 果たして映画にする必要はあったのか?スペシャルドラマでも良かったのでは?などの声も聞こえるけど、テレビ局としては映画興行収入があって、TV放映で視聴率も見込めて、DVD販売も期待できるんだもん、映画化するよね。逆に映画化を目指したドラマ作りに走るよね。今期でいうと『ガリレオ』とか『SP』とか。『ガリレオ』はすでに映画化決定らしいけど。どちらも面白いんだよなぁ、悔しいけど。「事件に大きいも小さいもない」。これはフジ系列の映画化されるドラマのキーワードかもしれない。
 『HERO』に続編はあるのかなぁ。間接的とはいえ、国会議員(大臣クラス)を相手にしちゃったから、次にやるなら官庁や警察、検察庁相手しかないよなぁ・・・。アメリカ?それとも基本に戻って下着泥棒?


エスニック
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石田衣良「反自殺クラブ 池袋ウェストゲートパーク5」を読む(07.11.1)

 猥雑が入り混じる池袋をマコトが駆け回る。コラムにストとして、果物屋の店員として、トラブルシューターとして。彼を通じて時代が、文化が、風俗が読み手に伝わってくる。石田衣良が綴るIWGPシリーズは、都心に溢れる先端をただ単に描くのではなく、先端をマコトの感情により消化し、マコトのコトバにすることで、すぐにでも風化してしまう先端を忘れられないエピソードに変えている。今回も4つの先端がマコトのを通して語られている。
 各エピソードに登場する人物や小物から音楽や香りまで、書かれているものすべてが魅力的なのにまいってしまう。石田衣良の嗅覚のすごさ、表現力のすごさにただただ感心。なかでも『伝説の星』に登場する懐かしのスターが歌う往年のヒット曲『涙のハイウェイ』にはうっとくる。THe ROCKERSの『涙のモーターウェイ』とダブっちゃって、あれから心のターンテーブルを回りっぱなしなんだもん。
 愛情を持たずに声をかける男と愛情を求める女、輝かしい過去を楽しむ中年とマコト、生活のために身を削って玩具を作る少女とその玩具を流行のもとに使い捨てる若者達、自殺をいざなう者と生かすことを正義と信じる者。先端の間に対峙する両極が各エピソードの核となり、マコトの感情を揺り動かすんだろう。
 サルが声だけなのはさびしいけれど、タカシとかあちゃんは相変わらず元気に活躍している。これからもまだまだ活躍し続けるに違いない。
 マコトがあの往年のスターのように、中年になっても若い頃を懐かしむのではなく、その時代の先端に感情をあらわに語る姿も読んでみたい。いつまでも続いて欲しい作品なのだ。


エスニック
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アイヌ文化フェスティバルを観る(07.10.27)

 道民にとってアイヌ文化って身近なのに遠い存在。ぼく個人としては観光地とか土産物のイメージしかなく、生活の中で感じたことがない。だから、今回のフェスティバルも『ナマで山口智子が観れる』という不純な動機から参加した。だから先に書いてしまう。山口智子はすごく自然でキレイだった。着ている服はめちゃくちゃシンプルなのに、着飾っている人たちがアホくさく見えるほど。言葉も心に響くし、オーラってやつなのかな。
 簡単にプログラムを紹介すると・・・。
 @講演「私達は海で繋がっている A Time of Unification」
      山口智子、ギャリー・バッサン
 A口承文芸「キツネのチャランケ」 滝地良子
 B講談「カムイユカ(神謡)」 神田山陽
 すみません。以降のプログラムは早退しまして。
 講演は「なんで山口智子?」って感じがしたけれど、アイヌ文化と相似する文化や似た顔立ちの人々が環太平洋のあちこちに散らばっていて、太平洋の海流に乗って人々が移動し、その地その地に文化を根付かせたことをドキュメンタリー番組の取材で知り、興味を持たれたそうだ。彼女が感じたそれらの文化の素晴らしさと、文化を残していく一つの例としてのハワイでの取り組みの紹介。口承文化の継承の難しさと、それでも残すべき文化の素晴らしさを伝えてくれた。
 口承文芸は以外だった。正直、語られている言葉や内容はさっぱりわからない。事前に配布されたパンフレットの解説なしでは、なにがなんだかちんぷんかんぷんだ。でも、その響きがなんとも心地良く、もっと聴いてみたいと思えた。酒をちびりちびりと飲みながらなんて、最高だよね。
 講談はちょっと拍子抜け。じつは山口智子以上に神田山陽に期待していた部分があったんだけど、ちょっとやっつけ仕事的な、時事ネタでごまかしたみたいな。
 なにはともあれ、アイヌ文化に触れる程度だけど、独自の文化が北の地に根付いていて、それが失われつつあることを認識することができた。
 アイヌの民族衣装の展示をしていたんだけど、すごくカッコよかった。「欲しい」とも思ったけど、売ってはいなかった。着る機会が難しいだろうし、ファッション感覚できることが文化への冒涜にならないか・・・などと考えさせられるよなぁ。


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夫婦印プロデュース「満月〜平成親馬鹿物語」を観る(07.10.20)

 菅原大吉と竹内都子の夫婦印プロデュース。この二人、ホントの夫婦なんだって。ピンクの電話のミヤちゃんが結婚しているのは知ってたけど、この人がダンナ様なんだ。
 そんな夫婦が演じるのは駆け落ちしたカップルのそれぞれの親。娘はそそのかされたと激昂する父親と、息子を信じて見守るべきと諫める母親。いわゆる敵対する関係にあるのだ。二人が対峙する場所は母親が営む居酒屋ゆかりの二階住居部。
 この二人の子供に対する想いの差が面白い。二人ともタイトルどおりの親馬鹿である。でも、父親は自分のイメージする娘を愛し、母親は等身大の息子を見ている。まさしく現代社会の親子像そのもの・・・ぼくには子供がいないので言い切りはできないが。そんな二人のギャップを埋めるのは売るほどあるという酒の力か・・・。さて、この酒が導く答えとはいかに。
 いやぁ〜、面白かった。作・演出の水谷龍二がもっとも得意とする人情喜劇。そこには平成の中に根付く昭和があり、いつの時代でも通じる愛情と笑いが詰まっている。大企業の中間管理職と居酒屋のママ。その設定を存分に生かしたやり取りが面白いのなんの。夫婦の息の合ってるのなんの。
 新さっぽろの土地柄の通り、会場のサンピアザ劇場の7割はシルバー。そのシルバー達も声を出しての大笑いだったけど、この芝居は若い子たちにも受け入れられること間違いなし。もっと若い世代にも見て欲しいのだ。
 この夫婦、あなどれませんな。


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水原秀策「サウスポー・キラー」を読む(07.10.13)

 『このミステリーがすごい!』大賞作品にハズレはないなぁ。プロ野球を舞台とした小説は結構読んでいたけど、ここまでプロ野球に入り込んだ小説はそうないのではないか?決してこの小説のテーマとなっている『八百長』のことではない。野球に対する主人公・沢村航の感覚がリアルなのだ。昔のような熱血野球少年でなく、とてもクールな男なんだけど、彼が一人称で語るプロ野球の世界は、読み手にプロ野球の細かい部分をきっちりと伝えてくれる。そればかりか、彼が巻き込まれる八百長疑惑についても冷静に。
 それにしても、風変わりなサウスポーのかっこいいこと。野球暦に始まり、投球術やトレーニング方法に至るまで、既成の選手とは一線を画す彼にどんどん引き込まれていく。架空の名前で登場する球団や監督は、あの在京球団のあの名誉監督だよなぁ・・・なんて誰でも想像つきやすいビジョンを見せて、物語の導入をスムーズにしたり。そこがこの書き手の巧いところで。八百長疑惑の真相、野球選手としての沢村の今後、若手女優とのロマンスなんかが臨場感溢れるものになってくる。面白いのよ、これが。
 沢村よ、そんな金満球団で嫌な思いをすることなく、北の大地へ来てはどうかな?北海道日本ハムファイターズは大歓迎するぞ。そんなこと真剣に考えちゃうような。
 野球をあまり知らない人でも楽しめる、そんなミステリー。お奨め!


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「JAKE SHIMABUKURO JAPAN TOUR 2007」を観る(07.9.29)


 前からすごく気になっていた。レベルこそ違えど,同じウクレレ弾きとしては一度お手並み拝聴しなければと思っていた。『フラガール』の音楽を担当してにわかに人気も上がっているらしいし,今が聴き時かと・・・。
 なんて上から目線で言ってるどころじゃなかった。いやいや,あくまで上から目線は表現方法の一つに過ぎず,本心は心酔しているんだけど,それにしても次元がはるかに違うのだ(これも当たり前のことだが)。最初の1ストロークですべてがぶっ飛んでしまうくらい,それは鮮烈で,それは甘美で,それは衝撃の音だった。
 これがウクレレ?弦は本当に4本しかないんだよな・・・。ネックはギターよりもはるかに短いはずだよな・・・。それなのにギターをも凌ぐような豊かな表現力。酔いしれてしまった。心地よい。ずっとこの音色に漂っていたい。
 あるときは和テイストの琴が如く,あるときはカルメンを躍らせるフラミンゴギターの如く,そしてあるときはヘッドバンギングを促すヘビメタのエレキの如く。変幻自在に音を操るその指に,羨望の眼差しを送り続けることしかできなかった。スバラシイ・・・
 ライブはほとんどがジェイクの一人舞台。ウクレレ1本で館内を魅了する。ときたまオープニングアクトを務めた弟・ブルースを呼び込んでセッションするのみ。ウクレレの持つ表現力と可能性に驚愕するばかりなのだ。
 個人的には「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」の弦を目いっぱい使った演奏が良かったなぁ。
 なんかクセになりそうな,そんなライブだった。



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「めがね」を観る(07.9.23)

 小林聡美ともたいまさこが共演する映画『めがね』を観た。この二人の共演は『やっぱり猫が好き』好きにはたまらないものがあり、ついつい目当てで観てしまう。南の島を舞台にしたスローライフな映画。せちがなく働いているこの頃のぼくには、なんともうらやましい景色と暮らしなんだよな。
 都会から訪れて「たそがれる」ことに戸惑う主人公と、「たそがれる」ことが日常になっている人々の心温まる交流。時の流れの穏やかさが、あくせく動くぼくには足りないものなんだな。かき氷とビールがなんとも旨そうなのよ。
 ただ、あまりにも平穏すぎて・・・。もう少し小粋なエピソードが入ってもいんじゃない?
 同じスタッフで作られた『かもめ食堂』(WOWOWで観た)からは訪れる者と迎える者が入れ替わり、工夫も見られてはいるけれど、なんというか日本テレビ製作の一本調子がもろに出たというか。
 小林聡美ともたいまさこ。この二人が共演するから観に行く。それだけ集客の望めるコンビなのは間違いない。『すいか』『かもめ食堂』『プッチーニ』(『セクシーボイスアンドロボ』のエピソード)はどれも泣けた。とくに『プッチーニ』には・・・。でも、パターン化しすぎ。絡む女優もともさかりえ、片桐はいり、市川実日子。ぼくは彼女たちも好きなので、どうしても観てしまうんだけど、もっと違う展開とか、いい意味で客を裏切る何かがないと、そろそろつらいんじゃないかな。
 とにかく「たそがれる」ことが今のぼくには一番必要なんだよな。


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「産隆大學應援團」を観る(07.9.14)

 ふた晩連続徹夜が明けて、大仕事をひとつ終えた虚脱感の中、起きていられるか・・・。しかも席は最前列のド真ん中。案の定、開演直前まで寝入ってしまった。しかしだ。幕が上がったら最後、ぼくのまぶたが閉じることはなかった。面白かった。すんごく。
 もとはTVドラマだったそうで。小気味よいショートエピソードの積み重ね。小さい笑いがうねりとなって、愛ある應援で大爆笑。その連続の舞台なのだ。たまらない。
 團員一人一人が主人公であり、一人一人にドラマがあり、侮れないぞ、こいつらは。
 應援は一方通行の愛である。その愛に気づいたとき、人は持っているもの以上の力を発揮することができるのだ。應援でつながれた熱き者たち。笑えるだけじゃなく、熱いものがこみ上げてくるんだ。それは熱い男・今井雅之のなせる技なのか。
 文句なしに面白い舞台に、場内も大盛り上がり。でも、客席はかなり空いていたんだよな。あと、観客の平均年齢が高いこと。札幌にもお芝居鑑賞という文化が根付いたと思っていたんだけど、それはただ地元人気劇団に群がる女性達ってことだったんだな。どうりであまあまだもん。
 札幌の文化発展の試金石的作品になってしまったけど、これに目が留まらないようじゃ札幌はまだまだだってことなんだよね。某人気劇団の人にも見て欲しい面白い作品だった。
 そういえば、下町のプリンスの役どころって、どのお芝居でも同じなのに一層笑えた。


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TEAM NACS SOLO PROJECT「GHOOOOOST!!」を観る(07.8.28)

 さて、NACSです。NACSのなかで一番正統派でかつイケ面ありながらも、一番影が薄いシゲの脚本・主演によるお芝居の登場です。NACSの脚本はリーダーによるものが多いので、とても楽しみだったりして。それにしても、札幌では珍しい数日にわたる公演で、チケットの買占めも見られたほど。みんなも期待が大きかったのでしょう。
 設定が奇抜で、引き込まれた。交通事故の加害者と被害者が幽霊となって語り合う。そのやり取りが楽しくて、どんどん引き込まれていく。そこに加害者の息子が登場し、幽霊の会話に加わって・・・。
 なんだろう。ギアチェンジがスムーズじゃないんだ。面白いエピソードで客を乗せたのに、一転して陳腐なお涙ちょうだいモノをやってしまう。それをパロディとしてやるならありだけど、マジなんだよね。時間と熱演をかけてまでやることだろうか・・・。でも次のシーンではまた面白いことやってくれる。すごいジレンマを感じてしまう。このお芝居の方向性に。
 でも、面白いんだよね。なにより幽霊役の4人の好演。その中でも音尾琢磨の演技はキレキレで凄いと思った。NACSの中でも光ってるもん。東京公演ではきっと株を上げまくったんじゃないかな。
 で、本編はというと、やっぱり違和感があって。薬にも毒にもならない解決方法。この芝居の目指すところは・・・。
 面白いところがいっぱいだっただけに、がんばれ〜〜〜ってところです。


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「Point Green! 富良野音楽祭2007」を観る(07.8.25)

 富良野で環境を考えるLiveイベントが開催された。富良野と言えば『北の国から』なのだが、その富良野で実践されている環境への取り組みを、北の国から全国へ発信しようではないか・・・というイベントで。
 富良野にはゴミ焼却場も埋め立て場もないため、ゴミを14分別して資源としているそうだ。そんな取り組みを全国の人に知ってもらい、少しでも環境に対する意識を高めてもらおうという趣旨だそうだ。
 音楽祭に参加したのは沢田聖子、TOKU、夏川りみ、ゴスペラーズの4組(出演順)。いかにも富良野が似合う、環境にやさしそうな顔ぶれ。富良野の自然と一体化したライブだった。
 何よりもすごかったのは陽射し。暑いのよ、めちゃくちゃ。北海道のお盆過ぎとは思えない照り具合に、ビールがすすむ、すすむ。そうそう、おつまみとしてきゅうりの一本漬け売ってるの。みんなきゅうり片手にビール飲んで。おまえら河童かって感じで、なんかいいんだよね。
 肝心のライブはと言うと、まさに富良野らしい、さわやかさと清涼感に満ち溢れた心地の良いライブだった。沢田聖子の曲とうらはらな弾けたトーク。TOKUのフリューゲルホルンの渋さと後ろを固めるミュージシャンの巧さ。夏川りみのかわいさ・・・テレビで観るよりも細くてかわいかった。
 トリは当然ゴスペラーズ。というか、このイベントの客の9割は彼らがお目当てなんだもん。そんなゴスペラーズ、イベントならではのカヴァーと茶目っ気いっぱいのステージを見せてくれまして。イベントでいつもと違う面が見れるってなんかうれしいよね。得した気分というか。
 ラストは全員で『上を向いて歩こう』を大合唱。これもまた、富良野ならではの選曲かな。
 このイベント、毎年開催される予定だとか。ただ、富良野がそのイメージに固執すると、集客力に翳りが出そうなので、ちょっと冒険したキャスティングを富良野が組めるかどうかが、今後のカギになるのかな。
 とはいえ、とてもほのぼのと楽しめたイベントでした。

 ライブ終わりの薄暮のステージ。かっこいいです。


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「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」を観る(07.8.18)

 いよいよ動き出したぞ・・・と感じさせる第5弾。あのお方復活が物議を交わす出だしから。それにしてもラドクリフくん、なで肩がすぎるぞ。Tシャツ姿のハリーは鉛筆かと見間違えてしまうくらい。肩パット、入れとこうか。
 そんなどうでもいいことはさておき、物語が進むにつれ、ハリーの身に迫る危険と心を占める焦燥感がひしひしと伝わってきて。傲慢になりかけるハリーを不死鳥の騎士団や仲間たちが支えてくれるというのが本作のあらましのようで。だからいっぱい人が出てきます。残念ながら消化できないくらいに。もっと奥の深い物語なんだろうけど、尺の関係かそれらの人たちがさらりと流されていて。もったいない。ぼくはルーナがお気に入り。ダンブルドア校長があまりにもカッコよすぎるんだけど、他の仲間にももっとスポット当ててよ。
 しかも、ハリーの焦燥感を煽り立てるような展開と結末。物語もあと2作となると、伏線も張りまくらなきゃならないだろうしなぁ。
 なんかネガティブな文章っぽいけど、面白かったよ。あと、小説を読んでみたいと初めて思った。文庫化されたらね。
 そうそう、ロンの双子の兄貴は最高にイカしてます。


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五十嵐貴久「Fake」を読む(07.8.3)

 五十嵐貴久の作品を読むのははこれで4作目。最初に読んだのが4月だから、月1作のペースで読んでいる勘定に。これはもはやハマっていると言ってもいい状態なのでしょう。現在放映中のドラマ『パパとムスメの7日間』も彼の作品だから、ノリにノってる作家の一人と言えるのでは。
 これだけぼくがハマるワケだから、そりゃもうぼくにとっては面白い作品で。表紙の画像を見ていただいての通り、この物語は賭博の絡んだ物語であり、騙し合いの物語である。解説や作者のお言葉でも書かれている通り、この物語の根底には名画『スティング』のテイストが流れている。『スティング』はぼくをコンゲーム好きにした、ぼくにとっては特別な映画。そのテイストを持ち、ぼくがハマっている作家が書く小説だもん、面白くならないほうが難しいってもんで、当然の如く面白い作品だった。
 まずは敗北から。そしてリベンジ。どんでん返し。コンゲームの魅力が詰まった作品になっている。あまり書くとネタバレになるので、控えさせてもらうけど、とにかく面白い。
 なんら作品紹介になっていない文章だけど、ぼくが面白く読めたことさえ伝わればそれだけで十分なのです。


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上橋菜穂子「闇の守り人」を読む(07.7.17)

 『守り人』シリーズ第2作。前作からこんなに早い間隔で2作目が文庫化されるなんて・・・。うれしいの極みです。
 短槍使いの女用心棒・バルサが自らの過去にけじめをつけるべく、生まれ故郷カンバル王国を訪れ、バルサと養父・ジグロの運命を大きく変えた策略に向き合う物語。25年前の出来事が彼の国では風化はするものの、忘れ難きこととして人々の胸に刻まれていた。それも歪曲した真実として。バルサは彼の地に何を伝えるというのか・・・。
 そんな感じでしょうか、キャプチャーをつけるとするならば。『精霊の守り人』でもバルサの過去として語られていた養父ジグロとの日々が、本作の源流となっている。バルサの根源を辿る新たなる旅。
 まずは巻頭の登場人物紹介と用語集を見て、ひるんでしまった。こんなに覚えられるのか・・・。見ているだけで不安を覚えてしまうので、一切無視して読み始めたら、なんら関係なく一気に読めてしまった。面白いから。登場人物が多少こんがらがろうと、食い物の名前がわからなくても、そんな些細なことまるで関係ないくらい面白いから。
 ジグロとバルサの日々が持つ意味とその重さを、読み手もしっかりと受け止めることのできる構成と展開。今回の『守り人』はバルサではないんだなぁ。
 いやいや、このシリーズ本当に面白いぞ。次は『夢の守り人』だそうだ。早く文庫化してちょうだい!


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「大日本人」を観る(07.7.15)

 ぼくは松本人志の持つヒーロー像が好きだ。決して勧善懲悪ではなく、妙な悩みを抱えたヒーロー像。『「エキセントリック少年ボウイ」のテーマ』でヒーローに「おばさんには合わせる顔がない・・・」と歌わせる言葉のチョイス。絶妙ではないか。
 だから、松本人志初監督作品『大日本人』があちこちで賛否両論でも、予告映像を観るだけでぼくはニヤついていた。バッシングを浴びるヒーロー。いいじゃない。『Mr.インクレディブル』にも通じるこの発想。ぼくは大好きだ。
 そうそう、ネタバレかもしれないので、読む際はご注意願います。
 あたまから口元が緩みっぱなしだった。代々日本に出現する獣(怪獣)と闘い続ける大日本人・大佐藤をインタビュー主体のドキュメントタッチで追い続けるカメラ。そこに映し出されるのは、生身のヒーローの悩みや葛藤。一般人と変らない悩みやヒーローであるがゆえの悩みには納得の連続。そのひとつひとつが心をくすぐってくる。大佐藤と死闘を繰り広げる獣は、以前松本人志がプロデュースしたフィギア『世界の珍獣』に通じながらも、顔はあの有名人だったりする。大佐藤の胸についたスポンサーが作品完成後に問題となった企業だったり、道民には非常に係わり合いの深いメーカーだったりと、小ネタでも心がくすぐられる。淡々と回されるカメラ。決して大爆笑の連続ではないけれど、さざ波が徐々に大きくなっていって、四代目の暴走で大津波になる。すげ〜じゃねぇか。やってくれるじゃねぇか。
 立場的に追い込まれた大佐藤が飲み屋で見せる哀愁と、その後に続く名曲『○○』(ここはあえてふせておきます)。物語が大きなうねりとなったあのシーンは、まるで『3年B組金八先生』第2シーズンの警官隊突入を見ているみたい。絶体絶命の大佐藤の前に現れたのは・・・。すごいぞ、すごいもの創ったじゃないか、松本人志。手に汗握って大興奮だぞ。
 それだけに最後のオチは納得できなかった。なぜそれを持ってくる?きっちりあの路線で押し切ってもらいたかった。それで最後に笑いが減っても、ぼくは全然かまわない。むしろ、笑いをとるために安易な方向に逃げるような作品にはして欲しくなかった。
 この作品の批評をきちんと読んでいないので、賛否両論の的がどこなのかはわからない。ぼくにとっては終盤まで完璧だったけど、最後でミソがついて80点と言ったところか。正直、DVDが発売されたら購入して何度も観るだろう。ラスト前までは。
 これが初監督作品なのだ。今後が楽しみかな。勝負さえしてくれれば。


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「宝塚BOYS」を観る(07.7.12)

 戦後すぐ、宝塚女子歌劇団に男子部が創設され、数人の男子団員が所属していたそうだ。これは本当のお話。その事実をモチーフに創られたのが『宝塚BOYS』。宝塚歌劇団大劇場の舞台に立つことを夢見た男たちの青春奮闘記なのだ。
 女性の園・宝塚に在籍することによるプレッシャー、自分たちの芸に対する不安、安定した生活への執着・・・。戦後間もない若者達の焦燥感が滲み出ている。
 なんだろう、60年前の話なのに、現代に通じるところが随所にあり、ちょっと身につまされる気分だった。確かにそこそこの規模の会社にいる安堵感と、それに満足している自分に対する苛立ち・・・。いつの世も同じなんだなぁ。
 面白かったんだけど、なによりも尻の痛さが先についちゃって。休憩15分を挟む3時間強座りっぱなしに、北海道厚生年金会館の椅子は適していないのか?それとも、長すぎて飽きる部分があったのか。もっとコンパクトにはできただろうなぁ。
 客層は見事に女性ばかり。ぼくの席は前から6列目の中央付近だったけど、ぼく一人完全に浮いていたなぁ。カーテンコールはスタンディングオベーション。そこまでの芝居か・・・。お気に入りの役者を観て応援するのと、芝居に対する評価を混同しているあたり、「北海道のお客さんは優しいなぁ」と思っちゃうね。
 なにせ『社長放浪記』のあとで観た作品だけに、評価が辛口になってしまうのは仕方のないことだよなぁ。


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「キサラギ」を観る(07.7.11)

 アイドル・如月ミキの一周追悼忌に集まった、ファンサイトで知り合った5人の男。それぞれが秘蔵コレクションを見せあうなど、想い出に浸る会となるかと思いきや、話しは彼女の自殺の真相究明に。そこで明らかになる男たちの素性。如月ミキは自殺?それとも他殺?
 いや〜、面白かった。基本的にワンシチュエーションの密室劇。それだけに息詰まる言葉の応酬に迫力があり、見逃せない・聞き逃せない・気の抜けない映画となっている。男たちが喪服なのも凄味が増して効果的なのだ。これって『レザボア・ドッグス』を意識しているのではと思うんだけど、見事にハマってる。
 出演者もそれぞれがハマっていて、とてもしっくりくる。ユースケ・サンタマリアがハンドルネーム『オダ・ユージ』で、青島刑事を意識しているくだりなんかは、楽屋ネタに近いんだけど、国民的ドラマのネタゆえに自然に笑ってしまう。上手い。そして、カッコいいだけのお兄ちゃんで終わりがちな小栗旬の演技が良かった。他の面々もそれぞれに味があり笑えた。
 これって演劇だったのかなぁ。舞台としてもめちゃくちゃ面白くなりそうだよね。とても見たい気がするもん。
 良質なシチュエーションコメディ。これは観る価値大ですぞ。


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伊東四朗生誕?!七十周年記念「社長放浪記」を観る(07.7.8)

 伊東四朗ってすごい人だよなぁ。てんぷくトリオを知らないぼくとしては、彼らが一世を風靡したのを観ていない。『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』のベンジャミン伊東や『笑って笑って60分』の小松政夫とのコンビネタに大いに笑わせてもらったけど、キャンディーズなんかの影でバイプレイヤーのイメージが強かった。でも、物心ついた頃には役者・司会者としてのイメージが強くって。ところが、『三宅裕司のいい加減にします』に出演すると、しばらくは観ることのできなかったコメディアンとしての素養が爆発して、三宅裕司を食っていたもんなぁ。
 三谷幸喜脚本には舞台・ドラマ・映画を問わず、すっかり欠かせない存在だし、宮藤官九郎作品にもいい役でお声がかかる。植木等と好対照だけど、2大喜劇俳優といっても過言ではないだろう。存命では一番か・・・。
 なにがすごいって、喜劇をやり続けていることだよね。晩年は性格俳優として一目置かれる方が多いだけに、いつまでたっても笑いに情熱を傾け、後進を育てようとしている姿は素晴らしいの一言だもん。
 そんな彼の古希を祝して、三谷幸喜、三宅裕司、佐藤B作というそうそうたるメンバーが集まって、『社長放浪記』というお芝居が出来上がった。これがすごい芝居だったの。嘘に嘘が掛け合わさって、騙し騙され、流し流され。「ないない、普通気づくでしょ」ってシチュエーションも強引に通し、笑いが膨らんでいく。舞台ならではの見逃せない、気が許せない笑いがいっぱい詰まっていて、至高の2時間だったのだ。詳しくは書かないけれど、巧みに仕組まれた(?)一人二役風は目が離せません。で、作りこんだ笑いの最大の敵が天然ってことも仕込まれちゃって。さすがは三谷幸喜。三谷脚本と三宅演出に違和感が出るのではと心配したけど、そこは笑いのプロ達のお仕事。持ちネタを強引に割り込ませるなんてことも『ニン』以外はなく(『ニン』も必然性あってのネタね)、スマートな仕上がり。それにのる伊東四朗とコメディエンヌ・中村メイコは面白かったなぁ。最高だったぞい。
 終演後の入場者抽選プレゼントになんと当選してしまった・・・。あまりにもうれしかったので、劇場入り口に立ててあった看板と記念撮影を撮っていたら、スタッフのお姉さんがあわてて出てきた。ヤバイ、カメラ禁止だったか・・・と思ったら、「お写ししますよ」だって。いい人だ。
 当たったプレゼントは似顔絵マスコットつき携帯ストラップ。着ている服は『伊東家の食卓』か。


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山本幸久「笑う招き猫」を読む(07.7.8)

 漫才で人を笑わせよう。いつまでも相方と漫才を続けよう。それはとても難しいことなんだろう。数多くの若者達がその門を叩き、名が売れるのはごく一部だし、解散もよく聞く話。売れたところで安易にバラエティーに出てネタ作りを忘れた…放棄したような芸人はテレビにあふれている。
 本作品は漫才でカーネギーホールの舞台にたつことを夢見るアカコとヒトミの物語。笑わせることに一途で、自分たちが笑っていたいから漫才をしているような二人を読んでいると、自然と口元がゆるくなってしまう。本文に彼女たちの漫才が細かに書いていることはない。ネタの要点だったりオチの部分が書いてあるだけだし、そこだけ読んでも決して笑える代物ではない。でも、自然と口元がゆるむのは、彼女たちの存在自体が漫才だからなのかなぁ。そこがあまりにも自然すぎるから、笑ってしまうのかなぁ。
 二人を見ていると「ハリセンボン?」と疑いたくなる。アカコは柳原可南子にも通じたり。容姿の非対称もさることながら、生活レベルも非対称だったり、性格も・・・。漫才をするために出会ったような二人なのだ。そこからして楽しめる。当然、作者の意図にまんまと載せられているんだろうけど。そして、次々と起こる芸能界ならではみたいなエピソード。「やっぱり・・・」なんて信じてしまいそうなあれやこれやが満載なもんだから、面白くって読む読む。上京していたということもあり、飛行機や電車の中で寝ずに読みふけってしまったよ。
 けっしていいことばかりじゃなく、危機なんかもあるんだけれど、人を笑わしたいという共通の思いと絆の深さに、結構ウルウルしてしまう逸品だよ。
 で、先輩芸人の乙さんはケンドー・コバヤシに間違いないはずだ。


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五十嵐貴久「1985年の奇跡」を読む(07.7.7)

 あの夏、浪人していたぼくは、おニャン子にのめり込むこともなく、だらだらした毎日を過ごしていた。親のスネかじりながら、勉強することもなく。だから本作品に登場する野球部の面々が羨ましくもあり。いまだに言い訳ばかりの毎日のぼくに成長とか進化のかけらは見られないんだな、これが。
 小金井公園高校野球部は都下でも有数の弱小チーム。それは単に技術の問題じゃなく、やる気すらない。そんな彼らの前に現れたスーパー転校生。他力本願ながらも初勝利、そして甲子園なんか意識した彼らに待ち受けていたのは…。
 新人類って言われる人たちがメディアを闊歩し始めた頃。汗とも涙とも根性とも縁のないような人たちが文化の先端を走る。汗とも涙とも根性ともかかわりたくない上に才能すらないぼくらが、言い訳を武器にするのは容易いことだった。中途半端な見栄と自分に都合の良い思想にかぶれたふりをすれば、正当化されているとでも勘違いしていたんだな。
 言い訳を棄てた彼らの姿は清々しくかっこいい。技術レベルの問題じゃなく、心意気なんだな。
 青春小説っていいよなぁ。斎藤由貴、かわいかったよなぁ。


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いしいしんじ「ぶらんこ乗り」を読む(07.7.1)

 ぼくはいしいしんじのファンなんだなぁ。『トリツカレ男』『プラネタリウムのふたご』でその世界観、大人の童話に魅せられたのか。やさしさを求めるが如く、読んでしまうんだな。
 弟が残したノートと手紙による回顧録。賢くてぶらんこ乗りがとても上手だった弟が声の替わりに残した言葉の数々は、流れることなくとどまる分だけ心に残るんだな。弟のさびしさ、弟のやさしさが込められた言葉の数々に、心から癒されるんだよね。
 いしいしんじの作品はどれも舞台がどこだかわからない。架空の街、それも都会ではない街が舞台。けっして日本ではなく、いろんな国の文化が融合してるような。
 定期的に読みたくなるいしいしんじ作品。これからもぼくを和ませてくれるんだろうなぁ。


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「舞妓Haaaan!!!」を観る(07.6.23)

 壮大なるオトナのケンカ。これ以上なく子供みたいな、それでいてものすごく真剣で不可能を可能にしてしまう維持の張り合い。宮藤官九郎脚本の『舞妓Haaaan!!!!』はそんな成長しないオトナたちの夢物語なのだ。その舞台が洒落たオトナの社交場・花街ときたもんだ。相変わらず冴えてるなぁ。
 とにかく阿部サダヲ演じる鬼塚公彦と堤真一演じる内藤貴一郎のキレっぷりが素晴らしい。あのハイテンション、観ていてたまらんのう。ホント、ガキのケンカそのものなんだけど、そのスケールのでかいこと。ぼくらが子供の頃に意地の張り合いで言い合っていた戯れ言がそのまま現実になっていくみたいな。童心に返っちゃうよ。
 そんなガキ二人を包む舞妓さんたち。艶やかだなぁ。ぼくも一度体験したいものよのう。最初は白塗りに違和感を覚えたけど、観ているといとおしく思えてくるもん。うなじの地肌とのコントラルトなんて・・・たまりません。
 とにもかくにも阿部サダヲ渾身の演技。気持ちいいですぞ。
 心底笑えた楽しい作品でした。


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上橋菜穂子「精霊の守り人」を読む(07.6.18)

 ファンタジー小説って途中で挫折することが多かった。架空の世界、ただでさえ想像するのが困難だというのに、他国語で書かれた文章の翻訳を読んでいるわけだから、フィルターにフィルターがかかって訳がわからなくなる。映像(映画)で観るのは好きだから、ジャンルとして苦手なわけではないのに・・・。おそらくはぼくの想像力が足りないんだろうなぁ。文章をイメージする力が。あと、外国人の名前を覚える記憶力が。
 ところがどうだろう。この『精霊の守り人』は難なく読むことができたのだ。日本語で構築された世界、カタカナながらコンパクトで覚えやすい登場人物の名前。ぼくの弱点をことごとく補ってくれている。
 読み始めて面白いと思ったのが新ヨゴ皇国のこと。「北方を青霧山脈に守られ、南、東、西の三方は海に囲まれた広大なナヨロ半島を領土としている」。これを読んで真っ先に思い浮かんだのは朝鮮半島。でも、ヨゴ皇国から新天地を求めて移住した人々と先住民ヤクーの関係は、朝鮮半島から日本に渡った人々とアイヌを初めとする日本の先住民族に置き換えられる。この逆転の違和感・・・でも、どこかで知っていそうな物語。それが読みやすさの秘訣なのかな。
 読みやすいだけじゃない。面白かった。女性用心棒・バルサの活躍には惚れ惚れしてしまう。「ぼくも守ってほしいなぁ」って。ニュンガ・ロ・イムの謎が早く知りたくてたまらなくなってしまう。早く続きが読みたい。まっ、それが一番大事なんだけどね。
 意外と淡白だった部分もあり、もっと物語を膨らませられたのでは・・・と思う箇所もあるけれど、やり過ぎと思われる前に引く姿勢が大切なんだろうなぁ。
 NHK-BS2でアニメが放送されているのをチラッと見たんだけど、登場人物のイメージが違ったので、見るのやめちゃった。読み手一人一人のバルサ像があるだろうからさ。なによりも肌は浅黒くなくっちゃ。
 バルサとチャグムの物語はまだまだ続くようで。早くどんどん文庫化してください。待ちきれないので。


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「イッセー尾形のとまらない生活2007in初夏の札幌」を観る(07.6.17)

 6月と12月はイッセー尾形が来るのです。ぼくにとっては札幌で欠かすことのできない重要な行事。これを観なくては夏も来ないってくらいなんだから。まあ、たいして夏には期待していないんだけど。
 夏には期待していなくても、イッセー尾形には期待十分。またそれを裏切らないのがすごいんだよ、イッセー尾形は。正直、今回の舞台はめちゃくちゃ笑えた。いつも笑ってるけど、それ以上に笑えた。すべて新作なんだけど、続編も適度に織り交ぜてぼくの急所をついてくる。
 これはぼくの勝手な解釈なんだけど、1・2本目はなんか『植木等に捧ぐ』って感じがした。イッセーと植木等の接点って・・・。二人芝居をしている小松政夫が植木等の付き人だったしなぁ。
 至福のひとときとはこのことなんだろうなぁ。
 では、いつもの通り勝手なタイトルで作品をご紹介。

『女社長、モデルになるinモルディブ』
 社員と旅行中にモデルをやることになった女社長。彼女の観察眼と考え方の妙が抜群で。社訓・社歌に痛く感銘を受けそうだよ。それがかなり植木等テイストが入っていてさ。「無責任」スピリットを持った経営責任者とでもいいましょうか。
『幻のタクシー運転手』
 これに至っては、衣装・メイクからして植木等を髣髴とさせる。しかもこの運転手のC調で無責任な感じは、まさに植木等なんだよなぁ。それを見事にイッセー色に染めていて。好きです。
『ホテルマン・かさい』
 まさか・・・。目を疑った。目の前で接客している新人ホテルマンは、去年三軒茶屋のホテルの面接を受けたあの少年ではないか・・・。絶対落ちたと思っていたのに、見事合格していたんだね。なんかうれしい。とてもうれしい。キャラクターの成長が見られるなんて・・・と思いきや、やっぱりまんまね。そこがとてもいとおしくなる作品。それにしても、30円はないだろう。
『ひとみちゃんカムバック』
 ひとみちゃんも息が長いキャラクターだよなぁ。ホステスに始まって、家政婦、ビルの清掃員を経て、いよいよ水商売にカムバックときたもんだ。もう、あの髪型を観ただけで笑いが止まらなくなっちまうんだもん、一撃必殺キャラだよう。今回はウクレレジャズやエロティック○○を引っさげて場内を沸かしてくれます。老いてもなお元気。彼女の老後をもっと観てみたいなぁ。
『公園デビュー』
 孫・ケイタを公園デビューさせるべく連れてきたおじいちゃん。実はおじいちゃんも公園デビューなわけで。老人の持つエゴ、傲慢さを面白おかしく演じるイッセー。実際にこんな老人がいたら実に迷惑なんだけど、どこにでもいそうなんだよなぁ。というより、ぼくもこうなりそうなんだよなぁ。そう考えると怖いものがあるけど、面白かった。
『化粧品実演販売員』
 地方のスーパーモールの1周年記念にやってきた化粧品実演販売員。一線を張っていると自負する彼女には地方の喧騒はわずらわしいものなのかなぁ。そんな彼女と迷子の女の子の、ロードムービー風な物語。ハートウォームな笑いです。
『謝罪人人選会議』
 社員の物まねが得意な男が重役会議に呼び出された。重役たちの前で酒の席の余興みたいな物まねを強要され、戸惑う彼。そこは彼の物まねで不祥事の謝罪をする人を選ぶという途方もない会議だった。ありえないシチュエーションなんだけど、ふと「ありかな・・・」と思ってしまう。そこがツボなので。
『アルゼンチンの満月の夜』
 デビュー77周年、御年107歳の歌い手が渾身をこめた珠玉の3曲。心して聴いてください。

 次は12月か・・・。また新作で来るんだろうなぁ。待ち遠しくもあり、今日のネタをもう一度観たくもあり。やっぱDVD全部そろえるかなぁ。金かかるけど・・・。


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「スパイダーマン3」を観る(07.6.9)

 スパイダーマンを侮っていた。ここまでやってくれる映画だったとは。前2作でちょっとダレた気がしていたけど(おバカなピーター、しつこいハリー、華のないMJ)、前半の展開であらら・・・と思っていたんだけど、後半でドカンといってくれた。すげぇ。
 ピーターが鼻持ちならない中年男になっちまった。スパイダーマンが世間に認知され、ヒーローと呼ばれることに慢心してしまった。観てるのがイヤになる序盤。黒い宇宙生命体にとり憑かれて、ピーターが嫌味なたわけモノになった。人としてどうなんだろうか・・・。シリーズの主人公を、誰もが認めるヒーローをここまで貶める作品はあっただろうか?もう腹立たしくて、スクリーンに靴を投げ飛ばしたくなるくらい。でも、それらすべてがピーターが大人になるためのプロセスなのだ。すごい。ものすごいぞ。
 ピーターだけでなく、あのファザコン・ハリーにも転機が。成長しないのはMJだけか?いやいや、MJもきっと心が・・・。
 しかしながら、因果応報の繰り返しなのよね。傷つけ、傷つけられて大人になるのはわかるけど、「もっと早く気づけよっ!」ってツッコミたくなる。それでも最後はホロリときちゃうんだよなぁ。
 ちょっと尺が長いのも気になるけれど、これは確実にシリーズの最高傑作なんじゃないですか。


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五十嵐貴久「安政五年の大脱走」を読む(07.6.1)

 結末はわかっている・・・いや、想像できている。井伊直弼に拘留されている南津和野藩の藩士達と美幸姫の脱走劇だ。史実からして逃げてくれるに違いない。問題はいかにして逃げるかだ。その過程こそがこの物語の肝なのだ。
 肝だけに過程について書いてしまうわけにはいかない。でも、面白かったことに間違いはない。作者の想像力と仕掛けの散らし方には恐れ入るとしか書き様がない。巧いっ!
 あの名画『大脱走』の影が見える気もするけど、それをも逆手にとった物語の展開にはワクワクさせられっぱなし。
 なんか書く言葉が少ないんだけど、あまり書いてしまうと先入観やネタバレにつながりそうなので、この辺でご勘弁を。
 幕末ながらも勤皇の志士も新選組も坂本龍馬も出てこない冒険活劇。面白いでよ。


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「パイレーツ・オブ・カリビアン〜ワールド・エンド」を観る(07.5.28)

 待ってたぞ、キャプテン・ジャックス・パロウ!君が大ダコに食われて死んじまうようなタマじゃないことはわかっていたさ。第2弾公開時に第3弾の製作が決まっていたから。いやいや、君はぼくの分身みたいなもんだから。
 しか〜しだ。そんなジャックの丁々発止が今回はちょっと薄れてはいないか?あのいい加減ながらも難題をクリアするたくましさが弱くなっていないか?それもこれも、海賊(パイレーツ)として一皮向けたエリザベスとターナーのせい・・・。これまでジャックに振り回されていた二人が、こともあろうにジャックを振り回す。まぁ、エリザベスとジャックにはすでにキッスの罠があったけど。ジャックのための映画と思っていたのが、しっかりエリザベス&ターナーの成長物語にもなっていた。個人的にはジャックだけの物語でもいいんだけど、やっぱりエリザベスの可憐さは外せないし・・・。ターナーはねぇ。
 物語はちょっと難しかったなぁ。面白かったけど、全3作(2&3でも可)ぶっ通しで観たい気分。
 エンドロールの後まできちんと観ましょう・・・なんだけど、観るとまた迷いが生じるんだよね。終わりの始まりなのか、始まりの終わりなのか・・・。やっぱり難しいなぁ。
 ぼくみたいな自称ジャックにとってはジャックの大暴れを期待していただけに今ひとつ感はぬぐえないけれど、キースの渋さとギターテクも観れたので、映画全体としては満足かな。でもやっぱりジャックが・・・。


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TEAM NACS ふるさと公演
「HONOR〜守り続けた痛みと共に」を観る(07.5.12)

 TEAM NACSもいよいよメジャーになり、各人の活動も全国区となってきた。ふるさとを離れ、活動の場を広げる彼らにとって、ふるさと・北海道はどのようなウェイトを占めているのだろうか・・・。そんな面々のふるさとに込めた想いが詰まった芝居。勝手にそんなことを思いながら、今回の公演を観劇した。
 北海道の架空の田舎・恵織村を舞台とした、昭和初期から未来(50年後)へと続く大河ドラマ。過去と未来と昨日と今日を行ったり来たりしながら、恵織村に伝わる御神木・HONORの木や祭り・太鼓についての物語が展開される。そのスケールの大きさに「5人で大丈夫?」と心配になったりもしたけれど、きっちりと見せてくれたのはさすが。5人の特徴を存分に生かした配役(安顕以外は一人数役)は、長年連れ添ってきた彼らならではのチョイスとあてがきなんだろうなぁ。逆に一人だけ同じ役を演じ続けた安顕の存在感も際立っていた。
 笑わせるパートと観せるパートと泣かせるパートがくっきりと分かれているため、『ふるさと愛』がちょっと押し付けがましく思えるところもあるけれど、時空が交錯することにより単調にならないような工夫がされていて、とても楽しく観ることができた。前作よりも腕を上げたね、リーダー。
 それよりなにより、目を見張ったのは舞台装置と舞台効果。全国区となり、glicoという冠スポンサーを得たことにより、潤沢な資金と技術を手にすることができたんだろうなぁ。前2作とは比べものにならないほど洗練され、芝居を一層盛り上げている。またまた腕を上げたね、リーダー。
 次に5人が集まる芝居はいつ観ることができるだろうか。活動の場を広げることにより、これまで以上に集まる時間が制限されるだろう。そうか・・・、今気付いた。彼らにとって恵織村っていうのは、北海道という地理的・出身地的なふるさとではなく、TEAM NACSそのものなんだな。いつまでも大切にしたい場所。
 なんか彼らの想っている仲間の存在がうらやましく思えてきたぞ。


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日渡早紀「ボクを包む月の光−ぼく地球 次世代編−」@〜Cを読む(07.5.5)

 昔夢中になって読んだ『ぼくの地球を守って』に続編があったなんて・・・。読まねば・・・。都合のいいことに、GWで時間はたっぷりある。しかも、安上がりで時間を過ごせる。そんなこともあって、『ぼく地球』〜『ボク月』の一気読みを敢行したのだ。ここでは続編となる『ボク月』の感想を書き綴るのだ。
 まず、絵柄が変っていたのにビックリ。『ぼく地球』のことのソフトタッチからシャープな線に変わり、キャラの輪郭や目もくっきりスッキリに。少女マンガの流れに日渡早紀も乗っていたんだなぁ。そんな絵のCOOL化に逆行するかのように、物語はほんわかマイルドになったかな。
 輪とありすの子供で7歳の蓮が主人公で、蓮の目を通した両親や友達の物語で、『ぼく地球』の前世がミステリアスではなく前提として存在しているから、物語全体が柔和になっている。蓮を見守っているのは木蓮と紫苑だけではなく、作者や読者もみんな温かい目で見守っているって感じ。ほぼ1話完結の筋立てもマイルドの一翼を担っているのかな。
 バブル期に連載された『ぼく地球』がスリリングなのに対し、平成不況期に連載されている『ボク月』が癒し系なのって、日本文化の流れに沿ってるよね。絵柄といい、構成といい、臨機応変に時代を反映することができるのが、日渡早紀というマンガ家の持ち味なんだろうなぁ。
 昼間WOWOWで放映していた『Mr.インクレディブル』に通じるものがあるよな・・・と勝手に思ったりして。
 心温まる楽しいマンガだけど、読む前には『ぼくの地球を守って』を把握しておくことをお薦めします。


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「サンダーバード イン ジャパン」を観る(07.5.4)

 こんな催しが行われていたなんて、全然知らなかった。『サンダーバード』だなんて・・・。『スター・ウォーズ』や『ガンダム』が展覧会になっているんだもん、それらの本流ともいえる『サンダーバード』だってね。
 でも、正直かなり残念だったかな。タイトルである『サンダーバード イン ジャパン』に偽りはなかった。というより、そのもの。『サンダーバード』の日本における発展というか、日本での副産物の紹介というか。当時のマペットなんかが展示されているのではと期待していただけに、肝心のところがパネルになっていたのには残念。でも、『サンダーバード』のサブカルチャーを観ることができて、それはそれで楽しかったかな。
 ぼくも2号のリモコン玩具持っていたんだよなぁ。懐かしいなぁ。

ペネロープの衣装です


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「ラブソングができるまで」を観る(07.5.3)

 ぼくの周りでこの映画の評判が非常に高い。普段ラブコメなんて観そうもないヤツまで褒めている。これは観るしかないではないか。ってことで、観ちまったよ。
 みんなが褒めるのがわかった。だってかわいいもん、コーラ。かわいい上にエロいし・・・って、そこじゃないよね。わかってる、わかってる。
 このHPにも何度か書いたけど、まさにぼくらの世代映画っていうのかな。主人公アレックススは80年代後半に一世を風靡したPOPSグループ(その名もズバリ『POP』)のメンバーにして、今や「あの人は今?」的ミュージシャン。その設定だけでツボなのに、映画冒頭からPOPの往年のヒット曲のプロモビデオだもん。これがまさに『ベストヒットUSA』とか『MTV』を観ているようで、今にも小林克也とピーター・バラカンが出てきそうで、それだけで涙モノ。おヒュー(ヒュー・グラント)が見事に往年のスターになりきってるんだよね。「そういえばワム!の片割れっておヒュー?」ってくらいに。
 物語の端々に登場するデビー・ギブソンやREOスピードワゴンなどなど、往年のPOPスターに懐かしさを覚え、Frankie Goes To Hollywoodの『リラックス』がキーワードになっているところにニヤついてしまう。海外でもぼくらの時代が根付いているのかな。
 STORYはありがちなラブコメなんだけど、時代を共有しているということで、ともかく楽しい映画だった。
 最後に一言。コーラを演じたヘイリー・ベネットはやっぱりかわいいよ。


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五十嵐貴久「交渉人」を読む(07.4.22)

 長旅のお供に読んでいたせいもあるけど、めちゃくちゃ短時間で一気に読み切った。それほど面白い物語だ。
 立て籠もり犯と交渉人の人命をかけた緊迫の駆け引き。警視庁のエースが繰り出す言葉と巧みな誘導術には、読んでるこっちも乗せられてしまう。交渉人のイロハから作戦の解説まで、読者の痒いところに手を差し伸べ、物語に引き込む。プロローグを除いて、ほとんどが夜半から早朝にかけての連続した出来事という構成が、臨場感を与えている。ほんと面白い。
 起承転結の転はあまりにも鮮やかで、読んでいてあっけに取られてしまったほど。推理的には比較的容易いかもしれないけれど、考えるよりは展開を楽しむ種類の小説となっている。とにかくテンポのよさにあおられるように読むことができたもんなぁ。
 巧みに仕掛けられた頭脳戦。ぜひ一度お試しあれ。


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「コンフィダント・絆」を観る(07.4.20)

 三谷幸喜が同い年の役者四人のために書いた戯曲は、同じ時代・同じ場所に集いし画家才能あるたちの、輝かしい一瞬を切りとった素敵な作品だった。それはバックボーンは違えども共鳴する四人の役者そのものでもあり、かつてはぼくも堪能したと思う、楽しくも儚い短すぎる一瞬。その一瞬が美しいほど、今となってはせつなくもあるんだよね。
 三谷幸喜の真骨頂といえば、演者へのアテ書きによる戯曲作り。今回はそれが冴えまくっている。中井貴一・生瀬勝久・寺脇康文・相島一之の四人とマドンナ堀内敬子がいなければこの作品は生まれなかっただろうし、彼らの代役は誰にもできやしないだろう。そんな特別な作品なのだ。
 19世紀終わりの巴里。共同でアトリエを借りる若手画家。自分の才能を信じなやらも、互いの才能を認め、時には嫉妬し怯え、いつか陽の当たることを夢見る毎日。酒を飲み、バカ話をし、女を取り合う毎日。その瞬間が長続きしないことをみんな知りながらも、若さゆえにその瞬間に甘えているような。
 選ばれた役者にしか演じることのできない、特別な戯曲だけど、誰もが持ち得た特別な瞬間へのオマージュ。笑って涙して、仲間のことを誇らしく思うことができる素敵な作品だった。


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あさのあつこ「バッテリーY」を読む(07.4.19)

 ついに完結。およそ一年の少年たちの成長を6巻にわけて描かれた物語。その一年を発売を待ちわびて読み続けたので、総ページ数以上に長い物語に感じた。でも、四十になったいま、ぼくが巧や豪と同い年だった頃を思い返せば、1日一年が今よりもすごく長かった。その長さが発刊を待ちわびる長さに相当すると考えればいいのかな。
 回を重ねるごとに少年たちの内面描写が深くなり、それぞれのキャラが立つ。ぼくにとっても懐かしい感情や持ち得なかった感情。あの頃小説を読むように周りを俯瞰して見ることができたなら…。嫌なヤツになってたか。
 結果が知りたいけど、ドカベンと違い、それが主題の物語ではないから、あきらめますか。


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ゴスペラーズ坂ツアー06〜07“セルゲイ”を観る(07.4.17)

 正直、新作アルバムを聴いているわけでもなく、知っているのは有名どころの曲ばかりなんだけど、ゴスペラーズのライブを観た。前回観たゴスペラーズは芝居仕立てでアカペラでのライブだったけど、今回は真っ向勝負のコンサート。熱心なファンではなく、愛聴家でもないけど、彼らの音楽は好きなのだ。急遽行くことが決まったため、予習もできなかったけど、結論から書くと知識に乏しくても十二分に楽しめるライブだった。初めて聴く曲だろうと、良いものは良い。きちんと胸を震わせるものなんだなぁ。
 そんなぼくだから、彼らの音楽の解説なんぞできっこないし、通の人が読んだら鼻で笑われるようなことしかかけそうにもないので、ここはあえてぼく目線のステージの楽しみ方をご紹介するのだ。
 まずはなんといっても北山くんの踊りっぷり。キレている。動作の止めがきっちりして、動作が流れないのだ。安岡くんのエロ系ダンス、リーダーの気だるいダンスと並ぶと、そのコントランスに思わずぷぷぷ。なによりも立ち姿すべてにきっちり腰が入っていて、その姿勢が『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザインを担当した安彦良和氏が得意とする立ちポーズ・安彦腰(やすひ腰…腰が前方に出て全体的にS字ラインを形成するポーズ)と見まごうほど。安彦氏にはぜひ北山くんのイラストを描いて欲しい!
 終盤に観客を3分しコーラスをさせ、それに乗せて歌うという曲があり、大半を占める女性に負けじとぼくも声を出したんだけど、そのコーラスにリーダーの歌声が乗ったとき、『決戦は金曜日?』と思ってしまった。当然違う曲なんだけど(曲名はわからない)、「このコーラス『決戦は金曜日』でも使えるなぁ」と心で歌っていたりして。サプライズネタで使えないかなぁ。
 ゴスペラーズをメジャーにしたといっても過言でない名曲『永遠に』が「おやっ?」と思うほど唐突に歌われる。彼らのライブ経験が浅いぼくとしてはもっと引っ張って盛り上げてからかと思っていたので、結構肩透かしだったりして。それでもサビでは背筋から首筋に震えが走った。やっぱり名曲だ。でも、この名曲に頼らないという彼らの意思も感じることができたりして。
 他にもいっぱい書きたいことはあるんだけれど、とりあえずはこの辺で。彼らの音楽に好意を抱く人なら誰でも楽しめる、見どころ満載のライブだったということが少しでも伝われば幸いです。
 そうそう、『セルゲイ』と聞くと格闘技好きのぼくとしては“ロシア軍最強の男”セルゲイ・ハリトーノフを思い浮かべるんだけど、関係あるのかなぁ。


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「大帝の剣」を観る(07.4.15)

 娯楽じゃのぉ〜。夢枕獏の歴史スペクタクル小説を堤幸彦が映画化。娯楽のプロが作った娯楽大作。いやいや、楽しい映画になっておりました。
 とにもかくにも阿部寛。彼の存在感と怪演は観るものを圧倒する。万源九郎そのものといった感じか。それがまぁ、カッコいいのよ。ぼくの中ではジャック・スパロウ船長野獣郎と同類の、おバカそうに見えてやるときはビシっと決めてくれるヒーローなのだ。
 阿部寛に限らず、猿飛佐助を演じる宮藤官九郎、舞姫の長谷川京子、出演者みんながいい演技している。娯楽映画であることを理解し、娯楽の一部になることに全精力を注いでいる。この一致団結さが映画を一層面白くしている。個人的には大倉孝二がよかったなぁ。とにかく笑えた。彼の持つ雰囲気や動きが、ぼくのツボをくすぐる。結構入っていたお客さんも、彼の動きに一番笑ってたよなぁ。
 要するに面白い映画で、壮大なスケールと製作費を費やした娯楽巨編なのだ。豊臣の残党も徳川も宇宙人も、なにも気にせずに楽しめばそれでいい。なにも考えないで楽しむべき映画なのだ。後に残るものは爽快感だけの潔い1本ということで。


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「SMILE〜人が人を愛する旅〜」を観る(07.4.10)

 ぼくは東京スカパラダイスオーケストラが好きだ。このHPでも4度Live報告しているほど。でも、このところ「Liveに行くぞ!」という気持ちが弱くなっている。彼らの発するエネルギーに、それに応えるべく踊り狂う聴衆のエネルギーに体力的についていけない・・・。歳だから。それともう一つ。これも何度か書いたと思うけど、彼らが持っていた『大人の遊び』が陰を潜め、直球一本勝負になったから。
 「SMILE〜人が人を愛する旅〜」は日本各地・アジア・ヨーロッパを駆け回るスカパラの150日を追ったロードムービーだ。映画なら体力を使うことも無いだろうし、等身大の、ぼくとほぼ同年代(平均年齢40歳)の彼らの姿を観ることができるだろう。そんな想いで映画館に行った。
 詳しくは書かないが、この映画に彼らの気持ちがこめられていたと思う。揃いのスーツではないスカパラの面々。Liveでは聞くことのできないナマの声。見ることのできない表情。ぼくの疑問に冷牟田氏が答えてもくれている。そうか、そうだったのか・・・。またひとつスカパラのことが理解できたかな。
 でもやっぱり、『大人の遊び』もやって欲しい。40代限定ライブとか開いてくれないかなぁ。
 150日を追い続けた映画だけに、全編スカパラの楽曲が流れ、Liveの映像も随所に見られる。それが楽しみの一つなんだけど、その映像がかなり揺れているうえに、寄り・引きを乱雑に繰り返すため、映像に酔ってしまう。おかげでかなり気分が悪くなってしまった。カメラ1台で追っているため、メリハリをつけ臨場感を持たすための手法なんだろうけど、ちょっとなぁ。それがとても残念だったかな。えっ、それも歳のせい?
 スカパラ好き以外の方に楽しめるかどうかはわからないけれど、スカパラを知る一つの手段になれば、それもまたいいんだろうなぁ。


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山口智充全国ツアー
〜GUSSAN HAPPY ENTERTAINMENT SHOW 2007〜を観る(07.4.6)

 『僕たちの世代』なんだと思う。30代後半から40代前半。'70sアニメを愛し、'80s&'90sロック・ポップスに夢中になった世代。つい食玩を買ってしまい、日曜日の夕方に『NISSAN あ、安部礼司〜BEYOND THE AVERAGE』を聞いてしまうような。山口智充は間違いなくそんな『僕たちの世代』のひとりだった。
 お茶の間の人気者・山口智充の全国ツアー、面白かった。自慢するわけではないが、前から2列目のほぼ中央。ぐっさんの表情はおろか、滴る汗すらハッキリ見える好ポジションでそのコアな芸を堪能できたのだ。これはもう幸せの一言に尽きる。
 ぐっさんの芸の源は『僕たちの世代』そのものだ。物まねする著名人は'80sを彩った人が多く、大御所の物まねはものまね四天王(栗田貫一、清水アキラ、コロッケ、ビージーフォー)の流れをくんでいたりする。今どきの人は誰もいない。そんなキャラたちが唄う歌の多くが’70sのアニメソング。今どきの若者はわかるのか?と心配になるけど、場内ドッカンドッカン。ぼくなんか笑いと懐かしさで涙モノ。
 当然、ちょっと古めの物まねばかりではない。お馴染みのマニアック物まねやぐっさんの書とお言葉を楽しめるコーナー、見た目とウラ腹なおにいさん、ゴミとセッションなどなど、ぐっさんのセンスがあふれる内容。お腹いっぱいになる。
 ぐっさんの笑いの半分以上は先日観たラーメンズの目指す普遍的な笑いと異なり、既成の芸能をベースとしたモノである。老若男女・満員御礼の客席が大いに笑うのは、当然ぐっさんのセンスや人柄によるところが大きいのだが、『僕たちの世代』が一つの文化として認められたということでもあるのかな。


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福田栄一「A HAPPY LUCKY MAN」を読む(07.4.4)

 本著はぼくのとても好きな分野の小説である。なにより青春小説なのがまずうれしい。どちらかと言うと都会に住みながらも遊びなれしていない主人公・幸也の人柄がとても好感持てる。そんな彼が損得抜きで他人のために東奔西走する姿は、素直に応援したくなる。そんな彼を嘲笑うかのように、無理難題が次々と彼に襲い掛かる。果たして彼はそれらの難問をクリアすることができるのか?提出期限1週間のレポートは無事書きあがるのか?
 ちょっぴりのミステリーを含んだ上質なシチュエーションコメディだ。メイン舞台は東雲学生寮というボロい県人寮で、難問の主の多くはこの寮生なんだけど、ひと癖もふた癖もある寮生たちが適材適所に笑いを振りまく。ぼくが当事者なら「たまらんっ!」と怒ってしまいそうなんだけど、面倒見の良い幸也は振り回されることすら楽しんでいるような・・・。マドンナ的存在(寮生たちなので複数)に各人胸を躍らせ、ライバル的存在(寮生たちなので複数)に各人鼻息を荒げ、オトナの良い面とイヤな面を感じ成長する彼らを、自分の過去のことみたいに読むことができる。笑って、ハラハラして、ホッとする。波乱に満ちた7日間、ぜひお試しあれ。


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ラーメンズ「TEXT」を観る(07.3.31)

 そうか・・・、これが生ラーメンズなのか。売り切れ必至のプレミアチケットといわれるラーメンズのライブ、初めて観に行ったけど、面白さと場内の熱気に思いっきりやられたなぁ。小林賢太郎プロデュースの芝居の時も同じ感じだった。ラーメンズという存在が既に客をウォーミングアップさせてるのかな。
 その分を差し引いても、面白いライブだった。上手いんだよね、作り方が。ネタの大半が言葉遊び。会話から生まれる笑いに二人の仕草・表情が加わって、面白さが倍加していく。間ですら計算の一つなのだろう。場の雰囲気やスピードで流れることのない根幹がある。熱狂的な観客(ファン)の過剰(?)な反応にも踊らされることなく、面白さが維持される。ネタや構成・演出に絶対的な自信を持っているんだろうなぁ。現に面白いんだから、参りましたの一言だよね。
 あと、ネタに時事モノがほとんど無いのがすごいと思った。「ソリューション」と言った時代の言葉は出てくるけれど、一過性の時事ネタに頼った歳月によって風化する笑いではなく、普遍的に通用するようなネタを作っているところが、物凄く共感持てた。そこが小林賢太郎プロデュースの芝居との一番の差かな。
 途中で小林賢太郎が膝を痛め、右足を引きずりながら熱演するハプニングがあり、痛々しい場面も見られたけど、ネタの強さ・確かさが彼らを支えていた。うむ、うむ。熱狂的ファンの大爆笑と拍手に邪魔されずに、じっくりあのネタを見直したいなぁ。


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「アンフェア the movie」を観る(07.3.23)

 先週月曜から土曜まで再放送していたドラマ版『アンフェア』とそのSP。劇場版公開にあわせたフジ系列の姑息な手段とわかりつつも、毎日録画して観てしまった。SPは映画へのつなぎを意識した思わせぶりが鼻についたけど、ドラマ版は十分面白いではないか。さすが本格的ミステリーの原作がある作品だ。フジ系列に踊らされていると解っていながらも、劇場版も観ずにはいられない状態に。さて、どんなアンフェアが待ち受けているのやら。
【ネタバレ注意!】…気をつけて書いてますが、ネタバレにつながる文章もあるかもしれません。読むか読まないかの判断はご自分でお願いします。
 これはドラマ版の『アンフェア』とは別モノだと考えれば、それはそれで面白い映画だった。登場人物は同じで、裏切りや裏ガネはドラマ版・SPを引き継いでいるけれど、推理小説のテイストや心理描写にドラマ版の濃密さは見られず、アクションの要素に重きを置いたと考えればいいのだ。雪平版『ダイ・ハード』だと考えれば・・・。それにもちょっと無理があるだろうけど。
 そもそも雪平が別人格なんだから困ってしまう。ドラマ版ではCOOLでアンフェアを憎む女刑事が、娘の誘拐に動揺し翻弄されながらもフェアを貫こうと葛藤する姿が格好よかったのに、劇場版ではただの情緒不安定なキャリア・ママにしか見えないのだ。最初と最後だけ体裁を保っているみたいで。
 映画化となると製作費がど〜んと上がるから、手っ取り早くドンパチに頼ってしまうのかなぁ。人間の内面をじっくり描くのが『アンフェア』の面白いところなんだけどね。
 キツイこと描いているかもしれないけれど、あくまでドラマ版と比較しての評価ね。娯楽作品としては十分普通に楽しめたよ。
 個人的には江口洋介がカッコよかった。いい役者になったよなぁ。篠原涼子は脚本・演出のためか魅力が半減。気持ちは既に雪平夏見から大前春子に移っていたのかな?
 『つづく』見たいな終わり方だけど、深追いは禁物かな。
 最後にぼくのイチ押しシーンを。それはずぶ濡れになりながら病院に潜入する雪平夏見さ。濡れ透けブラウス大好きのぼくにはたまりませんぞ、あのシーンは・・・。


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「ナイトミュージアム」を観る(07.3.19)

 とにかく楽しめる、良質なコメディ映画だ。屈託ない笑いが漏れてしまうような。博物館版トイ・ストーリーなんだけど、主人公の冴えない父親と展示物たちが友好関係にないところが面白い。何事にも投げやりな主人公が、息子を前に奮起するというありきたりな動機で奮戦するんだけど、そのチープさが設定にピッタリでまた面白い。
 なんだろう。めちゃくちゃ金がかかっているんだろうけど、「よくぞこんなに金かけた」と感心してしまうくらいなんだよね。すごい心意気とでも言おうか。笑いのためにそこまでできる素晴らしさに、ただただ感動。
 欲を言えばもう少し掘り下げて物語を作ってくれればと、もったいない部分も多くあるんだけど、金が足りなかったのかなぁ。上映時間が長くなれば、実入りもそれだけ減ってしまうし。そんなところも含めて、この作品は面白いのだ。
 往年のサタデー・ナイト・ライブの延長というか、ジョン・ランディス作品というか、ハリウッドのコメディの底力・・・というか、力の抜き方に笑ってください。


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姫野カオルコ「ツ、イ、ラ、ク」を読む(07.3.19)

 文庫本化を熱望していた姫野カオルコの「ツ、イ、ラ、ク」。女子中学生と若い教師の禁断の恋ということは知っていたんだけど、これほどまでにすごい作品だとは思わなかった。そして、姫野カオルコの眼の良さ、敏感さを改めて感じた作品だ。
 物語は小学2年生の仲良しグループから始まる。仲良しというよりは仲良しに見られるように努力する『サロン』から。そこには一般的に言われるような子供らしさは欠片もなく、大人のような打算が渦巻いている。ぼくはそんな子供だったろうか・・・。残念ながら覚えていないけど、子供は確かに子供社会の中で打算を覚え、媚びたり取り繕うことを覚える。性に目覚め、異性を強く意識する。そして・・・。
 主人公・隼子と教師・河村の関係は恋とか愛というものだったのだろうか。読んでいるときはわからなかった。中学生時代のぼくは奥手なお子ちゃまで、隼子の同級生でいうなら坂口のような子供だったので、隼子目線からは考えようがない。では、河村目線では?ぼくは女子中学生に恋愛感情が抱けるだろうか?おそらく個人差はあるだろうけど、概ねNOかな。性的欲望を抱くことは?欲望というのかはわからないけど、どのような反応を示すのかを見たいという気持ちは正直ある。こう書くと、いたいけな女の子にいたずらをしたがっている変態に思われてしまうかもしれない。そんなことじゃないんだ。上手く伝えられない。ああ、なにを書いてるんだ?ぼくは・・・。
 そして性描写。それはまるで夢枕獏の格闘小説における戦いのシーンかのように、一途でひたむきで真っ直ぐで一心不乱で、息をつかせる暇もない。それが覚えたてのやりたいだけのサルのようで、愛や恋といった感情の介在を鈍らせている。それにしても、こんなにもストレートな描写、照れてしまってぼくには書けやしない。地下鉄の車内で読んでいるときでさえ、周囲の目が気になって気になって。とても女性の文章とは思えない。すごいなぁ。
 禁断の恋は禁断が故の結末を迎え、時が流れていく。そしてそれが恋だったのか、愛だったのか、性欲だったのか・・・。
 この作品を読むことにより未知の世界に触れたような気分だった。いや、正確には知らない世界ではない。ぼくがそこそこ大人になって知った感情を、子供だって持っていたということを。それは誰に教わるでもなく、子供が感じ取って知った感情であることを。きっとぼくのような純朴な中学生でなかった人も、深くは意識していなかったような感情なのではないか。
 なんだろうか、姫野カオルコの作品を読むと、眼からウロコなんだよね。「やられた」感がいっぱいなのよ。バッサリ斬られた感じです。


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KOKAMI@network「僕たちの好きだった革命」を観る(07.3.17)

 1969年の学園闘争で意識を失った高校生が、30年ぶりに意識を取り戻て高校に復学し、止まった時間を取り戻すべく奮闘する。でも、彼が生きた学生が最も熱かった激動の時代と30年後のギャップは激しく、彼の想いは当然の如くカラ回りするばかり。そんな中、学生が主体となった自由な文化祭を開催すべく、同士を募り闘争を始めた彼は、止まった30年の時間を取り戻すことができるのだろうか・・・。そんな温故知新のような物語。
 それは熱かった時代へのオマージュなのか、しらけた世代へのアンチテーゼなのか。主役の元(?)学生闘士を学生運動終焉後に一世を風靡した学園ドラマの教師役で時代を築いた中村雅俊が演じる不可解なおもしろさ。かつて中村雅俊が演じたような、生徒と真剣に向き合う教師のいない現代の学校。狙っているのか?鴻上尚史。
 30年前にも30年後にもかぶっていないぼくとしては、どちらにも肩入れできない宙ぶらりんな気持ちでこの芝居を観ていた。要所要所の面白さはさすが鴻上と思えたけれど、学生運動や全共闘をテーマにした舞台の持つ湿り具合がどうも苦手で。かなりオブラートに包まれてはいたけれど、鴻上自身学生運動と接点はなかったというけれど、漂うんだな、あの空気が。
 ぼくにはちょっときついところがあったけど、かつての闘士世代が、若い人たちが生きるテーマを探すきっかけになるような芝居になったのかな。なればいいんだろうなぁ。
 個人的には前回公演の『恋愛戯曲』の方が断然よかったなぁ。


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東京乾電池「長屋紳士録」を観る(07.3.11)

 柄本明率いる東京乾電池が昭和の巨匠・小津安二郎の世界を舞台化した。『長屋紳士録』。正確には『長屋紳士録』のほか、5本の映画のエピソードを紡いだ舞台だそうだ(柄本明・談)。
 まさしく小津安二郎の世界だった。あのおっとりとした雰囲気と、抑揚の少ない台詞回し。それだけで戦後間もない風景を思い浮かべることができる。小津マジック。しかしながら、そんな小津マジックに飲まれることなく、東京乾電池の色がしっかり出ている人情噺になっている。
 なにより構成が上手かった。シチュエーションが次々と変る、目まぐるしい構成なんだけど、ひとつひとつが4コママンガのような作りになっており、それぞれにオチがつくので、定期的に笑える演出なのだ。それでいて話はつながっていて、最後にはホロリとくる。とても上質な舞台なのだ。
 抑揚が少ない分、仕草や表情で感情を表現せねばならないので、役者は相当大変だっただろう。角替和代の喜怒哀楽の表現方法はお見事の一言。上手すぎよね。
 東京乾電池関連ではこれまで柄本明の一人芝居柄本明&若い娘2人の芝居といった少人数の舞台しか観たことがなかったので、東京乾電池があんな大所帯とは思わなかった。
 今回の会場はサンピアザ劇場というぼくの地元の劇場で、子供の頃に数回東映マンガ祭りを観た記憶があるんだけど、ここ数年はお芝居を積極的に招致・上演しているらしい。舞台が狭いので大掛かりなセットは組めないけれど、若手劇団の修行や実験的な芝居には向いているんじゃないかな。ただ、座席はかれこれ30年モノだろうから、取り替えてほしいなぁ。
 古き良き時代(ぼくは体験していないけれど)をほのぼのと楽しめた舞台でした。


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「バブルへGO!!タイムマシンはドラム式」を観る(07.3.7)

 さすがホイチョイ。毒にも薬にもならないけれど、最高に面白い映画だぞ。バブル世代の若者文化をリードしたホイチョイの、セルフカバーのような作品。懐かしさと滑稽さが入り混じって、笑うしかないって。
 広末演じる真弓が母親救出のために向った1990年3月、ぼくは北国の鉄冷えの町の工業大学を卒業した。劇団ひとり演じる田島と同じ歳なのだ。残念ながら不景気の町で女子もいなかったので、映画のような卒業パーティや財力はなかったけれど。そして3月31日に上京。仕事に終われる日々が続いたけれど、金回りはかなりよく、銀座とか行ってたもんなぁ。あのバカデカい携帯電話も持ってたし(会社名義だけどね)。
 今思えば貯金しておけばよかったなんて考えたりもするけれど、楽しかったからいいか。もう一度あの時代に戻れたら・・・。そんな気分にさせてくれる映画なのよ。この感覚はバブル世代にしかわからないんだろうなぁ。若い子には「やだ、うける〜」くらいで。
 阿部寛の怪演もさることながら、やっぱり広末涼子のコメディエンヌに釘付けさ。なんだかんだ言ってもぼくは彼女のファンなんだな。デビュー当時の写真集持ってるし、CDもビデオも持ってるし。一時離れた時間があったけど、やっぱり彼女はかわいいや。競泳水着姿なんて・・・。
 40代前半は必見の映画でしょう。


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「どろろ」を観る(07.3.3)

 東洋風の架空の国(決して日本ではない)が舞台。程よく日本・中国・韓国が融合し、西洋様式がスパイスされるセピア色の世界。昔なのか未来なのかわからない設定。『どろろ』の雰囲気が上手く出ていたなぁ。この手法、『CASSHERN』にも通じるものがあるんだけど、日本の名作アニメの映画化の定番になるかも。
 正直面白かったけど、不満の残る作品だった。それだけぼくの『どろろ』に対する思い入れが強いんだろうけど。
 手塚治虫ってやっぱり凄いのだ。昔の子供の順応力を読みきっていたんだろうなぁ。ぼくが『どろろ』を読んだのは大学生の頃。すでに古き名作マンガの域に達していたわけだけど、あの世界観にみるみる引き込まれたものだ。多少の理不尽なことなど、昔の子供は許容できたんだよね。科学の進歩や情報伝達の効率化で、良くも悪くも『素直に受け入れる』という行為ができない子供が多くなったのかな。映画を観て、そんな風に感じた。もっとはしょってもいいところがあるじゃない。そこにそんな時間を使うくらいなら、もっと話を膨らませるところがあるじゃない。観るものの素直さをもう少し信用すれば、長い上映時間がもう少しタイトになっただろうし、内容も・・・。少し残念。
 『どろろ』は今後2作を製作し、3部作になるんだとか。当然3作目は『王の帰還』になるんでしょ?ってことは、『SW』ひいては『指輪物語』・・・。世界各国で上映が決まっているらしいので、手塚治虫の世界観が単なる二番煎じ、三番煎じと思われないような作品に進化してくれることを切に願うのである。


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楡周平「フェイク」を読む(07.2.26)

 『白熱する頭脳ゲーム 最後に笑うのは誰だ!?』。帯に書かれたその言葉で、思わず購入を決意した一冊。コン・ゲーム好きのぼくにとって、購買意欲をそそる言葉だ。
 ところがこの小説、コン・ゲームが始まるに至るフリが長いのだ。どこまで読んでもまだ始まらない。ホントに白熱のゲームがスタートするの?って疑いたくなるほど。でも、そのフリが面白いのだ。そして、そのフリがきちんと仕掛けになっていて、後々に効いてくる。ああ風呂敷を敷いておいて、きちっと畳んでみせているのだ。上手い。
 白熱の方向がぼくの予想したものと異なっていたけど、それもまた新たな読ませ方ということで、面白いではないか。
 主人公が冴えない若者という設定で、彼が浮かれていないところに・・・いや、浮かれるんだけど足元を見直す心を持っているところに魅かれるのかな。冴えなさを自分にダブらせたりしてね。
 銀座を舞台にしたコン・ゲーム。銀座の掟や風俗を知る上でも面白い一冊。


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「ドリームガールズ」を観る(07.2.19)

 腰が浮いていた。大きく手を打ち合わせたいという強い衝動にかられた。でも、SHYな日本人のぼくには映画館でスタンディング・オベーションをする勇気は持ち合せていなかった。しかも、試写会や映画祭みたいに出演者やスタッフが同席しているわけでもない状況では特に。そんなぼくでも、確かに腰が浮いたんだ。上映中は四六時中スウィングしていたに違いない。濃密な音と感情がスクリーンから溢れてくる。凄すぎる。とてつもなく凄く、そして面白い映画だ。
 ストレート・プレイをはるかに凌ぐ時間と量の楽曲が、物語を巧みに紡いでいる。時にはプロモ・ビデオ風の小気味良いテンポだったり、時にはねっとりとした重厚な演出で。楽しみながらも圧倒される。映画ならではの華やかさと陰の演出。モータウン全盛の彩りと翳り。
 もともとはブロードウェイのミュージカルだったとか。そっちも観たい。映画のような多面さはなく、言葉が通じないかもしれないけれど、ナマ音を浴びてみたい。きっと凄いんだろうなぁ。
 シュープリームスがモデルの物語だそうで。ダイアナ・ロスがディーナだとか。どこまでがホントとかなにがどうだとか、どうでもいいくらいSTORYが確立されていて、とっつきとしては実在の人物は手段かもしれないけれど、正直どうでもいいです。あのガキんちょが将来何度も整形し、ネバーランドを建設したやつになるだとか。
 とにかく浸っていたい映画。早速サントラ購入しちゃったよ。聴き応えたっぷり。今も聴きながら文章書いている。これらのメロディが当分離れそうにないんだな、これが。
 絶対おすすめの一本。でも、主演はビヨンセではないと思うなぁ。


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江國香織「東京タワー」を読む(07.2.13)

 文藝作品にとって最大の敵は技術の進歩かもしれない。『東京タワー』は6年前の恋愛小説なんだけど、ハイティーンと大人の女性の恋を主題にしているわりに、登場するハイティーン像は今やいない存在なのだ。なにもこの小説に限ったことではない。『今』を切り取った小説の退化のスピードは年々速くなっていると思う。最近復活を成し遂げた日本映画も好調を支えているのは、時代劇やノスタルジーを漂わせるものが多い。ホイチョイなんてセルフカヴァーみたいにバブルを題材にしてるし。あの頃は・・・という背景的な安定感がなければ、名作は生まれにくいのか。
 『東京タワー』と聞いて思い出すのは・・・小沢健二。いい曲多かったよなぁ。でも、時代のスピードに流れてしまっている感が大きい今日この頃。所詮人々は時代に翻弄されてしまう生きものだということなのかな。
 さて、今作『東京タワー』なんだけど、その時代を、その感情を既に通り過ぎてしまったハイティーンの先輩として、「あぁ、そんな感じ、そんな感じ」としか思えなかった。そんな時期もあるよ、そんな恋もあるよ。それ以上の感情をもてなかったのは時代のせいか、ぼくがおじさんになりすぎたためか。


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「それでもボクはやってない」を観る(07.2.10)

 ぼくは電車に乗ると片手でつり革をにぎり、もう片方で文庫本を持つ。始発駅から乗車するし、都心のような満員電車はまずないんだけど、やはり誤解されないように予防はしている。やましいことはないし、卑劣な気持ちも持ち合わせてはいないのだけれどね。
 この映画を観て一番強く思ったのは、本人の気持ち以上に周りの信頼と理解が大切なんだということ。うちの家族はぼくが冤罪で捕まったとき、最後まで信じてくれるだろうか?友人たちは背を向けたりしないだろうか?「やっぱり・・・」と言いはしないだろうか?部屋に積まれたエロ本とエロDVDを早く処分しなくては・・・。
 この映画を観ての感想は男女差があるんだろうなぁ。一握りの不埒な輩の卑劣な行為なんだろうけど、被害を被っている女性はたくさんいるだろうし、彼女たちから見れば疑わしい行為自体が有罪なのだろうし。
 個人的な勝手なことを言わせていただければ、周防監督に期待していたのは啓蒙映画ではなく、創作力溢れる映画なんだけど。監督としてみれば、一観客の願望なんかより、今自分の撮りたいものに忠実であるべきなんだろうけど。ならば、平成21年度からスタートする裁判員制度まで掘り下げてみれば・・・。
 信頼できる家族や友人がいない方、訴訟費用・保釈金の都合をつけられない方は、日ごろから予防をしましょう。


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「札幌市民会館 最後の日」を観る(07.1.31)

 札幌市民会館が48年の歴史に幕を閉じるという。今の耐震基準を満たしていないそうだ。決して構造計算を誤魔化していたというわけでなく、基準が変ったから。
 ぼくは中坊のころにここのステージに数度上がっている。ここにコンサートを観に来た回数は・・・数知れず。コンマ1秒程度かもしれないけれど、ぼくも札幌市民会館の歴史に関わっているかもしれないと思うと、とても感慨深くなる。おこがましくもあるけれど。
 そんな札幌市民会館の最後の日に、ぼくが好きなアーティスト達が会してライブを行うという。うれしいではないか、楽しみではないか。
 HALL AID BAND(斎藤有太/古田たかし/佐橋佳幸/有賀啓雄/山本拓夫)の演奏と共に、今宵のゲスト達が次々と登場し、3〜4曲プレイしていく。ゲストの紹介の前に、なんとも凄いHALL AID BANDの面々。知る人ぞ知るメンバーが後ろを固めているのだ。楽しいではないか。
 ではゲストを登場順に。
○Leyona ごめんなさい、知りませんでした。でも、彼女の『travellin'man 』、いい曲じゃないですか。
○chara+土屋公平 元スライダースの土屋公平がcharaと・・・。奇妙ながらも絶妙の組み合わせ。『明日にかける橋』のカヴァーなんかもよかったけれど、やっぱり『やさしい気持ち』はグッときます。charaの高音に耳を突きぬかれ、charaのブレスに気持ちがさらわれそうになる。さすが。
○仲井戸"CHABO"麗市 変らない。いつの時代もまるで同じCHABOの容姿と声とギターテク。RCの名曲『いいことばかりはありゃしない』をセルフカヴァーしたり、麗蘭やったり、山崎まさよしとジョイントしたり。カッコいいぞ。
○山崎まさよし CHABOとのジョイントからの流れで4曲ほど。ぼくは彼の曲を有名どころしか知らないので、今日の4曲はどれも知らなかったんだけど、いい曲ばかりだった。
○佐野元春 大御所が・・・、渋すぎるほどカッコいい。『約束の橋』だぞ、『SOMEDAY』だぞ。一緒になって歌っちまった。こんなに会場が盛り上がっているのに、淡々とことを進めする元春。カッコいい。
○奥田民生 いまさら書くこともないでしょ。『素晴らしい日々』は今日の市民会館にとてもふさわしい曲に思えた。民生もまた、カッコいい。
 公式発表はここまで。民生とプレイを終えたCHABOがギターをかき鳴らした。こっ、この曲は・・・。袖から執事を従えてド派手なマントを羽織った男が登場。観客のボルテージが一気に高まる。『トランジスタ・ラジオ』のイントロに、CHABOのギターに乗って登場したのは清志郎ではないかっ!喉頭癌で入院し、活動を休止していた清志郎が、札幌に、市民会館に姿を見せてくれた。そして、歌ってくれた。
 場内割れんばかりの大声援。『トランジスタ・ラジオ』『スローバラード』の大合唱の後は、『雨上がりの夜空に』。少し声がCUTEになったけど、清志郎はやっぱ清志郎だ。会場に集いし人々はおそらくお目当てのアーティストがまちまちだったろうけど、清志郎を前にすると、一体となって盛り上がる。普通のフェスならオーラスに出演者みんなで合唱するほどの格式高い名曲を、全編CHABOのギターで、清志郎のヴォーカルで堪能できた。清志郎、大復活だ!サイコー!気持ちEーっ!
 アンコールはBob Dylanの『I Shall Be Released』をみんなで。清志郎がカヴァーしたことでも有名なあの曲を。市民会館最後の日に、日本を代表するミュージシャンの大復活!なんとも感慨深い夜だことか。
 そうそう、ライブ中に若手画家4人がずっとデカい絵を描いてたんだけど、あの絵はどうするのかなぁ。市民会館跡地に建てられるという会館にぜひ展示してほしいなぁ。今日という素晴らしい夜を、いつまでも語り継ぐために。


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夢枕獏「新・餓狼伝 巻ノ一 秘伝菊式編」を読む(07.1.29)

 いよいよ『餓狼伝シリーズ』に”新”がついてスターとです。でも、タイトルだけで中身はこれまでの続きです。
 獏さんのアンテナの広さ、創作意欲には頭が下がるんだけど、そのどれもが面白いとなれば文句はないようだけど、もっと短いスパンで続刊を出して欲しいのよ。『餓狼伝シリーズ』は初刊からかれこれ20年が経とうとしている。いまや2〜3年に一冊のペースなんだもん、前の話を忘れちゃうよ。『キマイラ・シリーズ』はあまりに続きが遅いので、読むの断念しちゃったもん。『闇狩師』や『陰陽師』のように完結した物語のシリーズならいいけれど、完全に続き物ではさ・・・。
 それでもやはり獏さんは凄い人だよなぁ。読みすすめていけばなんとなく前のSTORYは思い出してくるし、それ以上にワクワク・ドキドキする展開が押し寄せてくる。
 今回の伊達vsマカコ戦なんてすっげー面白いではないか。プロレスラーとしての誇りと強さ。誰もが知りたかったプロレスの真実がそこにあるのだ。うれしいではないか、楽しいではないか。
 つぎは文七の番だ。ジャイアント馬場を髣髴とさせるカイザー武藤とどうやって闘うのか・・・。今から楽しみでしかたがない。獏さん、なるべく早く続きを読ませておくれ。


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ダン・ブラウン「ダ・ヴィンチ・コード-上・中・下」を読む(07.1.19)

  
 読破した・・・。夏に読む予定だったのが、年またぎでの読破。行きつけの飲み屋のご夫婦が、「岡本くん、読まなきゃダメだよ」と言って貸してくれなかったら、映画を観たことに満足して読むこともなくなっていたのかも・・・。大作に挑む後押しをしてくださったご夫婦に感謝。
 面白かったよ。映画を観ていたので筋やネタはわかっていたんだけど、それでも楽しく読みすすめられた。面白いことを力説しても、皆さんご存知でしょうから、殊更書くこともないのかもしれないけれど。
 やっぱり映画との比較になってしまう。上巻の舞台となるルーブル美術館のくだりは、やはり映画の方がわかりやすいと思った。ルーブルに行ったこともなければ、ダ・ヴィンチの作品に詳しいわけでもないから、いくら言葉を尽くした文章であろうとも、イメージが湧いてこない。映画を観ていたから助けられた部分、巻頭の写真があったから納得できることがたくさんあって、「やっぱり小説はつらいなぁ」って思ったもの。ところが、ウェストミンスター寺院のくだりなんかは、文章の方が主観がこもっていてとてもわかりやすい。映像だと流れてしまう部分がしっかりとしたイメージで残るし、フィードバックもできる。結果として、映像が文章を、文章が映像を補完しあって面白さが倍増。また映画が観たくなったのだ。


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「リトル・ミス・サンシャイン」を観る(07.1.6)

 じいちゃん最高っ!
 互いのことを真から理解しようとしない家族が、娘のミスコンテスト出場のために、ワゴン車でカリフォルニアを目指すロードムービー。互いを疎んじ、嫌う一家。その旅路でそれぞれの体裁がはがされ、素が現れたとき、家族は再生するのだろうか?
 年明け騒がれている歯科医家族の殺人事件。その内情はわからないけれど、本作に出てくる勝ち組しか認めようとしない父親がなんかダブっているように見えて。あくまでぼくの想像に過ぎないんだけど。
 体裁という言葉を使ったけど、それは見栄なのかもしれないけど、そんなものに縛られて奔放さを失うことが、子供にとっては一番不幸なことなのかもしれないのかな?残念ながら子供を持っていないので、なんとでも自由に書くことができるんだけどさ。
 家族一人一人の表情が変ってくるのが伝わる作品。閉じられた空間(ワゴン)で長い時間人と向き合うと、良いところを見つけようという意識が働くんだろうなぁ。『あいのり』なんかもまさにそうじゃない。大衆の中にいると見落としたり流してしまうことに向き合うことができる。ラストの家族の笑顔ったら、とても素敵なのだ。
 あまりにもタイムリーな事件とダブってはしまったものの、現代の社会に足りないものはなにか、それは押し付けでなく理解することだと解らせてくれる作品です。


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「鉄コン筋クリート」を観る(07.1.2)

 大好きな松本大洋の作品が、またひとつ映像化された。しかも今回はアニメ。確かにあの古き良き近未来を実写で映像化するのはCG使いまくりで・・・などの難しさがあるだろうし、クロ&シロを演じきれる子役がいないだろう。でも、アニメであの世界観が出せるのか・・・。ポスターとか観てたらやばいかなって、いささか心配しながら観に行ったんだけど、まったくの杞憂。それ以上にあの『宝町』が、絵本の中のおとぎの下町が、色鮮やかにスクリーンいっぱいに広がっている。すごく感動。
 物語もかなり原作に忠実で、クロ役(声)の二ノ宮くんもシロ役(声)の蒼井優も違和感なく聞いていられる。読んでいた当時が思い出される。
 それにしても、十数年の時を経てなぜ今『鉄コン筋クリート』なんだろうか?OLDファンとしてはうれしい限りなんだけど、なぜ今なのかと考えると、まぁ世の中いろいろあるからなぁ・・・と考えてしまう。松本大洋が描く光と影、闇への葛藤が現代の子供達の・・・などという講釈は書けるのかもしれないけれど、そんなつまらない大人の思惑をはるかに凌駕した作品だけに、無垢な気持ちで楽しんでもらいたい。
 しかし、あの宝町すっごく上手く表現されてたなぁ。


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