artな戯れ言2012


このページではartな戯れ言を集めて掲載しています。





K.K.P.#7「ロールシャッハ」を観る(12.12.23)

 小林賢太郎の演劇作品、今回の『ロールシャッハ』再演だそうで。開演前、後ろの席に座っていた熱心なラーメンズファンを自称する女性が、同伴者に語っておりました。ぼくは初めて観る作品。なので、純粋に興味津々。
 とある国が領土拡大を試みるために、世界の果てにある壁に砲撃を・・・というお話。集められた開拓隊員と3人の一般人。バラバラだった4人が、作戦遂行までの一夜で感情をぶつけ合い、解り合い、ひとつになるまでを描いた作品。
 正直、STORY全体としては「ほう」って感じだけど(前にもこんなこと書いたな)、演出効果の生かし方がうまいなぁ。笑いは瞬発力勝負。演者の力量とコンビネーションが問われるかな。
 正直、今年の初めに観た『うるう』がものすごくよかったので、勝手に期待ばかりが膨らんで。そのせいで今回はちょっと期待はずれだったかな。あくまでぼくの勝手な期待値に対する結果であり、普通に面白い作品だったよ。
 そうそう、今日が千秋楽公演だったみたいで。雪の札幌をラストに選んでいただき、ありがとうございます。次はそろそろラーメンズを観たいなぁ。


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「カラスの親指」を観る(12.12.15)

 ぼくの大好きなコン・ゲームもの。凸凹詐欺師コンビが理由あり姉妹らと因縁の相手に立ち向かう。それは過去を清算し、未来を勝ち取るために。
 これまでにもいろんなコン・ゲームもの観たけど、基本最後は勝利をつかんでハッピーエンド。頭脳戦もさることながら、この単純明快な構成が、ぼくは好きなので。ところが『カラスの親指』はそれだけでは終わらない。「衝撃のラストには、衝撃のウラがある」のだ。とても素敵なウラが。
 主人公の過去って、普通出し惜しみするじゃない。陰を引っ張ってミステリアスさを深めたり。ところがいともあっさり過去が語られて。「おいおい、最後まで持つのかよ」って心配もしたけど、それこそが素敵なウラの伏線だったのね。やられたわ。
 阿部寛と村上ショージ。何もかもが正反対な二人のコンビが新鮮だ。特に「それって素のまま?」ってくらいの村上ショージのたどたどしさが、作風にぴったりしていて。
 それと相対するような凸凹姉妹がまた魅力的。自由気ままで身勝手な姉・石原さとみと、しっかり者の妹・能年玲奈が可愛くってさ。脳内ではたびたび「ぎゅっ」ってしたくなったもん。あと素朴な青年・小柳友もナイスでして。
 そんな5人が仕掛けるゲーム。そしてラスト。存分に楽しんでください。3時間近い大作も、時間があっという間に過ぎていくから。
 ハート・ウォーミングなコン・ゲーム。フィクションをも逆手に取った見事な物語です。おすすめです。


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「OViC 15th GOSPEL LIVE!」を観る(12.12.8)

 昨年に続き、今年もOViCのゴスペルライブを観た。昨年はお付き合いで観に行ったけど、今年は「もう一度観たい」という想いから。なかなか聴く機会のない大人数の歌声に圧倒される気持ちのよさに目覚めてしまったのかもしれない。
 歌われる楽曲がすべて賛美歌ゆえに一本調子になるかと思いきや、アレンジが多様なので飽きることがない。あと、全編英語詞ゆえに「神とかはちょっと・・・」と思っている無神論者のぼくでも、意味がわからないので構えずに聴ける。失礼かもしれないが、その気軽さがいいのだ。
 そして力の結集。一人の声はプロミュージシャンには及ばないかもしれないけれど、大人数の声が集まると匹敵するほどの力になる。それが観ていて楽しくて。
 あと、見せ方もすごく上手くて楽しめるのだ。知り合いが歌っているという親近感もまたいいんだよね。
 ということで、今年も圧倒的な声量を身体に受け、いい気分に浸りました。


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海堂尊「スリジエセンター1991」を読む(12.11.28)

 カタッと音がした。パズルの欠けていたピースがはまるような、チェックメイトを告げるチェスの駒のような。桜宮サーガの空白が、この物語で埋められた。ただ、サーガが明された爽快感はかけらもなく、果たせなかった想いへの喪失感ばかりが読後の今、胸に残る。
 世良先生を主役に据えたバブル3部作。最高の医療を供する施設・スリジエハートセンター設立のため奮闘する孤高の天才外科医・天城。その理想実現のための手段はこの国の医療制度や医師倫理を揺るがすものだった。医師としての技術は称賛されながらも、学内派閥抗争や嫉妬により足を引っ張られる理想。本質の議論は棚上げで。
 サーガの現在を知っているだけに、そこにスリジエハートセンターはないということを知っているだけに、読むのがせつなくてたまらなかった。ドクトル天城の先を知るのが怖くてたまらなかった。世良先生の落胆をどう受け止めればよいのか・・・。それでも結末を知りたくて、サーガの欠けたピースを埋めたくて。
 これはあくまでフィクションであり、ぼくは医学会に従事する身でもないので、物語のようなことが本当にあるかどうかはわからない。それが物語の中の話だとしても、スリジエハートセンターがあれば何かが変わったかもしれないと思えてならない。孤高の天才にしかできない画期的な術式を受け継ぐものが輩出されたかもしれないし、また違う医療の発展が望めたかもしれない。そう思うとやるせない。結局ドアトゥヘブンを堪能し、今となっては誰も受けることのできない最先端の術式で健康を取り戻したウエスギモータース会長だけが得をしたと思うと、「貧富に差のない医療」という理念も権力の前には絵空事なのかとガッカリする。
 スリジエハートセンター、太平洋を望む岬でドクトル天城が夢見た桜並木って、医療を志す若い芽のことだったのかなって。サーガの核・田口白鳥シリーズは完結したそうだけど(『ケルベロスの肖像』未読)、どこかで天城の精神を受け継ぐ世良&彦根が極北と房総から駆けつけて、ゴンスケに仇討ちしてくれることを願っている。
 それにしても海堂さん、あんな最後はあんまりだぜ。ぼくはますます世良先生が好きになっちまったじゃないか。


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中島みゆき「縁会」2012〜3を観る(12.11.13)

 今回はがっつりネタばれで。
 Webニュースで“中島みゆき数十年ぶりに『世情』熱唱”の記事。今でこ強制退場のテーマソングと化しているけど、40代のおじさんにとっては忘れることのできないー曲なのだ。警察に連行される加藤優と松浦悟。腐ったミカンと称された生徒の存在をかけた行動を、国家権力を使ってまで排除しようとする大人の論理。そのクライマックスに流れる『世情』。どちらが正しいかなんて未だにわからないけど、『世情』のもつ歌チカラが圧倒的に強くって、あの光景が、あの時の感情がすぐにでも戻ってくる。
 初参戦のみゆきLive、すべての曲がすんなり入ってくる。へヴィリスナーじゃないけどヒット曲多いし、聴いたことのない新譜すら違和感なく入ってくる。きっと詞に力強さがあるんだ。いまどきのアーティストみたいに立ち上って大騒ぎのLiveじゃないのもあるけど、しっかり詞を聞かせる歌い手の力量と、聴衆を引き込む詞のチカラ。これはすごい。
 歌ってるときとMCのギャップ、夜を意識したキャバレー調の演出がきたかと思えば、アコースティックにワルツを奏でたり。とにかく多彩。「曲、いっぱいありますから」とは本人の弁。
 そして時は来た。『時代』からの流れで『世情』へ。ぼくの心はワシ掴みされた状態に。そして大きく揺さぶられる。あの頃の未熟ゆえの真っ直ぐな気持ちがよみがえる。『世情』の前後に歌われた新譜も流れにハマり、心に響く。
 アンコールオーラスはしっとりとあの番組のエンディング曲で。みゆきメッセージがビンビン伝わるLiveだった。これで2年前のツアーと被った曲は『時代』だけとは、さすが!
 未熟な心がよみがえったぼくとしては、最後に『ファイト』って背中を押してもらいたかったけど、もうあの頃のぼくじゃないんだから、一人で力強く歩き出さなきゃね。
シュプレヒコールの波が鳴り止みません。

なして小林幸子?個人では一人だけ


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東京セレソンデラックス「笑う巨塔」を観る(12.11.4)

 東京センソンデラックス、本公演をもって解散です。ぼくは『くちづけ』からの観劇なので、これが3作目。涙、涙ときて、笑、笑ときて、今回はどっちの引き出し?って思ってたら、笑、笑できましたか。やっぱり解散公演は明るバイバイしなくちゃね。
 病院を舞台にとび職人、政治家秘書、相撲部屋親方、医師、看護士などなどが入り乱れ、すれ違うワンシチュエーションコメディ。ハイテンポな誤解の連鎖が大きな笑いを産む。計算された笑いの合間に唐突に繰り出される宅間のムチャぶりも相変わらずのキレキレで、出演者一同戦々恐々。緊張感いっぱいなんだよね。
 東京センソンデラックスのコメディ、最後はハッピーエンドなので、とてもほっこりする。観ててあたたかい気持ちになれる。ラストのダンシングコーナーは照れちゃったけど、客を楽しませるツボ押さえまくりで。演者がー勢に客席へ走り出す。前から4列目、通路沿いのぼくは、主要キャストとハイタッチの連続。芦名星、細かった。
 センソン、これで終しまいと思うと、もっと早く知っていれば…と後悔。他の作品も観たかった。でも、形は変わっても進化し続けるであろう宅間ワールドを楽しみに待つことにしよう。

開演前、宅間孝行即席サイン


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五十嵐貴久「誘拐」を読む(12.11.3)

 タイトル通り、誘拐もの。五十嵐貴久で誘拐とくれば、期待するのは交渉人の登場か。ところが、交渉人はおろか、誘拐自体がなかなか始まらない。これは一体、どういうこと?
 ようやく動き始めた犯罪の兆候も、いやいや相手は首相の近親ですか。0からー気に桁ハズレ。降り幅大きすぎですって。収集つくのかな?
 なんて戸惑いと驚きで迎えられた本作。ネタばれになるかも知れないけど、誘拐自体のからくりはすぐにでも気がつく。ただ、それからどうする?そしてどうなる?のアイデアが読み応え抜群。
 それにしても、クセ者そろいである。傲慢な首相、慎重な犯人、流されない刑事。本当の狙いのあり方も、ひとクセもふたクセもあって、読み手が翻弄される。小説の醍醐味を存分に味わえる。チラリと登場する遠野警部補は作者のサービスなんだろね。
 ってことで、堪能できるー冊です。


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aiko live tour「Love Like Pop vol.15」を観る(12.10.25)

 今年のaikoはホールツアー。昨年のライブハウスツアーはとてもHardで疾走感抜群だったので、ホールはどうなのかと。それを確かめたくて。
 ホールツアーでもaikoはとてもいい娘だった。MCににじみ出る親近感。いつもみんなの側に立って語りかけている。もちろん、会場の声も拾いまくって。そんな親近感が彼女の曲、詞、歌声と共鳴して、aikoワールドが作られている。聴衆は皆、その世界観の心地よさに漂うって感じで。若い女子だけでなく、ぼくのような中年オヤジも、もっと高齢の方々も、みんな集って酔いしれる。
 今回はホールということで、しっとり目の曲が多かった。特に、NewAlbumリリース後ということで、そこからの曲もいっぱい。失礼なことに、NewAlbumを含め、近年の楽曲をあまり聴いていないぼくとしては、知らない曲がいっぱい。でも、知ってるか知らないかじゃなく、aikoから発せられることが、それを受けれることが素敵なのだ。だからライブは辞められない。
 今回も2階席だったので、会場全部を見渡すことができた。ステージ上のaikoだけじゃなく、集う人たちも。aikoなりきり派、陶酔派、熱烈ダンス派・・・。いろいろいるけど、みんな根っこは一緒なんだよね。ステージ上のaikoが好き。そんな思いをまとめ(即興楽曲『キザマシンガン』披露を含め)、この日、この時、このみんなだけの最高の想い出を作ってくれるaikoがね。というのを俯瞰で見つめるいやなぼく。
 今回も押しに押しまくる3時間越えの渾身のライブ。終演後、貼り出されたSetListをスマホで撮影し、今見直してるんだけど、ホント知らない曲が多かった。画像、UPしようかと思ったけど、これから観に行かれる方の楽しみを削がないように自重します。
 ハロウィンモードのaiko、かわいかったですぞ。


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石田衣良「PRIDE−プライド 池袋ウェストゲートパークX」を読む(12.10.16)

 屈しがたい状況の中でも、誰かのために、自分のために放てる言葉がそこにはあった。10年目にして第一部のフィナーレとなる本書『PRIDE』は、マコトにとっても読者にとっても、まさに誇らしい魂の1冊となった。
 マコトが池袋を疾走するのはファッション誌の連載コラムのためじゃない。それはあくまで言い訳で。いくぶんかの正義感や、かなりの好奇心はあるかもしれない。もちろんマコトのお人好しも。でも、マコトはいつだって公正明大ってわけじゃない。特に女性が虐げられる事件では冷酷な選択も下すし、自ら手を汚すことさえも。
 そんなマコトの胸に深く突き刺さる魂のコトバ。折れないココロ。本当のプライドとはなにか。トラブルシューターとして、池袋の悪ガキとして思うがまま、がむしゃらに駆け抜けたマコトの10年。区切りをつけるには文句なしの一冊だった。
 本書も4編の池袋・・・いや、日本の今が描かれている。特に男の身勝手さと女の強さが。そして思う。ここに(この人に)辿り着くために、マコトは池袋を疾走し続けたのかもしれない。
 何年後になるかわからないが、本当のプライドを知って帰ってきたマコトの姿を読む日が待ち遠しい。ガキの王様タカシのその後も興味深いし。サルがめっきり登場しなくなったのは、マル暴法改正の影響があるのかな・・・。
 しばらく『IWGP』を読めないのは悲しいけど、この一冊があればいつまでも楽しみに待ち続けられるよな。


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「鍵泥棒のメソッド」を観る(12.10.5)

 痛風持ちの飽き症じゃダメですか?
 健康でもなく、努力家でもないぼくには、香苗さんに可能性を感じてもらえそうにありません。残念。
 銭湯で転倒し気を失った男のロッカーキーを盗み、持ち物を盗んだ売れない役者。男の記憶がないことを幸いに、男の人生そのものをいただいちゃい、つかの間の優雅な生活。でも、男の素性を知り、とんでもない事件に巻き込まれていく。
 一方、記憶を失くした男は売れない役者として、どん底の人生を歩き始めるが、天性の努力が功を奏し・・・。
 さすが内田けんじ監督作品。ひねりひねって絡み絡まるストーリー。おかしくってドキドキして、目が離せない。映画の持つ娯楽性を存分に見せ付けてくれる。脚本の時点で勝負ありだよなぁ。個人的には日本のビリー・ワイルダーって呼びたいくらい。あっ、三谷幸喜が「自称・日本のビリー・ワイルダー」だったか。
 地味でメガネっ娘の広末、ツボです。さらに森口瑤子。内田けんじは作風の好みだけじゃなく、ぼくの女性の好みまで突きまくってくる。ずるいぞ。
 上質なコメディを観終わると、とても爽快な気分になれる。もちろん今日は最高の爽快感。多くは書かないからとにかく観てくれって感じです。
 一流は活躍の場を変えても一流であり続けるのだなぁ。内田けんじ作品において立ち位置は変わっても境遇の変わらない堺雅人があるように・・・。


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桑田佳祐 LIVE TOUR 2012「I LOVE YOU -now & forever-」を観る(12.9.30)


 この日をどれだけ待ちわびただろうか。前回ツアーから5年、中止になったドームツアーから2年(チケットは持ってたんだけど・・・)。桑田さんの病気療養があり、東日本大震災があり。それらを乗り越え感じたことをステージ上で伝えてくれる桑田さん。
 今回は先日発売されたベストアルバムからの選曲。ソロ活動開始から25年も経つのか・・・。ソロ活動自体が飛び飛びだけど、やっぱそれぞれの曲を聴いていた頃を思い出すもんだね。『悲しい気持ち』を聴くと室蘭のスナックで野郎どもと歌ってた20歳の頃を思い出すし、『真夜中のダンディ』を聴くと下総中山のスナックで歌ったときに褒めてくれた中国人女性スタッフを思い出す(注:その女性と何かあったわけじゃなく、『真夜中のダンディ』はそこでしか歌ったことがないから)。『波乗りジョニー』にも『白い恋人達』にも『ROCK AND ROLL HERO』にも『ダーリン』にも、その時々の思い出がいっぱいあって。サザンもそうだけど、ぼくは桑田さんの音楽と一緒に日々を送ってきたんだなってつくづく思う。彼の歌が生活の一部だったんだね。
 そして今も、日々新たな勇気を桑田Songsからもらっている。『明日へのマーチ』は四十半ばの今のぼくにとって、等身大の希望だったりする。誰かに「フレー、フレー」って言いたいし、誰かに「フレー、フレー」って言ってもらいたいし。そして、桑田さんに「フレー、フレー」って言ってもらってる。きっとこれからも、いろんな曲を通して。
 豪華絢爛のステージ。遊び心の中に復興やリスペクトの気持ちが詰まってる。桑田佳祐の今が凝縮されたライブ。最高の夜だった。
 今日って「中秋の名月」だったんだよね。この日に桑田さんの『月』がナマで聴ける幸せ。心に染みます。残念ながら札幌は曇天で月を見ることはできなかったけど。


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乾くるみ「セカンド・ラブ」を読む(12.9.29)

『イニシエーション・ラブ』ショック、再び。
 確かに『イニシエーション・ラブ』の衝撃はすごかった。だから、この帯に自然と目が行き、手が本を取っていた。でも、正直過去の名作を引き合いに出しているようじゃダメなのかもしれない。すでに脳みそが予防線を張ってしまう。
 ちょっと辛口で書くと、後味が悪いだけの小説だった。衝撃もなく、「へ〜、そ〜なんだ〜」くらいの。インパクトを売りにしすぎて自滅というか。でもそれって作者の力量よりも宣伝側の失敗なんじゃないかな。それとも、過去の名作を引き合いに出さないと、売れないって宣伝側が判断したのか?
 2人の女性に翻弄される男の物語。ショックと書くだけに、当然そこには裏がある。その裏にこそ、衝撃がある・・・ハズなんだよね。
 なんか、これ以上は書けないなぁ。文芸春秋さん、もう少し作者と作品のこと考えてあげて。


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「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」を観る(12.9.11)

 TVシリーズから始まった『踊る大捜査線』。今や常識となった警察の捜査体制、所轄と本店の関係も、すべてはここから始まった。湾岸署に勤務する都知事と同じ名前のサラリーマン出身刑事・青島と、警視庁の上級職・室井管理官の熱くて厚い信頼関係も。
 最後の『踊る』は青島、室井が職を賭して解決に乗り出すまさに集大成。『踊る』の本筋である正義のあり方、ほのかに流れるロマンス、散りばめられた小ネタ。それらすべてが集大成。その意気込みが伝わる作品だった。
 湾岸署管内で発生した連続射殺事件。その凶器となった拳銃は警察の押収品だった。そのことが伏せられたまま捜査は進行し、容疑者が確保されるが・・・。
 正しいことができるようにと始まった二人の闘い=正義の前に立ちはだかる組織の壁。二人をあざ笑うかのような展開。一体どうなる?これ以上は観てのお楽しみ。しっかり完結大団円で、有終の美を飾ってます。面白かった
 あれやこれやと詰まった内容で、広げた風呂敷を畳みにかかっただけに、力の入れどころに差が出るのは仕方がないところ。でも、欲を言えばぼくの愛するすみれさんをもっと描いて欲しかった。「悔しいけれど、青島くんになら許す」って、まるで花嫁の父のような心持ちで鑑賞に臨んだんだから。
 室井の指揮で走る青島。これぞ『踊る』の原点であり、根幹なのだ。でも、ここからのステージではもうその構図は見られないんだろうな。だからFINALなんだよね。
 いつまでも続く物語って、次を待つのがつらいから、これでお終いはいいのではとぼくは思う。だからといって、「○○年ぶりに再始動!」なんてことになっても、しっかり踊らされるんだろうけどね。笑顔のすみれさんをもっともっと見たいしさ。
 自称『地質調査界の青島』もそろそろ卒業かな。
 ひとつの時代が幕を閉じたけど、この時代をともに楽しめたこと、非常によかったと思う。ありがとう、『踊る』!
 そうそう、冒頭のからあげ屋って、『ハムカツの山ちゃん』だよね。


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「夢売るふたり」を観る(12.9.8)

 夫婦で結婚詐欺。火事で消失した日本料理店を復興させるため、その資金稼ぎで始めた結婚詐欺が、導く幸せとは?夫婦が売る夢とは?
 自分たちの夢の成就のため、人々に夢を与える。ほんのちょっとの夢や希望、癒しで明日が見えてくる人って、きっといるんだろうね。だから詐欺はなくならない。金を騙し取る行為は犯罪だけど、希望を与えることは決して悪ではないのかもしれない。
 夫婦の追いかける夢は確かだったはずなのに、他人に夢を売ることで、自分の夢が磨り減ってしまうのかな。
 まず言いたいのは、松たか子のすべてが詰まっているということ。喜怒哀楽からパン祭りにいたるまで、女優・松たか子がこれでもかというほどに詰まっている。お嬢様女優では決して見せることのできない表情がたくさん詰まっていて、松たか子ファンで表情フェチのぼくにはたまらんで。なんだろうなぁ、すごい女優力なのだ。
 阿部サダヲが女を騙すってなんか現実味なさげだけど、そういや練炭殺人を伴った結婚詐欺事件の女性容疑者も美人といわれるタイプではなかったそうだから。
 騙す夫婦もさることながら、騙される女性たちもまた魅力的。抗う人、流される人、悟る人。それそれの感情に触れたら、騙すほうも心が揺れるよね。ぼくにはできない・・・。
 松たか子とならどんなにつらくともやっていける。その膝に顔をうずめて励まして欲しいって冒頭では思ったけど、夢の大きさとプロセスが生む距離感は大きいのかな。
 松たか子の表情見本としてでも、ぜひコレクションしたい作品だった。


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「なにわバタフライN.V」を観る(12.7.29)

 戸田恵子がミヤコ蝶々の半生を演じる一人芝居『なにわバタフライ』。初演を東京で観たのだが、その再演となる『なにわバタフライN.V』が北海道に来てくれて。N.VとはNew Versionの略です。
 会場に入ってびっくりした。初演での楽屋セットも楽団もなく、黒バックの舞台に大きな風呂敷包みが置いてあるだけ。なんとシンプル。きっと、このシンプルさが全国興行を可能にしたのか。そこに登場するは自称”前説”の戸田恵子。座長にして前説、舞台設営までこなす、まさに何から何まで一人芝居。N.Vは戸田恵子にかかる負担がどっと増したヴァージョンだった。
 ミヤコ蝶々の半生を、主に男性とのかかわりを通して描いた一人芝居。ときに滑稽に、ときに情緒的に演じられる。でも、どのときも彼女は前向きで、出会いも別れも後悔はしない。前向きに捉え、プラスに変えていく。ミヤコ蝶々の性格なのか、三谷幸喜の脚本なのか、戸田恵子の個性なのか。きっとすべてがいい方向に重なり合ったのかな。だから、語られる男たちに悪者はいない。だからすべての男たちが、舞台で共存できる。ミヤコ蝶々という偉大な女芸人の人生という舞台で。
 男ってやっぱりダメな生き物なのかもしれないけど、ダメをキラキラさせるのは女の器量なんだろうなぁ。きっとミヤコ蝶々に負けないくらい、戸田恵子も器の大きい女性なんだろうなぁ。
 コンパクトながらもスケールの大きい一人芝居。戸田恵子の魅力満載、十二分に堪能できました。


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葉室麟「風渡る」を読む(12.7.27)

 何度も書いているが、ぼくは軍師とか策士とか、知恵で混沌とした世を渡りぬく男が好きだ。ぼく自身がなりたくてもなれない存在。豊臣秀吉の軍師として活躍する黒田官兵衛の生き様を、戦国の武将としての視点とキリシタンとしての視点から描いたのが本著だ。
 購入したときはキリシタンとしての視点でここまで強く描かれているとは思わなかった。学校で習う戦国時代に軍師の活躍が出てこないのと同様、キリシタンや宣教師もザビエル来日とイエズス会という単語、キリシタン大名&細川がラシャと禁教令しか出てこなかったような気がする。だから、官兵衛のバックボーンとしてキリシタンが丹念に描かれているのに驚き、新たな知見を得たなとニンマリしてしまった。
 とはいえ、ぼくはキリスト教信者ではないので、貿易権獲得や実効支配におけるイエズス会の役割なんかをうがった目で見てしまう。また、キリシタン大名が現存した寺社仏閣を破壊し、民をキリシタンに改宗させて作った街は、いずれエルサレムのような存在になったかもしれないなんて思ってしまう。性格がゆがんでいるもので。
 キリシタンの記載が新鮮だったので本題から外れたかもしれないけど、黒田官兵衛は軍師の中でもとても人間くさい男だったのかなんて思ってしまった。軍師たるもの、出世心や名誉心を含めた野心がすべからず大きいものだと思う。時には慢心して墓穴を掘ったり。でも、官兵衛はキリスト教の教えにより自制したのかもって思うと、なんかほっとするじゃない。
 本能寺の変の新解釈など、必ずしも正解ではないのだろうけど、戦国時代の違った側面を感じることのできた一冊だった。


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「道新寄席 柳亭市馬独演会」を観る(12.7.20)

 今の落語会、古典の名手って誰だろうか?3月に談春を聞いたので今度は違う人の古典も聞いてみたい。そう思ってチケットを探していたら、柳亭市馬師匠の独演会があるとか。柳家小さんの弟子にして、古典落語の名手の一人とか。これは聞いてみるしかないと、行ってきました。
 まずは前座を市馬の弟子にして札幌出身の21歳・市助が務めます。お題は『狸の札』。助けてもらった狸が恩返しのため、札に化けるというお噺。21歳には思えない口調。高卒で入門したみたいだけど、今の若者とは異次元の佇まい。
 続いて登場が主役の市馬。前座・市助の『狸の札』を聞いて、挨拶も抜きに『狸賽』をかけた。設定はそのまま。札に続いて今度はサイコロ。おっと、なんだこの安心感。そりゃ当然なんだろうけど、話しがすんなり耳になじむ。しかも派手さはなくともにぎやかで。
 一席終えるとご挨拶。小さんのこと、市助のことなんか交え、東京で行われた独演会のことも。
 ケチな話しや小噺を交え、流れるようにかけたのが『片棒』。ケチな大旦那が三人の息子の誰に家督を譲るかを決めるため、自分が死んだときにどんな葬式を挙げるかを聞く話。いやすごかった。なにがって、市馬の変化(へんげ)具合。調子に乗ってプランを語る息子と、あきれて聞く大旦那の一瞬にして変わる表情。失礼ながら馬面があんなに表情豊かになるとは。それに加え、お囃子を奏でる様、すごすぎる。聞き手を陽気にさせてくれる、楽しい高座。
 休憩を挟んで『鰻の幇間』。芸人としての太鼓持ちは今ではほとんどいないとか。取り巻きのことを冷笑するときに使ったりするけど、本来は立派な芸なのです。そんな太鼓持ちが通りで会った見覚えのある御仁に昼飯をご馳走になろうと、自慢の話芸を駆使するが・・・。滑らかな口調と豊かな表情。こんな太鼓持ちがいたら、贔屓にしてしまうって、市馬を見てたら思えてくる。そう考えると、落語の人気キャラのひとつ・太鼓持ちも、現実と同じく演じられる落語家が少なくなっているのかもしれない。これはハマリ役、いやいやハマリ噺ですね。
 初めて聞く柳亭市馬。とても楽しい落語会だった。ぜひともまた聞きたい落語家の一人になりました。面白かった〜。


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沖方丁「天地明察」を読む(12.7.2)

 
 からん、ころん。
 鬼太郎のゲタの音ではない。渋川春海の転機に鳴り響く音。その音に導かれるように進む春海の道。算学に魅せられ、天の理に挑む春海の原点こそが、算術奉納された絵馬の奏でる音なのだ。
 読んでいてわくわくする物語だった。碁打ち衆である春海が、日本初で日本発の暦を作る物語。そこにはまだ見ぬライバルが、数多くの協力者が、後ろ盾が、心の支えがいて、春海を後押しする。そんな人たちの意志や言葉を受け継いで、時には凹みながらも進んでいく春海。
 これがすごくいい。青春小説みたいに同年代が集まって何かをするのではなく、あらゆる年代の人たちが暦を作るという事業に携わる。年代を超えたチームワーク。でも、誰もが向学心を持ち、年代を忘れさせる。それがすごくうらやましい。若者でもなく、スポーツでもないけど、これは完璧な青春小説だ。
 暦つくりなんてとてつもない事業じゃなくても、みんなで何か作り上げてみたい。いろんな人の経験と知恵を集結して。そんなこと、ひしひしと感じてしまう。
 本屋大賞受賞作。きっと書店員のみなさんも、なにか大きなことやってみたいって感じてこの本を推したんじゃないかな。
 面白かった!!


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「イッセー尾形のこれからの生活2012 in 初夏の札幌」を観る(12.6.24)

 6月といえばイッセー尾形の「初夏の札幌」。東京で生まれたネタの札幌お披露目会。イッセーが還暦だなんて、全然見えないよなぁ。キャラ設定変幻自在のイッセーだから、若いイッセーも老いたイッセーも見ているわけじゃない。男も女も。だから年齢はあってないような。
 それでもネタを作り続けるイッセーはすごいなぁ。カーテンコールでは札幌で見つけたネタの構想を披露してくれた。札幌で生まれたネタの完成形を早く見たいなぁ。でも、今年の札幌公演はこれが最後のようなのです。冬はないのです。今年の冬はさびしい冬になりそうな・・・。
『婚礼と通夜』
 世の中、間の悪い人がいるもので、結婚式の直後に通夜を行うー族のお話し。恐縮する喪主、ネクタイを変え忘れる兄弟、とんだお色直しの花嫁。参列者も重複するため、昼の顔と夜の顔が…。
『電車にて』
 電車に揺られながら、社内を評する中堅社員。明らかになる社内のパワーバランス。吊り輪につかまるもおぼつかない彼の足元は、彼の社内の立ち位置のようで。ふらつく身体と吊り輪の関係、チェツクです。パントマイムです。長髪のイッセー、イタリア代表のピルロみたい。ちょうどUERO2012やってるし。
『ショールームへようこそ』
 新車販売のショールーム。どうしてこの娘が担当に?ってくらいやる気ないオーラがでまくりの接客。でも、責任感は強いのです。あと、やっぱりOLはブラウスです。丸みを帯びた裾のカットの。
『受付嬢』
 地方の水族館では地元のふれあいがなにより大切。受付嬢(といってもおばさま)は憩いの場の番人でもあるのだ。時に優しく、時に厳しく。不埒な輩は決して見逃さない。こうして今日も水族館の治安と風紀は保たれるのだ。
『大手町はどこ?』
 地方から上京した者にとって、東京の地下鉄は鬼門なのです。曲がりくねって入り組んで。駅間もとても近く、歩いて数分だなんてなかなかわからない。だから、迷いに迷っちゃう。早くしないと手土産の明太子が痛んじゃうよ。
『旅する女』
 田舎のホテルに一人訪れるわけがありそでなさそな女。田舎あるあるで馴染めないアピールは、「かまって欲しい」のうら返し。ー期ー会の似合わぬ女が殻を破ることはできるのか?
『尺八舟頭』
 観光川下り舟の舟頭は、土地のことならなんでも知ってる?中国人観光客の負けず嫌いに日本の文化を代表して物申しちゃえ。歴史は4000年もなくったって、ぼくらは日本の味方です。
『ハウスクリーナーミュージシャン』
 あれっ?このおじさんネタって前にあったよね。ついにギタ―を持たせたか。掃き清め続けるミュージシャンのセンチメンタルジャーニーで生まれる並列の楽曲たち。ツボにはまります。


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北村薫「飲めば都」を読む(12.6.11)

 酒を飲んでのバカ話、失敗談は数々あれど、文章に残して面白い話しって・・・というか、文章に書けるほど覚えていないというか。でも、飲んでいるときはたいていとても楽しかったりする。だからといって、飲み会のすべてを録音、録画するのも恐ろしいことで。
 『飲めば都』は雑誌編集者の小酒井都が巻き起こす、酔いに任せたエピソード集。女性だからなのか、フィクションだからなのか、エピソード全編に爽やかさがある。下ネタ失敗談もどこかお上品で。これを自分に置き換えると・・・ありゃりゃ文字にはできません。
 でも、アルコールの力があってこそ見える世界もあるもので、忘れがちなアルコール世界と現実世界(正確にはどちらも現実)がうまくつながってほんわかムードの物語となってます。これを自分に置き換えると・・・ハッピーエンドには程遠いのです。
 正直、一流文学雑誌の編集者なんてぼくらには高嶺の存在で、そこの飲み会なんて到底立ち入ることのできない場だけど、物語くらいはゴージャスな雰囲気を楽しみたいもんね。これって、トレンディドラマの設定と同じだったりして。
 なにはともあれ、酒が織り成す楽しくほっこりする物語でした。


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森見登美彦「宵山万華鏡」を読む(12.6.3)

 本当は5月中旬に読み終えていたんだけど、なかなか感想を更新する余裕がなくて。
 それにしてもどんだけ京都だ、森見登美彦。
 京都のー大イベント、祗園祭り。その宵山を舞台とした短編集。なれど、ー作ー作が宵山を軸につながっていて、読み終わると短編に登場する一人一人ではなく、宵山自体が主人公なんだと思えてくる。あっ、宵山さまか。
 京都ほどの歴史のある街だもん、祭りとなると魑魅魍魎がわんさか這い出して来そう。それをファンタジーと見るかホラーと見るかは人それぞれ。祗園祭りや宵山を見る人を変え、見る角度を変えると、違ったドラマがそれぞれにあるわけで。それはまるで万華鏡みたい…なんてこと、作者は考えたのかな?
 森見登美彦のおかげですっかり京都ファンになってしまったぼく。でも、宵山に近づくのはちょっと怖いような・・・。
 短編ひとつひとつはファンタジーあり、ミステリーあり、壮大な馬鹿話ありで、まさに森見登美彦の集大成。宵山を俯瞰して見た連作短編集。京都、行きたいなぁ。


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小沢健二「我ら、時」展覧会とポップ・アップ・ショップを観る(12.5.5)


 なぜぼくはオザケンが好きなのか?きっとオザケンの紡ぐ言葉が心に響くから。残念ながらすべての言葉がというわけではないので(特に一部偏った部分は)、生粋の信者というわけではないけど。だからオザケンが表立った活動をしていなかった期間に世界を旅し、紡いだ言葉をぜひとも聴いてみたかった。音楽とは違う音、歌詞とは違う言葉。街が奏でる音楽を。
 なんてカッコつけて書いたけど、写真と音(言葉)が一体となったオザケンワールドを体感してきたのだ。
 写真1〜数枚の上にモノラルスピーカーが設置され、写真にちなんだ音やオザケンノ語りが流れる。どれもが意図的に限られた場所でしか聴けないようセッティングされていて、静かに耳を澄ませて聴くことになる。南米〜アフリカ〜中東〜東アジア〜日本。オザケンが聴いた街の音、オザケンが感じ紡ぐ言葉に、そっと耳を傾ける。
 ここから先は体験してもらうしかない。どんな内容なのかも聴いてのお楽しみ。日本を離れているから感じる日本。あるときはは皮肉だったり、あるときは感慨だったり。先に書いたけど、必ずしもすべてに同調するわけではない。人それぞれの感じ方があると思う。でも、いろんな音や言葉が垂れ流されている日本の街中にあって、誰かの音、誰かの言葉を彼の言葉に真剣に耳を傾けることって、そうそうないじゃない。昔だったらきっと当たり前のことも、当たり前じゃない世の中だから。
 そんな中、ぼくが強く共鳴した言葉ってのがあって。「詰め込みすぎる」と「本当は歌いたがっている」。この2つって、先日の「東京の街が奏でる」小沢健二コンサート二零一二年三月四月に通じてるなって。で、中身の濃い歌詞と誰もが歌えるメロディこそが、ぼくがオザケンを好きな理由なんだよね。
 最後にショップの模様を(ここは撮影可。あとはダメだよ)。服はサイズが合わないし、BOXは持っているので、何も買わなかったけど。








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「テルマエ・ロマエ」を観る(12.4.30)

 濃い顔の俳優たちが古代ローマ人を演じたことで脚光を浴びる『テルマエ・ロマエ』。古代ローマと現代日本の風呂を行ったり来たりという原作の発想だけでも笑えるというのに、この演出は反則だよなぁ。これは観なくちゃって思うよなぁ。
 それにしても、阿部寛を初めとする濃い顔の俳優陣、ホント違和感ないんだよね、イタリア人エキストラに混じっても。それだけでも面白くって。そんな阿部寛の”予想外”って時の顔がたまらない。
 古代ローマのテルマエ技師(設計家)ルシウス。テルマエの斬新なアイデアを思い悩むとなぜか溺れ、現代日本にタイムスリップしてしまう。そこで知りえた技術やアイデアを古代ローマに持ち帰り、地位と名声を得ていくのだが、次第に大きな歴史の波に巻き込まれ・・・。
 古代ローマ人の濃い顔に相対する現代日本の”平たい顔族”のキャスティングがまたいいんだよね。ルシウスからみたイメージを具現化するように、日本でもヌケキャラで味のあるメンバーが揃えられていて。平たい顔族のヒロインが上戸彩っていうのも絶妙なキャスティング。昨今の若手女優人でもダントツの平たい顔だよね。しかも色白、どんぴしゃり。他の女優じゃだめだよね。
 そうなると、ルシウスの妻(古代ローマ人)は日本人女優でキャスティングできなかったかって考えてしまう。顔が濃いだけだと黒木メイサなんだろうけど、南方系が入ってるからなぁ。綾瀬はるかはローマというよりアングロサクソン系だし。
 次回作があるのなら、濃い顔俳優に伊東英明を加えて欲しいかな。
 それにしても、古代ローマ人に違和感のない阿部寛と北村一輝が数年前の大河ドラマで共演していたんだもん、NHKのキャスティングは史実に合致していたんだろうか?
 さて、原作本一気読みしちゃおうかな?


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朽葉屋周太郎「奇祭狂想曲」を読む(12.4.26)

 『おちゃらけ王』の続編が刊行されたということで、わくわくしながら読み、読了してにんまりしている。他人にはうまく説明できない魑魅魍魎の世界を疾走する登場人物たちの躍動する様に、血湧き胸踊るのである。
 妖しさいっぱいの街・鳴鼓宮で、年に一度開催される鳴鼓宮祭り。活気溢れる祭のかげで、もうひとつ人々を熱狂させる催しが、非公認で開かれている。それが“回収会”。主人公・名雪の有人・魔王が一年分の借金返済をかけて繰り広げる鬼ごっこ。鬼は魔王に金を借した者たち、通称・債鬼、その数〇百人。ただ捕まえればOK、ルール無用のため、祭りに大混乱を引き起すことしょつちゅう。このため、鳴鼓宮祭りの治安を司どる幻警団から捕獲対象と見なされ。
 魔王とともに追われる身となった名雪の債鬼と幻警団からの逃亡劇。これが前作だったんだけど、それから一年後の鳴鼓宮祭り回収会は鬼ごっこがトマト投げにグレードアップ。しかし、祭りスタートの花火が上がったとき、回収会の主役・魔王の姿はそこになく…。
 鳴鼓宮の街の妖しさに、登場人物が繰り出す奇怪な技が相まって、物語が混沌とする。それがもう楽しくって。幻想の煙、扇がれる突風、韋駄天、カップ入り…。それらが追いつめ、それらが逃し。攻守混同、呉越同舟。ドタバタ上等、新技カモンっ!!
 いつのまにか、ぼくも一緒に鳴鼓宮の祭りの中を走っている。トマトをよけ、迫り来る敵の攻撃をかわし、時には逆襲を試み、再会を果たし、現われぬ主役を捜して。 魔王はどこに?真の敵はどこに?
 このバカバカしいまでの疾走感、ぜひ読み味ってもらいたい。自分の技を考えながら。


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有川浩「三匹のおっさん」を読む(12.4.18)

 近所の悪ガキ3人組が還暦を迎え、でもまだ老けこむには早いだろうってことで、結成したのが、地域限定の自警団。身内にふりかかる災いから、地域全体にかかわる問題まで、手の届く範囲ではあるけど人知れず解決する名も無きヒーロー。それが”三匹のおっさん”なのだ。“TWGP"シルバー版とでも言いましょうか。
 とはいえ、彼らが扱う問題は、高齢者限定というわけではない。彼ら子供や孫を通じて様々な世代の問題に関与しといく。その中で、戸惑いを感じながらも順応していく三匹のおっさんは、なんとも頼もしく、そしてとても若々しいのだ。
 剣の達人キヨ、柔道の達人シゲ、頭脳派でキレたら怖いノリ。それぞれがギャップを持っているのも魅力的で面白い。
 今どきの60歳って、ぼくの周りでもみなさん若々しいもんなぁ。
 さて、文庫本の巻末は昨年亡くなられた児玉清さんに捧げるオマージュみたいになっている。本を愛し、数々の名作を世に紹介してこられた児玉さんの、この作品に対する愛情がビシバシ伝わってくる。そして、児玉さんに対する周囲の感謝と尊敬の気持ちが、ビシバシ伝わってくる。ぼくもいつかそんな本読みになりたいなんて、柄にもなく思ったりして。
 特にあとがき〜解説、ぜひ読んでください。


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「東京の街が奏でる 第十一夜」小沢健二コンサート二零一二年三月四月を観る(12.4.15)


 細野晴臣の祖父はタイタニック号の生還者らしい・・・
 桑田佳祐はドリフターズに誘われていたらしい・・・
 ウソかホントか、どんだけ話を盛っているのか、アーティストにも都市伝説のような話しがいくつかある。そして、この春あらたなミュージシャンの都市伝説が・・・。
 小沢健二が東京だけで12回もコンサートをやるらしい・・・
 2010年に突如Liveツアーを敢行し、華々しく復活したかと思いきや、音楽活動では再び音沙汰なし状態だったオザケンが、なして東京だけ、しかも12回も。オザケンフリークを自負するぼくとしては、その都市伝説は確かめるしかないでしょう。
 東京オペラシティは木目調の造りで、正面にパイプオルガンが設置されている。J―POP、ネオアコ、渋谷系。王道貫ぬいたオザケンサウンドは、浮いたりしないのだろうか?ぼくらに格式高いホールに合った盛り上りができるのだろうか?
 なんて心配は全くの杞憂だった。ギター、ベース、弦カルテット(バイオリン、チェロ、ビオラ)、コーラスのアコースティックなシンプル編成。リズムを刻むのはドラムではなくメトロノーム。なにより主役だったのはPAで増幅された爆音でなく、声だったから。オザケンの声。そして、共に歌うオーディエンスの声。それらが場内に響き渡る。オペラシティだもん、声の響きは文句なし。煽るオザケンはもちろん確信犯。乗せられるぼくらは共犯者。
 曲の合間に語られる詩の有する意図の全てを感じ取れたわけじゃないけど、「あれっ?見失しなった…」も含め、オザケンワールド。まるでインド映画を観てるように。
 オープニングゲストとしてオザケンの詩をメロディに乗せた七尾旅人。狂うことなくリズムを刻み続けたメトロノーム(真城さんの手違いはあったけど)。曲に合わせて語りかけてくる影絵。イメージだけでなく、外観からも壮厳な教会を連想させるパイプオルガン。どれもがこのひとときを彩る欠くことのできない必須アイテムになっていた。
 前回のLiveで、もう引き返すことのできない美しい時に、束の間タイムスリップしたと思ってた。でも、今回のLiveでその美しい日は懐しむだけのものではでなく、あれから今まで、そしてこれからも形を変えながらも続いて行くんだろうって思えた。
オザケンに煽られて響き渡る歌声。だれもがHappyを感じる時と空間。見紛うことなく、この春のLiveは都市伝説に違いない。
 大多数を占める女子の中、野郎どもの声が弱々しかったので、ぼくは大きな声で歌い上げたさ。今日のLiveは撮影が入ってたから、映像化されたらご機嫌に歌うぼくが抜かれているかも?
 臆病なクセに無茶をする訳?恥ずかしがりやでシャイそんな自分が嫌だってこと。


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「尾田栄一郎監修 ONE PIECE展」を観る(12.4.15)


 やばいっ!やばいよこれ。
 『ONE PIECE』が心に残るシーンと言葉でいっぱいなのは今更語る必要もないだろう。ファンにとってそれらのシーンや言葉は胸に深くとどまっていると思う。それらが堰を切つたように胸の奥からあふれ出してくる。そんな展覧になっている。もちろん、名シーンや名言をただ並べて「どおだぁ」って誇ってるみたいな安直なヤツじゃない。自然と名シーンや名言が心の中で次々と蘇ってくるのだ。嗚咽必至。心してのざまないとえらいことになっちまう。
 海賊王という大望を抱いての旅立ち、集いし仲間と育くんだ友情・絆、冒険の日々。そして迎える頂上決戦、あらがい切れないカ、虚無感。気付いたもの、新たな光。
ルフィの冒険が詰まった展示。尾田先生の作画のヒミツ。『ONE PIECE』ファンにはヨダレもの間違いなし!
 ただ、毎週ジャンプを追ってはいないコミックス派の人は気を付けてね。思わぬところで「あれ?」とか「おぉぉぉぉっ!」があったりするから。


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「劇場版SPEC〜天〜」を観る(12.4.12)

 TVスペシャル『SPEC〜翔〜』で明かされた当麻のSPEC。そして、封印された左手。それを見透かしたように始まってしまったSPECホルダーたちの反乱。当麻、瀬文、野々村ら未詳の前に立ちはだかる一十一。警察 vs SPECホルダーの火ぶたが切って落とされる。
 正直、堤幸彦作品って当たりハズレが多いから、不安だった。スポンサーやジャニーズの規制が外れたときの堤作品の自由奔放さときたら・・・。SPECホルダー並みの暴走が始まらないことを祈って、大好きな『SPEC』が壊れないことを祈って劇場へ。
 よかったじゃないですか。瀬文の人格が明らかに崩壊していってるけど、その分野々村係長待遇がベテラン刑事としての味と凄みを増してきたし。細かいギャグは作風だと割り切って。ネタバレに近くなるけど、続編含みなの商業主義も我慢して。
 なにより当麻がかわいいじゃありませんか。実際にそばにいたら、あんなに頭がよくって、ズケズケものを言う女性はぼくの手に負えるタイプじゃない。ないんだけど、スクリーンで観る当麻はいとおしくってたまらない。化粧っ気がないのはむしろ好みだし。たかまる〜っ!
 そんな当麻をぶつかりながらも守る瀬文はなんとかっこいいんだろうか。回を追うごとに高まるテンションと絆。加瀬亮の役者魂ここにあり。
 んで、次はいつ?そして○井■くんは敵?味方?”翔””天”で勢いついちゃってるから、早いとこ撮影して公開してよ、お願いだから。
 ちなみに、本日の夕食は餃子です。札幌なんで『みよしの』の。
  
 たかまる〜っ!


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北沢秋「奔る合戦屋(上)(下)」を読む(12.4.8)

 『哄う合戦屋』で知った石堂一徹の魅力。武将として天下人になるのではなく、天下人を作ることを使命とし、軍師として国策のヴィジョンを立てて治政を施し、戦場では戦略を練り先陣切って敵を蹴散らす。この文武両道を実践する巨漢の物語を読んでしまうと、一徹のバックボーンが知りたくなる。妻子への想い、武田軍に対する想いがそこまで強いのはなぜか、知らずしてこの男の魅力を語ってはいけないのではないかって。
そんな読者の気持ちに応えてくれたのであろうか、『合戦屋シリーズ立志編』とも言うべき、一徹の若き日々を描いたのが、本作『奔る合戦屋』。一徹が信濃の豪族・村上家で頭角を現し、孤高の武将になるまでを描いている。
 一徹の魅力もさることながら、石堂家の人々、石堂家に仕える人々の魅力がいっぱい描かれている。武士として論功行賞に走るのではなく、自軍の勝利を最優先するための働きをする。そのために知恵を絞って策略を練り、個々の能力を最大限に引き出す。そのバックボーンが、石堂家に脈々と伝わる処世術にあったとは。
 とにかく一徹の周りの人々が魅力たっぷりすぎるだけに、その後の一徹を知る身としては読み進めるのが物哀しい気分で。永遠に素晴らしい日々の中に入れたら、どれだけステキだろうかって。二度と戻らない美しい日が、過ぎることなく続けばって。
 一徹が上司だったら、働きやすいだろうなぁ。一徹のような上司にならなきゃダメかなぁ。まぁ、持って生まれた天分とか才ってのが違うから、ぼくはぼくなんだけどね。
 うれしいことに、第3弾もあるそうで。もっと一徹の活躍を見たいので、待ち遠しいぞ。


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TEAM NACSニッポン公演「WARRIOR〜唄い続ける侍ロマン」を観る(12.4.3)

 TEAM NACS2年ぶりの公演は、戦国武将の生き様を描いた物語。史実を大幅に脚色し、NACSらしい舞台となっていた。いろんな意味で。
 時は戦国時代。織田信長と今川義元が対峙した桶狭間の戦い。攻める信長、勝家、秀吉に対し、滅び行く義元に従う光秀、家康。そしてそれを遠巻きに見、絵を描く一人の絵師。物語はそこから始まる。戦国を生き抜くために、天下を取るために、愛するものを守るために、それぞれの義を信じるがままに。
 これまで5人で勤めてきた舞台も、今回は総勢20名の大所帯。戦国が舞台というだけあって、衣装だけでも豪華絢爛。金かかってるなぁ。物語の構成といい、舞台セットといい、初めて全国ツアーを行った幕末が舞台の『LOOSER』を髣髴させるんだよね。だから、人数の多さ、衣装の豪華さ、舞台装置の違いが特に目に付いて。あれから8年、それだけメジャーになったのね。
 物語はというと、ものすごい直球で仕掛けてきたなと。初めてNACSを観た人はバラエティとの差に戸惑うのではないか。とにかく熱いのだ。NACS5人がそれぞれ武将を演じるのだが、あまりにも直球過ぎて後ずさりしてしまいそう。それがゆえに、笑わせどころでの脚本や芝居が一層あざとく見えてしまう。笑いを押し付けられているようで。ましてや「う○ち」押しなんて小学生じゃないんだから。緩急の使い方なんだろうなぁ。
 演出で面白かったのが合戦シーン。一人の大立ち回りの殺陣をあまり引っ張らず、短時間で入れ替わり立ち代りにしたところは上手い。一人一人の力量が残念ながら劣るなら、無理せずテンポよく。それと、『信長の野望』みたいな合戦シーンもちょっと目からウロコだった。そうきたかって。
 ただ、『LOOSER』の印象が強く残っていて。去年再演もしたくらいだし。あと、戦国時代の史実フェイクものとしては、『GOEMON』が秀逸すぎたしなぁ。
 ぼくが観たのは全53?ステージのうち、5ステージ目。これからこの舞台がどう成長していくのか、楽しみでもあるけれども、最後の方に札幌でのステージはないんだよね。
 偶然にもこの日は大泉洋の誕生日。2回目のカーテンコールはケーキも出てきておめでとうでした。


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湊かなえ「少女」を読む(12.3.23)

 湊かなえ作品を読むのは『告白』に続き2作目。毎度なんともいえないビターな気分にさせられるのに、夢中になって読み進めてしまうのはなぜだろう?「他人の不幸は蜜の味」ってことか?しかも、それが少女の秘密ならなおさら?
「人が死ぬところを見てみたい」
 なんともブラックな衝動に駆られた少女二人のひと夏の物語。家庭の事情で笑顔をなくした少女と、学校の裏サイトへの書き込みで自分を見失った少女。親友だった二人は気まずさを感じながら送る学校生活から離れ、それぞれのアプローチで「死の瞬間」に立ち会うことを目指す。
 正直、気分はダウン、ダウン。でも、その先が知りたくてたまらなくなる。二人の少女の心情から伺える距離を早く確かめたくなる。『ヨルの綱渡り』の本当の想いを確かめたくなる。
 それにしても、すべてが伏線で、すべてに答えがある物語。だからこそ、湊かなえ作品は読後に爽快感は得られないとわかっていながらも読みたくなるんだよね、きっと。フィクションの王道なのかもしれない。
「因果応報!地獄に堕ちろ!」
 その世界観を見事にまとめあげた怪作です。


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「道新寄席 立川談春独演会〜春談春〜」を観る(12.3.20)

 立川談春が今年札幌で4回の独演会を開くという。今やチケット確保の難しい落語家といわれる一人。札幌でも人気で、今日も満席。年4回の通しチケットの売れ行きも好調だとか。くやしいことにコンサの試合と被ってたりするので通しチケットこそ買わなかったけど(ちなみに今日も被ってた)、こんな機会は早々ないので極力観に行きたいなと。
 立川談春といえば「立川ボーイズ」を思い出す。昔、深夜番組で落語一門が対抗して大喜利やコントで競うってやつで、談春は志らくと組んでこう名乗っていた。これがめちゃくちゃ面白くって。コントなどは秀逸の一言。てっきり新作落語の旗手かと思ってたんだけど、古典の名人候補だったとは、そのときは気付かなかった。
 そんな昔話はさておいて。なんだろうなぁ、どっしりしているのである。それは噺家としての貫禄もあるんだろうけど、無理に演じてないとでも言いましょうか。今日の一席目『黄金の大黒』は登場人物が多いんだけど、演じ分けに無理がないんだよね。長屋に住む面々の滑稽さが自然と伝わってくる。どもりの熊さんも、自然なのだ。だから聞く方もゆったりと笑える。瞬発的でなく、じっくり笑える。
 初めて聞いた『金の大黒』、師匠である談志が真打披露のときに演じた一席だそうで。純金の大黒様を拾った大家が長屋の店子を集めて宴会を催すというお噺。無邪気に笑えるお噺だった。客を無邪気に笑わせるのが難しいことなんだろうなぁ。
 休憩後、心臓外科の名医、談春的落語論、年金、不景気なんて四方山話が合って、二席目『包丁』へ。
 若い妾と所帯を持つために、友人に女房の間男をさせて別れの口実を作ろうと画策する男。でも、話はあらぬ方向に進んで・・・。これもまた面白い。女性を演じるのにも無理がないってすごいよね。人情噺ではないのに、ちょっとホロリときてしまった。こちらは師匠・談志に初めて褒めてもらった噺だそうで。
 立川談志が逝去されてから明日で百日だそうで。立川一門にとって、燦々と輝く巨星だったであろうだけに、そんなこと聞かされるとこっちもうるっときてしまったりして。
 次回は6月だそうだけど、コンサの試合なんだよなぁ。


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貫井徳郎「悪党たちは千里を走る」を読む(12.3.17)

 でこぼこのあるチームの物語って、魅力的だよね。ユーモアたっぷりコメディタッチのやつ。古くは『大追跡』(刑事)や『俺たちは天使だ』(探偵)。『淋しいのはお前だけじゃない』(詐欺師)もちょっと毛色が違うけどチームだよね。小説だと『陽気なギャング』シリーズとか。海外ドラマの『華麗なるペテン師たち』も面白かったなぁ。本作はその流れを汲んだ、誘拐ミステリー。バディものも好きだけど、キャラクターの人数分だけ幅が広がるし。
 今回の一味はまた設定が面白い。冴えない凸凹詐欺師コンビとライバル(?)の女詐欺師、そして本来被害者となるべき小学生がチームを作ってるんだもん。しかも、司令塔(頭脳担当)は小学生っていうんだから、『サイボーグ009』の001かよってツッコミたくなる次第で。凸凹詐欺師コンビが企てた誘拐計画がチームとなって変更及び強化され、第三者によって実行される。自分たちの計画なのに、踊らされる一味たち。なんとも情けないんだけど、カッコよく一発逆転は狙えるのだろうか?
 キャラ設定が上手いんだよね。決して一流ではない詐欺師3人が小学生に踊らされ、何者かに踊らされる。その踊らされ加減がたまらない。でもそれはきっと訪れるであろう一発逆転への壮大な前フリにきっとなるわけで。そのフレ幅が大きいところに、この物語の面白さがある。他のチームものって、優秀なる指揮官がメンバーそれぞれの個性を十分生かして、用意周到に逆転の機会をうかがうんだけど、本作はそうじゃない。詐欺師3人はあくまで冴えない詐欺師なんだもん。でも、やるときゃやる3人なんだもん。
 現代を切り取った仕掛けが散りばめられているのに、それを必要以上に誇示せず、コメディタッチで軽快な読み味を与え続けるこの作品。読後の爽快感、清涼感は満点です。


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「麒麟の翼〜劇場版・新参者〜」を観る(12.3.16)

 いや〜、日本橋にあった像、麒麟だったのね。去年間近で見たんだけど、龍かと思ってたよ。
 加賀恭一郎シリーズ、小説では読んだことない。だから、TVシリーズとTVスペシャル、そして今回の劇場版しか知らない。正直TVスペシャル『赤い指』を観たときはイラっとしたので、わざわざ金払って観て大丈夫か?って思ってたけど、いやいやこれは面白かった。
 映像化された3作品だけなのかなぁ。根底に親子の絆が流れるのは。それが今回はすごく希薄でありながらも実は厚いものになっていて。
 麒麟の像の下で死亡した男性。どうしてナイフで刺された場所から息絶え絶えに麒麟の像に向かったのか?犯人として疑われた青年は本当に男性を殺したのか?
 小説になる物語だから、もちろんご都合に近い偶然の積み重なりでミステリーは構成されている。その謎解きにさほど惹かれはしなかったけど、もうひとつの核となる人間ドラマにやられてしまった。ぼくはメッセージを受け取っているかって、自問自答したりして。ぼくの知るシリーズ3作の中では一番好き。
 でも、映画にする必要性ってのは残るよね。どうしてドラマじゃダメだったの?って。それを言っちゃダメなのかもしれないけど。
 エンドロールで特別出演の山崎努に専属ヘアリストのクレジットが。いやいや、あの役柄、シーンにヘアリストは必要ないでしょ・・・っていうか、むしろいちゃダメでしょ。
 なんだろう、これはすごくいい人間ドラマです。そういえば同じ原作・東野圭吾の『容疑者xの献身』を観たときもそう思ったなぁ。東野圭吾がミステリーを隠れ蓑にした人間ドラマの書き手なのかな。


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「「ホッカイドウ学」的マンガ学夜話」を聴講する(12.3.6)

 札幌国際大学・・・。正直そんな大学があるってことを知らなかった。きっと、ぼくが北海道を離れていたときにできた大学に違いない。その大学に、『BSマンガ夜話』の司会をされていた民俗学者・大月隆寛氏が教授として在籍しているなんて、もちろんまるで知らなかった。
 そんな大月氏を中心とした北海道地域・観光研究センターが『「ホッカイドウ学」的マンガ学夜話』なるイベントを開催。その名のとおり、『BSマンガ夜話』のフォーマットをそのままに、マンガという視点からホッカイドウを紐解いてみようというイベント。いしかわじゅん、岡田斗司夫、夏目房之介、笹峯愛という出演者がそっくり札幌に登壇だ。
 それにしても、北海道出身のマンガ家の多いこと。しかも、みんな曰く「我が道を行く人ばかり」。「余人に変えられない、メインディッシュではないが珍味が揃っている」とか。確かに、ラインナップを見るとうなずける。では、どうしてこんなに個性が伸びたのか?答えは「北海道は広いから」。他人に技術干渉されることなく描いていたから。なるほど。
 興味深かったのは、「北海道には戦後がある」「昔が近い」という発言。今の若い人の感覚はわからないし、戦後って感覚はぼくにもないんだけど、札幌にしたってここ20〜30年前に急速に整備・開発されたことを考えるとその通りかも。サイロだったり、肥溜めだったり、割と近くにあったもん。薬害被害者の方が身近にいたり。今の日本では封印されているかのような話がとても身近にあって。「北海道民の受け入れる強さ」「感情のものさしの粗さ」って、原体験から来るところが大きいかもしれないなぁ。ぼくですらそう思うのだから、親の世代や2代、3代前なんて特に。生きていく上でまず自然と闘わなきゃならないんだから住環境の貧しい時代で。
 札幌にAKBグループがないこと、寄席・演芸場が根付かないことを持って、「芸が育たない土地」って発言があったけど、個人的には違うと思うんだよね。北海道で吉本が苦戦しているのは、吉本芸人がターゲットにしている客層があまりにも狭いから。若年層ウケばかり狙う芸人を見に行く人の数って限られるでしょ。深夜にやってる北海道吉本のネタ番組見ても、正直笑えない。AKB札幌版ができないのはAKBに金を落とす層(若者男性)が他の都市と比べ少なすぎるから。常時興行を打っても、それなりの入りは望めないんだよ。寄席に関しても、東京の寄席だって都民が支えているわけじゃなく、地方からの観光客が占める割合が大きいじゃない。池袋演芸ホールなんていつも閑古鳥だし。でも、北海道は札幌に人口が一極集中だから、地方からの客は見込めない。あと、上手い噺家はみんな内地にいるし。
 でも、希望がないわけじゃない。札幌には日ハムやコンサを支えている層がいる。他のチームと違い、中高年の女性が圧倒的に多い。彼女たちが一番金を落としている。そここそが札幌で一番の狙い目であり、そこに対応できない限りは常箱なんて難しい。いしかわ・岡田・大月の三氏が「どこがいいかわからない」という大泉洋や、彼の所属するNACS、オフィスCUBEなんかはそこを突いているんじゃないかな。あと、劇団四季の常箱ってのも。
 吉本新喜劇を常時やっても道民は飽きるし(予定調和のお約束が・・・)、地方からの客の数も限られている。関西や東京であたったパッケージをそのまま持ってきても、ダメなんじゃないかな。
 そういえば、札幌では吉本新喜劇よりも藤山寛美率いる松竹新喜劇の方が人気があり、札幌公演はチケットがすぐ売り切れていた。やっぱり道民は泣ける要素がないとダメなのかも。『北の国から』のように・・・。
 なんか全然関係ないところで文字数が増えてしまったけど、とても楽しいイベントだった。『BSマンガ夜話』、復活しないかなぁ。


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「TIME」を観る(12.3.4)

 去年、この映画の予告を見てぶったまげた。命の時間が通貨として用いられる世界。貧しき者は時の早さに怯え、富める者が永遠の命を手に入れる。25歳の身体のままで。こんな面白い設定、よくぞ思いついたものだ。これは絶対に観なければ・・・と強く思った。
 そんなオリジナリティあふれる設定から紡がれた物語は、意に反してリスペクト色の強いものだった。マトリックス調で始まり、ボニー&クラウドで終わる。それはそれで面白いんだけど、設定が良すぎたためかもったいない。もっとオリジナルで攻めればいいのに。設定だけで力尽きたか?稚拙で急ぎすぎているようで。
 でもまぁ、『マトリックス』はあの世界を壊すのに3部作を要したのだから、『TIME』も続編があるのかもしれない。アウトローを極めた2人の次なる闘いが待っているのかもしれない。謎のいくつかが明らかになっていないし。
 ぼくだったらあの設定を使ってどんな物語を作るだろうか?あの設定の下、いろんなスピンオフが生まれそう。スラム街の物語も、富裕層の物語も。いいネタだけに幾重にも調理できそうな。
 ってことはやっぱり、今後も続く物語なのかな。ホント、惚れ惚れする設定だけに、もっとその世界観を満喫させてもらいたいなぁ。


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五十嵐貴久「相棒」を読む(12.3.2)

 紅茶好きのサスペンダー刑事は出てきません。それ以上にインパクトのある二人の偉人の物語。
 第十五代将軍・徳川慶喜の狙撃未遂事件。大政奉還を直前に発生したこの難事件を解決すべく、幕府により新選組副長・土方歳三と海援隊・坂本竜馬がコンビを組むことに。史実としては決して実現することのなかった2大幕末ヒーローの競演。なんだかうれしくなっちゃうね。
 とにかく性格から思想まで決して相容れることのない二人だけど、いがみ合いながらも補完し合う絶妙のコンビネーションが、読んでいて小気味よい。土方以上に沖田総司が共鳴し、土方のモヤモヤ感が募るところなんて、そのいじましさにニンマリしてしまう。
 大河ドラマ『新選組!』と『龍馬伝』を思い起こしながら読んでいた。歴史小説を読むのに大河ドラマで得た知識って役に立つんだよね。その代わり、土方は山本耕史にしか思えなくって。でも本作の坂本龍馬は福山雅治ではなかったかな。一番困ったのが、西郷隆盛と伊東甲子太郎のどちらとも谷原章介が浮かんできちゃって。大河ドラマの影響力って強いなぁ。
 立場こそ違えど互いの正義を認め合う土方と龍馬の絆。この組合せが本当に実現していたら、史実が大きく変わったかもしれないなぁ・・・なんて幕末に思いをはせたりするのだ。
 小説が持つ独創力が発揮された、夢のような物語。他にも組ませたい偉人がいたりするけど、二番煎じになっちゃうからこれで打ち止めなんだろうなぁ。


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「ドラゴン・タトゥーの女」を観る(12.2.26)

 毎年なんだけど、1月2月は忙しくてあまり映画を観に行けない。ゆえに見逃した映画も数知れず。でも、今日は時間が作れたので、観ておきたかった作品のひとつ『ドラゴン・タトゥーの女』を観てきたのだ。スウェーデン北部の街で40年以上も前に起こった事件の調査をすることになった経済記者のミカエル。彼が調査の相棒に選んだのは、彼自身を調査した過去を持つ、ドラゴンのタトゥーを背負った女・リスベット。二人の調査により明かされる旧家ヴァンゲル一族の闇とは?
 みんなはこの映画をどういう作品としてとらえたのだろうか?ハリエットの失踪を追うミステリーだろうか?ぼくはドラゴン・タトゥーの女リスベットの成長の物語として観ていた。謎解きも主役の存在感も吹き飛ばしてしまうほど、リスベットを演じたルーニー・マーラがすごかった。新進女優があそこまでの覚悟を持ってやりたいと思った役。タイトルどおり、それだけリスベットの存在が大きな作品なのだ。彼女の闇、孤独、献身。観るに耐えないシーンの一つ一つですら、彼女の成長を語る上で必要なピースであり、ルーニー・マーラ渾身の演技で成立している。正直、ミステリーも主役も刺身のつまみたい。
 インパクトがありすぎるんだけど、見守っていたくなるんだよなぁ。
 ぼくは原作を読んでいないが、どうやら三部作らしい(『ミレニアム』)。三部作の主人公がリスベットであることを強く祈る。と思ったけど、『ミレニアム』ってミカエルの記事を掲載している雑誌の名前だっけ。
 3時間近くの超大作、時間をあまり感じることなく観終えることができたのは、やっぱりリスベットの魅力だったと思う。


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誉田哲也「武士道エイティーン」を読む(12.2.17)

 18歳。二人の高校剣士の最後の夏。待望の『武士道エイティーン』、読了しました。この清々しさ。なんか、顧問か副審として二人の夏に立ち会ったかのような気分なのです。
 四十半ばのおじさんにとって、離れても剣でつながる香織と早苗の絆はうらやましい限り。二人が交互に語り継ぐ物語は、16歳の頃は明後日を向いていた方向が歳を追うごとに重なり、いまや完全にひとつになって。そりゃ個人だもん、細かい意見の相違や立場ってものもあるけど、根っこに流れるものが同じなのがビシバシ伝わってくる。
 そして迎える最後の夏。対峙し、剣を通じて届く想い。こそばゆくもあるんだけど、彼女たちの今が描ききられている。ライバルであり同士である好対照な少女の、成長の記録。ステキな物語を書いてくれるもんだ。
 でも、今回は二人だけじゃない。二人が追い求める武士道のこれまでとこれから。香織と早苗だけじゃなく、周りの人も語ります。それがまたステキな話で。それぞれが心に持つ武士道。それらに囲まれて育ったのが香織と早苗の武士道なんだなって。で、二人の武士道も新たな武士道を育てていくんだなって。
 有川浩の書く解説も読みどころです。
 香織と早苗の武士道は物語の中だけにとどまらず、広く読み手の心にも響いているのです。だから、続編があろうとなかろうと、二人がいつまでも技ではなく心で切磋琢磨しあう姿は、容易に思い浮かぶのです。


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瀬尾まいこ「戸村飯店青春100連発」を読む(12.2.11)

 書店でこの本を見たとき、お笑い芸人のネタ本かと思った。青春100連発って、ギャグが満載の本なのかと勘違い。この表紙も見る人が見たら関西芸人を連想するじゃない。
 ところが、小説だってわかった瞬間から、そのタイトル、表紙のイラストがなんとも魅力的で、これはもう読むしかないって。
 大阪の中華料理屋・戸村飯店の息子たち、ヘイスケとコウスケ。1つ違いの兄弟は、性格も考え方もまるで違う。同じ部屋に暮らしているのに会話すらほとんどない。戸村飯店にすらなじめず大阪を離れることを決める兄ヘイスケと、大阪にどっぷり浸かり、大阪から出ることを考えられない弟コウスケ。そんな二人の1年間の物語。
 読んでて「ぼくはコウスケだな」って思った。クールでモテるヘイスケには到底なれそうにない。面白いこといいながら輪の中に溶け込むコウスケはぼくに似ているかなって。でも、読み進めるうちにヘイスケの気持ちがすごくわかる気がしてきた。ヘイスケが大阪を離れる理由。ヘイスケの決意。
 きっとヘイスケもコウスケもみんなの心にいる存在なんだ。かわらなきゃって思う気持ち、このままでありたいって思う心。上手くいかないことをなにかのせいにしてみたり、踏み出す勇気がないことをなにかのせいにしてみたり。だから、逃げないことを見つける戸村兄弟に、拍手を送りたい気持ちでいっぱいなのだ。ちょっぴり涙目になりながら。
 音楽に心が揺れる。音楽は裏切らない。戸村飯店は今日も賑わっているに違いない。


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夢枕獏「翁-OKINA-秘帖・源氏物語」を読む(12.2.1)

 久しぶりに獏さんの本を読んだ。あとがきを読むと「獏さんは自分のこと大好きなんだろうなぁ」っていつもながら思う。自分の言葉、紡いだ物語を素直に愛せる獏さんって、すごくいい人なんだろうなぁ。
 時は平安、ところは京都。主人公は当代イチの色男・光源氏。彼の妻に取り憑いたものを確かめに、蘆屋道満とともに京都を奔走する物語。知る人が読めば『源氏物語』の主人公と『陰陽師』安倍晴明のライバルの夢の共演ってところでしょうか。
 二人が探し求めるもののヒントが、もののけの出題するなぞなぞってのがいかにも獏さん作品っぽい力の抜き方かな。なぞなぞに翻弄されるスーパースターの二人ってある意味滑稽で、これまでの近寄りがたい存在ってのがぐっと身近に感じられる。うまいのぉ。
 光の君(光源氏)に見える【もの】。これはきっと『鴨川ホルモー』の鬼たちに違いない。きっと光の君は安倍晴明とともに(もしかしたら道満も一緒に)ホルモーに興じたに違いない。そんな想いが読んでいてふつふつと沸いてくるのだ。
 獏さん特有の派手な大立ち回りはないけれど、魑魅魍魎の息吹が感じられる楽しい作品です。


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海堂尊「極北ラプソディ」を読む(12.1.23)

 刊行されていることを知らなかった。昨日、すでに発売されていることを教えてもらい、文庫化まで待ちきれず購入。とにかく先が読みたくて、本日読了。とても満たされた気分になっている。
 【桜宮サーガ】で文庫化を待ち、まだ読んでいない作品がいくつかある。それらを差し置いてでも『極北ラプソディ』を読みたいと思ったのは、世良先生の存在に尽きる。ぼくが【桜宮サーガ】で一番好きな登場人物なんだけど、彼の「今」は謎に満ちていた。そんな世良先生がハーレーに乗って颯爽と北の大地に登場したのが前作『極北クレイマー』のラスト。病院の倒産を描いた内容も面白かったんだけど、それ以上に次への期待にワクワクさせられたもん。しかも、その地にはかつての同僚である速水と花房がいて・・・。
 ってことで、本編。地域医療の現状と未来という大きなテーマはあるものの、本作は明らかに相反する道を進む2人の医師、世良と速水の物語だ。主人公・今中はその物語の語り部となっている。残念。
 医療の問題点を明確にし、世間に問いかけることで、将来失われるかもしれない多くの命を守ろうとする世良と、愚直に目の前の命を救おうとする速水。どちらも医療には必要なことのはずなのに、その評価が大きく分かれてしまう。自分が医療を受ける立場ならどう思うだろうか。そんな両極の医師を勝手に犬猿の仲に仕立てそう。でも、その二人が根っこでつながっている・・・。いいよね。
 なにはともあれ、とにかく世良先生なのだ。速水先生は『ジェネラル・ルージュ』やその他の作品で十分語りつくされているけど、世良先生は謎がいっぱい。未来の医療のために多くを敵に回し、現状破壊の孤高の闘いを繰り広げる世良先生の行く先に、明るい未来はあるのか?彼が受けた傷が報われる日は来るのか?感情移入しまくりっしょ。
 そして世良・速水といえば忘れちゃいけないのが美和さん。勝手にKYON2をイメージしている美和さん。ちょっとずるいけど許せる美和さん。ここもひとつの読みどころ。
 こうなってくると、1990年の『ブレイズメス』以降、世良先生になにがあったのか、桜宮に咲くはずだったスリジエはどうなったのか、早く読みたくてしょうがない。
 そして、終焉に向かうと作者自身が語っている【桜宮サーガ】のこれからを確かめたくてたまらない。もちろんさびしくもあるんだけど。【桜宮サーガ】の終わりに、医療の輝ける未来が描かれていることを祈って。世良先生の孤高の闘いの戦果として。


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小林賢太郎演劇作品「うるう」を観る(12.1.21)

 小林賢太郎関連の札幌での公演、気付けばだいたい観に行ってる。ラーメンズ、演劇ユニット、そしてソロプロジェクト。ラーメンズは王道、ユニットは愉快な放課後、ソロプロジェクトは実験。どれも魅力的で楽しいけど、表現の先端を走ってるソロプロジェクトは、いつも興味津々で観ている。次はなにを仕掛けてくるのかって。だから、面白いとか感動したとか書いても、それは彼の発想と技術に対する賞賛と嫉妬であって、作品の本質に向けられたものとは少し違った。ぼくの場合。
 でも、今回の公演は違った。作品に心から感動した。そして、小林賢太郎という表現者に心から嫉妬した。すげぇ…って。
 人里離れた森に住むヨイチ。いつも1人余ってしまう特性を持ち、他人と遠ざかった彼の楽しみは数えること。そんな彼が森を探検していた少年マジルと出会う。マジルもまた、余る特性を持っているが、ヨイチのそれとは異なって。
 出会いによる変化、出会ったことの意味、流れる時間、変わらないもの。その重さ、尊さ、はかなさ、せつなさを、舞台上で小林賢太郎が演じて見せる。これまでのソロプロジェクトを糧に、でもあくまでオーソドックスに。
 作品の本質はベタかもしれない。でも、掘り下げて見せる力、観客の目を掴んで離さない力は抜群。そして観客の心に小林賢太郎関連の札幌での公演、気付けばだいたい観に行ってる。ラーメンズ、演劇ユニット、そしてソロプロジェクト。ラーメンズは王道、ユニットは愉快な放課後、ソロプロジェクトは実験。どれも魅力的で楽しいけど、表現の先端を走ってるソロプロジェクトは、いつも興味津々で観ている。次はなにを仕掛けてくるのかって。だから、面白いとか感動したとか書いても、それは彼の発想と技術に対する賞賛と嫉妬であって、作品の本質に向けられたものとは少し違った。ぼくの場合。
でも、今回の公演は違った。作品に心から感動した。そして、小林賢太郎という表現者に心から嫉妬した。すげぇ…って。
人里離れた森に住むヨイチ。いつも1人余ってしまう特性を持ち、他人と遠ざかった彼の楽しみは数えること。そんな彼が森を探検していた少年マジルと出会う。マジルもまた、余る特性を持っているが、ヨイチのそれとは異なって。
出会いによる変化、出会ったことの意味、流れる時間、変わらないもの。その重さ、尊さ、はかなさ、せつなさを、舞台上で小林賢太郎が演じて見せる。これまでのソロプロジェクトを糧に、でもあくまでオーソドックスに。
 作品の本質はベタかもしれない。でも、掘り下げて見せる力、観客の目を掴んで離さない力は抜群。そして心の奥に深い楔を打ち込むんだな。
 人と人との繋がりが希薄になってきている今だからこそ、小林賢太郎の紡ぐ物語が心に響くのかもしれない。


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諌山創「進撃の巨人@〜E」を読む(12.1.19)

 函館出張の道中、列車の中での楽しみとして、前から気になっていた『進撃の巨人』を一挙購入して読むことにした。評判がものすごく高かったけど、絵がいまひとつかななんてちょっと敬遠してたのだ。あと、ある程度まとまった時点で読もうってことで。
 とにかく圧倒された。評判に偽りなし。面白くって、面白くって。なんじゃこりゃ状態なんだけど、読み手をひきつけて離さない。
 いつの時代のどこの話かはわからない。でも、人類が巨人により食い殺され、滅亡の危機に瀕している。そんな切迫した状況の中で、「生きる」ことを強く望み、立ち向かう者たちの物語。
 この作品の何がすごいかというと、「想像させる力」だと思う。作者の物語を作る上での創造力がすさまじいのはもちろんだけど、その世界を細かく説明することもなく読み手に想像させ、物語の世界に引き込んでいく力がハンパでない。作者と読み手に時代や場所といった共通認識はないのだ。かといって、順序立てて物語を説明するようなやさしさだって微塵も感じられない。それでも「早く次が読みたい」って強く感じてしまう。
 とんでもない作品に出会ってしまった。F巻は4月発売だって?もう待ちきれません。


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荻原浩「メリーゴーランド」を読む(12.1.19)

 荻原浩って、硬軟を巧に使い分ける作家って印象で。で、今回は感じ「軟」の『メリーゴーランド』を読んでみようといった次第で。
 脱サラし、地方公務員となった主人公が、出向した先で不良債権化した遊園地を立て直すのに奔走する物語。前半はとにかく公務員(市役所員)やその取り巻きの腐敗具合と、すっかりぬるま湯になじんだ主人公が描かれる。そして後半は遊園地再建に目覚めた主人公の活躍とその後が。地方治世と公務員の実態には、たぶんに誇張はあるけれど。
 これはもう、青春小説と言っても過言ではない。落ちこぼれが奮起して成功するパターンに近いやつ。ただ、若者が主人公の青春小説と違い、「努力と根性」が成功の鍵ではなく、「発想と人脈」が鍵となるあたりがオトナなのだ。そして、そのプロセスが読み手としてはわくわくしてしまう。なんか「ぼくも面白いことやっちゃいたいなぁ」なんて気にさせられる。
 そんな「軟」を使って読み手に高揚感を味合わせながらも、作者は「硬」をさりげなく織り交ぜてくる。地方政治のあり方と問題点。公務員の現実。来るべき未来。
 役所という神の手の存在する機関に従事する主人公さながらに、作者という神の手に読み手は翻弄されるのね。
 遊園地の象徴となるメリーゴーランド。永遠に続く周回。それこそが遊園地を舞台にしたこの物語のアンチテーゼ的象徴なのかもしれない。
 面白いけどちょっと悔しい、夢ばかり見てはいられないオトナの事情が加味されたいい青春小説だった。


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乾緑郎「完全なる首長竜の日」を読む(12.1.13)

 「このミステリーがすごい!」大賞受賞作を読むの、なんか久しぶり。海堂尊以来の満場一致の受賞だとか。超大型新人の描くサスペンス・ミステリーをいざ読まん。
 それは近未来?アナザー・ワールド?植物状態の患者とコミュニケーションが取れる器具が開発された世界。少女漫画家が自殺し植物状態となった弟とコミュニケートし、その過去を探ろうとするたびに、日常に変化が現れて・・・。
 超大型新人の呼び名にふさわしく、上手いなぁ・・・構成や文章が。南の島での過去と、東京の仕事場兼自宅での現在。弟の脳内と日常の生活。ループ、リピートの行き着く先には・・・。
 上手いのは上手い。でも、好きか嫌いかというと後者かな。まるで主人公と同じように、頭が重くなったもん。それは著者の引き込む技術力が素晴らしいってことなんだけど、それが過ぎるとぼくにはつらいんだな。感情移入が激しすぎるのかもしれないけど。
 そんなんだから、かなり読むのがきつかった。それと、先が読みやすかった。劇中劇もありかと思ったんだけど、意外とオーソドックだったなぁ。ただ、終始気分も重かった。
 技術がありすぎる作者の本は、気をつけないとこっちの意識が持ってかれそうになるのだな、ぼくみたいな単純な男には。


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「宇宙人ポール」を観る(12.1.2)

 チクショー、面白すぎるじゃないか。その上、すべてのSF映画への愛が詰まっていて。まさに集大成的な映画だよ。
 SFオタクのイギリス人二人(SF作家とイラストレータ)がアメリカでコミコン&UFOスポット巡りの旅の途中で遭遇したのは、アメリカ在住60年の宇宙人ポールだった。アメリカ慣れしたポールに戸惑う二人。でも、SFの祖となる存在のポールと心が通じあい、珍道中が始まる。
 熱狂的なSFオタクだけでなく、狂信的な神信奉者の娘を巻き込み、警察、謎の機関、父親からの逃亡劇。ポールの目指す先は?そこに待ち受ける最強のボスキャラは?
 とにかく愛が詰まっているのだ。SF作品に対するオマージュとリスペクト。巨匠までもがすすんで参加したくなる愛の注ぎ方。『ギャラクシー・クエスト』にも共通する、愛なんだよね。それがもうたまらない。それを抜いたって面白いのに。
 映画が好き、映画を愛してる。そんな作り手の想いが伝わり、それが独りよがりにならないで共感を得る。できそうでできない平衡感覚に長けてるんだよなぁ。
 ネタバレになるので多くは語らないけど、これはホントに面白い。SFファンもそうでない人もぜひ観てほしい作品です。


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